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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その365

b0083728_22564586.jpg個人的経験:
先日読んだ、ペルゴレージの
「スターバト・マーテル」
のガルデルリ指揮のCD解説は、
なかなか含蓄のあるもので、
考えさせられる内容を含んでいた。
この「スターバト・マーテル」
という曲種であるが、
現在は、バチカンお墨付きの、
正式の聖歌集からは外されている
と書かれてあったのである。


つまり、故・野村良雄氏によると、
「1962年10月から65年12月にかけて、
ローマでもよおされた『第2バチカン公会議』以来、
カトリックのローマ式典礼は、
歴史上かつてないほどの改正と刷新の渦中にある」
と書かれており、
「1967年にバチカンから出版された
『小聖堂用』の『簡単なミサ典礼グレゴリオ聖歌集』
からはスターバト・マーテルはまったく除外されている」
とある。

この「まったく除外」という表現が面白い。
ちょっとぐらい入れろよ、ということであろうか。

したがって、今回、取り上げる、
1959年10月、ルクセンブルク録音の、
サン・モーリス=サン・モール修道院
ベネディクト派修道院士聖歌隊による、
「グレゴリオ聖歌集」は、
この第2バチカン公会議の結果を受ける前の記録となる。

したがって、Track2は、堂々と、
「スターバト・マーテル」が収録されている。
といって、それ以後の「グレゴリオ聖歌集」の録音に、
「スターバト・マーテル」が、
含まれなくなったのかどうかまでは調べていない。

少なくとも、近年のグレゴリオ聖歌録音の流れは、
特定の典礼にフォーカスした形式に
整えられている企画が多いようで、
この古い録音のような、
「名曲集」形式は少ないのではないか。

が、このCDの場合、
輸入盤に日本語解説が挟まれていて、
二重の勉強ができる点にすぐれ、
何よりも、歌詞がついていることがありがたい。

スターバト・マーテルなどは、
ペルゴレージもシューベルトも、
40分ほどの大曲になっているのに、
ここで録音されているのは、
わずか5分である。
これはいったいどういうことか、
と考える場合、歌詞を見るのが一番であろう。

ただし、歌詞がラテン語だけなのは、
激しく抗議したいところであるが。

このCDは、そこそこ有名なもので、
何と、「日本基督教団出版局」なる出版社が出した、
「キリスト教音楽名曲100選」という本でも、
このCDが「グレゴリオ聖歌の名曲」という項で、
「入門としてお薦めする」として、
とりあげられているのである。

「無伴奏が正式だが、声を圧迫しない程度の伴奏は認められており、
このCDでも数曲には控え目なオルガン伴奏がついている」
と書かれているが、これに続く殺し文句が憎い紹介だ。

「理屈ぬきで聴いていただくと、
いつしか祈りの世界に引き入れられていくだろう・・
第4曲では修道院の鐘の音が聞こえ、
静謐の世界に身をおく思いがする」と言うのである。

非常に印象的な一文で、遠くに心が飛翔する。
しかし、このクレルヴォーの修道院については、
ネットで調べてみると、
そんなに古いものではなかった。
20世紀初頭の創設らしく、
ネオ・ロマネスクの建築とあり、
おそらく、このCDの表紙のような建物は、
まるで関係ないものと思われる。

先の本は、そもそもグレゴリオ聖歌って何?
ということにも、当然、答えていて、
4世紀のミラノの司教、アンブロシウスが制定した、
単旋律・無伴奏のラテン語聖歌が原形としていて、
7世紀初頭のローマ教皇グレゴリウス一世が、
民族大移動の混乱期に、礼拝様式を整えるために、
「聖歌を集大成し、用法と形式を整理した」とある。

また、次のページには、
「ミサで聴くグレゴリオ聖歌」という項があって、
グレゴリオ聖歌の中心は、
「ミサ(キリストを記念するため、
パンとブドウ酒を主の体と血として
信者に分配する典礼)の典礼式文を歌うための歌である」
として、
「グレゴリオ聖歌はこうして
ミサの典礼式文そのものを歌うものだから
ミサ全体の流れの中で歌われているCDで聴くのが、
最も良い鑑賞法である」と結論付けている。

しかし、この後、ソレームの聖ペテロ修道院の
「グレゴリオ聖歌集大成」20枚組セットを推薦しているので、
これはいただけない。

「礼拝に参加する喜び、神の前に立ち、
聖書の言葉を聴き、祈り、賛美の歌を歌う喜びが、
ひしひしと伝わってくるCDである」という締めくくりが、
さすが日本基督教団出版局刊行だと思えるが、
実際、典礼の儀式を知らない我々には、
何となく、どんな場面でこれらの歌が歌われたかが、
この本に書かれた解説によって、
垣間見えるようで理解の一助となった。

さて、今回取り上げるCDであるが、
日本フォノグラムから出た時の日本語解説は、
今谷和徳氏のもので、
各曲ごとに短いコメントがあるのが分かりやすい。

ここでは、収録曲を、こんな風に分類している。
カンティクム(聖書引用の歌)1曲
アンティフォナ(カンティクム、詩篇の前後の歌)7曲
イムヌス(聖書引用でない有節形式のもの)5曲
(以上、聖務日課で歌われる聖歌)
セクエンツィア5曲(ミサで歌われる聖歌)
(セクエンツィアはアレルヤに続くものだが、
16世紀のトレント公会議で、ほとんど禁止となる。)

CDのオリジナル解説を見て行こう。
David Hileyという人が書いている。
この名前で検索すると、まさしく、
グレゴリオ聖歌の研究家であることが、
著書からもわかった。

「単旋律からの無限の多様性」というタイトル。

いきなり、「plainchant」という言葉に面食らう。
何となく、平板歌唱とでも訳したくなるが、
辞書で調べると、「plainsong」を見よ、
となっていて、「plainsong」を調べると、
「単旋律聖歌、グレゴリオ聖歌」と出てくるので、
堂々巡りとなる。
が、どうやら、これが、あちらでの呼び方なのであろう。
「グレゴリオ聖歌」より、「プレインチャント」の方が、
発音しやすくて良い。

「プレインチャントには、無限の多様性がある。
最初聞いた時は、それらは互いにあまりにも似ていて、
見分ける特徴がなく、
それはよく分からないかもしれない。
それは対位法も和声もない単旋律にすぎない。
それは不変の荘厳なペースで進行するように見え、
リズムも強弱法もほとんどかまったく同じである。
こうした制限があるにせよ、
形式にも細部にも豊かさがあり、
辛抱強いリスナーにはいつも喜びを与えてくれる。」

ということで、BGMとして聞き流していただけの私は、
あまりこうした事は気にしたことがなかった。

「もちろん、グレゴリオ聖歌は、
表現の多様さや深さを求める、
現代の音楽愛好家のために作曲されたものではない。
礼拝のため、中世の教会の典礼の一部として発展し、
古代の儀式に荘厳さや壮麗さを加えるものであった。
私たちはこの文脈からあえて離れ、
個々の曲付けに想像力を働かせたい。
この録音のいくつかは装飾もなく、
儀式の歌として、分かりやすいものである。
まず、音節聖歌を選んでいるが、
これらは、歌詞の各音節に、
通常、1つか2つの音符が使われている。
数曲は、形式的には有節歌曲で、
それゆえ、メロディは記憶に残りやすい。」

このように読み進めていくと、
どうやら、この人が選曲から携わっていることが分かる。
以下、各曲について書かれるので、
トラック番号を追記した。

「4つの賛歌(イムヌス)、
『われは御身を敬虔にあがめ』(Track5)、
『タントゥム・エルゴ』(偉大なる秘蹟、Track8)、
『おお、救いとなりし犠牲(いけにえ)よ』(Track9)、
『来りたまえ、創り主たる精霊よ』(Track17)は、
などはそうしたもの(有節歌曲)である。
最初の3曲は、中世後期から盛んになった
『聖体降福式(聖体賛美式)』にふさわしいもので、
聖餐式(サクラメント)は、当時、ミサとは別に、
重要な儀式になっていた。」

これは勉強になるが、これは平凡社新書、
「キリスト教歳時記」の「6月」にある、
「キリストの聖体日」であろうか。
直訳では、「祝福された生贄の賛美」と読める。

とにかく、このあたりの記載、
バチカン公会議でも開いて、
はっきり、何月何日と決めて、
呼び方もびしっと決めてほしいものだ。

Track5.
日本語解説では、
「聖体降福式は、キリストの聖体の祝日
およびその8日間の朝夕などに行われる」とあるから、
やはり6月の朝夕を思えばよさそうだ。

いかにも、この音楽は、澄んだ空気のような、
民謡風とも言えそうなメロディで、
そうした初夏の雰囲気に相応しそうだ。

Track8.「タントゥム・エルゴ」。
これは、シューベルトもさかんに作曲したものだ。

日本語解説では、
「トマス・アクィナス作の聖体のイムヌスの後半部分」
とあるが、歌詞は単純で、
「だから偉大な秘跡を伏してあがめよう。
古い教えは新しい典礼にかわった」というもの。

どの曲も同じに聞こえるグレゴリオ聖歌だが、
さきほどのものよりも、メロディの印象は弱い。
シューベルトの曲を聴いた時、
何が、「だから」だ、と思ったが、
この前に、何か説教なりがあるのであろう。

Track9.
「おお救いとなりし犠牲よ」。
「ベネディクト会修道院版の旋律」とあるが、
これは、「バチカン版」と違うということらしい。
これまた、一瞬で終わる感じで、
あまり、メロディとして印象は薄い。

「『来りたまえ、創り主たる精霊よ』(Track17)』は、
一方で、『聖霊降臨節』の儀式に属し、
晩課のような聖務時間に歌われたものである。」

この歌詞は、マーラーの「第8交響曲」の冒頭にも現れるもので、
あんなやかましい音楽が、晩課で歌われたとは信じがたい。
そう考えていると、こんな文言が続いていた。

「これはさらに、司祭や司教の聖職就任の儀式にも使われ、
戴冠式にも使われた。」
これなら、祝典的なマーラーの交響曲にも相性が良さそうだ。

「これは他の賛歌より古いものとされ、
すくなくとも10世紀に起源があり、
フルダの修道院長で、
偉大な神学者であったラバヌス・マウルスの作とされる。」

この人が詩を書いたのか、曲を書いたのか分からないが、
マーラーの交響曲も、こうした経緯から、
聖霊降臨節に演奏されることが多いらしい。

この「聖霊降臨節」も、先の「キリスト教歳時記」で調べると、
目次にも出ておらず、よく分からない。
辞書にはイースターの後の第7日曜日とあるが、
これでは、またまた6月ごろということになる。
何が違うというのだ。

Track17.「ヴィニ」。
オルガンの伴奏がゆったりと響き、
この曲は、マーラーとは違って、
しみじみとしたメロディで歌われている。
しかも、何か、希望を持って待ち望む感じがある。

日本語解説にも「名曲とされる」とあるが、
美しい音楽である。

「何世紀にもわたって、グレゴリオ聖歌は、
先生から生徒に口伝えで伝えられてきた。
9世紀ごろ現れてから、楽譜は、
細かい点で個々に異なり、
書いた人がどれに親しんだかによって、
特定の聖歌へのメロディも異なったりする。
いくつかのこうした違いは現代にも受け継がれている。
このように、この録音におけるいくつかの曲は、
『tonus monastics』で歌われているが、
これはメロディやメロディのバージョンが、
修道院用に印刷されたものである。」

このあたりの解説は、
日本語解説には書かれていない点である。
あるいは、
「tonus monastics」が、
日本語解説の、「ベネディクト会修道院で
用いられている聖歌集」というものであろうか。

「これらが歌われた教会そのものがそうであるように、
政務日課におけるグレゴリオ聖歌は、
異なる時代の混合物(アマルガム)である。
このレコーディングの『賛歌(hymns)』は、
異なる世紀のもので、
4つの『続唱(セクエンツィア)』もそうである。
『セクエンツィア』は、特殊な『賛歌』と考えられ、
形式的には有節形式であるが、
メロディはすべての詩節で異なり、
通常、各ペアの後変化して、
最初と最後の詩節は別個のものである。
こうしてメロディ変化は大雑把に、
abbccdd・・x
という形となる。
中世のはじめ、セクエンツィアは散文詩で、
しばしばペアの詩句が異なる長さであった。
この録音におけるセクエンツィアは、
すこし近代的で、リズミックなテキストを持ち、
もっと規則的に構成されている。」

こうした話もあまり読んだ記憶がなかった。
が、面白いではないか。

「復活祭季節用の
『復活のいけにえに賛美を』(Track16)は、
最も古いもので、11世紀にさかのぼる。」

Track16.
日本語解説には、「ブルゴーニュのウィポ」作とある。
トレント公会議でも禁止されなかった名曲とある。

確かに、左右に分かれた歌い手が、
交互に歌いかわす点からも、
abbcc・・が聞き取れる。
この形が面白いのは、最初に歌う方が、
結局、したがって歌うサイドに入れ替わる点だ。
ここでも、右側の歌い手が歌いだすが、
左の歌い手の方が積極的に歌って返す。

最後は、二つの歌い手が一緒に歌って、
上記「x」の部分を結んでいる。

aは助奏的なのだろうか。
bの部分は、すこし抑揚が強い。

「『けがれなく、罪なく』(Track14)は、
聖母マリア(BVM)を讃えるもので、
おそらく同様に古く、
聖母マリアのお務めの応唱(レスポンソリウム)の、
最後のセクションの賑やかしで始まったもので、
後にミサのセクエンツィアのような儀式の、
独立部分に発展した。」

Track14.「Inviolata」。
これは、聖母を讃えるにふさわしく、
優しい曲調で、bの部分から、右側の歌い手は、
木霊のように、そっと答える風情である。

メロディラインも粋な感じで、
終わり近くで、すこし、問いかけるような趣き。

この復活祭季節(Eastertide)は、
イースターの頃であろうから、深追いしない。
tideは、辞書にも「キリスト教に関する時期」
などと書かれている。

「『キリスト聖体の祝日』用の、
『シオンよ、たたえよ』(Track3)は、
12世紀のテキストだが、
メロディは前の世紀のものである。」

『聖体の祝日』は、先に出て来た「サクラメント」と、
何が違うのだろうか。

Track3.「ラウダ・シオン」。
日本語解説には、トマス・アクィナス作とあり、
トレント公会議でも使用禁止にならなかったとある。

これは、5分を越える作品で、
「賛美の対象は、命を与えるパン、
聖なる晩餐の食卓で与えられたもの。
賛美が響き、喜びにあふれ」などと、
ミサの精神そのものである。

妙に説明的な歌で、
「キリストが自分の記念として行うよう命じられた。
パンが肉となり、ブドウ酒が血となる。
理解せず見えないことを、生きた信仰が堅固にする。」
などと、妙に説教くさい。
音楽も、ちょっと単調である。

それから次に、ついに、
「スターバト・マーテル」の話が出てくる。

「『スターバト・マーテル』(Track2)は、
中世後期から『聖母マリアの7つの悲しみ』
などの祝日でポピュラーになったもので、
同様に12世紀の作品である。」

これまた、前に出て来た日で、
前もよく分からなかった。
しかし、各曲が何時の作品かを書き連ねた、

が、何と、日本盤解説には、
「聖母マリアの7つの苦しみの日」は、
9月15日と明記されているではないか。
これは、平凡社新書には、まったく書かれていない。

ただ、この解説にも、少し、改善を望みたい。
音楽的な特徴があまり書かれていないからだ。

「教皇イノセント三世や聖ボナヴェンチュラのような、
著名な著述家によって、
この作品が書かれたとされるが、
確たる証拠はない。」

この記載は奇妙である。
「スターバト・マーテル」は、
ヤコポーネ・ダ・トーディ作ではないのか。
まさか、こうした人たちの作品、
あるいは、トマス・アクィナスの作品であれば、
第二次バチカン公会議の結果も違っていたりしないだろな、
などと考えてしまった。

「こうしたセクエンツィアは、
『Ave verum Corpus』という、
繰り返し詩句が一つだけのグループに分類でき、
ミサや聖体賛美式の聖別の間、
聖体拝領の賛歌として歌われた。」

聖体賛美式は、「ベネディクション」を辞書で調べた結果である。

Track2.「スターバト・マーテル」。
無伴奏で、たんたんと進行する音楽。
左右の歌い手が交互に歌っているが、
まったく、交互に歌う必要はない。

ひとりでだって歌えるはずのものだが、
左右からの合唱が、空間を感じさせる。
おそらく、先生と生徒のように、
片方が歌ってみたのを真似する感じで、
祈りと同時に音楽の伝習もできたのではないだろうか。
その機能ゆえに、このように何世紀にもわたって、
歌い継がれることが出来たのではないか。

スターバト・マーテル、20節もの大作であるが、
すべての詩句を歌っているのを確認した。
最後の「アーメン」のみ、ペアの合唱が一緒に歌われる。

「『テ・デウム』(Track4)は、
中世以来の大カンティクルで、
朝課の最後に歌われてきたが、
古代からの作品で、
その起源は謎に包まれている。
その一部はおそらく2世紀にさかのぼる。
最初の10の詩節は、父なる神を賛美しているが、
11節から13節の頌栄の後、
後の信者に子たるキリスト賛美が続けられた。」

この「グレゴリオ聖歌集」、無敵ではないか。
こんな曲まで入っていたのである。

Track4.「われら神なる御身をたたえ」
この曲の冒頭に、朝の訪れを暗示するのか、
澄んだ鐘の音が入っている。

日本盤解説には、
「特に古いものに属するイムヌス」
とあり、「ベネディクト会修道院で
用いられている聖歌集に含まれる旋律が採用」とある。

静かな控えめなオルガンが響き、
遠くで鐘の音が響き続けている演出は、
あまりあざとくは感じられない。

声とそれ以外の音が、残響豊かに調和し、
妙に心落ち着く空間を再現している。
しかし、このCD、1959年の録音とは思えないほど、
澄んだ空間を再現して、素晴らしいの一言に尽きる。

それにしても、
ベルリオーズの作品などを考えると、
「テ・デウム」が、朝のお務め用とは想像できなかった。
疲れ果ててしまうではないか。

日本盤解説には、「のちには、他の儀式の終わりにも、
盛大な感謝の歌として歌われるようになった」とあり、
このあたりのフォローもしっかりしている。

「ほとんどの応答唱歌(アンティフォン)は短く、
控えめな作品で、『詩篇』の詠唱の、
前奏曲や後奏曲として演奏された。
より重要なアンティフォンは、
政務日課用のもので、
その一つに『御身は羊らの牧者』(Track1)があり、
これは、『聖ペトロの日』のカンティクル『マニフィカト』の
晩課で歌われるものである。
『おお、聖なる晩餐』(Track6)は、
他の『マニフィカト』用アンティフォンで、
これは『キリスト聖体の祝日』用である。」

混乱してきた。
今度は、「聖ペトロの日」とはなんなのだ。
先ほどから参照している
「キリスト教歳時記」には、6月29日に、
「使徒聖ペトロ、使徒聖パウロの日」というのがあるが、
これだろうか。
「キリスト聖体の祝日」は、
結局、「キリストの聖体日」なのだろうか。
だとすると、これも6月だという。

CDの日本語解説には、助け舟があった。
このアンティフォナは、6月29日の
「使徒聖ペテロと聖パウロの祝日」に対するものだ、
とあった。

さらに、「マニフィカト」については、
「詩篇唱の方法で朗唱され、
8つの教会旋法のそれぞれで歌われるのだが、
ここでは、アンティフォナの旋律が第1旋法によっているため、
『マニフィカト』も第1旋法による旋律のものがとられている」
とあるが、唐突である。

オルガンの響きが瞑想的で、
主唱者の声が、掛け声のように響くと、
合唱が唱和しながら広がって行く。

この曲は比較的抑揚のあるメロディで、
言葉の歯切れも明快で、不思議な調和を見せている。
バッハやヴィヴァルディの作曲したものと、
まったく同じ詩句(アーメンはないが)
が通して畳み掛けられ、
3分半しかかからずマリアの感謝の歌を歌いきっている。
いや、語りきっている。

シューベルトは、輝かしい「マニフィカト」
の作曲をするにあたり、その詩句をカットしまくったが、
よくもそんなことが出来たものだと思わずにいられない。

Track1は、単に、「マニフィカト」と書かれているが、
その前のアンティフォンから収録されているといる。
しかし、同様のアンティフォンとされる、
Track6は、続くマニフィカトはない。

Track6.
これはたっぷりした、充足感に満ちた音楽で、
「おお、聖なる晩餐」というよりは、
もっと開放的な音楽に聞こえる。

「『詩篇』と共に歌われない
特殊なグループのアンティフォンは、
しばしば、一日の終わりの『終課』において、
聖母マリアの祝福に、
独立に『賛歌(アンセム)』として歌われる。
ここでは、それらの5つ、
『サルヴェ・レジーナ』(Track10)、
『アヴェ・マリア』(Track11)、
『われら御身の保護のもとに』(Track12)、
『うるわしき救い主の御母』(Track13)、
『天の女王、喜びませ』(Track15)が演奏されている。」

Track10.「サルヴェ・レジーナ」。
シューベルトが愛着を持って作曲した、
この美しい宗教詩は、こんな昔から歌われていた、
と実感するトラック。

「サルヴェ」を「サーアアルヴェ」と先導者が歌いだすと、
「レジーナ」を「レーエエエジイイナ」と歌いながら、
合唱が始まる感じで、音楽は単なる、
チームワークの手段みたいに思える。
涙の谷も、キリストの誕生も、
すべて同じように朗誦されて、
心を一つにすることが主眼になっている。
「ベネディクト会」版とある。

Track11.「アヴェ・マリア」。
ここでは、「アヴェ・マリイイア」と歌いだされ、
何だか、「サルヴェ・レジーナ」より、
胸をいっぱいにしたようなメロディになっている。
が、1分程度で終わってしまう。

Track12.「われら御身の保護のもとに」。
これまた短い音楽。
が、音楽は、主体性があり押しの強さがある。

Track13.「うるわしき救い主」。
日本語解説によると、「サルヴェ」同様、終課の終わり用の音楽。
この曲はおおきな振幅を伴って、骨太感がある。

Track15.「レジナ・チェリ」。
これも終課の終わり用。
息の長い引き伸ばしが、陶酔的な瞬間をもたらすが、
1分44秒で終わる。

オリジナル解説にはなかったが、
Track7.「アヴェ・ヴェルム・コルプス」もあって、
モーツァルトの名曲の原点が聴ける。
聖体降福式のセクエンツァ。きわめて平明なものである。

得られた事:「『マニフィカト』、『スターバト・マーテル』、『サルヴェ・レジーナ』から、『タントゥム・エルゴ』まで、このグレゴリオ聖歌集には、シューベルトの宗教曲の原点が収録されている。(また、ヴィヴァルディ、ベルリオーズ、マーラーの原点もある。)」
「『スターバト・マーテル』は『聖母マリアの7つの苦しみの日』などに歌われたが、これは9月15日である。」
「イムヌスが歌曲風で親しみやすく、セクエンツィアは形式が面白い。」
by franz310 | 2013-02-09 23:25 | 古典
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