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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その357

b0083728_17443115.jpg個人的経験:
ヴィヴァルディの
「マニフィカト」は、
当時の彼の人気を伝え、
多くの楽譜が存在し、
遠くボヘミアでも
演奏されたヒット曲だという。
が、1995年に出た、
音楽之友社の
名曲解説ライブラリーでは、
この曲は扱われていない。
しかし、今回の
このCD解説を読むと、
この曲の真価、
みたいな勢いで書かれていて、
とてもうれしくなる。


かなり激賞されているので、こんな傑作を、
いろいろ聞き比べることが出来て、
良かったな、という感じである。
やはり、買った人がハッピーになるような、
曲目解説をお願いしたいものである。

今回聴いたのは、
録音が良いことで知られる、
フランスのシャルランのもの。
とはいえ、1964年頃に出されたものを
改めてCD化したもので、
演奏自体は半世紀も前のものである。

名録音技師として有名だった、
アンドレ・シャルラン(1903-1983)の残した録音は、
LP時代から、何か、香しい香りを放つもののように、
日本でも尊重されていたものである。
ワンポイント録音というのが、
シャルランの得意技だったようだが、
私はよく知らない。

このCDでも、
何か、ぼかしによる遠近法を駆使したような、
不思議な質感の録音を聴くことが出来るが、
水彩画風とも、抜けるような、
とも言いかえることが出来る。

録音は良いのであろうが、
生々しいという感じではなく、
押しつけがましくなく、清涼である。
歌手の声質からして、そういった人選なのかもしれない。

まったく嫌味がなく、これは嬉しいCDである。

私は、フォーレの室内楽やピアノ曲を、
このレーベルで愛聴していたので、
シャルランというサインを見るだけで、
陶然としてしまうので、
正しい判断が出来ているか自信はないのだが。

この二人の天使をあしらった、
古雅なデザインもまた、
当時を彷彿とさせて嬉しいではないか。

カルロ・フェリーチェ・チラーリオ(チッラリオ)指揮
ミラノ・アンジェリクム室内合奏団の演奏。
この指揮者は良く知らないが、
カラスの「トスカ」などを振っており、
オペラが本業なのかもしれない。

オーケストラは、このレーベルでは、
よく登場していたものだ。
しなやかで弾力の豊かな、
しかも切れ味のよい演奏が聴ける。

E.クンダリ、A.ヴェルチェッリ(S)、
A.M.ロータ(A)といった声楽陣が歌っているという。
ポリフォニコ・ディ・トリノの合唱も、
熱唱ながら、力みによる破たんがなく、
絹織物のような上質な肌触りがある。

エミリア・クンダリは、ワルター晩年の、
マーラー「復活」(1958年)や、
「第九」(1959年)でソプラノを受け持っていた人だ。

カナダ(アメリカ?)生まれのこの人は、
メトロポリタン・オペラで活躍、
いつの間にか、ヨーロッパでヴィヴァルディなども歌うようになって、
その後、教育に専念、キャリアを中断したようである。

ということで、ここで聞く「マニフィカト」の歌唱は、
この人の数少ない独唱録音ということになる。

「第九」にしても「復活」にしても、
ソプラノはアンサンブルの一角を占めているだけ、
みたいな感じなので、
全部、しっかり、クンダリの声を聴けるものとしては、
貴重なものではないだろうか。

ワルターの「復活」でも、クンダリの声は、
押しつけがましくない楚々としたものだが、
何となく、この時代が求めていた声の感じ、
という気がしないでもない。

この録音、ワルターのステレオ盤にしては珍しい、
ニューヨーク・フィルとのもので、
指揮者にもオーケストラにも特別な高揚感がある。

なんだか、変な例えだが、
ショルティがシカゴ交響楽団を引き連れて、
ヴィーンで録音した「千人の交響曲」でも聞かれたような、
一期一会の真剣勝負の場において、
何かを希求するイメージを伝えるのに、
クンダリはふさわしい声である。

その他の歌手については良く分からない。

では、Carl de Nysという人が書いた、
解説を読んで見よう。

収録曲そのままに、
Nisi Dominus
Magnificat
という題名である。

「今日、ヴィヴァルディの並外れた名声は、
主に、その協奏曲によって知られているが、
生前には、ここに収められた『マニフィカト』など、
宗教曲でもよく知られていた。
この作品は、遠く離れたボヘミアの図書館など、
数多くの写譜が残っている。
いくつかの作品は明らかにバッハも知られていた。
おそらく彼の協奏曲のいくつかは、
サン・マルコ教会やピエタで得ていた、
彼の宗教曲と同様の成功を、
広める目的で書かれたものと思われる。
ト短調のマニフィカトは、
ピエタの夕べの祈りのために書かれ、
バッハも含む、同時代に書かれた、
マリアの賛歌の多くのものより優れている。」

ということで、この「マニフィカト」は、
傑作だと言うことであろう。

「最初の自筆譜には、
アポローニア、キアレッタ、アンブロジーナ、
ボロネーザ、アルベッタという、
スコアから見るに、
恐らく際立った声の持ち主だったであろう、
この作品を歌った、
ピエタの若い娘たちの名前がある。」

とあって、ナクソスのCDにも書かれていた、
才能ある少女?たちの紹介がなされている。

ここでは、この曲の素晴らしさが、
少し詳しく書かれている。

「いくつかの合唱の中のユニゾンの大胆さ、
いくつかのアリアの感情の深さ、
(第三曲『Quia respexit』(Track10.)、
第十曲『Sicut locutus』(Track16.))
とりわけ、壮麗な、第五曲
『Et misericordia』(Track12.)は、
バッハのミサ曲ロ短調の『Crucifixus(十字架につけられ)』や、
モーツァルトのハ短調ミサK417aの、
『Qui tollis』を想起させ、
いくつかの協奏曲が、
彼の価値を下げるように思えることがあるが、
ヴィヴァルディは、本当に、
音楽の大天才であった。」

ここまで礼賛してもらうと、
このCDを聴く耳は、ますます期待高まり、
確かに、すごい音楽だと思えてくる。

二曲の収録のうち、「マニフィカト」は、
後半に入っている。

このCDの不親切な点は、
各トラックの割り振りに何も書いてない点である。

Track8.
合唱を主体とする荘重な「主をあがめる」音楽。
素晴らしく充実した気迫のあるれる音楽で、
凝集力を感じさせながら、透明感がある。

Track9.
楽しいソプラノ独唱の「神を讃える」音楽。
クンダリの声であろう。
とてもさわやかで好感の持てる歌い回しで、
無垢な心情にふさわしい。

Track10.
ここでは、ソプラノは、かすれる寸前のような、
心の込め方で、
「卑しい女に心をかけてくれた」神への感謝を歌う。
ヴィヴァルディの音楽も深い。

Track11.
敬虔な気持ちに彩られた序奏に続き、
「力ある方が私に」という、
前の音楽と同様の歌詞を、
ソプラノは、丁寧に歌って行く感じ。
こうした点もクンダリの特性なのかもしれない。

私は、第1曲の重厚で悲壮感あふれる合唱から、
こうして続く、ソプラノ独唱曲の連なりが、
どうも統一感に欠けると思っていたが、
この演奏で聞くと、そのあたりの欠点は、
あまり感じられない。

Track12.
合唱曲で、これは、解説でも特筆された、
悲劇的な色彩に満ちたものである。

「そのあわれみは、世々に続く」と歌われ、
ひしひしと迫りくる音楽は、
時を越えてしみ通る感じであろうか。

バッハのミサ曲ロ短調の「十字架につけられ」に、
比肩されていたが、楽想までそっくりである。
音楽の感じは、バッハの方の歌詞に近そうだが、
音楽そのものは、ヴィヴァルディの方が美しい。

Track13.
強烈なオーケストラの序奏にふさわしく、
「敵を打ち破る」、力強い合唱曲。
これも、バッハのみならず、
古典派、ロマン派でも通用しそうな迫力である。

Track14.
再び、独唱主体のものが入るが、
いくぶん、切迫感をもって、
「飢えているもの」と「富んでいるもの」が、
反対の扱いを受けるという、
教訓を垂れているのである。

これは、すこし声が太い感じられ、
エミリア・クンダリの声ではなさそうだ。

Track15.
合唱曲で、怖いくらいの迫力がある。
ちょっと、歌詞との乖離が大きいように感じられるが、
主の助けを歌っていて、ありがたく聞くべきだったようだ。

Track16.
再び独唱曲であるが、
ひれ伏して歌うような感じで、
「わたしたちを主が憐れんでくれる」
と、しみじみとした風情。

この声も、クンダリではなさそうだ。
アンジェラ・ベルチェッリというソプラノも、
CDには書かれているので、この人の声だろう。

Track17.
対位法も駆使した圧倒的な合唱付き終曲。
最初の曲の楽想が戻ってきて、
素晴らしいまとまりを示す。

「栄光がみ父に、アーメン」という内容を、
モニュメンタルに建立した壮大なもので、
ヴィヴァルディが、決して、
協奏曲で、しゃれた花鳥風月を、
描いていただけの作曲家ではないことを教えてくれる。

では、もう一曲収録されているので、
解説の続きを読もう。
「『詩篇126』は、協奏曲的宗教曲で、
聖母の夕べの祈りからのもので、
独唱カンタータのように扱われている。
しかし、ヴィヴァルディは、
その楽譜で、各節の意味に深く近づいており、
もっともふさわしい形式をとって、
単にレチタティーボやアリアではない。
『Cum dederit』(眠りを与えられるであろう)
(第四曲、Track3.)の音楽は、
後に、彼の協奏曲『夜』(RV.439)の、
『眠り』(その第5楽章)でも現れる。
三位一体を賛美する頌栄『父に栄光を』
(第七曲、Track6)のため、
声楽は通奏低音とオブリガード、
どこにも登場しなかった、
ヴィオラ・ダモーレで伴奏される。」

実際には、この曲の方が、
先に入っていて、
こちらは、冒頭に書いた、
作曲家別名曲解説ライブラリー
「ヴィヴァルディ」にも、
解説が出ている。

最近のCDでは、
「ニシ・ドミヌス」と表記されているが、
先の解説にあったように、
詩篇126によるものなので、
「詩篇126篇『主が家を建てられるのでなければ』ト短調」
というものものしい題名での紹介。

この解説は、しかし、いつ作曲されたのか、
なぜ、この曲が書かれたのか、
名曲なのかどうか、といったことは、
一切、書かれていない。

第1曲、「器楽のリトルネッロ主題は
ソロ協奏曲のそれを思わせる」みたいな感じで、
淡々としたものだ。

が、このCD解説では、詩句に忠実な音楽、
みたいなことが書かれていたが、
それを補足するように、
第3曲の「目覚めよSurgite」や、
「苦しみのDoloris」(Track2の後半)が、
上昇進行や半音階下降で、
独特な効果を付与されていることが書かれている。

それはよくわかったが、
そんなこと以上に、私が悩ましく思うのが、
この詩篇の歌詞の意味である。

ダヴィデが作ったとされる、
「聖書」にある「詩篇」は、
平明な歌の形で書かれていて、
イギリス人などには親しまれているらしいが、
我々、日本人にとっては、
かなり縁遠いものが目白押しである。

この「詩篇126篇」は、
モンテヴェルディの「夕べの祈り」にも、
取り上げられていて、
おそらく重要なものなのだろうが、
歌詞をどう解釈していいものか、
よく分からない。

「主が家を建てられるのでなければ」というタイトルは、
詩の初めの一節で、
「それを建てるものの働きは虚しい」と続く。
次の節は、
「主が町を守りたまわずば、
それを守る夜警は虚しい」というもの。

日本の音楽愛好家は、
これをどう考えて聞くべきであろうか。
多くの日本語CD解説にも、
それを答えてくれているものはない。

単に、詩篇からとられた、
歌詞はこうである、と書かれているだけだ。

キリスト教式に、やっぱり、神様の意志にそぐわないと、
みんなダメダメだなあ、と聞くべきであろうか。
だとすると、妙に説教くさい、
なんだか気が重くなる音楽ということになる。

そんな事を考えながら聞いて見よう。
注意すべきは、全9曲なのに、
Trackは7つにしかわかれてない点。

Track1.
既に紹介した、
「神様が家を建てるのを認めないのに、
建てたって、すぐ壊れるよ」みたいな部分。
「神様のおぼしめしなくして町は守れないよ」と続く。

これは、マニフィカトとは異なり、
合唱はなく、オーケストラ伴奏のアルト独奏曲、
という感じである。

勇壮な楽想で、ヴァイオリン群と、
独唱が交互に音楽を繰り返して積み上げて行く。
この楽想は、全曲で重要な働きを示し、
「マニフィカト」同様、全曲を最後に締めくくる。

Track2.
この部分の詩句は、非常に悩ましい。
「日の出前に起きるのは虚しいぞ」
の部分。
日の出前の描写があるゆえか、
静かにオルガン伴奏が夜の冷気を伝え、
アルト独唱は、敬虔な心情を吐露していく。

後半、第3曲「目覚めよ」が入っている。
「苦しみのパンを食うものよ、
起き出るがよい」という、
プレスとでの呼びかけ。
ここでの歌詞と音楽の対応はすでに解説にあった。

どうして、こんな歌詞に変わるのか、
よく分からない。
日本聖書協会の「聖書」では、
使用する原典の関係から、
第127篇にこれに相当するものが出てくるが、
「早起き、遅寝は、辛苦の糧である」とシンプル。
「起き出るがよい」の詩句は見えず、
なぜ、起きるべきかは分からない。

Track3.
第4曲「与えられるであろう」。
これは、素晴らしい詩的情緒の充満した部分で、
ここも、解説にあった。

日本語では、いろんな訳があるが、
「神様は、眠っている時にも、
なくてはならぬものを与えられる。」
という、とてもありがたい詩句。

このあたりは、ごく普通に日本人にも理解できる。
少子高齢化の日本人が聴くべきことに、
「子供も神からの賜りものじゃ」
という教えもよくわかる。

が、単に、朝から晩まで働かないで、
子作りをせよという内容だと理解したら、
信者の方々に怒られてしまいそうだ。
が、それが一番、理解できる。

Track4.
第5曲「矢のように」。
オペラ式の歌唱を思わせる、
華麗で力強いアリアである。

これも、「聖書」が分かりやすい。
「子供は勇士の矢のようだ」というのである。
やはり子孫繁栄がええのお。

Track5.
第6曲「人は幸いである」。
「幸いなるかな、かの子らによりて
おのれの望みをはたすもの」
と、子供がいることの良さを、
しみじみと歌う。

Track6.
第7曲「父に栄光を」。
これも解説にあった重要な曲。
ヴィオラ・ダモーレのオブリガードが、
なだらかなララバイのような
美しい声楽に寄り添うが、
霊妙な空気を感じさせる。

これは、もう、「詩篇126篇」とは異なり、
宗教曲の決まり文句の三位一体を、
「父と子と聖霊に栄えあれ」と歌っている。

Track7.
第8曲「かくも初めにあった」と、
第9曲「アーメン」で、
素晴らしい最初の曲の楽想が戻ってきて、
素晴らしい盛り上がりと、
全曲の統一を果たす。

宗教曲の定型なのであろう、
「いつの世までもとこしえに」という詩句。

なお、前回のナクソス盤の解説から、
この「ニシ・ドミヌス」の解説を抜き出すと、
こんな事が書かれている。

「夕べの祈りの詩篇126に、
ヴィヴァルディが曲をつけたものは、
おそらく、ほかの場所でも再演されたであろうが、
ピエタのために宗教音楽を書いた初期のものである。
強い性格のト短調の器楽のオープニングに続き、
難易度の高い声楽部とリトルネッロで繰り返され、
最後は、二つの詩節が伸縮する。」
みたいな解説の後、
ヴィオラ・ダモーレの出てくるところには、
「ピエタの傑出したこの楽器の演奏家、
アンナ・マリーアを思い出させる」とあるが、
そうなのだろうか。

アンナ・マリーアは、ヴァイオリンの名手ではなかったのか。

それにしても、今回、このシャルランの一枚で、
ここまで盛り上がれるとは思わなかった。
クンダリの経歴も、詩篇の内容もとても熟考に値するものだった。

前回聴いた、ナクソス盤では、
ちょっと構成感が弱いと思われた、
ヴィヴァルディの宗教曲二篇だが、
ここでの演奏は、緊張感も統一感も良いものと思わせるものだった。

得られた事:「『ニシ・ドミヌス』は、神の働きによる子孫繁栄の内容ゆえに、夕べの祈りにふさわしい楽曲であった。」
by franz310 | 2012-12-09 17:46 | 古典
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