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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その356

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その356_b0083728_2331490.jpg個人的経験:
ヴィヴァルディ作曲の、
「弦楽のための協奏曲」には、
「マドリガル風」という、
奇妙な題名のものがあるが、
この曲の主題は、
何と宗教曲と同じだという。
それを知って驚いていると、
かなりおあつらえ向きの
CDを私は持っていた。
それが、このナクソスの盤だ。
「宗教音楽全集第3集」とあるが、
真ん中に気分転換用か、
この協奏曲ニ短調
(RV.129)が挟まれている。


しかも、この協奏曲と同じ曲調を持つ、
「マグニフィカト」RV.610と、
「キリエ」RV.587も収録されている。
表紙写真も教会の天井の立派な装飾が荘厳である。

しかし、これは、ケヴィン・マロン指揮の、
アラディア・アンサンブルという、奇妙な団体の演奏で、
2007年1月、カナダでの録音である。
グレース・チャーチ・オン・ザ・ヒルが録音場所である。

解説には、「アーリー・ミュージック界に、
新しく現れたエキサイティングなグループの一つ」とある。
トロントを拠点とし、オリジナル楽器を駆使し、
ナクソスには30以上の録音をしているようだ。

アラディアとはアポローンの双子の姉妹の娘で、
神に遣わされ、人間に、
自然の音楽を歌にすることを教えたとある。

この神話か伝説はそんなに有名ではなさそうで、
アポローンの双子の姉妹はアルカディアで、
それと混同されるディアナの娘がアラディアで、
一説に彼女は魔女だとある。

このCD、ナクソスには珍しく、
ブックレットに独唱者たちの写真も載っているが、
ソプラノのカルラ・フータネン、
イヴ・ラケル・マクロード、
メゾのリン・マクマートリー、
ジェニファー・エンス・モドロ、
どの人も若い美人であるように見える。

オーケストラ同様、
カナダをベースにする人たちのようである。
ただし、指揮者のケヴィン・マロンは、
アイルランド人だと明記されている。

カナダというと、デュトワ、モントリオールの
ペルゴレージが美しかったが、ここでも、
北欧風の爽やかな風を期待したいヴィヴァルディだ。
ナクソスなので、雰囲気豊かな録音も期待できよう。
しかし、合唱はどの団体が歌っているのだろうか。

さて、ケイス・アンダーソンという人が書いた解説は、
ヴィヴァルディの生涯から始まっているが、
今回は、これは後回しにする。

さっそく、「マニフィカト」から聞きたいので、
解説もこの部分から読む。
ここで独唱を務めているマクマートリーが、
このCDのお勧めのようで、
「芯の強い美声に惚れ惚れする」と帯に書かれている。

最初に書いておくと、
期待して聴いたが、そこまでではなかった。
オーケストラも、エキサイティングなグループの一つ、
と解説にあるが、そこまでではないような気がする。
そこそこ清潔感も立体感もあるが、
非常に微温的な感じの表現である、
というのが第一印象である。

「ヴィヴァルディのト短調によるマニフィカトは、
4つの演奏可能な版が残されている。
ヴィヴァルディ学者のトールバットによれば、
最初のバージョンは、
この作品の広がりを示すものだが、
ボヘミアのオセクの
シトー修道院にコピーが保存されているものである。
リオムによる番号では、RV610bとされ、
おそらく、これは1715年頃、
ピエタのために書かれた。
トールバットは、さらに二つの版、
RV610とRV610aを、
1720年代後半のものとしている。
何かの教会での祝賀の機会にふさわしく、
2つの合唱用になっている。
そうした機会でしか、このような、
分割合唱は使われなかったからである。
リオムの番号でRV611とされる最後の版は、
1739年、ピエタのためのもので、
手稿に書き込まれて名前が残る、
独唱者たちのために、5つの部分が作曲された。
オリジナルの5つの合唱曲はRV610から残っている。
これらが、今回の録音に使われた。」

ということで、独唱部はRV611で、
RV610は独唱部を含まない、
合唱曲だったのであろう。

したがって、ややこしいことに、
このCDでは、Track1-10は、
「Magnificat,RV610/611」
と書かれている。

「RV610」は10曲が全部、合唱曲、
「RV611」は、独唱者だけが出てくる5曲がある版、
ということのようだ。

しかし、ピエタでの演奏を想定して、
そこの歌い手を想定した作曲をした、
さらに楽譜に独唱者名まで書かれている、
というのは興味深い。

そもそも「マニフィカト」といえば、
モンテヴェルディの大傑作、
「聖母マリアの夕べの祈り」の終曲として、
なくてはならない大曲が有名である。

モンテヴェルディは、12曲あったが、
ヴィヴァルディは、モンテヴェルディが、
「主、そのみ腕の力」と「権力者をその座より」
に分けた部分を一つの楽章とし、
同様に、「願わくば父と子と」と、
「はじめにありしごとく」を一つにしているので、
結局、すべての詩に作曲している。

以下、トラック番号を補いつつ、
聴き進めてみよう。

Track1.「わが魂主をあがめ」
「オリジナル版と同じく、
『マニフィカト』は、ト長調の、
合唱によるアダージョから始まる。
これは賛歌の最初の一節を作曲した部分で、
キリエRV587、マドリガル風協奏曲RV129の、
和声をシフトしたものである。」

この部分、まさしく、例の協奏曲と同じメロディで、
荘厳、しかも、妙にセキを切ったようなもの。

モンテヴェルディが、はるか遠くに、
訴えかけるような感じなのに対し、
ヴィヴァルディのは、
いかにも、ひれ伏せよ、
と威張られているような風情である。

あの協奏曲より、人の声の集まりである合唱が、
豊かなハーモニーで訴えるだけあって、
より深々とした印象を与えてくれる。
単に、「わが魂、主をあがめ」と言っているだけである。

アラディア・アンサンブルの演奏は、
あまり威圧的ではなく、非常に暖かく迫るものがある。

Track2.「わが精神、喜び踊る」
モンテヴェルディは、ぴちぴちした感じであったが、
ヴィヴァルディのは、
さっきの威張っていた感じは、
いったいどこに行ったんだ、
という感じでメゾ・ソプラノが楽しげな歌を披露する。

ここで、ナクソス推薦のマクマートリーが登場するが、
確かに、「芯がある」し、均質な声が美しいが、
今一つ、突き抜けた華に欠けるような気もしなくはない。

「1739年の新しい楽章、
変ロ長調の『わが精神』が続く。
これはピエタの自筆譜にあるように、
アポローニアのために書かれた。」

このアポロ―ニアについては、
妙な事が書かれている。

「彼女は『聖歌隊の娘』の中で、
ある種の重要人物であったが、
ピエタの門衛と騒ぎを起こして、
よろしくない評判が立ち、
出場停止になっていたが、
翌年、許された。」

Track3.「賤しき者をそのはしためと」
「再びト短調の三拍子の伴奏に乗る、
『賤しき者』は、マリア・ボロネーゼのために書かれた。」
「人々、われを祝福されしものと呼ばん」
と歌われる、はしためであったマリアを思う歌。

CDでは、歌手は変わらず、マクマートリーが歌う。

この歌などは、彼女に合っているのだろう、
落ち着いた内省的な表現がひしひしと忍び寄る。
が、やはり、もっと集中力があってもよい。

Track4.「全能なるもの」
「変ホ長調の『全能なるもの』は、
キアレッタのために書かれた。」

「われに大いなることなさりしゆえ。
そのみ名聖なり」という歌詞にふさわしく、
明るい賛歌である。

ひろびろと広がる歌いぶりであるが、
「全能」なら、もっと活力があってもよさそうだ。
オーケストラの伴奏も、何となく、
自発性に乏しいような気がする。

Track5.「その御あわれみ」
「ハ短調の『その御あわれみ』は、
再び、前に書かれた合唱の部分である。」

その調性にふさわしく、悲劇的な色調の合唱曲。
もはや、モーツァルトの『レクイエム』も、
もうすぐだ、という感じ。

Track6.「主、そのみ腕の力ふるわれ」
「劇的なト短調の『主、そのみ腕』は、
『権力をその座より』の、
力強い権力打倒とリンクされている。」

ここも、完全にモーツァルトを思い起こさせる。
劇的かつ、緊張力や描写力にぐいぐい振り回される。

Track7.「飢えたるものには」
「1739年のニ短調の『飢えたるもの』は、
テノールのような声の質で重宝された、
アンブロジーナのために書かれたが、
ここでは、ミドルCの下のAまでしか下降しない。」

この解説は、まったく曲想などの解説はないが、
「飢えたる者には財を与え、
富めるものは、手ぶらで返せ」という、
決然とした調子の、推進力のある部分で、
マクマートリーも、男性のような声を披露している。

Track8.「主、御あわれみを忘れたまわず」
「合唱によるニ短調の『主、御あわれみ』は、
1739年の楽しいオペラ的なヘ長調の次の曲の
変奏曲の主題である。」

そうはいっても、かなり荘厳な音楽で、
「しもべイスラエルを保護したまえり」
と、これで終わってもおかしくない余韻豊かな音楽。

Track9.「アブラハムとその子孫」
「アルベッタのために書かれた。」

せっかく、荘重な合唱が、
ありがたい雰囲気を満たしてくれたのに、
妙にお気楽な音楽になってしまう。

Track10.「願わくば父と子と」
「作品はオリジナルの『グローリア』で終わる。
ト短調の和声的なオープニングは、
対位法的なアレグロとなり、
二重フーガで、『マドリガル風』協奏曲の
最後の楽章に移調された。」

歌詞も、
「はじめにありしごとく、今もいつも、
世々に至るまで、アーメン」という、
神の恩寵をあまねくいきわたらせる、
切実で、襟を正させるものがあり、
なかなか、素晴らしい楽章なのだが、
この演奏のせいなのか、少々、腰砕け的で
ちょっと大曲の終曲にしては弱く感じる。

むしろ、次に始まる柔らかいヴァイオリンの序奏と、
澄んだソプラノ、フータネンが歌う、
「サルヴェ・レジーナ」が美しくて、
あまり余韻や、達成感がないまま、
そちらに次の興味が行ってしまう。

ヴィヴァルディの「サルヴェ」は、
前にも聞いたが、それは、
ダブル・オーケストラのRV616だったと思う。
こちらの曲は、もう少ししなやかな感じがして、
柔らかなオルガンの伴奏にヴァイオリンが冴え、
繊細なテオルボの響きもいい。

フータネンの集中力の高い歌唱にも、
妙に満足させられてしまう。

あるいは、この団体、合唱が入ると、
そっちに任せてしまって、
責任逃れに走るのではあるまいな。

Track11-14.「サルヴェ・レジーナ」RV617
「ヴィヴァルディが晩課か終課のアンティフォンに書いた、
三つの残された作曲の一曲である、
『サルヴェ・レジーナ』RV617は、
三位一体の主日の日曜日から、
降臨節の日曜日の間に歌われるテキストによるもので、
おそらく1715年から1717年の時期のものである。
これらの最初のものは、ヘ長調で、ソプラノを、
独奏ヴァイオリンとコンティヌオが伴奏する。
ニ短調の『Ad te clamamus』(Track12.)は、
さらにヴァイオリンとヴィオラが加わり、
前者はソプラノを助奏する。
続くイ短調の『Eia ergo』(Track13.)は、
独奏ヴァイオリンとリピエーノの弦楽が付く。
そしてアンティフォンは、最後の節を、
ヘ長調、シチリアーノのリズムで終わる(Track14.)。
ここでは、独奏ヴァイオリンは、
第1ヴァイオリンのラインを補強する。
作品は、『O clemens』(慈悲)の静謐の中に閉じられる。」

そして、問題の「マドリガル風協奏曲」は、
Track15.に収録されている。
「ニ短調協奏曲『マドリガル風』RV129は、
ヴィヴァルディの『弦楽のための協奏曲』に含まれ、
独奏楽器はない。
この作品は、声楽曲をもとにしたとされ、
アダージョのオープニングは、
最初の『キリエ』RV587の開始部と、
『マニフィカト』RV610の最初と、
その『グローリア・パトリ』、
さらに、『クレド』RV591の
『Et incarnates est』に関係し、
さらに、バスーン協奏曲RV291にも関係する。
協奏曲の続くアレグロは、
同じ作品の第二キリエと同様の内容で、
これらは共に、ほかの作曲家の作品をモデルにしたか、
借用したものと考えられる。
さらに続く短いアダージョは、
対位法やダブル・フーガを示し、
『マニフィカト』RV610の最後の楽章に、
移調した形で現れる。」

何と、この荘重なテーマは、
ヴィヴァルディ自身の作曲ではない、
というのがこの解説の結論であるようだ。

シューベルトが歌曲のメロディを、
器楽曲でも使ったのとは、
ちょっと違う状況の模様である。

このCDで聞く「マドリガル風協奏曲」は、
かなり清涼飲料水風の表現だが、
とてもさわやかな演奏に思える。

弦楽の線がきれいに風通し良く感じる。

ここまでで、このCDは、まだ半分終わっていない。
この調子だと、終わらなくなってしまうので、
名曲とされる「ニシ・ドミヌス」(Track16-24)
は飛ばすことにする。

ちなみに、マクマートリーが独唱を担当しているが、
こちらの演奏の方が、乗っているような気がしなくもない。
特に、Track19.の「主その慈しみたまうもの」などは、
ヴィヴァルディお得意の夜の詩情が増幅されて、
非常に、説得力ある音楽として胸にしみる。
この部分に関しては、帯に書かれていた、
「惚れ惚れする」という表現も嘘ではない。

オーケストラも、聴きごたえある自発性を発揮している。
合唱がないから、すっきり聞こえるのだろうか。

ここでは、まず、「マドリガル風協奏曲」と同じテーマとされる、
「キリエ」RV587を聴いてしまおう。

最初から、おなじみのメロディが始まるが、
これまでのどれよりも、ひっそりした感じである。
そして、すぐに、次の主題が立ち上がってくる。

Track25.「主の慈悲」
「キリエへの付曲RV587は、
1720年代に書かれ、
2つの弦楽オーケストラを伴う、
8人の独唱者、2つの合唱団のためのものである。
オーケストラによるオープニングは、
『マニフィカト』や『マドリガル風協奏曲』に聞かれた、
パッセージを移調したものであり、
声楽が開始部のコードを繰り返す前に、
二つの弦楽群が交頌する。
そして、交頌風に分割され、
このパターンが楽章全体を通じて続く。」

この部分は、オーケストラと合唱のための部分で、
確かに二つの弦楽群が左右から聞こえるのは面白い。

Tack26.「キリストの慈悲」
ここで、独唱者たちの声を交錯させるが、
実は、最初に書いた美人独唱者たちは、
ここで勢揃いする。

逆に言うと、鳴物入りで紹介された、
マクロードとモドロという二人は、
この3分たらずの部分でのみ、
声が聞こえるというわけだ。

「ニ短調の『キリストの慈悲』は、
二群の独唱者たちが交互に歌うのを予告して、
器楽のオープニングは、
一方が木霊のように響く。」

独唱者たちの線の交錯はめまぐるしくも、
次々に舞い上がっては消える。

Track27.「主の慈悲」
「オリジナルのト短調が最後の『キリエ』で戻り、
二つのコーラスは、
一方の提示主題を巡る二重フーガで結合される。」

最初は、荘重な大合唱だが、
すぐに、旋回するようなフーガが始まる。
これが、『マドリガル風協奏曲』の中間部に相当する。

このCDは、最後に、ヴィヴァルディの現存するモテット
12曲のうちの一曲、『いと公正なる怒りの激しさに』RV626が、
収録されている(Track28-31)。

ここでも、フータネンの澄んだソプラノが聴ける。
しかし、このような情念をオープンにした作品は、
激烈な爆発を必要とするだろう。

百戦錬磨の多くのトップクラスの歌手が、
様々な個性で聞かせているので、
ちょっと、個性を出すまでには至っていない感じもする。

1724年にヴィヴァルディがローマに滞在した時のもので、
カストラートを想定した作品ではないか、
とのことである。
なおさら、簡単にソプラノ歌手が、
挑戦できるものではなかろう。

さて、このCDの解説は、実は、以下のような生涯解説部もあった。
うまくまとまっている。

「生まれつきの髪の色から、
生地では、『赤毛の司祭』と呼ばれていた、
アントニオ・ヴィヴァルディは、
1678年、後には、
サン・マルコ寺院のヴァイオリニストも務めた
理髪師の息子として生まれた。
司祭となるための教育を受け、
1703年に叙任されている。
同時に、彼は、驚くべき腕前の
ヴァイオリニストとして名声を博し、
ピエタ養育院のヴァイオリン教師にも任命された。」

ヴィヴァルディの父も、
二足のわらじを履いていたようだが、
この時代、いくつも職業を
掛け持ちしなければ食べられなかったのか、
あるいは、それほど、有り余る天分があった、
ということだろうか。

「この施設は、親のない、または貧困の、
あるいは庶出の女児の教育のために設立された、
4つの施設の一つで、特に音楽教育で知られていた。
ここで女児は音楽の訓練を受け、
才能のあるものは成人してから、
そこで補助教員となり、
結婚時の持参金をためることが出来た。
ヴィヴァルディは中断もありつつ、
ピエタとの関係を、生涯を通じて持ち続け、
1723年からは、
毎月、2曲の協奏曲を書く契約をしていた。
同時に、彼は劇場とも関係を持ち、
作曲家としては50ほどの作品を書き、
指揮者で音楽監督として活動した。
最終的に彼はヴェネチアを離れ、
何らかの皇室の補助で、
キャリアを高める望みからか、
恐らくは弟子のピゼンデルが勤めていた
ドレスデンの宮廷に向かうアイデアからか、
ヴィーンに向かった。
彼はヴィーンに着いて数週間後に、
かなり困窮して死んだ。
一時は、年収50000ドゥカートあったが、
それも虚しく、手にしていた楽譜も、
売り払うしかなかった。」

ということで、ここまでは、
簡単な生涯の説明であって、
肝心の、このCDに収められている曲目の解説はない。

「ヴィヴァルディは、1703年に、
ピエタでの仕事をはじめた。
続く何年かには中断もあったが、
伝えられるところによれば、
1700年からピエタの合唱長を務めていた、
フランチェスコ・ガスパリーニが、
1713年にしばらく不在であった時、
ヴィヴァルディに宗教合唱曲作曲のチャンスが到来、
1715年にはピエタから報酬を受け取っている。
続く年、1716年11月の、
オラトリオ、『勝利のユーディット』の演奏で、
ヴィヴァルディは、合奏長に任命された。
1717年には、彼はピエタを去り、
1714年から1735年の間、
マントヴァを治めたヘッセン=ダルムシュタットの
フィリップ王子のもとで、
マントヴァの音楽監督に就任した。
彼がピエタとの関係を再開するのは、
1723年である。
ヴィヴァルディの宗教曲は、
多くの日付が示唆される。
一般に、これらは、1715年から1717年に、
ガスパリーニがいなかった時か、
再度、合唱長が空席となった、
1737年から1739年の間、
ピエタのために書かれたとされる。
いくつかの宗教曲は、
ヴィヴァルディが緊急採用された時のものだが、
これらのいくつかは、
他の場所や機会に、
もっと広範囲で利用された。」

ということで、以下、各曲の解説を読んでも、
いろんな所に楽譜があって、
ややこしいことが多く書かれている。
これは、すでに、各曲のところで書いた。

得られた事:「ヴィヴァルディが、宗教曲でも協奏曲でも好んで使ったメロディは、シューベルトの『ロザムンデ』の主題などとは違い、自作とは違う可能性がある。」
by franz310 | 2012-12-01 23:35 | 古典
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