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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その350

b0083728_11242956.jpg個人的経験:
ヴィヴァルディ後期の
貴重なオペラ、
「ウティカのカトーネ」
の中のアリアを収録した
CDアルバムとして、
2009年に出た
ジュノーのものを聴いたが、
それから15年前の、
カークビーの録音にも、
二曲が収められている。


イギリスのハイぺリオン
のもので、表紙も美しい。
ロイ・グッドマン指揮の
ブランデンブルク・コンサートが共演している。

ティエポロの描いた、
「アルミーダの魔法の庭における、
リナルドとアルミーダ」という絵画で、
ヘンデルのオペラにふさわしい表紙だが、
このCDと、直接関係があるとは思えない。

なぜなら、
「ヴィヴァルディ:オペラ・アリアとシンフォニア」
と題されたこのCDには、
「グリセルダ」(1735)、
「ティト・マンリオ」(1719)、
「離宮のオットーネ」(1713)、
「アテナイーデ」(1728)、
「バヤゼット」(1735)、
「ダリウスの戴冠」(1717)、
「ウティカのカトーネ」(1737)といった、
どちらかと言えば、歴史ものが収録されていて、
魔法的要素はなさそうだからである。

また、このアルバムは、
単なるオペラ・アリア集というより、
啓蒙的なヴィヴァルディの
オペラ入門みたいな選曲になっていて、
最初の作品として知られる、
「ヴィラにおけるオットーネ」(1713)から、
序曲と2曲のアリアが選ばれて、
後期の作品である、
「タメラーノ」(1735)の序曲に、
「ウティカのカトーネ」(1737)から
2曲のアリアなどと、
比較できるようになっているのである。

マントヴァ時代の「ティト・マンリオ」なども、
選ばれて、解説の中で、この時期についても、
触れられている。

また、同じく後期の「グリゼルダ」からも、
序曲とアリア2つが選ばれて並べられ、
さながら、短縮オペラ集の趣向になっている。

どうやら、この「グリゼルダ」などが、
イギリスでは早く復活していたようで、
ERIC CROSSという人が、
1994年に書いた解説も、
こんな風に締めくくられている。

「ヴィヴァルディの現代によるリヴァイヴァルは、
特に、彼の生誕300年だった1978年がきっかけになったが、
英国では、ただ、『グリゼルダ』だけしか、舞台にかかっていない。
このアリア集は、いくつかは初録音になり、
各曲の印象的な劇的なパワー、
そのスタイルの多様性について導きになろうが、
オペラ・セリアのジャンルについて共感するプロダクションによって、
いくつかの彼の最高作品が上演されて初めて、
ヴィヴァルディのオペラ作曲家としての重要性が、
正しく計れることになるだろう。」

ということで、約20年前には、
ヴィヴァルディのオペラ作品は、
まだ、保留状態にあったということが分かる。

では、解説を見て行こう。
啓蒙的なCDであるがゆえに、概括的で非常に勉強になる。
表現がシンプルなのも読みやすい。

「現在、ヴィヴァルディは、多くの器楽作品でよく知られているが、
彼はまた、多作のオペラ作曲でもあった。
1713年、35歳でのオペラでのデビューの時までに、
彼はすでに協奏曲の作曲家として、
国際的な名声を博しており、
これらの活動は残りの彼の人生においても並行して続けられた。
彼が何曲のオペラを作曲したかは正確にはわからないが、
ヴィヴァルディは1739年の手紙で94曲と書いている。
しかし、この数字は、ヴィヴァルディの誇張趣味もあり、
再演や、自身の作品や他人の作品の再構成作品も、
疑いなく含んだ数である。
しかし、50曲以上のリブレットが残っており、
20曲ばかりのスコアも残っていて、
ほとんどが完成作品である。
ヴィヴァルディがオペラに関わったのは、
単に作曲家としてだけではない。
彼は、その人生を通して、興行主としても活動した。
劇場を運営し、歌手と契約し、しばしば値切ったりもし、
自身の作品と同様、ほかの作曲家の作品も上演した。
事実、彼のオペラの契約は、ヴェネチアの外へも、
彼を多くの楽旅に旅立たせ、
ローマやフィレンツェのような中心地を離れ、
ヴィーン、たぶん、プラハにも赴いた。」

このあたりのことは、
ぜひ、いきなり全曲録音などを聴く前に、
読んでおくべきであった。

しかし、面白い事に、
ジュノーもカークビーも、
私が最初に聞いた、
「オルランド・フリオーソ」(1727)などは、
まったく無視した選曲を行っている。
また、ヴィヴァルディのオペラでは、
「テルモドン川のヘラクレス」(1723)
なども聞いたが、
いずれも、今回のCDでは手薄な、
1720年代のものであることが、
今回の解説で、改めて意識された。

「すべての現存するヴィヴァルディのオペラの序曲では、
作曲家は『シンフォニア』と題して、
彼の膨大な協奏曲同様、3楽章形式になっている。
『テンペのドリラ』では、シンフォニアの最終楽章が、
オペラの開始部のコーラスと同じ材料、
有名な『四季』の『春』の協奏曲の最初の部分を共用しているが、
これはただ一つの例外で、
普通、序曲とオペラに主題的なつながりはない。
事実、その手稿を見ても、
シンフォニアはタイトルページの前に置かれ、
また、前の作品のシンフォニアを、
いくつかのヴィヴァルディのオペラは流用している。」

こんな具合に、序曲の解説だけでもかなり手厚いのが、
このCDの特徴で、確かに、トラックが18あって、
3つの序曲用に9トラックが使われている。

「オープニング楽章が、3つの楽章では最長で、
性格的にはブリリアントである。
最初の主題は、ヴィヴァルディの協奏曲でよくある、
マルチストップの『スリー・ハンマー・ストローク』など、
ヴァイオリンのテクニックが目立つように利用され、
1735年の2つのオペラ、
『グリセルダ』と『タメラーノ(作曲家の自筆譜ではバヤゼット)』
では、これで開始される。」

こう書かれているので、聴き比べると、
確かにTrack1.の「グリゼルダ」も、
Track13.の「バヤゼット(タメラーノ)」も、
じゃっじゃっじゃっとはじまり、
同じ曲かと思ったくらいである。

が、「タメラーノ」では、勇壮なホルンが活躍し、
第2主題は木管で演奏されて、より古典的な感じがある。
「グリセルダ」では、より執拗な主題の弦楽による反復が目立つ。
それゆえに、もっとねちねちした感じがつきまとう。
したがって、ロマンティックな感じ、
と言い換えてもよいかもしれない。

「こうして、聴衆の関心を引いた後、
ヴィヴァルディは対照的な楽想を繰り広げる。
しばしば繰り返され、少し短縮され、
リピエーノ協奏曲と同様の構成となる。
需要な部分は、しばしばゆっくりと、短調で、
『グリゼルダ』では、半音的な進行や、
前打音アッポジャトゥーラが見られるのに対し、
『タメラーノ』では、高音の弦楽が持続音を続ける中、
驚くべきことに、低音にメロディが現れる。」

このように、二つの主題の対比で、
曲が緊張感をもって立体的に聞こえ、
ほとんど、交響曲の世界である。

「これら2つの序曲の中間楽章では、
典型的ヴィヴァルディで、
優しい短調のアンダンテが来る。
ハープシコードなしで、
低音の弦が鼓動のように繰り返す中、
ユニゾンのヴァイオリンが抒情的なラインを描く。」

これらの楽章では、ヴァイオリンの独奏が、
悩ましいトリルを聞かせて、
これまた、非常に似た双生児である。
Track2.の「グリセルダ」の方は、
何となく、物語を語り聞かせるような楽想で、
中間部は、ふと、現実に返るような楽想、
「バヤゼット」の方は、より内省的で、
中間部には、心やすめになる主題が出る。

「フィナーレは、生き生きとした、
三拍子の舞曲で、長調への短い回帰がある。
ここでも再びヴァイオリンはユニゾンで、
『タメラーノ』ではホルンだが、
短調の静かな中間部があって、
これがテクスチャーに加わる。」

Track3.の「グリセルダ」の方は、
野趣あふれるリズムが強烈で無骨。
Track15.の「バヤゼット」の方は、
ホルンの響きも牧歌的なメヌエット風である。

「初期のオペラ『離宮におけるオットーネ』の序曲は、
『タメラーノ』と同様例外的に管楽器を含む。
ここでは、しかし、ヴィヴァルディは、
2つのオーボエを採用、
その素晴らしい3度のソロ・パッセージは、
第1楽章で繰り返され、
より技巧的な独奏ヴァイオリンと交代する。」

Track7.の『オットーネ』序曲は、
明るく晴朗な感じで、誰にでも楽しめる。
非常に典雅なもので、上記オーボエもさることながら、
2つのヴァイオリンによる、
唐草模様のような装飾が美しい。

「第2楽章は、後年のシンフォニアの通常形と違って、
二部形式で、最初の半分は、ヴァイオリン伴奏のオーボエ、
そして、後半はヴァイオリンを補助するオーボエ付きの弦楽合奏。
同じ8小節の最初の部分はイ短調からイ長調に変えられて、
終曲のアレグロとなる。」

Track8.の第2楽章は、
ロマンティックな情感溢れ、
詩的なヴィヴァルディの芸術のエッセンスのよう。

「第1楽章の32小節のオーボエのパッセージが回想され、
3つの楽章が、珍しくも主題でリンクされる。」

Track9.の終楽章は、
単に、前の楽章を早くしただけだが、
まことに爽快で、爽やかな風のように、
吹き抜けてゆく。

この時代の、希望いっぱいのヴィヴァルディの、
心境を描き出したような感じもする。

このように、今回のこのCDの解説、
序曲だけで、かなりの語りが繰り広げられている。

私は、すでに、「離宮におけるオットーネ」を、
この欄で取り上げたことがあったが、
まさか、ほぼ処女作の方が、
むしろ多様な工夫がされているとは思っていなかった。

さて、このCDは、いきなり、
後期の作品「グリセルダ」から始まるが、
この作品は、この英国製CD発売時点で、
英国で唯一、上演されたヴィヴァルディのオペラだったようなので、
何か、代表作的な位置づけにあったということであろうか。

あらすじを見ても、
別に、この作品が特別なもののようにも思えないが、
ひょっとすると、オペラを離れても、
文学者として高名な、ゴルドーニがリブレットを担当したから、
みたいな理由があるのだろうか。

「『グリゼルダ』は、ヴィヴァルディのキャリアの終わりにかけて、
ヴェネチアのテアトロ・サン・サミュエレのために書かれたもので、
1735年、昇天祭のシーズン、5月18日に上演された。
この上演のために、ゼーノのポピュラーなリブレットは、
若い劇作家カルロ・ゴルドーニによって改作され、
彼のメモワールには、
当初、未知の作家の能力に懐疑的であった作曲家が、
ゴルドーニが筋に沿って、新しいアリアを作った時、
いかに、完全に納得させられたかが書かれている。」

このように、ゴルドーニとヴィヴァルディの出会いも興味深い。
このイタリアを代表する劇作家は、
1793年にパリで85歳で没するが、
あと、4年でシューベルトが生まれる年まで生きたわけで、
ヴィヴァルディとシューベルトの距離感が分かるような気がする。

「テッサーリアの王グァルティエロが、
どのように質素な小作農のグリセルダを、
自分の妻にしたかが語られる。
民衆の不安は、娘のコスタンツァが生まれたことによって、
頂点に達する。
反乱を抑えるため、王は子供は死んだことにして、
アテネに密かに送って育てさせることにする。
何年か後、グリセルダの忠節を試すため、
グァルティエロは、コスタンツァを街に呼び寄せ、
彼女は本当の身の上を隠し、
新しい妻にするようなふりをする。
第2幕の第2場で、コスタンツァは、
夫となるべき人への義務と、
幼馴染の恋人、ロベルトを巡る葛藤を語る。」

グリセルダより、コスタンツァの方が、
主人公のような書かれ方をしている。

「『アジタータ・ダ・ドゥ・ヴェンティ』(Track5.)は、
嵐の海に揉まれる船を、彼女の状況になぞらえる。
おなじみの比喩は、彼の『海の嵐』の協奏曲の、
生き生きとした描写を思わせる。
これは、同じアリアを、先立つ年に、
マルガリータ・ジャコマッツィが、
『アデライーデ』の中のマティルデ役で歌っていたので、
さぞかし人気のあるアリアだったと思われる。
名技的な声楽書法は、明らかに、
ジャコマッツィの印象的な技巧を万全に生かすように、
設計されていることは明らかである。
急速に繰り返される同様の音符、広い跳躍などが、
オーケストラのリトルネッロに彩られた声楽部に見られる。」

この素晴らしい飛翔を見せるアリアは、
ひょっとすると、ヴィヴァルディを代表するものかもしれない。
少なくとも、技巧の点ではそうだし、
音楽の推進力、上昇力の点でも、ものすごい効果を持つものである。

しかし、このカークビーの歌は、
歌のお姉さんが歌う同様みたいで、
人畜無害でひたすら明るいが、これでいいのだろうか。
歌に微笑みすら感じさせ、
まるで、苦悩の歌には聞こえない。

このアリアは、「Vivaldi AGITATA」と入れるだけで、
ネット上で大量の動画検索が可能であるが、
ジュノーも、バルトリも、複数聴けるが、
激しく突き上げるように高速で曲をドライブして、
切迫した状況をうまく表現している。

表情なども、微笑している暇がないほどに、
恐ろしくゆがみ切っている。

こう並べて聞くと、バルトリは、
その表現の多彩さにおいて新境地を拓き、
ジュノーのような世代が、そこに、
さらに柔軟さを加えていることが分かる。
スミ・ジョーの動画も見たが、
ちょっと優等生的で、カークビーに近い。
カバリエの歴史的ヴィヴァルディでは、
古典歌曲みたいな位置づけで歌われている。

ついつい、アジタータで足踏みしてしまったが、

「オペラの最後の幕では、ロベルトとコスタンツァは、
ぞっとしたグリゼルダによって発見されるが、
彼らが驚いた事に、グァルティエロは彼らを許す。
『虚しい影、不正な恐怖』(Track4.)という、
コスタンツァの優しいハ長調のアリアは、
息つく間もない中間部は、彼女の過去の苦しみを思い出させるが、
より幸福な未来を待望するものである。」

このような幸福を願うアリアは、
技巧と詩情が両立した極めて美しいもので、
カークビーのような清潔感で聞かせる歌手には、
よく合っているのではないだろうか。
中間部の狂乱の部分、
「もはや、こんな苦しみは耐えられません」も、
ちょっと影が差す程度である。

このCDの解説は、時代順になっておらず、
いきなり、初期から中期にかけての話になる。

「1718年から1720年に、ヴィヴァルディは、
マントヴァ宮廷の宮廷楽長に任命された。
まずは、オペラ興行に着手、
彼は、1718年と19年のカーニバル時期、
『ティト・マンリオ』や、『テウッツォーネ』といった、
自身のオペラの全権を握った。」

ということで、マントヴァ時代の作品が登場。
ヴィヴァルディは、この時代に、
生涯の盟友とも言うべき、
アンナ・ジローに会っているので、
とても気になるではないか。

「『ティト・マンリオ』は、このローマの執政官が、
反抗的なラティウム人に罵るところから始まる。
そして、息子や、ラティウム族の騎士、
ルッチオまでが従う。
彼は、ティトの娘のヴィッテリアを愛していたからである。
彼女は、しかし、ラティウムの首領、
ジェミニオを愛するがゆえに、そんな罵りに反抗する。
ティトは、彼女が祖国を裏切るなら、死ぬべきだと言う。」

この物語など、ティトをカトーネに、
ジェミニオをカエサルに置き換えれば、
ほぼ20年後の「ウティカのカトーネ」そっくりの構図である。
当時のオペラの筋は、20年くらい、
平気で同様のパターンだったようだ。

「第2幕冒頭のアリア、
『残酷さに惑わされてはならない』(Track6)で、
ルッチオはティトに娘への憐みを見せてほしいと乞う。
ヴィヴァルディの自筆譜は、
このCDにも収録されている『ダリオの戴冠』の、
『Non mi lusinga vana aperanza』というアリアを流用し、
新しい歌詞をつけたものだとわかる。
後者のアリアは、オーボエと通奏低音だけが伴奏し、
声に寄り添う独奏楽器の扱いを示した、
ヴィヴァルディの素晴らしい一例である。
二つの線は時に互いに親密で、特に三度に近づく。」

これは、この解説にあるとおりで、
夕暮れの空を仰ぎ見た時のような情感の
オーボエ協奏曲の第2楽章のような趣で、
声と、器楽の調和が、ものすごく詩的である。
カークビーの情念を超越した声が、
この場合、器楽の協奏曲にぴったりな感じ。
これは、極めてヴィヴァルディ的な世界と思える。

しかし、シューベルトにも、
木管のオブリガードを持つ歌曲やアリア、
宗教曲があるが、ここには、大先輩の傑作が聴ける。

この後、初期(1713年)の「離宮のオットーネ」の解説があるが、
これは、前に聞いたので少し省略。
このオペラから、以下の2曲が採られている。

Track10.には、
「嫉妬、すでにお前は我が心を地獄より恐ろしい状態にした」
というアリアも、ヴィヴァルディらしい活気に満ちた、
素晴らしい名曲であるが、この爽やかな歌唱から、
この恐ろしい歌詞を想起することは不可能である。

中間部で、不安を掻き立てる部分も、
ヴィヴァルディらしい詩的情緒が発散している。

Track11.の
「影よ、私の嘆きの木霊よ」もまた、
処女作にかけるヴィヴァルディ一流の才気が漲るもので、
素晴らしい木管やヴァイオリン独奏の活用、
木霊のような二重唱の効果がぞくぞくする。
ここでは、リリアナ・マッツァーリという人が、
木霊のような、恋人の声を受け持っている。

恋人同士の木霊のような二重唱といえば、
ロッシーニの「試金石」が思い出されるが、
ここでは、あのような洒脱さはなく、
何とも、恐ろしい、悲しい性の、
詩的絵画のようなものになっている。

以下、1720年代の作品についての解説となる。
中期の脂ののった時期であろうか。
(こんなことはどこにも書いていないが、
1710年代、20年代、30年代という区分では、
そんな風に当てはめられるように見える。)

「『グリゼルダ』同様、『アテナイーデ』は、
ヴィヴァルディが、
ゼーノのテキストにつけた、
数少ない作品の一つである。
ヴィヴァルディのオペラの、
1720年代半ばにローマで人気によって、
多くの劇場が彼に委託したが、
1727年の初頭には、『ヒュペルメストラ』が、
フィレンツェのペルゴラ劇場で上演された。
その成功を受けて、翌年の12月には、
『アテナイーデ』が初演されたが、
これはあまり評価されなかった。
批評家は、特に、
プルチェリアの役を歌った
ヴィヴァルディの被保護者、
メゾ・ソプラノのアンナ・ジローを非難した。」

まさか、ここに来て、
アンナ・ジローが出てくるとは思わなかった。
というか、待ってました、という感じだろうか。

とにかく、ここでは、
1720年代のオペラの代表として、
「アテナイーデ」が取り上げられている。

「アテネの哲学者の娘、アテナイーデは、
ペルシアの王子、ヴァラーネの愛情から逃れるため、
コンスタンティノープルに逃れていた。
彼女は今や、偽りの名前、エウドッサとして、
皇帝テオドラシス二世と婚約している。
しかし、ヴァラーネは彼女をコンスタンティノープルに追い、
アテナイーデは、彼らを選ばなければならない。
彼女はテオドラシスへの忠誠を決め、
その証拠として彼に送った宝石は奪われ、
彼女の知らないところでヴァラーネに送られてしまう。
このように、第3幕では、テオドラシスの妹、
プルチェリアに裏切りを責められ、
驚いた事に、彼女は皇帝に拒絶され追放されてしまう。」

ヒロインが、ここまで、追い詰められるのは、
ロッシーニのタンクレーディなども同様で、
このような趣向は、20年どころか、
一世紀以上も続いていたということであろう。

が、せっかくアンナが出て来たのに、
彼女が歌った歌ではないところが物足りない。
プルチェリアの歌も収めるべきであろう。

「彼女は、その苦しみを、劇的なシェーナ、
『待って、テオドラシス、聴いて』(Track12.)
で吐き出す。
これは単純なレチタティーボと、
伴奏つきのレチタティーボと、
アリオーソとのミックスでなり、
その柔軟な様式は、
ヴィヴァルディというより、ヘンデルを思わせる。」

とあるが、確かに、9分を越えるアリアで、
まさしくヘンデルの「アルチーナ」の
「わが心」などを思い出す情念の大作となっている。

「彼女は、テオドラシスに行かないでといい、
彼はぶっきらぼうに立ち去って、
それがハ短調で終わる
短い6小節のラメントの引き金となる。
伴奏つきレチタティーボの劇的な部分に続き、
彼女は、自らの運命と皇帝の追放命令を思い出す。
それから、攻撃的なアレグロ・モルトは、
時折、無垢の愛を思う優しいラルゴが、
散りばめられているものの、
逃げることを決めたような、
声楽にも弦楽にも16分音符が敷き詰められた、
狂ったようなプレスト部を導く。
最後は、短いレチタティーボ部の後で、
彼女は、貧しい羊飼いのような、
追放の人生を受け入れて、
異常なヘ短調、
無慈悲なシンコペーションのリズムで、
フルスケールのダ・カーポ・アリアを開始する。」

まさしくここに書かれているような、
素晴らしい変幻の妙を見せ、
シューベルトの「フィエラブラス」などの、
後半を盛り上げる、メロドラマの融合なども、
こうした前例があると考えてはならないのだろうか。

まさしくこのCDの頂点を極めるのにふさわしい名曲で、
圧巻と言ってもいい内容だが、
カークビーが歌うと、むしろ、時代をさかのぼって、
モンテヴェルディのマドリガルみたいな感じにも聞こえる。
意外にも、そうしたルールを掘り当てた歌唱なのかもしれないが。

「ヴィンセンツァでの、
オペラ作曲家としてのデビュー後、数年は、
ほとんどのヴィヴァルディの劇作品は、
故郷のヴェネチアで上演された。
1717年の『ダリウスの戴冠』の中で、
オロンテは、人々に人気のあるハンサムな青年で、
キュロス王の死後の3人の後継者候補の一人である。
流血を避けるため、高潔なダリウス(候補者の一人)は、
キュロス王の長女のスターティラを娶った者が、
王冠をも受けるべきだと提案する。
第2幕6場で、太陽の神託によって承認され、
アポロとオロンテは、
アリア『虚しい希望で悩ませないで』
(Track16)の中で、
自分が選ばれることを願う。
この忘れがたいシチリアーノは、
オリジナルは、カストラート、
カルロ・クリスティーニによって歌われ、
ヴィヴァルディの初期オペラの様々な特徴を示している。
オープニングのメロディの間合い、
ナポリ6度の頻繁な利用、
低音楽器を使わないで、
声楽が活躍する部分の伴奏を、
軽やかにしていることなどである。」


続いて、「ウティカのカトーネ」の解説があるが、
このオぺラもここで取り上げたので、
すべての解説を訳出はしない。

Track17.は、第2幕5場で歌われる、
「顔に風を感じたら」というアリア。
政敵カトーネの娘、マルツィアから、
カエサルが、父との和平を促された時のもの。
ソプラノ・カストラートのロレンツォ・ジラルディのために書かれた。
弱音器付のヴァイオリンと、
ヴィオラのピッチカートを伴う雰囲気たっぷりのもの。
ここでは、カエサルは愛に酔いしれているので、
カークビーの澄んだ表現は好ましい。

Track18.は、戦争を想起させる、
「戦場で、我を試せ」。
トランペット付の勇壮なアリア。
カークビーは、カストラート役を担える感じではないが、
どれもこれも格調高く、音楽的に高水準、
飽きさせない、安心できる完成度の高い歌唱である。

グッドマン指揮のブランデンブルグ・コンソートも、
全編を通じて、作為なく充実した演奏を聞かせている。
分かりやすい解説も良かった。

得られた事:「鑑賞上の仮説。ヴィヴァルディオペラ作品、1710年代(初期)は器楽の比重が高く詩的、1720年代は実験的、1730年代(後期)はナポリ派的な明晰な技巧勝負、といった感じ。別途、検証を要するが。」
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by franz310 | 2012-10-21 11:28 | 古典
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