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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その348

b0083728_16395727.jpg個人的経験:
ヴィヴァルディの
晩年のオペラ、
「ウティカのカトーネ」は、
第1幕に欠落が
あるせいか、
あまり知られていない
作品となっている。
ヴィヴァルディの
アリアを集めた
CDなどにも、
この中のものが
含まれることは稀である。
しかし、ここに聞く、
ジュノーのCDは違う。


いきなりTrack1に、
「ウティカのカトーネ」の、エミーリアのアリア、
「荒れた海原が岸を打ち付け、岩を叩きつけようとも」が、
収められているし、
Track11にも、
同オペラの中でも屈指のアリア、
やはり、エミーリアによる、
「森の最後のライオン」が収められているのである。

さらに、マルゴワールが、
「カトーネ」の1幕を補筆した時に、
引用してきた、ヴィヴァルディのオペラの断片、
「セミラーミデ」からのアリア、
「囚人として、王として」が、
Track2に収められてもいる。

このCDは、2009年のもので新しく、
しかも安く出回っていたので、
「ウティカのカトーネ」の雰囲気を、
少しでもいいから味わいたい人には、
良いかもしれない。

表紙もゴージャスだし、
超絶の技巧の持ち主とされる、
ヴィヴィカ・ジュノーの歌と、
ビオンティ指揮のエウローパ・ガランテの、
活力ある演奏の激突が味わえる。

タイトルの「PYROTECHNICS」は、
花火技術とか、打ち上げ花火という意味であるが、
まさしく、花火のような作品が、
どんどん打ち上げらて行くCDだ。

ジュノーの声は、しかし、花火というほど華やかではなく、
どちらかというと陰影を生かした感じであるから、
ど派手なものではなく、飽きが来ない。

このCDについては、ジュノー自身、
かなり、作るのが嬉しかったようで、
ブックレットを開くと、
こんな事が書かれている。

「『打ち上げ花火』!
その喜ばしい音階、アルペッジョ、
跳躍、トリルの稲妻が、
物思いのため息がデリケートに
蔓のように絡み付いてやわらげられ、
再度、爆発的感情で解決されるといった、
バロックスタイルの完璧な要約。
このヴィヴァルディのアリア集は、
いくつかは世界初録音で、
その華麗なスタイルの全領域をカバーしている。
これらの音楽の構成も設計も、
いつか、誰かが私に言っていた、
『噴出するバロック』を表している。
この華麗さは、洗練された基礎の上に重ねられた、
金細工の装飾のようで、
私がバロック期のもので大好きなところ。
ヴァイオリンの名手ファビオ・ビオンティと、
活気にあふれた、エウローパ・ガランテと一緒に、
この音楽を発見していったことに、
私は特に本当に興奮しました。
ヴァイオリンと声の競演は、
ヴィヴァルディの高度に技巧的で、
器楽的な書法によるもので、
ビオンティの共演のおかげで、
私の興味は常にひきつけられました。」

そして、最後を、こう締めくくっている。

「フレデリック・デラメアの、
このプロジェクトに対する驚くべきリサーチに、
また、この機会を与えてくれたヴァージン・クラシックに、
ビオンティさんの無限のエネルギーとイマジネーション、
そして、師クラウディア・ピンツァの愛と献身に、
感謝を込めて。」

ということで、ヴィヴァルディ研究の権威、
デラメアにも賛辞が贈られているが、
解説も、この人が受け持っている。

「ヴィヴァルディのファイヤーワーク」
と、またまた、花火になぞらえた題名のもの。

この解説が、コロラトゥーラなどについて、
改めて概説してくれているのが嬉しい。

「グレゴリオ聖歌の即興的なメリスマ以来、
コロラトゥーラは、西洋の歌唱芸術の基本要素であった。
聖オーガスティンは、この歌唱の『感謝の賛歌』様式を、
言葉より強すぎるという感想を書いていた。」

とあるように、最初から、この技法は、
言葉との相性が悪い事が明記されている。
詩の言葉を重視するシューベルトの歌曲などで、
これがあまり出てこないことは、
当然、ということだろうか。

「しかし、アカデミー・フランセの辞書が、
『言葉のない声楽のパッセージワーク』と記述したものは、
イタリアのバロックオペラの声楽技法を新しい高みに至らせた、
高名なカストラート歌手たちの卓越した技量によって、
18世紀にようやく最盛期を迎えた。」

この文章も味わい深い。
極めて特殊な歌手であった、
カストラート歌手の必殺技が、
コロラトゥーラであり、
これが、最盛期を導いたというのである。

特殊な状況下で、
音楽は、特殊な状況に追い込まれ、
遂に、未踏の世界に突入したという感じであろうか。

「『音楽劇』の長期間にわたる王国を通じて、
アルペッジョ、スケール、トリル、スタッカート、
そしてパッセージワークは、
ブラヴーラ・アリア(シャルル・ブロスは、
その『イタリア書簡』で、それらを、
目もくらむような声のための音楽と和声に満ちた、
見世物アリアと呼んだ)を輝かせ、
それを正真正銘の声楽の花火大会にした。
これらのアリアでは、
歌手たちの名技性は、オーケストラのそれと拮抗し、
ある時は決闘を演じ、それから、
コロラトゥーラは、オペラの見世物の
メイン・アトラクションとなった。」

ということで、その特殊領域は、
ある意味、袋小路であった、という感じがにじみ出る。

「この連続は、必然的に超過を引き起こし、
多くの作曲家たちが、劇の要求を無視して、
名技性のみを目的とし、
美を越えた空虚なスペクタクルにする罠にかかった。
このようなオペラは、
息を飲む声楽の見世物の連続みたいなものになってしまった。
『それはもはや、情熱を呼び起こし、
補足する人間の声を描いたものではなく、
ナイチンゲールやカナリアの声を真似たものである」と、
コンティ師は1729年のヴェネチアの謝肉祭に書いている。」

これは、確かに異常な進化であったようだ。
が、ふと、このような状況に、
器楽奏者としてのヴィヴァルディのセンスが、
マッチしたような気もした。

「長期間、こうした超過は、
名技的なイタリアオペラを傷つけ、
モーツァルトなども、
『後宮からの逃走』のアリアを書いた後、
父親に書いた手紙で、
『イタリアのブラヴーラが許す限りで、
彼女の感情表現を試みました』と書いている。
18世紀前半のオペラ・セリアを盛り上げた、
この技法の乱用にもかかわらず、
この重要な声楽ジャンルを、
普遍的に非難させるまでにはならなかった。
『打ち上げ花火』のスタイルは、
メジャーなアート・スタイルになり、
その発展と完璧を目指すために、
多くの輝かしい音楽家たちが、
コロラトゥーラを新しい高みに導き、
音楽のための劇の重要な声楽形式の中心となった。
これらの作曲家にとっては、
名技性は、空虚なものではなく、
逆に、ドラマに生気を与える重要な要素となり、
台本作者によって示唆されたテキストから、
作曲家による強調が始まるポイントとなった。
意味のない発展ではなく、この花火は、
声楽のジャンルの典型として美学となり、
ありふれたリアリズムの拒否となった。
これをヴィヴァルディ以上に実践した作曲家はいなかった。」

ということで、さすがヴィヴァルディおたくのデラメアさんである。
コロラトゥーラ芸術の極致に、ヴィヴァルディを置いた。

「ヴィヴァルディは、その音楽キャリアを、
この故郷ヴェネチアの劇場の外から始め、
ピエタ養育院での教育者と、
ヴァイオリンの名手としての二足のわらじを履いた。
しかし、すぐに、器楽曲の作曲家として名をなし、
それから宗教曲に進んだ。
1713年5月(彼の最初のものとされるオペラ
『ヴィラのオットーネ』の初演)以来、
声楽曲は、彼の作品の主たるものとなり、
30年近くにわたり、北イタリアの劇場、
ミラノのレッジオ劇場やフィレンツェのペルゴラ劇場、
ローマのカプラニカ劇場といった最も栄えある劇場から、
パヴィアのオモデオ劇場やアンコナのフェニーチェのような、
地味な舞台までをまわり歩いた。
イタリアの北、プラハ、ハンブルグ、ヴィーンやグラーツや、
はるか遠くのロンドン、キングス・シアター
(ヘンデルの『テーセオ』と『アマディジ』の間で上演)
まで、ヴィヴァルディのオペラや個々のアリアは、
すぐに評価され、同様の成功を収めた。
この長い劇場キャリアは、ヴィヴァルディの死後一年、
1742年の謝肉祭に演じられた
『メッセ―ニアの巫女』の演奏で、頂点に達した。
この二つのランドマークとなる年の間に、
音楽史上、最も傑出したオペラのキャリアにおいて、
ヴィヴァルディは、アレッサンドロ・スカルラッティや、
ラインホルト・カイザーの後を継ぎ、
カルダーラ、ハッセ、ヘンデルに先だって、
最も多産なオペラ作曲家となった。」

ということで、さすがデラメア、
ヴィヴァルディのオペラ作曲家としての活動を、
音楽史上の快挙に位置付けてくれているではないか。

しかも、野垂れ死にしたはずのヴィーンで、
死後に、その名声の頂点を画したというのが、
ものすごい解釈ではなかろうか。
多くの愛好家は、死後、すぐに忘却の淵に沈んだ、
と思っているはずである。

「この重要な作品群で、何が残っているかを調べると、
ヴァイオリンの名手として名声を馳せた
ヴィヴァルディの到達点が分かり、
特にその華々しいスタイルとリンクして、
歌手の声が、あたかも、
人間ヴァイオリン(human violin)として、
声楽作品で扱われているのが分かる。
しかし、この検証によって、
何よりも、彼が、単なる声楽のアクロバットのレベルに、
歌うことを貶めるのを拒絶していたこともわかる。
彼のキャリアの最終段階に至るまで、
彼は並ぶものなき技巧と、
表現の多彩さのせめぎ合いを求めており、
直接的にその協奏曲から霊感を受けた
洗練されたオーケストラのテクスチャーに包み込み、
劇の要求に従うことを保証していた。
ここに聞かれるアリアたちは、
ヴィヴァルディの異なるフェーズや形式の、
声楽花火を表しており、
これは、広い感情の振幅、劇的な状況、
驚くべき多彩さの管弦楽、
調性やテンポを追及したジャンルであった。」

ここからは、個々のアリアの解説となる。

Track1.
「『荒れた海原が』は、オペラ、
『ウティカのカトーネ』(ヴェローナ、1737年)の中で、
メゾ・ソプラノのジョヴァンナ・ガスパリーニが
歌うために書かれたもの。
このヴィヴァルディの高度な名技主義は、
ポンペイウスの未亡人エミーリアが歌うものである。
貴族的で気位が高い彼女は、
カエサルへの復讐方法を考えて、
何ものも彼女の目的を阻むことはできないと言っている。
アリアは、ハ長調、印象的なアレグロ・モルトで、
ここでの花火発射は、ドラマに必要なものである。
声の稲妻は、2オクターブを越えて、
超絶のコロラトゥーラ・パッセージは、
『恐れさせる』という言葉で絶頂に達する。
12小節にわたって二度、転がり回り、
恐怖から決断に至るエミーリアの動揺を、
素晴らしく陰影をつけられた声楽運動が描き出す。」

なるほど、こうやって書かれると、
どれどれ、と聞き返したくなる。

「海原が荒れて岸を打ち付けても無駄なように、
カエサルの誇りも、私を恐れさせることはない」
という前半部分を、
「私をおそれええええええええええさせることはない」
と歌っている感じになる。

直線的な推進力のある楽想のものであるが、
このあたりでは、浮遊が始まり、
大風に翻弄される凧のように空中で激しく旋回する。

Track2.
これは、心ふるわすような繊細な序奏に導かれ、
非常にロマンティックな情感にあふれた、
ゆるやかで静かなアリアで、第1曲と対比をなす。
背景で鳴る撥弦楽器の音色も、得も言われぬ効果を持っている。
「囚人として王として」という題なので、
男性の歌と思われるが、
ひたすら、前半の歌詞が繰り返される。
「囚人としても、王としても、
わが心臓は、まだまだ強く高鳴っておる。」

これが、後半の詩、
「盲目の運命の裏切りによっても、
それを鎮めることはできぬ」となると、
ばーんと爆発して、
花火が上がる構成である。

では、解説にはどう書かれているか。

「より控えめな表現も、
1732年マントヴァでの『セミラーミデ』で、
ゾロアストロの役を受け持ったソプラノ、
テレサ・ザナルディ・ガヴァッツィのために書かれた、
『囚人として王として』にも、
見て取れる。
このデリケートなアリアは、
暴君のニーノに死刑を宣告された王様の、
冷静な熟慮を表している。
予測のつかない運命に思いを巡らし、
ゾロアストロは、理不尽な運命を前にしても、
自分の心臓が動いていることを確信する。
ヴィヴァルディは霊妙なオーケストラの生地に、
声楽を包みこみ、
コンティヌオの調和のない、
単純なバスラインに伴奏された
痛切な弦楽の繰り返しが、
デリケートでほとんど内省的とも言える、
コロラトゥーラのパッセージの連続に添えられ、
この優雅なアリアを政治的な衝突の狭間での、
つかの間の静寂を表している。」

Track3.
これは、再び激烈なもので、
まさしく花火のような序奏、
強烈な焦燥感がこみ上げ、
ヴィヴァルディの協奏曲の特徴がにじみ出る。
そこに、すーっと入って来る声の美しさ。

焦燥感のつのる様子は、この管弦楽が、
活発に、伴奏して苛立たせるからである。
声楽部は、変幻自在の表情を見せながら流れて、
聴くものをどんどん連れ去ってしまう。

アリア集にはよく取り上げられる、
オペラ「忠実なニンファ」からのもので
「残酷な運命に苛まれた魂は」というもの。

「きっと愛が癒してくれるけど、
愛はまた次の苦痛を呼ぶの」
と続く。

解説には何とあるだろうか。
「『苛まれた魂』は、やはり、
『カトーネ』のエミーリア役を演じた5年前、
ジョヴァンナ・ガスパリーニが、
『忠実なニンファ』(1732年ヴェローナ)で、
リコーリ役を歌った時のためのものである。
この強烈なホ短調なアリア・ブラヴーラは、
この中で繊細なリコーリが、
羊飼いのオスミーノの誘惑を軽蔑して歌うもので、
歌手は、狂ったような技巧部と、
活発なオーケストラ書法と激突しなければならない。
田園的な神話の劇的な凝集は、
情け容赦ない曲芸的な歌唱で頂点をなし、
傷ついた処女の憤怒を生き生きと描いている。」

Track4.
これまた、有名なアリア「アジタータ」で、
いかにもジュノーが得意としそうな、
強烈なパッセージが、きらびやかに敷き詰めらた、
しかも、明るい陽光に満ちた名品。

「ぶつかる風に打ち付けられて、
嵐の海の波が揺れる。
恐れた舵手はすでに難破を覚悟する。」

という状況を歌ったものにしては、
あまりに威勢が良いのが気になるが、
覚悟の上の状況ということであろうか。

いつものように、強烈なコロラトゥーラは、
この最初の歌詞の最後で繰り広げられるので、
「難破あああああああ」と言っている感じであろう。

後半は、この船乗りの状況になぞらえて、
「義務と愛に引き裂かれ、心は無抵抗。
降参して、もうだめだ。」
と続く。

解説には、
「打ち上げ花火は、『アジタータ』のドラマでも、
重要な助けになっている。
『グリゼルダ』(1735年ヴェネチア)
のスコアに残っているが、
この変ロ長調のアレグロは、
数か月前の『アデライーデ』(1735年ヴェローナ)のために、
書かれたものである。
これらのオペラは、共に、
ヴィヴァルディが才能を見出して育てた、
傑出した技巧家、
マルガリータ・ジョアコマッツィによって演じられた。
このアリアは、グリゼルダ女王の隠し子、
優しいコンスタンツァが、心理的な緊張の果て、
ターニング・ポイントに達した時のもの。
彼女は、向かい風の中の船乗りのように、
対立する感情にとらわれていた。
ヴィヴァルディは、いささか常套的なメタファーを、
コンスタンツァのジレンマを表すものとして、
魂を与え、目もくらむようなヴォーカルラインで、
その狂気を表している。」

Track5.
ここで、再び、「忠実なニンファ」からのアリア。
長いレチタティーボがついた形での録音。

「敵意に満ちた運命よ、これでも不足なの。
私をもっと苦しめようというの。」
みたいなものが、最初に語られる。

続く、「しみったれた運命よ、
絶え間なく苦い涙を私は流した。
彼女を失ってからは」というアリアは、
かなり絶望的な状況のはずだが、
これまた空元気か、勇ましいような、
焦燥感にあふれたようなもので、
いきなり、技巧的なパッセージが繰り広げられる。

伴奏部は、それほど出しゃばりではないが、
ぎざぎざした楽想が時折、強烈なスパイスを利かす。

「『しみったれた運命』は、
『忠実なニンファ』の中のもので、
カストラートの
ジュゼッペ・ヴァレンティーニのために書かれた。
ヴィヴァルディの表現力のパレットの豊かさを示す。
モラストは、愛するリコーリが、
他の男に抱かれているのを見て、
アリアは、この不幸な男が、
深い絶望に陥るときのもの。」

その割には生気にあふれたものである。
後半は、「その涙を終わることのない川に流し続ける」
とあるが、ほとんど、コロラトゥーラだらけと言ってもよい。
苦しすぎて、もう言葉にならんという感じは出ている。

「ヴィヴァルディは、モラストの苦痛の嘆きを、
驚くべき劇的正確さで描き、
休息で荒々しいオーケストラが合いの手を入れ、
取り乱したコロラトゥーラは一緒になって、
素晴らしく様式化された表現で、
そのみじめさを呼び起こす。」

Track6.
これは未知のオペラからのアリアで、
「私の唇がお世辞を言い」。
清新な息吹が感じられ、
私は、バッハの息子の音楽を思い出した。

伴奏部のギャラントな感じも、
背景に聞こえるぽろぽろ音も、
まことに優雅である。

と書いたら、いきなり、同様のことが書かれていた。

「知られざるオペラのために書かれた
『私の唇がお世辞を言い』は、
ヴィヴァルディの声楽における、
もっとギャラントなアプローチで、
彼の生涯の終わり向けての
時代の精神を反映している。」

ここで、注釈があって、そちらを見ると、
先ほど、「ヴィヴァルディが才能を見出して育てた
傑出した技巧家」とされていた人の名前が出てくる。

「これは、マルガリータ・ジョアコマッツィによって歌われた、
『忠実なロズミーラ』(1738年ヴェネチア)の中の、
『La bella mia nemica(美しい我が敵)』の
オリジナルバージョンである。
このパスティッチョを作る際に、
ヴィヴァルディは、
『私の唇が』のテキストを、
『美しい我が敵』のそれに置き換えた。
この時、ジョアコマッツィが成功したのか、
ヴィヴァルディはさらに次のオペラ、
『アルミーダ』でも、このアリアを使った。
ここでは、オリジナルの意図の歌詞で録音している。」

さて、ここは注釈だったので、
もとの解説に戻ると、
「心地よいメロディラインの
デリケートなアラベスクの中、
魅惑と感情が競い合って、
不運の愛の苦しみを表現する。」

Track7.
じゃんじゃんじゃんという序奏からして、
元気いっぱいのアリアであるが、
スケルツォ的で、しっとりしたところはない。

「剣をちらつかせているが、どちらが深く傷ついているかは、
私はもう知っているのだ」というしゃれた内容である。

これを知ると、まるで、あのロマンティックな、
プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」が、
こうしたテンポの舞曲の集合体だということを思い出した。
激しいリズムの中に、焦燥感が盛り上がる。

したがって、解説でも、このアリアは、
Track6のアリアと対比されている。

「もう一つの怒りのアリア、
『剣をちらつかせ』は、これとはコントラストをなして、
好戦的なコロラトゥーラの古典的傾向が探求され、
怒り狂った16分音符が絶え間ない戦闘を表している。」

ここでも、通釈が出る。
「『剣をちらつかせ』は、
ヴィヴァルディの作品でも、
最もミステリアスなもののひとつである。
これは、カルフォルニア大学のバークレイ校に、
他の作曲家も含まれるアリア集の中に、
ヴィヴァルディの『Ipermestra(イペルメストラ)』
の3つの断章と一緒にあるものであるが、
このテキストは1726年に、フィレンツェで、
先のオペラが演奏されたときに、
同時に印刷されたものとは異なる。
しかし、典型的なヴィヴァルディのスタイルの書法で、
いくつかの状況の手がかりからして、
『Ipermestra』の差し替え用アリアであると考えられるが、
すでにリブレットが印刷されてから、
編入されたものと思われる。」

もとに戻って、解説には、
「ここでは劇的な内省などはお呼びでなく、
しかし、スリリングなコロラトゥーラによって、
強調された打ち震えるエネルギーは、
単純にメカニカルな妙義からも遠く離れ、
そこで解放される感情の激変によって、
ドラマを盛り上げる効果を有するものである。」

全編、コロラトゥーラの技法で埋め尽くされ、
凝集したエネルギーの塊のような曲で、
このアルバムは半分まで来た。

今回は、このあたりで終わって、次回、後半を聴くことにしよう。

得られた事:「ヴィヴァルディのオペラ創作30年は、音楽史の中でも特筆すべき快挙であった。」
「ヴィヴァルディの打ち上げ花火は、空虚なものではなく、ドラマに生気を与える重要な要素であり、台本から飛翔して作曲家の創造活動の起点となった。」
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by franz310 | 2012-10-07 16:41 | 古典
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