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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その346

b0083728_2138626.jpg個人的経験:
ヴィヴァルディ晩年のオペラ
「ウティカのカトーネ」は、
全三幕中、第1幕が残っておらず、
第2幕、第3幕が残存する。
これらは幸い真筆とされており、
これに第1幕を補筆すれば、
全曲上演が可能となる。
各場面が類型的であるがゆえに、
この演奏では、類似シーンの音楽を、
別の作品から持ち寄って作った。


この補筆も行ったマルゴワールの指揮によるこのCDは、
豪華な衣装での舞台上演の記録のようで、
極めて魅力的な表紙写真が目を引くものである。
オーケストラは
LA GRANDE ECURIE ET LA CHAMBRE DU ROYとある。
ラ・グランド・エキュリ・エ・ラ・シャンブル・デュ・ロワとか、
ラ・グランド・エキュリ&ラ・シャンブル・デュ・ロワとか書かれる。
王室大厩舎・王宮付楽団とも訳されるようだ。
厩舎とは、うまやであるが、うまやでも大厩舎ともなれば、
オーケストラを持つのであろう。

今回は裏表紙を紹介するが、
高位にあると思われるきれいな女性が、
いかにも舞台映えのするしぐさで、
訴えかけるように歌っている。

このエキゾチックな出で立ちは、
本当にローマの時代を再現したものなのだろうか。
なんだか中央アジアの方の色調のような気もするが。

この劇作品で、もっとも、この嘆きにふさわしいのは、
カエサルを愛していながら、父の宿敵として遇するしかない、
小カトー(カトーネ)の娘、マルツィアであるが、
これは、彼女であろうか。
リリアナ・ファラオンというソプラノ歌手が歌う。

今ひとり、このオペラには、
かわいそうな女性が登場するが、
これは、これまたカエサルを恨む、
ポンペイウスの未亡人エミーリアであるが、
これは、どちらかと言うと、
劇の進行をややこしくする脇役であり、
表紙写真を飾るような役柄ではない。

が、この役は、人気のソプラノ歌手、
ヴェロニカ・カンヘミが歌っている。
この人は、カエサルを敵視していて、
カエサルについて歩いている、
フルヴィウスに色仕掛けで、
復讐の手助けを呼びかけている。

したがって、かわいそうではあるが、
あまり、同情を引く役柄ではない。

フルヴィウスは、アルト歌手が受け持ち、
ディアナ・ベルティーニという人が歌っているが、
ややこしいのは、英雄カエサルが男性ソプラノだということ。
Jacek Laszczkowskiという、
どこに母音があるかわからない人。
また、小カトーの盟友のアルバーチェも男性アルトで、
これは人気のジャルスキーが担当。
主人公のカトーネだけが、男らしい声である。
サイモン・エドワーズがかっこいいテノールを聞かせる。

さて、前回は、この補筆された第1幕を、
その出展を学びながら聞いてみたが、
さすが、ヴィヴァルディの音楽を集めただけあって、
かなり、充実した音楽であることが分かった。

が、逆に言えば、シューベルトの例でいえば、
美しい自然の一コマを描いた作品として、
「ます」の詩を、「野ばら」の曲で歌ったようなもの、
という乱暴な置き換えであったような気もしなくはない。

シューベルトとヴィヴァルディでは、
100年の年の隔たりがあるが、
(「カトーネ」が1737年の作品だとすれば、
90年程度の差異しかないのだが)
オペラと歌曲を置き換えて比較するのは、
ちょっと乱暴な例えになるかもしれない。

そもそも、ヴィヴァルディ自身、
自作や他人のヒット作を含めて、
ありとあらゆる手段で新作を成功させる義務を持った、
興行師でもあったのである。

今回は、第2幕を聴いて、さらに、
この古代ローマの激戦を描いた作品を聴き進んでみよう。
ここからは、ヴィヴァルディが書いたとおりの音楽が鳴り響く。

THE PLOTを読みながら聞き進もう。
ここでは、ポンペイウス未亡人のエミーリアと恋仲の、
フルヴィウスがカトーネ(小カトー)に、
カエサルとの面会を願い出るシーンから。

第2幕:
CD1のTrack18.
いきなり、カトーネ(小カトー)は、
娘のマルツィアに、明日は、王子との婚礼だ、
などと言っている。
マルツィアが狼狽していると、
フルヴィウスがやってくる。
「フルヴィウスは、小カトーにカエサルと会うよう求め、
小カトーは、人民の求めにこたえるべし、とした、
ローマの元老院からの説得の手紙を渡した。」
とプロットにあるように、
カトーネが手紙の文面を読み上げる部分がある。
カトーネは、これは、私の知っている元老院ではない、
私と、私についてくるものだけがローマなのだ、
と独裁者の提案を飲むことはない。
「小カトーは、誇り高くそれらを拒絶した。」
とプロットにもある。

その間、アルバーチェは、
マルツィアの顔色が悪いのを案じている。
そして、マルツィアは、それどころではないので、
「どこかに行って、あなたを見ていると痛みが増すの」
などと言ってしまう。

Track19.は、傷心のアルバーチェのアリア。
「羊飼いの真心がないと、
雌羊はきっといつか後悔する」
とかいう感じの、
軽妙な序奏がついた軽い曲。

Track20.
「何という運命でしょう」などと、
マルツィアが言うので、
エミーリアが、
「カエサルは、わたしたちを、どうするでしょう」、
とか言っていると、
カエサルが来て、「小カトーは何を怒っているのだ」
といぶかる。

フルヴィウスは、「小カトーは面会するそうです」と伝える。
カエサルが、「なぜ、彼は態度をすぐに変えた?」
と聞くのも納得だ。
フルヴィウスは、「友人や民衆たちは平和を願って、彼に頼んだ」
と説明している。

プロットに、「友人らや供の者らの強い要望を受け、
小カトーは、独裁者と会うことを受け入れる。」
とある部分であろう。

マルツィアとカエサルの様子にエミーリアは、
「もう疑う余地はない。マルツィアは彼を愛している」
とつぶやいている。
カエサルは、もう一度、和平を申し出てみる、
とマルツィアに言いながら、アリアとなる。

Track21.
非常に精巧で美しいカエサルのアリアである。
「優しいそよ風があなたを抱くとき、
それが熱いため息でできていることを知るでしょう」
という、かなり熱々の感情を込めたものだが、
忍ぶ愛にふさわしく、静かに底流する感情の起伏が胸に迫る。

CD2.
Track1.
プロットに、
「遂に、心の中の問題解決の糸口を見出した
マルツィアはこの決断を喜んで歓迎し、
エミーリアは驚嘆するが、
彼女はマルツィアが動揺するのを見て、
カエサルへの愛情を確信する」とあるが、
このあたりの事であろうか。

エミーリアが、「神様、ありがとう。
マルツィアの胸に再び希望が生まれました。」
というと、
マルツィアは、「そうかもしれない。
戦争のような熱気が収まってみると、
世界全体が優しい平和を求めます」などと返している。

フルヴィウスがやって来て、
エミーリアにもう一度、
平和の使者として来たことを告げる。
恋人としての働きをしないので、
エミーリアはむかついている。
そして、フルヴィウスは、
彼女の気を引くように、
「あなたの許しを求めます。
反逆で殺された、高貴なポンペイウスの魂に、
私が彼の死に復讐しなければ」とか言っている。

Track2.
どどーんと太鼓が鳴って、
勇ましいフルヴィウスのアリア。
ディアナ・ベルティーニが歌うが、
ちょっと、重々しい感じがする。

「至福の休息を破って、
否応なく影が迫る。
休みなく回りは動き始め、
血と復讐に彼は叫ぶ。
でも、優しい。
こうした考えは捨てねばならない。
私は高貴なローマ人ではない。
カエサルをすべての危害から救うことを、
彼女は許さない」と、
自分の意志に関係なく、
風雲急を告げていることを歌い上げる。

Track3.ティンパニの豪快な独奏。
ティンパニ・イントロダクションとある。
Jacques Philidor le cadet(1657-1708)とある。
この人の作品ということか。1分20秒。

これは、英雄カエサルが、遂にカトーネと、
やり合う前奏の役割をはたしている。
この打楽器だけで、
よく、ここまで多彩な音楽を紡ぎ出したものだ。

Track4.
小カトーの館の静かな場所である。
小カトーは、独白で悩んでいる。
「話は聞くが、拒絶するだろう」。

そこにカエサルがやって来て、
世紀の会見が始まるが、
甲高い声で、ヒステリックにちょこまかしゃべるカエサルは、
まさしく、こんな人だったのではないか、
などと感じられる。
カトーの方は、イケメン風のテノールなので、
英雄カエサルは、いかにも三枚目みたいな感じがする。
「この男、変わらないな」と、傍白があるように、
当然、独裁者と共和主義者に折り合う点はない。

プロットにも、
「カエサルは小カトーと面会するが、
帝国の栄光を分かち合うことを、
気休めのように約束することは、
彼の共和主義の規範を破ることだとする。」
とあるとおりである。

さらに、
「カエサルのマルツィアと結婚するという提案も、
小カトーを怒らせるばかりである。」と書かれている。

このあたり、トールバット著の
BBC・ミュージック・ガイド・シリーズの
「ヴィヴァルディ」では、
「民主主義と独裁者の立場で、
それぞれ利害にからんだ2人の男の議論が
たたかわされる第10場には、
現代的な精神がみなぎっている」(為本章子訳)
と紹介されているシーンだ。

ただし、CD解説では、第8場とされている。
5分にわたって、立ったり座ったりしながら、
激しい応酬が聴かれる。

カエサルは、
「世界で激戦した帝国、
我が苦難と汗によって熟した果実を、
あなたが共に平和を守るなら、
これを分けて統治してもよい」と提案するが、
カトーは、
「恥さらしで罪の赤面を、
なぜ、そなたと分けねばならんのだ。
そうした悪事を、
カトーが望むと思ったか?
聴きたくもない」と、
大人げない言葉で返す。

どっちも気違いとしか思えない。

カエサルは、むかついて帰ろうとするが、
そこにマルツィアがやって来て、
父と恋人に、「これが、あなたの平和ですか」、
「これらのため息が、あなたの友情ですか」、
などと勇敢な詰問をする。
「マルツィアは絶望し、むなしく、
二人のローマ人らの平和的和解を模索する。」

小カトーは、「彼からは何も提案はない」といい、
カエサルは、「もう私は十分我慢した」という。
結論は戦争である。

Track5.
カエサルのアリアで、これまた、
傲慢さが突き上げて来るような序奏に続いて、
「戦場で運試しだ」と宣誓され、
英雄カエサルの胸中にこみ上げる、
自信たっぷりの高揚感が味わえる。

Track6.
マルツィアが、「どうなさるおつもり。
私たちの生命は風前の灯です」というと、
カトーは、
「私の命はどうでもよいが、もう平和は終わった。
隠し逃げ道から逃げよ」という。

アルバーチェがやって来て、
戦う時が来たから、
マルツィアと結婚させてくれという。
マルツィアは強烈な拒絶である。
しかも、問い詰められ、カエサルを愛していることまで、
言ってしまい、
カトーは「娘の資格もない、失せろ」と怒る。

プロットに、こうある。
「実際、アルバーチェのしつこい要求に、
彼女は秘密を隠すことができず、
父親やエミーリアにカエサルへの愛を語り、
小カトーは怒り狂う。」

Track7.
小カトーのアリア。
マルツィアを罵り、
エミーリアやアルバーチェに、
こんな事があろうか、と問いかけ、
「この苦悩だけは、私は止めることが出来ない」
と胸をかきむしる。

激烈な序奏から、強烈なアタックが効いて、
素晴らしく英雄的な苦悩のアリア。

ライヴァル、カエサルのアリアとは、
あまりに強烈な対比をなす。

Track8.
絶望したマルツィアは、
アルバーチェやエミーリアに恨み言を言う。

Track9.
しみじみとした情感にあふれるマルツィアのアリア。
シモーネの解説では、このように書かれていた。

「また注目する価値のあるものは、
衝撃的なマルツィアのアリア、
第2幕第9場(12場の誤りか?)の、
『哀れな蔑まされた心』などは、
バッハとヘンデルの中道を行く。」

これは、非常に聞きごたえのあるもので、
バロック時代ならではの低音から積みあがった和声に、
聴く者は、どっぷりと体を埋め込まれてしまう。
先の、カエサルのアリア、カトーネのアリアに続き、
ヴィヴァルディの書法の冴えには、驚嘆すべきものがある。

が、こうした対比の妙は、
メタスタージオの台本からして、
そうなっているのかもしれない。

「すべてが残酷でしかない」と、
抽象的に前半が歌われた後、
中間部では、具体的になって、
父にも疎まれた愛を嘆く。

このアリア、装飾したリフレイン部が、
かなりシモーネ盤とは異なる。
シモーネ盤がダウラントのラクリメのように沈潜し、
マリリン・シュメージによって、
7分12秒もかけて歌われていたのに、
ここでのリリアナ・ファラオンは、
5分55秒で、より明晰にかっちりと歌っている。

「ch'il consoli」と歌われているところなどは、
「きーみのそーら」と歌っているのかと思って、
思わず、歌詞とにらめっこしたくらいである。

実際、ここなだらかな曲は、
技巧勝負の音楽ではなく、
味わいで聞かせるものなので、
(アンナ・ジローのための曲と言われる)
日本のポピュラー音楽に編曲しても、
歌えてヒットしそうな感じがする。

Track10.
エミーリアとアルバーチェ、
アルバーチェは「真実の愛だったのに、
もっとも不幸になった」と嘆き、
エミーリアは、より現実的に、
どっちに付くか悩み始める。

Track11.
超絶技巧を駆使した、
エミーリアのいくぶん軽薄なアリア
「海辺を襲う荒れ狂った海のように、
運命が私を打ち付ける」
で、この幕は閉じられる。

活発な伴奏は、冴えたヴィヴァルディの、
エネルギーが横溢し、
カンヘミの歌うソプラノが、
明るく、大空を飛翔する。

この女性歌手によるアリアの連鎖も、
すばらしくスパイシーな対比が味わえる。
マルツィアは悲痛に沈み、
エミーリアは、同様に切羽詰った状況ながら、
やけっぱちのような縦横無尽を見せる。

そういえば、このような対比について、
かつて、「バヤゼット」の解説に、
「ナポリ派風の音楽は悪役に使った」という、
説があることが書かれていた。

まさに、このことは、ここでも言えるかもしれない。
確かに、ナポリ派というより、
スペイン派と呼べば、
「独裁王国スペイン」対「共和国ヴェネチア」
の戦いの物語とも考えられる。
ひょっとすると、今回の文脈からすると、
ヴィヴァルディにとって、ナポリ派とは、
カエサル同様、帝国主義の象徴だったのかもしれない。

しかし、カンヘミの歌唱、
さすがに人気のある歌手だけある。
シモーネの盤では、
マルガリータ・ツィンマーマンという、
メゾ・ソプラノが担当していたが、
やはり、声の質から言っても、
技巧の冴えから言っても、
カンヘミの飛翔の自由さには及ばない。

シモーネの指揮も、歌手の実力を考慮して、
手心を加えているのであろう。
やや、鈍重な印象を残す。

マルゴワールは、その点、歌手を信頼しきって、
思い切ったことが出来た、と言う感じであろうか。

以上で第2幕は終わり。
今回は、このくらいにしておく。

得られた事:「『ウティカのカトーネ』第2幕は、民主主義と独裁者の直接対決が描かれるが、自画自賛の独裁者の方が歌ものびやかで幸せそうである。これは、ナポリ派風の技法を駆使しているとも思われる。」
「ヴィヴァルディにとっては、ナポリ派=独裁という構図だった可能性がある。」
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by franz310 | 2012-09-22 21:39 | 古典
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