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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その342

b0083728_2018544.jpg個人的経験:
確かに、2004年の、
スピノジによるヴィヴァルディの
オペラ「オルランド・フリオーソ」は、
必要以上の快速調で3時間の大作を、
バババと聞かせる勢いがあったが、
今回の2011年3月の上演記録は、
やはり、舞台との相互作用もあって、
より自然で大きな音楽のうねりや、
痛切な感情表現の掘り下げ成果が、
そこここに感じられる名録音となった。

実は、これを聴くまで、
ヴィヴァルディの表現力は、
ヘンデルには及ばないのではないか、
などと考えていた。


何となく、個々の音楽が切れ切れであり、
アリアだけを聞かせどころとする、
よくシューベルトなどが言われる、
劇的盛り上げの欠如があるのではないか、
などと考えていたのである。

そもそも、ヘンデルのオペラではよくある
二重唱や合唱も少なく、
おそらく、オーケストラの楽器の多彩さでも、
ヘンデルの方が色彩豊かであって、
そうした特徴だけでも、
ヴィヴァルディのはオペラというより、
何となく「歌物語」みたいな先入観が出てくる。

が、実は、そんなことはないことを、
このDVDを見て痛切に感じた。

また、このDVDは、少し変わった装丁で、
紙の手触りのジャケット、そして、
豪華ブックレットが付いている。

この中にあるウィレム・ブルルという人が書いた、
「VIVALDI DEGLI SPILITI」
(魂のヴィヴァルディ)という一文も興味深い。

読むとすぐに分かるのだが、
このタイトルは、フェリーニの映画のタイトルに
あやかったものである。

ブルル氏は、オランダの脚本家のようだ。
ネットで検索すると、頭の光った中年男性が出てくるが、
1963年生まれとあるから、まだ、40代である。

「有名なイタリア映画に、
フェデリコ・フェリーニの、
『魂のジュリエッタ』(1965)というものがある。
ストーリーそのものは単調なもので、
いくつぐらいであろうか、中年のある女性が、
まだ、彼女が愛している夫が、
不実であることを発見する。
今や、彼女の世界は崩れ始め、
彼女は、彼女の結婚生活をやり直す、
別の方法を思案する。
もっと、夫に関心を持つ、
ベッドルームでもっと挑発的な服装をする、
が、どれも効き目があるとは思えない。」

フェリーニの映画であるから、
こんな描写もたんたんとやってそうであるが、
私は見たことがない。
ただ、気が滅入る、
しかも、どうしようもない状況ではある。

「彼女の隣人は、美しく若いレディ、
スージィで、派手なライフスタイルである。
彼女は、その家の中や周りに、
様々な不思議な客人を迎えている。
ジュリエッタは、スージィの家に入り、
暖かく迎え入れられる。
彼女は、浮ついた雰囲気や、
招かれた客人たちに激しく誘惑されるが、
ジュリエッタは、この好色な愉悦の世界に、
入り込むことは拒む。
なぜか、彼女は、この世界は彼女にとって、
感情の死を意味するように思え、
彼女の夫への復讐の場と思えるようになる。
この物語では、ジュリエッタは、
死者の霊とも交流できるような、
高度に繊細な女性として描かれるが、
これは60年代にメタファーとしてよく使われた、
フロイト的な意識下の世界を示している。」

急に胡散臭い話になったが、
おそらく、こうした事も映画では、
うまく扱われているのであろう。

「この感受性によって、
若いころのトラウマの追体験によって、
彼女は次第に内面からの解放を可能とし、
自身の人生を取り戻す。
これは、イタリアの物語である必要はなく、
フェリーニの奇妙な幻覚を感じる誇張と離反の語法の中で、
何か明らかにイタリア的な
永久的で不変的な不倫や不貞の物語となっている。」

このように書きながらも、ごまかすことなく、
筆者は、あえて、彼が思うイタリア的な要素を
書き出してくれているのが嬉しい。

「このイタリア的なものとは、
物語の明るく憂鬱な雰囲気の中に一部は隠され、
彼女の幽霊や精霊の世界にも関わらず、
ジュリエッタのナイーブで親しみやすい性格にも見られる。
また、実際の悲劇の欠如の中にもそれは隠され、
もっと正確には、
この映画のきわめて悲喜劇的な性格にも見て取れる。
フェリーニの映画と、ヴィヴァルディのオペラ、
『オルランド・フリオーソ』では、
あまりにも奇抜なあてつけであるが、
同様の憂鬱で悲喜劇的なトーンは、
このオペラにも現れているようである。」

ということで、
・憂鬱なのに明るい。(悲喜劇的?)
・主人公は親しみやすいが、実はナイーブである。
が、
この人は、イタリア的なものと考えている。

「この二つの作品の主題には関連がある。
同様に不倫や不誠実、結婚による忠実さが、
超自然的なメタファーに満ちた雰囲気の中で試される。
映画における霊的なものは、オペラにおける、
魔法や呪文にリンクしている。
実際の現実や日々の生活から離れ、
これが二つの作品に輝かしさを与えている。
この霊的なものや魔法は、
耐えがたい俗悪さを、瞬時ではあれ、
和らげ、防ぎ、たぶん解決すらしている。
目に見える世界の認識は、
必ずしも我々の慰めではない。
すくなくともジュリエッタには。」

何と、超自然が扱われていることも、
共通項だということだが、
これを言ってしまうと、
ヘンデルもハイドンもフェリーニだということになる。

が、俗悪さを解決している、
というのは言えるかもしれない。
オルランドに魔法がなければ、
単なるストーカーの物語になってしまう。

「ヴィヴァルディの『オルランド・フリオーソ』は、
アリオストの叙事詩による多くのオペラの一つにしか過ぎない。
1600年から1800年の間に、そして19世紀においても、
何百ものオルランドやアルチーナやジネウラやアリオダンテ、
ルッジェーロが描かれた。
ヴィヴァルディは、二つのオルランド・オペラを書いた。
1714年の『狂気を装ったオルランド』は、
のちの作品に対する初期の先駆者であって、
作曲家仲間と、これ以前にも、
ほかのオルランド・プロジェクトに携わってもいる。」

これに関しては、スピノジの旧盤の解説に、
詳細な解説があった。

以下、博覧強記のアリオストおたくの話が列挙されている。

「アリオストが最初の版を出版した時点から、
そのための音楽が書かれ始めた。
最初の出版の1年後、
1517年にバルトロメオ・トロンボンチーノという作曲家が、
その詩に基づいたマドリガルを書いている。
実際のオルランドの売り込みは、
一世紀のちに始まり、1619年に、
マルコ・ダ・ガクリャーノと、
ジャコッポ・ペーリが、
裏切られたオルランドを中心に据え、
『メドーロとアンジェリカ』を書いて、
オペラのジャンルの共同創始者となった。
それほど後ではないが、
1625年、フランチェスカ・カッチーニは、
『アルチーナの島のルッジェーロ』を書いた、
最初の女性作曲家となった。
これらの初期の試みの後で、
多くの作曲家たちが続いた。
彼らの中には、ポルポラやスカルラッティや、
感謝や理性からだけでは愛は生まれないとした、
『オルランド』を書いたヘンデルのほか、
リュリなどもいて、彼の『ロラン』は、
オルランドとアンジェリカ、
メドーロにフォーカスしたもので、
誠実であることのメッセージを伝えている。」

ということで、ここからが、
このヴィヴァルディ作品の解説となる。

「このオペラは、18世紀の流行の中心、
ヴェネチアのために、ヴェネチアで書かれた。
ここは嘘とペテン、陰謀やご都合主義に満ちた街で、
マスクや変装の街でもあった。
予定はいつでも変更可能で、
意味のない集まりが危険な犯行へと展開する。」

以下の文章展開も、妙に唐突で、
何故か女嫌いの男の話が出てくる。

「この湾の島の特別な文化を最初に書き留めたのは、
ヴィヴァルディより少し若いカルロ・ゴルドーニである。
劇作家、リブレット作者として、
この感覚世界のメカニズムを探求し、
それは罠であり道化芝居とした。
彼はユーモアとウィットを持ち合わせ、
たとえば、彼の最高の劇、
『La Locandiera』 では、
女性に興味のないキャラクターを創造した。
『私に関する限り、誰とでも、
婦人について議論するほど危険なことはない。
私は、彼女らを愛したこともなく、
必要だと思ったこともない。』
このlocandiera、あるいは、
宿屋の女主人は、何人かの求婚者がいるのだが、
このおそらく女嫌いの男に魅了され、
しだいに彼にまいってしまう。
彼女のモットーは、
『私を追い掛け回す者は飽きてしまう。
私はいつもちやほやされるのが好き。
私は誰とでもうまくやるが、恋には落ちない。
私はこうした完全に熱を上げているのをからかうのが好き。
美しい母なる大地が産み出した者である私たちの敵、
こうしたおかしな堅物を征服し、打ち倒し、
魂の底からわくわくさせるのに、
全力全霊を挙げたいものだわ。」
この彼女の言葉とこのオペラにおける
アルチーナに何か違いがあるだろうか。」

違いはない、と言いたいようだが、
厳密には、アルチーナは、
かなり積極的にいろんな男にアプローチしているので、
全部が全部、同じなのではない。

だが、まあ、言いたい事は良くわかる。
かなり爛熟した文化で、世紀末的であったのだろう。

女嫌いの男が問題ではなく、
そういった男がいた時の、
女(ここでは宿屋の女将)の心の動きが、
アルチーナ的、つまり、当時のヴェネチア的だった、
とこの解説者は言いたいのである。

では、アルチーナがルッジェーロを巡って、
ブラダマンテと取り合いをした第一幕の続き、
このオペラの第二幕以下を聴いて行こう。

先の解説はまだまだ続くが、
今回は、これくらいに留めておく。

第二幕:
Track16.
「アルチーナはアストルフォに対し、
邪悪な誘惑ゲームを続けており、
これが、魔女への復讐のため、
彼をブラダマンテに近づけることになる。」

このような場面転換は唐突で、
先ほどまでの、ルッジェーロの取り合いはどうなったんだ、
という感じもするが、
逆に、アルチーナがルッジェーロを獲得することが、
アストルフォがアルチーナを失うことにつながる、
という、当然ではあるが、不条理とも言える連鎖が、
妙に、人間の営みの悩ましさを突きつける展開にもなっている。

場面は、CDのト書きによると、
「人目に付きにくい木陰のある気持ちのよい木立」
とあるが、DVDの方の背景は暗い室内である。

アストルフォがアルチーナを責めるが、
魔女は、「私の愛がほしいの?もらえるかもね。
でも私の心は、
あなたの思いつめた眼差しだけで、
燃えるのではないわ」という嘲笑的なアリアがお返しである。

Track17.
ブラダマンテが入ってきて、
「高貴なる勇者がなんてこと?」と、
アストルフォの不甲斐なさを責める。

このDVDの演出では、オルランドも、
後ろで聞いているようである。

すると、アストルフォは、
ヴィヴァルディらしい、
燃え上がるスピリットを感じさせる、
アリアで答える。
「彼女が、慈悲なき、
堕落した悪魔を心に隠しているとしても、
その悪魔の毒は、あなたを騙すものよりは、
残酷ではない。
彼女の不誠実な王国は、ぺてんに満ちていて、
私は他の場所に逃げていきたい。」

そして、その歌の間に、ルッジェーロが、
乱れた着衣を直しながら入って来る。
オルランドとブラダマンテが、彼を椅子に座らせる。

Track18.
が、ブラダマンテのことを、思い出せない。
ブラダマンテは、魔法の指輪を彼の額にかざし、
彼は、だんだん、記憶を覚ましていく。
そして、ブラダマンテは、指輪を渡し、
これをつけてアルチーナの姿を見て、
なおも愛情を感じるなら、行ってもよい、
などと言っている。

そして、強烈なブラダマンテのアリア。
「静かにして、嘆かないで。
静かにして、懇願しないで。
涙はそよ風に流して、風にでも祈って。
不誠実なうそつきの心は、
後悔の中でも誤解するもの。」

シノプシスに、
「ルッジェーロは、魔法の指輪によって呪文が解け、
彼は、自分の妻を放擲したことを知り、
許しを請うが、彼女は応じず、彼は落胆する。
オルランドが慰めるが、無駄である。」
とあるシーンが続く。

Track19.
傷ついたルッジェーロを、
オルランドが慰めるシーン。
そこに毅然としたアルチーナが登場。
ルッジェーロに詰め寄る。
緊迫した状況をオルランドの有名なアリアが盛り上げる。

「怒りの雲が湧き起り、
運命の嵐が波を荒立てる」という前半に、
「恐ろしい雲が消えると、
明るい空が上に広がる」
という後半で、
様々なことが舞台上では起こっている。
ルッジェーロは消えるし、
アンジェリカの幻影がメドーロと見つめあい、
オルランドは二人を引き裂く。
大きなテーブルにシャンデリアが設えられる。

なんと、このアリアを聴いているときに、
実際、雷が鳴りだして、土砂降りの雨が始まった。
しかも、窓をあわてて閉めたりしているうちに、
土砂降りは終わった。
ただし、遠くで雷鳴。アリアのようなすっきり空ではない。

Track20.
CD解説のト書きでは、険しい崖のある山間の場所のはずだが、
DVDでは、先ほどの豪奢な部屋の中で、
メドーロとアンジェリカが語り合っている。

「野に咲く汚れなき花のように、
再び私の心には希望が生まれ、
そして消える。」

シノプシスに、
「アンジェリカとメドーロは再会し、
もう、オルランドを恐れることはないと、
結婚することを誓う」とあるシーンであろう。

が、変な演出で、オルランドは一部始終を聴いている。

Track21.
アルチーナが来て、オルランドはまだ来ないのか、
とアンジェリカに尋ねると、
隠れていたオルランドが出てきて、
何事もなかったかのように、
アンジェリカを抱きしめ、
アンジェリカの方も、思わせぶりに、
テーブルの上に横たわって、
悩ましげな歌を歌う。

「輝く星のように、あなたの無垢の誠実さは、
私の心に慈悲を約束してくれます。
でも恐ろしい思いが私を捉え、
私はその炎が恐ろしい。
それは私の心を燃え上がらせるが、
いつも、そこまで明るいとは限らない」と、
意味深な内容でよくわからない。

とにかく、この二人は、アリアのさなか、
ずっとくっついて、愛撫したり見つめ合ったりしている。

そして、激しく抱擁したりしているが、
これは、彼を騙すための策略なのであろう。
しかも、どこかに立ち去ろうとさえする。

そして、若さを保つ薬で、私たちの関係は永遠になる、
などと言っている。うまいやり方だ。
なんと、このテーブルの横が断崖であるという設定で、
オルランドは、ここに上ろうとして、
雷のようなものに打たれて倒れてしまう。

シノプシスに、
「事実、アルチーナの助けによって、
恋するオルランドをだまし、
若さの秘薬を取ってくるよう頼み、
魔法の崖を登らせる。
彼は、アストルフォの力強い警告にも関わらず、
簡単に騙されてしまう。
そして、すぐに出口のない洞窟に入れられたことを悟る。」
とあるが、いきなり次のシーンでは、
薄暗いシーンに突入している。

Track22.
オルランドは、テーブルの下で叫んでいるので、
これが、洞窟であるという設定なのであろう。
「オルランドは囚われた」という声が響き、
オルランドは怒り狂い、
「そのようないかれた言葉はオルランドには無効だ」
と目をむいて叫ぶ。
だが、出口はわからない。テーブルの下で、
「私は騙された」と悟り、
アンジェリカを呪いながら、
それを持ち上げようとしている。
が、彼は、テーブルから抜け出て、
背景のカーテンも引き裂いてしまう。

Track23.
シノプシスに、
「その間、ブラダマンテとルッジェーロは落ち合い、仲直りする」
とあるが、「アルチーナのところに行けばいいわ」などと、
最初はまだもめていて、
その様子を、背後でアルチーナが見つめている。

さすが、魔の島の女王である。
すべてをお見通しのように、
威厳を持って、存在感を露わにしている。

ルッジェーロが、では、この矢で殺せというと、
少し、ブラダマンテもしおらしくなり、
ルッジェーロは、親しみやすく、朗らかなアリアを歌う。
管弦楽の伴奏も、愛情たっぷりの表現が愛らしい。
「あなたの胸で死ねるなら、なんと幸せなこと、恋人よ」
「あなたの胸に平和が戻るなら、いくらでも叱ってください」
などという内容。
これは、非常に単純な小唄のような感じ。

当然、二人は仲直りして抱き合っている。
ブラダマンテもお返しのアリア。
「奔流が渦巻いてあふれると、
ざぶりと畑も水浸し。
だが、それを止めることはできない」という、
まさしく奔流のような激烈なもの。

この間、平和な村人のダンスなどが舞台では演じられる。
最初出てきた時は、いかつい感じだったが、
このクリスティーナ・ハンマーシュトレームという歌手は、
なかなか美人である。
最後は、イケメンのジャルスキーと寝転んでごろごろと官能的。

Track24.
楽しげな音楽が鳴り渡る。
威厳を持って鳥瞰していたアルチーナも、
心の動揺を隠しきれず、テーブルの上にうつぶせている。

「アンジェリカとメドーロは、
アルチーナの庇護と羨望の中、
広い空地で豪華な結婚式を挙げる。」
というシーンで、恋人たちは、
村人のダンスを前に見つめ合っている。

アルチーナは、ルッジェーロを探すが、
それより結婚式を、と、
アンジェリカとメドーロが急かし、
テーブルのカップには飲み物が満たされていく。
アルチーナは新郎新婦にそれを手渡し、
皆が浮かれる中、アルチーナは、
一人、嘆きの歌を歌っている。
管弦楽もどろどろとした響きを立てて、
きわめて錯綜した状況である。
アルチーナは、恋人たちを祝福しながら、
自らの運命を嘆いている。
したがって、その祝福も息も絶え絶えの感じ。

そのような状況下で、素晴らしいオーケストラの前奏が流れ、
苦しげなアルチーナのアリアが始まる。
「もし、私も愛した人だけと楽しめるなら、
私の心は平和を見出すことはできない」
などと、自らの定めを歌ったもの。

背景は黄昏のような色調になって、
アルチーナの権勢にも陰りが見えたことがわかる。
ルッジェーロは黙って立ち、
アルチーナを見つめて去っていく。
背景から向かってくるシルエットが一つ。

「しかし、偽りと反抗の運命に繋がれて、
愛の神様は、苦しみで脅かす。」
なんと、やって来たのは、オルランドだった。
狂えるオルランド以前に、アルチーナが心配である。
ヘンデルの「アルチーナ」は、確かに、こんな物語だったが、
ヴィヴァルディのオペラも、そんな内容だったっけ。

アンジェリカとメドーロが抱き合う中、
この魔女は、一人、嘆き節で歌い続ける。
まさしく、これは、ヘンデルが、
「おお、わが心」で扱ったようなシーンではないか。

CDでも、このアリアは8分近くかけて歌われていた。
DVDでも、この絶唱をたんねんに描いていく。
さすが、ラーモアである。

Track25.
オルランドはどこに行ったのだろうか。
陽気な二人の恋人たちは、テーブルの上に落書きを始める。
「ここに、メドーロとアンジェリカ」などと書いて、
彼らのデュエット。
「あなたは私の情熱、愛、太陽、心」といえば、
「喜び、平和、星、そして愛」などと返す、
他愛ないものである。

Track26.
いよいよ、第二幕も最後、
「彼らは、愛の誓いを月桂樹やミルテの木の幹に刻む。
彼らが消えてすぐに、
何とか魔法の洞窟から逃れ出た
オルランドは森にたどり着く。
新婚のカップルと、木々への刻印を見て、
彼は錯乱する。」
というシノプシスにある部分となる。

どろどろ音に導かれてオルランドが現れ、
机の上の二人の残した落書きを読む。
これまた、レチタティーボともアリアとも言えない、
狂乱の歌唱が繰り広げられていく。
「恋人で夫婦だって」と叫び、
ついには、服を脱ぎ捨て、テーブルを引きずり、
頭を打ち付け、踊りまくって狂乱の限りを尽くす。
セリフも錯乱している。
まさしく「オルランド・フリオーソ」である。

が、急に脱力して泣き、
「目よ、翼よ、心よ、アンジェリカとメドーロ」と言って、
うつぶせる。

今回も、第二幕を聞いただけで字数も尽きた。
第三幕以降は、次回に回すことにして、
これまでの時点で得られた事を書く。

得られた事:「ヘンデルのオペラのように、ヴィヴァルディもまた、アルチーナの感情の移ろいに関心を持ち、丹念に陰影のある描写を試みた。」
「解説者Willem Bruls氏は、それがまた、フェリーニの映画にも通じるものだという。」
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by franz310 | 2012-08-25 20:20 | 古典
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