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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その338

b0083728_13162835.jpg個人的経験:
シューベルト渾身の大作、
「フィエラブラス」は、
「 3幕の英雄ロマンオペラ」
とされていたが、
ハイドンの「騎士オルランド」は、
「3幕の英雄喜劇」である。
フィエラブラスは、
くよくよしている英雄であるが、
オルランドは、
前後見境ない英雄である。


そればかりか、何が英雄なのか、
ということも考えさせられるのが、
これら二つの大オペラの悩ましい点である。

二人には共通点がある。
それは、まったく英雄的ではない。
つまり、オルランドも、フィエラブラスも、
好きな人には、まったく相手にされないのである。
そればかりか、恋敵に腹立たしい現場を、
見せつけられるばかりなのだ。

つまり、ふたりとも、
単に失恋した主人公であるにすぎず、
我々が普通に想像するような、
英雄的な働きをしているわけではない。

もしも、英雄的であるとすれば、
共に騎士道盛んなシャルルマーニュ時代の物語、
という点しかない。

ただし、ここで断っておくべきは、
「フィエラブラス」の脇役であるローラントが、
イタリア語では、オルランドになっているということ。

つまり、「フィエラブラス」の中で、
最も英雄的な活躍をするローラントこそが、
オルランドの正体なのである。

さて、前回、この「騎士オルランド」を、
アーノンクールの指揮によるCDで第1幕を聴き、
このCD解説の前半を味わった。

結局、オルランドは、愛するアンジェリカが、
オルランドにとっては恋敵のメドーロと、
ラブラブ・メッセージを木々に書き付けたのを目撃。
失恋の苦悩に狼藉を働く寸前で、
魔女アルチーナによって、鉄の檻に閉じ込められてしまう。

このCDの海外盤解説は、ザビーネ・M・グルーバーという、
心理学者、音楽家、作家という顔を持つ人が書いている。

この前は、ハイドンのオペラ「騎士オルランド」の
成立の背景や、登場人物の概観までを記している部分を読んだ。

彼女の基本的問いかけは、
この作品のどこがおかしいのか、
ということであった。
オルランドが発狂して、めちゃくちゃするのも、
彼女には、まったく笑えないようなのだ。

解説の題名も、「現実的で真実」とあり、
失恋で狂気に至るオルランドが、
単なる「狂気の愛」に囚われた狂人ではない、
という結論だと言わんばかりである。

「プロットはテキストもそうだが、シリアスでも滑稽でもない。
しかし、ハイドンは、我々の予想を嬉しくも裏切って、
シリアスで滑稽な音楽をつけた。が、それもまんべんなくではなく。
彼は私たちを、様々な庭園の小道を導くが、
それがどこに行き着くのかは知りがたい。
どうしてハイドンはそうしたのか。
どうして、何故。
彼は明らかにユーモアと正確な心理的直感に対し、
素晴らしいセンスを持った輝かしい作曲家であった。
しかし、そこには他にも心に持つべきものがある。
我々が知らず、1782年の聴衆とは共有出来た何かを、
彼は知っていたのではないか。」

これが、グルーバー女史の仮説である。
これに対する考察が続く部分で展開されている。
しかし、難解至極で、私自身、理解できているか自信がない。

「『騎士オルランド』は、
19世紀にグリム童話が普及したのと同様、
国際的に普及したベストセラーからのエピソードである。
喜劇的な傑作、『オルランド・フリオーソ』は、
ルネサンス期の詩人、ルドヴィコ・アリオストが、
最初、1516年に出版したものである。
この叙事詩は46歌からなり、多くの幻想物語の母体となった。
リブレット作者は必要なものは、
それらのお決まりから持って来ることが出来、
今日に至るまで、
アリオストの作品は詩人、作家、映画製作者たちの、
隠された創造力の源泉となっている。
『オルランド・フリオーソ』を特別なものにしているのは、
大胆にも時間や空間を無視した作りにしている点である。
しかも、しばしばそれらは高度に個人的なコメントを伴う、
進行によって妨げられる。
歴史的背景はシンプルである。
シャルルマーニュ帝の時代で、
キリスト教の騎士(パラディン)たちは、
異郷のサラセンやムーア人とスペインで戦っていた。
しかし、アリオストは、これだけの中に、
恐ろしい逸話を盛り込んでいる。
1700ページをくだらない中、
彼は読み手に、イマジネーションの花火を開陳する。
ブラック・ユーモア、ずるがしこさ、様々な人生模様。
男らしい英雄は、くだらないことのために戦闘に参加し、
彼等の玩具、つまり馬や武器や妻などを守るために、
これらが基本原理になっている。
最後にはもっぱら、名声や栄誉に興味が行くのだが、
恋に駆られ、女を追い求める。
女らしい女たちも男たちのように戦うが、
それは愛のためである。
両方の性は、最新の技術を使って、
ナビゲーション・システム内蔵のトランスポート手段、
光のサーベル、タイム・マシーン、パリから中国、
果ては月まで行って帰る光速の航空機。
必要に応じて、大天使ミカエルや、
預言者聖ヨハネを、異なる星雲からおびき寄せることも出来る。
ラブ・シーンは、すぐに野蛮な戦闘シーンに取って変わられ、
そこでは頭蓋骨が裂け、ちょん切れた手足が、
キャベツの茎みたいに空中に飛び散る。
しかし、この戦闘もまた、しばしば中断し、延期される。
例えば、大理石のように白い裸体の処女が、
岩に鎖で繋がれ、海の怪物から救われるのを待っている時など。
一つのことは明らかである。
勇敢な英雄たちとされる人たちも、
おそらく、最も明らかなことを先にする。
人生はそのように生きなければならない。
この人生こそ、自由意志と、
天上と冥界からの両方からの超自然の力との、
最も現実的な混合物なのである。」

こんな考察で、ハイドンが、
シリアスで滑稽なオペラを書いた理由が、
納得できたであろうか。

よく分からないが、ハイドンは、
そこに人生そのものを見て取ったから、
と解釈すべきであろうか。

そして、人生は、意志にのみ帰することが出来るものではない、
ということ。この人生哲学を語らせたら、
ハイドンの右に出るものはいなさそうである。

グルーバー女史の次の命題は、
下記のようにあるから、いよいよ、
このオペラの解説の本題ということか。

「私は、さらに長さについて指摘することも出来よう。
私は不能の僧についての物語について語ることも出来よう。
また、高貴な女性が恋をした男が、実は女性だったという話も。
しかし、ハイドンのオペラに戻る時である。
または、その登場人物のさらに正確な経歴に注意を向けよう。
このことが、シリアスな側面でも、喜劇的な瞬間についても、
物語の緊張感に重要な影響を与えている。」

これらの人物に経歴(past)などあるのだろうか。
「アンジェリカが不安に思うのも不思議ではない。
これまで、彼女は男性を使うことはあっても、
何も関わったことがなかった。
次から次に、彼女は男たちに、
ばくぜんと、彼女の処女性を褒美にして、
彼女の取り合いをさせていた。
彼が必要としていたのはボディーガードであって、
もはや、これを必要としなくなった時、
彼女は彼等をふるい落として来た。
もちろん、処女性は保ったまま。
可愛そうなオルランドは、特にひどい仕打ちを受けている。
この方何ヶ月も彼は彼女のために、
日夜をいとわず彼女の敵たちと命をかけて戦ってきた。」

ヘンデルやヴィヴァルディのオペラ解説も読んだが、
こんな背景は、これまで、誰も語ったことはなかった。

「彼は叔父シャルルマーニュへの忠誠心の、
騎士としての誓いを、彼女のために破りさえした。
彼女を誠実に愛したことが、彼の不幸であった。
これによって、彼のみが理性を失うに到った。
そして、遂に、彼女が裏切り者と分かった時、
彼は衣服を裂き、武器を投げ捨て、馬を追い払って、
三ヶ月の間、気が狂ったように国中を駆け巡った。
彼は加害者なのか犠牲者なのか。
キューピッドは彼の味方をして復讐を決め、
槍を次々にアンジェリカに投げつけた。
ひどく傷ついたメドーロという、
サラセンの若者の上にかがみ込むまでに。
彼はブロンドの巻き毛を持ち、
彼女と同様に燃えるような瞳を持っていた。」

このあたりの背景は、
アリオストには描かれているのであろうか。

「優しい性格で、しかし、決して卑怯者ではない彼は、
彼の主人の亡骸を、命を賭けて埋葬したこともある。
アンジェリカは献身的に彼を介護し、
健康を取り戻させた。
そして、初めて恋に落ちた。
たぶん、これが、貰うだけでない、
与える恋を彼女がしたからであろう。
そして、それがメドーロを特別な存在にした。
アルチーナは、アンジェリカより良い存在であろうか。
良い妖精?冗談でしょう。
最初から、彼女は島の楽園の半分を、
妹から奪い取り、両方を手中に収めた。
彼女のお気に入りの活動は、
様々な薬で男たちを夢中にさせ、
したいようにして、飽きた時には、
彼等を木や植物や石にしてしまったのである。
ロドモンテは、荒々しく勇敢な戦士であった。
しかし、彼の恋人は、彼が向こうを見ていると、
他の男に身を委ねた。
彼は傷ついたからこそ、このように怒っているのである。」

これらの事も、どこまでが女史の妄想で、
どこまでがアリオストかは分からないが、
アルチーナが男たちを木や石に変えたことは、
ヴィヴァルディやヘンデルでも衆知である。

次の命題は、
「わたしはそれをすぐに聞き取った。
しかし、多くのリブレット作者は、
登場人物を改変したとはいえ、
オリジナルな個性は残っていた。
ほら、ハイドンの音楽そのものが良い証拠になっている」
というものだが、
グルーバー女史は、アリオストの精神が、
この19世紀も間近にした時期のこの作品から、
聞き取れるかということを模索しているようだ。

「作曲家はオルランド以外の登場人物をすべて誇張して描き、
キャラクターの本質にまで探りを入れ、
その本質をさらけ出す。
ハイドンはシリアスからコメディにジャンプして、
彼等を等身大の人物にする。
アンジェリカは苦しみ愛するほどに、
彼女の悪意が表に出て来る。
メドーロも好んでくよくよするが、
そうすればするほど真実の愛から隙間が出来る。
エウリッラとパスクワーレは、屈託のない魂だが、
彼等は、一緒にいるというより、愛の理想や愛の象徴の中にいる。
怒り狂ったロドモンテは、実際は好人物であることを隠せない。
アルチーナな何事にも大騒ぎし、
真実であるためには良い人に過ぎる。」

私は、このアルチーナが「悪い奴に決まっておる」
という感じの表現がたまらなく感じた。

つまり、ハイドンの書いたリブレットを鵜呑みにせず、
ハイドンの音楽を良く聞け、ということであろうか。
もっと言うと、当時の聴衆にとっても、
アルチーナなど、悪い奴に決まっているだろう、
という感覚があって、それを、
ハイドンは、ちゃんと表現しているということだ。

「オルランドが出て来た時のみ、
私たちは疑念から解放される。
そこのあるのは本物の感情であり、
真実の嘆き、真実の愛、真実の狂気である。
こうした狂人だけが本物であるとは、
何という悲劇的なイロニーであろうか。」

このように考察が終わるが、
最後に、女史はこう書いている。

「ハッピーエンドを好むすべての人のために、
私は一つの慰めを提供したい。
アリオストの物語として。
オルランドは決して改心薬で治癒されたのではない。
彼は本当に治ったのである。
どうやってそうなったのか。
アンジェリカで失われた、彼の心を、
アリオストによれば、
地上でしばし失われたものを保存してある月から。
彼の従兄が彼に戻したのである。
これがアリオストが月について言った全てであり、
月で探す他のものは書かれていない、馬鹿馬鹿しいことに。
それは、すでに地上にあるということであろうか。」

このように、アリオストを良く読んだ結果が、
反映された解説がようやく出て来たわけである。

では、前回聴けなかった第2幕以降を聴いて行こう。
CD2のTrack1.は、いったいどうしたわけか、
森の中のロドモンテとオルランドの立ち会いから始まる。

この前、オルランドは鉄の檻に閉じ込められたはずだが、
どうしたことであろうか。

ロドモンテが挑み、オルランドは、
「狂人め」と応えている。
狂人は自分であろう。

このCDの日本盤の解説には、
解説に当たった水谷彰良氏が、
最後に、
「この録音にはレチタティーヴォにカットが多く、
ブックレットの台本ではシェーナや舞台設定、
ト書き、人物の入退場の指示、
カット部分の台詞がすべて削除されています」
と苛立ちの言葉を残している。

「その結果、対話の繋がりに流れや整合性を欠き、
ドラマの理解のさまたげになっています」と、
ところどころで意味不明になることを断っている。

まあ、そう言うことなのだ。
深く考えずに聴き進もう。

Track2.ロドモンテのアリアで、
自分が強いということをアジテートするお盛んな歌で、
ゲルハーエルの渾身の熱唱が聴ける。
オーケストラも猛り、声と一体となった、
素晴らしい表現が聴ける。

しかし、この後、彼は去ってしまう。
何事だ?

Track3.情景が変わって、
海に面した野原で、メドーロが隠れ場所を探している。
エウリッラが、同情している。
わざわざ付いて来たのであろうか。

グルーバー女史が書いたように、
彼の心には、アンジェリカがあるのかないのか。

Track4.メドーロのアリアで、
私の心配が通じたのか、
「彼女に言って下さい。不運な恋人がここで死んだと」
とか、アンジェリカを思う歌である。

しかし、途中、
「ああ、それを言ってはいけない」とか、
「僕を愛して下さい」とか、かなり錯乱している様子。
こんなうじうじした内容ゆえか、
あまり華やかな歌ではない。
ドイツ・リートの源泉風の表現であろうか。

Track5.うって変わって、
陽気な方のカップルの話に移る。
エウリッラはパスクワーレが来るのを見つけ、
木の後ろに隠れる。

Track6.パスクワーレの勇壮なカヴァティーナ。
ティンパニが連打され、トランペットが打ち付け、
「偉大なパスクワーレを称えよ」と意味不明の展開である。

Track7.一人で酔いしれているのを、
エウリッラが驚かせる。
彼等の、いちゃついた会話が続く。

Track8.待ってました、
と言いたくなるような、
素朴な二人のデュエット。
完全にモーツァルト風のギャラントと、
民謡風を混ぜたような音楽。
途中、短調に変わるあたりもそんな感じ。

マリー・アントワネットが、
羊飼いの女に扮して歌っているような趣きである。

「私も愛の思いが、
ますます燃え上がるのを感じます」とあるように、
屈託のない愛の情景である。

Track9.
アンジェリカのアリアで、
彼女はアルチーナのところに身を寄せている。
もちろん、メドーロのことを思っている。

「穏やかな微風、緑の月桂樹、静かな波」
と歌われるお城からの雰囲気がうまく表され、
妙にエキゾチックな空気感がある。
ふっと浮かび上がる木管のソロの妙味であろうか、

終始、静かに情感を歌われ、
さりげなく技巧が凝らされているのも憎い。
非常に詩的な楽曲となっている。

Track10.アンジェリカは去り、
アルチーナが現れ、
「私はアンジェリカの愛を幸福に変える」
とか言っている。
グルーバー女史の言うとおり、
妙に、もったいぶった登場である。
同情しているというより、
暇つぶしという感じが良く出ている。

Track11.またしても、アンジェリカ。
「この森でむなしく恋人を探しています」という内容で、
レチタティーボで、海に至り、うねる波の中で死のうという。
このあたり、オーケストラが、彼女の決意の重さを、
じゃんじゃんじゃんと簡素ながら効果的に表している。

「死と向かい合いましょう」と、
身を投げようとするところでは、
かなり盛り上がって、
波の砕ける様子を示しているのだろうか。

すると、メドーロ登場。
「ぼくの偶像よ」、「生きているの」と、
盛り上がって、
Track12.の二重唱へとなだれ込む。
ちょっと月並みに、なだらかに歌う感じで、
「愛する心のなんと素敵な瞬間」、
「なんと嬉しいこのひととき」という所で、
少し、陰影がつけられる。

Track13.レチタティーボで、
「行きましょう」、「逃げましょう」とやってるうちに、
オルランドに捕まってしまう。
「わが胸に慈悲などない」と怖いが、
アルチーナが現れて、彼の力を失わせてしまう。
恋人たちやアルチーナが去った後、
彼には、くすぶっていた怒りが込み上げる。
そして、妙な幻覚を見るに至り、
Track14.のアリアに続く。
「私は何を見、何を聴いているのだ」と、
自分が混乱していることを苦悩したアリアである。

オーケストラもそれに輪をかけて、
へんてこな音型を発して、狂気を増幅する。

Track15.は、城内での呑気な方のカップル。
さっき、お城に行きましょうよ、
というのが、ここでは実際にまだ続いているのであった。
パスクワーレは、「私は卑しいしもべです」などと言い、
エウリッラは、「とても優雅に話すのね」と、
気に入った様子である。

Track16.では、
調子に乗ったパスクワーレが、
パリで百人の美女を魅了したという、
音楽の技を自慢している。
ヴァイオリンで魅了したと言っているが、
ヴァイオリンの妙技が出るわけではなく、
「スタッカート」とか「アンダンティーノ」とか、
田舎娘を煙に巻いているような趣き。
が、音楽のうまさをカストラートになぞらえ、
面白おかしく、高音を聴かせているところが興味深い。

この馬鹿騒ぎに合わせて、
オーケストラは様々な装飾で、
楽しい音楽を奏でている。

Track17.
ここに、ロドモンテとアルチーナが来る。
めまぐるしいオペラである。
ロドモンテは、「アンジェリカはどこにいるのだ」
とか言っているが、
彼は、オルランドを探しているのではないのか。
アルチーナは忌まわしい光景を見せるという。

Track18.
魔法の洞窟に、
オルランドとパスクワーレの主従がやって来る。
パスクワーレは、恐れまくっている。
オルランドは、彼に、魔女への伝言を伝える。
うまくいかないので、アルチーナを呼びつける。

ここでは、「復讐だ」とか、「残酷な鬼婆」とか、
オルランドが罵るごとに、
パスクワーレが、
「言ったのは私の主人ですよ」と補足しているのが面白い。
アルチーナは怒って、
遂に、オルランドを石に変えてしまう。

そこにアンジェリカやエウリッラたちもやってくる。
いったい、どうしたわけだろう。
とにかく、第2幕のフィナーレで、
めいめいが、それぞれの思いを口にしていて、
ついていけないくらいの展開である。

オルランドは、いったん、石から戻してもらえるが、
なおもアンジェリカを罵り、
アルチーナが去ると、それを追いかけて行くと、
洞窟が崩れる。

「恐怖が去り、不安が薄れ」という、
爽快な合唱で第2幕が終わる。

この主人公たるオルランドへの、
サディスティックなまでの扱いは、
いったい、どうしたことであろうか。

しかし、これまで見てきた、
どの幕も、オルランドがひどい目に会って終わる。
解説によると、オルランドの事は、
まったく笑えない、とあったので、
我々は、まるで身を切られるような、
自嘲を持って、この扱いを甘受しなければならない。

第3幕はいきなり、「レテ(忘却)の川のほとり」
となっているが、オルランドは、
さすがに死んでしまったのだろうか。

Track19.
冥界への案内役、船頭であるカロンテが、
幽玄な舟歌風の伴奏にのって、
「埋葬されていない霊は、冥府に行けません」
とか、呑気な歌(アリア)を歌っている。

Track20.レチタティーボ。
アルチーナが、偉そうに、カロンテに、
「忘却の水」をオルランドの額に注げ、
とか命令している。
悪い魔女のはずのアルチーナも偉くなったものだ。

Track21.伴奏付レチタティーボで、
オルランドが、夢うつつの声で、
「ここはどこなのか」とか言っている。
アンジェリカ、メドーロ、ロドモンテと、
暗い洞窟にいたのに、
何故、自分ひとりになったのか、
とか、妙に冷静な声になっている。

「あのヒゲもじゃの男は誰だ」などと言いながら、
まどろみに落ちながら、
Track22.のアリアを歌う。

眠いので、まったく迫力のない、
「ここは静寂の王国だ」などと言う、
錯乱の歌。

Track23.
ここでは、カロンテがオルランドに、
何らかの処置を行ったようだ。
「お前の失くした理性を呼び覚まさんことを」
とか言うと、オルランドは苦しみ、
「ああ、何と残酷な苦しみ」とか言っている。

Track24.
ここでも物語は急展開している。
「森の中」とあるが、メドーロは、
何らかのトラブルに巻き込まれたようである。

どうやら、戦闘があって、
彼は血だらけになっている。
恐ろしい事に、アンジェリカは、
「彼は死んでしまう」などと口走って、
逃げてしまうのである。

その後に、クレイジーな二人、
オルランドとロドモンテが駆けつける。

Track25.
「戦闘」という、勇ましい管弦楽曲。

Track26.
城の中庭で、アンジェリカ独り。
「これで私の悲しい人生の修羅場も終わりました」
と、メドーロが死んだと思って、
嘆きのレチタティーボ。

管弦楽伴奏は、かなり雄弁で、
その優雅な佇まいや、恋人の死を思う錯乱が交錯し、
極めて絵画的な情景となっている。

4分半にわたって、神頼みしたり、
絶望したり繰り返している。
第3幕で一番長い曲なので、
このあたりがクライマックスなのかもしれない。

Track27.
「無慈悲な定め、邪悪な運命」、
「この心はもう耐えられません」という、
何となく定石的な言葉が並び、
最後はコロラトゥーラで舞い上がって行く。

Track28.では、いきなり、
メドーロ回復の報が、アルチーナによってもたらされ、
ロドモンテが、オルランドが敵を敗走させたと報告する。
メドーロが現れ、オルランドも「もう忘れました」などと言う始末。
ちょっと待て、これでお仕舞いですか、
と言いたくなる結末である。

Track29.全員によるコーロ。
朗らかに鳴り響くホルンも爽快な終曲。
「もしも幸せでいたければ、
あなたを愛する人を愛し続けなさい」と、
分かったような分からないような歌詞が、
高らかに歌われる。
オルランドは、愛してくれない人を、
ひたすら愛するがゆえに不幸であった。
ということか。

得られた事:「ハイドンのオペラ『騎士オルランド』は、虚飾に満ちた展開の中、一番まともなのが狂人であるという物語。」
by franz310 | 2012-07-22 13:19 | 古典
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