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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その337

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その337_b0083728_13263029.jpg個人的経験:
ヨーロッパで大ヒットした、
アリオストの長編詩、
「オルランド・フリオーソ」
は、水戸黄門のような、
決まり文句によって、
(印籠や入浴シーンではなく、
英雄の発狂や魔女の活躍)
数多くの逸話が派生し、
それもあってか、
多くの大作曲家がオペラにした。


ヴィヴァルディの「オルランド・フリオーソ」、
ヘンデルの「オルランド」、
(他にも「アリオダンテ」と「アルチーナ」)が有名で、
次の世代(次の次くらいか?)のハイドンにも、
「ハイドンのオペラでは最高」とされる、
「騎士オルランド」がある。

ハイドンのオペラでは、「薬剤師」(1867)とか、
「月の世界」(1777)とか、
「むくいられたまこと」(1780)とか、
へんてこな題名のものが有名であるが、
私は良く知らない。

この「騎士オルランド」(1782)が、
それらより優れているかは、
当然、よく分からないが、
国内盤の水谷彰良氏の解説によれば、
「ハイドンの生前、最も人気を博し」たとあり、
作曲された当時30年間で、24都市で上演されたとある。

なお、この1782年という年は、
「まったく新しい方法で書かれた」、
作品33の「ロシア四重奏曲」の翌年、
「パリ交響曲」に先立つ年という感じである。

例えば、マルク・ヴィニャル著「ハイドン」
(音楽之友社、『不滅の大作曲家シリーズ』)
(岩見至訳)によれば、
「一七七三年から八三年にかけてハイドンは、
そのすべての注意を傾けていた八つのイタリア語オペラと、
マリオネット劇のための七つのドイツ語オペラを作曲する」
と書かれており、この時期の集大成のような位置に、
「騎士オルランド」が位置していることが分かる。

が、この本では、「勘違いの不貞」(1773)と、
「まことの操」(1776)を代表作としている。

しかし、このCD解説は違っていて、
「『騎士オルランド』は、音楽と着想の豊かさにおいて
ハイドンの歌劇創作の頂点をなすとともに、
18世紀喜劇的オペラの最高傑作の一つといっても過言ではない」
と解説を結んでいる。

実際にこれを購入し、これから鑑賞しようとする者には、
非常に期待が込み上げるものである。

ただし、ハイドンの音楽には、
からりと乾いたような爽快さや明晰さがあって、
このどろどろの三角関係を扱ったオペラに、
ふさわしいかどうかには疑問が残る。

最初の序曲からして、ぼくとつな音楽が打ち付けられ、
弦楽主体で、管楽器は補助的の域を出ず、
色彩にも乏しく、しっとりとした要素はあまりない。

主人公の猪突盲信ぶりを表しているのかもしれないが、
あまり美しい音楽という感じはしない。
単調な繰り返しが多い感じで、
この段階で、聴くのをやめた聴衆も多いと思う。

この演奏、日本盤帯には、
「2005年シュティリアルテ音楽祭で絶賛された」とあり、
「豪華歌手陣を動員した決定的解釈」と書かれているように、
アーノンクールの名演の一つのようである。

歌手には、プティボンやゲルハーエルを揃え、
オーケストラはウィーン・コンツェルトゥス・ムジクス。
かなり演奏としては期待して良さそうだ。

原盤はドイツ・ハルモニア・ムンディから出され、
日本ではBMGジャパンが06年に販売している。

ざっと解説を見回しても、
ヴィヴァルディやヘンデルともまるで違う内容で、
さきほども書いたように、
キーワードである、
失恋によるオルランドの発狂と、
魔女の登場が共通項か。

もっとも、ヘンデルの場合は、魔女の部分は、
アルチーナという別作品に集約されてしまったが。
(しかし、ゾロアストロという謎の人物が、
オルランドを治す。)

ヴィヴァルディとヘンデルの場合と同様、
主人公オルランドが発狂した原因である、
アンジェリカとメドーロの恋は健在。
ただし、魔法使いの存在は、どちらかというと、
人の恋路を邪魔するオルランドを懲らしめる感じで、
良い役のように見える。

CD1のTrack2.
山間の平原のシーンにふさわしく、
伸びやかな序奏の後、
このCDのブックレットに収められた写真で、
可愛い笑顔を振りまいている、
ソプラノのマリン・ハリテリウスが歌う、
羊飼いの娘、エウリッラが日々の退屈を嘆いていると、
父親のリコーネ(ヨハネス・カルパースのテノール)が来て、
妙な戦士が来たから逃げろという。

サラセン人を従えたロドモンテという戦士を演じる
クリスティアン・ゲルハーエルが、
英雄的な声を響かせる。
ただし、おとぼけの戦士らしく、
「わしは腹を立て憤慨しておるぞ」
などと、理不尽な戯言を叫んでいる。

Track3.レチタティーボで、
「フランスの騎士がここを通ったか」と、
オルランドを想定してロドモンテが訪ね、
エウリッラは、メドーロとアンジェリカが通ったと応える。

三角関係の3人の名前が出たところで、
当時の聴衆は、いよいよオルランドの物語が始まったことに、
期待に胸を膨らませたに相違ない。

Track4.
それに応えるように、わくわく感に満ちた、
エウリッラのアリア、「もし、あなたに言えたら」。
内容は、恋人たちの愛嬌や愛撫を見た、
という報告をしたもので、
かわいらしい羊飼いの娘が歌うことによって、
劇場はお色気で染まったことであろう。

Track5.
そんな報告を聞いている暇はないと、
ロドモンテは怒っている。
オルランドに劣らぬきちがいキャラである。

Track6.は、興奮が込み上げて、
ロドモンテのアリア。
「わしはバルバリアの王であるぞ」と名乗りを上げ、
いかに、怪物や巨人と戦って来たかを説明している。
ゲルハーエルは、シューベルトの歌曲で有名になった人だが、
そのせいか、今一つ、えげつない芝居っけでのど迫力はない。

ここで、我々は、この破壊的な男が、
オルランドと激突するのではないか、
などと想像すべきだと思う。

Track7.
ここは情景が変わって、「塔の下」とされ、
フルートの独奏によって、
雅な雰囲気が漂って、
いかにもという風情に切り替えられていく。
モーツァルトの室内楽でも聴いているような一瞬である。

そして、人気歌手プティボンの歌う。
ヒロイン、アンジェリカの登場。
「絶えず震えているの私の心は」と、
恋する女の心情をしっとりと歌い上げる。

Track8.は、レティタティーボで、
「魔術の力で苦痛を和らげる」とか、
「メドーロのためを思いましょう」
などと言っているので、
どうやら、魔女と手を組んだことが察せられる。
これは、ヴィヴァルディなどの例と似たパターンである。

ということで、このヒロイン、
なんとなく悪い奴という感じがつきまとう。

Track9.は、激烈なシンフォニアで、
「アルチーナ現る」とあり、
Track10.で、アルチーナのレティタティーボ。
「何を求める」。
アンジェリカが凶暴な騎士オルランドが
私のことで怒り狂っているので、
メドーロとここに身を寄せたと説明する。

Track11.はアルチーナのアリアで、
エリーザベト・フォン・マグヌスのメッゾによる、
モーツァルトを思わせる晴朗なメロディによって、
「私の眼差しだけで深淵ざわめき」という、
魔力が誇示されていく。

面白いリズムや楽器の音色も工夫され、
ハイドンは、劇音楽で、こうした多様さを実現したのに、
交響曲や弦楽四重奏曲においては、
もっと四角四面の表情しか見せなかったのは、
いったいどうしたことであろうか。

Track12.レティタティーボで、
アンジェリカが、
「アルチーナの言葉が慰めてくれる」というと、
メドーロは、なさけない感じで、
オルランドの従者と会ったことを告げる。
アンジェリカは、どこかに隠れるように言う。

Track13.メドーロのアリアである。
ヴェルナー・ギューラのテノールは、
ナイーブなメドーロの性格がよく出たもので、
とても格調高く、古典的なものながら、
低音の不気味な音型が、
「行くか、留まるか」の選択の出来ない、
彼の立場を際だたせる。

途中は、非常に英雄的な表現になって、
これがまた、ハイドンの作曲という、
先入観を打ち破る迫力を持っている。

Track14.はアンジェリカ。
メドーロ様が側にいてくれたら、
怖いものはない、と短いレティタティーボ。

Track15.では、
再びシーンが変わって森の中。
これは、ヘンデルのオペラにも通じそうな、
伸びやかな小唄になっていて、
オルランドの従者パスクワーレが登場。

マルクス・シェーファーというテノールが歌っている。

これまた、色っぽいもので、それに、
たららららららと楽しげである。
完全に、最初から、先ほどの羊飼いの娘、
エウリッラと好一対になっている。

時々、弾ぜられる素敵な音色はチェンバロか、
あるいはハープか。

何だか、オルランドの物語が、
ドン・キホーテのような物語になっている。
本来、シャルルマーニュの軍勢で、
一番の勇将であるオルランドの配下は、
一騎当千の猛者ばかりであるはずなのだが。

Track16.
呑気なパスカーレに、怒り狂ったロドモンテが、
声をかけ、挑戦して来るが、
うまい具合に現れたエウリッラが、
オルランドのことを口にするので、
ロドモンテは、「いざ一騎打ち」と行ってしまう。

パスカーレは、そのまま、
エウリッラに自分の自慢話をし始める。
どうやら、自分では、「戦士」で、
「立派な騎士」だと信じている様子。

Track17.
パスクワーレのアリアで、これまた陽気で楽しいもの。
いろいろな国を渡り歩いた話を歌にしたもので、
俺は日本にも行った、とあるから驚いた。

「俺は日本に行った、
クロアティアにも、ブレッサノーネにも、
プーリアにもソーリアにも」と続くが、
クロアチアはバルカン半島の国、
ブレッサノーネ、プリア、ソリアはイタリアの街だと思われ、
彼の頭の中で、日本がどうなっているかまでは分からない。

その前に「北京にも行った、タタールも見た」
とあるから、何やら東洋の国、
という認識はあったのだろうか。

しかし、どうやら彼は腹ぺこで、
何か食べたいらしい。

Track18.
今度は「噴水のある美しい庭」のシーン。
メドーロのレティタティーボで、
この場所を離れると言い出す。
アンジェリカは、オルランドは強くて危険だと諭す。

Track19.
アンジェリカのアリアで、最初は、
いかにも古典派の時代の歌曲という感じ。
しっとりした夕暮れの情景のオーケストラ。
「行かないで、私の美しきともしび」、
「あなたなしでは死んでしまう」と、
感情のこもった声で、アンジェリカは歌うが、
「その悲しげな目を私に向けて下さい」の部分では、
不思議な色調に沈むかと思えば、
強烈に声を張り上げるなど千変万化して楽しませてくれる。

交響曲や四重奏曲のハイドンからは、
こんな音楽は想像できない感じ。

Track20.
メドーロは、かなり動揺しており、
「誰か近づいて来る」
「もうお仕舞いだ」と、やけっぱちな台詞で行ってしまう。

Track21.
なんと言うことであろうか、
第1幕も大詰めに来て、
ようやく、主人公登場。
遠くから、「アンジェリカ、わが愛しの人」、
「どこに隠れているのですか」と聞こえて来て、
完全に恋の虜の状況であることが分かる、
ほとんどアリアのようなレチタティーボで現れる。

「呪う。宿命を背負うという者という
特権を私に与えた運命を」と、
狂気に至るにふさわしい名言を吐く。

そして、ロドモンテが現れるのを待つために、
泉で身体を休めるという。

が、彼が、そこで発見したのは、
アンジェリカとメドーロの名前が刻まれた木。
これこそは、オルランドを狂気に至らしめる、
水戸黄門の印籠のような小道具である。

ヴィヴァルディやヘンデルの場合、
木に二人の名前が書かれていたと思ったが、
このハイドンのオペラでは、
至るところに「幸せなライヴァルの憎らしい名前が」、
そして、ある木にはアンジェリカの名前が刻まれているとある。

Track22.
待ってましたのタイトルロールのアリアであるが、
「彼女はどこにいるのか」、
「何と奇妙な不安が私の心に押し寄せ」と、
完全に失恋に耐えられない、
男の心を打ち付ける傷手がぎりぎりする苦い歌である。
活発なオーケストラと一体となって、
この錯綜した音楽は、まことに不思議な印象を残す。

ミヒャエル・シャーデというテノールが受け持つ。

Track23.
せっかく出て来た主役であるが、
また、情景が森になって、
ロドモンテがパスクワーレをせっついている。
オルランドはどこにいるのかと怒っている。
すると、エウリッラが現れ、
何かを隠しているのをオルランドが見抜く。
話せ、というオルランドの調子に押されて、
エウリッラは、アンジェリカの事を話してしまう。

Track24.
ここからが、第1幕のフィナーレ。
ヘンデルでは、このような大きな終曲はなかったが、
これはこれで不思議な構成である。

まず、ここでは、オルランドとエウリッラ、
そしてパスクワーレを交えての三重唱が、
快活な音楽と共に盛り上がる。

Track25.
が、いきなりアダージョとなり、
「美しい庭」で、アンジェリカが、
死の恐怖を歌っていて、
そこにはちゃめちゃな感じで、
パスクワーレとエウリッラがなだれ込んで来る。
二人は、なんとパスクワーレまでが、
「お逃げ下さい、怒り狂った男がそこまで迫っています」
などと言っている。
アンジェリカは悩んでいるが、
そこにロドモンテがやって来る。

今一つ、アンジェリカとロドモンテが、
どういう関係の位置づけか分からないが、
ロドモンテはオルランドを宿敵と思っているし、
アンジェリカはオルランドを、
どうにかしたいと思っているのであるから、
一悶着あることを聴衆は期待せずにはいられない。

みなはロドモンテにも逃げろというが、
それがかえって、ロドモンテを発憤させる。
当然であろう。

Track26.はまたまたアダージョとなって、
物憂げな、しかし、爽やかなメロディが流れる。
何と、メドーロがまだまだぐずぐずしていることが分かる。
「ぼくはここで命を終えるのか」。

そこにアンジェリカが加わって、
「誰が救ってくれるのですか」などと唱和する。

この高貴な恋人たちに、
俗っぽい恋人たちが加わって、
「大いなる苦悩」とか、
精妙な四重唱となるが、
じゃーんと銅鑼だかシンバルだかが鳴って、
アルチーナが現れる。
アルチーナ役の声は、凛々しい感じで、
非常に印象的である。

ロドモンテまでが現れて、
アルチーナに、
「人間の能力では彼は屈服させられない」
などといさめられている。

ここでは、エウリッラがロッシーニみたいに、
早口でアンジェリカ、メドーロらに早く逃げろとせかし、
彼等もまた、パスクワーレまでが、
ぺちゃくちゃとものすごい騒ぎである。

これは面白い。

当然、ロドモンテが納得しているはずもなく、
アルチーナと一緒に、
オルランドを待ち受けようとするが、
アルチーナに姿を変えられてしまう。

私としては、大言壮語を吐くロドモンテのお手並み拝見、
という感じであったが、残念な気がしないでもない。
それにしても、人間業ではどうすることも出来ない、
オルランドの失恋パワーのすさまじさはどうだろう。
この時代の人は、こうした力がものすごいものであることを、
現代の我々よりも、強烈に実感していたのかもしれない。

オルランドは錯乱しているので、
誰が誰だか分からなくなっている。
遂に剣を抜こうとすると、
アルチーナの魔法が炸裂し、
じゃんじゃんとシンバルが鳴って、
オルランドは鉄の檻に閉じ込められる。

「何という奇蹟」という人間たちの合唱に、
アルチーナも混じって、
最後の合唱が繰り広げられて、
第1幕が終わる。

ということで、第1幕だけでも十分、
ものがたりとしてまとまっているようにも見えなくもない。
これでめでたしめでたしでも良さそうなものである。

このような構成は、ロッシーニのオペラにも見られ、
例えば、「試金石」のような作品は、
第1幕でそれなりに終わっているのに、
第2幕では、さらにめちゃくちゃ度合いが増す感じである。

ヘンデルやヴィヴァルディのオルランドでは、第1幕では、
まだ、木の幹のシーンすら始まっていない。
第2幕で、仲良くメドーロとアンジェリカが名前を刻み、
オルランドはそれを見て暴走してしまうのである。
ヴィヴァルディの場合、木々をなぎ倒すらしく、
オルランドの振るうのが、恐ろしい力であることが分かる。

さて、このCD、ドイツ盤は、
心理学者で音楽家、作家でもあるという、
ザビーネ・M・グルーバーが、
かなり難しい解説を書いていて、
これがまた、興味深い内容になっている。

題名が、
「騎士オルランド、現実的かつ真実の物語」
という意味深なもの。

「多くの人たちが芸術家は、
純粋に内的な衝動から作品を生み出すと信じている。
個人的には、偉大な作品はしばしば、
明らかに偶然の結果であると考えずにはおられず、
それが予想外の結びつきを経て、
芸術家を最終的に行動させるのである。」

このような一般的な命題のように書かれながら、
このあと、例証として、この作品特有の成立事情が語られている。

「『騎士オルランド』の台本は、そもそも、
ハイドンのために用意されたものではまったくなく、
ピエトロ・アレッサンドロ・グリエルミ(Guglielmi)の
オペラのためのものであった。
ハイドンは、1782年に、自身で、
エステルハーザ宮の楽長の職務として、
このオペラを作曲するということになると、
予想すらしていなかったと思われる。
彼の職務は、グリエルミのオペラの上演であるはずだった。
言い換えると、ルーティン・ワークであった。
しかし、突如、二人の貴賓到来のニュースが入る。
後のロシア皇帝になるパーヴェル・ペトローヴィチ大公が、
ビュルテンブルクの王女であった、
マリア・ヒョードルヴナとエステルハーツィ家に、
逗留したいというのである。
この音楽通に10年前の作品を再演して見せるなど問題外で、
あまりにもリスキーであった。
その代わり、グリエルミのリブレットを使って、
ハイドンは新作の準備を命じられた。
リブレット作家はカルロ・フランチェスコ・バディーニであるが、
グリエルミは、二度変更し、
一つはヌンツィアート・ポルタによるものであった。
この同じ、ヌンツィアート・ポルタが、
エステルハーザ宮の劇場監督に任命されていて、
レパートリーを選ぶ権限を持っていた。
しかし、状況は一変し、大公とその夫人は、
シュトゥットガルト(偶然、シラーがこの混乱を利用し、
有名なマンハイム脱出を図った)への旅程を変更、
その後もエステルハーザを訪れることはなかった。」

シラーは、このとき、23歳。
前年、マンハイムで、反権力的な「群盗」を上演して、
大目玉をくらい、監禁されたような身分であった。
マンハイムへの脱出は苦難の亡命生活の始まりであった。

「いずれにせよ、ハイドンはオペラを書き続け、
1782年12月6日、エステルハーザの劇場で、
ニコラウス公の名の日に初演された。
『英雄的喜劇』、『騎士オルランド』は、
ヨーゼフ・ハイドンの最もへんてこなオペラである。
何故だろうと思わずにはいられない。」

このように、この解説では、「へんてこなオペラの一つ」などとは書かれず、
「funniest opera」と断定されているのである。

「騎士はあるお姫様を愛しており、
しかし、彼女は別の人を愛している。
報われない愛は、騎士を精神病に追い込み、
彼はお姫様とライヴァルを亡き者にしようとする。
最後になって、良い妖精が無実の恋人たちを悪い騎士から救う。」

確かに、単純化すれば、それだけの話で、
これまで聴いた第1幕だけでも、
それはすべて描き尽くされている。

「それのどこを面白がらなければならないのだろう。
これは非常に深刻な物語に、私には思える。
メイン・キャラクターたちを、より良く見ることで、
もっとそれが明確になるであろう。
それから、何人かの登場人物を見ていこう。」

とあるが、次に続くのは、各人物の概略説明で、
彼女の分析の真骨頂はまだまだ後で出て来る。

今回は、この各登場人物の概観までを見ていこう。

「お姫様の名前はアンジェリカで、
中国北部のカタイから来ている。
彼女は魅力的で美しい。
事実、その美しさは伝説的で、
すべての中世の男たちが、多かれ少なかれ心に留めていた。
オルランドという名前で通っているくだんの騎士は、
フランク王国の者で、シャルルマーニュの甥である。
気違いで悪いオルランドは、
アンジェリカが他の男を愛しているというだけで、
彼女の追跡を開始した。
何も知らない哀れな子供。
アンジェリカの心を占めるオルランドのライヴァルは、
ハンサムなサラセンの戦士メドーロである。
当然のことながら、彼女は自身のこと、恋人のことで、
心胆を寒からしめることになる。
何という幸運の到来、良い妖精と知り合う。その名はアルチーナ。」

この名前を聞いただけで、
ヴィヴァルディのオペラ(1727)の時代の聴衆なら、
そりゃ、悪代官の方でしょう、となるはずだが。
ヘンデルの「アルチーナ」(1735)で、
可愛そうな魔女として同情を引いたわけでもあるまいが、
半世紀を経て、このオペラ(1782)では、
「かげろうお銀」ほどの名脇役になっている。

「人間を助ける良い妖精が、一種の洗脳テクニックによって、
悪いオルランドの狂気の愛を癒し、メドーロ共々お姫様を助ける。
ストーリーが単純すぎないように、
愚かな異教徒サラセンのロドモンテが、時々現れ、
クリスチャンや、フランクと見るや殺戮しようとする。
中世の一種のターミネーターが、
さまざまな状況で手当たり次第に突進するなど、
ロドモンテは、感情処理に問題を抱えており、
永久に怒り狂っている。
また、物語をシリアスにしすぎないよう、
高貴ではない恋人たちが、劇中で、
くちゃくちゃとりとめなくしゃべる。
羊飼いの娘、エウリッラとオルランドの従者パスクワーレである。
しかし、これら最後の三人の登場人物は、
語られる進行にはほとんど何の関係も持たない。
いわんや、羊飼いのリコーネ(エウリッラの父親)と、
オルランドの洗脳の仕上げをする、
黄泉の世界の舟人カロンテは、単純なエキストラでしかない。」

得られた事:「ハイドンの『騎士オルランド』は、ヘンデルのものより、さらに軽妙かつドラマティックで、早口でのまくし立てや、アンサンブルによる盛り上げなど、ほとんどロッシーニ。古典形式のシリアスな器楽作品群とは全く異なるハイドン像が発見できる。」
「劇の内容も魔女付きドン・キホーテの風情。従者は遍歴自慢で『日本』とも口走る。」
by franz310 | 2012-07-15 13:28 | 古典
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