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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その320

b0083728_1440493.jpg個人的経験:
ロッシーニの「タンクレーディ」は、
ややこしいことに、
2種類の結末を持つことで有名で、
両方の版を収録したCDもある。
しかし、多くの場合は、
20世紀の後半になってから
発見されたフェラーラ版による
悲劇的結末の録音が多いようである。
やはり、ヴォルテールの原作に、
近い方が自然であろうという判断か。


音楽之友社から出ている
河合秀朋著のONブックス、
「オペラ・アリアの名曲名演奏」(1995)では、
このオペラのためにも、
一章を設けた貴重な入門書であるが、
「ロッシーニは何度も改訂、
三八種の版があるといわれ、
タンクレディが死ぬ悲劇版もある。」
と書いていて、
むしろ、ハッピーエンド版が普通でしょ、
という書きぶりである。

実際、悲劇で終わるフェラーラ版は、
失敗作とみなされて、
歴史的には、いったん姿を消していたわけで、
ハッピーエンド版がそもそもオリジナルなのである。

というわけかどうか分からないが、
この「悲劇版」全盛の時代に、
すかっと、「ハッピーエンド版」を聴かせるのが、
スペシャリスト、アルベルト・ゼッダ指揮による、
1994年録音のNAXOS盤である。

しかし、今回のこのCD、
この混乱した版の状況に、
拍車をかけるのを狙ったかのように、
表紙デザインが意味不明である。

「ロッシーニの『タンクレーディ』のためのスケッチ」
と題されており、
1952年にBruno Cagliという人が描いたようだ。
不気味な黒ずくめの人物が、
剣を持ったギリシャ風の戦士と握手しているが、
スケッチと言われるだけあって、
全てが不明瞭である。

何とはなしに、不気味な、
不吉なイメージは伝わって来る。
「悲劇版」にこそふさわしいようなデザインである。

が、1952年ということであれば、
ハッピーエンディング想定の絵画だということだ。
(悲劇版は、1974年まで発見されなかったようなので。)

ということで、表紙は不気味だが、
内容はハッピーエンドという、
矛盾した様相を呈した商品となっている。

いくつかの舞台収録DVDを見たので、
この絵画が表しているのは、
おそらく、タンクレーディが、
恋人アメナイーデの父親アルジーリオに対し、
サラセン軍打倒に手を貸そうと、
歩み寄ったシーンではないかと類推できる。

イル・ド・フランスのポワシー劇場における収録とされ、
コレギウム・インストゥルメンターレ・ブルジェンセ
という聴いた事のない団体による演奏である。

ただし、帯には、
「ナクソスのオペラ録音でも最高の成果と絶賛される名演」
とあり、アメナイーデには、
人気の韓国の歌手、スミ・ジョーが起用されている。
また、表紙にもなったアルジーリオには、
アメリカのスタンフォード・オルセン、
タンクレーディには、
ポーランドからエヴァ・ポドゥレスが当てられている。

この人たちを束ねた指揮者ゼッダは、
そもそも、フェラーラ版が発見された時、
これぞ、幻のフェラーラ版とお墨付きを与えた、
ロッシーニの専門家なのである。
それでも、ハッピーエンド版を選んだ。

嬉しい事に、このCD、
安いナクソスの流通価格にもかかわらず、
解説がしっかりしていて、
「この録音の際、ロッシーニの音楽の本質の分析と、
『タンクレーディ』のようなオペラの解釈について、
アルベルト・ゼッダに行ったインタビュー」
として、
この指揮者の言葉も読むことが出来る。

さすが、スペシャリスト。
一言、言わずには居られなかったものと見える。
「ロッシーニの古典性:
芸術の現実的なコンセプトのもとに作られた、
ロマンティックなオペラとは違って、
歴史的や物語の真実らしさに関しては欠落があり、
ロマン派にとって大切な心理的な細部や、内省を嫌った、
ロッシーニの音楽は感覚の理想化に偏りがちである。
本質的で逸話風でない主人公を、
情念から解き放つべく、
ロッシーニは、詩人が単語を操るように、音符を操り、
彼等の直接的な感覚の後ろにある真実に到ろうとする。
ベッリーニやヴェルディのような
ロマン派の作曲家が与えたメロディの優位性は、
ロッシーニにおいてはない。
彼の音楽的語法はシンプルで、
偉大な内省的なメロディも、
主題の長大な展開もない。」

味わい深い示唆である。
メロディよりも重視すべき「真実」があった、
とは、驚嘆すべき論旨である。

「ロッシーニのフレーズは、
非常に短いメロディのいくつかの小節からなる、
マイクロ・セルから組み立てられており、
しばしば、キャラクターを引き立て、
例えば、『セビリャの理髪師』の、
中傷のアリアのように、同じような動きで、
何度も繰り返され、ほとんど頭から離れなくなる。
こうしたリズムの繰り返しは、
単なる偶然ではまったくなく、
非常に厳密な計算に基づいている。
こうした形式的な組み立て、
短いメロディの断片、繰り返し、
単純で力強いリズム、均衡の取れた構成、
極めて単純な和声、主音と属音の交錯が、
ロッシーニを形式的には古典的な作曲家としており、
同時代者からも、彼はそう思われていた。」

「ロッシーニにはメロディの優位性はない」と、
談じているあたり痛快であったが、
マイクロセルの集合体という考え方も、
非常にストレートに私には響く。

これまで、私は、ロッシーニには、
うっとりするようなメロディはなく、
それが、彼の音楽を難しくしていると思っていた。
私も、実は、代表作「セビリャの理髪師」などのアリアを、
単独で楽しんだことはなかったのである。

しかし、初期の短いファルサから親しんで来て、
ようやく、彼の語法に慣れ、
そうした要素とは別の所に、
彼の音楽の強烈な魅力があることを、
学ばされることとなった。

まだまだ、ゼッダの解説は続く。

「ロッシーニの音楽のに二律背反性:
同様の理由から、ロッシーニの音楽は、
一般に鑑賞しやすく感じられるが、
この第一段階の鑑賞法は、
彼のドラマチックなオペラでは十分ではない。
これらの作品は、音符そのものは表現を生まず、
『トラヴィアータ』や
『蝶々夫人』のようなオペラとは異なり、
メッセージは隠されたものになっている。
一般にロッシーニにおいては、
同じ作品が、全く反対の深い意味を持っていたりする。」

こりゃまた、かなり難しいところまで書いている。
確かに、例として上げられたものはすべて、
感傷的で、そこで語られている情念が全てのような作品だ。

そこからすると、「試金石」にしても、
初期のファルサ群にしても、
何か、人間の営みの虚しさみたいな、
文明批判があるとも思える。

「解釈者の自由と責任:
こうした条件から、
もっと現実的な作品においてでなくとも、
どうすれば同様に、
真実に到ることが出来るであろうか。
彼は、事実、演奏者と聴衆とさえの、
能動的な協力関係を求める。
その言葉や内容以上に、
一般的な感情の雰囲気である
『アフェット(魂の揺さぶり)』が、
ロッシーニのアリアを特徴付けている。
このコンセプトは、バロックの伝統に遡り、
驚異、驚愕、驚嘆の美学から生じたものである。
ロッシーニの声楽の書法は、
並外れた声楽家の技巧に依存しており、
全てが『アフェット』を目指している。」

とにかく、魂が揺さぶられること、
と訳すと、トラヴィアータや蝶々夫人の世界になる。
ゼッダは、別の事を言いたかったはずで、
行間から妄想するしかない。

「このような理由から、ロッシーニは、
繰り返しのパッセージにおいて、
音楽表現をモディファイすることを、
演奏者の自由に任せている。
導入のカデンツァや変奏において、
彼は歌手にドラマティックな状況に応じた、
表現力を持ち込むことを認め、
その音域や能力の最大到達点で、
その声を駆使できるようにしている。」

以上がゼッダの言葉であろう。

アフェットゥオーソという音楽記号があるが、
「愛情をこめて」と訳されるが、
「驚愕」とか「驚異」とあるから、
もっと、ぶるぶるしなければなるまい。
それなら、ちょっと分かるかもしれない。

この記事はインタビューとあったが、
最後に、こんな難解な一言が添えられている。

「まさにこの点で、
正確な特徴に対し創造的研究が求められ、
タンクレディの今回のバージョンで、
アルベルト・ゼッタが実践した、
カデンツァや変奏は、
こうした現代的な実践の精神に寄っている。」

ということで、ゼッダが、
何故に、ハッピーエンド版を選んだかは書かれていない。
(ハッピーエンド版だと、CD2枚で収まるから、
とかではないだろうな。
CD1が75分、CD2が72分で、計150分に満たない。
悲劇版では、160分以上かかったはずだ。)

が、先ほどの解説を素直に解釈すると、
ロッシーニにおいては、
聴衆と心がぶるぶるするのが共有できればいいので、
リアリズムは二の次である、という解釈にて、
この明解な方の版を選んだと考えることも可能だ。

このような文章の先入観からか、
このCDの魅力は、
ゼッダの骨太の音楽作りにあることが痛感され、
歌手たちもそのコンセプトによく従っていると思う。

さて、このナクソスのCDにも、
「タンクレーディ」の版のことは、
下記のように簡単に解説されている。

「1760年のヴォルテールの悲劇をもとにした、
ロッシーニの『タンクレーディ』は、
1813年2月6日、
ヴェネチアのフェニーチェ劇場で初演されたが、
タンクレーディが生き残って、アメナイーデと結ばれる、
というバージョンによるものだった。
同じ年の四旬節、タンクレーディの第2版が上演されたが、
この時は、ヴォルテールのオリジナルの悲劇的結末に変更されていた。
ミラノでの新しい劇場での1813年の上演でもさらに修正が加えられた。
今回のものはオリジナルのハッピーエンドである。」

かなりあっさりしたものである。

カロリーネ・ポリカーペ女史が書いた解説を読んでみよう。

「タンクレーディとロッシーニの音楽:
ロッシーニのコミック・オペラの成功は、
彼のシリアスなオペラの作曲家としての重要さを、
追い払ってしまった。
良く知られた大成功の後、
作曲家の生前から、この作品はたちまち忘れ去られた。
特にロマン派オペラの誕生など、
音楽芸術に重大な変化が起こった時期にあって、
『泥棒かささぎ』が、彼の晩年に再演された時、
当時の批評家は、
『40年もたって、昔の愛人に会ったみたいだ』、
と表現した。
このことは、ロッシーニの作曲スタイルから、
いかに時代の精神が変化したかを示しており、
何故、彼のシリアスなオペラが、
事実上、レパートリーから、
消え去ったかの理由がわかる。
スタンダールがロッシーニの傑作と考えた、
『タンクレーディ』においては、
イタリアオペラにおいて生じていた問題に対して、
作曲家は新しい解決を見いだしている。
19世紀の最初の何年かは、実際、
新しい性格やドラマ的状況を導くリブレットに、
新しい主題を入れ込むことは、
すでに存在したオペラ・セリアの伝統に、
別の表現手段や劇的なアクションを要求した。
『タンクレーディ』には、
それゆえ、当時の伝統からは例外的な、
フェラーラのために用意された、
悲劇的終曲だけでなくとも、
叙情的表現と劇的アクションの総合を実現する、
新様式に新手法が見られる。
ロッシーニはここに達するために、
『タンクレーディ』のなお伝統的な形式
(レチタティーボが挟まる並列ナンバー)にもかかわらず、
瞑想的なパッセージとより劇的な部分を交錯させる
巧みなアリアの挿入や、
レチタティーボに独特の処理、
オーケストラの表現力豊かな活用を行った。」

このような特徴は、何となく分かる。
明確に対比された楽想の交錯や、
詩的なオーケストラは、随所に見受けられるものだ。

今回のCDの聴きものは、
ゼッダの指揮もさることながら、
タンクレーディ役の
ポドゥレスの魅力に負うところが大きいと思う。

解説を見ると、ワルシャワに生まれ、
1982年から国際キャリアを歩み、
チャイコフスキー・コンクールなどで賞を取っているらしい。
ヴァレンティーニ・テッラーニや、
マリリン・ホーンの伝統を受け継ぎ、
輝かしいトップCに到るコントラルトの声だとある。
1993年には、スカラ座で、このタンクレーディを歌って、
成功したとあるから、かなり自信と気迫に満ちた、
声を響かせて、まことに溜飲が下がる。

また、最後に戦場に向かう、
「なぜ平安を乱す」(CD2のTrack19)なども、
圧巻の名唱である。

「こうした処置は、ソロのアリアのみならず、
二重唱、第1幕最後の重要なアンサンブルなどをも、
特色づけている。
『タンクレーディ』においてロッシーニは、
ドラマ性、叙情性、音楽的要素の完璧な熟達を見せている。」

第1幕のフィナーレなどで、
この素晴らしいアンサンブルの効果が、
作品としては、我々の度肝を抜く。

アンサンブルとなると、ポドゥレスのたくましい声に対し、
スミ・ジョーやスタンフォード・オルセンの声は、
透明度が高く、やや異質な感じがしないでもない。

例えば、第1幕のフィナーレなど、
やはりアメナイーデの半狂乱が重要で、
聴衆をアフェットさせるだけの魂の底からの迸りが欲しい。

が、このような小さな点を、
ことさら強調する必要があるかは疑問で、
よどみなく流れる音楽の力に酔いしれ、
最後の第2幕フィナーレを歌い出す時の、
スミ・ジョーの晴れやかで澄んだ、輝かしい声を聴くと、
かなりの不満は吹き飛んでしまう。

あらすじ:
1005年、シラクサで起こった事。
CD1.
Track1.序曲。
正統的で充実した響き。単色系で色彩感に欠けるが、
ストレートな表現で良い。

Track2.動入曲、「平和、名誉、忠誠、愛」。
「議会のリーダーであるアルジーリオの宮殿の群衆。
彼と一緒にイザウラ、彼女の従者たち、騎士たちがいる。
二人の従者が、白いスカーフの入った銀の杯を運んでくる。
他の騎士たちが到着し、お互いに赤青のスカーフを、
白のスカーフに交換する。」

これは、赤い派閥と青い派閥があるからと思われ、
白に変えて和睦を象徴しているのだろう。
これまで、二つのDVDを見たが、このように、
スカーフを交換するような演出じは見た事がない。

「騎士たちは、アルジーリオとオルバッツァーノという
リーダーの下に集まった派閥間の抗争の終結を祝うことになった。
二つの派閥は統一されたのである。
アルジーリオは、二つの派閥が和解してシラクサは平和だと宣言する。」
合唱に、アメナイーデの友人のイザウラが絡むが、
ここでは、アンナ・マリア・ディ・ミッコが歌っている。
アルジーリオを歌う、オルセンと共に、解説では、
わざわざ、若い歌手だと書かれている。

検索してみると、いずれも舞台映えしそうな二人だ。

その後、頭目のアルジーリオや、
オルバッツァーノが声を合わせて行くが、
後者はスパノーリで、ロッシーニを得意としているらしく、
声量はないが安定した感じ。

速いテンポで、どんどん進んで行く感じが良い。

Track3.レチタティーボ、
「さあ、ところで、勇敢な騎士たちよ。」
アルジーリオは、ムーア討伐のリーダーに、
オルバッツァーノを指名する。
オルバッツァーノはしかし、
特に、追放されたタンクレーディなど、
内部からの裏切りが出ることを警告し、
イザウラはうろたえる。
アルジーリオは娘のアメナイーデを呼ぶ。」

Track4.合唱とカヴァティーナ、
「晴れ上がったこの佳き日に」。
「アメナイーデは、調和と愛の勝利の歌と共に、
従者と共に現れる。
彼女は、そこに喜びを加え、彼女のもとに、
密かに呼び寄せておいた愛するタンクレーディが、
いないことに一人、不安を感じる。」

これまた、快適なテンポによって、
合唱とオーケストラが朗らかな響きを聴かせる。
続いて、スミ・ジョーの登場シーンであるが、
澄んだ声が美しいが、押しつけがましさも欲しい。

Track5.レチタティーボ、
「おお娘よ、もう既に決まったことだ」。
「アルジーリオは、アメナイーデに、
オルバッツァーノと結婚するよう告げる。
オルバッツァーノは、彼女に愛を告げ、
結婚の約束を父親とした事を告げる。
彼は、すぐに婚儀を迫るが、
彼女は1日待って欲しいと言う。
皆がいなくなると、イザウラは一人、
すでにタンクレーディと誓った、
アメナイーデの境遇を嘆く。
『不幸なアメナイーデよ、
何とあなたにとって恐ろしい日でしょう。』」

Track6.レチタティーボとカヴァティーナ。
「おお祖国よ、大いなる不安と苦しみの後で」。

いよいよ、主人公の登場シーン。
オーケストラの繊細な情景描写も出色であるし、
後半は、このオペラで、最も有名なアリアが出る。

「シーンは変わって、宮殿の心地よい庭園。
庭は海岸と海に面し、船が近づいて来る。
ロッジェーロがまず下船し、
タンクレーディと手下たちも続く。
彼はまだアメナイーデの手紙を受け取っていなかったが、
生まれ育った街を外敵から守り、
愛するアメナイーデと再会することを決めている。」

ポドゥレスの登場であるが、
最初は、祖国への厳粛な挨拶なので、
彼女の底力は秘められている。
「彼は祖国に挨拶し、アメナイーデの事を考え、
彼の行いで彼女が苦しんでいることを詫び、
ただ、再会を願う。」
オーケストラの合いの手が入るあたりから、
ヴォルテージがアップして行き、
有名なアリアへと続く。

この人の声には、何か濁ったところがあって、
それが、妙な迫力を感じさせ、
装飾音が入ると、この魅力が倍増する。

Track7.レチタティーボ。
「ここがアメナイーデの住んでいる館だ。」
「彼は忠臣ロッジェーロにメッセージを持たせ、
アメナイーデのもとに走らせ、
不安の中でロッジェーロを待つ間、
見知らぬ戦士が都市の警備に遣わされて来たことを、
騎士たちに告げる。
タンクレーディが去って、まだ、声が聞こえる距離にいる時、
アルジーリオとアメナイーデが庭園にやって来る。
アルジーリオは、手勢の騎士たちに、
友人達を正午からの娘の婚礼に招くことを命じ、
彼女には服従を求める。
騎士たちが去ると、アメナイーデは、
婚礼を延ばして欲しいと願い出るが、
しかし、アルジーリオは、シラクサは危機に瀕していると告げる。
彼女に求婚している敵の指導者、ゾラミールが、
都市を包囲しており、タンクレーディが帰還したという噂から、
復讐を狙っている。
議会はいかなる反逆者も死をもって罰すると決め、
ムーア軍に対してシラクサ軍を率いる
オルバッツァーノと彼女は結婚しなければならない。」

Track8.レチタティーボとアリア。
「アルジーリオはアメナイーデに、
議会はいかなる反逆者にも死を宣告すると告げ、」
Track9.「彼は、彼女に、
自分の娘であることを思い出させる。」

ここでは、オルセンの歌う高らかな宣言が聞かれるべきだが、
統治者の厳格さよりも、リリカルな感じがするのが惜しい。
このあたりの音楽の冴えた感じは、
しかし、ロッシーニの青春の輝きと言うべきか。

Track10.「何て早まったことを!」。
「アルジーリオは出て行き、
アメナイーデは、差し迫った危機から、
タンクレーディを呼んだことを後悔する。
タンクレーディがその時現れ、彼女は狼狽する。」
せっかくの恋人同士のひとときを、
運命が狂わせて行く部分。

Track11.レチタティーボと二重唱。
「ああ、最悪の時を選んだのね。」
「アメナイーデは、タンクレーディに逃げるよう告げ、
彼の愛の言葉に冷たく接する。」

Track12.「あなたを取り巻くこの大気は」。
「まさに彼が息をするごとに危険は迫る。
彼等は、別れの必要を感じながら、お互いの状況を嘆く。」
二重唱であるが、スミ・ジョーの軽快な声と、
ポドゥレスの声のアンサンブルの対比を楽しむことが出来る。
ロッシーニの音楽もたいへん美しく、
恋人たちのアフェットな情感を盛り上げている。
スミ・ジョーの可憐な声が、これに貢献していることは確かで、
ポドゥレスもここでは脇役になりがちで分が悪い。

Track13.合唱。「愛よ降りて来い、喜びよ降りて来い」。
ファンファーレを伴う行進曲調の楽しい音楽である。
「続くシーンは、市の広場で、
ゴチックの壮麗なカテドラルに続く、
城壁が見える。古代のモニュメントが飾られ、
婚礼を見ようと人々が集まっている。
貴族たちは愛と喜びを述べ、
兵士と騎士が入場、位置に付く。」

Track14.レチタティーボ。
「友よ、騎士たちよ、教会へ行こう」。
「アルジーリオは参加者に挨拶し、
この婚礼がシラクーザの争いを和解させると述べる。
アメナイーデが、オルバッツァーノと結婚して裏切ったと思い、
変装したタンクレーディは、
忠誠をアルジーリオに誓い、敬意を表する。
アメナイーデは、命と引き替えにでも反抗し、
いよいよ、父の言いつけを拒む。
タンクレーディは、それを聴いて喜ぶが、
入って来たオルバッツァーノは、
アメナイーデの不忠を聴き、証拠を持って怒り狂う。」

Track15.「誰から?何故。」
「オルバッツァーノはアメナイーデが、
タンクレーディに書いた手紙が手に入ったのを見せ、
これは、秘密の恋人ソラミールを、
市中に引き入れ市を占領させようと、
彼に送ったものと考え、この背信は死に値するという。
アルジーリオは手紙を読み、
彼とタンクレーディは失望を口にする。」

Track16.
第1のフィナーレ。「神よ、何ということを。」
「アメナイーデは偽りの告発を嘆く。
そこにいた人々は恐怖をもって、この暴露に反応する。
アメナイーデは父に向かうが勘当され、
タンクレーディに向かうが、ここでも拒絶される。
オルバッツァーノは仕返しをする。
イザウラ以外はすべて手のひらを返す。
アメナイーデは、すべてが嘆きに変わる中、
牢獄へと引かれる。」

これまでのDVDで、ここで、アメナイーデが、
牢獄に入れられたものはなかった。

この部分は、このオペラの最大の見せ場と言ってもよい。
アメナイーデを中心に、
3人の男性(タンクレーディは女性が担当するが)と、
イザウラのアンサンブルが、合唱を背景に、
ぞっとするような状況を盛り上げて行く。

アメナイーデの懇願のテーマが美しく、
輝かしい一条の光となって、
この混乱の音楽を照らして行くが、
ことごとく粉砕されてしまう。

アメナイーデが、次々に嘆願をするので、
ここでは、スミ・ジョーの声が、
澄んで冴えているのが効果を上げている。
が、最初に書いたように、
音楽作りがストレートで、
あまり、陰惨な感じがしない。

これで第1幕は終わり。
第2幕以下を書くスペースがなくなってしまった。

得られた事:「ロッシーニは、アリアにメロディよりも重要な事があると考えた。それは、『魂が揺さぶられる』ような真実を目指す事であった。」
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by franz310 | 2012-03-18 14:48 | ロッシーニ
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