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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その319

b0083728_0275517.jpg個人的経験:
前回、ジェルメッティの
指揮によるDVDで聴いた、
ロッシーニのオペラ
「タンクレーディ」。
ヴェネチア初演版
ハッピーエンドも、
聴ける企画かと思ったら、
基本は、フェラーラ版で、
アンコールの一部に、
それが使われているだけだった。


しかし、今回取り上げる、ロベルト・アバド指揮、
主役にゴージャスな二人、カサロヴァとメイを揃えた、
BMG盤は、二つの版の相違の比較をコンセプトにしており、
3枚組で、収録時間が205分に及ぶ画期的代物である。

これは、日本盤も発売されたはずで、
この素晴らしく豪華なイメージの表紙を、
店頭で見かけた記憶もあるが、
買う機会を逃し、
私が持っているのは同じデザインの輸入盤である。

カサロヴァが英雄らしく剣を持ち、
メイは王女にふさわしい威厳を持って表されているが、
ショートカットなので、当時は男役かと思っていた。
バックの壁紙のテイストも冴えている。

65年生まれのカサロヴァは90年代に出て来て、
私は、ベルリオーズの歌曲集などを買った記憶があり、
69年生まれのメイは少し遅れて出て来たイメージ。
この録音が1995年なので、
彼女らのデビューしたての時期の録音。
メイに至っては20代前半ということになる。

メイの歌唱は、第1幕の最初の方(Track4)から聴けるが、
第一印象としては、まだ若いということか、声が細い。

この事は、CD2のTrack9の、
決闘の結果を待つ「神よ護ってください」でもそうで、
きれいな熱演ながら、もっと迫力が欲しい感じもする。

カサロヴァは続いてTrack6で登場。
この人も30歳かそこらであったわけで、
そのせいか、美しい声と技巧ではあるが、
それほど、英雄的な声が出ているわけではない。

Track11の二重唱などでは、
彼女らの技巧を駆使した声の綾を聴くことが出来る。
非常に上品で美しいものである。

Track16の第1幕の終曲で、
アメナイーデの嘆願のシーンがあるが、
このあたりも、
若いメイの可憐さはよく出ているが、
カサロヴァの声には、今ひとつ、
年季の入った威厳に欠けている。

しかし、このあたりは、王女の威厳も何もなく、
哀れを誘うシーンであるから、
表紙写真のメイは、もう少し、
優しそうな顔をしても良かったと思う。

アメナイーデは、特に王女として、
英雄的な行動を取るわけではなく、
運命の食い違いに、
単に翻弄されているばかりの役柄にも思える。
それに耐える、耐えるという点でのみ、
英雄の恋人にふさわしい。

この第1幕のフィナーレ、ロベルト・アバドの指揮も、
非常に見通しが良く明解で、
すべての登場人物の声が織りなす音響の魅力を、
心底味合わせてくれている感じだ。
54年生まれなので、この人も41歳の時の記録。

また、CD2のTrack12にある、
戦場に向かうタンクレーディと、
アメナイーデの別れの二重唱でも、
このメンバーらの、透明な質感、
洗練されたアンサンブルを聴くことが出来る。

第1幕がすっぽりとCD1に収まっているのも嬉しい。
また、第2幕も主要部分はCD2に収まっている。

もう一人の重要人物、
ヒロイン、アメナイーデの父アルジーリオも、
ラモン・ヴァルガスが歌っているが、
この人も1960年生まれなので、
録音当時35歳で、統治者としての威厳よりも、
ピュアな若者の声を聴かせている。

CD2のTrack7で、アルジーリオと、
タンクレーディの涙に溢れる二重唱があるが、
ここでも、ヴァルガスとカサロヴァは、
みずみずしい声を聴かせ、若者同士の場面に聞こえる。
いや、声が低い分、カサロヴァの方が、
落ち着いた年配者に聞こえる。

実際に決闘に趣くのはカサロヴァの方なのに、
ヴァルガスの方が血気にはやっている。

後で、解説に、ロッシーニの「タンクレーディ」を、
若々しくてピュアな音楽という賛辞が出て来るが、
この録音は、そんな作品にふさわしく、
全体的に若い音楽家たちによる、
新鮮で、伸びやかな、すっきりした演奏を記録したものと言えよう。

2000年に出た新書館の「オペラ名歌手201」では、
カサロヴァの代表盤になっていて、
この手の書籍には珍しく、「在庫僅少」と書かれている。

何と、この録音、改めて見ると、
ミュンヘン放送管弦楽団の演奏で、
合唱はバイエルン放送の合唱団。
改めて、ドイツ人がロッシーニに熱いことを感じた。

しかし、さすが、世界レーベルBMGで、
「ヴェネチアからフェラーラへ、喜びから悲しみへ」
という解説は当時シカゴ大学教授であった、
フィリップ・ゴセットという人が書いている。
19世紀イタリアオペラの権威である。

「作家であり、最初のロッシーニの伝記作家であった、
スタンダールにとって、
タンクレーディは、ロッシーニの素晴らしい到達点であった。
19世紀の最初の何十年かのヨーロッパの聴衆にとっては、
イタリアオペラの方向を決めるような作品であった。
ヴァーグナーは、この方向は軽蔑を持って妬んだが、
タンクレーディは、
単に『大いなる不安と苦しみの中で』
のような曲があるだけであるとして、
マイスタージンガーで、
やがて、それをからかうようになる。
一世紀にわたって演奏されなかった
ロッシーニのシリアスなオペラは、
ここ25年ほど聴かれるようになっている。
タンクレーディは興味をそそるもので、
その歴史からも興味深いものである。
英雄が死んで終わる劇が、
オペラでは、ハッピーエンドとなっている。
作曲家はこれを改訂し、悲劇の終結を書いたが、
聴衆は喜ばず、元に戻すことになった。
悲劇的終結の伝説は残されていたものの、
イタリア貴族がその私設アーカイブで、
ロッシーニの手稿を見つけるまでは、
音楽は失われたと思われていた。
彼等はペーザロのロッシーニ協会にこれを知らせ、
学者たちは、それがタンクレーディの
悲劇的フィナーレであると認めた。
そしてロッシーニ・ルネサンスの主導的歌手であった、
マリリン・ホーンがその悲劇的終曲を採用して舞台にかけた。」

ということで、
これまでも読んで来たような事が書かれている。
ただし、以下には今回のこの録音の重要さが書かれている。

「この録音は、タンクレーディの全ての音楽を収めたという、
通常の録音を越えたものである。
まず、1813年2月6日のヴェネチア初演の、
タンクレーディの第2登場アリアを含む
ハッピーエンド版をすべて収めている。
また、ここには、悲劇的終曲を持つ、
同年3月の終わりにフェラーラで再演された、
新しい音楽もすべて収めた。」

ということで、前回のジェルメッティ盤のように、
フェラーラ版に、ちょろっとヴェネチア版を、
垣間見せたものではない。
この「all the music」を繰り返すのが圧巻だ。

「ヴェネチア:
スタンダールのメモには、
ロッシーニのタンクレーディの
『処女作の素直さ』があると書き、
『タンクレーディの音楽で心を打つのは、
その若々しさゆえである・・・
すべてはシンプルで純粋だ。
ここには過多なものが一切なく、
その素朴さ故に天才的である。』
これは文字通り、また、象徴的にその通りで、
まだ21歳の誕生日も祝っていない若者が書いたもので、
タンクレーディはロッシーニの
最初の重要なオペラ・セリアなのである。
1810年から1813年のはじめまでは、
作曲家はそれほど忙しくなかった訳ではなく、
9曲もオペラを書いている。
ヴェネチアのサン・モイーゼ劇場のために、
5曲のファルサ(一幕ものの喜劇または感傷もの)を書いたが、
この街はこうした活動の中心地であった。
しかし、ロッシーニが名声を確立し、
全欧州に飛躍するキャリアの出発点は、
タンクレーディをフェニーチェ劇場で上演した時であった。
ガエターノ・ロッシのリブレットは、
1760年パリで上演された悲劇、
ヴォルテールの『タンクレード』によるものだった。
ヴォルテールの劇の悲劇的終結部は、
台本作家にもイタリアの聴衆にも、
当時のイタリアオペラにはふさわしくないものと思われた。
そこで、ロッシは、タンクレードの終末部のために、
ハッピーエンドを持って来た。
タンクレーディはヴェネチアで好評を博した。
素晴らしいメロディの才能と、
形式の明解さへの類い希なるセンス
(そして、それが、幅広く技巧的な装飾を可能とした)
オーケストラの創意に富む陰影
を統合したのが、
ロッシーニの新しいスタイルだった。
ロッシーニは美しいパトスの動きと、
エネルギーと情熱を対照させたシーンを作り、
セクションを組み立てた。
恋人たちに二人の女声を使ったことで、
(評判の悪いカストラートの声に代わって、
メゾソプラノに英雄役を当てた)
ロッシーニはベルカントオペラの中心となる、
女性たちのアンサンブルの手法を完成させた。
その成功にも関わらず、
ヴェネチアでのタンクレーディの公演は、
問題がなかったわけではない。
聴衆はいろんな事を目撃した。
本来のタンクレーディ役、
アデライーデ・マラノッテの病気によって、
第2幕の最後に行く前に、
初演のカーテンを下ろさねばならなかった。
オペラの全曲が演奏された時でも、
グランシェーナでの、
タンクレーディのオリジナルアリア(No.16-iii)は、
明らかにヴェネチアの聴衆の満足は得られず、
レビューは沈黙していた。
そして、ロッシーニの手稿には、英雄役のために、
二つの異なるカヴァティーナ(登場のアリア)がある。
『大いなる不安と苦しみの中で』は、
より、手の込んだ作品であって、
『愛の甘い言葉』は、おそらく、
オリジナルのカヴァティーナがいかに有名になるか、
分からなかったマラノッテの
リクエストで書かれたものであろう。」

いきなり、「愛の甘い言葉」とは、なんぞや、
と思われるのだが、
タンクレーディ登場シーンには、
もう一つのアリアが用意されていたようで、
実は、このCDには、この曲も、
CD3の最後(Track16)に収められている。

これは、ヴァイオリン独奏の技巧的なオブリガードを持ち、
パガニーニのヴァイオリン協奏曲の中間楽章みたいな感じ。
主役のワガママは、こんなところまで及んだのだろうか。

9分41秒の大曲で、導入部や、繋ぎの部分は、
ほとんどヴァイオリンが主役、
この楽器で盛り上げた後で、
英雄登場という計算だったのだろう。
なだらかで美しいが、大人しく、
『大いなる不安と苦しみの中で』のようなドラマはない。

カサロヴァの声を堪能できるが、
ど迫力を繰り出すたぐいのものではない。
というか、カサロヴァが、その気を持っていないのかもしれない。
最後もヴァイオリン助奏が盛り上げる。

以上で、「ヴェネチア」と題された部分は終わり。
いよいよ、問題のフェラーラのお話。

「フェラーラ:
ヴェネチアのシーズンが終わると、
ロッシーニとマラノッテは、
受難節の間、このオペラの新版を上演した、
フェラーラに移った。
このリヴァイバルのための変更は、
ある意味、意味があるもので、
ブレシアの文人一家の一人で、
マラノッテに愛情を抱いていた、
作家のルイジ・レッチの存在があった。」

このフェラーラとブレシアの位置関係を、
ここで整理しておくと、
右にミラノ、左にヴェネチア、
そして下にフィレンツェを点にした逆三角形の、
ミラノとヴェネチアの間がブレシア、
ヴェネチアとフィレンツェの間がフェラーラである。

また、下記フォスコロは、
近代イタリア最初の批評家と言われている人である。

「フォスコロや多くの文学者の友人であったので、
レッチが、おそらくヴォルテールの、
より筋の通った悲劇的結末に、
タンクレーディを戻すようアドバイスしたのだろう。
あるいは、ヴェネチアでの、
アリア『どういうことだ、どう答える』の、
良くも悪くもない反応のせいかもしれない。
ロッシーニが最終的にオペラの終結部を決めたのであろう。
この環境もあって、新しいフィナーレを持つ、
フェラーラ版は、ロッシーニの作品にとっても、
イタリアオペラにとっても、特別な重要性を獲得した。
1970年代中頃まで、この再演については、
たった二つのドキュメントしか残っていなかった。
印刷されたリブレットと、
フェラーラでのオペラ失敗を、
ヴェネチアで広めようとして、
3月27日にヴェネチアで出版された、
短い辛辣な記事である。
これらから、フェラーラ版を再構築することができた。
第1幕のアメナイーデとタンクレーディの
デュエット(No.5)は削除され、
そこにオリジナル第2幕の
デュエット(No.14)が挿入された。」

ここで書かれていることは、
筋がめちゃくちゃになりそうで、
かなり理解に苦しむが、
おそらく、歌詞からだけだと、
どんな状況か分からず、
どうにでもなったのかもしれない。

No.5のデュエットは、
戻ると殺される時に、
タンクレーディが戻ってきて、
アメナイーデが狼狽するもの。
No.14のデュエットは、
サラセンとの戦闘を前にした二人の別れの歌である。

いずれも、困った恋人たちの歌、
であることに変わりはないということか。

「第2幕の最初の2個所が変更され、
アルジーリオのレチタティーボとアリア(No.8)が省略され、
アメナイーデのカヴァティーナ(No.10)が、
新しいもの『ああ、私が死んだら』に変更された。
この部分は、フェラーラにおけるアメナイーデ、
フランチェスカ・リッカルディ・パイアのためのものだろう。」

ということで、このCDでは、この曲も聴ける。
CD3のTrack15である。

この曲は、3分ほどの感傷的な小唄で、
時折、高い声やコロラトゥーラを聴かせるが、
ドラマから切り離された感じで、
いかにも追加で書かれた感じがする。

「新しい悲劇的フィナーレを導くために、
ドラマ的に筋を通すために、
オペラの最後により重要な変更が加えられた。
ヴェネチア版では、タンクレーディは、
サラセン軍と遭遇する、
エトナ山の麓の寂しい場所から、
彼のグランシェーナを始める。
サラセン兵は、
勝利がすぐであることを告げるので(No.16-ii)、
タンクレーディは、彼等から、
それほど遠くないところにいることが分かる(No.16-iii)。」

何と、この部分、ヴェネチア版の方が自然である。
やはり、この部分のコーラスは、エキゾチックで、
サラセンのものだったのだ。
フェラーラ版では、同じメロディで、
仲間たちの捜索の音楽にされている。
(CD3のTrack2「騎士の歌」と、
Track10「サラセンの歌」で比較できる。)

この歌は聞き慣れたものと歌詞が違うが、
「ササリア、ササリア」というのが耳に付く。
「攻撃、攻撃」と言っているようだ。
それ以外は、このヴェネチア版も大きな違いはない。
が、以下のCD3のTrack11あたりから、
違いが目立って来る。
アルジーリオが一緒になって、
娘のアメナイーデの味方をしているからである。

「アメナイーデとアルジーリオが、
彼を捜しに来ると、
タンクレーディはアメナイーデが、
ソラミールのところに来たと非難する。
しかし、アルジーリオが、
アメナイーデは、罰せられたタンクレーディの名前を、
語る勇気がなくて行動したと説明する。」

CD3、Track12で、だんだん、
怪しいサラセンのどんちゃん音楽が聞こえて来る。

「英雄は、サラセンの戦士たちの、
戦闘的な音楽が聞こえて来ると、
ほとんど、それを信じ始めているが、
サラセンの兵士らは、
アメナイーデをソラミールとの結婚を、
平和の証にしようと騒ぐ。」

サラセンの兵士を表すコーラスと、
タンクレーディが、交渉している感じが面白い。

「これによって、改めて、
アメナイーデがワルであることを
確認したタンクレーディは、
彼女をそのアリア
『どういうことだ、どう答える』(No.16-iv)で拒絶する。」

なお、このフレーズ、前半は、
アルジーリオに対しての暴言であり、
後半は、アメナイーデに対する詰問である。
CD3のTrack12、
1分40秒あたりである。

3分あたりでは、合唱が、
シラクーザは陥落するから、
恐れるがよいと叫ぶ。

すると、いきなり、タンクレーディが、
「これが、あなたが約束した信義だというのですか」
という抒情的なアリアを歌い出す。

そこにサラセンの兵士たちが、
「ソラミールがやっつけるぞ」と、
大騒ぎを差し挟む。
サラセンと一緒にタンクレーディ一党も行ってしまう。

「そして、サラセン軍に向かって、
ソラミールとの戦いを仕掛ける。」
と解説にある部分か。

CD3、Track13.
この緊迫した状況下、「行っちゃった」とか、
アメナイーデとアルジーリオとイザウラは、
いくぶん、呑気なレチタティーボを歌っている。

「アルジーリオもそれに続き、
アメナイーデとイザウラが
遠くの戦闘の響きを聴いている間、
いなくなっている。」

ここに遠くの戦闘とあるが、
チェンバロがぼろぼろぼろんとやっているだけである。

しかし、このように、戦闘中に女たちが、
そわそわするシーンは、
シューベルトの「フィエラブラス」でも見られた光景。
それにしても、シューベルトが若い頃に受けた、
ロッシーニ体験は、
かくも大きな影響を残したということだ。

「二人の英雄はすぐに戻ってきて、
タンクレーディはソラミールを倒し、
死に行くソラミールは、
アメナイーデの無実を語り安心させていた。」
とあるが、あっけない程、
このレチタティーボですべて解決している。

CD3、Track14.
解説にあるように、
「ハッピーエンドが続く。」

このあたりからは、この前、
ジェルメッティ盤で見たアンコールに相当するのだろう。

アメナイーデ、アルジーリオ、そしてタンクレーディが、
「すべての取り巻くものが、
喜びと幸福を言祝いでいる」と楽しげに歌い上げる。
このメロディは、合唱やオーケストラの興奮もあって、
非常に爽やかなものだが、
いくぶん、常套的でパンチが欠ける。

第1幕の長大な劇的フィナーレの後では、
この3分ほどのお座なり音楽では、
いかにもバランスが悪いのではなかろうか。

しかし、ヴィーンの人などは、
こちらの版を楽しんでいたはず。
シューベルトもこれを聴いて、
フェラーラ版があることなど、
知らなかったかもしれない。

シューベルトの「アルフォンゾとエストレッラ」でも、
フィナーレが軽すぎるような気がしたが、
シューベルトにとって、ある意味、
このタンクレーディ(ヴェネチア版)などが、
理想の形として映っており、
それを、何とか真似したいと思っていた可能性はある。

とにかく、以上が、
ヴェネチア版最後の部分のあらすじ。
これはたまげた。
ソラミールが死にながら語った事を聴くまで、
タンクレーディはハッピーエンド版でも、
アメナイーデのみならず、
アルジーリオをも疑っていたということだ。

ソラミールが倒される時、
あんなにいたサラセン兵は、
何をしていたのだろうか。

「新バージョンでは、サラセン人たちは、
タンクレーディの正体を知った
シラクーザの人々に置き換えられている。
彼等は、タンクレーディをサラセン対抗のため、
指揮を執って欲しいと願う。
コーラス(No.16-iia)の後、
アメナイーデとアルジーリオが現れる。
タンクレーディはオルバッツァーノを倒してから、
初めて恋人と会う。
(もともとのデュエットNo.14が、
第1幕に動かされていることを思い出して戴きたい。)」

しかし、これまで聴いたフェラーラ版の演奏は、
どれも、ここまでは改変していなかったのではないか。
コッソットの盤でも、第2幕に歌われている。
そもそも、ここでは、タンクレーディは、
命を救ってやった、とか言っているはずだ。

「そして、彼女を、
ソラミールのキャンプに行かせようとする。
彼女の言葉も虚しくタンクレーディは遮る。
彼は、彼女の国を護るが、
これ以上、彼女と一緒にしたいことはないという。
彼の新しいロンド(No.16-iiia)
『何故、私の心を乱すのか』では、
彼は、何故、この裏切り者の女が、
かくも深く、自分を動揺させるのかを問う。
アメナイーデの涙に動かされながらも、
彼は、兵士らと戦場に向かう。」

確かに、どう考えても、こちらの展開の方が、
ドラマ的には筋が通っている。

「新しいフィナーレでは、
アルジーリオは一人戻って、
シラクーザの人々は勝利したが、
タンクレーディは命を失うほど、
傷ついたと報告する。
合唱と共に、英雄が運び込まれる(No.17a)。
苦痛の中で、タンクレーディはアメナイーデの名を呼ぶ。
アルジーリオは、アメナイーデの手紙は、
彼に宛てたもので、ソラミール宛ではない、
彼女はずっとあなたを愛していたのだと説明する。
タンクレーディに死が近づくと、
恋人たちの結束がアルジーリオによって祝福される。
そして、妻に別れを告げながら(No.18a)、
彼は息絶える。」

これまで聴いた演奏は、いずれも、この版であったが、
このCDは、このバージョンが、
まずCD3の最初(Track1~8)に入っている。
これまで、ずっとこれで聴いて来たせいか、
この流れの方が、オリジナルではないか、
と思えるくらい自然である。

「悲劇的フィナーレの発見は、
フェラーラ版の再構成を可能とした。
これによって、傑出して、
いろいろな意味で思いもよらない
ロッシーニの音楽的個性の見方が分かった。
フェラーラ版への彼の変更は、
タンクレーディにすぐ続く、
彼の最初のオペラ群を支配していたものとは違って、
ドラマトゥルギーへの傾倒があることを明らかにした。
ルイジ・レッチ、そして、
彼が属していた、新古典的な文化圏との出会いが、
この新しい方向が決定的に影響した。
ヴェネチアでの寸評によれば、
このフェラーラ版の悲劇的終曲は、
フェラーラの人たちに好まれなかったようである。
明らかに、こうした実験に耐えるには、
イタリアはまだ十分に熟していなかった。
現代の上演では、しかし、フェラーラ版の
美しさや大胆さを明らかにしている。
そして現代の録音技術の栄光は、
タンクレーディの二つの終結の、
喜びと悲しみを、共に、我々に経験させてくれる。」

それにしても、貴重な録音であった。
異稿も含めての「タンクレーディ」2版、
聞き分け企画、非常に楽しめた。
表紙も格好良いし、演奏も透明度が高く、
スタイリッシュだ。
もう少し、野卑な感じが欲しいような気がするほどに。

得られた事:「シューベルトのオペラの印象的な部分の源泉が、この『タンクレーディ』(ヴェネチア版)のあちこちに見える。」
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by franz310 | 2012-03-11 00:30 | ロッシーニ
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