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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その318

b0083728_1452725.jpg個人的経験:
ロッシーニのオペラ
「タンクレーディ」は、
ハッピーエンドの版と、
悲劇的結末の版の二つがある。
これは生真面目な見方をすると、
極めていい加減な創作態度の
決定的証拠にも見えなくもない。
最後がどのような結末になるかで、
最初の一音から
そこに向かって動き出すべきだ。


例えば、ベートーヴェンの第5交響曲など、
小節数まで厳密に計算されて、
精密に作られているとする研究家もいる。

が、そのようなストイックな考え方は、
ひょっとすると、芸術の不文律でも
なんでもないのかもしれない。

例えば、シューベルトの「未完成交響曲」。
シューベルトは終楽章のイメージまで持って、
作曲を始めたかどうか怪しいものである。

さて、ロッシーニの「タンクレーディ」は、
もともとのヴォルテールの原作にふさわしく、
悲劇的結末の方が主流になっているようである。

が、その流れに対し、
ハッピーエンドと悲劇的結末を、
両方、味わって貰おうという取り組みも多い。

1992年のシュヴェツィンゲン音楽祭で収録された、
今回の映像は、指揮をしているのが、
ロッシーニの一方の権威である
ジャンルイジ・ジェルメッティであるのも嬉しい。
しかも、このDVD、日本語字幕付きである。

パイオニアから出ていたものだが、
表紙の画質に関してだけは問題があり、
海賊版に思える程に劣悪である。

いかめしく武装した男たちがうろついており、
左下に倒れている人も見える。
解像度が低すぎて、
何がどうなっているのか、よく分からない。

一応、断っておくと、DVDそのものの映像は、
何ら問題ないものである。
前回見た、DENONのバルチェッローナ盤より、
もとの舞台自体が美しいような気がする。
が、ヒロイン、アメナイーデの父親、
アルジーリオは、先の盤と同様、
ヒメネスが受け持っている。

このアメナイーデ役には、
人気のマリア・バヨが当たっており、
タンクレーディは、
ベルナデッテ・マンカ・ディ・ニッサが歌っている。

このバヨもディ・ニッサも、
新書館の「オペラ名歌手201」の、
PLUS68の歌手に入っていて、
前者後者とも、この92年の「タンクレーディ」で、
「絶賛された」とか「見事な役を果たした」
みたいな紹介がなされている。

このDVD、日本語解説も読み応えがあり、
永竹由幸という人が書いている。
(昭和音大教授の前に、
ANFコーポレーションなどの社長もやっていた、
実業界出身の人らしい。)
つまり、
1.原作者ヴォルテールと「タンクレディ」
2.ロッシーニの音楽の魅力
3.では何故19世紀後半から忘れられ百年後に復活したか?
という3部からなり、
主人公はヴォルテール自身だという事や、
王朝批判が、この劇の目的だという説なども肯ける。

ロッシーニは、オペラ・セリアの伝統のカストラートではなく、
似た音色の女性低音歌手にタンクレディを歌わせ、
アメナイーデはソプラノとして、
「天国的な美しい二重唱を作曲した」としている。
アリアもリズミックでなじみやすい音楽になっているという。

ロッシーニの音楽は装飾が華美な、
無内容の音楽として忘れられたが、
ワーグナーの音楽が軍国主義と重なり、
戦争の後、ロッシーニが復活した、というのである。

この解説を書いた人は、実際に、
シュヴェツィンゲンでこの上演を見たらしいが、
その王宮劇場を「美の極致」と書いて、
視聴者を羨ませがらせ、
「タンクレーディ」がフェラーラ版で死んで終わった後、
オリジナルのヴェネチア版のエンディングも、
何と続けて上演された事を報告、これを、
「遊び心を持つ人にしかわからない美の極致」
と評している。

このシュヴェツィンゲンでのロッシーニと言えば、
1989年5月の「結婚手形」、「ブルスキーノ氏」、
1990年5月の「絹のはしご」(ハンペ演出)が、
LDにあって、以前、ここでも紹介したが、
同様にロッシーニ音楽祭のものとされる、
ジェルメッティ指揮の
1992年5月の「なりゆき泥棒」もDVDで出ている。

同じ1992年、同じシュヴェツィンゲンのロココ劇場で、
これらより大きなオペラが、
同じ指揮者、同じオーケストラ(シュトゥットガルト放送響)で、
収録されていたということだ。

こちらは、ハンペではなく、
何と、この前のバルチェッローナ盤と同じ、
ルイージ・ピッツィの演出である。
だから、タンクレーディは、ここでも赤い装束なのか。
タンクレーディ登場の部分の演出も、
1幕最後に主役級がどんどん前に集まって来る部分なども、
そういえば、前に見たDVDに似ている。

ちなみに、バルチェッローナ盤は、
フィレンツェ歌劇場で2005年の記録で、
13年が経過している。

ただ、この92年版の方が、
由緒ある劇場の格調の高さや場の力ゆえか、
いっそう凝った感じで、同様に暗めの場面基調ながら、
色彩が豊かで陰影や深みがある感じがする。

年を経て、予算の関係もあるのだろうか、
もともとシンプルな舞台で有名だった彼が、
単純化の方向に向かっているような感じはする。

演技の方も、92年版の方が動きも多く、
ダンスやパントマイムも多用され、
ごちゃごちゃとした豪華な感じが醸し出されている。

ちなみに、映像があるとどうも気になるが、
イザウラ演じる、カタルツィーナ・バックという人も美人だ。
イザウラの衣装ひとつ取っても、
2005年は、まるで古代ギリシアの衣装のように、
白い簡素なものであるが、
1992年のものは、中世風というか、ベルサイユ風というか、
生地のたっぷりした、重そうな青い服を着ている。

そもそも11世紀のお話にしては、
彼やアルジーリオがつけている襞襟(ラフ)は、
このあたりの時代考証を気にする人には、
違和感があるかもしれない。
その意味では、フィレンツェ版の方が、
兵士も王族もそれらしいシンプルさで説得力がある。

先のイザウラ役のスタイルは良かったが、
アメナイーデが演じるマリア・バヨもほっそりとして、
楚々とした感じで、三人の男から言い寄られ、
運命に翻弄されるヒロインにはふさわしい感じである。

が、ひときわ高いところから現れて登場する、
フィレンツェでの演出のアメナイーデも威厳がある。
こちらの方が誇り高い王女の感じが出ている。
同じ演出家でも、登場人物の性格描写が、
揺れ動いている感じがした。

登場シーンでは、アメナイーデは、
みんなに語りかけるような部分と、
心に秘めたタンクレーディへの思いを交互に歌うが、
このような複雑な内容を歌うには、
新版演出のシンプルさが好ましい。

ただし、第1幕の終わり近くで、
アメナイーデが、自分の無実を、
父、恋人、求婚者の順に訴えていく場面では、
「もはやお前の父ではない」
「恥を知り死ぬがいい」
「恐怖に震えて死ぬのだ」と、
まず言われる。

コーダで盛り上がって行く所でも、
再度、合唱が盛り上がる中、同様の懇願があるが、
ここでは、
「立ち去れ」、「無理だ」、「死んでしまうがいい」と、
次々に見放されるシーンがあるが、
1992年のシュトゥットガルト版では、
華奢なイメージのバヨが、
よろめきながら見放され、妙に心を打つ。

舞台の色彩や陰影の深さ、
テンポ感もカメラワークも良いのかもしれない。

最後にイザウラだけが、彼女を抱いて受け入れるが、
シュトゥットガルト版のバックの歌はいかにも弱く、
フィレンツェ版のディ・カストリが、
「あなたの味方、どんな運命にあろうとも」
と、力強く訴える所はぞくぞくした。
この部分は、一瞬であるが、やはり、体勢批判としては、
たいへん重要なポイントに思える。
難しいものである。

音楽としては、オーケストラも、
フィレンツェのものの方がしなやかで軽く、
今回のシュトゥットガルトの方が、
メリハリが効いて推進力もパンチもあるが、
これは、ジェルメッティの指揮によるところが大きいだろう。

序曲のロッシーニ・クレッシェンドも、
じゃんじゃか豪勢で、テンポも壮快だ。
とはいえ、第一部の大詰めなども緊迫感があるが、
フィレンツェでのフリッツァの指揮も、
色彩感と解放感があって悪くない。

あと、これらのDVDでは、トラック割もかなり異なる。
第1幕が、DENONの方は、20部分に分けられているが、
パイオニアの方はわずか8部分にしか分かれていない。

では、各トラック順に見ていこう。
Track1はオープニングで、
シャンデリアが大写しになって、
スポンサー名などが出ている。
Track2.で序曲。
ジェルメッティが指揮を始めるところから写され、
各楽器のソロの部分が順次見せてもらえる感じ。
全体的に黒々とした集団ながら、
肩を出したフルートの女性が気になる。
ネット検索したところ、
タティアナ・ルーランドという人と判明。
日本にもよく来ている感じ。
http://www.tatjana-ruhland.de/

Track3.第1曲、導入。
舞台は、背景に海が見える暗い室内。
「平和よ、栄光よ、忠誠よ、愛よ」は、
合唱とイザウラのメゾによるシラクーザ内、
内紛和解の音楽。
バックの声は、ドラマチックではないが、
落ち着いて上品な感じ。

そこに二人の権力者アルジーリオと、
オルバッツァーノが現れ、
期待通りの力強い歌唱を聴かせる。
音楽はテンポを速め、共通の敵である、
ムーア人(サラセン)との戦いを予告する。

彼等は祖国のために力を合わせると誓う。
ここで、タンクレーディもやっつけるべきだ、
とオルバッツァーノが言っている点がポイント。
彼等は、後で決闘することを暗示している。

Track4.第2曲、合唱とアメナイーデのカヴァティーナ。
「この良き日、空も晴れ渡る」では、
まず、合唱が和解の日にふさわしい、
朗らかな声を聴かせ、舞台上では、
優雅なダンスが始まる。

実際、舞台を見た人は、そのゴージャスさに、
思わず目を光らせたはず。

アメナイーデが父に手を引かれ登場。
「喜びに沸く我が胸」と歌って、
マリア・バヨの澄みきった声が堪能できる。
彼女は、ここで、こっそり、
「愛しき恋人よ、いつ戻るのですか」などと、
タンクレーディの事を考えている。
悲劇が暗示されている。

後半は、オペラ・ブッファ的なリズム、テンポになって、
一気に音楽を高めていく。

しかし、何と、いきなり、父アルジーリオは、
アメナイーデに、このオルバッツァーノと結婚せよと言い、
相手の方ものりのりである。
が、アメナイーデは一日、結婚を伸ばして欲しいという。

Track5.第3曲、タンクレーディの
レチタティーボとカヴァティーナ。
「おお、我が祖国よ」。
小舟からタンクレーディが小舟で降り立つ。
ベルナデッテ・マンカ・ディ・ニッサが、
祖国やアメナイーデを思う。
「輝ける魂と愛」などと美化しすぎていて、
裏切られた時のショックが大きくなるようになっている。

フルートの独奏と共に、
「大いなる不安の日々は去った」として、
再会に胸ときめかせるアリアが歌われる。

これは、前回、紹介した、リゾット・アリア。
ロッシーニがリゾットを注文し、
待っている間に書いたものとされて、
ヴェネチアで大ヒットしたもの。

ディ・ニッサのりりしい表情で歌われる、
この名曲は、その声の豊かな響きもあって、
かなり満足度の高いものだ。

それから、ロッジェーロに、
アメナイーデへの言伝を頼む。
そして、シラクーザの義勇軍として参加する事を、
仲間に告げる。

その間、アルジーリオは、アメナイーデに、
明日は戦いだから、さっさと結婚だ、
と告げている。
タンクレーディなどは帰って来たら、
殺されるだけだ、と言っている。

Track6.第4曲、アルジーリオのレチタティーボとアリア。
「元老院は祖国の敵には死刑を下す」。
ここでは、ベテラン、ヒメネスの安定した声がききものだ。
音楽は、様々なテンポやメロディで移ろい、
「祖国と父を思え」と、高らかにアメナイーデ説得を試みる。

ここで、アメナイーデは、タンクレーディに手紙を書いた事を悔いる。

Track7.第5曲、レチタティーボと二重唱。
「最悪の時に戻ってしまったのよ。」

ここがややこしくなる始まり。
アメナイーデは、現れたタンクレーディに驚き、
素直に喜ばないで、「時が変わった」とか言って、
さっさと自分の心を伝えない。


タンクレーディが愛を語るのに対し、
アメナイーデは、「父の命令を」とか嘆くばかり。
二重唱は、解説にあった、ソプラノとアルトによる、
美しいものであるが、これでは、気持ちはすれ違うばかり。
「悲嘆にくれて生きるのね」と、嘆くばかり。
「話してくれ」、「脅さないで」と応酬があって、
「神様、この恋心は報われるのでしょうか」などと、
二人で情報を共有して、
対策を協議するような前向き指向にはならない。

Track8.第6曲、合唱。
「愛と歓喜、甘美さ、そして心からの忠誠よ」は、
戦場に向かうオルバッツァーノを讃え、
アルジーリオは、教会で結婚式だ、とか言っている。
そこにタンクレーディが、
義勇軍として参加する旨、申し出る。
それを受け入れるアルジーリオは、
しかし、婚礼の事ばかり考えている。
アメナイーデは、不幸な結婚をさせないで、
と懇願する。

Track9.ここからが第7曲。
オルバッツァーノが、アメナイーデが出したとされる、
手紙を持って来て、彼女を裏切り者だと宣告する。

彼は、サラセン軍の誰かに出したものだと誤解しているが、
よく考えると、タンクレーディに出したものだと、
よけいにオルバッツァーノはむかつきそうだ。

Track10.音楽が俄に緊張感を増し、
第1幕の終曲になだれ込んでいく。

このあたりについては、先に、情報を出した。
かなりいろんな声が交錯するが、
バヨの声が、この混沌の中にも響くのが嬉しい。
全編を通じて、バヨの存在感が際だったシーンである。
ロッシーニの音楽も冴えており、
雄渾なアメナイーデ嘆願のメロディが、
縦横無尽に駆け回り、
素晴らしい効果を上げている。

コーダの手探り前進の部分は、
圧倒的に音楽が盛り上がり、
何度見ても見飽きることがない。

以下、第2幕である。
Track11.レチタティーボ「君は見たか」。
オルバッツァーノとイザウラの論争。

Track12.アルジーリオのレチタティーボとアリア。
「神よ、残酷にもとまどいを感じている。」

アルジーリオが娘の死の宣告に署名するシーン。
このパイオニア盤の方が、
父親がくよくよと悩むのが克明に描かれている。
「手が震え、恐怖に凍る」という、
アルジーリオの様子が、これでもかと描かれる。
「父親としての愛情がすすり泣く」とか、
ヒメネス効かせどころの歌唱を、
合唱が、静かに、相反する二つの声を補助する。
「慈悲をこえ」、「祖国のためだ」と。

「恐ろしくも娘はもうすぐ死ぬ」と繰り返す様子から、
「裏切り者は皆殺しだ」という錯乱したアリアとなる。
後奏のオーケストラも盛り上がり、拍手喝采である。

このあたり(第8曲)は、
DENONのフィレンツェ盤では、
省略されていたのではないだろうか。

再び、イザウラとオルバッツァーノの論争を経て、
Track13.第9曲、イザウラのアリア。
「希望は哀れなるものに力を」。
クラリネット序奏を持つ美しいものであるが、
このバックという歌手は上品に歌い、
声量にも限界を感じ、ドラマティックな歌い手ではない。

Track14.第10曲、導入~
アメナイーデのシェーナとカヴァティーナ
「ついに私の不幸な人生は終わりを告げるのね」。
パントマイムで、アメナイーデが、
友人たちに別れを告げている。
暗くてよく見えないが、牢獄となる。
音楽が強烈な音詩となって、雄弁な前奏曲を奏でる。

バヨがレチタティーボを歌い始めるが、
ソプラノながら影のあるこの人の声は、
なかなか強く訴えるものがある。

「死など怖くない、愛する人のために死ぬのですから」
とアリアでは、歌っているが、
彼女は単に誤解されて死ぬのであるから、
実際は、こんな心境にはならないような気がする。
とはいえ、音楽は、甘美に、
「いつかは分かってもらえる」、
「涙を流してもらえるでしょう」と殊勝な点を捉えている。

Track15.レチタティーボと二重唱
「アルジーリオ、抱擁を」。

悪役オルバッツァーノが死刑を急ぐ中、
かっこよくタンクレーディが決闘を挑むシーン。
タンクレーディをアルジーリオがかき抱く。
このマンカ・ディ・ニッサのタンクレーディ、
私は、深さを持っていて、なおかつ澄んだ声といい、
颯爽として毅然とした表情といい、
私は、たいへん満足している。

バルチェッローナは丸々と恵比寿顔で、
ちょっと、緊迫感では不利である。
ただし、彼女の方が、声量と伸びがあるのであろう。
このシーンなどでは、テノールと張り合っている感があった。
が、マンカ・ディ・ニッサには、声に澄んだ張りがあって、
声量ではなく音色の多彩さで、
この重要な二重唱に対応している感じであろうか。
ただ、舞台的には、フィレンツェの方がすっきりしている。

Track16.第12曲、
アメナイーデのレチタティーボとアリア。
「神よどうか、勇敢なるものをお守り下さい。」
このバヨも同じような感じであろうか。
細身ゆえ、ばばっという圧倒感はないが、
繊細な声の操りで聴かせる。

決闘の結果を待つこの悩ましい部分から、
歓喜に到る素晴らしい効果を持った部分、
ロッシーニは、合唱も巧みに織り交ぜながら、
オーケストラも雄弁にドライブして、
「試金石」同様の愉悦に誘ってくれる。

バヨの歌唱にも大きな歓声が上がる。

Track17.第13曲。
合唱「皆の者よ、勝者に喝采を」。
タンクレーディの凱旋であるが、
合唱の豊かさが耳をそばだたせる。
タンクレーディは、何と木馬に乗って現れ、
それに応えるが、陰影のある歌声が、
男声合唱に、微妙なコントラストをなす。

Track18.第14曲。
レチタティーボと二重唱「一体なぜ来たのだ。」

タンクレーディは、早くもこの地を離れ、
次の戦い(サラセンとの決戦)に向かうことを決意している。
アメナイーデが現れて、引き留めるが、
ややこしい事に、まだ誤解が続いている。
「誘惑するなら、別の男にしてくれ」とか、
ひどい言葉ばかり聞かされる。

ここからが、解説者も書いた、
天国的なソプラノとアルトの女声二重唱であるが、
これは、ペルゴレージの
「スターバト・マーテル」で聴いたような美学であろう。
ロッシーニは、この二重唱を慈しむような、
ピッチカートと木管による繊細な伴奏を付けている。
夢見るようなひとときから、
激烈な別れの二重唱に入り込むが、
ここでは、ロッシーニの音楽は何故か、
聴衆の期待を裏切って、軽妙なリズムを採用。
軽さによる推進力を高めながら、
「あなたはひどい人」で終わる、
二重唱の醍醐味を味合わせてくれる。

ここでタンクレーディの従者、友人か、
ロッジェーロが現れる。

Track19.この人のアリア。
「愛の光よ戻ってきておくれ」。
マリア・ピア・ピシテッリという美人ソプラノが、
独特の曇りのある声を聴かせる。

Track20.第16曲の導入、
タンクレーディのシェーナとカヴァティーナ。
「私は今どこに」。
ここでも、ディ・ニッサの深みとこくのある声が嬉しい。
タンクレーディは、森の中で逍遙しているのである。
しかし、「今どこに」と言いたいのは、
こっちの台詞である。
サラセン軍に斬り込んだのではなかったのか。
洞窟みたいなところにいる。

Track21.合唱、
「この街は恐怖に溢れている」は、
サラセン軍に攻囲されているからである。
英雄タンクレーディがいれば何とかなる、
と彼等は主人公を捜す。

Track22.タンクレーディのシェーナとロンド。
アメナイーデが、タンクレーディを探し当て、
再び、恋人たちのややこしい状況が蒸し返される。
「汚れた不貞の行いを悔いるがよい」とか、
マイナスオーラが飛び散る台詞ばかりが連呼され、
耳が汚れそうだが、これがオペラなので仕方がない。

「さあ出陣だ」と合唱が叫び出すので、
タンクレーディのアリアも熱を帯び、
「試金石」を思わせる幾分朗らかなメロディで、
「誰が知るだろう、熱い恋の苦しさを」と熱唱した後、
テンポが速まり、「勝利へ向かい兵を進めよ」という、
コーダへと滑り込んでいく。
サラセンを攻撃するため、
「出陣だソラミールを倒そう」という合唱と、
「恋の苦しみ」が交錯し、タンクレーディは退場。

アメナイーデは泣き崩れて倒れている。
続いて、父アルジーリオも飛び出して行く。
戦闘が始まったというイザウラの言葉と共に、
何故か、アルジーリオが戻ってきて、
勝利はしたがタンクレーディは倒れた、という。

Track23.合唱、「勇敢なる勝者の最後だ」と、
「海のごとく血を流した」タンクレーディを運んでくる。

タンクレーディは舞台中央に寝かされている。
アメナイーデが駆け寄る。
「私が分かりますか、その眼差しを向けて」というと、
まだ、タンクレーディは、
「私を裏切った女よ」とか言っている。
しかし、アルジーリオも一緒になって、
アメナイーデの愛を保証すると、
いきなり、反省する。

Track24.タンクレーディのレチタティーボと
カヴァティーナ・フィナーレ。
「わたしはそなたを置いて去る」。
息も絶え絶えに、
自分は死ぬが、「祖国と妻を置いていく」という。
しかし、まだ音楽が終わっていないのに、
鳴り始め出す拍手はいかがなものだろうか。

長い拍手シーンが収められているが、舞台の高い所でお辞儀、
さらに前面に降りてきてお辞儀という感じ。
さすが、ダルカンジェロ、ヒメネス、
バヨ、ディ・ニッサは拍手が大きい。

Track25.
登場人物と共に、ジェルメッティも舞台に上がるが、
舞台の横で、「ハッピーエンドもロッシーニは作っている」
と説明した後、その場所から指揮を始め、
楽しい別フィナーレが始まる。

アメナイーデ、アルジーリオ、タンクレーディに、
イザウラも交えての、
「溢れる歓喜と幸福」に溢れた明るい終曲が、
約3分、アンコールのように演奏されている。

という事で、このDVDも、決して、
二つの版を収めたものではなかった。

正確に書くと、フェラーラ版を演奏した後、
ヴェネチア版の最後をアンコール形式で紹介した、
という感じであろうか。

得られた事:「『タンクレーディ』のハッピーエンド版を、アンコール風に利用した上演の記録。主役二人の声に満足。」
「戦争に勇者を送り出す前に、娘を差し出す父親という切り口は、シューベルトの『アルフォンゾとエストレッラ』と同じだが、ヒロインは、恋人と力を合わせることなく、悲劇が進行していく。シューベルトのオペラでは、恋人同士は、協力している感じである。」
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by franz310 | 2012-03-04 15:00 | ロッシーニ
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