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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その309

b0083728_2329938.jpg個人的経験:
シューベルトが、
「ます」の五重奏曲を
書いたのは、
1819年の事だと
されて来た。
それが本当だとすると、
の話であるが、
同時並行的に、
いくつかの宗教曲が、
構想されていたのが面白い。


例えば、シューベルトの作品というだけに留まらず、
ロマン派期における宗教曲のマスターワークとされる、
「ミサ曲」第5番変イ長調D678なども、
この時期に着手されている。

渡邊學而著の「フランツ・シューベルト」(芸術現代社)でも、
このミサ曲は、「一八一九年十一月から作曲を始め、
一八二二年九月にようやく完成している」
などと記載されていた。

「ます」の五重奏曲は、夏の滞在で着想され、
年末にかけて完成されたという説もあるので、
何と、これらの作品は並行して書かれていた可能性も、
なきにしもあらず、という感じなのだ。

このような著書が出たのが出たのが、
昭和60年(1985年)であったというのが悩ましい。
というのは、この時点で、
シューベルトの宗教曲など、
日本では数えるほどのレコードしか出ていなかったのである。

本を読めば読むほど、気になる、
というのがシューベルトの宗教曲であったわけだ。

ようやくにして現れたのが、
1980年代前半に、アナログ録音、
デジタル録音取り混ぜた感じで登場した、
サヴァリッシュ指揮の「宗教曲全集」、
CD7枚組であった。

これは、日本では、東芝EMIから、
1990年代になって、ようやく、
限定仕様ながら出された。

採算が合ったのか心配になったが、
きちんと各曲の解説も歌詞も付けられ、
瞠目すべき偉業であった。

サヴァリッシュは、私にシューベルトの、
初期交響曲のすばらしさを教えてくれた、
大恩人のような指揮者である。

サヴァリッシュの交響曲全集や前のミサ曲録音は、
ドレスデン・シュターツカペレの演奏であったが、
ここでは、バイエルン放送交響楽団が起用されている。
これだけの作品群を効率よく録音するには、
放送交響楽団の機能性、即応性が買われたのであろうか。

歌手陣も壮観だ。
ポップ、ドナート、ファスベンダーといった女声陣、
フィッシャー=ディースカウ、シュライアー、
ティアー、アライサといった男声陣。
その他、私が知らない人も独唱者として上がっているが。

何と、日本盤には、
「ヴォルフガング・サヴァリッシュの言葉」
として、
「シューベルト宗教合唱曲全集によせて」
という一文まで付いている。

実は、これは大変、貴重な読み物である。

1994年に真鍋圭子という、
それから、サントリーホールのプロデューサーになった人が
じかに聞き取ったようなので、
まさしく日本でしか読めない内容と見た。

このような付加価値の付け方もあるわけだ。

これを読むと、
何故、このような大がかりな録音が行われたかが、
よく分かるようになっている。

つまり、サヴァリッシュが、友人に、
この録音プロジェクトを持ちかけられた経緯から、
回想がなされている。

「これらの作品を全曲録音することが自分の使命である」
と遂に思い始め、幸いにも、
バイエルン放送響とEMIとの全面的協力があった、
事などが書き出されている。

つまり、サヴァリッシュからの提案ではなく、
彼は、その友人に乗せられてしまった側だったようなのだ。
しかし、遂に、それは、使命感をかき立てたようで、
こうした、自発的な高揚感の連携から
生まれた仕事が悪いはずがない。

すでに亡くなっていたルチア・ポップを惜しみ、
「実に充実した、楽しい時」と、このプロジェクトを回想し、
この録音を「胸躍らされることが度々」あった事を告白している。

エキスパートの歌手陣も、初めて見るような楽譜を前に奮起し、
「この仕事に情熱を傾けていました」と言っているから、
これは、サヴァリッシュだけの功績ではない。

しかも、練習や録音をしながら、
「美しい宝石の数々を見いだし、感動を分け合った」
とあるので、現代に蘇ったシューベルティアーデのようなものである。

オーケストラも合唱団も真面目に興味深く取り組んでいたという。
「あの時の私たちの喜びを、この録音から聞き取って頂ければ
こんなにうれしいことはありません」という、
サヴァリッシュの言葉通りに、
私は、この録音から、
多くの発見と感動を追体験している。

録音完了から10年を経てからのインタビューゆえ、
いろいろと美化されていることもあろうかと思われるが、
それゆえに、読む者には、妙に澄みきった懐かしさを伝えてくれる。

さて、この「全集」の内容を見ても明白なのだが、
シューベルトの宗教曲の主たるものは、
CD7枚の半分を占める「ドイツ・ミサ曲」を含むミサ曲群である。
また、オラトリオ的な「ラザロ」がCD1枚を占めている。

その他は、大きめの作品として、
「スターバト・マーテル」があり、
未完成のミサ曲の切れ端などにまざって、
「サルヴェ・レジーナ」や、「オッフェルトリウム」、
「タントゥム・エルゴ」、「詩篇」といった小品群がある。

これらの作品名は、大変、古い実用音楽のそれであって、
普通一般の音楽愛好家の知識では、
何のことかわっぱり分からんという感じではなかろうか。
私も、今回、「サルヴェ・レジーナ」を、
いろいろ聞き比べるまで、何のイメージも、
この作品名から思い浮かべることが出来なかった。

「サルヴェ・レジーナ」は、歌詞が11世紀に出来ていた、
ということなので、1000年に亘って、
ものすごい数の作曲家が、曲をつけていることになる。

そのような流れの中で、
シューベルトの名前を位置づけられるのは、
私にとっては、貴重な体験になった。

このCDの日本盤解説は、
藤本一子という国立音大の教授が書いている。
シューマンの研究家のようだが、丁寧に解説をしてくれている。

「総説」という部分には、
シューベルトが、15歳の時からミサ曲のスケッチを残し、
死の一ヶ月前の「タントゥム・エルゴ」D962まで、
「親しさにみち」、「峻厳な孤独の面立ち」で、
生涯に亘って宗教曲を残していることから書き始めている。

何故か、このアルバムには、先に触れた、
「ドイツ葬送ミサ曲」D621は収録されていないが、
これについても、この「総説」でさらりと触れられている。

シューベルトは交響曲、室内楽、ソナタに加え、
オペラ、宗教曲、歌曲を書く、「普遍型の作曲家」であったとし、
宗教曲においても「比類ない峰」を築いた、としている。

また、彼が、児童合唱で教会と関わったのみならず、
兄のフェルディナントが、
教員学校の付属教会の合唱長を務めていた関係で、
創作の機会を与えたのも良かったと書いている。

教会が啓蒙主義による教会改革の余波や、
ドイツ語運動の流れなども、
これらの作品群には読み取れるという。

中核を成すのは、ラテン語の6曲のミサ曲であり、
「サルヴェ・レジーナ」のような「伝統的な機会音楽」も、
「内的な創作の発展と深化の自己表白へと進んで」いった、
と特筆されていることがうれしい。

「1819年のイ長調D676を中期として、
それ以前の作品が初期、以後がはやい後期の様式をあらわしている」
とあるように、「ます」の五重奏曲のあたりを転換点と捉えている。

「サルヴェ・レジーナ」だけで、
ここまで、しっかり書いたCD解説はなかなかないのではないか。
しかも、確かにそうそう、と言えるのが、
「初期の作品には全体に晴朗で
みずみずしい美しさがあふれている」と指摘した部分である。

中期の作品では「一種の危うさも感じさせる」というのも肯ける。
テクストが個人的な意味を持って、音楽は真摯となり、
内面の歩みが始まるとしている。

後期の作品は、「真の祈りの音楽」となって、
「宗教音楽史上、例をみない力と深さを感じる人は多いだろう」
とのこと。

シューベルトのミサ曲で問題とされるのが、
テキストの削除の問題だが、信仰告白の「クレド」で、
「そして一にして、聖なる、公の、使徒継承の教会を」
の歌詞を、シューベルトは、
すべてのミサ曲から削除しているらしい。

また、「第1ミサ曲」以外では、すべて、
「よみがえりを待ち望む」を削除、
「造られずして生まれ、父と一体なり」というテキストは、
「第3」、「第5」、「第6ミサ曲」で削除されているらしい。

解説者は、これ以上に、
同じテクストなのに、音楽が変貌していく事を、
「音楽の実質がまったく異なる」ことを重視している。

最後に、発音の問題を注記しているのが、非常に参考になる。
「サルヴェ・レジナ」を、
北方ドイツでは、「ザルヴェ・レギナ」と濁って発音するが、
ここでの録音では、これらのちゃんぽん型で、
「サルヴェ・レギナ」と歌わせているとある。

ヴィヴァルディの時代、この楽曲は、十数分程度の多楽章の、
ソプラノ独唱曲として作曲されることが多かったようだが、
このサヴァリッシュ盤で、取り上げられている、
シューベルトの付曲は、以下のような内容。

このCDは、とにかくいろんな人が登場するので、
各曲をどの人が歌っているのかを、
記号で判別できるようになっているが、
この作業が極めて面倒である。

CD5のTrack3に、
「サルヴェ・レジーナ」変ロ長調D106(5分31秒)
フランシスコ・アライサのテノール。

CD5のTrack8に、
オフェルトリウム「サルヴェ・レジーナ」
ヘ長調D223(6分14秒)
ヘレン・ドナートのソプラノ。

CD2のTrack7に、
「サルヴェ・レジーナ」ヘ長調D379(3分4秒)
バイエルン放送合唱団。

CD2のTrack20に、
「サルヴェ・レジーナ」変ロ長調D386(3分56秒)
バイエルン放送合唱団。

CD6のTrack1に、
オッフェルトリウム「サルヴェ・レジーナ」
イ長調D676(9分12秒)
ヘレン・ドナートのソプラノ。

CD6のTrack11に、
「サルヴェ・レジーナ」ハ長調D811(5分55秒)
バイエルン放送合唱団に、バイエルン合唱団も共演?

このように、長さも編成も様々なもので、
いかにも演奏する機会に従って作曲した感じが見え見えである。

また、オッフェルトリウム「サルヴェ・レジーナ」の他、
単なる「オッフェルトリウム」と題された曲や、
「オッフェルトリウム」の他に、副題が付いたものもある。

これらを列挙すると、
CD4のTrack8の、
「オッフェルトリウム」変ロ長調D963。

CD5のTrack4の
オッフェルトリウム「疲れたわたしの心の中に」
ハ長調D136。

CD5のTrack6の
オッフェルトリウム「三つのもの」イ短調D181。

いくら正月休みとはいえ、
いきなり7枚を聴くのは無理なので、
今回は、他にCDが出ていない曲目を中心に聴いてみたい。
上述した曲の数からして、CD5を攻めてみたい。

このCDには、最初期のシューベルト作品が多数含まれているが、
子供の遊びだと思うと、いきなりのけ反ることになる。

Track1.
キリエ ニ短調 D31。
このドイッチュ番号からして、我々が良く知っている、
交響曲第1番D82(1813)や、
第10番とされる弦楽四重奏曲D87(同上)より、
ずっと前の作品だということが分かる。

解説にも、「シューベルトの残されている最も早い宗教曲のひとつ」
と書かれている。

ロッシーニが「試金石」で、わずか20歳で、
スカラ座の聴衆を沸かせた年、1812年の作曲である。

シューベルトの残した数多くの「キリエ」は、
ミサ曲の未完の楽章だということだが、
この15歳の作曲家は、思春期の火照りの中で、
フルート、オーボエ、ファゴット各2、
トランペット、ティンパニにオルガンを含む、
大オーケストラを駆使して、
めざましい効果を上げている。

この年の7月、シューベルトは変声期を迎え、
宮廷教会でのヴィンターという人のミサ曲の演奏を最後に、
児童合唱団を辞めなければならなかった。

ミサ曲を歌う役から、ミサ曲を作る側に回ってやろう、
と野心旺盛な15歳が考えたとしてもおかしくはない。

何と、このキリエ楽章は、
立派なオーケストレーションまで施されて、
未完成魔のシューベルトの若書きのはずが、
しっかり完成されている。

怒り狂った序奏から緊迫感をみなぎらせ、
それが、最後まで途切れることがない。
合唱の迫力の中、
ソプラノとテノールの
独唱者が立ち上がる時の清冽さ、
トランペットやティンパニの炸裂も強烈で、
自信たっぷりの筆遣いである。

サリエーリに師事してから3ヶ月。
このような作品も師匠に見せたりしたのだろうか。

Track2.
キリエ ヘ長調 D66。
ドイッチュ番号は先のキリエの倍を超えたが、
まだ、8ヶ月しか経っていない時期の作品。
これは、独唱者とフルートがなくなり、
編成は小型化されているが、
力任せで息切れしたのを反省したのか、
今回は、あえて、楽曲の展開に注意を向けている。

つまり、最初から荘厳な合唱が響くが、
いくぶん控えめで、前作と比べて、
最初の方は物足りないが、
途中から悲痛な展開を見せ、
16歳のシューベルトが追求したかった効果は、
きっとここにあったのだ、と納得できる。

しかも、後半はフーガ風の書法を見せ、
巨大な力への憧れが明白である。

実は、この2曲の間に、
さらに2曲の「キリエ」が作曲されていて、
それは、CD1のTrack1、2に収められている。

Track3.
サルヴェ・レジーナ 変ロ長調 D106。
テノール独唱で歌われるもので、合唱はない。
オーボエとファゴット、ホルンが各2、
弦楽にオルガンも付くオーケストラ編成。

1814年の作品らしく、最初のキリエから、
2年を経過して、すでに、安定した書法を手にしているが、
何となく、力が抜けすぎた感じで、
手慣れた職人芸のようにも聞こえる。

だだだだーっという動機による統一感が少しくどいが、
「涙の谷」の描写で、このリズムを使って、
悲壮感を描くあたりさすがである。

バロック期に書かれた「サルヴェ・レジーナ」と比べ、
全く異なる美学によって成り立っている事に、
私は、少なからず衝撃を受けた。

歌詞はラテン語で、まったく同じながら、
バロック期の作品が、神秘的な気配をみなぎらせ、
いかにも、聖処女の特別さを強調し、
人間の惨めさを訴える内容だったのに対し、
シューベルトの音楽では、
あまり、人間は惨めな存在ではない。

やはり、裕福な貴族が、宮殿の礼拝堂に客人を招いて、
披露した楽曲と、
市民階級の善男善女が、
地区の教会に行って、聴く音楽とは別のものだった、
という感じがしないでもない。

Track4.
オッフェルトリウム「疲れたわたしの心の中に」。
ハ長調 D136
饗場裕子氏の訳では、
「疲れたわたしの心の中に
神の愛は輝いている
神聖な愛は輝いている。」
と歌い出される、美しいソプラノのアリアで、
「キリストの愛があるのだから」と、
素朴な信仰を歌い上げるには、
華美なまでに美しいクラリネットの助奏が付いている。

その代わり、オーケストラは簡素で、
フルートとホルンが各2と弦、オルガン。

1815年の作品とされるらしく、
自由闊達に上空を浮遊する音楽は、
最後の歌曲ともされる、
「岩の上の羊飼い」の完成度さえ思わせる。

初恋のテレーゼのための楽曲と解説にはある。
ここでは、ヘレン・ドナートのソプラノ。
クラリネットは、ブルンナーである。
クラリネットというと、
もう少し、豊饒な音を想像するが、
ブルンナーの演奏の軽さが、ここでは生きている。

Track5.
スターバト・マーテル ト短調 D175
1815年、歌曲爆発の年の作品。
最初の4節のみへの作曲で、
翌年作曲の同名の別の作品(D383)と比べると小規模のもの。

したがって、このタイトルから、
ドヴォルザークのような大曲を想起してはならない。
7分に満たないものである。

だが、内容はかなり充実しており、
序奏からして、うつろな響きがぞっとさせるもので、
トロンボーンを三つ要するオーケストラ伴奏の合唱曲で、
非常に痛切な響きに彩られた名品だと思われる。

「悲しみに沈み、母は立っていた」から、
「鋭い刀で貫かれていた」、
「どれほどの苦しみだっただろう」を経て、
「御子のくるしみを見ながら」という所まで。

オーケストラも、悲痛な慟哭を響かせる。

Track6.
オッフェルトリウム「三つのもの」 D181。
この奇妙な題のものは、
「三つのものが天国の証明」として、
「父と御言葉と聖霊である」と挙げるだけのもの。

3分半のものながら、かなり充実した作品。
「スターバト・マーテル」D175の数日後の作品。
編成も同じで、シューベルトは、
一続きで作曲したのではないか、
などと思ってしまった。

三位一体の祝日のための依頼曲ではないかと解説にある。

「終わり近くのゲネラルパウゼが、
厳粛な印象をつよめる」とあるが、
まさしく厳粛ながらも、美しい作品である。

Track7.
グラドゥアーレ ハ長調 D184。
さらに数日後の作品。
ファゴットの代わりにトランペットが入って、
壮麗な響きを獲得している。

「グラドゥアーレ」は、
「ほめたたえよ、神よ」という典型的な信仰の歌で、
最後は、壮大な「アレルヤ」で終わる。
厳粛宗教曲3連発である。

これまた、5分に満たないながら、
力強い作品で、18歳のシューベルトの、
恐るべき力量を見せつけてくれる。

Track8.
オッフェルトリウム「サルヴェ・レジーナ」
ヘ長調 D223。

ここでの「サルヴェ」は、前の作品より、
歌詞が短縮されていて、
イエスの姿を見せたまえの部分がない。

ドナートのソプラノが舞い上がって、
非常に晴朗な作品となっている。
「涙の谷に、あなたを慕う」という部分で、
少し陰るだけで、全編が輝いている。

バロック期の同名の作品とはかけ離れ、
朗らかな希望の歌になっている。

「これはまた美しいサルヴェ・レジナ!」と、
解説者も思わず、感嘆符をつけてしまっている。

1815年作曲で、23年に改訂され、
さらに25年に出版されてもいる、
ということだから、
シューベルト自身も気に入っていたのであろう。

「あたたかい情感がみちている」と解説にあり、
「個人的な感情の浸透はロマン派のもの」と、
強調されている。

Track9.
タントゥム・エルゴ ハ長調 D461。

Track10.
タントゥム・エルゴ ハ長調 D460

ここで、1815年の宗教曲シリーズから別れを告げ、
翌年8月の作品2曲。
D番号も連番ながら、後者は半分以下の長さで、
2分に満たない。歌詞も後半がない。
また、前者が4人の独唱者を含むのに、
後者はソプラノのみ。

ヴィオラなしの弦という珍しい編成であるが、
トランペットにティンパニを含み、
壮麗なオーケストラ曲である。

前者は強烈な力感でぐいぐいと押すタイプであるが、
後者は、より優美でしなやかな楽曲。

「タントゥム・エルゴ」とは、
トマス・アクィナスの作と伝えられる、
「偉大な秘蹟を伏してあがめよう」という詩に作曲したもので、
「聖体降福式」という儀式のための音楽で、
リヒテンタールの教会のために書かれたのではないかとある。

アインシュタインは、D460を、「野心的な」作品とした上で、
「旧ヴィーン式華美様式の作品」と書いている。
ギャラントスタイルということであろうか。

Track11.
マニフィカート ハ長調 D486。
再び、1815年の作曲とある。

この題名のものは、バッハやヴィヴァルディにもある。
それらには劣るが、9分という長さは、
このCDの中では、最も長い楽曲となる。

序奏から、「イタリア風序曲」を想起させ、
トランペットとティンパニが鳴り響き、
分厚い合唱の効果に重なる
弦楽の精力的な活躍もあって、
ものすごく壮麗な音楽となっている。

中間部では、のどかな伴奏に乗って、
ソプラノが、冴え冴えと、
「神は権力をふるう者を
その座からおろし、
見捨てられた人を高められる」と歌う。

最後の「グローリア」の部分は、
再び、オーケストラと合唱が火花を散らし、
「アーメン」の部分で、合唱と独唱が織りなす、
煌びやかな音楽の肌触りが豪華である。

コーダもすさまじい迫力である。
この作品が、どのような機会に演奏されたかは、
解説には書かれていない。

「マニフィカート」は、解説によると、
マリアの賛歌とあるが、どこがそうなのか分かりにくい。
「わたしは神をあがめ」に続いて、
「神は卑しいはしためを顧みられ、
いつの代の人も
わたしをしあわせな者と呼ぶ」
とあるからであろうか。

これらの詩句を見ていくと、
ここでも、シューベルトは、
いくつかの部分を省略していることが分かる。

例えば、ヴィヴァルディにあった、
「力のある方がわたしに偉大なことをなさったからです。
その御名は神聖です。
そして、主を畏れるものには、
子々孫々に至るまで
その慈悲が示されるでしょう」の部分がない。

アルフレート・アインシュタインは、
「全曲が賛歌風で、装飾的で、手堅い出来であり、
伝統的なバロック式教会音楽の大きな、
満足すべき楽曲である」と書いている。

Track12.
「すでに天国にいるアウグストゥスよ」 D488。

このCDの最後は、打って変わって、
ソプラノとテノールによる軽妙な音楽。
「テクストの扱い、特に呼吸のひそやかさは、
感嘆させられる」と解説者が感嘆しているように、
みごとな二重唱の声の絡みを聴くことが出来る。

1816年の作品で、8分弱とそれなりの規模がある。

「すでに天国にいる
アウグストゥスよ。
あなたを崇拝する人々の心の中に、
どうかいてください」という素朴な歌詞で、
ほとんど、モーツァルトやロッシーニの
オペラの二重唱を聴いているような感じ。

何故だ。シューベルトは、こんなに魅力的な二重唱曲が書けたのに、
何故に、自作のオペラで、こんな音楽を入れなかったのだろうか。

ルチア・ポップとダラポッツァが、
生き生きと感極まって歌っているように思える。
非常に心のこもった名演となっている。

得られた事:「シューベルトの音楽家人生は、伝統的なバロック式教会音楽の優等生として開始された。」
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by franz310 | 2012-01-02 23:38 | シューベルト
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