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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その307

b0083728_11323012.jpg個人的経験:
聖母マリアを讃える
祈りの歌「サルヴェ・レジーナ」は、
18世紀初頭のイタリアにて、
多くの名品が生まれたという。
これまで、主に、ナポリ所縁の
作曲家たちの作品を聴いて来たが、
今回は、ライヴァル都市、
ヴェネチアを代表する名手、
ヴィヴァルディが作曲した、
同曲を聴いてみたい。


歌っているのは、
前回、スカルラッティや、
ハッセの作品を歌っていた、
カウンターテナーのジェイムズ・ボウマンである。

ただし、あまり新しいものではない。
1986という数字が見えるので、
今から四半世紀も前のものだ。
イヤホンで聴くと、無音部の境でノイズが聞こえるので、
アナログ録音かもしれない。

ブックレットをひっくり返しても、
どこにもディジタルという言葉はない。
別に、私には、どちらでも良い。
ただ、気になるのは、残響は豊かなのだが、
ダイナミックレンジに寸詰まり感がある点。

今回のジャケットは、
これまで見てきた辛気くさいものではなく、
ラファエロの聖母子像が使われて、非常にすっきりしている。
ただし、真横に歌手の名前が大きな文字で書かれていて、
明らかにぶちこわし気味である。

源頼朝の肖像画を横切って、
「五木ひろし」と書いてあるような図案として、
私には捉えられてしまうのだが、
いかがであろうか。

アリオン・レーベルと言えば、
フランスのもので、それなりに名門の印象が強いが、
かなり無神経な感じがした。

とはいえ、このレーベル、
どんなジャケット・デザインが特徴かと言われると、
確かに、あまり思い出せないのである。

実は、このCDの内容、
ヴィヴァルディの他、
ペルゴレージの「サルヴェ・レジーナ」も
ボウマンの歌で収録されているとはいえ、
必ずしも、ボウマンだけが活躍しているわけではない。

2曲目と4曲目は、純粋な器楽曲、
長らくペルゴレージ作曲とされていた、
ヴァッセナール伯作曲の
「コンチェルト・アルモニコ」ト長調と、
ペルゴレージ作曲とされている、
「ヴァイオリン協奏曲」変ロ長調が収録されて、
当然、ここには、ボウマンは登場しない。

指揮は、JEAN-WALTER AUDOLIとあり、
JEAN-WALTER AUDOLIの器楽アンサンブルが、
演奏している。
ジャン・ワルター・オードリと読むのだろうか。

興味深いのは、チェロのベアトリス・ノエル、
フルートのヴィンセント・プラッツ、
チェンバロ&オルガンのベアトリス・ベルステルの前に、
長沼由里子、ヴァイオリンとあること。
79年にパガニーニ国際コンクールで2位を取った人らしい。
妙齢のさなかでのヴァイオリン協奏曲の録音である。

ボウマンの歌も悪くないが、
実は、これらの作品が、よかったりする。
一見、寄せ集めのような感じがするが、
全曲を通じていろいろ楽しめるCDに仕上がっている。

また、こうして全体を見てよく考えると、
「ペルゴレージ所縁の作品集」という感じで、
ヴィヴァルディは前座を務めているにすぎない。

ヴィヴァルディは、由緒正しき、
ヴェネチアの音楽界を代表する人物だったようで、
新興の、しかし人気を集めた
ナポリの音楽に対しては、
複雑な想いを抱いていたようである。
しかも新参者ペルゴレージの前座では、
さぞかし、腹立ちもあることだろう。

が、同じような作品を書いている点、
やはり時代の子という感じがしないでもない。

今回、ヴィヴァルディとペルゴレージの作品を、
並べて聴けたことによって、
彼等の差異を感じることも出来た。

解説は、Veronique BOITEUXという人が書いている。
ここでのヴィヴァルディは、決して前座扱いではない。
何と、ドイツのJ・S・バッハと同様、
重責を担った作曲家のイタリア代表、
という感じで紹介している。

が、この解説者の文体は独特で、
冒頭から、書き出しがぎくしゃくしている。

「『赤毛の司祭』のシルエットは、
遠い忘却の運河の向こうに消えつつある。
ヨーロッパは、彼を呼び戻し、
褒め称えようとしている。
1678年に生まれたヴィヴァルディは、
司祭であり音楽家で、1741年にヴィーンで亡くなった。
しかし、ヴィヴァルディは、まず第1に、
その故郷、夢の街、ヴェネチアで、
1637年以来、新しく出来た劇場と、
サン・マルコや街全体で鳴り響いた、
壮大な宗教行事の二つから依頼を受けた。」

簡単に書くと、ヴィヴァルディは、
ヴェネチアで生まれ、劇場でも教会でも活躍したが、
ヴィーンで死んで、忘れられていた、という感じだ。

「聖職者に任ぜられて6ヶ月しか経たない、
1703年3月23日、
ヴィヴァルディは司祭に任ぜられ、
ピエタ養育院に、『合唱長』として赴任、
バッハが務めた『カントール』と同様の役職だった。
この職務は、毎年の二つのミサ曲や、
少なくともイースターと、
ピエタが奉る聖処女マリアの祝日の祭礼という
二つの典礼の晩梼など、様々な負荷となった。」

何だか、可愛そうな身の上の音楽家のようにも読めるが、
実際は、ヴィヴァルディは、オペラの興行師としても、
活動していたことが、最近では注目されており、
ちょっと違和感がある。
私の頭の中では、あまりの才能に自ら苦しみ、
好き勝手生きた人のような感じがしている。

「宗教行事のための委嘱に加え、
より自由な礼拝関連のテキストへの作曲などがあり、
その中には、コントラルトと二つのオーケストラのための
二曲の『サルヴェ・レジーナ』がある。
最近、3曲目の『サルヴェ・レジーナ』が、
ローラント・デ・カンデと、
ジャン・ピエール・デモリンによって、
チェコスロヴァキアで発見されている。」

このように、ヴィヴァルディの「サルヴェ・レジーナ」について、
実は、3曲あることが書かれているが、
ここでは、一番有名なRV616が演奏されているだけである。

最初から、この解説者を、
プロジェクトに入れておいてくれたら、
もう2曲も収録しちゃいましょう、
という提案もあったかもしれないが、
どうやら、録音が済んでから、
これらの解説を書け、と言われた感じと見た。

トータルで57分しか収録されていないので、
あと1曲は入ったはずだ。

「これらの作品は、作曲家の生涯、
最後の10年のもので、
詩篇・カンタータに似ている。
二つのオーケストラの使用は、
サン・マルコ聖堂のバルコニーの一方から、
他方に合唱が歌い交わした、
16世紀の終わりのアンドレアと、
ジョヴァンニ・ガブリエリによって創始された、
伝統を思い出させる。」

ジョヴァンニ・ガブリエリが、
サン・マルコ聖堂の空間を利用した、
立体的な音楽を書いた事は有名で、
4チャンネル・ステレオが出た時など、
話題になったものだが、
まさか、ここで、こんな話が出て来るとは想わなかった。

「『サルヴェ・レジーナ』RV616は、
多様なテンポと様々な楽器編成による、
6つの部分の連続からなり、
ヴォカリーズの利用など、
声楽部はオペラの影響を示し、
伴奏部との関係は『コンチェルタンテ』で、
豊かな伴奏部が繊細な声の甘さを包みながら、
覆い隠すことはない。」

ヴィヴァルディの作品は、CDの最初に入っている。
Track1.
「聖なる女王よ、慈悲の母。
おお、我らの命、我らの甘い希望」
と歌われる部分だが、
冒頭から、フルートの音色が印象的で、
あまり宗教曲らしくはない。

フルート自身が俗っぽい、
という事があるかどうか分からないが、
何故か、作り物めいた牧歌的状況である。

ヴィヴァルディ自身が、心から、
聖母に嘆願しているというより、
昔々、こんな人がいました、
みたいなイメージである。

ヴィヴァルディ自身が、
信心深くなかった証拠とまでは言わないが、
どこか冷めた、近代的なプロ意識のようなものは感じる。
祈る人と音楽を作る人は別という感じ。

しかし、それゆえに、精巧を極めた、
作品という感じはする。

Track2.
「あなたに向かって叫ぶ。イブの罰せられた子供らは」
という、悲痛なテキストなのだが、
活発な楽想が繰り広げられ、
完全に「四季」のヴィヴァルディである。
ちゃらちゃらとイブの子供らは、
マリア様にじゃれつくようである。

この部分を聴いたとたん、
これは、本当に宗教曲なのだろうか、
と考えてしまう人も多いことだろう。

解説には、下記のような謎の言葉がある。

「アレグロNo.2で3回繰り返される、
『exusles』という言葉のメロディ・ラインの高揚など、
比喩的な象徴を読み取る人もいる。」

『exusles』は、「追放された」の部分であるが、
いったい、この解説は、何を言いたかったのだろうか。

Track3.
「我らのため息を送ります。
嘆きとすすり泣きを、涙の谷間から」
ここでも印象的なのが、
雄弁なフルートの響きで、
テキストのとおり虚無的な歌で、
それを素晴らしく美しく彩っている。
まさしく磁気のような冷たさの工芸品である。

「別個の部分からなるレチタティーボの使用は、
その動きによって声に繊細さを与えている。」
という解説があるが、ちょっと理解が出来ていない。
この楽章のような、レチタティーボ風の、
悩ましさを言っているのだろうか。

このような独白調は、Track5でも現れる。

Track4.
「だから、こちらに慈悲の眼差しを向けたまえ」
という部分であるが、かなり、強引な楽想である。
ずうずうしい小唄という感じがする。

交響曲の終楽章が始まるかのような、
ものものしい始まり方は、
そのまま100年後でも通用しそうな感じ。

Track5.
「この追放の後、あなたの胎内より、
御子イエスを我らに」の部分。

このあたりのさざ波の効果は、
まさしく二つのオーケストラの掛け合いが印象的。
ナポリ派の連中は、ここで、歓喜の声を上げて、
御子を待ち望んだが、ヴィヴァルディの場合、
やけに神妙である。
期待感を高めているような表現であろうか。

しかし、本当に、この二つのオーケストラは、
サン・マルコ聖堂を想定して用意されたものなのだろうか。
意地悪な聴き方をすると、祈っているというより、
祈っている姿を、非常に美しく描写している。

Track6.
「おお、慈悲の、愛するべき、
甘い聖処女マリア」という部分だが、
この楽曲前半の調子の良さは、
どこかに消えてしまって、
孤独感に苛まれたような、
嘆きの歌である。

寂寥感を高めて、フルートが呟く。
フレーズごとに装飾音が効果的で、
これがまた、工芸品の質感を高めている。
オペラの中で恋人の不実を嘆くようなシーンを、
ふと想起してしまう。

このフルートは、ヴィンセント・プラッツという人だろうか、
ネット検索するとパリ管弦楽団の主席とある。

Track7.
さて、2曲目はヴァッセナール伯の作品だが、
この曲の深々とした、しかも澄んだ序奏部が始まると、
私は、瞑想的な空間に連れ去られるような感じがした。
ヴィヴァルディのこの世の事とも思えぬ音楽に続いて、
何か、遠くに連れ去られるような感じ。

この瞬間を聴くだけでも、このCDは買いである。
したがって、ボウマンの名前を前面に押し出した、
今回の表紙デザインには反対である。

この部分は、2分に満たず、続く速い楽章の序奏にも聞こえる。

Track8.は一転して、
ヴィヴァルディ風の快活なアレグロで、
これも楽器の線の絡まりが、
まことに美しい。

Track9.は、再び、瞑想的な音楽になり、
チェロが浮かび上がってメロディを奏で、
神秘的で、ものすごく美しい。
それに対し、高音のヴァイオリンが、
迎え入れるようなメロディを奏で、
十分に宗教的な法悦感が描かれている。

低音で刻まれるパッサカリアのような、
リズムが、音楽に非常な濃密な緊張感を与えている。
恐るべし、ジャン-ワルター・オードリ。
そして、その楽団。

私は、これまで、この曲は、
ペルゴレージの作品と言われながら、
実は、その典拠が疑わしいという話ばかり聞かされ、
聴きたいと思った事もなかったが、
もったいない事をしていた。

Track10.は、
バッハの協奏曲に現れる終楽章のように、
繰り返しが強調された微笑ましく爽やかな楽章。
休日に聴いて満足、という類。

この曲については、以下のような解説がある。

「ポーランドの作曲家、
フランシス・レッセル(v1780-1835)
によって、長い間、
ペルゴレージ作とされてきた、
『コンチェルト・アルモニコ』または、
『コンチェルティーノ』は、
ここで2曲めに収録されている。
実際は、オランダの作曲家で外交官であった、
ヴァッセナール伯(1692-1766)
によるものである。
まさしくタイトルの
『コンチェルティーノ』が示唆するように、
『コンチェルト』よりも形式が発展しておらず、
オーケストラから突出する独奏楽器はない。
グラーヴェ-アレグロ
-グラーヴェ・スタッカート-アレグロと、
4つの楽章が続き、
ゆっくりした楽章と、速い楽章が交互に現れるが、
古い時代の舞曲集の痕跡が残っている。
ポリフォニーは豊かで、すべてのパートが等質である。
第3楽章で通奏低音は、
チェロにメロディラインを歌うことを許している。」

いかにも、私が感じたままが書かれているが、

確かに、下記のことも感じられる。
「ある人は、この作品の、はじめから終わりまで、
音響のスペクトルを拡大するために、
音域を広くすることに対する作曲家の偏愛を指摘している。」

渋いが、かなり豊饒華麗な感じはここから来ている。

「二つのグラーヴェに対応して、
対になったように速い楽章は扱われている。
大きな休止の使用が目立ち、
メロディ・ラインにダイナミズムをもたらしている。
バッハの作品のように、
作曲家は一つの楽器のパートですら、
ポリフォニックな書法を達成している。」

このあたりも聴いてきたとおり。
が、下記のような事は、指摘していただかないと、
分からないし、指摘されてもあまりぴんと来ない。

「真ん中の二つの楽章では、ユニゾンだが、
最初と最後の楽章では、
動機の提示は、模倣を通じて展開されている。
この『アーチ状プラン』は、
特別な創意もなく、がっちりとして、
堅苦しくさえある構造を支え、
イタリアオペラに直接由来する、
表現力豊かな半音階で飾られている。」

Track11以下は、ペルゴレージの作品が並ぶ。

ヴァッセナール伯の作品同様、
弦楽のハーモニーが素晴らしい。
高音から降りてくるヴァイオリンといい、
低音でうごめく意味ありげな音型といい、
先の作品との統一感もあって、曲の配列も、
選曲も良い。

「ペルゴレージは、
二つの『サルヴェ・レジーナ』を作曲しており、
1曲はソプラノ用でハ短調、
もう一方は、ここに録音された、
ヘ短調のものであるアルト用で、
ここではカウンターテナーが歌っている。
テキストは、伝統的な6つの部分に分けられ、
モデラートのテンポで統一されている。」

私は、どちらかと言うと、このヘ短調のものの方が、
好きかもしれないが、多くのCDは、
ハ短調のみを収めている。
ということで、これは貴重。

が、ヴィヴァルディの作品の、
多彩なテンポ、速度が華美に感じられたのは、
これまで、私がペルゴレージを聴いていたからか。
ペルゴレージは、あえて、モデラートで統一したのだろうか。

「ヴィヴァルディの選択とは異なり、
ペルゴレージは、弦楽四重奏と通奏低音を、
伴奏に選んで、室内楽の雰囲気を醸し出している。
慎重さ、遠慮、半陰影の特徴を持つこの作品は、
ヴォーカル・ラインと弦楽の伴奏が、
賞賛すべき結合をしている。」

以上も事は一聴して分かるこの曲の美しさであろう。
が、下記のことは、成る程と思った。
休止をはさみながら、切々と訴えかけるのは、
100年後にベッリーニなどが、
オペラの中で、多用する手法ではないか。

「フレーズの終わりの装飾、
大きな休止や他の音域への急変、
素晴らしく計算された半音階が目立って、
独唱部にしばしば表出力の集中が見られる。
作品の冒頭から、
例えば、『サルヴェ』という言葉の変化は、
半音に留まっているのに、
最初の嘆願が減四度で繰り返される。
声の抑揚と考えられた休止が、
瞑想的な雰囲気や祈りの悲痛を喚起する。」

同じ音型が、様々な楽器、音域で重ねられて、
幻想的な空間を生み出している。
ヴィヴァルディの作品は、陶磁器に描かれた、
パノラマ絵画のようなイメージを持ったが、
こちらは、もっと立体的な、
上下方向を感じさせる楽曲である。

「偉大な自省によって、この表出力は、
より深く、より誠実なものとなっている。
26歳で亡くなったペルゴレージが、
傑出した天才が消え入る時、
その青春の高揚の中で、
これを書いた事を想起させる。」

このような総括の仕方は、冒頭以来の、
この解説者の得意とするところであるが、
ハ短調が死の直前の作品とされるのに対し、
この曲が何時書かれたかは分からないようだ。

しかし、これらの「サルヴェ・レジーナ」、
聴けば聴くほど、何を目的に書かれたのだろう、
という感じが強まって来る。

教会的というには、もっと狭い空間用に聞こえるし、
宗教的というよりは描写的にも聞こえる。
だれか依頼する人がいて、貴族の邸宅の広間で、
客人の前で演奏された、という感じがしないでもない。
各曲の性格は、その依頼者の性格を反映したような感じもする。

ボウマンの歌唱は、
カウンターテナーの不自然さを感じさせず、
心地よく聴けたが、録音のせいか、
空間の空気感は希薄である。
これまで、由緒正しい教会での録音を聞き続けて来たので、
今回のCDは、そのあたりの記載なく一歩譲る。

さて、4曲の収録の最後は、
Naganumaが弾くヴァイオリン協奏曲である。

「1710年から1736年までしか、
生きられなかったとはいえ、
ペルゴレージは、ナポリ楽派の偉大な人物の一人であった。
パトロン、Marquis Pianettiの寛大な計らいで、
彼はナポリでドメニコ・デ・マテウスにヴァイオリンを学び、
貧者のための音楽院に入学し、
ガエターノ・グレコ、さらに、
フランチェスコ・デュランテに対位法を学んだ。」

「寛大な計らいで、貧者のための学校に入った」
という部分に、
どうも釈然としないものを感じるが、
あるいは、その間、家族の心配はしなくてよい、
とかいう条件があったのだろうか。

「ナポリ派はオペラで有名だが、
ペルゴレージ自身、その多産な作品から、
コミック・オペラに影響を及ぼしている。
当時のイタリアは、純粋な器楽曲は、
作曲家の技術の練習用と考えられていた。
従って、その劇場音楽と宗教曲以外は、
室内楽、チェロと通奏低音のためのシンフォニア、
6曲のコンチェルトーネ、
1730年頃書かれた、見事な変ロ長調の、
ヴァイオリンとオーケストラのための協奏曲
くらいしか残していない。」

ここでは、ヴァイオリン協奏曲は、
彼の真作として紹介されているが、
資料によっては「偽作」とされている。
1730年頃とあるから、20歳頃の作品。

「この作品は古典派協奏曲のような、
イタリアオペラの序曲に由来する、
急-緩-急の伝統的な3楽章からなる。
最初のアレグロは、壮大なオーケストラの序奏が、
3楽章を通じて、明らかに伴奏から分離された、
ヴァイオリン独奏を導く。」

Track16.
序奏のような部分が、
すっ飛ばされたような唐突さで始まる音楽。
ヴァイオリンも、流れに逆らわず乗って来る感じで、
大見得を張って出て来たりはしない。

ここでは、「明らかに分離された」とあるが、
このCDでは、独奏者の線が細く、
曲想もあって、あまり近代的な協奏曲感はない。

「その書法はいまだ、行進曲風、
モティーフを含むパッセージの繰り返しが続くなど、
バロック的な発想である。
この作品の近代性は、独奏楽器の技巧的な書法、
それとオーケストラの対話にある。」
とあるが、ちゃかちゃかした音楽という感じで、
どうもとりとめがない。

Track17.は、ラルゴで5分以上かかり、
この曲で最も長い部分。
ヴァイオリンにあまり存在感がなく、
オーケストラにも深みがなく、
ペルゴレージ作で期待される繊細さはあっても、
求心力のようなものがない。

「中心のラルゴは、シチリアーノのリズムで牧歌的」
解説も、こんな感じで書き飛ばしている。

Track18.
「フィナーレのアレグロは、
完全に軍隊風の尊大なリズムで、
無条件に締めくくられる。
オーケストラのリズムに、ヴァイオリンは答え、
トリプレットや跳躍、
活発に音域を変えて、メロディを際だたせ、
ペルゴレージ自身が、
華麗なヴァイオリニストであったことを物語る。」

解説には良く書いてあるが、
これまで聴いた3曲の明確な個性の前では、
珍しい作品という以上の関心が湧かない。
終わり方も、いつの間にか終わっているのに、
気づかなかったというもの。

ネット検索すると、長沼は、
「The Octuor de France」という楽団で、
ヴァイオリンを弾いているようだが、
室内楽に向いた人なのかもしれない。
オーケストラの色彩との統一感からしても、
そんな感じがした。

そういう意味では、
この時代の協奏曲の特色を感じさせる、
上品な演奏である。

得られた事:「ヴィヴァルディの『サルヴェ・レジーナ』は、精巧に作られた工芸品のような趣き。パノラマ状に情景が広がる。どこで、誰を対象に演奏されることを想定したのものなのかが気になった。」
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by franz310 | 2011-12-18 11:32 | 古典
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