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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その305

b0083728_2375725.jpg個人的経験:
前回、取り上げた、
ナポリ楽派による
宗教曲のCDで、
レオやペルゴレージと
共に収められていた
A・スカルラッティの
「サルヴェ・レジーナ」は、
あえて紹介しないでいた。
今回のCDにも、同じ作曲家の
同じ題名の曲が収録されているからだ。


今回のCDは、メインは、
ペルゴレージの大名作、
「スターバト・マーテル」であるが、
以上の理由によって、
これについて多く語るわけではない。

それにしても、バッハより一世代若いにも関わらず、
14年も早く亡くなっている、
バロック期のこの薄倖の作曲家の宗教曲を、
何故、この陣容で録音しなければならないか、
そんな事を深く考えさせられるCDである。

この日本盤のデザインも、いかにも、
というもので、どうしても、この人気者たちを、
前面に持って来たかったらしく、
海外盤では、単に、
キリストの茨の冠をあしらっただけの、
シンプルで研ぎ澄まされたデザインだったのに、
ここでは、所狭しと、指揮者と、
二人の独唱者の写真が押し込められている。

枠取りもピンク色で、ほとんど、
オリジナルのデザインは塗りつぶされた感じ。

そもそも、この「悲しみの聖母」を描く音楽で、
何故に、デュトワは、こんなに喜んだ笑顔を見せているのか。
それだけで、かなりありがたさが減衰してしまう。
デュトワに罪はないのだが。
このようなテイストを見ると、
いかにも、ペルゴレージの誠実な音楽を、
ごてごてと塗りつぶしてみました、
という演奏を想像するしかない。

フランス音楽の名匠として登場、
NHKでも活躍しているデュトワが、
モントリオール交響楽団の小編成版を指揮し、
今から20年前、1991年に、
彼の地のST.EUSTACHEという所で、
録音されたようだ。

このサントゥシュタシュ教会は、
パリに有名なものがあるようで、
こちらは、ステンドグラスなどが有名。

このモントリオールの教会も、
ネット検索すると、由緒正しい姿が見られるが、
時に内部空間に特徴があり、
オーケストラ録音にも使われることで有名らしい。

とにかく、これだけでは国籍不明感があるが、
イタリアのバルトリと、
アメリカ人ながらイタリア・オペラで鳴らした、
ジェーン・アンダーソンが共演して、
かろうじて、イタリア伝来の音楽に、
正当性を付け加えている。

しかし、二人とも、どちらかというと、
宗教曲の人という感じはなく、
ばりばりのオペラ歌手と言った方が良い。

とはいえ、この教会での録音は、
非常に美しく、静謐な空気感が伝わって来る。
RAY MINSHULLというプロデューサー名が見えるが、
これは、カルショウを継いだデッカの大物で、
この教会とオーケストラを愛して、
このオーケストラによる
ベルリオーズ・チクルスなどによって、
その仕事の集大成としたという。

94年に引退し、2007年には亡くなっている。
彼がいなくなった事で、デッカのアイデンティティが、
無くなってしまったのだという。
そのような御大の引退間際の録音とすれば、
心して味わう必要があろうと言うものだ。

そのような事を調べながら書いていると、
この録音は、ペルゴレージはともかく、
とても澄みきった音楽という感じが好ましい。

特に、いつも私が気になるのが、
第2曲「嘆き悲しみ」で、
「苦しみたる子の魂を
剣が貫きたり」と歌われる部分である。

この残酷なシーンを多くの歌手は、
絶叫気味に歌って、
始まって早々にして、
この曲の気品を台無しにするが、
このCDでのアンダーソンの歌唱は、
絶妙なバランスを持って響く。

全く持って、
誰が買う事を想定したかが分からない商品であるが、
とても、気持ちの良い演奏であることは確かである。

二人の独唱者の天高く登る声の芳醇さや、
二重唱における調和の美しさも比類がない。
まったくもって、ビロードの光沢の贅沢さである。
とはいえ、下品なぎらぎら感はまったくない。

ペルゴレージのもう一つの名作、
「サルヴェ・レジーナ」も、
ロッシーニやベッリーニを得意とする、
アンダーソンの声だと思って聴くと、
ちょっと違う印象が立ち上っている。

精妙なオーケストラをバックに、
敬虔な感情がみなぎっている。

しかも特筆すべきは、さすが、
オペラ界で実力を認められているだけあって、
声の質感や色彩の多様さには、
聴く人を圧倒するものがある。

陰影を帯びて深くなったり、
ぴーんと張られた絹糸のようになったり、
ステンドグラスから差し込む光線のようでもある。

まさしく、こうした圧倒の中でこそ、
聖マリアの信仰の実感が、
得られるような気すらしてくるではないか。

作品が大きくなった感じもするが、
この魅力には抗しがたい。
ナポリでもモントリオールでも、
国籍不明でも、どうでも良いような気がして来る。

いったい、どのような経緯で、
この不思議な録音が生まれたのか、
誰か知っている人はいないだろうか。
プロデューサーの発案か、デュトワの発案か。

私について言えば、付録のスカルラッティがなければ、
絶対、手を伸ばさなかったものであると言って良い。
巷で話題になったという記憶もない。

そもそも古楽器全盛期のような時代において、
このような録音が現れていた事が不思議である。
こうした時代背景がなければ、このような、
人気ある歌手たちを共演させたい企画があっても、
まったくおかしくはなかったかもしれない。

このCD、表紙デザインは、
先に書いたように不気味であるが、
日本盤も解説は、かなり親切なものとなっている。

「スターバト・マーテル」や、
「サルヴェ・レジーナ」について、
歴史をひもとく詳しい解説があるし、
私が知らなかった事として、
何と、この「スターバト・マーテル」は、
ペルゴレージが最後の二重唱を完成できなかったのを、
レオナルド・レオが完成させた、
という逸話までもが紹介されている。

これは、Track12で聴ける、
「肉体が死するとき」で、
「魂が天国の栄光に捧げらるるよう、
なしたまえ。
アーメン」
と歌われる部分で、
訥々としたオーケストラを背景に、
悲しみの歌が切々と歌われた後、
突然、堰を切ったように、堂々とした音楽が現れる。

ペルゴレージが死んで完成できなかったものを、
師でもあったレオが代筆したとすると、
モーツァルトの「レクイエム」以上に、
感動的な逸話になるではないか。

音楽の盛り上がりも格別で、
その逸話を読んでから、
私は、ますます、この曲が好きになった。
また、このCDは、いろんな人に勧めたくなってしまった。

さて、このCD、最後に入っているのが、
私が聴きたかったスカルラッティ、
鍵盤楽器のソナタで有名なドメニコの父、
アレッサンドロの「サルヴェ・レジーナ」である。

この作品は、CD裏には、「attrib」とあって、
(伝)スカルラッティということになるはずだが、
解説では、完全にA・スカルラッティ作の5曲の一曲、
「ヘ短調」として、紹介されている。

この曲は、これまで聴いたレオやペルゴレージより、
前の世代の作品であるのに、
彼等の作品よりゴージャスで、
独唱曲ではなく、
第1曲「サルヴェ・レジーナ」(Track19)は、
何と、二人の歌手によって歌われはじめる。

この第1曲は、6分近くある長大な楽章で、
レオやペルゴレージの1.5倍から2倍ある。

二人の独唱者が、互いに嘆き合う様子は、
ペルゴレージの「スターバト・マーテル」を
想起させるものだ。

この曲など、二重唱の部分は、
いずれも、深い祈りの音楽になっていて、
後輩たちの諸作に負けていない。

解説(菅野浩和氏)には、
「声の美しさを立てる工夫など、
演奏効果上の特色は高い」と書かれているが、
すぐに、「饒舌」という烙印も押されている。

アレッサンドロ・スカルラッティというと、
何となく、いつも、こんな扱いをされて、
まるで、日本では人気がないが、
それで良いのだろうか。

第1曲後半にかけて、ヴァイオリンもオルガンも、
嘆き節で進むが、このあたりの静謐な空気感は、
非常に味わい深いものである。

一方、解説にあった、「饒舌」という表現は、
第2曲「御身に向かい」(Track20)などで、
何となく納得できる点で、
ここでの挑発的な弦楽などがそんな感じであろうか。

何となく、宗教曲というより、
劇場音楽みたいに聞こえはする。
が、アンダーソンの歌唱は、
水を得た魚となって解放感を感じさせる。

続く第3曲「われらは御身を」も、
第2曲と同じTrack20に入っているが、
ここに来ると、深いバルトリの低音が加わって、
再び、神妙な音楽になる。
ぽつぽつと印象的にオルガンの響きが聞こえる。
(4:17)
神秘的な感じが満ちて来る。
「われら、この涙の谷に嘆き泣くなり」。

第4曲「われらが代願者」(Track21)は、
このバルトリの独唱。
ヴァイオリンに対するヴィオラのように、
微妙な波長の音色が渋い。
このように、しみったれた音楽であるが、
真ん中に、英雄的とも言える楽章を入れるのも、
何となく、オペラ的バランスを感じた。
(1:50)

第5曲「祝福されし御子」(Track22)は、
再び、ソプラノ独唱となって、
御子を期待するにふさわしい、
明るい光を感じさせる音楽が舞う。
少し若いヴィヴァルディと同様の、
清新な雰囲気がある。
(2:02)

第6曲「おお、慈悲深き」(Track23)は、
再び二重唱で、敬虔な感情がみなぎる。
ヴァイオリンの伴奏などは、
レオやペルゴレージでもおなじみの嘆き節。
(2:28)

この曲は第1曲が6分もあったせいか、
16分半を超す大作となっている。

さて、前回、カーティスの録音で
ナポリ楽派の宗教曲を集めた中にも、
このスカルラッティの作品、
しかも「サルヴェ・レジーナ」が、
収められている。

ただし、こちらはハ短調(ニ短調?)で、
メゾ・ソプラノの、ネージが独唱曲として歌っている。
さらに書くと、こちらは10分程度の、
小規模なものになっていて、
デュトワ盤のものと比べると、
2/3以下の長さしかない。

そのせいか、トラックも分かれておらず、
Track16の中に、全曲が収められている。

さて、このカーティス盤、
解説(Carsten Niemann)において、
「レオが彼の世代や、
その次世代のモデルとなったとしても、
いわゆる『ナポリ楽派』における、
並ぶ者なき創設の父といえば、
アレッサンドロ・スカルラッティであったし、
今もそうである」と、
アレッサンドロ・スカルラッティの重要な役割が、
一筆書きで描き上げられている。

「レオと同様、人気のある教師でもあった彼は、
模範的なオペラやカンタータの作曲家としても知られ、
ナポリ総督の礼拝堂における宮廷オルガニストでもあった。
彼の芳醇な和声、厳格な対位法の掌握、
文学に対する見識ある把握、
特に、音楽劇に対するセンスによって、
次第に時代遅れになったとはいえ、
彼は若い世代にとって刺激的な模範であった。」

という風に、スカルラッティを抜きに、
ナポリ派を語るのは片腹痛い、
と言わんばかりの書きぶりである。

私は、この「芳醇な和声、厳格な対位法」という
一節を思っては、スカルラッティへの思慕を深めるのである。
オペラ界から教育界、教会まで高名を馳せた、
レオもどえらい人間だったようだが、
これを見ると、その先陣はスカルラッティだったようだ。

「いかに念入りにスカルラッティが言葉を解釈し、
いかに器用に、最小限の効果でドラマを作り出したか、
ということを、ニ短調の『サルヴェ・レジーナ』からも、
伺い知ることが出来る。」

何と、この曲は、世界初録音だということである。
しかし、ニ短調というのは、
ここに収められた曲と考えて良いのだろうか。

この作品は、こうした調性のせいか、
デュトワのヘ短調作品とは異なり、
ずっと、沈鬱な響きである。
先の、デュトワ盤を聴いていなければ、
スカルラッティの宗教曲とは、
こんなに地味なものなのか、
と早合点してしまいそうである。

解説にも、第1曲は、こんな風に書かれている。
「罪の意識のように同じ場所を旋回する、
低音モティーフの上に歌われる、
聖処女への三つの部分からなる祈りで、
慎み深い切迫感は、
スカルラッティの作品ではおなじみのものである。」

確かに、逡巡するような、
一人、もんもんとするような音楽。
歌詞にある聖母の呼びかけとして、
極めて謙虚な謙遜を感じさせるものである。

呼びかけてみても、
結局は、マリア様は相手にしてくれない、
と分かっているかのようでもある。

そこで、一閃し、まるで、
レチタティーボのような、
激しい音楽が始まる。

「叫ぶような『我らは叫ぶ』の部分では、
彼は突然、テンポを速め、それを撤回、
同様に、驚くことに、続く、『イブの子供らが』では、
嘆願の中、自分たちの無価値に気づいたかのようだ。」

多くの作曲家が、ここぞと元気な音楽を聴かせる部分だが、
スカルラッティのこの曲では、
はるかに歌詞に忠実である。

罪深きものの子孫なのであるから、
偉そうに呼びかけるのはおかしいのである。

「続く12/8拍子の部分では、
苦々しいため息に満ちている。
続く、『追放の地で呻き、嘆く』の部分では、
嘆願するように、
旋回する低音伴奏の束縛から声を解き放つ。」

これらの部分も沈鬱な自省の念に満ちている。

しかし、スカルラッティは、
ようやく、我々に希望の片鱗を見せてくれる。

「キリストへの祈りになり、
ここでは、嘆願に答えがあったかのようで、
ヴァイオリンが天のはしごを登っていく。」
と解説に書かれたところでは、
イエス誕生の期待が明るい色調で歌われ、
優しい、心のこもった伴奏が、
朗らかな響きを響かせる。

何となく、そのまま続いていく、
マリアへの呼びかけも、
極めて真実味にあふれて等身大だ。

「しかし、スカルラッティは、
突然、その動きを打ち砕き、
最後の聖処女への祈りのために、
再び12/8拍子に突き落とすが、これは、
罪深い人間が神の御母の取りなしを必要とすることを、
彼が感じていたことを、いかにも感じさせる。」

解説にも、こんな書き方がなされているが、
実に、素直な、個人的な宗教音楽となっている。

この曲は、これまで聴いたどの曲よりも、
歌詞の語句に忠実かもしれない。

得られた事:「A・スカルラッティの芳醇な和声、厳格な対位法、そして、内省的な宗教曲の魅力。」
「デュトワ盤、透明に輝く陶酔のペルゴレージ。」
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by franz310 | 2011-12-03 23:10 | 古典
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