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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その304

b0083728_14194166.jpg個人的経験:
ナポリ派の指導的作曲家、レオの
「サルヴェ・レジーナ」を聴いたが、
さらにもう1曲を収めた、
比較的最近のCDがあることを知り、
急いでネット注文した。
ヴィヴァルディの
オペラ録音で知られる、
カーティスが指揮をしている。
独唱を受け持つメゾ・ソプラノは、
メアリー・エレン・ネージである。


この歌手は、やはりこのカーティス指揮の、
ヴィヴァルディのオペラでも、
重要な役目を担当している人である。
ここでも、「エルコレ」のアンティオペの役を、
熱演するのを紹介した。

カナダのモントリオールで、
ギリシア人の両親の元に生まれ、
1994年にアテネで学業を終えた、
とあるので、録音された時点(2008年)で、
アラフォーだと思われる。

この前聴いた、ビオンティ盤の歌手、
シュリックより、一世代若いに違いない。
それだけでなく、シュリックはソプラノで、
こちらはメゾであるという違いもある。

表紙写真は、私には意味不明だ。
カバー・フォト、Filippo Massellaniとあるが、
題名や撮影場所もない。

観光客目当ての古道具屋の親子といった風情である。
白黒写真であるが、昔の人には見えない。
最近のナポリでのスナップであろうか。
真ん中にマリア様の顔が描かれた旗のようなものがある。

このCDは、かなり最新のものと言え、
日本盤発売未定だと言うが、
このデザインでは厳しいような気もする。

なお、特筆すべきは、
かなりたっぷりした収録で、
全部で6曲も入っているということ。

CDプレーヤーに入れると分かるが、
トータルでは78分も入っている。
何故か、CDケース裏には、
67分と、控えめな数値が書かれているが。

うまい具合に、レオの他、
その先達、アレッサンドロ・スカルラッティの作品、
レオの後輩にあたるペルゴレージの作品も聴け、
ナポリ楽派の宗教曲がCD一枚で概観できる。
確かに、「ナポリの宗教曲」とタイトルが書かれている。

さらに、ここでは、
このタイトルにふさわしくない感じになるが、
レオのチェロ協奏曲も、何故か1曲入っていて、
これまで聴いたレオの作品を回想できるような効果もある。
キャサリン・ジョーンズのチェロ、
ちなみに楽団は、イル・コンプレッソ・バロッコ。

ペルゴレージは2曲が収められ、
この前聴いたビオンティ盤に入っていた、
「サルヴェ・レジーナ」はすべて聴ける。

ドイツ・ハルモニア・ムンディのものだが、
ソニー・ミュージックとも書かれている。
最近のレコード会社再編で、
昔のイメージは変えて行かないといけないようだ。

さて、今回のCD、1曲目の、
レオのハ短調の「サルヴェ・レジーナ」は、
初めて聴く曲で、その調性からしても渋いが、
2曲目に、同じくレオのヘ長調の曲が始まると、
聞き慣れた典雅な響きが聴かれて嬉しくなってしまった。

どうやら、私は、この曲が好きなようである。
ただし、前回のビオンティ盤と、今回のカーティス盤、
比較すると、全体的に、前の演奏、録音の方が、
柔らかく、優しい印象。
ビオンティ盤は、テオルボの弾奏音が、
不思議な光沢を放っていたが、
今回のものには、それが聞こえない。

また、前回のCDは、
美しいステンド・グラスで囲まれた、
Abbaya de Saint-Michel en Thieracheという教会で、
録音されたのに対し、
今回のものは、イタリア、ロニーゴという所の、
Villa San Fermoという場所での録音。

改めてネットで調べてみると、
前者は、パリの北東、人里離れた修道院で、
中世には文化的な中心でもあったと書かれている。
ホームページを見ても、珍しい壁画や、
瀟洒なオルガンなどが見られる。

一方、後者も、調べると、これまた、
中世からの伝統を誇る素晴らしい建物のようで、
由緒正しい場所のパワーという意味では、
どちらもそれぞれの主張を持っているようだ。

確かに、今回のCDの3曲目に入った、
チェロ協奏曲の朗々たる響きの残響感は美しい。
しかし、幾分、かっちり感があって、固いイメージの録音だ。

さらに言えば、ネージの声がメゾである上に、
かわいらしさの要素がなく、真摯一途なのが、
この聖母を讃える歌を、どう捉えるかによって、
評価が分かれるところにならないか。

調べるほどに興味深いナポリ派の音楽であるが、
今回の解説には、どのように書かれているだろうか。

解説には、「すべての人の口に上った栄光の処女」とある。
それだけ多くの人々が、「サルヴェ・レジーナ」という、
聖処女礼賛の楽曲を口ずさんだということであろう。
カルステン・ニーマンという人が書いている。

「リヒャルト・ヴァーグナーや、
E.T.A ホフマンなら、
レオナルド・レオの『サルヴェ・レジーナ』を、
何と評しただろうか。
そして、何故、この人たちの名を上げたかというと、
その答えは、極めて簡単である。
彼等はこの古いナポリの楽匠を知っていたし、
レオの他の教会音楽、『ミゼレーレ』を、
模範として賞賛していたからである。」

ヴァーグナーやヴェルディが、
賞賛したという話は読んだが、
ホフマンの話は、今回、初耳である。
今回は、ホフマンについて詳しい。

「最高のロマン主義者、ホフマンはそれを、
『教会スタイルで書くのに絶対的に必要な、
対位法の深い知識』と褒めている。
同時に彼は、非難の矛先を、
彼の同時代の作曲家たちに向け、
まさしくこの問題を完全に無視していると攻撃し、
彼等がもっぱら、
群衆に格好良く見せることにかまけ、
賤しい金銭利益のために、
軟弱な嗜好を見せていることを案じた。」

ホフマンが対位法について怒っているのか、
レオが無視されているのか判然としないが、
恐らく、前者であろう。

「しかし、このホフマンですら、
おそらくレオの全業績を知っていたわけではなく、
コインの1面を見ているにすぎない。
だが、レオもまた、当時の嗜好に反することは出来ず、
そのリスクを負いたかったわけでもなかった。
その『サルヴェ・レジーナ』に明らかなように、
作品は、当時のオペラの様式に大きく依存している。」

とはいえ、レオは、オペラばかりの作曲家ではなかったはず。
そう書かれると、この演奏は、オペラ的な演奏かもしれない。

「『サルヴェ・レジーナ』の応答頌歌は、
ジャンルとして人気があり、
当時の書法にぴったりのものであった。
栄光の処女マリアへの祈りの言葉は、
11世紀の前半に書かれたものである。
13世紀には、修道院の一日の終わりに、
聖務日課最後の祈りの一部として歌われた。
『サルヴェ・レジーナ』は、
典礼カレンダーにおいて、
マリアの他の三代替応答頌歌と交代で歌われたが、
もっとも頻繁に歌われたものである。
そればかりか、聖務日課を離れてもポピュラーで、
17世紀においては、
聖処女を讃える土曜の夜の特別な儀式が伝統となり、
この特別な機会、『サルヴェの祈り』においても、
『サルヴェ・レジーナ』は歌われた。
初期バロック期には、まだ、この歌詞は、
二重合唱のために曲付けされていた。」

このあたりについては、前にも読んだ感じ。

「18世紀初頭のナポリでは、
しかし、その習慣は変化し、
歌詞は独唱と器楽伴奏のために、
曲付けされるようになった。
ナポリの有名音楽院では、
こうした作曲の需要が特に多く、
教会やオペラ歌手を離れて、
そこの優れた生徒の最高度の技量を
発揮するために書かれた。」

今回、このように書かれているところを見ると、
これらの「サルヴェ・レジーナ」は、
実際の宗教儀式「サルヴェの祈り」と関係があったかどうか、
何やら怪しく感じられて来た。

確かに、様々に変転する歌詞と楽想が、
歌手の魅力を最大限引き出せるような要素となっており、
祈りというより歌唱協奏曲みたいな感じがしなくもない。
それゆえに、ここでは、途中、チェロ協奏曲などが、
割り込んで来たりするのだろうか。

「レオポルド・レオの『サルヴェ・レジーナ』は、
ナポリの境界を遠く越え、この種のものの規範となった。
1712年から聖オノフリオの音楽院で教えていた、
この才能豊かな作曲家は、これ以外のジャンルでも、
形式上の規範となるものを作曲している。
古い教会音楽の技法を完全に習得しながら、
彼はさらにコミック・オペラの先駆者でもあった。
ドレスデンの同業者、ハイニヒェンは、
レオの『サルヴェ・レジーナ』を、『熟達の作品』とし、
『古い教会形式の無味乾燥から完全に離れている』と評した。」

レオは、むしろギャラント様式だ、
などと、ビオンティ盤の解説にもあった。

「構成の上では、両作品は非常に似ている。
それぞれ、似た時期のサインを持ち、
同様のテンポ記号が記された5つの部分からなる。
注意は主に、技巧的なメロディパートに注がれるが、
器楽伴奏部も、紋切り型になることは決してない。
これらの作品で、愛想を振りまくほどに、
微妙で思慮深い音楽上の工夫で、
レオは聴衆の心を動かそうと気遣っている。」

このように、うまい具合に、
複数の部分があって、
1.ラルゴで、天の女王に呼びかける、
「サルヴェ・レジーナ」という部分が序奏、
2.アレグロが、「われらは叫ぶ」という、
ソナタ形式の提示部のような趣き、
3.ゆっくりした部分は、第2主題提示部のようで、
「御身を仰ぎ見」という部分もあり、
4.「われらが代願者」の敬虔な部分、
5.「御子」の部分では、明るい希望で、
展開部のように、音楽が盛り上がり、
6.再び、瞑想的な部分で、
マリア様に話しかけるような、
冒頭のような効果が再現される。

第2、第3の部分がくっついたりして、
5つの部分からなる、と書かれたりもする。
最後は消えるように終わるので、
チャイコフスキーやマーラーの交響曲のひな形のような、
形式のロジックが感じられてしまう。

作曲家も苦労しているのである。
何故なら、2の部分は、
内容としては、「追放されたエヴァの息子が叫ぶ」
という内容なので、アレグロになる必然性は、
必ずしも高くないからである。
が、ここで、盛り上げておかないと、
最後まで、めそめそした変化のない音楽となってしまう。

「例えば、ヘ長調の作品の冒頭では、
『哀れみ』(ミゼリコルディエ)という言葉が、
幅の広いコロラトゥーラで鳴り響き、
メランコリックな感情移入を伴い、
心地よい和声のカデンツで作品を締めくくる。
第4部の最後の、『示したまえ』(オステンデ)の願いの描写も、
何と繊細なことであろうか。
まず、つつましく慎重に嘆願を唱えながら、
自信と冷静さを持った朗唱となる。」

Track1.この作品は、非常に晴朗な開始部からして、
我々の目を天上に向けさせてくれる。
ミゼルコルディエの部分の美しい旋律線、
言葉と共に、しっかりと聞き取れる。
何と、前回、歌詞がまるで聞き取れなかったが、
今回の演奏では、くっきりと歌詞が、
歌い混まれていることが分かった。

Track2の部分などは、
ヴィヴァルディ的に響くが、これは、
カーティスがヴィヴァルディ大好きだからか。
ここは、ビオンティ盤の小編成のじゃかじゃか感が良かった。

第3曲でも、「ラクリマラム・ヴァレ」(涙の谷)が、
美しく声の綾を聴かせて、悲嘆を強調している。

第4曲は、マリア様が我々に味方してくれることを期待し、
「さらばわれらが代願者、哀れみ深い目を向けたまえ」で、
明るい明るい色調、
第5曲も続けざまに歌われ、前述の「オステンデ」は、
さりげなくであるが、確かに、優しい語りかけ。2回。

第6曲はTrack11で、
「慈悲ふかいです」「敬虔です」と、
マリア様を持ち上げているので、
純情な感じがする。

以上、レオのヘ長調、ビオンティ盤が、
19分半で演奏されていたのに、
このカーティス盤は、より大編成で演奏されているのに、
17分程度で演奏されていて、
これがすこし、慌ただしさを感じさせる。
祈りというより、演奏会を想定した行き方を、
感じさせると言っても良いだろう。

ということで、この曲は、聞き比べが出来たが、
最初に収められた曲は、私は初めて聴くもの。

「ハ短調の作品は、対照的に、
レオが派手な技巧を施し、
弦楽が常に8分音符の伴奏を続ける
ビロードのクッションの上に、
音節の切迫を伴って歌われる
コントラストに満ちた最後のセクションに特徴がある。」

という風に解説は素っ気ない。
しかも、ここに書いてあることもぴんと来ない。

Track1.いきなり、モーツァルトの、
「レクイエム」でも始まったかと思うような重さ。
ラルゴの4分。

必死の嘆願で、マリア様も、
この切実感には、胸を打たれると同時に、
あまりにもおどろおどろしくて、
顔を背けたりしないか心配になる。

いずれにせよ、ヘ長調とは全く異なる世界。

Track2.はこれまたヴィヴァルディ風で楽しい。
あるいは、ヴィヴァルディが、このような影響を、
あえて受けたのだろうか。
この部分は短く、すぐに次に行く。57秒しかない。

Track3.は「涙の谷」に嘆く部分。
アダージョ・エ・ピアノの1分48秒。

Track4.は、不思議な恩寵の色彩に満ちて神秘的。
レントで、夕暮れの情感に満ちていて、
「哀れみの目を向けたまえ」の、
願いが切々と歌われている。
この部分は3分23秒と長い。

Track5.は、音楽が活気付き、
御子への希望が歌われる。
ラルゲットとあるが、
低音で繰り返されるオスティナートの効果もあって、
バッハ風に深い。2分19秒。

Track6.は、ラルゴの3分で、
再び、マリアへの懇願に沈み込んで行く感じ。
改めて解説にあった部分を思い出すが、
弦楽が柔らかく受け止める中、
歌唱は、切実さを極めるような表現力に満ちる。

以上、約15分なので、
ヘ長調よりコンパクトサイズである。
が、祈りの終わりにせよ、
独唱者の名技の披露にせよ、
適当なサイズではあろう。

が、沈鬱なイメージで、コンサートで聴くなら、
ヘ長調を聴きたい。

「レオがスタイルの上で基準を作ったのは、
教会音楽の分野だけではなかった。
今日、彼のソロ協奏曲の発生に果たした貢献が、
ますます見直されている。
1738年にナポリから遠く離れた、
マッッダローニ公のために書かれた、
ニ短調協奏曲は、ヴィヴァルディのアプローチとは、
全く異なる独特のギャラントスタイルを取っている。
ヴィオラを持たない伴奏の、
弦楽部の生き生きとした動機の書法は、
より入り組んでいるし、
ソロと伴奏の対話は、その技巧性にも関わらず、
室内楽的な親密さを展開している。」

この解説はうまい。
確かに技巧的でありながら、親密というのは、
ごく限られた室内楽の傑作でしか聴かれない言葉である。
シューベルトの「ます」の五重奏にも、
そうした側面があるだろう。

5曲もの「サルヴェ・レジーナ」の中で、
ぽつりと置かれた、この協奏曲ニ短調、悪くない。

Track12.
アンダンテ・グラツィオーソの第1楽章の楽想も、
祈りの情感が感じられ、宗教曲のようだ。

まえに、この曲を聴いた時は、
「前の諸作より感情の表出が増幅され、深くなっている。」
という解説を読んだが、サルヴェ・レジーナという曲種にも、
そうしたところがある。

繊細なオーケストラに支えられ、
チェロの歌はしみじみと、味わい深く、
「恋わずらいの緩徐楽章」と書いたが、
ここでは、まえに聴いた演奏より速い。
4:06だったのが、3:42で弾かれている。

Track13.
第2楽章は、コン・スピリートで、
かなり技巧的な部分。こうした流れも、
何故か、「サルヴェ・レジーナ」風である。

Track14.
第3楽章は、「星を見上げ、逡巡するような音楽」
と前に書いたアモローソだが、
4:53で弾かれていたのが3:37で弾かれていて、
さらに切迫感が強まっている。
これもまた、「サルヴェ・レジーナ」のように、
「涙の谷に嘆き泣くなり」という音楽とも言えよう。

Track15.
第4楽章は、焦燥感にあふれたアレグロ。
ここは2分16秒という速さで疾走していく。

この後、アレッサンドロ・スカルラッティの、
「サルヴェ・レジーナ」が収録されているが、
これについては、次回に回そう。

その前に、前にも聴いた、
ペルゴレージの2曲の「サルヴェ・レジーナ」が問題だ。

解説には、このようにある。
「ペルゴレージは、ナポリで学び、
おそらくレオの弟子であったが、
一見、ペルゴレージの
『サルヴェ・レジーナ』ハ短調は、
レオのものより、スカルラッティの語法に近いように見える。
聴衆は、すぐに彼のバックグラウンドの語法、
つまり、動機を主導する低音上の上質のハーモニー、
高度な対位法の出来映えなどに気づくが、
それらは、より新しい表現、個人的な質感を見せる。
この作品を作曲していた時、
致命的な病気にかかっていた作曲家は、
焼け付くような不協和音で質感を豊かにし、
飾りはないが、しかし、表現力豊かな声が、
高度に感情的なため息の形を表している。
彼は、周到に長調と短調の明暗配合によって作品をはじめ、
最初の『サルヴェ』部では、解放五度の上を、
声を引き延ばして懇願させるような、
驚くべき要素で聴衆の心を動かす。」

これは、2曲あるペルゴレージの、
「サルヴェ・レジーナ」のうち、有名な方である。
一説によると、名作「スターバト・マーテル」と、
一緒に書かれたという。

このCDでは、2曲とも収録されていて便利だが、
先にこの曲が収められている。
解説には、冒頭の懇願が味わい深いとあったので、
心して、そこを聞き取ろう。

Track17.3分27秒のラルゴ。
この開始部は、いつも感心する。
不思議な降臨の神秘体験のようなものを感じる。
今回のネージの声は、決して天上的に美しいものではなく、
むしろ、人間の生々しい声といった感じだが、
我々自身の声という感じがする。

Track18.アンダンテとあるが、
かなり錯綜したもので、速い楽章という感じがする。
57秒で行ってしまうが、歌詞はしっかり聴き取れる。

Track19.2分47秒のラルゴ。
「涙の谷に嘆き泣く」という部分だけでも、
様々な音楽的ニュアンスが詰め込まれている。

Track20.「あわれみ深き目を向けたまえ」であるが、
アンダンテとあるが、もっと速い感じがする。
1分25秒で終わるのは、すごい切迫感である。

Track21.は御子の登場で、
心浮き立つ感じがよく出ている。
アンダンテ・アモローソとあるように、
優しげな眼差しと期待に満ちた2分8秒。

Track22.はラルゴ・アッサイ。
1分35秒に、再び、マリア様への、
懇願が深まって行く。
死の病に苦しんでいたペルゴレージの、
心の有様までが、感じられるような音楽。

さらに最後には、前回のCDでは冒頭に入っていた、
ペルゴレージ作曲、イ短調の「サルヴェ・レジーナ」が、
収録されている。

「対照的に、同じテキストによる、
ペルゴレージ初期のイ短調作品は、
さらにギャラントなものである。
聴衆の注意は、高音の声部にひき付けられ、
バスにおける力強い根音位置和音が
優美なアルペッジオを導き、
ハーモニーはすべて、
メロディから流れ出るように聞こえる。」

このギャラントという表現はそうかもしれない。
が、とにかく、序奏部の不思議な恩寵からして、
何となく、心にしみいるものがある。
メロディの魅力から全てが決まっている感じも、
よく分かる。

「最初の部分から、ペルゴレージは、
ヴァイオリンをギャラントなため息で飾った。」

ヴァイオリンのきーん、きーんという感じを、
この解説者は、ため息と聴いたのだろうか。
私には、語彙が足りないかもしれないが、
むしろ、恩寵の象徴のように感じられるのだが。

「第二部の嘆願は心地よいコロラトゥーラを駆使した。
悲哀の中に表出される嘆きというより、
涙ぐんだ懇願のテキストを、
短調の常に暗い色彩を通じて感じさせる。」
とあるが、このセコンド・セクションというのは、
Track23の後半のことか、
Track24のことか分かりにくい。

というのは、テキストで懇願しているのは、
「あわれみ深き御母」というTrack23の方が、
「我らは叫ぶ」というTrack24よりも、
合致しているように思われるからである。
最後の「サルヴェ」は、
ものすごく引き延ばして歌われる。

Track24.は、アレグロ。
むしろ、喜ばしい音楽に聞こえ、
「御身に向かい、我らは叫ぶ」と勇ましく、
Track25.は連続した音楽に聞こえ、
しかし、50秒しかなく、
絶妙なテンポ変更で、「涙の谷」のラルゲットになる。

1分程度でテンポをシフトして始まる
Track26.の「アレグロ」は、
再び、音楽が息づき、
「代願者、あわれみ深き目を向けたまえ」の、
積極的な訴えかけになるが、
御子の到来を予告して、
いくぶん、期待が高まって来ている感じ。
この部分は6分割の4、5の部分を混ぜた感じ。

解説にも、ここは舞曲調とされている。
「『向けたまえ』(エヤ・エルゴ)でも。
瞑想的な最後の部分で、ペルゴレージが、
レオのハ短調のモデルを想起するように見えるまで、
栄光の処女マリアは、喜ばしい舞曲で祝福される。」

Track27.は、このように、
レオをモデルにしたとされる部分。ラルゴ。
「おお、慈悲深きマリアよ」は、
再び、嘆願調で現実に戻った感じ。

レオの2曲ともラルゴだった。
レオのハ短調は、寒々とした孤独の訴えであり、
ヘ長調は、少しずつ純化されていくような表現。
ペルゴレージが似ているとすれば、
ハ短調だろう。

改めて聴いても、ペルゴレージの2曲、
レオの2曲ほどの違いはないが、
私は、有名なハ短調よりも、イ短調の方が親しみを感じる。

これらの2曲、イ短調は、ビオンティ盤が11分半、
カーティス盤が10分程度。
ハ短調は、ビオンティ盤が15分程度に対し、
カーティスは12分程度で、
これまた、カーティス盤のテンポの速さが分かった。

ビオンティ盤の方が祈りに近く、
カーティス盤の方が、表現力が大きく、
コンサート的かもしれない。

ヴィヴァルディの長大なオペラでは、
このような割り切りの良さが助けになったが、
このような曲種では、もうすこししっとりさせても良かった。

併録は、ビオンティが室内楽だったのに対し、
こちらはチェロ協奏曲であった。
そうした点からも、二つの演奏の違いが分かるだろう。

得られた事:「サルヴェ・レジーナは、序奏と終結部をゆっくりした楽章で統一、その間の4つの部分に、速い部分や舞曲調の部分が挟まって、声楽ソナタのような構成感。」
「天上的な表現では、歌詞が聞き取れず、歌詞を克明に歌うと世俗的になって、バランスが難しい。」
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by franz310 | 2011-11-27 14:20 | 古典
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