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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その299

b0083728_1681393.jpg個人的経験:
ヴィヴァルディ円熟期の大作、
オペラ「バヤゼット」には、
ビオンティによるCDがあるが、
ヴァージン・クラシックスから
出ていたこの商品は、
忘れられていた傑作を
復活させようという意欲に満ちた、
添付解説書でも魅力的であった。
「バヤゼット」を書いた頃の
この作曲家の環境も勉強になる。


ヴィヴァルディ関連のCDを聴き進み、
ナポリ派がオペラ界を席巻し、
ヴィヴァルディをはじめ、
ヴェネチア派が追い詰められた話ばかり聞かされると、
どうも、ナポリ派が悪者に思えて来るし、
その音楽がもっと知りたくなってくる。

しかも、ビオンティのCD解説では、
オペラ「バヤゼット」の具体的解説の後、
続いて、「ヴィヴァルディ対ファリネッリ」
という見出しの一章があるのを見て、仰天してしまった。

ファリネッリとは、日本では、主に、
映画の主人公としても知られている、
カストラートの代表選手である。

ちょうど、この人に焦点を当てた、
「ファリネッリのためのアリア集」などというCDがある。
このCD、アラスカ出身の歌手ヴィヴィカ・ジュノーのデビュー盤で、
何と、「バヤゼット」で、イレーネ役を歌っていた人だ。

こちらの解説(ラインハルト・シュトロームとヤーコブズ)も、
素晴らしく充実したものだが、
日本盤(余田安広訳)も出たので、詳細は、そちらを参照されたい。

このCDは、ハルモニア・ムンディから出ているもので、
デビューしたても新人にしては、豪華なバックを従えている。
ルネ・ヤーコブス指揮のベルリン古楽アカデミーである。

ジャケットはシンプルで、
黒い基調に、白装束の若い女性が立っているだけ。
ハルモニア・ムンディというと、絵画調の表紙を連想するが、
今、手にしているものは、ちょっと違う感じである。

妙に地味な外観だが、
CDに収められた音楽は、
「バヤゼット」を聴いて喜んだ人なら、
聴きたくてたまらないものかもしれない。

ファリネッリが歌ってヒットした、
オペラからのアリアが収められていて、
ポルポラやブロスキ、ハッセ、ジャコメッリといった、
いかにもヴィヴァルディを苦しめそうな作曲家が、
CDケース裏面には、ずらりと名を連ねている。

どうせなら全曲を聴きたいものだが、
敵の将軍級がこれだけ揃っていると、
胸が高鳴って来る。

1曲目のポルポラから、
非常に明るい色彩があふれて、
待ってました、という感じ。
ナポリ派はシンプルで美しく、
曲想の変転はドラマティックである。

Track1.ポルポラ(1686-1768)作曲
歌劇「オルフェオ」より「この上なく悲しい恋に」。

ポルポラは、Track8、9にも出て来るが、
この人は、ナポリ、ヴィーンの両方の宮廷で活躍した人で、
メタスタージオとの「アンジェリカ」で成功、
これでファリネッリがデビューしたのだという。
作曲家ハッセもこの人の弟子だという。

が、この人の後半生も悩ましかったようで、
ロンドンではヘンデルの好敵手であったが撤退、
ドレスデンの楽長の地位はかつての弟子のハッセに取られ、
ハイドンを教えたりしたが、
結局、ナポリでみじめな晩年を送ったとされる。

この「この上なく悲しい恋に」は、
中間に、強烈な装飾パッセージが出るが、
前半は、メヌエットのようなリズムが明るく、
優美そのものな音楽である。

内容は、最も悲しい恋が幸福なものになった、
というものであるが、
愛が運ぶ全ての苦痛は、一瞬の歓喜で消え去る、
という部分で悲愴な熱唱になるが、
これは、もっと感極まった高鳴りにしなければなるまい。

ただし、ジュノーが、当時のカストラートのように、
恐るべき声を響かせているかというと、
そんな事はなさそうだ。

このジュノー盤CDの解説をちらりと見ると、
「ファリネッリの声は輝かしく、
豊かで、しかも力強く、
張りのあるソプラノだった」、
というクヴァンツの回想が出ているが、
「呼吸法は豊かな肺活量に支えられ、
声帯は自由闊達な動きをしていた」、
という特質なども、
別にジュノーの歌から特別に感じられることではない。

「若者らしい情熱、たぐいまれな才能、
聴衆の熱いまなざし、鍛えられた喉。
それらを一身にあつめ、
時として惜しげもなく自らの歌で発散した」
というような圧倒される類のものではない。

圧倒される、という意味では、
この前聴いた、「バヤゼット」の時のジュノーや、
他の歌手陣の方が強烈だった。

2002年のこのデビュー盤から2年、
2004年のオペラ全曲録音では、
多くの歌手仲間に囲まれて、
より自然で、伸びやかな表現になっているような気がする。

よく見ると、この解説の中で、
ヤーコブズは、別に、ジュノーが、
カストラートを再現できる唯一の歌手だとも、
カストラート並みの表現を行っているとも、
書いていないのではないか。

日本盤にある「長年再現を夢見てきたヤーコブスが、
アラスカ出身の歌手を発見」とは、
単に、誇大妄想と商売上のテクニックと見た。

ヤーコブズは、彼が書いた解説の中で、
「歴史に消えたカストラート」という題で、
男女両性の声を併せ持つ夢を追った結果としてのカストラートと、
男役を専門とするコントラルトは似ていることを指摘、
バロック時代にも、カストラートが女役を演じ、
女性のアルトが男役を演じても、
オペラ・ファンたちは異を唱えなかったと書いており、
むしろ、カストラートの役は女声でやれば良い、
と、暗に言っているようである。

それは、「バロックの本質である異形趣味」、
「演劇にひそむ非現実の世界に対する憧れ」
という、ロドルフォ・チェレッティの言葉を引用し、
当時の時代の病気のようなものと、
書いているのではなかろうか。

この後、彼は、当時の教本にある、
「張りのある胸声と、やわらかく繊細な頭声とをブレンドする」
という歌唱法こそが重要と強調した論旨に移っていく。
それには、男性歌手のファルセット唱法では対応が難しく、
むしろ女性歌手に任せた方が良い、というわけである。

「太くまろやかな低音も、柔らかな高音も出せた上、
めまぐるしい軽快な音型も表現」できる、
メゾ・ソプラノの利点を挙げる一方で、
ヘンデルのオペラでカストラートが不足した場合、
女性歌手で代用することはあったが、
「カウンターテナー」で代用することはなかった、
という説も紹介している。

むしろ、男性歌手が、高音を出そうと、
ファルセット唱法を濫用したことの害を列挙し、
高い声は女声にまかせれば良い、
という考え方を開陳しているのである。

若い頃、カウンターテナーで鳴らしたヤーコブスの、
前半生総括とも言える論調で、
何となく寂しくなって来る。
(「劇的オラトリオでは、カウンターテナーは重要だ」、
と言ってはいるが。)

さて、このような主張を持った指揮者であるから、
ジュノーにファリネッリのパワーまでを、
再現させるつもりで録音したものではあるまい。

繰り返し、ヤーコブスが書いているのは、
ファリネッリなどカストラートの歴史的意義は、
むしろ、女声風の高音から、男声風の低音までを、
均一に出す歌唱法を編み出した点なのである。
そうした均質感をこそ、味わうべきCDなのであろう。

そういった観点から聴くと、
このジュノーの歌唱は、少々固いながらも、
声の均質さに関してはバランスが取れている。

そんなポイントが重要なのだとしたら、
ヴィヴァルディは、むしろ、意気投合したのではないか。
別に、「ヴィヴァルディ対ファリネッリ」という構図ではない。
そもそも、ファリネッリは1705年生まれ。
ヴィヴァルディより27歳も若く、ひと世代も違う若造である。

昔、ベルリオーズの評伝で、
「ベルリオーズ対ワーグナー」という一項があったが、
別に、対決構図にしなくても、いいのではないかと思った。
それと似た感覚である。

しかし、昨今のIT革命時代、
若い起業家が次々と登場し、
かつての若手だったゲーツが引退し、
ジョブズが死去している現状を考えると、
ビジネスという観点では、
まさしく「ヴィヴァルディ対ファリネッリ」
であったことが、読んでいくうちに分かる。

このジュノー盤解説によると、
彼がオペラに関わったとされるのは、
1720~37だと書かれており、
まさしく「バヤゼット」作曲、初演の時期に、
あるいは、ヴィヴァルディが興業主として活動していた時期に、
ばっちりと重なっているのである。

そして、このシュトロームの解説によると、
ファリネッリという歌手が、
ものすごい声量でトランペットと張り合った話、
彼が出る劇場に観客が殺到したので、
ライヴァルの劇場が激減した話などが書かれている。

確かに、こんなのがいたら、
ヴィヴァルディとしても、心が落ち着かなかったであろう。
そのあたりのことが、後述する、
前に聴いたCD「バヤゼット」の解説にも、
よく書かれている。

この「ヴィヴァルディ対ファリネッリ」という構図は、
純粋に芸術上のものではなく、
死活問題としての、ビジネス上の火花が強烈だ。

しかし、この時期を過ぎると、ファリネッリは、
20年以上もスペイン王室の専属になった、
といった事が書かれている。
あっけない終わりである。勝ち逃げか。

このデッドヒートの後、
ヴィヴァルディは亡くなってしまうが、
素寒貧で死んだ、とされているので、
確かに、片や勝ち組、片や負け組と見えなくもない。

ここで、再び、「バヤゼット」のCDの解説に戻ろう。
ヴィヴァルディのCDで読めば、このファリネッリは、
何ゆえに戦うべき相手であると解説されているのだろうか。

「『バヤゼット』において、ヴィヴァルディは、
自身の芸術の独自性のみならず、
流行に甘んじることなく、
えり抜きのアンサンブルを組み合わせる、
素晴らしい才能を披露した。
まさに、強力なカストラートが、
絶対的勢力を持っていた時代である。
高いギャラを要求する気まぐれなスターたちに、
ばかげた賃金を費やすことは、
すべての劇場が破産の瀬戸際にあることを意味した。」

このような解説を見ると、
ヴィヴァルディは、高いギャラを要求する、
売れっ子スターに反対したことはあるかもしれないが、
ファリネッリを目の敵にしていたわけではなさそうだ。

「興業主としてのヴィヴァルディは、
20年以上の長きにわたって、
オペラで彼を成功させてきた方法を続けることを好んだ。
彼はスーパースターたちを無視して、
彼のサークルに属していた仲間たちや、
新しく発見した才能や新星からなる、
アンサンブルと仕事をすることを好んだ。」

ということで、個人芸に対し、
チームワークで対抗しようとしたわけである。
まるで、どこかの国のサッカーや、
ハンドボールの戦い方みたいな話だ。

確かに、オペラの本質としてはヴィヴァルディの方が、
正道と言えるのかもしれない。
ファリネッリたちは、
オペラを単なるショーにしてしまったようにも読める。

が、ヴィヴァルディが興行主だったことを考えると、
これは、どこにどう投資して、どう利益を得るかという、
経営戦略にも思えて来るから面白い。

最近亡くなったカリスマ経営者、
スティーブ・ジョブズ氏に敬意を表するならば、
カリスマが作り上げたiPhoneに対し、
グーグルなどが、OSはオープンだと言う美学を掲げ、
アンドロイドを提案したようなものか。

が、こちらはまだ勝負はついていない。

あるいは、ゲーム業界。
みんなで大作を作る従来型の任天堂に対し、
誰でも才能があるものがスマートフォンに飛ばし、
大ヒットさせて行くような状況であろうか。

ユーザーや観客にとっては、
どっちも時間が楽しく過ごせれば良いのである。

話がかなり妄想になってしまったが、
この「バヤゼット」のCD解説は、
実は、この後、ヴィヴァルディの仲間たちの話が、
大変、興味深いのである。

このあたりで観念ではなく、人間の活動を見ていく感じ。

「前者に属する歌手の中でのリーダーは、
ヴィヴァルディの古くからのお気に入りのコントラルト、
アンナ・ジローで、しばしば、
10年以上も彼の生徒であり、
『赤毛の司祭のアニーナ』と呼ばれ
親友であり、秘書であり、
おそらくはプライヴェートな看護婦でもあった。」

これは気になる。
ネット検索すると、この二人をテーマにした、
小説もあるようだが、私は知らなかった。

「コンティ神父によると、最も美しい一人ではなく、
また、その声が力強いということもなかったが、
証言者によると、『美しくチャーミング』であったジローは、
それにもかかわらず、ヴィヴァルディのオペラ活動では、
中心的な役割を果たし、
1737年に彼は、
『ジロー嬢なしに、オペラ上演は不可能です。
何故なら、彼女のような度量のプリマドンナはいないからです』
と書いている。
その声に対する評判にも関わらず、
アンナ・ジローは、傑出した女優と考えられており、
プリマドンナとしての彼女を想定した役柄は、
1730年代のヴィヴァルディの全作品に見られ、
その能力が明らかにされている。
アステリアの猛烈な役柄は、
彼女の能力を引き立てるものだ。
その役柄は、ゴルドーニが、
ヴィヴァルディのこう言ったという事からも分かる。
彼女は『なよなよした歌唱』は好まず、
『異なった感情』を表すために
『ため息混じりの途切れ途切れの言葉と、
演技と扇動によって』、
むしろ『表現と興奮』の歌唱を好んだ。」

ヴィヴァルディの仲間たちの、生々しい紹介は、
これまで私は読んだ事がなかった。
私には大変、新鮮であった。

しかも、このジローは、公私ともに親密であったようだ。

ただし、まだまだ続くので大変だ。

「タメラーノ役は、もう一人の長いつきあいの仲間、
フィレンツェのコントラルト、
マリー・マッダレーナ・ピエリによって歌われた。
ピエリは、フィレンツェのペルゴラ劇場の興行師、
アルビッツィ侯爵の公式な愛人で、
当時、そのステージ・キャリアの終わりにさしかかっており、
『バヤゼット』は、知られている限り、
彼女が舞台に立った最後のオペラであった。
彼女は戯画化した役割を得意とし、
1726年にヴィヴァルディは『テンペのドリッラ』で、
彼女をスターに押し上げ、
特に彼女のためにタイトルロールを書いた、
『ファルナーチェ』ではさらにその上を行った。
その時、彼女は当時最高のカストラート歌手とも、
比較されるほどであった。
1733年、ピエリはマンチュアで、
ヴィヴァルディのために歌い、
この時は、『セミラーミデ』のニーノを受け持った。
彼女のために、ヴィヴァルディは、
最も美しい2つのアリア、
『Vincera l'aspro mio fato』と『Con la face di Megera』を作曲している。
1735年、彼がヴェローナに現れた時、
ピエリにサインさせ、その保護者の愛顧を得ることで、
フィレンツェとの契約が出来ることを、
ヴィヴァルディは望んでいたと思われる。
『バヤゼット』の数ヶ月後、彼は実際、
ペルゴラ劇場からの新しい依頼を受けている。」

ということで、ヴィヴァルディという人の、
したたかな人物像も、見てとれるエピソードとなっている。

以上の二人が古株であるが、以下、
ヴィヴァルディが発見した新人歌手の紹介に移る。

「『バヤゼット』のアンサンブルには、
彼等のキャリアの出発点となった、
3人の歌手たちが含まれており、
ヴィヴァルディは、彼等の発見に功績がある。
彼は、こうした発見にうまく狙いをつけ、
彼は定常的に若い歌手たちと接触し、
作曲家、興行師、エージェントとして劇場世界で暮らし、
生涯を通じて、不屈のスカウトマンであった。」

ヴィヴァルディは、地道にこうした活動もしながら、
自らの理想のオペラを構想していたのであろうか。
単に、ファリネッリだけを想定して作曲に励んでいた、
ナポリ派の方々とは、少々、スタンスが違うようである。

人間の幅としても、
こうした人作りまでを考えていたヴィヴァルディはすごい。
現代の経営では、どうしても効率を優先して、
このような側面は見失われがちなのである。

「彼の正確なジャッジによって、
ファブリやストラーダのようなレベルの歌手、
紛れもない声楽の天才が1735年に舞台に立った。
若いヴェネチアのソプラノ、
マルゲリータ・ジャコマッツィが、
ヴェローナの公衆の前に現れたのである。
ジャコマッツィは、イレーネの役を素晴らしく歌い、
1735年のカーニバルのシーズン、
ヴィヴァルディの『バヤゼット』と『アデライーデ』で、
ステージデビューを果たした。
彼女は素晴らしい音域を持ち、
その驚嘆すべき技巧は、
カストラートの王国で戦うヴィヴァルディの、
強力な武器となった。」

ようやく、ここで、秘密兵器養成、
あるいは、対抗商品の開発という観点が述べられた。

カストラートの王国で戦うヴィヴァルディ、
というのが、この解説を書いた、
フレデリック・デラメア氏の構図だが、
iPodに対抗するために、
ノイズキャンセルを搭載したソニーのウォークマンみたいななのである。

が、ヴィヴァルディが、
カストラートを使わなかったわけではないことは、
この解説を読み進めていけば分かる。
が、このあたりを書き出すと時間が足りないので、
早く、このCDを聴いて見よう。

Track2.リッカルド・ブロスキ(1698頃-1756)
の歌劇「イダスペ」より「忠実な影となって」。
解説によると、ファリネッリは本名カルロ・ブロスキで、
その兄弟だという。
この「イダスペ」というオペラは、
解説を読んでも、よく分からないが、
恋人を奪い返すために戦っているようである。

「レーテの川辺を愛しいあの人と寄り添って行きたい」
としみじみと歌うだけのものだが、
何と、10分以上もかかるアリア。

歌手がひとりで、こんなに長大なアリアを、
陶酔して歌うばかりのオペラを想像すると、
聴く前から疲れてしまいそうである。

シュトロームの解説では、この曲は賞賛されていて、
「この曲は、ブロスキ兄弟が手がけたもののうち、
特に卓越したものひとつと言える」とある。

ひたすらカンティレーナの美しさを強調するもので、
起伏は少なく、ホルンの伴奏を伴いながらの序奏や間奏も長い。
モーツァルトの初期交響曲の緩徐楽章を思わせ、
ある意味、非常に美しい。

何と、この恋人は、むしろ囚われたまま王座に就く方がいいわ、
などと言ったらしい。
せっかく救出したのに、この仕打ちである。
10分くらいの嘆きでは足りないかもしれない。

ここで、バヤゼットの解説に戻って、
ヴィヴァルディが用意した、
秘密兵器の話を進めなければならない。
というのも、このジュノー盤CDのTrack3に収められた、
「戦場の兵士のように」に関連する記述が出て来るからである。

「『バヤゼット』の中で、彼は、遠回しの攻撃を加えた。
ジャコマッツィは、ファリネッリのレパートリーから、
最も知られた2つのアリアを歌った。
そのシンボルとも言うべきアリア、
『戦場の戦士のように』
(ビオンティ盤のCD1のTrack17)と、
前のシーズンに大きな成功を収めた、
『侮辱された花嫁』(ビオンティ盤CD2のTrack8)
である。」

これらの1曲、『戦場の兵士のように』は、
うまい具合に、今回のジュノーのCD(Track3)
にも入っているばかりでなく、
「バヤゼット」の付録DVDでも見ることが出来る。

私は、てっきりヴィヴァルディは、
メロディだけを拝借したのだと思っていた。
今回、両者の歌詞を比べてみると、
歌詞までまるパクリであることが分かった。

おそらく、歌謡曲と同様、メロディのみならず、
歌詞までが、人口に膾炙していたものと思われる。

この曲は、シュトロームによって、
「彼の最も知られた歌曲のひとつ」とされ、
めまぐるしい声の動きを堪能させ、
声域の広さを誇示するものと書かれているが、
ものすごい超絶技巧が堪能できること請け合いである。

この超絶感は、急速に駆け上がる
パッセージでせき立てる部分に、
あたかも合唱がリフレインするような効果があって、
まるで、ひとりで何役もこなしているように見える事と、
ゆっくりした部分では、心ゆくまで、
声のなめらかさを強調して対比を、
明解に打ち出すことなどによって打ち出されている。

ジュノーの歌唱、「バヤゼット」の方では、7分37秒で歌いきり、
今回のCDでは、8分08秒かけているが、
「バヤゼット」の方がバックのアタックが強く、
間の取り方も強調が激しい事もあってか、
勢いを感じる出来になっている。

歌詞は、たった7行。
1.戦場における兵士のように、
2.強さと勇気をもって、
3.愛に撃たれた心には、
4.軽視と愛がせめぎあう。
5.疑わしいなりゆきへの恐れ、
6.嘆きと危険な賭け、
7.我が心を混乱させ惑わせる。

しかし、歌われると、
1.戦場における兵士のように(高く)、戦場における(低く)、
となったり、
3.愛に撃たれた心にはああああああ、
となったり、
4.軽視と愛がせめぎあう軽視と愛がせめぎ合ううううううう
軽視と愛がせめぎあう軽視と愛がせめぎ合ううううううう
となったりして、
1に戻り、
今度は、2もリフレイン付き。
2.強さと勇気を持って(高く)、強さと勇気(低く)、
このあとは、
4.軽蔑と愛、ああああああ(高く)ああああ(低く)、
ああああああばかり言っているようだが、
あーああああああと下がって来て、
じゃんじゃか伴奏が盛り上げる。
これは文章で書くのはつらい。

DVDで見ると、日常生活では見たことのないような、
唇の動かし方で、ジュノーは興奮を盛り上げている。

この後、5以下の部分がゆっくりしっとり歌われるが、
ここでも、やたら、言葉が伸縮している。
5.疑わしいなりゆきへの恐れ、
6.嘆きと危険な賭け、となるが、
危険をきーいいいーけーんーと歌っている感じ。
こんなので、何を言ってるのか分かるのだろうか。
7.我が心を混乱させ惑わせるも、
まどーーーわせーーーる、と歌われている。
二回目の繰り返しでは、この部分が深く下降して、
不気味な感じを出し、
三回目の繰り返しでは、高く上げて、言葉を弄んでいる。

また、ゆっくり歌う時にも、「バヤゼット」での歌唱の方が、
速いのだが、心を込める余裕が出来ているようだ。

特典DVDに見る、この歌唱録音風景は、
まさしく歌唱芸術の極地のような壮絶さがある。
すべてのパッセージが生き生きと息づいて、
完全に自信に満ちた完成形がある。

この一曲を聞き比べるだけで、
へとへとになってしまう。

得られた事:「カストラートの歴史的意義は、高音から低音までの幅広い音域を均一に歌う美学を確立したことである。」
「『アップル対グーグル』=『ファリネッリ対ヴィヴァルディ』。」
by franz310 | 2011-10-23 16:10 | 古典
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