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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その297

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その297_b0083728_1951457.jpg個人的経験:
ヴィヴァルディのオペラ、
「バヤゼット」(バジャゼット)を、
ヴァイオリンの名手としても知られる、
ファビオ・ビオンティが指揮したCDが、
大変な名盤として紹介された事があるが、
最近、再発売されているようである。
前に出ていたものは、
解説書も読み応えがあり、
付録のDVDもついていて、
この作品の魅力を見せつける
好企画だった。


表紙は、かぶり物と頬髭から、
イスラム系とわかる男の横顔だが、
金色に輝く陰影豊かなモノクローム調が、
悲劇的な雰囲気を盛り上げている。

この主人公、バヤゼットが、いかなる人物であるか、
あの南国の陽光に輝くヴィヴァルディが、
どのように、この人物に向きあったかが、
詳細に書かれた解説も魅力的である。

2004年の4月の録音なので、
それほど古いものではない。
演奏は、ビオンティの手兵、
エウローパ・ガランテである。

編成を見ると、オットー大帝とは大違いで、
ヴァイオリンは10人もいて、
オーボエ、ホルンも二人いて、
ハープやテオルボを含む、
コンティヌオだけで5人がかりである。

Frederic Delameaという人が書いた、
この大部の解説を逐一紹介していたら、
日が暮れてしまうので、
まず、このバヤゼットが何者であるかに触れた部分、
「バヤゼットとティムール」と言う部分を先に見ていく。

「音楽劇の最初期から、ヴェネチアの台本作者は、
東洋風のテーマを好んでいた。
ヴェネチアは、何世紀にもわたって、
東洋への玄関としての役割を享受しており、
地中海の東というその地理的特性からも、
なお、その重要性を失っておらず、
繰り返される戦争によっても、
愛国的な意識を高めていた。
しかし、東洋は、
その富や影響力を奪うことによって、
容赦なく街の衰退に拍車をかけており、
ヴェネチアでのイメージは、
同時に、東洋から拒絶されているというものであった。
それゆえに、バヤゼットという、
オスマンの力と凋落の象徴のような人物が、
ヴェネチアの芸術に印を残していることは、
何ら驚くに値しない。
ヴェネチアの人にとって、バヤゼット一世は、
キリスト教西欧と接する広大な帝国を支配した、
不屈の戦略家と見られていたと考えられ、
聖ペテロの王冠を、いつの日か、
自分の馬の飼い葉桶にしようと誓ったとされる、
傲慢なスルタンは、究極の強敵でもあった。
しかし、1402年、7月28日、
アンカラにおけるティムールとの戦いでの、
彼の敗戦と、つづく屈辱的な境遇から、
彼は、深い悲劇的な人物として捉えられることとなる。
足が悪かったことから、
『びっこの君主』として知られるティムールは、
歴史上、最も血なまぐさい暴君として知られている。
その伝説的残忍さと無限の冷酷さは、
その言葉、
『神の怒りの中で生まれ、
激怒させるものを克服する力を与えられた者』
に表されており、それが、
すでにその恐怖が違う局面になっていた時代にあっても、
彼を恐怖の象徴にした。
その恐怖の人柄は、
戦勝記念に切り首の塔を建てたという、
古代モンゴルと同様の憎悪の対象となり、
人々の記憶に最も残虐な手段で征服された人々に、
最悪の記憶を残すことになった。」

このように、恐れられたティムールと、
オスマントルコとの戦争の後日談が、
このオペラの題材となっているわけである。

講談社現代新書の「オスマン帝国」(鈴木董著)にも、
このオペラの主人公バヤゼットは、
「電光バヤズィット、十字軍を撃破」というタイトルで登場する。

彼は、なんと、兄弟を皆殺しにして王位に登った、
オスマン朝第四代君主で、「電光」という異名で各地を急襲、
急速にバルカンを蹂躙した。

脅威を感じたハンガリー王は、十字軍を組織したが、
集団戦法で蹴散らされ、
多くの西欧の王族、貴族が捕虜になったとされる。

コンスタンティノープルも陥落も間近になるや、
何と、中央アジアのティムールが現れ、
背後を突かれる形で、アンカラでの戦闘に入ったとされる。
軍団長は、王子と大宰相を連れて戦線を離脱、
バヤズィットは取り残されて虜となったとある。
彼は、幽囚中に、失望のあまり死んだと書かれている。

このような歴史的背景は、非常に興味深いが、
このCD解説に戻ろう。

「トルコから重要領土を割譲させた、
カルロヴィッツの平和によって、
ヴェネチアの止まらぬ衰退が、小康を得た、
1699年に、象徴的なことに、
バヤゼットの没落を描いた音楽悲劇が、
初めてイタリアで上演された。
次の世紀の終わりまでに、50に近いオペラが、
同じ伝説に従って、バヤゼットとか、
タメラーノ(タメルラーネと訳す場合もあるようだ)
(ティムール)のタイトルで現れた。
この悲劇はこの間、次第に堕落して茶番になったが、
その最後は1792年、ローマでの
『タメラーノに敗れたバヤゼット』
という英雄悲劇黙劇バレエであった。
この間、ガスパリーニからヨメッリという重要な作曲家たちが、
ヘンデル、レオ、ポルポラと並んで、
荒れ狂うスルタンと凶暴なタタールの対決の物語を描いた。
ヴェローナにおいて、ヴィヴァルディは、
最も優れたリブレット、
アゴスティーノ・ピオヴェーネの『タメラーノ』に、
音楽をつけて、この分野に貢献した。
このリブレットは、1711年に、
フランチェスコ・ガスパリーニによってオペラ化され、
非常な成功を収めていた。
ピオヴェーネのテキストは、
トルコ・ヴェネチア戦争の再開の3年前に書かれ、
悲劇的なバヤゼットを高貴な同情すべき人物として描き、
敗北と屈辱に直面した、
勇敢で、誇り高き反抗の象徴とした。
ピオヴェーネは、歴史的事実を自由に扱い、
フランスのジャック・プラドンの1675年の悲劇、
『タメラーノ、または、バヤゼットの死』によって、
登場人物に深みを加えて生き生きと描き、
劇的な展開を含む、力強いプロットとした。
独自性を失うことなく、
リブレットは様々な改訂を含み、
舞台上で英雄が自殺するのを見せるような、
当時の慣習には逆らっている。
バヤゼットの最後の高貴な行いは、
勇敢な娘アステリアによって紹介され、
その敵に跳ね返って、
偉大な男の死によって敵は圧倒される。」

実際、バヤズィットの後、
しばらくの空位時代から復興した、
オスマン・トルコは、1480年には、
南イタリアまで進出したらしい。
翌1481年のメムメット二世の急死は、
ヴェネチアの刺客による毒殺だという説もあるという。

十六世紀にもなると、名君スレイマン大帝が、
ヴィーンを包囲したようにオスマンの力はまだまだ強く、
帝国は地中海を取り囲むまでになっている。
そして、大帝の死後、数年してのレパントの海戦の大敗が、
この帝国の没落の始まりとされているが、
1683年の第二次ヴィーン包囲からの潰走に続く、
先に出て来たカルロヴィッツ条約での、
ハプスブルクのハンガリー割譲が、
恒久的領土喪失の引き金となった。

トルコは破れ、ヴェネチアは助かった。
そのような時期の余裕ゆえに、
トルコの王様が身近になって賛美されたのである。
このような物語が単に、ヴェネチアの歴史的背景と、
深く関係していることはよく分かったが、
何と、ヴィヴァルディ自身にも、
この物語は、非常に親近感を感じさせるものだったようだ。

「象徴的パスティッチョ」という解説がある。
これは、非常に読み応えある内容で、
パスティッチョという作品に対する、
私の誤解を根本から揺り動かす内容であった。

パスティッチョは、ハイドンの本などで、
よく出て来る言葉で、
いうなれば、他の音楽から転用した作品と、
解釈していた。
オリジナル、という概念の反対のイメージである。

実は、このヴィヴァルディの「バヤゼット」も、
多くの借用があって、その意味では、
誤解されがちな作品と言える。

この解説には、それが大変な間違いである旨が、
ばっちり書かれているが、まず、
この主題についての話から始まる。

冒頭、
「ヴィヴァルディが、最終的に、この注目すべきテキストに
注意を向けるようになったのは、自然なことであった。」
と書かれている。
「1711年、ガスパリーニの代理として、
ピエタにおいて、このオペラの最初の付曲を見ており、
1727年にはミラノで、1729年にはマンチュアで、
この作品の舞台を見ているが、
ここにヴィヴァルディ自身作曲のアリアが使われていた。
ヴィヴァルディは明らかに、
ピオヴェーネのリブレットの独創性に霊感を受け、
高度に象徴的なテーマから、それに、
個々の部分に対して、劇的対処の構想を得た。
ナポリ派オペラの侵入に対して、
ヴィヴァルディが抵抗の立場を取っていた時代に当たり、
それゆえに、この物語は、
様々な作曲家のアリアを集めた、
パスティッチョとして、
ヴィヴァルディに『バヤゼット』を作曲させた。
新しい作風に親しんだ公衆と、
保証された成功を求める歌手たちの両方を、
満足させるために、
彼が自作において出来ることは、
流行に従って、
ライヴァルたちの語法を、
散りばめることくらいであった。
ヴィヴァルディには、各シーズン、
全部の音楽を自分で用意する場合と、
すでに書いた自作を寄せ集める場合と、
パスティッチョを舞台に乗せる習慣があった。
自身の芸術家としての運命と、
高貴なバヤゼットの政治的立場が重なり、
ナポリ派の勝利の傲慢と征服者タタールを重ねることは、
ヴィヴァルディをそそのかして、
一種の音楽的比喩として、このパスティッチョを書かせた。
バヤゼット、アステリア、忠実なイダスペなど、
意志の強い忠誠心ある登場人物の全てのアリアは、
ヴィヴァルディ自身の音楽が使われ、
タメラーノ、アンドロニコ、イレーネなど、
圧制の象徴のキャラクターのアリアは、ほとんど、
ナポリ派の作曲家のものが使われた。
この象徴的な事項は、
この作品の二重のタイトルにも表れており、
印刷されたリブレットには、
『タメラーノ』とあるのに、
自筆譜には、『バヤゼット』とある。」

というように、完全にショスタコーヴィチ顔負けの、
音楽的比喩が隠されているというのである。

下記に、私がこれまで誤解して、
偏見を持って見ていた、
このパスティッチョに関する注意書きが出て来る。

「今日、誤解されがちな、
パスティッチョというジャンルは、
18世紀においては、完全に容認された芸術形式だった、
ということを忘れてはならない。
ヴィヴァルディもパスティッチョを自作と考えていたし、
それらは単に一緒くたにされたものではなく、
彼は、その適用に神経を使い、完成させている。
『バヤゼット』は、『嵐の中のドリッラ』(1734)や、
『忠実なロズミーラ』(1738)と同様、
急ごしらえのレチタティーボで繋いだ、
ポピュラーなアリアのパッチワークではなく、
しっかりした作品であり、
むしろ、ピオヴェーネのリブレットの
可能性を引き出すために慎重に組み立てられ、
パスティッチョの象徴的意味を強調している。」

ということで、音楽の転用や改作は、
むしろ、作品に重要な意味を与えているようなのである。

「『バヤゼット』にヴィヴァルディが惜しみなく与えた濃やかさは、
彼自身がすべて書いた、レチタティーボの驚くべき豊かさに、
最もよく表れている。
次々に、シーンは、レチタティーボこそが、
音楽劇の本質だと気づかせてくれる。
演技を進め、キャラクターの関係に息を吹き込む、
レチタティーボ・セッコは、ヴィヴァルディのオペラの基本で、
レチタティーボの重要さの信念が、
『バヤゼット』では、同時代の作曲家が到達できなかったような、
表現上の高みにヴィヴァルディを押し上げている。
2つの特筆するシーンを挙げるとすれば、
ぴりりとしたオープニングで、
バヤゼットは、彼の看守の示す寛容を軽蔑するところ、
それから、第3幕の最初に、
バヤゼットと娘のアステリアとの間の、
感動的な会話である。
これらは純粋なドラマであって、
感情の微妙な陰影を、
卓抜した和声が効果的に描きあげている。」

このように書かれると、
早く、これらの楽曲を味わいたい衝動に駆られて困る。

このあと、各曲の由来を紹介している記述が続くが、
我慢が出来なくなってきた。

では、あらすじから見ていく。
「タタールの皇帝タメラーノ(ティムール)に破れた、
オスマン帝国のスルタンは、
ビテュニアの首都ブルサの宮殿に囚われており、
ここで物語は進行する。」

第1幕では、こうした事が起こる。
「バヤゼットは死を決意して、
タメラーノと同盟しているギリシアの王子だが、
娘のアステリアを愛するアンドロニコに、
自分の死後、娘を頼むと言う。
タメラーノは、アンドロニコのアステリアに対する気持ちを知らず、
彼女に対する思いをアンドロニコに打ち明け、
トレビゾンドの王女、イレーネを捨て、
アステリアと結婚することを決意したと語る。
彼は、アンドロニコに、バヤゼットとその娘に、
求愛使節になるよう頼み、交換して、
彼に、イレーネにギリシアの王冠を渡すよう頼む。
この宣言がアンドロニコを絶望させた事を知らず、
使命を成功させるために、
タメラーノはアステリアにその気持ちを打ち明ける。
彼女は、恋人が裏切ったものと確信し、
父親にタメラーノの意図を伝える。
バヤゼットは、即座に、首と引き替えに、
娘を自由にするよう申し出る。
このとき、イレーネは宮殿に到着、
侮辱されたと知って、怒りを露わにする。
しかし、アンドロニコが、彼女の支持を表明して、
彼女は落ち着き、彼は、
事の成り行きをうまく進めるために、
正体を隠すように勧める。」

だいたい、このような筋だが、歌唱を受け持つのは、
下記の陣容である。
よく見ると、人気のエリーナ・ガランチャが、
優柔不断なギリシアの王子を歌っている。

ヤバい王様はカウンターテナーだし、
バヤゼット側が、男女まっとうな配置なのに、
ティムール側は、人工的な配分になっている。

タメラーノ:デイヴィッド・ダニエルズ(カウンターテナー)
バヤゼット:イルデブランド・ダルカンジェロ(バス・バリトン)
アステリア:マリャーナ・ミャノヴィッツ(メゾ・ソプラノ)
アンドロニコ:エリーナ・ガランチャ(メゾ・ソプラノ)
イレーネ:ヴィヴィカ・ジュノー(メゾ・ソプラノ)
イダスペ:パトリチア・チョーフィ(ソプラノ)

Track1.悲劇にしては楽しい響きで始まる序曲。
金管が吹き鳴らされ、いかにも戦闘シーン的とも言える。
しかし、その後出て来る鬱々とした主題は、
いかにも、バヤゼットの試練を感じさせるものだ。
これもまた、ヴィヴァルディ得意のリトルネッロ形式なのだろうか。

Track2.協奏曲の第2楽章のように、静かな楽章で、
ロマンティックとも言える、沈鬱な表情が印象に残る。
が、時折、元気のよい主題が表れる。

Track3.狩猟ホルンが吹き鳴らされて、
開放的なアレグロ楽章である。

Track4.バヤゼットとアンドロニコのレチタティーボ。
バヤゼットは当然のことながら、
すぐに出る、ガランチャの声には、
王子らしく威厳がある。

ここは、解説にもあったように、
バヤゼットは、まったく自分の境遇を嘆いていない。
しみじみと諦念を感じさせる荘厳な進行。

アンドロニコは、かえって、
その怒りは隠すように、となだめる始末。

バヤゼットは、娘を気にかけていることを述べる。

Track5.いきなり主役、バヤゼットのアリア。
ここでのアリアは、囚人にしては朗らかであるが、
「死が待ってるだけだ、
娘はあんたを信じてるぜ」なので、
かなり、吹っ切れているのであろう。

Track6.アンドロニコとイダスペのレチタティーボ。
イダスペはアンドロニコの盟友なのであろう。
アンドロニコは、しっかり見張れ、と言っている。

イダスペは、ギリシアは、
すでにビザンツ帝国を征服者の手に渡したのです。
これを利用し、いつの日か、ビザンツの王冠を、
あなたは戴くのです、などと言っている。
この戦争は、バヤゼットによる、
ビザンツ帝国征服のさなかの話なので、
ティムールが失地回復をしてくれると、
考えているのであろうか。

Track7.イダスペのアリア。
ソプラノの澄んだ声が舞い上がって美しい。
それもそのはず、これは、
物語とは直接関係がなく、
単に女性の美しさの儚さを歌った小唄だからである。
伴奏も洒落ている。

「彼女のような女性の美しさははかないもの。
簡単に色褪せるもの。
やさしいそよ風にキスされて、
可愛いバラは花開くが、
すぐに萎れてしまう」といった内容。
アンドロニコのアステリアへの愛に対し、
警告しているのである。

解説には、「ジェスティーノ」や、
「ファルナーチェ」といったオペラからの転用で、
新しい作品に同化している、
と書かれているが、ちょっと異質。

オリエンタルの甘さを持ち、豊かで自然、
とあるのはよく分かる。
献身的で意志の強い友人の、心理的ポートレートとある。

Track8.
タメラーノとアンドロニコのレチタティーボ。
この日は、ギリシア人が、
私に領土を割譲してくれた日であるが、
あなたが王冠を戴くべきだ、
などとイダスペが言った事を、
そのまま、ティムールが言っている。
いつでも、ビザンチウムに帰ってもよいぞ、
と言っているが、
ここは腰巾着、もっと戦争の勉強をさせて下さい、
などとごますりをしている。
しかし、このあたりまではラッキーなのだが、
ティムールはトルコの王女が欲しい、
代わりにイレーネと結婚せよ、
と言い出す始末。

Track9.タメラーノ(ティムール)のアリア。
このアリアは難解である。
嵐の中に、私は虚しく輝く星を探し求め、
天を見ることも、岸辺を見つけることも出来ぬと、
激烈な状況が、
それにふさわしい激しい曲想で描かれるが、
運命に翻弄される姿を描いたものであろうか。
イレーネをぽいする良心の呵責か?

タメラーノのアリアは、
ハッセやガコメッリのような、
ナポリ風のものを借用したと解説にある。

Track10.アンドロニコの悩みの情景。
Track11.はそのアリア。
優しさと愛のこもった可愛い瞳と唇が、
私の心を傷つける、という悲痛なアリアである。
この歌も、声の美しさを目立たせて、
舞い上がるもの。
時折挟まれるヴァイオリンも美しい。

これも上記、ナポリ風のものという。
意外にしっとりとした情感で、
モーツァルトなどを想起させる。

Track12.は、兵士に護られた、
アステリアとバヤゼットの宮殿の一室。
アステリアは、タメラーネが父を破った最悪の日、
何という運命、などと言っている。
そして、アンドロニコが戦いを諦めたことを思い出している。
タメラーノが表れ、あなたが私と結婚することを、
アンドロニコと話し合って来たなどと言う。
何で、兄弟を殺し、父をこんな目に遭わせた、
あなたと?などとアステリアは尋ねている。
タメラーネは、その代わり、
彼はイレーネと結婚するのだ、などと言っている。

Track13.もタメラーネのアリア。
あなたは、夏に雨が降る時の草原を見たことがありますか、
という単純なお誘いの歌。
バラは新しい命を得て、その下にはスミレが。
とても暴君とは思えない、かわいらしい歌で、
でれでれ状態がよく分かる、とも言える。

Track14.
バヤゼットがお怒りである。
アンドロニコが、自由と引き替えに、
アステリアの婚礼の話をしに来たのである。
アステリアは、どうやれば、
この愛情を止めることが出来ようか、
と言っている。

Track15.アステリアのアリア。
愛は心の平和を奪う、という嘆きの歌。
器楽の伴奏が声楽と絡み合って、
複雑な陰影を与えていく。
さすがヴィヴァルディという感じの、
情感のきめ細やかさを感じる。

Track16.イレーネ登場である。
どこに私の婚礼の部屋があるか?と、
いきなりご機嫌斜めである。
タメラーノは私を騙したと騒ぐ。
アンドロニコは自分では怖くて説明できず、
何故か、イダスペが状況を説明し、
アンドロニコが、自分が味方だ、などと言って、
正体を隠すようにアドバイスする。

Track17.はイレーネの狂乱のアリア。
完全に技巧だらけの音楽で、
狂乱と技巧がよくマッチするのが納得できる。
混乱の中、戦場のような愛を歌う。
やたら長い。

イレーネのナンバーは、カストラートで有名な、
ファリネッリの兄弟のリッカルド・ブロッキや、
ジャコメッリの作品を借用したものだという。

Track18.は、アンドロニコが、
イレーネは美しいが、アステリアがいないと嫌と、
ややこしい状況に沈鬱の吐露。
ハープのぽろぽろ音が悩ましい。

Track19.はアンドロニコのアリア。
嘆きを克服するには、私の胸は強さが足りない、
と歌われるが、晴朗なもので、美しい。
私は、何故か、C.P.E.バッハを思い出した。
途中、やたら激しくなって、再び、もとの調子に戻るが、
私は、この曲などに、後世に続くものを感じた。

以上で、第1幕は終わる。

第2幕:
あらすじは、こんな感じである。
「アンドロニコは、タメラーノから、
アステリアが申し出を受けた事を聞かされる。
打ちのめされて彼は、
婚約者に自己弁護するが、
怒っていて相手にしない。」

CD1には、第2幕の、
ここまでのシーンが収録されている。
それを聴いてしまおう。

Track20.
タメラーノはアンドロニコに、
トルコの娘は自分のものになりそうだと告げる。
父も、娘の頭上に王冠が輝けば、
納得するはずだと呑気である。

Track21.
イダスペが来て、アンドロニコが、
まだアステリアを愛しているのと尋ねる。
以前に増して、とアンドロニコは答える。
彼女に釈明するという彼に、
イダスペは、賛成すると言う。

Track22.は、
海原の船が嵐の中に消えるのを見る。
それが、再び見えると、それは星にまで届くようだ、
というイダスペの技巧的なアリア。

この曲も、イダスペの性格を描くものとして、
解説では特筆されていて、
「セミラーミデ」から取られた、
巨大な嵐のアリアだという。
技巧的なヴォーカル・ラインが、
忠実なイダスペの感じた怒りをよく表しているとある。

Track23.アステリアとアンドロニコの会話。
二人ともメゾ・ソプラノで紛らわしいが、
ここはステレオで、左からアステリア、
右からアンドロニコ。
アンドロニコの言葉に耳を貸さず、
タメラーノが呼んでいるの、
と言って、アステリアは立ち去る。

Track24.激しいアタックを伴う、
アステリアの苛立ちのアリア。
「あなたは私を縛る鎖を造っておいて、
私を非難する。
あなたが私の苦しみの原因なのに、
そのくせ、私を脅すわけ?
信じてというあなたは馬鹿よ、
あなたのことは理解不可能。」

以上でCD1は終わる。

得られた事:「18世紀パスティッチョ・オペラは、ショスタコーヴィチの暗喩の先駆。」
by franz310 | 2011-10-09 19:55 | 古典
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