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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その295

b0083728_22292384.jpg個人的経験:
ヴィヴァルディが1723年に書いた、
「テルモドンテのヘラクレス」は、
アマゾン族を退治に来たヘラクレスの物語。
これは、「ギリシア神話」でも、
この半神の「十二功業」の
一つとして数えられるもので、
「アマゾンの女王、ヒッポリュテの帯」
という項目で分類され、
9番目の功業とされている。
このヴィヴァルディのオペラでは、
部下のようにして連れてきた、
ギリシア各国の王子たちが、
アマゾン族たちと出会っては、
勝手に恋愛関係に陥って行くという、
極めて困ったさんの展開。


ここに掲載した写真も、
テーセウスが勝手な行動をして、
アマゾネスに捕まって、
いたぶられている所。

アマゾネスというには、
あまりにも綺麗な嬢ちゃん方で、
テーセウスもあまり困っていなさそうな感じがするが。

とにかく、これでは、総司令官たる、
ヘラクレスの統率力が疑われそうだが、
そもそも、ヘラクレスは、むしろ、脇役みたいな感じで、
凶暴な彼の本性が、愛の力によって、変えられていく、
というのが、ここで描かれたドラマのようなのだ。
つまり、困ったさんは、
本来は英雄で主人公であるはずのヘラクレスの方なのである。

そもそも、このDVDでは、
このキャラクターだけが半裸で登場し、
まことに不気味な存在感を見せつけている。

しかし、ギリシア神話に関する本、
例えば、古いが岩波新書(高津春繁著)の
「ギリシア神話」を見ても、
「アマゾーンと戦うヘーラクレース」という、
壺絵だかの図版が載っていて、
まさしく、そんな感じで戦っている。

一方、DVDのアマゾーンの方も、
この本に出て来る挿絵の衣装から遠くない感じ。

つまり、このめちゃくちゃに見える演出も、
かなり、写実や研究結果を追求した結果とも見える。

前回は、第2幕まで聴いたので、
続く3幕を聴いてしまおう。

結論を先に書くと、このオペラ、
非常に面白く、味わいも深い。
これまで聴いた、
2曲の「オルランド」ものとはかなり違って、
感覚も現代的で、劇の展開のテンポもきびきびとしている。

演出も素晴らしく、舞台も幻想的で、
かなり完成度の高い作品と思った。
特に、第2幕の冒頭や、恋人たちの愛のシーンなどは、
ため息が出る程、美しい。

第3幕:
Track1は、ヘラクレスが、
自由になって戻って来たテーセウスを、
喜んで迎え入れる場面から始まる。
相変わらず全裸にライオンの皮を羽織っただけで、
こまった親分である。

テーセウスは、命を救ってくれた人に、
哀れみを乞う。
「娘が誘拐されて、アンティオペは、
ディアナに誓いました。
彼女自身の手で、ギリシアの貴族を生け贄にすると。
すでに私の首に斧がかかっていた時、
キューピッドがヒッポリュタの心に、
哀れみを呼び起こしたのです。」

それを聴いてヘラクレスは、
両手を上にかざして神意を図るような仕草をし、
「このような寛大なことがヒッポリュタに起こった。
ヘラクレスの哀れみだけでなく、その友情もある。
実際、すでにアンティオペは敵ではない。
彼女がエウリュステウスと和解するなら、
私が話をつけよう、と言って、
何と、マントを脱ぎ捨て、全裸になってしまう。

ヴィヴァルディらしい快活な音楽に乗って、
歌詞もまことに晴朗である。
「残酷さの影を落として、勝利の栄誉をけがしてはならない。」

ヘラクレスはテーセウスに、
ライオンの毛皮を手渡し、
みんなとおそろいの兵士の服を着る。
甲冑も着けて、普通の人間になった感じ。

「私には、栄光だけで十分だ。」
と、恐らく、残虐な行為は放棄した様子がうかがわれる。
このテノール、ザカリー・ステインズの声ばかりか、
その生き生きとした表情に、
妙に感動してしまった。

全裸の意味は、こんな効果があったのである。
観客も感動した模様。

先ほど、このオペラの見所シーンをいくつか挙げたが、
ひょっとすると、このシーンが最も、心を打つかもしれない。

演出家のパスコーがこのシーンについて語っていたが、
完全に思うつぼにはまった感じで悔しいが。

Track2は、もんもんテラモンが、
アマゾネス部隊を急襲する場面、
彼は、テーセウスがヘラクレスに、
一部始終を報告するところを聴いていたのである。

手柄か女か、その目的は不明だが、
ヒッポリュタに迫るところを、
テーセウスが救う。
彼は、テラモンからもヒッポリュタからも、
剣を奪うと、またまた、おのろけが始まるので、
テラモンは、君が武装解除させたのだから、
彼女は君のものだな、などと言っている。

ヒッポリュタは、私はあなたの僕よ、
などとやっている。
「アテネは、君が女王になることを待っている」
などとテーセウスが言っても、
私は、どこに行っても、戦場では武器をお持ちします、
この胸を盾にします、と泣かせる台詞。
アンティオペを助けて、というが、
そこから、見つめ合い、
濃厚なラブシーンとアリア。

Track3では、ヒッポリュタが歌う。
「愛する人よ、あなたは希望、
愛する人よ、あなたは喜び」
と、身体をすりつけるように歌うが、
ヴィヴァルディの音楽も、
ほの暗い情熱を秘めていてロマンティックである。

この責任重大なシーンで、
テーセウスがにやけているのがやや気になる。
この二人、ダンサーのようにかっこいいのが、
また絵になっている。

「舞い上がる希望が、私の魂を楽しませます」
しっとりとした弦楽の伴奏の中、
彼等は、地面の上に座って抱き合って、
愛撫を繰り返している。
このカップルを描き出す、
ヴィヴァルディの眼差しは、何と、丁寧で、
共感に満ちていることであろうか。
メロディの進行も、バロック時代の概念を超えている。

観客も完全に共感しているようだ。

Track4では、もうひと組のカップル登場。
アルチェステがマルテジアを追いかけている。
さっきの二人が魂が呼び合うようだったのに、
このカップルはちょこちょことしてゲームのようだ。

しかし、こちらもこちらで、
「母を助けて」とやっていた。
ここで、アルチェステのアリア。
「安心して、死ぬ時はいっしょだよ、
でも、君なしに生きることは考えられない」
てな感じ。
「でも、私は、男性が貞節を守るものか知らないの」
と、マルテジアも執拗である。
楽しい二重唱になっている。

こちらもだんだん、しっとりしてくる。
最後は激しいキスで終わる。

Track5は、巨大な神像の前に、
黒服のアンティオペ、剣を抱き、
「有名な剣だけど、これが諸悪の根源よ、
手放す時が来たわ」とか言っている。
「臆病や恐れからではなく、
何のためらいもなく」。

「私の王国を守護する女神ディアナよ」
と神像を撫でる。
「この剣を捧げ、委ねます」。

「残酷な運命よ。
私から娘、復讐、王国と武器を奪い、
哀れみもなく命を奪い、苦しみを与える。
ギリシアの女に、あれが征服された女と指さされ、
死ぬのも悪くないわ、女王として死ぬの」とか、
かなり思い詰めている。

剣を振りかざそうとすると、
マルテジアが飛び出して来る。
死なせて、という母との剣の奪い合い。

Track6は、
バックが真っ赤な中で歌う、
アンティオペの狂乱のアリアで、
早く死ぬのよ、みたいな展開。
赤いバックに彼女の影がおどろおどろしく浮かび上がる。
急速なパッセージもヴィヴァルディの、
協奏曲の終曲と同じ効果で素晴らしい。

Track7は、アマゾンの女たちの所に、
ヘラクレスがやって来るところ。
テーセウスが、あなたの慈悲を乞うてます、
と女たちの気持ちを代弁する。

ヒッポリュタが剣を捧げて、
これはもう、あなたのものとぶつかり合うことがないものです、
と言うと、ヘラクレスは、
あなたがテーセウスを助けたので、
私の憤怒は消えたのです、と答える。
王国は与える、武具も欲しがらない、
と、めちゃくちゃ寛容である。

これが神を敬わないということにはならない、
と言い、どうせなら、
女神によって王家の剣と帯が欲しいものだ、
などと言うと、
ヒッポリュタは、神様が怒るのが怖いから、
受け取って下さいと懇願している。
あなたは、半神であるがゆえに。

ヘラクレスは剣を、友好の証として受け取る。

すると、女神像が煙を上げはじめ、
怪しい気配に満たされていく。
アンティオペは、ディアナの怒りかもしれないから、
皆で祈るのです、とアマゾンの女たちに命ずる。

やがて、女神像にヘラクレスが歩み寄り、
剣を捧げて歌うと、そこにアンティオペも加わり、
二重唱となる。
それが次第に合唱となって、
「怒りをなだめ、鎮めて下さい、
あなただけが、平和をもたらすことが出来るゆえ」
と歌われて行く。

Track8.
すると、神像の上に、何と、輝くディアナが現れる。
皆は、それに気づき、平伏する。
マリイ=エレン・ネージというメゾ・ソプラノが受け持ち、
誓いなどより、結婚じゃ、という乗りで、
神妙な命令が下される。
ヒッポリュタはテーセウスのものとなり、
マルテジアはアルチェステのものとなる、
幸福な結婚の甘い絆を、運命はお望みじゃ、
といって消える。

「私たちの望みは神の望みと一致した」と、
恋人たちは喜び、ヘラクレスは、
「手を取りなさい、ディアナ、ジュピター、
運命と愛が証人となる」と、宣言する。

Track9の最後の喜びの合唱がわき起こる。
アンティオペとヘラクレスが手をさしのべた所で幕となる。

おしまいの拍手は、マルテジアに対してが一番暖かい。
いったい、この聴衆連は何を見ていたんだろう。

さて、このDVDの最後には、
おっさん二人の対話が紹介されているが、
たぶん、これは、今回のオペラを蘇演させた、
再構成者のアレッサンドロ・チッコリーニと、
校訂と指揮を手がけたアラン・カーティスに相違ない。
と思ったら、アレッサンドロは来られなかった、
と言っているし、ジョンと呼びかけている。
どうやら、監督のジョン・パスコーとカーティスのようだ

パスコーは最初に出て来ていたが、
ライティングのせいで違った印象になっている。

イタリア製のせいか、タイミング表示もなく、
エキストラ・トラックの内容も欠かれておらず、
しかも、このトラック、いきなりばっさり終わってしまう。
こうした点が少々、画竜点睛を欠く。

この二人は年配ながら、おしゃれで良くしゃべり、
明るい室内で会話しているが、
背景には、何故か、シェーンベルクの「浄められた夜」が、
鳴り響いている。

このエキストラトラックはしかし、
かなり参考になり、彼等が、どうやって舞台を構想したかや、
真っ裸のヘラクレスをどうやって編み出したかを、
逐一、種明かししてくれている。

「1723年にローマで演奏されるために書かれた、
『テルモドンテのヘラクレス』という特別なオペラは、
当時の典型的なものではなく、
ヴィヴァルディのオペラの中で、
最もオペラ・ブッファに近いものです。」

これは、なかなか興味深い見解である。
歴史大作に見えて、結局は、困ったさんたちの物語。
最後は、暴君が自分の非を悟る内容であるし。

「私たちは失われた部分を集めるところからはじめ、
ドイツにある手稿にあるアリアや台本から、
このオペラは知られていましたが、
他の部分は失われ、
再構成は難しいと考えられていました。
しかし、年々、アリアも発見され、
今では全部で30くらいの部分があります。
これで、アレサンドロ・チッコリーニのような
専門家の協力によって、
ヴィヴァルディのスタイルのレチタティーボを、
再構成したり、あちこちを補ったりして、
オペラにすることは可能になりました。」

例えば、パンシェルル著「ヴィヴァルディ」などでは、
「7つのアリアの写本がパリ音楽院の図書館に保存されている」
とあって、到底、完成させることなど出来そうにない感じであったが、
それから数十年、20もの楽曲が発見されたということか。

探せば見つかるというのもすごいが、
研究者の執念あってのことで、
何だか感動的な感じもする。

「例えば、ジョンは、壮大な導入部を欲しがりました。
特にヘラクレス登場のトランペットの場面などです。
他にもたくさんの冒険をして構成されております。
特に必要なのに失われた部分が問題でした。
しかし、おそらく4時間を超える音楽なので、
全部を再構成する気はなかったのです。
それは多くの聴衆にとってあまりにも長いものになります。」

成る程、こうした割り切りゆえに、
これまで聴いた「オルランド」のような、
何時になったら終わるのだろう、
などという感想を持たずに済んだのかもしれない。

しかし、ようやく苦労して発見したのに、
利用されなかった研究者もいるであろうから、
複雑な気持ちになる。

「私の意見では、ヴィヴァルディからはヘンデル以上に、
得るものがあります。
喜劇的な側面から短いカンツォネッタは残し、
基本的に良い音楽はすべて残しましたが、
くどすぎるレチタティーボなどはカットしました。」

300年も昔とは、時間の感覚もちがうであろうから、
この措置は、私には有難かった。

それから、
アラン・カーティスが、自宅で、
「これは退屈だ、これはもっと良くなる」
などと言いながら、
レチタティーボと格闘していたシーンを、
ジョン・パスコーが回想する。

カーティスは、下記のように、
さらに大胆なカットも施したと回想する。

「オリジナルでは、4人のアマゾンの中に、
オリツィアという登場人物がいましたが、
しかし、すべて音楽が失われています。
私は、これを偶然とは考えませんでした。
これは、重要でないから、無くなったのだと思います。
実際、物語の中で重要ではありません。
それで、そこはすべてカットしました。
しかし、他の登場人物はよく描かれており、
たった1曲のアリアしか残っていないテラモンも、
マルテジアに失恋する役なので、
特に強調はしませんでしたが、
重要な役になっています。」

これもありがたい。
登場人物が多すぎると、
ただでさえ複雑な筋が、
さらに混乱するというのが、
オルランドなどを聴いた時の感想であった。

パスコーが続ける。
「再構成という仕事に初めて携わりましたが、
最も重要だったのは指揮者とのコラボでした。
私は、この仕事の前にアランを良く知らず、
いくつかの演奏会は聴き、良い指揮者だとは知っていましたが、
最初にこのプロジェクトに参加した時、
『フィレンツェで一緒に仕事をしないか』と言われ、
何だか分からず、アランと仕事がしたくて、
最も素晴らしいひとときを過ごしました。
新しい音楽を聴き、
素晴らしいドラマのセンスを持った指揮者と仕事をすることは、
非常にエキサイティングでした。」

指揮者も演出家も一心同体になって、
共感の中で作り上げた舞台だったのである。

「重要な事は、戦争と両性の問題を、
どのように舞台にかけるか、
ということでした。
両性を惹き付ける完全な魅力と、
ギリシア人とアマゾンの間の戦争についてです。
まず、アマゾンの世界を考えました。
女性反乱軍のギリシア軍の征服、
特にヘラクレスはそれを推進しようとします。
ヘラクレスは、典型的に、
根源的な男性性の英雄であり、
軍事的に物事を遂行しようとします。
彼は怒り狂った存在であり、野獣です。
彼は衣服としてライオンの皮を被っただけです。」

この話は、冒頭のトラックでも、
パスコーはしていたので、その繰り返しとなる。

「私はこの物語を読み、考えた末、
『くそう、どうやって奴を扱おう』と議論し、
この気違い野獣男を扱うために、
ヴィラ・ボルゲーゼの彫像のように、
あるいはウフツィ美術館にあるように、
ヘラクレスは裸でライオンの皮をつけただけにしました。
長い間考えましたが、
『それしかない』となりました。」

何と、私が、冒頭に書いたとおりの事を、
彼は自らネタばらしして、おしゃべりしているではないか。

「そして、この作品の準備をしている時、
フィレンツェからスポレートの間を、
南下してドライブしている時、
美しいオリーブの並木を走り抜けました。
これを舞台にあしらえば、さぞかし美しいだろう、
それぞれを照明すれば、と考えました。
舞台係は人工的なものなら、と言いましたが、
私は、本物じゃないとだめだと言いました。
そして、その通りになって、
私は良かったと思っています。
本物の木々が星に輝く。
そんな自然の中にアマゾンの女性たちは住んでいる。
オリーブが青々と茂る中にです。」

主人公はヘラクレスなのに、
何故か、男の演出家は、
男が住めないアマゾンの国を賛美している。

「アマゾンは男性支配に対して戦っています。
古代ギリシアは雄々しい社会でした。
彼等は男らしさを誇示し、
性器も常に露出させていました。
そこで我々は切られたファルスのアイデアを得たのです。
それをデロスに置きました。
アマゾン国に来て最初に目にするのがそれなのです。
これが女性の戦いの象徴となりました。」

確かに、このDVDには、戦争によって荒らされる、
アマゾンの国に対する愛情が感じられる。
彼女らがいる場所は、オアシスのようだが、
ヘラクレスらがいる場所は、殺伐としている。

確かに、ヘラクレスよりも、恋人たちの存在が大きい。
主人公より、恋人たちが強調されたオペラの代表格は、
シューベルトの「フィエラブラス」かと思っていたが、
そうではなかった。

さて、エクストラ・トラック以外にも、
このDVDの解説には、興味深いことが書かれているので、
これも概観して見よう。

このオペラが、1723年、1月27日、
ローマで演奏された時、当地の慣習に従って、
何と、このアマゾネスの世界にあるまじき事だが、
著名な男性歌手ばかりによって演奏されたという。

リブレットは1678年という44年も前に、
ヴェネチアで演じられていた、
バッサーニ作のものの再演だったらしい。

ヴィヴァルディの作品は、非常な成功を収め、
その頃、ローマに来ていたクヴァンツによって、
多くのパッセージがロンバルディア風で、
新様式の導入部を持っていたとされる。
メロドラマの効果によって、ローマの人々は驚いた。

しかし、その成功にも関わらず、
「ヘラクレス」はその他の地に広く流布することはなく、
ある時点でスコアも散逸したとされる。

最近になって、貴重な発見から、
30曲ものアリア、2曲のデュエットが、
様々なアーカイブから見つかり、
すべてのレチタティーボを含む、
未発見の部分は、アレッサンドロ・チッコリーニによって、
再構成されたとある。

このレチタティーボは、
それぞれの言葉の質感や対話の自然さを目立たせるため、
表現力豊かに柔軟に造られたヴィヴァルディらしい原理のもので、
一般にセッコとなっている。
チッコリーニはドラマティックな状況を強調するために、
当時の習慣によってレチタティーボに伴奏を付けた。

それは例えば、
アンティオペがテーセウスを生け贄に捧げようとするところ、
復讐と神への誓いで引き裂かれるところ、
さらには自殺の用意をするところなどである。

さらにチッコリーニは作曲をして補っており、
ヘラクレスとアンティオペのデュエットや、
1幕のアンティオペとマルテジアのデュエット、
2幕のアルチェステとマルテジアのデュエット、
さらには最後のコーラスなども、
彼の作曲だということである。

多くのアリアはカンタービレと技巧性を持った、
3部からなる構成になっているとあるが、
こうした部分のみがヴィヴァルディのオリジナルなのであろう。

ヴィヴァルディは、22番目のオペラのスコアを書くにあたり、
物語を明解にして、それぞれの登場人物の心理状況を表すために、
彼の持つすべての技法を投入した。

「赤毛の司祭」の重視したことは、
進行の自然さであり、言葉に表現性を与え、
メロディを変容させて、声と楽器のコラボや、
和声と色彩に熟達の書法を見せている、とある。

このDVDで演じられたオペラは、
このように、ヴィヴァルディのオペラを題材にして、
極めて現代的な感覚によって再構成し、
取捨選択をして短縮したばかりか、
必要に応じて曲を新作までしているので、
実は、ヴィヴァルディが見たら卒倒するかもしれない。

私は、特に、ヒッポリュタはテーセウスのシーンに心奪われたが、
このあたりは創作が入っていないようなので安心した。

しかし、散逸したオペラであるからこそ、
現代的なメスが入れられたようなので、
妙に悩ましい問題を突きつけてくれた。

得られた事:「ヴィヴァルディの『ヘラクレス』は、シューベルトの『フィエラブラス』同様、タイトルロールを除いた二組のカップルの愛の物語であった。」
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by franz310 | 2011-09-24 22:32 | 古典
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