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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その284

b0083728_093991.jpg個人的経験:
「試金石」のDVDで、
こっそり驚いたのは、
謎の取り立てが、
「日本から来る」
という台詞がある、
という点だった。
ロッシーニ初期のオペラで、
このような一節があるとしたら、
シューベルトの意識にも、
日本という国はあったのだろうか。


そのような台詞が出るのは、
はたして、この演出のみなのか、
あるいは、しっかりロッシーニが、
そう書いているのか気になって、
ついつい、別の録音も聴きたくなった。

入手しやすかったこのナクソス盤、
表紙のデザインを見ても、
何だか、前回紹介したシャトレ座公演に比べると、
あまりにも地味な感じで、ドキドキ感がまるでない。

だが、実は、これは、1813年にFumagalliという人が、
『試金石』の舞台をデザインした時のものだそうで、
あのDVDの何となくアメリカンな感じのものより、
ロッシーニの時代は、このような邸宅を、
舞台として想定していたということが分かる。

ドイツのヴィルトバートという所で、
2001年7月に行われたロッシーニ音楽祭の記録である。
ちょうど10年前の録音である。
会場の人たちも、こうした暑さを感じながら、
ホールに到着したのかもしれない。

が、温泉保養地だということなので、
結構なことである。
梅雨明け宣言があって、猛暑が始まりそうなので、
私も温泉にでも浸かりたいものだ。

アレッサンドロ・デ・マルキという人が、
指揮とチェンバロを受け持っている。
1984年にデビュー、
ハイドンやヴィヴァルディのオペラで成功したとある。

ローマに学んだとあるから、イタリア人であろう。
が、演奏は、チェコの楽団や合唱団だということだ。
ヴィルトバートは南ドイツでオーストリアには近そうだが、
チェコから近いようには見えないが。

主役二人、クラリーチェは、ビエンコウスカという、
ダンツィヒに学んだメゾが、
伯爵は、コンスタンティーニという、
いかにもイタリア系の名前の人。
何と、召使いのファブリッツィオは、
日本人の吉原輝という人が受け持っている。

解説はかなりへそ曲がりなもので、
いろいろ考えさせられる。
Bernd-Rudiger Kernという人が書いている。

「文献上では高く賞賛されながら、
『試金石』ほど、めったに演奏されないロッシーニのオペラはない。
この作曲家に関する、他の多くの誤解同様、
これは、この作品を『オペラ・ブッファにおける最高傑作』
と書いた、スタンダールにまで遡る。」

このような書き出しからして、
前回鑑賞した、シャトレ座公演が、
スタンダールを祭り上げたのとは異なる香りがする。

スタンダールが誤解を与えた、
みたいな書き出しである。

「このフランスの作家による判定は、
しかし、オペラ劇場の、
演奏スケジュールに反映されてはいない。
『試金石』は、ロッシーニが、
ミラノ・スカラ座のために書いた、
最初の舞台作品である。
若い作曲家はこれまで過ごした、
ボローニャ、フェラーラ、ヴェニスといった、
狭い地域から、ここで初めて出た。
一般的な意見によると、
すでに二度、『結婚手形』と『バビロニアのチーロ』で、
ロッシーニ作品の初演を受け持っていた、
マリエッタ・マルコリーニがミラノ契約を助けたとされる。
いつ、ロッシーニが実際にミラノに来たのかは分からない。
しかし、すでに1812年7月11日には、
最初の二つのナンバーを書いている。
8月21日、ルイジ・ロマネッリがほとんど全部のリブレットを渡し、
ロッシーニはいくつかの音楽を写譜に回している。
二日後には、劇場の検閲が済んだ。
この後、ロッシーニが病気になったことが、
最後の問題となった。
9月10日、まだ6つのナンバーが、
全く、または、部分的に未完成であった。
他の4つのセクションはまだスコアになっていなかった。」

ここで、このような話が出て来るが、
実は、この解説者にとって、
この部分が一番大事であったことが、
最後まで読むとよく分かる。

しかし、あの自信満々のロッシーニが、
病気になったというのが、あまり想像できなかったので、
私にとっては、新鮮な感じである。

「この理由によって、また、作曲家のおそらく静養期間ゆえに、
初演は少なくとも一ヶ月遅らされた。
この病気が良い効果をもたらしたのか、
ロッシーニの作曲のスピードが上がったのか分からないが、
予告された半分の期間で延期は済み、
1812年9月26日に初演が行われた。
これは作曲家にとって最大の勝利となり、
この機会をもって決定的な成功を収めることが出来た。
このミラノでの成功は続き、
オペラは53回も演奏され、
最後の公演では、聴衆の要望から、
7つのナンバーが繰り返された。」

このあと、おそらく、
フェルディナント・ヒラーの、
回想の話が出て来るが、
私には唐突に思えた。

「ヒラーは、自身の『雑記』の中で、
ロッシーニのこのオペラが、
なおも成功を収めていると書いている。」

ヒラーは、1811年生まれの作曲家であるから、
ほとんど、このオペラと同年の生まれである。
ヒラーが物心ついた後でも成功していたとなると、
確かにすごいことだ。
という事を書きたかったのだろうか。

「このオペラによって、ロッシーニは、
州の首相、ルイジ・ヴァッカーリの覚えがよくなり、
1812年10月、この人から、
『この若者はどえらい教養人で、
センス、技能を自由に操る』と、
例外的な最大級の賛辞を受けている。
『セビリャの理髪師』初演のスキャンダルは、
全世界でも類を見ない成功続きとなって、
それが『試金石』の運命を決めた。
ミラノの他では、1813年に、
ヴェニスのサン・ベネドットでの初演の失敗は決定的だった。
しかし、このヴェニスでの失敗が、
このオペラの終わりを意味したのではない。
しかし、ロッシーニの最高級のものとは、
数えられなかったことにより、
最も地味な劇場でも、
このオペラはレパートリーにのせるところはなくなった。」

ヒラーの回想はいったい何だったのか。
結局、ミラノでのみ聴かれたオペラということか。

「1962年から1980年代中頃までに、
このオペラは復活し、
Gunther Rennertによって校訂され、
『愛の証』という題名にて、ドイツでルネサンスを迎えた。」

私の頭の中では、
ヒラーがこのオペラの成功の話をしているのと、
「セビリャの理髪師」の後、
下火になった話との関係が混乱しているが、
先を急ごう。

「このバージョンはオリジナルの魅力を失っており、
オペレッタ並の扱いになっている。
今回の演奏のように、
オリジナル校訂によって、
この作品の複雑さが分かるようになった。」

このドイツでの蘇演の話も、
最終的にはエピソードのような形。

「これはタイトルからも明らかで、
新しい辞書では、『試金石』という言葉からは、
何を意味するか分からない。
ロッシーニの時代、金と銀の合金は、
試金石によって評価されたのである。
このオペラでは、この試金石というものが、
二つの意味に転換されている。
一方では、女性たちだけではなく、
友人達の性格の品定め、
一方では、伯爵の性格の品定めがされている。
合金に含まれる純粋な金属の比率は、
まったく異なった方法で調べられる。
それは、『愛の証』とか、『愛の試験』といった、
より狭い意味の問題ではない。」

こうした言い回しも、私は苦手である。
どうももったいぶったように感じられ、
しっくり得心できないのである。

「プロットは、しばしば、他のオペラのものより、
荒唐無稽と言われている。
伯爵の愛を競う三人の女性には、
18世紀の終わりから19世紀初頭のイタリアの状況を反映し、
それぞれ、崇拝者を従えている。
未婚の女性の目的はただ一つ、結婚することである。
しかし、このオペラで興味深い所は、
こうしたプロットの前景のみならず、
文学・音楽論争の部分に見られる。」

以下、このオペラの登場人物の話。
伯爵を巡る3人の女性を崇拝する、
ジョコンド、マクロビオ、パキュービオの名前について、
興味深い話が始まるが、
こんな事まで考えながら聴くべき作品なのだろうか、
という疑念もよぎる。
さらに、解説にしては言葉足らずなので、
あまり、勉強になった気がしない。

「ここに出て来る崇拝者たちの役割も偶然ではない。
三人のうち二人は、
ローマの著述家マクロビウス、
パキュビウスから名前が取られ、
風刺されている。
両者は、それにちなんだ人のカリカチュアであるが、
3人目のジョコンドは、単に快活な人なので、
あまりその名前がふさわしいとは言えない。」

このあたり、実に難解。
マクロビウスは新プラトン主義の著述家と辞典に出ているが、
wikiなどでは、異教的作家とされている。
パキュビウスは、辞典に出ていない。
wikiでは、古代ローマの悲劇作家、詩人とされている。
そして、ジョコンドも、誰かを風刺したものなのか。

当時の人たちは、こうしたローマの詩人の作品を、
例えば、ラテン語の授業などで、
より身近に感じていた可能性はある。
が、それなら、そう書いて欲しい。

「ジョゼッペ・モスカのオペラ『人間の中の野獣』でも、
同様の論争があったに相違ない。
モスカのオペラは、『試金石』の直前、
1812年8月17日に、
ロッシーニの最初のキャストと同じで、
スカラ座にて初演されている。
モスカのオペラの内容がよく分からず、
論争の原因は難しくとも、
二つのオペラの関係は説明できる。
構造上、ロッシーニのオペラは、
主人公たちの基本グループやイベントが、
モスカのものと相似となっている。
モスカのオペラでは、魔女アルチーナを巡って、
三人の男達が争うが、
ここでは、三人の女性が一人の男性を巡って競っている。
少なくとも、モスカのオペラの主要な人物の名前が、
ローマ風の名前、パスキーノであることは特筆すべきであろう。
16世紀の仕立屋パスキーノは、
後にパスキナーデ(風刺文)の語源として知られるように、
ローマの大理石像に諷刺やエピグラムを貼り付けたことで有名である。
歴史上の人物の比喩であるとは限らないが、
そこには、パスキーノとパキュービオ、
マルフォリオとマクロビオといった類似性があり、
疑うべくもなく、同じ歌手が担当したものと思われる。」

えらく凝った解説で、私はへとへとだが、
まだ、この調子は続く。

「さらに示唆するものがあり、
マクロビオはオフィスでの忙しい一日の報告に、
『待合室はハエか蜂がぶんぶんとうるさかった』
(CD1のTrack14の最後)と言っているが、
これはモスカ兄弟を指しているものと思われる。
二通りに受け取れる言葉でも、
同時代の人たちには分かりやすかった。
さらにパキュービオのナンセンスなアリア、
『Ombretta sdegnosa』(CD1のTrack11)も同様のことが言え、
少なくとも二つの解釈が成り立ち、
(モスカの『野獣』のカリカチュア?)の魚同士の会話、
トランプ同士の会話、さらには魔法使いの影と魚の会話とも取れる。
魔法使いの影とは、モスカの魔女、アルチーナの引用であろうか。」

ここで書かれているのは、
有名なミシシッピーのアリアの事だが、
DVDで見ていても、何のことか良く分からなかった。

現代の我々も、鑑賞に際して、
当時の暗黙の諷刺を理解する必要があるとすれば、
かなりの難易度の作品である。
二百年後の外国人が、日本の首相が大臣の梯子を外した諷刺を、
すぐに理解できるかどうか。

そもそも、モスカなど、まるで日本では紹介されていない作曲家。
あと数十年もすれば、この辺りの情報も、
広く知られるようになるだろうか。

「ロッシーニが本当に、文字通りの反目を望んでいたか、
単にいくつかの解釈ができる筋を目指していたかは、
疑義を生じる余地がある。
第二幕、ジョコンドのシリアスなソネットには、
ロッシーニは音楽をつけておらず、
最初の三回の上演後、カットされた。」

ジョコンドのシリアスなソネットが、
モスカの何かを諷刺していたかとか、
そのあたりのことが書かれておらず、
この一節の意味が分からない。

「ユニークなことに、二人の恋人たちの役は、
コントラルトとバスが担当する。
音楽的には魅力的だが、テノールは補助的である。
これは、この年のミラノの事情による。
1814年、スカラ座で初演された、
『イタリアのトルコ人』でも、同様の措置が見られる。」

いきなり、別の話題に飛んだ。

「ロッシーニが病気になった不運は、
私たちにとっては、幸運だった。
私たちは、作曲家の作曲法の少なくとも一部を、
追うことができた。
9月10日の時点で、
ほとんど全てのナンバーが出来ておらず、
アリア(No.3、8、14、16、18、19)は、
スコアになっていなかった。
五重唱(No.15)と序曲はスコアにされるべき状態で、
アンサンブルで完全に欠如していたのは、
三重唱とフィナーレⅠだけだった。
ロッシーニはアンサンブルから作曲を始め、
『アルジェのイタリア女』でもそれは実証できる。
一般に繰り返し言われている、
ロッシーニの序曲に関する指示は、
明らかに間違いである。
シンフォニアは最後に書かれたのではなく、
スコアにされるのを待っていたのである。」

このような事を考えるのは、
研究家だけで良いような気がする。
ラフマニノフの第二協奏曲も、
第一楽章が最後に書かれたが、
いちいち、それを考えないと鑑賞できない、
などとは思えない。

ということで、この解説者にとっては、
ロッシーニの「試金石」は、
このような研究が出来る材料でしかないようだ。

以下に、この解説の悩ましい部分が続く。
これを読むと、この解説者は、
あまり、この作品を高く評価していないことがよく分かる。

「スタンダールの判断と今日まで続く、
このオペラの満足できない状況の歴史の矛盾はどう説明されるだろう。
その一部は、スタンダールお音楽趣向によるもので、
彼は、決して、今日、考えられているような、
ロッシーニの賞賛者であったのではなかった。
彼はむしろチマローザのような音楽が好きだった。
チマローザのスタイルにあるロッシーニが、
スタンダールの気に入った。
これは、スタンダールが、後のロッシーニは、
理解できなかったことを意味する。
彼にとって、ロッシーニの音楽は1813年で止まっている。
また、彼は初期の1幕のオペラを知らなかったことで、
『試金石』を一番としたことが説明可能である。
我々にとって、『試金石』は、
『ひどい誤解』と『アルジェのイタリア女』の間の、
2幕のオペラ・ブッファである。
この三つのオペラは、初期の新鮮さから、
円熟した傑作に至る展開を示すものだ。
この発展の中で、『試金石』は『誤解』に近く、
そこからいくつかの要素が持ち込まれ、
さらに『イタリア女』に続いた。
19世紀の間、ロッシーニのオペラ・ブッファの
三つの傑作が確固たる地位を占め、
彼がスタイルを変える前の初期の作品はそうならなかった。
この作品の受容史の特殊性は、
全部ではないが、これで説明できる。
今日の聴衆は、これらの初期作品を、
ロッシーニの思惑や、
ロッシーニの同時代人がしたのとは、
まったく異なった形で理解する。
それゆえ、レッシングのように、
あまり賞賛されなかったオペラが、
より多く上演されるのである。」

ということで、この解説は、
ロッシーニの「試金石」ではなく、
「試金石」を巡る、自身の興味を語っているのである。

当時と同じように鑑賞することは出来ない、
というニヒリズム解説であった。

何だか、こう書いていると、
この演奏も、たいした事がないように思えて来るが、
実は、解説を書き出しながら聞いている限り、
これはこれで、共感豊かな演奏であると感じられた。

ただ、歌手に問題があるような気はしている。
というか、いきなり集まって歌え、
と言われた感じがしなくもない。
練習不足かもしれない。

シノプシスには、
「イタリアの主要都市から、それほど離れていない、
豊かな村、その村の地域、そこにあるアシュドルバーレ伯爵の、
心地よいカントリーハウスにて出来事が起こる」とある。

Track1.序曲:
スピノージの演奏のような新奇さはないが、
活力にあふれた良い演奏だ。
もちろん、スピノージが言っていた、
クラリネットのドローンなどは控えめである。

第1幕:庭園。
情景1.
アシュドルバーレ伯爵のゲストや庭師たちがの合唱。
まず、パキュービオ、そして、一方からファブリッツィオ、
もう一方から男爵令嬢アスパージア、
最後に、ドンナ・フルヴィアが現れる。

Track2.ゲストや庭師が、
アシュドルバーレ伯爵の富と気品を讃え、
妻を選ぶ難しさを歌う。
紙を持ってパキュービオが現れ、
彼の新しい詩、アルチュステが、
アルバースの影と話をする、というものを読み、
注意を引こうとする。

何と、この段階から、
パキュービオは、アルチーナの話をしていた。
解説を読むまで聞き逃していた。

誰も聴きたがらず、ファブリッツィオを見つけると、
きっと、これは気に入ると思うという。
ファブリッツィオは逃げようとして、
男爵令嬢に呼び止められ、
彼女も聴きたがらないので、いろいろ声をかけ、
最後に読もうとすると、
ドンナ・フルヴィアに邪魔される。

ここでは、パキュービオ(ザレッリ)は威厳がありすぎ、
ソプラノのドンナ・フルヴィア(アンケ・ヘルマン)が、
息切れ気味なのが気になる。

Track3.パキュービオは、ファブリッツィオを掴まえ、
次に、男爵令嬢を掴まえるが、
彼女はドンナ・フルヴィアと逃げようとする。
ドンナ・フルヴィアの方が聴きたがる。
情景2.
ここで、ドンナ・フルヴィアは、伯爵の財産の魅力について語る。

情景3.
マクロビオとジョコンドが論議しながら入って来る。
Track4.マクロビオとジョコンドが、
ジャーナリズムと詩作とについて論議する。
このあたりの独唱も、ちょっとエンジンがかかってない感じ。

Track5.マクロビオは話題を変え、
ジョコンドの好きなクラリーチェが、
ジョコンドの友人の伯爵と結婚する可能性を語る。
マクロビオはジョコンドの失望に同情するふりをして去る。

情景4.クラリーチェが、木霊のふりをした、
伯爵の答えを受けながら歌う。

Track6.クラリーチェは、
伯爵がいることに気づく。
彼女が宣言するように、
伯爵も彼女への愛を示唆する。

いきなり主人公たちの愛のデュエットだが、
一方は、木霊のような効果を出すだけ。
ホルンの響きが深々として美しい。
オーケストラの序奏も夢見るようだ。
ビエンコウスカのメゾも声量はないが繊細で美しい。

Track7.彼女は、木霊はなぐさめにすぎないと言う。
彼女は伯爵の言葉を繰り返してみる。
彼女は伯爵の真意を測ろうと庭に行く。

情景5.
クラリーチェが行くのを見て、伯爵は一人入って来る。
Track8.
彼は、女性が悪者かどうか分からない。
哀れみと愛の関係を歌う。
コンスタンティーニのバスは、ちょっと心許ない感じ。
小刻みが出来ていない。

Track9.金もあるし、30にもなるのに、
彼が結婚しないのを不思議がるが、
この富こそが問題
女性は、彼そのものより、その資産を狙っているのか、
知りたいと思う。

情景6.
クラリーチェが入って来る。
Track10.クラリーチェは、
木霊が男性か女性か尋ねてからかう。
彼女は木霊の言葉を確かめたいのに、
彼は別れ際に、木霊はジョークの一種だと言う。
二重唱だが、両者ともにかちかちな感じで伸びやかさがない。
オーケストラは、ぴちぴちと活きが良く、
指揮者は、独唱者に活を入れたいのではないか。

情景7、8.
ドンナ・フルヴィアとパキュービオ。
Track11.レチタティーボとアリア、
「ミシシッピの尊大な影は」。
これが、問題の意味不明アリアである。
意味不明ではあるが、面白いことはこの上ない。
フルヴィアは伯爵を捜して、バラを渡そうとする。
パキュービオが邪魔をして、ばかげた、
ミシシッピの尊大な影の歌を歌う。
このザレッリというバリトンは、それほど悪くない。

Track12.フルヴィアはブラヴィッシモとか言っている。

情景9.彼等は伯爵と一緒になる。
彼はクラリーチェのことを考えている。
フルヴィアは、彼にバラを渡す。

情景10.ファブリッツィオと伯爵。
ここは、伯爵がみんなをペテンにかけようと企む場面。

情景11、12.
ジョコンドとクラリーチェ、そしてマクロビオと伯爵。
ジョコンドがクラリーチェに、何故、寂しそうか聴く。
クラリーチェは双子の兄の話をする。

Track13.四重唱、「あなたは欲しがり、
そして欲しがりません。」
ジョコンドは黙っているか、ため息。
彼女はみんな馬鹿だという。
これは、前のDVDで、食事をしていたシーンだ。
このあたりになると、この演奏でも、
歌手たちの固さが取れ、乗って来ている。
クラリーチェの声の美しさは特筆すべきかもしれない。
指揮者の足踏みもうるさく、
オーケストラも素晴らしい興奮を見せる。

ということで、だんだん、書くスペースが足りなくなってきた。

あと、情景13は、パキュービオとドンナ・フルヴィア。
Track14.パキュービオの詩で喜んで笑う、
フルヴィアの馬鹿騒ぎが面白いが、DVDではなかった。
伯爵が笑わないので不安に思っているシーン。

情景14は、パキュービオは、マクロビオに、
新作を見て欲しい。
ここで、解説に出て来たハエや蜂の話が出て来る。
Track15.腐敗新聞記者マクロビオのアリア。
この歌手、ダリウシュ・マヘイも悪くない。拍手も盛大。
伴奏にはレガートがかかっている。優雅である。

情景15は、庭師たちの合唱で、オーケストラもうまい。
Track16.伯爵が閉じこもってしまった事が歌われる。

CD2は、クラリーチェが庭に来るシーンだが、
DVDではプールサイドだった。
ジョコンドはクラリーチェに何を恐れているかを聴く。
マクロビオは気がつかないふりをして、
メドーロとアンジェリカの禁断の愛の歌を歌う。
そういえば、これは、やはりアルチーナの話であった。
何と、オルランド公を、伯爵に見立てているわけだ。

CD2にもなると、この演奏も熱を帯びて来る。
伯爵は財産を失ったと騒ぎになる部分。
伯爵が変な声を出して、みんながおびえるのも傑作だ。
オーケストラの響きも夢幻的。

変な取り立てが、どこから来るかについて、
パキュービオが、Track3で、
「Vien dal Giappone(日本から来る)」と言っている。

素晴らしいフィナーレ。
ロッシーニが最後まで完成を伸ばした事が理解できる。

得られた事:「作品に込められた暗喩ゆえ、ロッシーニの意図通りに、または、ロッシーニの同時代者と同じように、この作品を楽しむことは不可能である、と解説者は言っている。」
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by franz310 | 2011-07-10 00:14 | ロッシーニ
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