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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その279

b0083728_23421234.jpg個人的経験:
タイトル自体、「絹のはしご」は、
妙に気になるものだったが、
タイトルから連想される、
登場人物の「怪しさ」という点では、
さらに上を行くものがあった。
「ブルスキーノ氏」である。
職場のメールにおいても、
「~さんが」、「~様が」と書かずに、
「~氏が」、と書かれている場合、
私は、かなりのいかがわしさを感じる。


これもフォッペの台本であるが、
原作は「まぐれの息子」という、
余計、意味不明なものであるらしい。

このLDの表紙を見ても、いかがわしい人物ばかりで、
右側の赤い服の若いが、怪しげなおっさん5人の方を見ている。
(この写真は帯をつけて撮っているので見えないが。)

窓の向こうの、
ローマ風の松が見える風景は、
非常に美しく見える。

ロッシーニは、1810年から1813年まで、
ヴェネチアのサン・モイーゼ劇場のために、
5曲のオペラ・ファルサを作曲したが、
「ブルスキーノ氏」は、
このシリーズの最後を飾るものである。

LDの高橋保男氏の解説によると、
(ここでの「~氏」は、
面識がない方への敬意を示したものである)
「ファルサ(笑劇)」は、
18世紀後半から19世紀初頭にかけて、
ヴェネチア中心に使われた用語とあり、
もともとは喜劇の中に歌を混入させたものが、
オペラ・セリア幕間の息抜き用の、
インテルメッツォのようになったという。

19世紀には衰退したので、ロッシーニには、
この後は、1818年の「アディーナ」があるだけ、
ドニゼッティにも数曲あるだけだとあるから、
まさに、この「ブルスキーノ氏」は、
ファルサの集大成のような位置づけとなるだろう。

解説にも、「よく出来たドラマに属していて、
一見わかりにくい感じを与えるかもしれないが、
喜劇としてはたいへん巧妙に、
かつ論理的に構成されている」とある。

さらに、「サン・モイーゼ劇場のための
5曲のファルサの中では最も高い完成度を示していて」と続けて、
「この直後に生まれ出る傑作『アルジェのイタリア女』に比べても
さほど大きな遜色を感じさせない」とまで書かれている。

これは大変、楽しみである。

最後は、「類型的な物語を少しも陳腐を感じさせないような
表現の工夫や、意表をつくユニークな効果のおもしろさ、
そこに生まれる新鮮な笑いが、この20才の年の若書きを、
魅力あふれる作品にしているのである」と結んでいるのが嬉しい。

このように早く聴きたくなるような、
見たくなるような解説が良い解説である。

さて、「絹のはしご」同様、
このオペラは、「序曲」が大変有名なもので、
トスカニーニなども録音していた。

Track2.「序曲」は、弦楽器の弓で、
かちゃかちゃ鳴らす妙な音の効果が、
耳をそばだたせるが、このLDでは、
譜面台上の照明の傘を叩いているのが分かる。

解説によると、ロッシーニの序曲の定型だという。
堂々たる序奏と弦による第1主題、木管による第2主題、
展開部の代わりに経過部で、
オーケストラの輝かしいクレッシェンド効果があるという。

これまた、自分だけは陶酔して、
オーケストラにはエネルギッシュにドライブをかける、
ジェルメッティ指揮のものだ。
意外に、クレッシェンド効果は自然でこけおどしがない。

ハンペ演出のもので、幕が上がると、
大きな窓から外を望む舞台が美しい。
ガウデンツィオの城館の一室のようだ。

この演出家は、「音楽の友」別冊の、
1988年の「オペラものしり辞典」では、
「ドイツのオペラ演出家で、ウィーンなどでも演出しているが、
ザルツブルク音楽祭でのモーツァルトが目立っている」
という感じで紹介されている程度。

テルデックというメジャー・レーベルの割には、
すごい歌手たちが出て来る訳でもないし、
この一連の録音、録画が、
初期のロッシーニを特集した珍しい企画であるとは分かるが、
純正ロッシーニ・ファン、オペラ・ファンにとって、
どのような位置づけのものかは分からない。

今回、こうした舞台の鑑賞によって、
シューベルトの時代を妄想しようとしている訳だが、
訳の分からない現代的演出よりは、
この美しく素直な正攻法の方がずっとありがたいのは確かだ。

これは、1989年のシュヴェツィンゲン音楽祭の記録で、
「結婚手形」と一緒に録画されたものと思われる。

したがって、最初から出て来る、
フロルヴィッレというイケメン青年は、
デイヴィッド・キューブラーというテノールが演じている。
「結婚手形」のエドアルド、「絹のはしご」のドルヴィルだ。

彼が演じる役は、常にヒロインの恋人なのだが、
少し情けない感じで、常に、ライヴァルが現れる。

先に簡単に内容をデッサンすると、
このフロルヴィッレとソフィアという娘が恋仲である。
彼等の障害になるのが、
ソフィアの後見人のガウデンツィオが、
ソフィアに婚約者がいるとしている事である。

では、劇に沿って鑑賞してみよう。

このLD解説の最大の問題は、あらすじの所が、
「導入部」とか「小二重唱」とか書かれているだけで、
トラックナンバーが振られていないことである。
せっかく読んでも、どこのトラックのことか分からない。

Track3.「愛する人よお願いだ」は、
解説あらすじの「導入部」と「小二重唱」に相当する。

美しい風景のバルコニーの扉から、立派な室内に、
黄色い服を着て、帽子を持ったフロルヴィッレが入って来て、
人の家の室内で、でかい声を張り上げて歌う。

どうやら、フロルヴィッレの父親は、
彼が好きなソフィアの父と仲が悪いという、
「ロメオとジュリエット」風の状況のようだ。

彼は、ソフィアの父親も世を去ったので、
求婚に来たようである。
そこに、女中のマリアンナが来るが、
状況は悪いことを仄めかす。

マリアンナが出て来て重要な人物かと思うが、
彼女は、ここくらいしか存在感がない。
ジャニス・ホールが演じているが、
これは「結婚手形」でヒロインを演じたソプラノだ。

Track4.「愛する人に会えるのは」。
これは解説あらすじの「レチタティーボと二重唱」に対応。

その後、女中のマリアンナは、
ソフィアを連れて入って来るが、
恋人たち、つまりフロルヴィッレとソフィアは、
いきなり抱き合ってロマンティックな愛の二重唱となる。

典型的にイタリアオペラ風で、管弦楽はピッチカートの上に、
簡素な木管の助奏があるだけみたいな感じ。
歌詞の内容もイタリアオペラ的に、
どうでもいいような内容、
「愛しいあなたを愛しく思います」って何?って感じ。

ソフィアを歌うのはアメーリア・フェッレ。
これは「結婚手形」で女中を演じていた方だ。
LD表紙に出ていた女性で、
どちらかと言えば恰幅が良いが、
声は澄んでいて美しい。
表情も豊かである。
すごい長い接吻で終わる。

驚いた事が、解説に書かれていた。
ベッリーニやドニゼッティが愛用した、
ソプラノとテノールによる「愛の二重唱」を、
ロッシーニは嫌悪していて、
これは珍しいナンバーだという。

Track5.解説あらすじの「レチタティーボ」。
「会えてうれしいよ、ソフィア」の部分。
ここで、ブルスキーノ氏の正体が分かる。
ソフィアは、もうすぐ婚約者のブルスキーノ氏がここに来る、
しかし、心はあなたのもの、などと言っている。

その時、宿屋の主人フィリベルトが入って来て、
3日前にブルスキーノ氏が来たが、
400フランも借金しているので、
宿屋に閉じ込めてある、などと意表をついた展開。

このフィリベルトは、この劇ではかなり重要で、
カルロス・フェレールが歌っている。
「結婚手形」では番頭さんをやっていた。

Track6.解説あらすじの、「レチタティーボと二重唱」。
フロルヴィッレは、
自分がお金を今払うから、秘密にして、
彼を閉じ込め、手紙を渡せ、という交渉を成立させる。

今回のデイヴィッド・キューブラーの役柄は、
いままでの善良なだけの兄ちゃんではなく、
機転が利いているようだ。
実際、今回は、これまで以上に大活躍する。

Track7.「ソフィアの許嫁になりすましてやろう」。
フロルヴィッレは、ブルスキーノ氏になりすます計画を立てる。
マリアンナにこの計画を話しに行くと、
使用人たちが歓迎の準備を進めに入って来る。

Track8.「この地は大きな芝居小屋だ」は「カヴァティーナ」。
これは、「手にいれたものだけでは満足しない」、
と、この館の主、ガウデンツィオ氏が使用人の前で、
哲学を歌い上げるもの。

「もっともっと欲しくなる。金も名誉も」と、
人間の欲深さを賛美する歌を歌い上げるが、
最後は、「何が起こっても楽しく過ごそうじゃないか」、
などと、悦楽的な境地を陽気に歌い出すのが面白い。

ロッシーニのオペラのみならず、多くのオペラでは、
どうでも良いことを歌われるが、
この部分は、一応、意味ありげな有難い内容になっている。

解説には、「金銭崇拝」で笑いを誘うのは、
当時の常套手段だったとある。

この後見人の役は、コルベッリが歌っているが、
「絹のはしご」で、機転の利く使用人ジェルマーノを歌った人である。

Track9.解説あらすじの「レチタティーボと三重唱」。
「ソフィアにはブルスキーノを見つけてやった」。

マリアンナがガウデンツィオ氏に手紙を持って来る。
これはソフィアの婚約者のブルスキーノ氏の父親からのもの。
さっき、恋人フロルヴィッレが入手しておいたものだろう。

「旦那様に手紙です。痛風で左手で書くのを、許して欲しい。
ちょっと、寄り道をしているから、
人相書きの息子が来たら、見付けて掴まえて欲しい」
という内容。

人相書きを自分の顔にしてあったので、
さっそく、召使いは、外に出て、
フロルヴィッレを間違って掴まえて来る。

フロルヴィッレの思惑通りであるから、彼は、
彼は、父に書いた手紙があるから読んで欲しいと言う。

「いい青年だ、父上は厳しすぎる」と、
ガウデンツィオ氏は、物わかりが良いふりをする。
これまた、計画通りということであろう。
ソフィアの後見人は、なりすましの彼に満足してしまうのである。

このあたりから、ようやくオペラは、
ヤバい道を突き進んで行く。

何と、寄り道していたはずのブルスキーノ氏(父)が、
杖を突きながら、暑い暑いとやってくるので、
ややこしいことになるのは必定。

この「暑さ」が、ブルスキーノ氏(父)の頭を、
混乱させているのであろう。
彼は出て来るたびに、暑い暑いを繰り返す。

ガウデンツィオ氏は、
息子さんは、すでに家に来ている、
彼は後悔しているから、許してやって欲しいと言う。

すでに、包囲網が完成している。
この先で待ち受ける善良な病気の老人の運命やいかに。

Track10.「息子さんはもう後悔しています」。
解説あらすじの「レチタティーボと三重唱」である。

これは、現世主義、快楽主義者のガウデンツィオ氏が、
フロルヴィッレをかばって、
ブルスキーノ氏(父)を前に、
親子でよりを戻すように歌うもの。

何と、なりすましのフロルヴィッレも、
成りきって「心臓が止まりそうだ」などと歌うので、
まだ、顔を見る前に、
ブルスキーノ氏(父)は、「許すべきか」などと呟いている。

ブルスキーノ氏の父親は、このオペラでは、
非常に重要な役回りをする。
リナルディが歌っているが、
これは「結婚手形」のカナダ人スルック、
「絹のはしご」の求婚者ブランザックが担当している。

これらと同様の役回りだが、
今回はさんざん、
おちょくられる屈辱に耐える必要がある。

何と、しらばっくれて、「許してください」
などとフロルヴィッレが出て行くと、
「誰だお前は」と杖で突き飛ばすので、
友人である後見人からは、「意地を張って認めないのだな」、
と勘違いされてしまう。

「無慈悲な怪物のようだ、ぞっとする」とまで言われ、
「警察を呼ぶぞ、ペテン師の仮面を剥がしてやる」と、
ブルスキーノ氏(父)も激高する。

「お慈悲を」と、なりすまし男がしゃあしゃあと近づくと、
「息子を認めないなんて」と、後見人も怒る。
ロッシーニ得意の早口の三重唱、大混乱である。

解説でも、ロッシーニの、
ブッファの才能を結晶させたナンバーと特筆されている。

Track11.レチタティーボ、「何かあったのですか」。
ガウデンツィオ氏が、
頑固者の父親が息子を認めない、と、ソフィアに言うと、
彼女も、もちろんグルなので、
「頑固」、「意地っ張り」などと挑発して、
ブルスキーノ氏(父)をおちょくる。

彼は、暑さを嘆きながら、
「ここにいる奴はいかさま師だ」と言う。
ほとんど老人虐待である。

Track12.「ああ、愛しい花婿をお与え下さい」。
は、ソフィアのアリアである。
解説にも、「水準以上の歌唱技術を要求している」とあるが、
以下に記すように、めちゃくちゃな内容。
これは、技巧のための措置かもしれない。

この部分もまた、最も、ややこしい場面の一つかもしれない。
とにかく、曲想も内容も変転して、
いったい、ソフィアは何が言いたいんだ、
となってしまう。

長い助奏の後、いくぶん装飾的なオーボエに導かれ、
美しいメロディで、しっとりした情感が盛り上がる。

「私の平和と安らぎは、
すべてあなたにかかっている、すべてあなた次第」
とソフィアが訴えかけると、
繊細なオーケストラがそれを彩り、
ブルスキーノ父の胸を打ち始める。

しかし、ソフィアはいきなり取っていた手をはずし、
「残酷なあなたは苦痛に苛まれるでしょう」と、
脅しの内容を激しくぶつける。

その後も、
「あなたに救いを求めます」という台詞や、
「あなたは残酷さに報いられるでしょう」という台詞が、
交互に現れ、あの手この手で、老人を説得しようとする。
弦楽が活気付き、木管が色彩を添える。

このように、このトラックでは、ソフィアは、
甘えてみたり、非難してみたり、
両方を同時にまくし立てたり、
いかにも振る舞いがある種の女性的である。

裏面Track1.解説あらすじの「レチタティーボ」。
「決着をつけなければ」。

レチタティーボで、いろんな人が出て来てややこしい部分。
お巡りさんがやって来る。

これは、ディ・クレディコが演じているが、
なかなか面白い役割である。

「空から降って来た息子を認められますか」と、
ブルスキーノ氏(父)が訴えると、
お巡りさんは、「さあ別に」と、まるで心配しない。

しかも、お巡りさんは、
何故か、ブルスキーノ氏(息子)の手紙を持っているという。

ガウデンツィオ氏も出て来て、
お巡りさんに朝の手紙を渡すと、
お巡りさんは、「息子さんの筆跡です」と断言するので、
漫画の効果のように、じゃーんとオーケストラが鳴って、
ブルスキーノ氏(父)は椅子に倒れ込む。

裏面Track2.解説あらすじの「レチタティーボとアリア」。
「私は頭をなくしてしまったのか。」
この言葉のとおり、ブルスキーノ氏(父)は、
自分が錯乱しているのかと疑う。

ここは、ブルスキーノ氏(父)が主に歌い、
他のみんながはやし立てる部分。
これはほとんどイジメ、老人ハラスメントである。

ブルスキーノ氏(父)は、
自分の方がおかしいのではないかと言いだし、
遂には、「脳みそがからだの上から下までかけめぐる」
などという、早口の歌を歌いまくる。

お巡りさんまでが、何と、
なりすましのフロルヴェッレのことを、
ブルスキーノ氏(父)の息子だと断言するので、
彼は、「もっとはっきりした証拠を探す」
と激高するので、オーケストラは、
これこそロッシーニ・クレッシェンドで興奮する。

音楽は、悲痛な響きとなり、
ソフィアは、ここでも、まだ、
「私の心を安心させて下さい」などと訴え、
完全にブルスキーノ氏(父)は怒りと悲しみに爆発寸前となる。
そりゃそうだ。

みんなは「頑固な人だ」、「異常なほど頑固だ」と、
「めったにお目にかかれないほど頑固だ」と、
めちゃくちゃにはやし立てる。

すると、宿屋の主人、フィリベルトが現れるので、
ブルスキーノ氏(父)は、ようやく証人が現れたと喜ぶが、
すでに買収されている彼は、
お巡りさんの質問に対し、フロルヴィッレの事を、
はっきりと、ブルスキーノ氏だと宣言する。

このあたりが、LD表紙の部分であろう。

椅子の老人がブルスキーノ氏(父)で、
その上で、何かを振り回しているのが宿屋の主人。
睨んでいるのはヒロインの後見人のガウデンツィオ氏である。

事ここに至って、ブルスキーノ氏(父)は、
まったく希望をなくしてしまう。

「たとえ殺されたって認めないぞ」と怒る一方、
「少しは同情して下さい」と訴えたりもする。

そんなことはおかまいなしで、
「恥を知りなさい、もう諦めなさい」と、
みんなからはやし立てられるのが可愛そうである。
オーケストラは乗りに乗って、
非常に軽快な音楽を運んでいく。

もちろん、
「こんなむちゃくちゃなことがあるものか」と歌う、
ブルスキーノ氏(父)の方が正しいのだが。

裏面Track3.解説あらすじの「レチタティーボ」で、
「うまくおさまったが、借金の残りは」。

宿屋の主人が、「残りの借金を返せ」と、
ブルスキーノ氏(父)につめよると、
父親は、息子なら、あそこにいるだろうと突き放す。
すると、遂に、宿屋は、本人は宿に閉じ込めてある、と、
口止めされていたことを口走ってしまう。

それを聴いて、二人は外に出て行く。

後見人ガウデンツィオ氏がソフィアを連れて現れ、
「婚約を後悔いているに違いない」などと、
見当外れなことを言っている。
ソフィアは、「結婚って何ですの」などとカマトトぶる。

裏面Track4.解説あらすじの「レチタティーボと二重唱」。
「結婚とは愛の絆なのだ」。
ここは、後見人ガウデンツィオ氏がソフィアに、
「結婚とは愛の絆で、清らかな情熱と甘い情熱を灯すもの」
と説き聞かせる部分。
ソフィアも「心打たれました」と返して、二重唱となる。

「今こそ愛の絆を結ぶときなのかしら」と歌うと、
「その時なら兆しが見えるはず」と後見人は教え、
「心の兆し」について「教えようか」と尋ね、
彼女は、「ドキドキしてじっとしていられない」と答えたり、
「情熱の炎」についての診断が始まる。

ソフィアはいちいち、それを認めていき、
「私に花婿をお与え下さい」と要求する。

「お前に花婿を与え、嬉しい顔を見せてくれ」、
「よし、すぐに結婚させよう」と盛り上がって行く。

最後は、オーケストラも盛り上がって、
「彼だけが喜びで輝かせてくれる」という絶唱となる。

裏面Track5.解説あらすじの、
「レチタティーボと四重唱」。
「やっと分かったぞ、巧みな陰謀だ」。

ここでもいろいろな情報が錯綜して、
字幕を熟読して、流れを掴まなければならない。

ブルスキーノ氏(父)は、よろよろと戻って来て、
「ペテンが分かった」、
「しかしあいつは誰だ」と言っていると、
何と、なりすましのフロルヴェッレが、
「ガウデンツィオ氏の敵の息子とバレる前に結婚を急ごう」
などと言うので、ブルスキーノ氏(父)は、
全貌を掴むに至る。
が、ブルスキーノ氏(父)はしらばっくれることにする。

裏面Track6.解説あらすじの「フィナーレ」である。
「さあ、もう分別を取り戻してくれましたか」。

ここで、ガウデンツィオ氏が現れ、
再び、「息子さんと認めますか」などと聴くと、
ブルスキーノ氏(父)は、「意地を張ってしまった」、
「彼をここに呼んで下さい」という。

何かややこしい問題が起こるということか、
オーケストラでは、金管が激しく信号音を連呼する。
ソフィアも呼ばれ、
「二人を結婚させましょう」というので、
恋人たちが喜んで口づけをしている所に、
宿屋の主人、フィリベルトが、何と、
本物のブルスキーノ氏(息子)を連れて現れる。

音楽は、ぴょろぴょろと軽妙なリズム。
「ろくでなしの息子」と呼ばれるように、
息子は、ぐでんぐでんに酔っぱらっており、
頭髪にゴミが付いた汚い出で立ちである。

「後悔しています」と言って父親に近づくが、
情けないうらぶれた行進曲、葬送曲のような感じ。

「どういうことです」とガウデンツィオ氏が訪ねると、
ブルスキーノ氏(父)は、事の次第を説明し始める。
どうやら、彼は、散々、ソフィアから訴えられていたので、
若者たちの味方をしたようである。

そもそも、彼の息子は、完全に婚約者の資格などなく、
そうするしかないのは、誰の目に見ても明らかであるが。
ヴィト・ゴッピという人が演じているが、
有名なテノール、ティート・ゴッピの親戚筋であろうか。

そして、遂に、宿屋の主人が、なりすまし男は、
フロルヴィッレ上院議員の息子だと説明するに至り、
ガウデンツィオ氏は、「私の敵ではないか」と怒り出す。

が、すでに、二人の結婚を認めていたはずだったので、
「分別のない頑固者め、自分の息子を認めないなんて」
と、先ほど、散々、罵られたブルスキーノ氏(父)が、
今度は、ガウデンツィオ氏に詰め寄る。

「間違いのもとは『愛』なんです」と恋人たちが答えると、
ガウデンツィオ氏も、「許してやろう」としぶしぶ言って、
めでたしめでたしの幕となる。

このように、「ブルスキーノ氏」とは、
とんでもない酔っぱらいの不良息子で、
まったく、劇のタイトルになるような人物ではまったくない、
ということがフィナーレになって分かる。

なお、このLDも最後に、おまけトラックが付いているが、
この上演がなされたシュヴェツィンゲンのお城の紹介から始まり、
結局は、前回、「絹のはしご」で見たのと同じ内容であった。

このオペラでは、ブルスキーノ氏(父)と、
後見人のガウデンツィオ氏の事が、さんざん、
「頑固者」とか「意地っ張り」などと、
いかにも世代間の確執のように揶揄されているのが印象的だった。

また、このロッシーニの「ブルスキーノ氏」というオペラは、
この名前の役柄に出番が少ないということでは、
シューベルトの「フィエラブラス」以上であった。

なお、チェンバロは明記されていないが、
あまり特筆すべき点がなく、これまでのような、
シモーネ・ヤングのような大物ではなかったのかもしれない。

今年はこれから、電力規制によって暑い夏になりそうだが、
ブルスキーノ氏(父)のように、
暑さによって錯乱状態にならないよう注意したいものだ。

得られた事:「シューベルトの『フィエラブラス』と同様、この『ブルスキーノ氏』においても、若者たちと父親世代の隔たりが浮き彫りにされている。」
「『ブルスキーノ氏』自身は、確かに、いかがわしい人物であったが、その父親の方がむしろ主役級で、ひどい目に遭いながらも、最後には親世代の良心を代表する。」
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by franz310 | 2011-06-04 23:47 | ロッシーニ
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