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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その274

b0083728_1771156.jpg個人的経験:
シューベルトの大オペラ、
「フィエラブラス」の録音は、
アバドが指揮をした、
グラモフォンの全曲CDが高名だが、
これは台詞の部分が省略されており、
不完全な記録と言っても良かった。
この作品、最近はありがたい事に、
舞台を記録したDVDも出ていて、
こちらでは、これら台詞も収録され、
より完全な鑑賞が出来るので助かる。
アバドのCDは2枚で
140分程度の収録時間であったが、
このDVDは、171分と書いてあるから、
30分相当が未聴であった。
全体の2割くらいが欠落していたわけだ。


しかも、このDVDの演奏は、
フランツ・ウェルザー=メスト指揮の
チューリヒ歌劇のオーケストラということで申し分ない。
歌手は、エンマを歌う
ジュルアーネ・バンゼくらいしか知らないが、
なかなか高水準である。

ただし、このDVD、表紙を見ても分かるが、
ちょっと怪しい雰囲気。
目隠しされた女性は跪き、椅子を抱え、
その傍らに、戯画化されたようなシューベルト!

中の配役表を見ると、
シューベルト、ウォルフガング・ビューセルとあるから、
まさしくこの不気味な人物はシューベルトなのである。

舞台上の進行を見ても、このシューベルトさんが、
こしらえた世界ですよ、
という感じで物語が作られていく。

そうであると思わせるもう一つの理由は、
この表紙写真の女性のように、
登場人物が目隠しされて登場することで、
これはいかにも自分の意志で行動しているのではない、
というイメージを漂わせる。

この目隠しが取られた時、
人形たちは命を得る、という感じだ。

また、このオペラの幕のデザインに、
シューベルトの部屋のスケッチが使われていることからも、
この室内でのお話、という感じを強調している。

また、幕が上がると、
舞台の真ん中に見えるのは、
巨大なピアノであって、
これに比較して出て来る人々は小さく、
いかにも、こしらえものという感じが出る。

先の、舞台上のシューベルトは、
登場人物の目隠しを外す役をしたり、
楽譜を手渡すような行動、
あるいは模型の建物並べる行為によって、
このこしらえものの世界に、
命を吹き込むような行動を取る。

また、シューベルト氏は、
ある時は、楽譜を書いてみたり、
指揮の仕草をしたり、音楽にうっとりしたりして、
作曲家の心の動きをいかにも代弁しているかと思えば、
時には、登場人物を励まし、けしかけ、
あるいは、説得したりする狂言回しを演じ、
最後には、演奏に満足して感謝してみせたりして、
劇の進行を補足する大活躍をしている。

時として小間使いのように、
道具の出し入れや、登場人物の導き入れをしたりもする。
休みなく働かされている。

もっと面白いことに、ここに登場する主役級の三人の若者は、
すべて、シューベルトの化身のように描かれており、
眼鏡をかけ、シャツにネクタイ、チョッキ、上着をつけて、
まったくシューベルトと同じ出で立ちとなっている。

ただし、エギンハルトは優男のイケメン、
ローラントはいかつく英雄風、
フィエラブラスはいくぶん野性味あるアウトロー風で、
それぞれ、彼が憧れたであろう別の生き様を象徴している。

出て来る王様は、実に威厳があって、
作者であるシューベルト自身を震え上がらせるが、
彼は、事あるごとに、先頭に立って、
王様たちを説得、懐柔するような振る舞いを見せる。
この様子が、シューベルトのアンヴィバレントな感情、
極度のファザコンぶりを描き出してやまない。

フランク王の登場場面など、
壮絶な迫力で描き出され、
素晴らしい舞台効果を堪能することが出来る。
シューベルトに劇的な才能がなかった、
などと言うのはどこのどいつですか?
という感じさえする。

また、第1幕の終わりでは、
フランク王は、シューベルトを張り倒す仕草をするが、
手をひっこめ、代わりに王冠を外して投げ返し、
いかにも、「茶番に付き合うのもこれまでだ」みたいな表情を見せる。
父親もまた、アンヴィバレントな感情に支配されている。
すっかり、音楽に乗せられ、
そして、時として、それを是としない。

そう言えば、ムーア王ともども、
バスのせいか、ものすごい威厳を感じさせ、
彼等は目隠しなしで自立して登場する。
フランクのカール王は、ポルガー、
ムーア王のボーラントは、グロイスベックという、
歌手が担当している。

もう一つ、エンマを演じるバンゼの髪型が、
カロリーネ・エステルハーツィに、
そっくりだということも補足しておこう。

ちなみに、この人の澄んでよく通る声は、
とても印象的で、メスト指揮の芳醇なオーケストラに、
素晴らしい銀色の光線を投げかけている。

しかし、一方のヒロイン、フロリンダは、
誰かモデルがいるのだろうか。

とにかく、この舞台からは、
度を超したシューベルトおたくの人が、
考え抜いて作り上げた世界である、
ということが見ていて読み取れる。

かなり独りよがりの世界かもしれない。
ほとんど、その領域まで踏み込んだ、
シューベルト狂御用達のヤバい世界を作り上げた人は誰だ。

DVDの背面には、
ディレクテッド・バイ・グートラン・ハルトマンとあるが、
この人であろうか。

ネット検索すると、チューリッヒのオペラハウスのHPに、
写真入りで登場している。長い金髪の眼鏡の女性である。
女性ならではの、細部まで気の利いた演出と言うべきか。

別にシューベルトの専門家というわけではなさそうだ。

あるいは、プロダクション・バイ・クラウス・グースとあるから、
こっちがボスなのだろうか。
彼も、ネット検索すると、一癖も二癖もありそうな、
不敵な面構えが写真で出て来る。

女性的とすれば、
フィエラブラスとローラントの二重唱も、
美化された男性の友情といった風情、
中学生のように無邪気に黒板に、ハートマークを書く。
その部分から、エギンハルトのセレナーデを経て、
エンマの唱和の部分も美しい。

フィエラブラスの失恋のアリアでは、
舞台上のシューベルトの同情もあって、
切実な表現が聴かれる。

エンマ密会の場も、
頼りのシューベルトが、
何故かここでは無力感をあらわにして、
無慈悲な運命による緊迫感を盛り上げている。

こうした、各曲への共感の深さが、
一見、奇抜な演出に、強烈な説得力を与えている。
あるいは、この怪しい演出家たちが、
協力しながら、ますます、深みにはまった演出なのかもしれない。

演出の特異さ、見応えは別にしても、
各歌手の充実した歌唱もさることながら、
鋭敏なオーケストラの柔軟な対応も圧倒的で、
美しい残響の録音によって、
全体的に豊かな情感を醸し出している。

とにかく、まったく飽きさせず、しかも、
耳に心地よく充実した美しい時が流れていく。
このDVDは、シューベルト・フリークの必需品である。

自認する人は、すぐ見るべきだ。

このような、一筋縄でいかない舞台について、
何か補足となる解説はないか、
とブックレットをひっくり返してみても、
それについては何も書いていない。

ただし、2007年に、
リチャード・ローレンスという人が書いた解説があるので、
これを読んで見よう。

「ドイツ初期ロマン派オペラは、ないようなものだ。
聴衆はモーツァルトの『魔笛』(1791)から、
ヴァーグナーの『さまよえるオランダ人』(1843)まで、
ベートーヴェンの『フィデリオ』(1814)
との間で作曲されたものは、
時折演奏されるウェーバーの『魔弾の射手』(1821)以外、
何も見たことがないに等しい。
今日の歌劇場を考える限り、
1810年から1840年までのオペラと言えば、
ロッシーニ、ドニゼッティ、そしてベッリーニなど、
イタリアのものを意味する。
これには訳がある。
しかし、音楽愛好家の中には、
器楽曲や歌曲で高名なドイツ、オーストリアの作曲家たちが、
オペラの分野でも活発に活動していたと知って、
驚く人も居るかもしれない。
ウェーバーと同様、シュポアしかり、メンデルスゾーンしかり、
シューマンしかりであった。
しかし、最も有名で悲しい例はフランツ・シューベルトであった。
シューベルトは14歳の時に、最初のオペラ体験をした。
翌年、彼は『魔笛』を見ているし、
1814年には『フィデリオ』最終版の初演の場にいた。
シューベルトは師サリエーリのオペラ、
また、サリエーリの師、グルックのオペラを勉強していたし、
『フィガロ』や『ドン・ジョヴァンニ』も見ていたはずである。
つまり、彼は徹底的にオペラの世界に親しみ、
惹き付けられていたのである。
シューベルトのオペラ作曲に関しては、
最初の努力が1812年頃から始まり、
それから1820までの間に、10曲以上を書いている。
いくつかは完成されることなく、
その他のものは、一部しか現存していない。
ほとんどが、レティタティーボではなく、
語られる対話を含むジングシュピールであった。」

という具合に、まず、シューベルトが、
いかにオペラを作曲するべき存在であったかが書かれている。

が、以下、いかにそれがかなえられなかったか、
といういつもの解説となる。

「唯一、生前、舞台にかけられたのは、
一幕のジングシュピール『双子の兄弟』で、
1820年の初夏、6回の公演が行われた。
これは、シューベルトの歌曲をレパートリーとし、
ずっと親しい友人であり続けた歌手、
ミヒャエル・フォーグルの働きかけによって、
帝室歌劇場のケルントナートーア劇場によって
委託されたものであった。
しかし、この点に関して、フォーグルは、
シューベルトを失望させた。
イタリア人興行師、ドメニコ・バルバーヤが、
1821年にケルントナートーア劇場の監督に任命されるや、
シューベルトとウェーバーにドイツ・オペラの委託をした。
シューベルトは、友人のショーバーが台本を書いた、
『アルフォンソとエストレッラ』を提出した。
しかし、登場人物、フロイラ役に想定されていたフォーグルは、
この作品に共感できず、作曲家にもそう伝えた。
彼の不適切な意見が劇場関係者からの、
拒絶にもつながった可能性がある。」

このように、フォーグルの功罪、
諸刃の剣としてフォーグルが描かれる。

「しかし、歌劇場からの要求は続き、
1823年には、リブレット作者として、
友人、レオポルド・クーペルウィーザーの兄、
ヨーゼフを頼った。
彼は経験が豊かなわけではなかったが、
ケルントナートーア劇場のマネージャーであったので、
何が求められているかを知っていたことだろう。
シューベルトは、5月25日から6月5日の間に、
最初の二幕に取りかかり、
第3幕と序曲の作曲と、おそらくオーケストレーションは、
6月7日から10月2日に行った。
(この夏の間、彼は、前年感染した梅毒の再発と思われる、
深刻な病状にあった。)
しかし、状況は好ましくなかった。
バルバーヤは二股をかけていた。
ナポリの王室歌劇場のマネージャーとして、
ロッシーニと6ヶ月の契約を結び、
ヴィーンに着任するや、
1822年4月から7月までのシーズンを、
ロッシーニが監督するように計らった。
ヴィーンにはロッシーニ・ブームが吹き荒れ、
次の二年は、さらに長いイタリア・シーズンが開催された。
1823年10月に初演された、
ウェーバーの『オイリュアンテ』は、
(シューベルトの言葉で言えば、『当然』、)大失敗に終わり、
クーペルウィーザーはマネージャーを辞任した。
シューベルトの『フィエラブラス』への支払いもなく、
忘却の淵に沈んだ。」

このように、お決まりのバルバーヤ問題である。
以下は、この物語そのものの来歴について。

「そのヴィーン初演は1988年の5月まで待たねばならなかった。
『フィエラブラス』は、『オイリュアンテ』同様、
『英雄的ロマン派オペラ』で、
騎士道と豪気の中世理想郷の物語である。
もともとの由来には二つの要素がある。
ロランがピレネーのロンセスヴァレスで倒れた、
サラセンとシャルルマーニュの空想上の戦いを描いた、
叙事詩『ロランの歌』と、
ロングフェローが『ウェイサイド・イン物語』で讃えた、
『エンマとエギンハルト』の恋愛伝説である。
クーペルウィーザーの版では、
エンマを愛しながら報われず、
ムーアの王ボーラントの息子、フィエラブラスがいて、
気高くも、エギンハルトよりも彼女の誘惑者であったと、
ボーラントに思わせておく。
もう一つの興味深い愛は、
有名なロランとボーラントの娘、フロリンダとのものである。
(似た名前が出て来ても、
パーセル/ドライデンの『アーサー王』の、
オズワルトとオズモンド同様、
プロットを追うものには、何の助けにもならない。)」

以下は、音楽の特徴である。
短いが比較的バランスのとれた良い解説である。

「『アルフォンソとエストレッラ』は通作形式で書かれていたが、
『フィエラブラス』で、シューベルトとクーペルウィーザーは、
語られる対話を復活させている。
音楽と台詞のバランスは、
必ずしも十分に考えられていないが、
スコアを特に興味深いものにしているのは、
台詞を伴奏したり、台詞に合いの手を入れたりする
オーケストラ音楽、つまり、
ドイツで『メロドラマ』と呼ばれるものの利用である。
最も有名な例は、『フィデリオ』の地下牢のシーン、
『魔弾の射手』における狼谷のシーンである。
シューベルトは考えられうる最高の技術を注ぎ込んでいる。
例えば、第2幕の最後で、舞台外で試みられる逃亡に対し、
ヒステリックにコメントを語る部分で、
オーケストラは、フィナーレですでに出ていたテーマを繰り返す。」

このように、アインシュタイン以来、問題視されていた、
メロドラマが重要であることをあえて指摘。
さらに、素晴らしい音楽が満載であることが説明されている。

「最良の音楽を受け持つのは、まさしく、このフロリンダである。
同じ幕で、彼女はローラントに対する憧れを表明するが、
音楽の甘美さは、連れのマラゴンドの不吉な予感を覆い隠す。
それに対照をなす、アレグロ・フリオーソと指示された、
嵐のようなアリアでは、恋人を救出する誓いを歌う。
この爆発に、聖歌のような、
キリスト教の騎士たちの無伴奏合唱が続くが、
このオープニングはすでに序曲の序奏で聴かれたものだ。
おおかたの見方では、シューベルトは、
歌曲においては、例えば『魔王』のように、
劇的な状況を描くことが出来たが、
彼の叙情的な資質は、舞台における劇的要求には、
それほど向いていなかった。
この見方は正しいが、しかし、再度、パーセルを思い出すと、
かくも偉大な音楽を忘れ去ることは、大きな損失である。
最も喜ばしいナンバーの一つに、
第1幕フィナーレの最初のデュエットがある。
リュートを模した弦楽のピッチカートに、
エギンハルトは、差し迫ったエンマとの別れを嘆くが、
彼女の答えは彼の嘆きを長調に変容させる。
これは大変、緊迫した状況で、
恐らくシューベルトが胸に止めていた、
『フィガロ』の中の伯爵とスザンナのデュエットの回想である。
そこでもそうだが、とりわけかわいそうなフィエラブラスには、
やっかいな問題は続く。
最後に、二つのカップルは再び結ばれるが、
彼は栄光の道を断念し、その埋め合わせのアリアすらない。
ハイドンの『天地創造』のように、
戦争をしていた二国の和議を祝うのにふさわしく、
シューベルトのフィナーレはすさまじい。
これは、この欠点もあるが魅力的な作品を、
堂々を締めくくっている。」

この解説は、このように、ほとんど激賞の内容であるが、
ただ、シューベルトおたくには、最後の最後で、
画竜点睛を欠いた。
「欠点もあるが」が不必要な一節であった。

さて、ここにも、たくさんの聞き所が列挙されているが、
井形ちづるの「シューベルトのオペラ」では、
以下のような部分が、聞き所とされている。

第1幕、フランク王の前にフィエラブラスが突き出される所、
エギンハルトとエンマの密会以降のフィナーレ。

ドラマティックなのは、
ローラントがフィエラブラスについて、
説明する語りの部分であるとある。

DVDでは、この部分、シューベルトが、
フィエラブラスを連れ出し、帽子をかぶせたり、
縄をかけたりして、いかにも、
作曲家が妄想で作った世界が展開されているような演出。

「たたったたーたた、たたったたーたた」と奏される、
フィエラブラスの主題が出る。

また、戦いの激しさを示す、
激しく速いパッセージの部分も特筆されているが、
DVDでは、フィエラブラスが、その様子を描写するように、
剣を振り回すような演技をしているのが面白い。
というか分かりやすい。

エンマが現れ、フィエラブラスが、
恋しい姿を見付けるシーンも、
あえて音楽にしなかった驚きの効果として、
特筆されている。

ここで、エンマは勝利の月桂冠を、
父王やローラントに渡すが、
それを用意するのも、
このDVDでは小間使いとしてのシューベルトである。

彼女が月桂冠を渡したいのは、
エギンハルトであるが、彼には、
まだ、その資格はない。
その情けなさを表す演出も心憎い。

あと、フィナーレ全般も聞き所とされているが、
このDVDでは、フィエラブラスは、
シューベルトにつかみかかり、
シューベルトは倒れてしまう。

コピー人形のようにシューベルトに成り代わって、
自制の歌を歌っているような感じになる。

この後、追っ手がエンマを捜索に乗り出して来るが、
この部分の息詰まるライティングも、
今回のDVDの見所の一つである。
オーケストラの表情も実に豊かで、
最高級の音楽がぎっしり詰まっている感じがする。

また、「実に素晴らしい」とされているのが、
エンマ、フィエラブラス、王様の三重唱である。

第2幕、「シューベルトのオペラ」では、
メロドラマの用法が聞き所とされる。

さらに、「何と美しいことか」と書かれているのが、
マラゴントとフロリンダの二重唱であるが、
ここは、二重唱のみならず、助奏の美しさ、
木管楽器の使い方、声との掛け合いが繊細だ。

DVDでも美しすぎるのか、
舞台上のシューベルトも落ち着きがない。

二幕以降は、ここにもあったように、
フロリンダが主役に交代する感じであるが、
かっぷくは良いが、美しいトワイラ・ロビンソンの、
いくぶん陰りのある声が大役を果たしている。

もっとも面白い演出として、
怒り狂ったムーア王が、
次々に楽譜を破りながら歌う第10曲の五重唱を上げておこう。

また、全曲の中央に第11曲、
ムーア人とフランク人の平和の合唱が、
置かれていることを特筆している。
このDVDでは、舞台上のシューベルトも満足したのか、
椅子に座って聴き入っている。
ローラントとフロリンダがお互いの姿を認め、
熱い視線を交わし合う。

この後の第12曲も、緊張感の高まり、
シンフォニックな構築性、
フロリンダの壮絶なアリアまで、激賞の展覧会である。
DVDでは、ここで、
ローラントとフロリンダは激しく接吻を交わす演出。
フロリンダの父親の面前なので、
大胆極まりない行為である。

シューベルトは、意味深な台詞を吐いている。
「父よ、あなたはそれを望まれた。
私はそれを受け入れよう。」

フランクの騎士たちの牢獄入りは、
シューベルトが、父親から見放された事実と、
重ね合わされているわけだ。

この演出では、アバド盤CDの解説のごとく、
若者たちと王様たちとの確執がクローズアップされ、
シューベルトと父親との関係が投影されたようになっている。

フロリンダのアリアでは、
舞台上のシューベルトがフロリンダに演技指導を行い、
シリアスさが損なわれている。

井形ちづるは、さらに、
牢屋の騎士たちの無伴奏合唱も効果的であると書き、
トランペットの効果的な利用による緊張感の盛り上げ、
フィナーレについて、
「シューベルトの描写力は圧巻と言わざるを得ない」
と書いているが、
私には、これは同時に極めてユニークな劇音楽に聞こえる。
このあたりの緊迫感は、このDVDでも存分に味わえるが、
舞台上のシューベルトが武器を用意するなど、
原作が願ったリアリズムは、変化球勝負である。

が、ロビンソンのフロリンダによる、
モノローグのメロドラマは、渾身の演技。

第3幕、ここは、めまぐるしく場面が転換される。
まずは、エンマの場面、そしてフロリンダの場面、
最後に、これらが大団円を迎える場面である。

エンマとカール王の二重唱のフーガ風に重なるところ、
切迫感を表して素晴らしいとされているが、
DVDは、薄暗い中をうろうろと動き回る、
影を生かした演出になっている。

エギンハルトが戻って来て、
フィエラブラスと共に出陣するが、
ここで、エンマを交えての三重唱は、
このDVDでは、幕が下りて、
その前で3人の主役級のみが歌う。

エギンハルトとエンマは目隠しをして、
フィエラブラスは剣を振り回しているという、
奇妙な演出である。
運命に従うということであろうか。

第2場はフロリンダの場面に戻るが、
DVDでは、彼女は鳩を持って歌っている。
これは何を意味するのであろうか。

不気味なムーア人たちの行進曲が響くが、
シューベルトが、巨大なピアノの上に乗って、
ローラント処刑の前触れを状況報告する演出になっている。
この後の部分も、「シューベルトのオペラ」では、
「彼らの動きを目前に見るようだ」と書いて特筆されている。

しかし、実際には、場面転換が急激すぎて、
演出が難しいと見え、DVDでも、かなり苦労の跡が見られる。
例えば、騎士たちが塔から駆け下りるシーンは静止させ、
そこに、ムーア人たちが来るような苦肉の策。

また、ローラントがムーア王に斬りかかるシーンも、
スローモーションのような演出で、
何とかドラマ上の難所の穴埋めをしている。

最後の大団円では、舞台上のシューベルトが、
ひとりひとりに楽譜を渡して歩き、
いかにも、シューベルトひとりで考えた妄想でした、
という感じの演出になっている。

フィエラブラスは、歌う部分が少ないことを不満げに振る舞う。
また、父親との和解を喜ぶように、
フランク王、そして、ムーアの王様に、
シューベルトは、抱きつき、また、跪く。

演奏も素晴らしく、終曲の盛り上がりは壮大だが、
結局、シューベルトのこしらえた空想の産物でした、
という感じが強調された演出で、
さらに正攻法のスペクタクル・ドラマへの試行を
期待したいところである。

とはいえ、それはかなりの困難を伴うだろう。
最後に向かっての音楽が、
確かに急ぎ足にすぎるせいか、
井形ちづるも、手をこまねいている感じがする。

ただ、結論として、
「舞台作品として可能な表現手段を駆使した
スケールの大きいオペラである」と書いており、
「シューベルトは自分の持てる全てを注ぎ込んで作曲した」
と続けているが、これには大いに共感できる。

得られた事:「シューベルトの大オペラ『フィエラブラス』、美しすぎる。」
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by franz310 | 2011-04-30 17:14 | シューベルト
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