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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その272

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その272_b0083728_23272935.jpg個人的経験:
シューベルトが完成できた、
最後のオペラ「フィエラブラス」は、
長らく評価されなかった作品である。
シューベルトの没後、
160年に当たる1988年に、
クラウディオ・アバドが復活上演し、
遂に、その真価が明らかになった、
という感じであろうか。
が、だからと言って、この作品が、
傑作に仲間入りしたわけではなかった。


前回も書いたが、この上演記録は、
グラモフォンで録音され、日本盤CDも出たことで、
多くのシューベルト・ファンが、おそらく驚喜したが、
解説が意味不明で、がっかりした人が多かったのではないか。
(私は見栄えしない表紙写真でもがっかりした。)

ジークリット・ネーフという人が書いたものを、
日本語に訳したものだが、
ハンスリックが、「幼稚な聴衆」を前提にした、
「詩情も情趣も脈絡もない作品」、
として、けなした話から始まっている。

最近では、トーマスという人が、
「一級の演奏で全曲が上演されるまで、
価値の判断は留保すべきである」と、
主張していることまでが書かれているが、
この後、ネーフは、遂に一級の演奏が現れたと書く。

しかし、ずるいことに、彼は、
このオペラの価値の判断をせず、
「平和の中に戦争を、敵の中に友を見いだす
クーペルヴィーザーの台本とその典拠」
という題で、別の話を始めているのである。

ここで、彼は、「フィエラブラス」の主題は、
「シューベルトや彼の友達の、
疎外されない明確な存在感への憧れ、
故郷への夢である」と書いている。

ここから、私は、何を読み取って良いのか分からなかった。

それから、この解説者は、
台本の三つの典拠として、
1.フランク王国のカール大帝
2.ロランの歌
3.カルデロンの「マンティブレの橋」
を掲げている。

この典拠から得られる思想のようなものが、
合わせて列挙されているが、難解である。

「彼等はイスラム教を、
タブーのない二者択一の哲学として歓迎した」
などと書かれているが、
これは何を意味するのであろうか。

このオペラでは、イスラム教は負ける側でしかない。

次に、「シューベルトの『秘められた世界』」という
題名を持つ部分が続く。

父親は子供たちの憧れを理解できず、
子供たちは、父親の支配を受け入れられず、
こうした不安が、
「あの『秘められた世界』と外的な出来事との進行とが、
しばしば痛々しく衝突するような物語を作り出す」
とある。

このような思わせぶりな説明は、
頭の中を通り過ぎるだけで、抽象的に過ぎ、
何の印象も残さない。

私は、これまで、このCDを何度も手に取り、
この解説を読む度に、聴く気をなくしていた。
これは、これまで、私が体験したレコードの解説の中で、
最悪の例と言って良いだろう。

この後、「物語」というプロット説明の部分も、
こんな書き出しになっているので、
1センテンスごとに見ていこう。

「このオペラは愛と友情で結ばれた5人の若者の物語である。」
これは分かる。

「彼らはさまざまな境遇の中に置かれ、
また互いに敵対する君主の子供たちである。」
この部分になると、私は、気が狂いそうになる。

当然な「さまざまな境遇の中に置かれ」という記述に、
いったいどんな意味があるのだろうか。
思わせぶりで抽象的という表現は、
この一節だけで理解されることと思う。

むしろ、「互いに敵対する君主の子供たち」
という方が先に書かれるべきで、
下記のように書く方が、ずっと具体的で、
分かりやすくなるだろう。

「フランク王とムーアの王には、それぞれ、
子供たちがいて、親が敵対しているのに、
むしろ敵方を愛している。」

さらに、
「騎士エギンハルトと、ムーアの王子、
フィエラブラスは、フランク王女、
エンマを愛していることから、
ややこしいことになる。
また、ムーアの王女フロリンダも、フランクの騎士、
ローラントを愛しているのである。」
と書けば、五人の若者たちの物語であることがはっきりする。

この次に来るのが、さらに混乱させる一文である。
「したがって、彼らの絆が結ばれるただ一つの道は戦争であるが、
それは祖国と祖国を結ぶひとつの危険な橋である。」

何故、戦争が絆であり、橋なのか、
読者はそれが気になって、先を読む気にならない。

「祖国の中でも争いが盛んである。
父親たちと息子たちの間で、
また父親たちと娘たちの間で。」
という続く一節も、何のことやらさっぱりわからない。

原稿を沢山埋めて、原稿料の水増しを狙ったような文章である。
さっさと本題に入って欲しい。

「子供たちはそこから逃れようとする。」
と書かれているが、私は、この作品に、
そんな難しい要素があるとは思えない。

「愛する祖国のために憧れを、苦しみを、
希望を、そして不安を募らせる・・・」
とさらに続くので、我慢限界、
解説書を破り捨てたくなる。

実際は、騎士エギンハルトとエンマが、
単に愛し合っているだけであり、
そこに振られ役フィエラブラスが絡んでいるだけだ。

もう一方のカップル、ムーアの王女フロリンダと、
騎士ローラントは、ローラントが捕虜となったために、
フロリンダが命をかけて、彼を救おうとするという話。

これだけの事を説明するのに、
何故に、
「子供たちは互いに、死が避けられない戦争へと、
しかし同時に互いの腕の中へと向かう」などと、
書く必要があるのだろう。

上述のように、相手の腕の中に向かうのは、
フロリンダだけなのである。

この意味不明の解説に対し、
さらに最悪に輪をかけるのが、
このオペラ上演から取られた舞台上の写真で、
これもまた抽象的なものであるため、
ますます、この作品を正体不明のものにしている。

表紙も食指を動かさせるようなものではない。

しかし、このアバドの録音の海外盤解説には、
実はドイツ語のネーフのもの以外に英語版もあって、
エリザベス・ノーマン・マッケイという人が書いている。

今回、この解説を読んで、
私は、最初からこっちを読みたかったと思った。
はるかにすっきりとした解説である。

「1822年、シューベルトは、
ヴィーンの宮廷歌劇場の経営陣から、
当時の劇場セクレタリー(総監督)で、
シューベルトの友人で、
画家であったレオポルドの兄であった
ヨーゼフ・クーペルウィーザーのドイツ語テキストに、
音楽をつけるようにと委託を受けた。
1823年の初頭、シューベルトは、
選ばれたテキストに作曲を開始し、
5月にはフル・スコアを書き出し、
病気であった夏の数週間、中断したが、
10月には最終的に完成させている。
彼は、作曲家として、ヴィーンでは関心を集めており、
ピアノ独奏曲(特に舞曲)、ピアノ連弾曲、
多くの歌曲を出版していた。
1820年から21年までには、
二つの重要な劇場で、彼の三つの舞台作品が上演されていた。
ケルントナートーア劇場における、
一幕のジングシュピール『双子の兄弟』と、
エロールの『魔法の鈴』への魅力的な2曲の追加曲、
アン・デア・ヴィーン劇場における、
野心的で印象的な三幕のメロドラマ『魔法の竪琴』がそれらである。」

という具合に、この頃のシューベルトは、円熟期にあった。

「シューベルトは、多くのオペラ公演に接しており、
他の作曲家のスコアを研究する、
目の肥えたオペラ愛好家であって、
少年時代からオペラを作曲していた。
彼はまた音楽上の成功の早道が、
劇場だということを知っていた。
ロッシーニの『アルジェのイタリア女』や、
ウェーバーの『魔弾の射手』と同様にヒットしたオペラを、
もし、シューベルトが作っていたら、
彼の作曲家としての地位は保証されたであろう。」

という具合に、オペラを書くことは、
彼の重要使命であった。

「1822年の委託時に、
シューベルトがまず適任とした
クーペルウィーザーは、
のちに小劇場用の二三の台本を出版しているものの、
ほんのわずかしか、あるいは、まったく、
リブレットを書いた経験がなかった。
しかし、彼は劇場での仕事を通じて、
オペラや出演者や聴衆について経験を積んでいた。
委託から作曲までの何ヶ月かの間に、
この二人がテキストについて、
いかなる協力関係にあったのかを示す記録はない。
シューベルトは、
わかりやすさや舞台に乗せる上での問題があることを見落とし、
明らかに、それが、様々な機会を与えてくれることを歓迎して、
完成したリブレットそのままを受け入れた。」

彼は、いかなる難題でも解ける能力があったがゆえに、
複雑な筋にも対応が可能であった。

「1814年から15年のヴィーン会議中と、
その直後のにわか景気の後で、
1820年代のケルントナートーア劇場の状況は不安定だった。
困難は、財政上の問題や、
特に、ドイツ、オーストリアの良い演目の深刻な不足にあった。
1821年12月、イタリアの興行師、
バルバーヤが劇場の支配人になると、
最初にドイツ語オペラの委託をした。
その結果、ウェーバーの『オイリュアンテ』が生まれ、
シューベルトの『フィエラブラス』は、
ウェーバーのものと同様、
大英雄ロマン派オペラであった。
バルバーヤはドイツ語オペラ擁護派を懐柔しようとした。
しかし、同時に彼は、1822年3月、
彼はロッシーニをヴィーンに招いて、
オペラのシリーズを監督させ、
イタリア歌劇の大宣伝を行い、
大当たりを取って、ロッシーニ旋風を起こした。
ドイツ語オペラにとって不幸なことに、
ロッシーニを歌うイタリア歌手との契約で、
かなりの数のドイツ、オーストリアの歌手が、
劇場を去ることになった。
歌曲作曲家としての若いシューベルトの天才を、
早くから見いだした、
54歳のミヒャエル・フォーグルも、
1822年11月に劇場を去った。
イタリア歌手がドイツ語オペラを歌うのには困難を伴い、
1823年10月には、その横柄さに不満を持って、
クーペルウィーザーも劇場を去った。」

てな具合に、台本にも問題はあったかも知れないが、
状況が最悪だったということだろう。

「シューベルトが『フィエラブラス』のスコアを完成させた、
3週間後、ウェーバーの『オイリュアンテ』は、
カット版で、しかも粗末な演奏で上演されたが、
これは強烈に批判された。
『フィエラブラス』を演じようという計画は、
不幸な内部事情もあって次第に忘れられてしまった。
ロッシーニの人気とウェーバーの失敗、
クーペルウィーザーの退職が、その運命を担った。
この作品を真面目に受け取っていなかったのか、
経営陣によるこの作品の評価記録は残っていない。
この巨大なスコアに対して、シューベルトは、
まったく報酬を受け取っておらず、
この作品に興味を持って貰ういくつかの試みはあったものの、
この作品は1886年のシューベルト校訂版の出版まで、
60年以上、さらに、1897年のモットルによる、
改作版のカールスルーエでの上演まで忘却に沈んだ。」

このオペラが忘却される条件だけは、
いくらでも揃っていたわけだ。

「この大オペラを作曲するに当たって、
シューベルトのスターティングポイントは何で、
舞台での、また音楽の上での伝統の何が、
彼のスタイルに影響し、
また、それを形成したのだろうか。
オーストリア=ハンガリー帝国の首都、
ヴィーンにおいて、多くの文化が出会い、
オーストリアの伝統と結びついた。
オペラにおいては、
ドイツ、イタリア、フランスの作品が、
シリアスなものから軽いものまで、
ヴィーン古典派やその後継者の作品と共に上演されていた。
人気のある劇場(フォルクス・シアター)もまた、
音楽的な貢献をした。
これらの多くがシューベルトに様々な面で影響を与えた。」

このように、シューベルトには多くのものが流れ込んでいた。

「彼の第一の師匠であったサリエーリ
(彼自身、グルックの生徒で弟子であった)から、
入念な指導を受けながら、
他の作曲家のオペラを学び、
自身、初期のいくつかの劇場作品を作曲した。
彼はイタリアオペラや、特に『魔笛』など、
モーツァルトのジングシュピールに親しみ、
またそれらを愛し、
ベートーヴェンの『フィデリオ』に感動を受けた。」

古典の知識も十分であったということ。

「彼は、ギロヴェッツ、ザイフリートや、
ヨーゼフ・ヴァイグルなど、
当時、成功を収めていた、
年配の同時代者の劇場作品をよく知っていた。
特に、ヴァイグルの理想化された、
ロマンティックなジングシュピールの、
音楽構成や表現は、
シューベルトの劇場音楽に、豊かな実りを与えた。」

ネイティブな作曲家たちの作品は、
非常に身近であったということか。

「そして、若い作曲家にとって、
もともとパリのために書かれ、
当時、ヴィーンで上演されていた、
スポンティーニやケルビーニに例をとるような、
グランド・ロマンティック・オペラからも、
影響を受けないわけはなく、
ロッシーニのリアリスティックなオペラもまた、
シューベルトの舞台作品に痕跡を残している。」

フランスもイタリアも、シューベルトに流れ込んでいる。

「『フィエラブラス』は、こうした、
ヴィーンにおけるトータルかつ、
反発し合う背景をバックに捉えられるべきものだ。
長年の実験や研究の後、
ようやく書かれたドイツ・ロマン派オペラの最初の例で、
作曲家と台本作者が、かろうじて理想のフォーマットに、
辿り着いたように見える。」

この部分は、私は、この解説の核心であろうと考える。
この時期、試行錯誤の末に到達した結論が、
この「フィエラブラス」なのである。

「サリエーリやワイグル、シューベルトらは全て、
当時のヴィーンで演奏されていた、
地元産、海外産の軽薄なナンセンスには反対していた。
こうした軽妙な作品は、
リブレットの作者にとって簡単だっただろうが、
シリアスな作品を書く場合、
メッテルニヒの弾圧政治の下では、
うんざりするような検閲の制限を受けた。
作家への制約は、カットやスクリプトの修正同様、
着想の始めから影響した。
クーペルウィーザーの最終テキストは、
たった9箇所の小さな修正で検閲が済んだ。
しかし、クーペルウィーザーは、
その劇場経験から、何が許され、
何が許されないかを良く知っており、
彼は自分で、自己監査を行って、
無邪気とも言うべき単純な内容とし、
問題の多いテーマは回避し、
教会や国家の目に止まるような着想は封印した。
同時にクーペルウィーザーは、
多くのドイツ・ロマン派オペラを安っぽくしていた、
魔法の効果も使わないようにした。
バルバーヤによって、イタリア・オペラ用に、
ケルントナートーア劇場の楽団は、
縮小されたばかりであったのに、
彼とシューベルトは、
オペラの壮大さや豊かさは追求し続けている。」

この部分も味わい深い。
彼等は、安っぽいものは避けながら、
同時に検閲の目も気にする必要があったのだ。

このような制約がある中、
非常に高い志を持って書かれた作品、
それが「フィエラブラス」なのである。

これ以下、まだまだ続くが、音楽を聴かなければならない。
今回は、このくらいにしておく。

このアバド盤のCD、少し、音響がデッドな感じがするが、
これは舞台をライブ録音したせいであろうか。
あるいは、せっかくウィーンでの録音なのに、
ウィーン・フィルではなく、
ヨーロッパ室内管を使ったせいであろうか。

また、私はあまりはっきり認識していなかったが、
このCDは、このオペラの全曲録音ではあるが、
すべてを収録したものではなさそうだ。

というのは、台詞部の多くは省略されているからである。

Track1.序曲からして、
いくぶん、しっとり感に欠けるような気がする。
あるいは、アバドの指揮が、
さっぱりしすぎているのかもしれない。

もっと、神秘的な、あるいは、予感に満ちた音楽にして欲しい。
それは、最後に盛り上げるところでいい線まで行っているが、
オーケストラの限界か、録音の限界か、
ちょっと腰砕け気味に聞こえる。

Track2.第1曲導入曲。
フランク王の王城で、女たちの部屋。
美しい女性合唱で、侍女たちが、
糸紡ぎの作業の喜びを歌う。
ここで、結婚式のため、などと出て来るが、
この後、特に結婚式の話が出て来るわけではない。

こんな中、エンマ(カリタ・マッティラ)が、
これはお墓の中で着る服のため、
などと縁起の悪い歌を歌う。

別に縁起の悪い事を予言するようなものではないが、
「アルフォンソとエストレッラ」で、
エストレッラが、悲しげに登場したのと同様、
このエンマは、ばくぜんとした不安を抱えている。

この合唱は、さすがに、
アルノルト・シェーンベルク合唱団が、
受け持っているだけあって、非常に美しい。
ただし、アバドの指揮は、
かなり先を急ぐもので、せかせかしている。

ここで、本来なら、エギンハルトが入って来て、
王の軍隊の凱旋報告と、
身分違いの恋についての悩みについての会話があるが、
このCDには収録されていない。

Track3.第二曲 二重唱。
このエンマとエギンハルト(ロバート・ガンビル)の二重唱は、
物憂げなクラリネットの序奏に導かれ、
分かりやすく華が有り、歌曲王の限界を超えている。
しかも、デュエットはとても美しい綾をなし、
後半の夢に満ちた表現も、劇場を満たすのにふさわしい。

Track4.行進曲と合唱。
この凱旋曲の壮大さもまた、
「アルフォンソとエストレッラ」のような、
シューベルトの得意とした内密な世界を越えて、
多くの聴衆に向かって、説得力を持って響く。

ここでは、カール王の演説があるはずだが、
このCDでは省略されていて、
解説を読んで理解できる形。
したがって、このCDは、解説なしには、
全曲を味わうことは出来ないのである。

Track5.第4曲A-C。
勝利したフランク王の前で、
褒美の話や捕虜の待遇の話が出る場面。
かなりさまざまな事が起こって、
レチタティーボや重唱、合唱がミックスされている。

シューベルトの歌曲も得意とする、
ロベルト・ホルによるカール王は、
捕虜は束縛されないことを明言。
さすが名君である。
「嵐のような激しい戦いの中でも、
人間の権利を忘れてはならない」と、
かなり進歩的な君主である。

このトラックでは、イケメン騎士ローラント(ハンプソン)が、
フィエラブラス(ヨーゼフ・プロチュカ)は敵の王子で、
自分が掴まえた事を主張、
フィエラブラスは、ローラントの監督下に置かれる。

Track6.第4曲D-F。
第4曲は、複雑で、全部でAからFまでの6つの部分からなる。
ここでは、途中、台詞なども含みながら、その後半。
メロドラマ部もあって緊迫する。

フィエラブラスは、エンマを見て、
自分が恋している女性だと言うと、
ローラントは、王の娘だ、危険だと諭す。
「口は閉じているがいい、
ここは危険がいっぱいだ。
私の心の傷は
沈黙する夜が隠してくれよう」。

Track7.第5曲、二重唱。
この前に、ローラントとフィエラブラスの、
色恋の告白タイムがあるが、これは台詞だけなので、
録音されていない。

この二重唱は、極めて楽しい歌で、
色恋に迷った二人は、調子に乗って、
羽目を外す。
これまた、シューベルトは、
劇場という空間を意識して、
「アルフォンソ」などより熟慮の形跡がある。

Track8.ここから長大なフィナーレ。
フィナーレは25分の長丁場だが、
前半(第6曲A-F)の20分が、
このトラックに収められている。

まず、エギンハルトとエンマの耽美的な二重唱があって、
彼等の密会が描かれる。
リュートの伴奏をオーケストラが模して、
まるで、ベルリオーズのように、濃厚な夜の気配を滲ませる。

この場面から次のフィエラブラス登場までの、
素晴らしい音の絵画はどうだろう。
夜の気配と、胸の鼓動が合致して、すごい説得力。

この後、このオペラの主役、フィエラブラスの、
唯一とも言える見せ場が始まる。
ちなみに、このCDの表紙写真はこの場面である。

彼は、勇壮なレチタティーボで、
「この気持ちはどうして離れない」と、
恋の悩みを歌うが、
「憧れの気持ち」がアリアとなる。
「この幸せを幸せと思ってはならないのか」などと、
自問する部分など、
何とすばらしい管楽合奏の伴奏がついていることだろう。
さすが、タイトル・ロールの出番である。

これから、王様の手下たちが、エンマを探しに来る緊迫のシーン。
二人は、さっきの二重唱の後、どこかでいちゃついている設定。

どうやら、このエンマは、
エストレッラのようなタイプではない。

二人は驚いて出て来た所をフィエラブラスに捕まるが、
フィエラブラスは、ショックを受けながらも、
エギンハルトを逃がす。
エンマの慈悲を乞う歌など、
美しい瞬間が散りばめられている。

この後、二人でいる所をカール王に見つかり、
フィエラブラスは無実の罪を着せられてしまう。

この長大なフィナーレの前半を見るだけでも、
シューベルトの使ったさまざまな魔法が、
聞き取れる。
彼は、台詞もメロドラマもレチタティーボも、
すべてを、舞台効果を考えて最適選択した。

Track9.重唱と合唱。
このシーンもかなり絵画的かつ劇的である。
王様は、こともあろうか、エギンハルトを呼び寄せ、
フィエラブラスを牢にぶち込むことを命じる。

当然、エギンハルトは真犯人であるからひるむが、
トランペットが鳴り渡る。
夜が明けて、彼は出立しなければならない。

三人の若者たちは、
「ただ耐えるのだ、黙っていよう、
そうすればきっと報われる、
心の中を覗かれてはならない」
という、意味深な歌を歌い、
兵士たちの合唱は、平和の使者の出立を歌う。

ここでも、ベルリオーズ、
特に「トロイ人」などが想起されて仕方がない。

今回は、CD一枚目、第1幕だけ聴いて終わりにする。

得られた事:「『フィエラブラス』は検閲という制約をかいくぐりつつ、ドイツ英雄オペラという新ジャンルを目指した、志高い作品であった。」
by franz310 | 2011-04-09 23:28 | シューベルト
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