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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その270

b0083728_2237916.jpg個人的経験:
シューベルトの友人たちの歌曲、
それは、彼と同時代に生きた若者の、
偽らざる心情を記録したものとして、
あるいは、シューベルトそのひとの、
思いを代弁したものとして、
我々に貴重なメッセージを
伝えてくれている。
今回、取り上げる「吟遊詩人」は、
単に歌を歌う人ではない。
彼の死に様は英雄のそれである。


現在、多くの方々が、福島の原発において、
命をかえりみぬ復旧作業に従事しているが、
この歌曲における主人公もまた、
愛する人のために、命をなげうつ若者なのである。

このCDは、何と、「シューベルト、吟遊詩人」
というタイトル。
無名のこの歌曲をどーんと前面に出し、
そのほか、シューベルトの友人たちの詩による歌曲を、
10曲集めている。

表紙は、女性と別れた竪琴を持つ若者の、
うなだれた様子を描いただけのシンプルなもの。
Lorette Broekstraという人のイラストとある。
一見、どこにでもいるような男性の横顔ながら、
この主人公は、壮絶な生き様を見せる。

オランダのチャネンジ・クラシックスというレーベルのもの。

私は、これまで、この「吟遊詩人」という曲は、
単に長い若書きといった認識しか持っていなかった。

今回のCDは、そうした作品を前面に持って来た意欲作で、
内容を改めて見ると、
閉塞感溢れるシューベルトの時代の若者たちが、
その言いようのない焦燥感と、
自己の人生を燃焼し尽くしたい希求とを、
併せ持って生きていた事を痛感することが出来た。

この作品は、学友のケンナーの詩によるもので、
彼は、回想の中で、この曲が作曲されたことの喜びを、
青春の一ページとして誇らしげに書き留めている。
「寮学校のピアノ室に昼食後の自由時間になると」
という書き出しで、
この部屋に暖房がなく、凍えるように寒かった部屋のこと、
時折、友人たちが集まって、音楽のひとときが催されたことが、
1858年に、ケンナーは報告している。

「そこで彼の最初期の作品がはじめて試演され論評されたのです。
またそこで私は『吟遊詩人』の献呈にびっくりさせられ、
そしてそれを手渡されたのです・・
1816年でこの我々の親しい触れ合いは終わりました。」
(石井不二雄訳)。

1815年1月の作曲とされるから、
その献呈の日も、きっと恐ろしく寒い日だったに相違ない。

彼は、この後、ショーバーのような、
芸術家気質の友人たちの悪口を書き、
シューベルトが悪影響を受けた、などと書いている。

これについては、このCD解説を書いた人も、
しっかり指摘しているので、
その部分を抜き出してみよう。

「ケンナーは、彼の最も親しい友人とするのは難しい。
彼はむしろ少年時代の知り合いのようなものだった。
ケンナーは官吏として高い地位に就いたので、後年、彼は、
シューベルトのサークルの活発で熱心だった人々の何人かと同様、
偏狭なプチブルジョワとなった。
シューベルトに対するケンナーの悪意のある意地悪な意見が、
作曲家のモラルや人格を貶めることとなった。」

不思議なことに、ケンナーは、その後、
この楽譜をなくしたとも書いている。
おそらく、シューベルトが有名になるまでは、
別にどうという感情は持っていなかったのかもしれない。

しかし、ケンナーの回想で貴重なのは、
先の音楽室での出来事を記録してくれていたことで、
そこでよく演奏していたのは、
シュタードラーや、
ホルツアプフェルといった人だったとも書いている。
このシュタードラーこそが、
後にシューベルトをシュタイアーの街で歓待し、
「ます」の五重奏曲の成立に深い関与をした人であった。

今一人の恩人シュパウンなどは、この曲を、
「あまりにも知られなくなった美しいバラード」
と呼んでいる。

ディースカウは、「多少煩雑で奇妙なところがある」
と書いているだけである。
素人の若者が書いた詩であるがゆえ、
「煩雑」なのは確かだろうが、
「奇妙」というのはどういうことであろうか。

このように、この曲は、名曲とされてはいないが、
友人たちを感銘させていたことは確かであり、
親友であり画家になったシュヴィントは、
この歌曲に対して、多くの素描を残している。

この12枚とも言われる素描が書かれたのが、
1822年とされるから、作曲されたから7年は、
友人たちを楽しませていたものと思われる。

今回のCDの解説を読むと、この「吟遊詩人」という、
タイトルそのものが怪しいという。

「『Liedler』とは何か?」
一般に「吟遊詩人」と解釈されている、
この曲名からして、へんてこりんであることが、
指摘されているのである。

「フランツ・シューベルトによる
バラードのタイトルに使われた言葉は、
18世紀以来、
ツェードラーの『学術・芸術世界大百科事典』や、
グリム兄弟によるドイツ語辞書のみならず、
いかなるドイツ語の辞書にも見つけることが出来ないので、
こんな質問があるのももっともなのである。
それゆえ、シューベルトのサークルで作られた、
造語であると推測することが出来る。
この歌の歌詞から、この『Liedler』が、
古いドイツの衣装を着て、
ローマ・カトリックの聖職者が被るような帽子をつけて、
あちこちをさすらい、
竪琴の伴奏で、神の歌や世俗的な愛を歌う、
『巡礼の歌びと』とか、『ミンネゼンガー』のようなものと、
類推することが可能である。
モーリッツ・フォン・シュヴィントは、
友人シューベルトの作品のイラストとして、
小さな画集をスケッチした時、
このような装束を描いている。
バラードのテキストは、
シューベルトのヴィーン・シュターツコンヴィクトの、
学友であったフランツ・ケンナー(1774-1868)
によるものである。」

これは、ヨーゼフ・ケンナーの間違いであろう。

「この詩を書いた時、ケンナーは19歳であり、
シューベルトは18歳の時、この詩に曲をつけた。
この共作の中には、青春の高ぶりが見られ、
テキストの中に散見される、
イディオマティックな不器用さを、
嘲笑することも出来よう。
そうはいっても、その広範囲から、
シューベルト当時の感性について、
読み取ることが出来る。
『吟遊詩人』は、早晩、
シューベルト自身が直接体験することになる、
社会的地位の問題にも触れて、
芸術家の運命を描いている。
芸術家の人生の不確かさは、
比較的良い家庭や、
社会的に成功した家庭の娘との恋愛や結婚は、
ほとんど不可能であった。」

この解説者は、シューベルトが、
やがて、初恋のテレーゼ・グローブとも、
別れなければならないことを示唆している。
あるいは、カロリーネにも、
このことは当てはまるだろう。

「『吟遊詩人』の冒頭の言葉は、
彼が、『先祖がなく』、かつ、
低い社会的地位からの出自ゆえに、
彼は、『高貴な女性』と釣り合いが取れないと考えている、
ということを示している。」

つまり、このバラードは、
以下のような詩句で始まっている。

「姉上様、私の竪琴をお返し下さい、
私に帽子と放浪の杖をお渡し下さい、
これ以上、ここにいるわけには参りません!
私は先祖とてなく一介の僕、
高貴な女性には賤しすぎます。」(石井不二雄訳)

この歌曲の、導入のピアノ部は、悲壮感いっぱいで、
かつ、押し殺したような感情の動きを伝えて素晴らしい。
シュパウンが「美しい」と書いた意味がよく分かる。

この後、この若者は、各地をさすらって行く。
解説に、こうある。
「そして、彼は恋人のもとを離れ、
放浪の旅に出て、
常に『熱い思いを秘めて』、
遠い国へとさすらう。」

歌詞は、
「吟遊詩人は沢山の国々を通り、
昔のラインとドーナウの岸辺を、
また山を越え川を越えてさすらった。
どんなに遠く逃れても、どこへ行っても、
彼は胸の苦しさを捨てきれず、
彼女のこと、愛する女性のことしか歌わない。」
とある。

ケンナーは、当時、失恋でもしたのであろうか。
あるいは、それは貴族の女性であったかもしれない。
が、実際はケンナーは、官僚となって、
かなり出世しているので、この物語はシューベルト用である。

最初の切迫した感じから一転し、
このあたりは、バルカロールのように、
放浪の様子を表す曲想。
間奏曲も美しい。

次は、ギャロップのようなリズムになるが、
これは、結局、旅にも耐えることできず、
「馬を駆って墓へ入ろう」と、
剣と甲冑に身を包んで兵士となる部分。

次は、急転直下の展開を示す雄大な間奏があって、
「死は彼を避け、安らぎは彼を避けた!」
と一言、歌われる。

次の晴朗な楽想では、大公の軍隊が戦争に勝って、
民衆が歓呼する様子を示している。

が、吟遊詩人には安らぎはない。
「故郷の山脈の遠い雲が、
曙光を浴びて輝いていた。」
という部分、心の底からの声が聞こえてくる表現が秀逸。

「彼は戦士になってみせたが、
(これは後にマイヤーホーファーの詩によって書かれた、
『孤独』と同じ発想である)
一度だけ故郷に帰ろうと思う」
と、解説にもあるが、
「故郷をもう一度眺めなければならない、
あのひとにもう一度会わなければならない」と、
内省的なモノローグが続く。
この部分もしみじみとしている。

その後、武器を捨てる部分などは、
いくぶん、レチタティーボ的だが、
冬の山越えの部分は、悲愴なメロディで聴かせる。

「私は休まない、私は眠らない、
今日のうちにも城へ行くのだ、
ミラが中にいるあの城へ」
というところでは、焦燥感を高ぶらせ、
決然とした音楽となる。

心高鳴るリズムと共に、彼は故郷に駆け下りていく。

「花嫁のミラを里帰りさせるところなのだ。
吟遊詩人よ、もう戻って来たか!」
という表現などが面白い。
吟遊詩人のモノローグと、第三者の視点が混在するだけでなく、
時折、読者の心を代弁するような合いの手が入る。

解説に戻ろう。
「ここで、かつて憧れ、
今は他の男の花嫁となっている女性を見付ける。
伝説の世界の創造物、人間狼が花嫁のかごを襲おうとした時、
彼は、自らの死と引き替えに愛する人を助ける。」

このような伝説の中の人間狼が現れ、
ピンチに陥るわけだが、このあたりの描写は、
運命の動機も響いて、立体的になっている。
吟遊詩人は竪琴で、人間狼の脳天を攻撃するが、
格闘は簡単には終わらない。
身を挺しての谷底への墜落しか、
残る手立てはなかったのである。

「さらば、吟遊詩人よ、永遠にさらば!」
などという表現も月並みでおかしいぐらいだが、
シューベルトは、美しいピアノの粒立ちで、
水車屋の若者の死を悼む音楽のように、
この別れの音楽をしみじみと奏でている。

この他にも、大げさな表現として、
言葉が空転しているものを列挙してみよう。

兵士になる時の決意は、
「死の中には安らぎがある、
墓の中には安らぎがある」とくどい。

故郷への憧れを、
「胸から心臓が引き抜かれ、
首を絞められる思いであった」
と表現する部分もやり過ぎ。

甲冑をかなぐりすてる時、
「竪琴だけが、愛する女性を讃えるもの、
彼の嘆きを歌うもの、彼の神聖なものとして、
ふたたび彼に従うのだ」
と補足する部分は煩雑。

冬の山越えの際、
「そこには氷の経帷子があった」
と例える部分は真実味がない。

人間狼と戦った時、
「彼がサムスンのように強かったとしても、
力を使い果たして抗いようもなく」
と言い訳する部分はなくてもがな。

しみじみとした最後に、
「墓はすべての巡礼者の休息所だ」などと、
余計な一言を入れる。

などなど、
列挙するのが楽しくなる程だ。

しかし、面白い事に、シューベルトは、
これらの言葉が気に入っていたようだ。
何故なら、これらの部分は、どこも、
非常に生き生きとした描写が施されているからである。

また、ディースカウは、「煩雑で奇妙」と書いたが、
こうした、表現が煩雑さを与えているのは事実。
それに、奇妙な感じがする部分がないでもない。
大公の軍隊が勝った時、
故郷や友人が歓迎したとあるが、
そこからが、長く厳しい故郷への旅となる。

また、故郷への道のりで、
死病にかかっていた吟遊詩人は、
「明日の日は死んだ私を見付けるだろう」
などと、凝った表現で嘆くまで、
衰弱しているにもかかわらず、
人間狼と戦う力を残している。

構想段階では、
山を越えて死ぬことにしていたのを、
無理矢理、人間狼との戦いで死ぬ話にしてしまった、
という感じがしないでもない。

が、現在の原発事故からすると、
こうした最後の方が、生々しく共感を与える。
シューベルトたちにとって、
人間狼は、何の象徴だったのだろうか。

このように、様々な問題を抱えた習作風のものだが、
シューベルトのサークルが、芸術というものを、
何か、英雄的なもの、身を挺して他者を守るためのもの、
と考えていた事が理解できる。

シュヴィントは、この曲のイラストを描いたが、
何となく、ひ弱な若者の姿である。
しかし、その中には、熱い思いがたぎっていて、
最後には、死をも恐れず、運命に突き進み、
その生を燃焼させることを覚悟している。

今回の福島原発の事故で、
多くの作業員が決死の突入を繰り返しているが、
こうした自己犠牲の精神は、
シューベルトの時代からの美学として、
改めて、その尊さを思い起こす次第。

人間狼の原子炉を何とかしなければならない。
解説は、さらに、こう書かれているが、
「忍従の情感」、確かに、これは
今の少なくとも東日本のムードを表している。

「不器用さという瑕疵はあるものの、
この詩は、憂愁と独特の諦念のオーラを持っている。
さらに、シューベルトの素晴らしい付曲は、
ケンナーの単純な詩句を最高のげ芸術レベルに高めている。
この曲は本物の宝石であり、
その長さをいとわないならば、
いくつかの素晴らしいレチタティーボのエピソードが、
この作品特有の忍従の情感を決定的にしている。
主要な主題は、
『さらば、吟遊詩人よ、永遠にさらば』で、
作品の最後に二回繰り返されるが、
シューベルトの最も感動的な着想の一つであろう。」

ここで歌っているのは、
ロベルト・ホルというバス・バリトンだが、
どうやら、この曲を得意としているようだ。

「ロベルト・ホルは、この曲を繰り返して歌っているうちに、
長らく低く評価されて来たこのバラードを、
それにふさわしい高いレベルへと引き上げている。」

が、バス・バリトンという重さのせいか、
ちょっと劇的な緊迫感が、不足しているような気がしなくもない。

このように、「吟遊詩人」をメインにしたCDであるが、
この曲は5曲目に登場。

「このプログラムは、
シューベルトの最も親しい友人たちによって、
作られた詩をもとにした歌曲を集めているが、
1818年の日付のある『母の埋葬の歌』(D616)だけは、
出所不明である。
子供の頃、母親の死を経験しているがゆえに、
シューベルト自身が書いたという推測も排除できない。
手紙や彼が書いた詩を見ると、
彼は、詩人としても優れた才能があったと思われる。」

この曲はTrack7に入っている。
「そっとそよかに吹け、夕風よ、
もっとやさしく嘆け、ナイチンゲールよ、
美しい、天使のように清らかな魂が、
この墓穴には眠っているのだ」
と歌われる、簡潔なラメントで、
父子で立ち尽くす様、
彼等の最も美しい冠、と母を表現する様が美しい。

しかも、彼等の涙は、「真珠の冠」になるという、
素晴らしいイメージを提示してくれている。

ディースカウの本でも、この曲は、
シューベルトの詩として書かれている。

この曲が書かれた1818年6月といえば、
シューベルトが、エステルハーツィ家の家庭教師として、
ハンガリーに呼ばれる直前であり、
伯爵夫人への思慕と繋がりがあるといった書き方である。

「シューベルトの友人たちの中で、
最も親密だったのは、フランツ・フォン・ショーバーで、
このサークルの『ボヘミアン』的な要素の化身であり、
多くの才能を持っていたが、
しかし、そのいずれも、
芸術家として独り立ちできるほどの力はなかった。
オペラ『アルフォンソとエストレッラ』の台本を別にして、
16の歌曲のテキストを提供している。
(Track1の)『春の小川にて』D361(1816)は、
A-B-Aの三分形式で、
シューベルトのマイヤーホーファー歌曲、
さらには、後年の『冬の旅』に見られるような、
悲観的な自然の凝視の歌である。
冬が巡り来て、川辺を氷が覆うことが、
詩人自身の『悲しさ』と対比される。
これらの詩に底流し特徴づける憂愁は、
知識人の自由の抑圧へのリアクション、
ビーダーマイヤー期に行き渡っていた意見を代弁したもので、
その牧歌的な性格は決して一面的なものではない。
(Track2の)『すみれ』D786(1823)は、
『わすれな草』と並び、
ショーバーとシューベルトによる、
二つの『花』バラードの1曲で、
悲劇的象徴に起こった出来事を詳述している。
『ヴィオラ』とラテン語で名付けられたすみれは、
春の訪れを待ちきれない。
春の予感に、すみれは早く外に出て、遠くに行きすぎて、
その命を失ってしまう。
ここで、シューベルトはいくぶんセンチメンタルな歌詞を、
音楽によって高尚なものにしている。
『まつゆき草よ、まつゆき草よ』というリフレインは、
4度繰り返されるが、民謡風のメロディで魅惑的である。」

この小さな花を歌った愛らしい音楽が、
まさか、バス・バリトンで歌われるとは。

「(Track3の)『巡礼の歌』D789(1823)は、
シューベルトが書いた多くのさすらいの歌の一つ。
巡礼とさすらいは、彼の全歌曲を貫くテーマであった。
精神的にゲーテの『竪琴師』に似た、
『地上の巡礼』は、ヴァイマールのオリンポス神を、
ヴィーンの詩人たちが同志として、
敬意を表していたことの証拠となっている。
(Track4の)『死の音楽』D758は、
他のどの作曲家も出来なかった程、
死についての音楽を書いた、
シューベルトの創造活動の広範囲にわたる、
モットーに基づいている。
(例えば、ノヴァーリスの賛歌(『夜の賛歌』D687)
『向こう側の世界へ私は歩みます』は、
彼自身の死を音楽にしたもの、
とも言われていることを思いだそう。)
この曲は、1822年、ショーバーの詩に対して書かれ、
気味の悪い生への決別ではなく、
音楽に充ちた明るさへの変容に向かう、
マイルドで融和的な自己放棄である。
ショーバーの詩にシューベルトが作曲したもので、
最も有名なのは、(Track10の)
有節歌曲『音楽に寄す』D547であろう。
簡潔、平明であるにもかかわらず、
これまで書かれた、
最も美しい芸術への賛歌となっている。」

また、シューベルトの友人となれば、
この人を忘れてはなるまい。

「上部オーストリア出身の
ヨーゼフ・フォン・シュパウン(1788-1865)は、
シューベルトの人生や個性を伝える、
数多くの著述を私たちに残してくれていて、
シューベルトの最も信頼篤い友人であったが、
詩の分野ではほんのわずかな貢献しかしていない。
それにもかかわらず、シューベルトは、
1817年、彼の詩の一つ(Track6の)
『若者と死』D545に曲を付けており、
彼の死の歌曲の中で、最も魅力的なものの一つとなっていて、
クラウディウスの詩による『死と乙女』の姉妹版ともなっている。」

最後に、マイヤーホーファーも。

「シュパウン同様、上部オーストリア出身の
ヨーゼフ・マイヤーホーファー(1787-1836)は、
シューベルトの歌曲に詩を提供するのに重要な役割を果たした。
検閲官という面白くない業務の役人であったマイヤーホーファーは、
シューベルトの友人サークルの中で、最も強烈な才能を持っていた。
彼は、畏敬すべき教養の持ち主で、
古代の世界に精神的な避難所と慰めを見いだしていた。
(Track8の)『アティス』D585と、
(Track9の)『怒れるディアナに』D707は、
豊かな音楽遺産である。
(シューベルトは50曲からのマイヤーホーファーの詩に作曲した。)
『アテュス』(1817)は、
シューベルトの最も大胆な作品の一つで、
すべての慣習的なモデルから逸脱して、
形式的に自由で、独白のようなピアノ後奏が付く。
この情熱的な作品の中で、若さに満ちたテンペラメントが、
傷つき、絶望する様が表される。
(フリギアの若者アティスは、女神セベレに、
その不実さゆえに罰せられる。)」

この曲は、非常にぶっきらぼうなもので、
詩もまた、多くの意味を持っているようで難解である。

女神に頼んで連れて来られたトラキアの地で、
少年アテュスは、故郷を思うため息をつく。
そして、女神が現れると、
彼は崖の下へと身を投じてしまう。
この時の表現もすごい。

後奏のピアノは長く印象的である。
むかしむかし、というべきか、
何という儚さを伝えていることだろう。

「この曲も、『怒れるディアナに』(1820)の情景も、
凝集された音楽ドラマである。
森の支配者で女神のディアナは、
同時に死の予兆であり、
入浴を男に見られて、
この罪を償うために死ななければならない。
しかし、彼は、天上の女性をヴェールなしに見る幸運ゆえに、
その死の矢を、高次の祝福として待ち焦がれる。
曲は激しいエロティシズムと死への憧れを独自に結びつけている。」

ホルによるマイヤーホーファー歌曲の選択も、
なかなか唸らせるものがある。

このような解説を書いたのは、
クレメンス・ヘスリンガーという人だというが、
このように締めくくっている。

「シューベルトのサークルの書いた詩は、
はたして、最も高度な意味で『文学』に数えるべきか否か、
アマチュア、日曜詩人の制作物以上のものであるか、
しばしば論議されて来た。
事実、彼等の名前をドイツ文学史の中に、
位置づけるのは困難である。
一方、名声も、公的位置づけがないとしても、
『音楽に寄す』のような美しい、不朽の詩を、
作った詩人として残っている人が、他に誰がいるであろうか。」

これまで、ナクソスやハイペリオンの解説で書かれていたような、
シューベルトの友人たちこそが、
シューベルト自身の言葉や、彼の時代を代弁した文学者であった、
という結論の方が、今の私にはしっくり来る。

さて、ホルというバスであるが、ロッテルダム生まれ。
ハンス・ホッターの弟子であるという。
ミュンヘン・オペラで名を上げ、
ヴァーグナー歌いとして知られるらしい。

ここで、ピアノを受け持っているのは、
アメリンクなどの伴奏もしていたルドルフ・ヤンセンである。

バスによる歌曲というと、何となく、
重苦しく、鈍重なイメージがあるが、
ホルの声には、暖かみがあり、
癒し系となって、繰り返し聞ける。

得られた事:「シューベルトの友人たちは、『忍従』と『自己犠牲』という美学に共感した。」
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by franz310 | 2011-03-26 22:40 | シューベルト
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