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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その258

b0083728_2343132.jpg個人的経験:
イタリアのダイナミック・レーベル、
前回、ベッリーニの「ノルマ」でも、
本場物の演奏を聴かせてもらったが、
シューベルト・ファンにとっても、
忘れてはならないレーベルである。
それは、シューベルト渾身のオペラ、
「アルフォンソとエストレッラ」の、
貴重な上演の記録を、
DVD化してくれているからである。
これは日本盤で、日本語字幕もついている。


2004年、カリアリ歌劇場での、この上演は、
同年9月に出版された、
井形ちづる著、「シューベルトのオペラ」(水曜社)にも、
特筆されているものであるが、
それがこうした形で、鑑賞できるようになるとは、
全く予想だにしていなかった。

おそらく、この著者が、この著書を書き上げる際における、
絶頂の生体験が、この時の上演だと思われる。
あとがきにも、
「1月にはわざわざサルデニア島まで飛んで、
『アルフォンソとエストレッラ』を観に行った。
せっかく行ったので、2晩続けて鑑賞した」
とある。

著者の興奮が伝わってくるような気がする。
「わざわざ」とあるが、おそらく、
「いそいそ」と読み替えるべきであろう。

このオペラの登場人物を模した人形写真を、
このときの記録として図版に取り入れており、
参考資料としても、
このときの資料用ビデオテープを上げている。
この資料用ビデオが、このDVDになったのだろうか。

が、単に資料というのではなく、
場面を合成させたりする編集もあって、
売り物に出来る仕様となっている。

DVDの表紙の写真も、
貧しく、女性にもあまり縁のなかった、
この作曲家の作品とは思えない、
ゴージャスな衣装のカップルの、
親密なシーンで、これだけから、
シューベルトの作品を連想するのが困難な程だ。

残念ながら、ヒロインの顔が横向きで、
もっときれいな人なのに、
ちょっと変な感じになっている。
ヒーローの方も、情けない顔に見えるが、
本編では後半になって、格好良くなるので、
ゆめゆめ、すべてを、
この写真をもとに判断してはならない。

シューベルトが生きていて、
本格的な上演であったことを表す、
この美しい写真を見たら、
驚喜して、卒倒しそうである。

が、幕が上がると、彼も、
苦笑する可能性がないわけではない。
本来、森の中で起こる物語が、
楽器に埋め尽くされた森で、
象徴されているからである。

これについては、先の本の著者も触れていて、
「舞台全体をたくさんの楽器で包み、
それがまるで木々のように、
フロイラの住む森を表していることは、
誰の目にも明らかで、
演出の意図としては、
音楽に浸りきって生涯を送った、
シューベルトを表しているとのことだ」
と書かれている。

しかし、「ノルマ」のDVDのような、
書き割り風の森の風景よりは、
ずっと手も込んでいて、予算もかかっていそうで、
力やこだわりを感じさせるものになっている。

物語の舞台は、中世スペインにあったレオン王国。
王位を追われた老人フライアは、
息子と山里に隠れ住んでいるが、
最後には、簒奪者の手から王位を取り戻す、
というものである。

井形氏の著作では、
このあたりの背景を、さらに説明してくれているが、
余計に、それが意味不明になっているのが残念だ。

「内容から判断して、中世のレオン・アストゥリアス王国を
舞台にしていると考えられる」とあるが、
さらに、補足して、
718年にカバドンガの戦闘でイスラム勢力を駆逐して、
アストゥリアス王国が成立して、9世紀後半に領土拡張、
海岸に近いオビエドから山奥のレオンに首都を移し、
レオン・アストゥリアス王国になった、とある。

つまり、これは、レコンキスタの舞台である。
だから、ムーア人を駆逐するエピソードも出て来る。

著者は、さらに、
11世紀には、王国内のカステゥリャが王国樹立、
レインも統合されたと解説を進めているが、
これが、このオペラとどう関係するのか分からない。

実は、私は、この部分を読んで、
何だか頭が混乱して、先を読むのを止めてしまっていた。
難しいものである。

おそらく、取ったり取られたりの下克上の時代なので、
こうした反乱を扱った作品が生まれたのではないか、
と言いたいのだろう。
(というか、このあたりの記述、
ウィキペディアのまんまという感じであるが。)

そのウィキペディアによると、
カスティーリャ・レオン連合王国を建国した
フェルナンド王の死後、
レオンは次男のアルフォンソ6世が相続したが、
敗れてトレド王国へ逃亡。
彼は、そこで先進的なイスラムの知識を得て起死回生を図り、
カスティーリャ・レオン連合王国を再統合、
さらにトレドをも手中に収めたとある。

アルフォンソとエストレッラのアルフォンソとは、
どういう関係なのだろうか。
フェルナンド王がフロイアなのだろうか。

岩波文庫に、中世の叙事詩『エル・シードの歌』があり、
ここでもアルフォンソ王は名君と讃えられているから、
このオペラのアルフォンソは、そうした時代を想起させるための、
決まり文句的な名称なのかもしれない。

一方のエストレッラと言えば、
シューマンが、ピアノ曲「謝肉祭」で、
恋人、エルネスティーネをスペイン風にそう呼んだが、
当然、シューベルトはそれとは無関係で、
ドイツ圏における、
典型的なスペイン風女性名という感じと思われる。

とにかく、戦国時代における、憎しみの連鎖を、
愛の力が断ち切る物語であると考えれば良い。
すごい今風である。
絶対、大河ドラマでやるべきだ。

日本で言うなら、明智光秀の娘、
例えば、細川ガラシャが、
信長の息子、例えば、織田信忠と出会って一目惚れ、
二人の愛の力で、本能寺で生き残っていた信長に王位を返す、
みたいな乗り。

さて、このDVDだが、日本ではTDKから出され、
解説と字幕は広瀬大介という人が担当しているが、
「リヒャルト・シュトラウス『自画像』としてのオペラ」
という興味深い本を書いている人で、
多摩美術大学の先生のようだ。

私は、たまたま、今日、この大学の前を車で走った。
多摩というのに、世田谷にあって驚いた。

それはどうでも良いことだが、
ロマン派の歌曲作曲家では、
シュトラウスくらいしかオペラで成功しなかった、
という書き出しの解説で、最初から本領発揮である。

「営業トーク」や「政治的駆け引き」が出来なかった、
世渡り下手なシューベルトやシューマン、ヴォルフが、
自作の売り込みが重要なオペラなどで、
成功できなかったのは当然、とのこと。

これについては、井形氏も同様の見解をとっており、
そもそも当時のヴィーンでは、ドイツ・オペラの需要はなく、
シューベルト自身も、別の地に行ってまで、
人生を切り開く才覚はなかった、
と断じている。

が、歌曲やピアノ曲の作曲家としての道、
あるいは、ベートーヴェンの後継者としての道も、
あったわけだから、
才覚以前に、そうした必要を感じていなかった可能性もある。

シューベルト単独で、
現在も音楽史に残るシューベルトであり得たかは疑問で、
ヴィーンにいて、優れた友人たちにもまれていたからこそ、
あのような高みに達することが出来たとも考えられるではないか。

また、さらに、このDVDの解説者は、
先の井形ちづるの著作にも触れながら、
詳しくはそちらを見よ、と書きつつ、
私見を述べている。

そこでは、音楽が切れ目なく続く、
「通作オペラ」に近づいている点や、
聴かせどころの歌が多い点を注目すべき点として上げながらも、
曲全体をまとめ上げるようなドラマティックなモティーフがなく、
歌劇場を衝撃で満たすことが出来ていない、
と、これまでも、繰り返し書かれてきた事が書かかれている。

井形氏の本でも、リスト、ハンスリックの時代から、
シューベルトには劇的能力が欠けている、
と評されていたことが書かれている。
ここで、150年にもわたって言い継がれて来た事を、
改めて書く必要があるとも思えない。

やはり、そうだったか、という事を書かない事には、
新たな一文を寄せる意味はないだろう。

また、このDVD解説、
ショーバーの台本もドイツ語が美しくない、
などとも書いているが、これは、むしろ、井形氏の見解で、
彼女の調査によれば、ドイツの専門家の助けを借りても、
シューベルトのオペラ作品は、
『語彙も文法も意味不明』の部分が、
多々、見うけられるようである。

ベッリーニがロマーニとの共作と同様、
シューベルトが、友人ショーバーと、
隠れ家にこもって仕上げた作品であるゆえ、
ショーバーのドイツ語が美しくないとしたら、
シューベルトにも責任の一端はあるだろう。

ベッリーニの場合は、歌詞に注文を付けたりしたという。
シューベルトもまた、
流れ作業のような事ばかりやっていた訳ではあるまい。

が、例の井形氏の著作によると、作曲の過程は、
第1幕をショーバーが完成させると、
それにシューベルトが曲を付け、
第2幕をショーバーが書き、
といった感じで書かれたとあるので、
そこそこ意味の通じる部分に関しては、
逐語訳みたいな感じにはなったかもしれない。

つまり、全体を統一するような、
大構想が生まれにくい、
状況ではあったかもしれないということだ。

が、それもまた、言い訳にすぎまい。
彼等二人の若者たちは半年近くも、
この作品に専念していたのである。
様々な吟味をされて後の形が、
この上演に見るような完成形だったわけだ。

そもそも、一世を風靡した、
ベッリーニの作品なども、
巨大な統一感ゆえに愛されたのではないことは、
「夢遊病の女」などを見ても明らかである。

甘いヒットナンバーがあるかどうかで、
あるいは、大歌手が共感して熱唱してくれるか否かで、
成功か否かが決まっているような気がしてならない。

ベッリーニの場合、「清き女神」などは、
作曲家と作詞者、歌い手が渾然一体となって、
ああでもない、こうでもないと、
文殊の知恵を練り合わせて行ったのだから、
ヒットナンバーが出来ない訳がなかったと言える。
シューベルトの場合、そこに到る前に頓挫した形である。
ミルダー=ハウプトマンのような存在が現れるには、
少し待たなければならなかった。

このDVDでは、共に人気ある、
ライナー・トロストのアルフォンソ、
エヴァ・メイのエストレッラが、
かなりの力演を聴かせてくれている。

トロストは、唐沢寿明風で、優男であると共に、
この大歴史絵巻にふさわしく、大河ドラマ風で決まっている。

また、エストレッラを歌う、エヴァ・メイは、
いくぶん、ふっくらとしているが、おそらく美人。
清潔感があって可憐な声を聴かせる。

この強力な援軍を得て、私は、この作品をかなり堪能した。
特に、反逆軍が、迫り来る部分から、
アルフォンソが援軍となって現れ、
遂に、王冠が戻されるまでの緊迫したドラマに驚嘆した。

では、このDVDを鑑賞しながら、
各曲の印象を書き出してみよう。

Track1.
指揮者の登場に、字幕が被る、
DVDの導入である。

Track2.
「ノルマ」でもそうだったが、
序曲では、指揮者の情熱的な指揮姿が楽しめる。
ジェラール・コルステンという1960年生まれの人。
南アフリカ出身とある。

凝った演出は、ルカ・ロンコーニという
チュニジア生まれのイタリア人。
1933年生まれとあるから、
指揮者の父親のような世代である。

序曲の途中までは、各奏者の熱演が見られるが、
幕は途中で上がり、怪しい楽器群に囲まれた森の中、
白髪の長髪という哲学者風のフロイラが現れる。

Track3.
村人たちが何かのお祝いの準備を村人たちがしている様子。
2分に満たない導入だが、早朝の静かな村の雰囲気を高める、
村人の合唱で、村を治めるフロイラが目覚める。

Track4.
彼は、しみじみと、
この隠棲の地での日々の快適さを歌う。
これから、この村が、戦禍にまみれる事など、
予想できないような呑気な歌である。

この歌は、しかし、さりげなく、彼の境遇を説明しており、
それなりの計算がなされた音楽になっている。
そこに、主役のアルフォンソが現れるが、
いかにもいじけた兄ちゃんという感じ。

しかし、フロイラは、
いつか、息子を王位に就かせようと、
心の中の企みを歌う。

ここでの勇ましい音楽のリズムは、
シューベルトがその頃書いていた、
ホ短調の大交響曲の雰囲気を湛えている。

Track5.
フロイラがやって来た日を祝福する、
祝いの日がやって来たという、
村人たちの合唱である。
舞台上では人形劇がダンスをして、
群衆の気持ちを表している。

村人の男女も美しい声で、フロイラを讃える。
そこに、フロイラの声も重なって、
かなり複雑な構成になっている。
アルフォンソだけは、バイク買ってくれよ、
という不良倅のような風情である。

しかし、このアルフォンソは、
なかなかの実力者のようで、競技で優勝したという。
その知らせを村人が持って来ても、彼の顔は晴れない。

が、実は、この部分、非常に重要な布石が打たれているのである。
何故なら、その褒美で、彼は、この村の指揮権を得るからだ。
これが後々で、重要な意味を持って来る。

これは、ノルマが銅鑼を鳴らすと、
民衆が立ち上がるのと同様の趣向である。
意外と、このドラマは、ノルマにも近いのである。

したがって、この部分は、
もっと意味ありげな演出があっても良かったかもしれない。

Track6.
浮かない顔をしているアルフォンソに、
フロイラが声をかける二重唱だが、
こうした山里での隠棲が耐え難い、
という。

Track7.
アルフォンソは、山を越えて、
もっと外に出て行きたいと歌う。

このあたりは、青春期特有の懊悩を表しているが、
シューベルト同様、ナイーブに過ぎる。
美しい木管のソロや、意味ありげな弦楽の音型をバックに、
くよくよした歌が続くが、もっと英雄的な歌にしても良かった。

ベッリーニなら、「よし、この谷をいつか降りて」
という歌を作って、フロイラとアルフォンソの二重唱で、
臥薪嘗胆の想いをぶつけまくったはずである。
そうすれば、最初の頂点を築くことが出来たのだが。

演出も、フロイラは聞き役に徹しており、
緊張感が持続しない。
ここはきれいなシーンではあるが、
カットしたら効果があがるかもしれない。

ショーバーが書いた詩を、
シューベルトはむげに却下できなかった可能性がある。
ここで、必要だったのは、第三者の意見であった。

Track8.
レチタティーボで、フロイラが、
息子のはやる心を自制させるアドバイスするが、
とにかく、フロイラは善人で有徳の人なので、
劇があざとく盛り上がらないのが残念だ。

が、さすがにシューベルトたちも、
それに気づいたようで、最後は、
二重唱にもつれ込む。
ここでも、小道具が登場する。
「オイリヒの鎖」という、王家の紋章である。
フロイラは、それをアルフォンソに手渡すのである。

シューベルトは、かなり良い所まで行っている。
第三者の忠告があれば、この二重唱こそを増強し、
声を張り上げての盛り上がりが可能だったのである。
あるいは、演出で、何とかなりそうな可能性がないわけではない。
歌手が勝手にアレンジして、声をひけらかす習慣があったようだが、
是非とも、ここでは、そうしためちゃくちゃをしてでも、
シューベルトのオペラを再認識させたいものである。
とにかく、美しいメロディなら満載なので、
後は、演出を周到に行い、そこにコブシを効かせたり、
むりやりクレッシェンドさせたりするくらいは、
許されるのではなかろうか。
「復讐の時は近い、くびきは解かれよう、
光の中へ歩み出すのだ」と、
フロイラが歌い出す部分、かなり良い線を行っている。
「我が道を照らす光明のように首飾りが輝く」の部分も、
もっと、声を張り上げてもよい。

Track9.
ここから第1幕第2場、
人形劇がエストレッラの狩りのシーンを描く。
合唱も軽やかで、牧歌的な雰囲気たっぷり。
気分転換にもなっている。

Track10.
エストレッラも、アルフォンソ同様、
ふさぎ虫体質である。
ようやくエヴァ・メイが出て来るので、華が添えられる。
アルフォンソが森の中で不満なのに対し、
エストレッラは宮殿の中で不満である。
ここでの歌も美しいがナイーブにすぎるが、
短いので問題はない。

Track11.
司令官、アドルフォが勝ち戦の報を持って、
帰って来て、こともあろうか、エストレッラに言い寄る。
ここでの報は、ムーア人をやっつけたという内容。
「戦場は見渡す限り血の海」と、残酷なもの。
そんな中、姫の美しさを思い出して頑張ったという。

Track12.
「私を拒もうとも力ずくで奪う」というアドルフォと、
「愛は力では奪えない」というエストレッラ、
なかなかの緊迫感を醸しだしていて、
オーケストラの扱いも秀逸である。

ただし、後半、アドルフォは、「私の力を思い知れ」と歌うが、
エストレッラが、「神様、私の願いを聞いて下さい」などと、
平和ぼけした歌詞を歌うせいか、
さらに音楽は優しげな風情になって、
腰砕け気味になっている。
ここも、何とか、こけおどし作戦で乗り切れば、
さらに効果があがるかもしれない。

Track11と12が続けて、歌になっているのも、
メリハリの欠如を感じさせる。
どちらかをカットしたり、短縮させたりするのも手だろう。

それにしても、アルフレート・ムフの歌うアドルフォは、
単なるヒヒオヤジに見え、
悪魔的でなく、アルフォンソ危うし、という感じがしない。
こうした点にも見直しの余地があろう。

Track13.
引き続き、異教徒は消え失せた、と、
アドルフォが王様に報告して、
エストレッラを所望するシーンで、
第1幕のフィナーレである。

この場面、王女はそれを拒み、
王様、マウレガートも、板挟みになって悩むが、
どいつもこいつも、まったりしていていかん。
あまりに内省的で、音楽がなかなか舞い上がらない。
が、王様が決断を下そうとする時になって、
合唱がわき起こり、密度が濃くなる。
「姫の顔色が悪い」、「どこに救いを求めたら」
という合唱と三重唱のテンポがまったり気味。

しかし、オーケストラは、ものすごく不思議な音色を奏でている。

「姫をよこせ」と、
アルフォンソがまくし立てるような演出が欲しいが、
シューベルトの作品では、悪者がいない感じか。
むしろ、苦肉の策で、王様が、
「オイリヒの鎖を持って来たものだけが、姫を娶れる」
という苦し紛れを言った後に、
シューベルトは音楽の頂点を持って行く設計にしていたようだ。
一応、その場が収まり、幕となる。

このように歌物語的な要素が多く、
あるいは、真実味を追求するシューベルトたちの美学が、
こけおどし効果を避けさせたとも思える。
シューベルトは本当に劇場で成功したかったのか。

むしろ、劇場の絵空事を歌曲の精神で変革しようという、
チャレンジすら感じてしまう。

さて、文字数もオーバーとなるので、
今回は、ここまでにしておこう。

得られた事:「シューベルトは、成功するオペラよりも、自分たちの美学の普及を優先したように思える。」
by franz310 | 2011-01-01 23:47 | シューベルト
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