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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その257

b0083728_17113323.jpg個人的経験:
ベッリーニの「ノルマ」は、
古代ガリア地方の神話的物語である。
異教に身を捧げる巫女が、
このオペラの主人公で、
先進国ローマの代官はなんだか情けない。
ベッリーニやシューベルトの生きた時代、
ゲーテが、「オシアン」などを評価したように、
キリスト教以前の、土俗的信仰に、
当時の人たちは、
憧れのようなものを持っていたようだ。

今日は2010年も押し迫った、
12月26日であるが、
今回、この「ノルマ」の解説を読んで驚いた。
何と、この12月26日こそが、このオペラの
誕生の日だったと書かれているではないか。


先に書いたような幻想的な物語ゆえ、
しかも、ベルカントオペラの最高峰、
などと言われるがゆえに、
ついつい映像でも見たくなってしまった。

今回、そんなこんなで入手したのは、
シチリア島、ベッリーニ大劇場での、
2005年の公演の記録。
ワルター・パリアーロという人の新演出だという。

ディミトラ・テオドッシュウという人が
ノルマを歌っているようだが、
この表紙の写真の、雄叫びを上げている
赤毛の丸っこい女性が、そうであろう。
ノルマと対照的に跪いているのが、
ポリオーネを演じるカルロ・ヴェントレか。

アダルジーザは、ニディア・パラチオスという人。
この人はパッケージの裏に小さく出ているように、
可憐な美人である。
ジュリアーノ・カレッラ指揮、
カターニャ・ベッリーニ歌劇場管弦楽団と合唱団の演奏である。

ここまで書かれると、本場物と言えるのだろう。
イタリアのダイナミック・レーベルのものだ。
何故か、ありがたい事に、日本語字幕がついている。

今日が初演日だという事は書かれていた、
ありがたい解説を読んでみよう。

「『私の最も親愛なるフローリモ、私は、
悲しみの中でこれを書いています。
それも言い表し難いほどの。
私はノルマ初演のスカラ座から戻ったばかりです。
信じられますか、完全な失敗を。
完全な失敗、まったくの失敗です。
なるほど、聴衆は辛辣だとしても、
彼等は私に罪があると考えたようです。
彼等は、軽々しくも、私の『ノルマ』に対し、
ドゥルイド族の巫女と、同じ運命を宣告しました。
私は、『海賊』や『異国の女』、『夢遊病の女』に、
熱狂し、歓喜し、興奮した愛しいミラノ人と、
同じ人々には思えませんでした。
ノルマの事を考えると、
私は、それらと同等の姉妹に思えるのですが。』
1831年の12月26日、
ヴィンチェンゾ・ベッリーニは、
彼の最新のオペラ、『ノルマ』の初演の後、
友人のフランチェスコ・フローリモに宛てて、
このように書いた。」

ノルマの初演は歴史に残る大失敗として知られるが、
このように、作曲家自身が、打ちのめされる事を語った、
生々しい記録が残っているとは知らなかった。

「フェリーチェ・ロマーニのリブレットに音楽を付けた、
この作品は、女性二人のパートに、
ジディッタ・パスタ(ノルマ)、
ジューリア・グリージ(アダルジーザ)という、
非常に有名な歌手を当て、
ポリオーネは素晴らしいドメニコ・ドンツェッリが担当した。」

妙に唐突な言及だが、演奏は悪くなかったということであろうか。
あるいは、万全の体勢で望んだ上演だったということか。

「しかし、物事がすべて、ベッリーニにとって、
悪い方に進んだわけではない。
初日のみが冷ややかに迎えられたのであって、
続く公演では、聴衆の反応は、
次第に温かになっていった。
12月28日には、ベッリーニは、
彼の叔父に宛てて、
『影響力がある人や、
とても裕福なある人物に誘発された
何人かの手強い意見にもかかわらず、
昨日の2回目の演奏は、初演の夜より遙かに、
私のノルマは聴衆に、畏敬の念を残しました。
昨日のミラノの大新聞は、
反対派が逆の派閥の喝采を打ち消し、
有力者が音頭を取って新聞社に圧力を加えたので、
この作品を『完全な失敗』と書き立てましたが。』
この有力者とは、おそらく、ミラノの劇場監督、
モドローンのカルロ・ヴィスコンティ侯で、
ジュディッタ・パスタを中傷する人であった。
また、とても裕福な人とは、実際、
間違いなくサモイロフ侯爵夫人である。
彼女は、そのシーズンの2番目に予定されていた、
オペラの作者である
ジョヴァンニ・パッチーニの愛人で、
明らかにベッリーニのあからさまな敵対者であった。」

ベートーヴェンの例では、
音楽が革新的すぎて失敗するのだが、
陰謀が渦巻いて失敗する、
というパターンは、モーツァルトやロッシーニ以来の、
オペラ界の伝統である。
ちょっと、芸術的な価値とは別にあるようで寂しい。

「しかし、陰謀や不正と関係のないジャーナリストは、
作品に内在する音楽的クオリティをみいだし、
それは、以来、レパートリー入りし、
世界中のオペラ愛好家の、最もお気に入りの作品となった。
三度目の公演の後、ベッリーニは、
バス歌手のジュゼッペ・ルッジェリに、
『私のオペラは、全体として勝利した』
と書き送ることが出来た。」

あんなにしょげていたのが、
わずか3日か4日のうちに、
即、勝利宣言している点がちょっと軽い。

音楽史に轟くには、マーラーのように、
自分の生きている間は無理無理といったニュアンスがないと、
大きな説得力に欠けるではないか。

「『ノルマ』は、ベッリーニが1825年、
最初のオペラ『アデルソンとサルヴィーニ』をナポリで上演し、
作曲家の早すぎる死(Puteaux、9月23日)
に先立つこと8ヶ月、1835年1月24日、
『清教徒』でパリ・デビューするまでに描いた、
芸術の放物線の頂点である。」

なるほど、ノルマは、1831年の作品であるから、
(1825+1835)÷2=1830≒1831。
10年の活動の中間地点にあったということだ。
5年くらいで大成するような世界とも言えるし、
わずか5年で上り詰めた、
ベッリーニの天才を思うことも出来る。
さらに考えると、
1797年生まれのシューベルトの場合は、
一度、1820年くらいにオペラに集中したので、
1801年生まれのベッリーニがデビューしたのと、
ほぼ同年代で、劇場音楽の世界に足を踏み入れたことが分かる。

が、ベッリーニは、毎シーズン、
劇場での修練を積んでいたが、
シューベルトの場合、病気もあって、
そうした継続が出来なかった。

とはいえ、シューベルトも、
1821-2年には「アルフォンゾとエストレッラ」、
1823年には「フィエラブラス」と、
続投の意志はあったのである。
あるいは、石の上にも5年のがんばりがあれば、
偉大なオペラ作曲家の登場、となっていたかもしれないが。

妄想はこれくらいにして解説に戻ろう。

実は、ベッリーニはさらに恵まれていたことが、
以下に、ちょうど書かれている。

「ベッリーニは、ドニゼッティを含む、
多くの同僚とは異なり、
失望に耐えたり、
ランクを上昇する困難を、
我慢する必要がなかった。
1826年の『ビアンカとジェルナンド』は、
ナポリで当たりを取り、
1年後、26歳の時には、
『海賊』でミラノにて勝利を収めた。」

つまり、デビューの翌年からして、
ベッリーニは別格だったようなのだ。

「二つの重要なイタリアの劇場を征服し、
ベッリーニは同僚たちに比べ、
しゃかりきになって働く必要はなくなり、
名誉と報酬に従って契約を取れば良く、
一年に1曲か2曲の作曲で済んだ。」

これは、またまた、うらやましい状況であろう。
シューベルトがまだ生きている時分に、
4歳若いベッリーニは、
早くも、そうした境遇にあったのである。

が、シューベルトの場合、
やむにやまれぬ創造力の爆発で作曲しており、
ベッリーニをうらやましいと、
思ったかどうかは分からない。

いや、聖人化してはならないだろう。
ベッリーニのような境遇になれば、
そうした爆発は起こらなくなったかもしれないのだ。

「1829年には、多くの観点から、
さらに革新的な作品、『異国の女』で、
スカラ座を再度征服した。
数ヶ月後には、パルマでの『ザイーラ』が演じられたが、
これは完全な失敗作で、大規模に再利用されて、
1830年の『カプレーティとモンテッキ』となった。」

連戦連勝のベッリーニにも失敗はあったようで安心した。

「1831年はベッリーニにとって、勝利の年であった。
三月、ミラノにて、数ヶ月後、ノルマを歌った同じ歌手、
ジュディッタ・パスタと共に『夢遊病の女』を舞台にかけた。
ベッリーニはスカラ座の団長、
クリヴェリとさらに1831-2年のシーズンの1曲を含む、
2曲の新作オペラの契約を結んだ。
『海賊』に続き、再度、
リブレットはフェリーチェ・ロマーニである。
新作のオペラは、12月26日の初演である。
しかし、『夢遊病の女』勝利の後、
作曲家とリブレット作者は、仕事のペースもだらけ気味、
作曲家は暑い時期の仕事を嫌い、
ロマーニは、将来の怠惰で、作曲家と衝突し、
そのことでよく諍いを起こした。
夏までに、とにかく、オペラの主題は決まったようだ。
ベッリーニは、アレッサンドロ・ランペーリ宛の
1831年7月23日の日付を持つ手紙で、
『新しい私のオペラの主題は決まっています。
『ノルマ』または『幼児殺し』というスーメの悲劇で、
パリで上演されて、異例な成功を収めているものです。』
スーメのドラマ的舞台作品は、その年の4月6日、
オデオン座でお披露目されたところで、
その勝利は、まだ生々しいものだった。」

なるほど、ベッリーニは暑い時期は仕事が嫌いだったようなので、
夏までに主題を決め、内容を吟味し、秋頃から2、3ヶ月で、
書き上げるパターンだったのだろうか。

シューベルトが大作、「アルフォンソとエストレッラ」を書いたのは、
それより10年前、1821年のやはり秋、9月頃からとされ、
翌年の2月までかかっているので、
基本的には、同じように、
劇場の冬のシーズンを想定して動いたのかもしれない。
が、円熟のベッリーニ(当時30歳)のようには、
24歳のシューベルトはうまく書くことが出来なかった。

「12月の始めから、リハーサルが始まり、
すぐにそれがかなり困難な作品だということが分かった。
ベッリーニが手紙で、『百科全書的人物』と評した、
ジュディッタ・パスタも、
このオペラの核となる、
『清き女神』をマスターするのに苦心惨憺し、
それにはロマーニ、ベッリーニとも、
何度も何度も試行を繰り返した。
遂に、歌手はこれを手中に収め、
この作品の成功に決定的な貢献を果たした。
ベッリーニは手紙で、
彼女とテノールのドンツェッリについて、
初演までに練習のしすぎで声の限界になっていた、
と書いており、
それが、いくらか、初演における、
ミラノの聴衆の冷淡な反応に影響したのかもしれない。
しかし、このシーズンの終わりには、
『ノルマ』はイタリア・オペラの傑作として、
位置づけられていたのである。」

恐ろしい事である。
練習は必要だが、それのしすぎで、
公演が失敗になるということもある。
シューベルトは、ここまで、歌手を追い込むような仕事まで、
経験することなく、オペラの作品群は棚上げされてしまった。

むしろ、そんな努力をしないで済んだ、
作曲に集中することが出来たとでもいうべきか。

では、このDVD鑑賞に入ろうではないか。

指揮者カレッラが登場して、序曲を振る様子が、
克明に捉えられているが、
一見して真面目な学究風のおじさんであるが、
その指揮姿は、入魂といってふさわしいもので、
まるで、ベートーヴェンの交響曲を演奏するかのように、
1音1音に意味を持たせていく、
鮮やかな木管のパートも明敏だ。
暗いピットの中であるが、
楽員の意欲的な演奏姿も見栄えがする。
コーダの追い上げも迫力があって、
オペラを見ないで帰ってもよいくらいである。

幕があがると、幻想的な夜の森のブルーが美しい。
当然、神託のための巨木がそびえている。
ドルイドの長老、オロヴェーゾは、
私が想像していたより長身で精悍な感じ。

リッカルド・ガネラットという人が歌っているが、
その面構えにふさわしくかっこいい。

その後で、森の中をこそこそ徘徊するローマ側は、
真っ赤な装束で、民衆たちの灰色の衣装とは対照的。

ドルイド族を蛮族として支配する立場でありながら、
いかにも退廃的な先進国のイメージが出ている。
代官ポリオーネは、
優柔不断な優男を想像していたが、
ここでのヴェントレは、横綱の体格のひげ面である。

その後、月が昇り、
勇ましい行進曲に合唱が響き渡ると、
ローマ側はびびりまくっている。
このあたりの効果、非常に緊迫感が出ている。
そんな中、野蛮人の神殿など、
ぶっ壊してやると歌い上げるポリオーネの方が、
何だか野蛮な雰囲気である。

やがて群衆が集まって来て、
巫女ノルマが現れるのを待つが、
青い夜の空をバックに神秘の瞬間が演出される。
大きな満月である。
真っ青の服に赤毛のテオドッシュー演じるノルマが、
反戦を唱える。頭に月桂冠のようなものが巻き付いている。
声が美しいが、やはり、神聖なる趣きには乏しい。
これは仕方ないか。

巨木の前で、鎌を振りかざし、
宿り木を取るような仕草の中、
美しいフルートの序奏に導かれ、
「清らかな女神よ」が歌い出される。
まさか跪いて歌うとは思わなかった。

ローマを罰せよという民衆と離れ、
次第にノルマは孤独になる。

そして、誰もいなくなった聖なる森に現れるのが、
ノルマの悩める恋敵、アダルジーザである。

冒頭書いたが、パラチオスという美しい歌手で、
青い服に身を包み、豊かなブロンドを際だたせ、
ノルマに比べ、初々しい感じがでている。

横綱ポリオーネが現れ、月光に照らされながら、
二人の愛の葛藤が描かれる。
無理矢理、ポリオーネは、
ローマへの逃避を約束させてしまう。

ポリオーネの情けない感じからして、
単身赴任中中のおっさんが、
現地妻を連れ帰る構図だが、
このおっさんの現地妻第1号はノルマなのでややこしい。

という所で、第1幕の第1場は終わり。
続いて、第2場に入るが、
ここでも指揮者の力の入った指揮ぶりが見られる。

第2場でノルマは、
小学生くらいの二人の子供を連れて、
服装の緑のワンピースになって、
完全にPTAのメンバーといった感じ。

しかし、実際、状況を考えれば、
子供たちがこんなに大きくなるわけはない。
ポリオーネは代官なので、そんなに長期滞在ではない。
まだ、赤子であるのが正しいはずだ。

そこに、こともあろうかアダルジーザが現れる。

そして、「優美な姿にうっとりして」、
愛に落ちてしまった事を打ち明け始める。
もちろん、まだ、この時点では、
ノルマは悲劇に気づかす、
親身になって、私もそうだった、などと相談に乗っている。
アダルジーザの告白に、
「そうやって誘惑されたの」、「同じだわ」とか、
相づちを打つノルマが哀れである。

二人並んで、親密な雰囲気が盛り上がり、
ああ、抱き合いましょうなどと、
甘美な二重唱となるが、
いったい、何時、事実が明らかになるだろうか、
とはらはらしてしまう。

そして、「ところであなたの恋人は誰」などと、
聴かれていると、ふらふらと、大将が呑気に現れる。
「この人よ」と嬉しそうに語るアダルジーザも哀れ。
ややこしさの粋を集めたような三重唱になる。
「この女と別れるのも運命なのだ」と言い張るポリオーネは、
気が狂っているとしか思えない。
ノルマの復讐の予告も恐ろしく、幕となる。

CDは二枚目になる。
カレッラが現れて、第2幕の前奏曲の、
静かでありながら、不安と緊張に満ちた音楽を、
ダイナミックかつ、俊敏な指揮姿で魅せる。
いきなり、テオドラッシュウは子殺しのナイフを、
振りかざしている。
恐ろしい形相である。

これが、元の作品名、「子殺し」である所以であろう。
実際は、子供は殺されないのだが。
ノルマのレチタティーボの中で、
「命を奪うこの手を見ることが出来ない」
というのが生々しい。

が、最終的に、子供たちは別と考えて、
自分だけ死んで、アダルジーザに子供を託することを決める。
アダルジーザは、今度は子供たちを遊ばせながら、
この様子を見て、希望を持てと励ます。
女同士の優しい思いやりを示すしっとりとした部分で、
ポリオーネだけが気が狂った存在に思えて来る。

抱き合ったり、手を繋いだり、
まったくもって友愛に満ちた作品に見える。
以上で、第2幕第1場は終わる。

続く第2幕第2場は、またまた群衆が集まっていて、
回りには要塞のような石の壁が見えている。
神殿の中だといくことは分かりにくい。
武器を手にして、ゲリラの装備、一触即発の雰囲気である。
部族長が、今度は彼等のはやる心を抑えている。

それにしても、イタリア人が作った、
イタリア上演用のオペラが、
こんなにローマへの怨嗟に満ちているのは何なのだろうか。
ひょっとすると、当時の政治状況の反映もあるのかもしれない。

ノルマはアダルジーザが、期待に満ちた表情で、
ポリオーネを説得して戻ってくるのを待っているが、
計画が失敗した事を乳母から知る。
怒り狂ったノルマは、ローマへの復讐を誓い、
ついに、神殿の銅鑼を鳴らしてしまう。

「勇者たちよ戦いの雄叫びを上げよ」というが、
こんな私情だけで、軍隊を動かしてしまうというのは、
あまりにも恐ろしい神官である。

民衆の騒ぎの中、また、いつものように、
ひょこりとポリオーネが現れる。
神殿を侵した罪で捕まってしまったようなのだ。
アダルジーザを探してうろちょろしていたのだろうか。

この引っ立てられる様子が滑稽である。
やたら長いロープで両手をそれぞれ引っ張られる形。

ノルマは、自分が手を下すと民衆を遠ざけるが、
ポリオーネのロープは、舞台の両脇に引かれた形。
ここから、美しい二重唱へと発展していく。
剣を振りかざして、歌うノルマと、
情けないポリオーネの構図は、表紙写真のままである。

しかし、ノルマの怒りに屈しない頑固さが、
何故か、やたら説得力を持っているのが不思議である。
死んでもアダルジーザは諦めないという一途さゆえか。

遂にノルマは全員を集めて、自分が罪人であると告げ、
自らが火刑台に上ることを美しく歌い上げる。
その毅然とした様子に、さすがのポリオーネも心打たれ、
衆人の見守る中、愛の二重唱を繰り広げる。
が、二人で死のう死のうと言っているのが、極めてヤバい。

ヴェールを被った女たちを中心に、
回りから同情の声が上がるが、
ノルマは、自分は大きな罪を犯したと告げる。
子供がいることを告白し、
オロヴェーゾに、彼等を守って欲しいと歌う。

このあたりになると、いかにも肝っ玉母さんという感じの、
テオドッシュウの雰囲気が効果を発揮して、
妙に、生々しい感じになって来る。
そのせいか、オーケストラも合唱も感極まり、
絶叫して応える。
ヴァーグナーが感涙にむせびそうな、圧倒的な効果である。

最後は燃えさかる火刑台を表す炎の色が背景に輝き、
これまでの青の基調が打ち破られ、
そこに向かって、ノルマとポリオーネが、
駆け上って倒れる。

実は、原作となったスーメの悲劇では、
子供を殺して終わる劇だったという。

ベッリーニたちは、これを、
カップルの心中の物語にしてしまっている。
スーメ自身も、この物語は、
ギリシア悲劇の「メデア」から持って来た。

ギリシアの物語を、ケルトの物語とした理由など、
気になる部分は多数あるが、
「子殺し」という題名では、
きっと、こんなに長く愛される作品には
ならなかったのではなかろうか。

DVDで見て、CDで想像していた事と、
大きく異なる点は、そんなに多くはなかった。
むしろ、管弦楽法の妙味などは、
CDで聴く方が堪能できる。
あと、ノルマのイメージは、
やはり、カラスの痩身のイメージが、
私の中にこびりついているようだ。

是非、前回取り上げた、カラス盤の写真と、
今回の表紙写真を見比べて欲しい。
前のものの方がはるかにイマジネーションを誘う。
今回のデザインは、もうそのままじゃない、という感じ。

得られた事:「劇場を征服すれば、オペラ作曲家は、年に1、2作の作曲で生きて行ける。」
「シューベルトに、そうした生き方がふさわしいかったかは不明。」
「そのままあるがまま、という商品パッケージというのもいかがなものか?」
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by franz310 | 2010-12-26 17:16 | 古典
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