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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その254

b0083728_1724100.jpg個人的経験:
前回は、マリア・カラスが、
何と、若き日のバーンスタインと、
共演した記録として、
ベッリーニの「夢遊病の女」が、
CD化されていることを書いたが、
これは、録音は悪いが、
CDとしては、至れりつくせり、
という感じで好印象を持った。
残念ながら、第一幕を聴いた所で、
力尽きてしまった。


カラスのCDは、大量に流通して、
入手性が良いのはありがたいが、
音質が良好でないのが困った点だ。
また、デザインも、本来なら、
カラー写真であるべきが、
時代ゆえに白黒で古びて見える、
というのが残念至極である。

が、今回、ここに掲載したものは、
白黒ならではの格調の高さゆえに、
目を惹くものになっている。

しかし、どんな機会に撮影したものであろうか。
最初、私は、これはカラスのイメージで作った、
合成写真かとも思ったが、
東芝EMIのホームページに、
カラス写真集のような形で掲載されているので、
おそらく、本当に、こんなポーズで撮ったのであろう。

しかし、このCD、そうした来歴が、
何も書かれていないというのは、
いったいどうした事であろうか。

このCD、カラスが映画になって話題になった時に、
急場しのぎで、各種音源からかき集めた感じのもので、
あまり、そうした厳密性を、
云々するものではないのかもしれない。

とにかく、回りを赤く縁取りして、
「CALLAS IN PORTRAIT」
とこれまた華やかな赤で書き込んだあたり、
とても、洒落た感じである。
が、こんなデザインをした人の名前もない。

一方、このCDは、なかなか面白い趣向の解説がついている。
オペラ研究家が、「序文」で、カラスの生涯を説明、
各曲の解説に続くが、そこでも、
カラスとその曲との関係が書かれているのである。

私は、カラスはギリシア人だと思っていたが、
移民の子で、ニューヨーク生まれだとある。
1923年の12月2日。
ちょうど、私は、この文章を、
カラスの誕生日を挟んで書いている感じである。

13歳で、母親は血縁を頼ってギリシアに戻り、
カラスもそれに従ったが、戦後、父を頼って、
単身渡米したとあるから、
これは、22歳くらいの時であろうか。
カラスは多感な10年ほど、ヨーロッパ人だったようだ。

その後、アメリカのオーディションで認められ、
イタリアの音楽祭に出演して、
恩師セラフィンと出会う、とある。
「劇的な痩身にも成功」とあるのがすごい。

このCDの表紙写真のような、
格好良い写真が撮れたのは、
努力のたまものであった、
と言って良いのだろう。

が、彼女は40過ぎで、オペラの舞台から遠ざかった、
と書かれている。
彼女の最盛期は、1960年くらいには去っていたようで、
そのため、良好なステレオ録音で、
名盤とされるレコードが残らなかったのが、
何とも運命的である。

つまり、彼女のCDが、どれも何だか音が悪い感じなのは、
彼女の活躍した時代が、やたら短かったという事でもある。

このように、最初に簡潔に生涯を概観して、
各曲の解説を読みつつ、このCDを聴くべし、
という趣向になっている。

従って、このCDを聞き終えると、
カラスの即席おたくになれるわけだ。

例えば、最初にビゼーの「カルメン」より、
「ハバネラ」が入っているが、
それは、カラスが子供の頃住んでいた、
地区の催しで、10歳の時に、これを歌ったからだとある。

上手い具合に、プレートルとの64年のステレオ録音があり、
これが最初に来るので、買った人は、
とりあえず、録音が悪くて、
いきなり、返品したくなるという最悪の事態から逃れられる。

録音が古い方が、彼女の声に衰えがなくて良い、
とよく言われるが、やはり、合唱もオーケストラも含め、
これだけ鮮度があるとありがたい。

二曲目は、プッチーニの「蝶々夫人」から、
「ある晴れた日に」が選ばれているが、
これは、母親が、彼女をオーディションに連れて行った時、
歌わせた曲だから、という感じである。
これが11歳の時。

録音は、55年のカラヤン指揮のもの。
が、カラヤンの精妙な指揮によるオーケストラ共々、
カラスの弱音の美しさが冴えて、申し分ない。

次にマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」の
「あなたもご存じです、お母さん」が出て来るのは、
ギリシアの国立音楽院の
学生公演で歌った曲だからということだ。

これは53年の録音ということで、
今回収められたものの中では、
かなり古い方である。
激情で声を張り上げる所が多く、かなり厳しいが、
何とか乗り切った感じか。
が、ここで、なんじゃこりゃ、と考える聞き手も多そうだ。
セラフィン指揮のもの。

さらに、ベッリーニが来る。
「ノルマ」より「清らかな女神よ」である。
メトロポリタンのオーディションで披露したものだという。

さすがに、60年の録音なので、
非常に聞きやすい。セラフィン指揮。
ベッリーニらしい、美しいメロディが堪能できる。

次のポンキエルリの「ジョコンダ」から「自殺!」は、
この題名どおり、強烈なインパクトで始まるが、
59年の録音(ヴォットー指揮)で良かった。
いちおう、ステレオ録音で、奥行きがある。

この曲は、仕事がなかったカラスに、
うまく舞い込んだ新しい契約の時に歌ったものだという。

次に、「トリスタンとイゾルデ」の最終場面「愛の死」が来るが、
カラスとは少し、イメージの異なる曲である。
57年のライブとあり、音質に不満はないし、
このうねるような甘美な音楽に、
彼女の声が良くマッチしていて、私はかなり満足した。
これもヴォットー指揮だという。
アテネ祝祭管弦楽団というのがすごい。

これから、私たちは、カラスが、
伝説的存在のソプラノである、
「ソプラノ・ドラマーティコ・ダジリタ」であることを、
味わうべきだというが、
確かに、ちゃらちゃらしたソプラノでは、
こんなに劇的な声は出そうにない。

次は、「トゥーランドット」から「この宮殿の中で」。
セラフィン指揮の57年録音。
これは南米公演で成功した役柄だったとのこと。
録音は、ちょっと苦しい。
同じ年のライブより苦しいのは何故だ。

間奏曲が甘味で聴かせるが、古い映画を見てるような感じ。
フェルナンディがテノールで入って来るところなど、
いかにもそんな感じである。

ここからが後半だが、ロッシーニの
「イタリアのトルコ人」から、
「たった一人のお方だけを愛するなんて」。

ここから、カラスの「幸福感」を聞き取れとある。
実際、彼女は夫ある身ながら、オナシスと恋に落ちている。
ガヴァッツェーニ指揮、54年の古い録音だが、
これは、曲が軽いせいか、あまり録音が気にならない。

確かに楽しい曲で、一服できる感じ。
このCD、かなり選曲が良い。

この後で、ベッリーニ「夢遊病の女」の1曲があり、
さらに、ヴェルディの「花から花へ」。
58年の録音でありながら、序奏からして、
録音の劣化が気になる。
ライブとあるからか。
ギオーネ指揮、サン・カルロス歌劇場って何だ。

入って来るアルフレート・クラウスのテノールは美しいし、
後半のカラスの超絶技巧もものすごい。

解説には、若いクラウスにあおられて、
不朽の名唱となった、とあるが、確かにそう聞こえる。
解説に、珍しく、ポルトガルに行った時の記録とあった。

これが、カラスらしい感じ。
つまり、絶唱を聴かせる時には、
何故か録音が良くない。

続くのは、また、ヴェルディで、「リゴレット」より、
「慕わしきみ名」で、55年、セラフィンの指揮。
叙情的なものだからか、これは録音の古さが気にならない。
このような可憐な歌も歌えるところが良い。

カラスは父親が好きだったのに、
死に目に会えなかった逸話が解説で紹介されている。

最後から3番目のものは、トマの「ミニヨン」より、
「私はティターニア」で、61年のステレオ録音。
ここでのカラスは、録音ではなく、声自体が厳しい。
解説には、丁寧に歌っているとあるが、
私には、かなり慎重になっていると聞こえる。
これは、カラスの愛唱していたものだとある。
指揮はプレートル。

次にさらに新しい64年のヴェルディが来る。
レッシーニョ指揮でパリのオーケストラ。
「シチリア島」から、「ああ、心に語れ」。

カラスは、晩年にこの曲の演出もやったとある。
録音が新しいのはいいなあ、という感じ。
カラスの声に、陰影のようなものまで感じられ、
まったく、声の衰えは気にならない。
こうした声なら、シューベルトの歌曲でも歌って欲しかった。

円熟してからの歌だからなのか、
単に録音技術が、うまく、それを捕らえたのか、
どちらかは分からない。

このCD最後は、やはり、「トスカ」。
「歌に生き、愛に生き」と来るだろう。
名匠、デ・サバータの指揮による名盤。
1953年の録音と古いが、
ハープの音もみずみずしく、カラスの声も美しい。

カラスは最後にオペラで歌ったのが、
この役柄だったという。

それにしても、彼女の録音は、
古い方が、声が良くて録音が悪い、
という感じでもなく、
新しいものでも録音が悪かったり、
ちぐはぐな印象が強い。

また、最初に書いたように、
CDなりLPなりも、デザインが、
どれもこれも、カラス本人を前面に押し出したものが多く、
それで印象が決まってしまう傾向にあるのも偏見を生じやすい。

確かに、古代風の衣装から和服まで、
様々な装束の彼女が写真やイラストに収まっているが、
個性的な容姿がそんなものを吹き飛ばし、
一見すると、作品さえ、何が何だか分からないようなものが、
大量に出来てしまった感じである。
白黒写真の時代なので、これまた、そうした傾向が強くなる。

また、この人の存在感が強すぎて、
他の人はみな脇役、みたいな感じになるのも困る。

そもそも、ベルカント・オペラを得意とした時点で、
そうした宿命を背負っていたとも言えるが。

さて、今回のCDでも、9曲目に、
ベッリーニの「夢遊病の女」から、
「お仲間の方々・・気もはればれと」が収録されている。

これは、このオペラの前半で、主人公のアミーナが、
婚約の喜びを歌うもので、大変美しいものだ。
この抜粋盤CDでは最も長い7分48秒かけて歌われる。
セラフィンの指揮によるもので、
ここでの録音は、57年。

カラスが、55年に、バーンスタインの指揮で、
「夢遊病の女」をライブ録音していることは前回書いた。
録音自体は、はるかに、このセラフィンの方が聞きやすい。
最後の絶叫のところも、金切り声に聞こえない。
が、何だか分からない推進力と熱気では、
やはりバーンスタインであろう。

まだ、そのカラス・バーンスタイン盤の
後半を聴いていなかったので、
今回は、それを聴いて締めくくろう。

この後半を聴くと、むしろ、後半の方が、
このオペラ「夢遊病の女」の特色があることが分かる。

第2幕:
第1場:
城の近くの森
CD2のTrack3.
「村人の一群が、伯爵が、アミーナが、
無実であるかどうかを知っていると考えて、
城に向かっている。」

じゃーんというオーケストラが、
威勢良く、シーンが変わった事を告げる。
木管が、まるで、ベートーヴェンや、
シューベルトが書きそうな、
何となくヴィーンの情緒を感じさせる、
親密なメロディを奏でる。

続く合唱も、まさしくそんな感じである。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタの楽想に似ている。

Track4.
ここでも、オーケストラが効果的で、
木管の愛らしい響きが印象的である。
何となく、ブラームスの
ヴァイオリン協奏曲みたいなメロディが親しみやすい。

「彼らがいなくなると、
伯爵に嘆願するための道を行く、
アミーナとテレサの現れる。
テレサは娘のテレサを慰める。
彼女にはエルヴィーノが近づいて来るのが見え、
まだ、アミーナを愛していると確信できた。」

アミーナとテレサの会話が
主体となる部分になると、
オーケストラは、じゃんじゃん、
ぼんぼん系になる。

Track5.
この後には、当然、美しいアリアがあるべきであるが、
慎重な序奏がおかれている。
管楽器の色彩感も美しい。

私は、最初、嘆きのアリアでも始まるかと思ったが、
何と、エルヴィーノが高らかな声を上げる。
じゃんじゃかじゃかと、リズムも勇ましい。

「しかし、それは、間違った希望であったことが分かる。
彼女は無実を訴えるのに、厳しくその不実をなじる。」

Track6.
「伯爵のところから、村人たちが、
彼女は無実だという一報を持ち帰ったのに、
エルヴィーノの怒りは鎮められない。
彼は、彼女の指から指輪を外してしまう。」

からかうような音楽に、
説得するような合唱と、
エルヴィーノの声のミックスが面白い。

Track7.
ここでも、なかなか聴かせるメロディが現れる。
ヴェルディの乾杯の歌みたいだ。
この恰幅の良い歌と、
軽妙なオーケストラのリズムが激しく錯綜して、
第1場が締めくくられる。
拍手はあるが、特にブラヴォーは出なかったようだ。

「彼は、その深い嘆きの中からも、
なおも彼女を嫌うことが出来ない。
彼が去ると、テレサと村人は、
伯爵にアミーナの名誉を戻してもらいに行く。」

ということで、後半の第2幕最初の情景は、
村から離れた森の中での痴話げんかという内容である。

あってもなくても良さそうな

ここで、指輪を取られてしまったアミーナが、
最後の最後で、泣けるシーンを用意しているので、
その前振りとして、重要な事件である。

第2場:
水車屋近くの村の広場:

ここから、またまた、村に舞台を移し、
アミーナに失望したエルヴィーノは、
リーザといちゃついている。

Track8.
「リーザは、エルヴィーノの愛を
取り戻すチャンスとして結婚を決めてしまう。
アレッシオはがっかりする。」

別に何のことはない、
レチタティーボの掛け合い。

Track9.
当然のように、興奮しておきゃんな声が跳躍する
これ見よがしな装飾を交えながら、
「あなたのお望み、うれしいわ」と歌っている。

合唱のサポートも得て、ものすごい興奮である。
聴衆も拍手で応えている。

「リーザは村人に、結婚に賛成してくれた事を感謝する」
と、解説にある部分で、2分に満たない。

Track10.
「エルヴィーノとリーザが教会に向かう所を、
ロドルフォによって呼び止められる。
伯爵は、アミーナは無実であると誓う。」

軽妙に足取りも軽い序奏である。
リーザの声は高ぶって、エルヴィーノと絡んでいる。
「信じていいの、エルヴィーノ、
あなたが最後に選んだ私は、
あなたにふさわしいかしら。」
「もちろんだよ、リーザ。」
という感じである。

やがて、ロドルフォのバスが冴え渡って聞こえ、
実に頼もしい感じである。
「待て、エルヴィーノ」。

エルヴィーノは、「教会に行くのだ」と、
叫んでいる。

Track11.
ここでの管弦楽は、さらに楽しげな音楽になって、
まるで、オペレッタのようになっている。

エルヴィーノとロドルフォの、
見事な二重唱に合唱がからんで、
次第に音楽の密度が高まって来る。

「しかし、エルヴィーノは、
彼が自身の目で見たことを否定できない。
伯爵は、ある種の人々は、
眠っているのに、
目覚めているように見えるのだ、
と説明する。」

まるで、腕利きデカが、真相解明するシーンのようだ。

しかし、だいたいの場合、テレビ番組でも、
その後、悪あがきがあるものだ。

合唱までも、「誰が、そんな事を信用するものですか」
と言っているのが面白い。

「エルヴィーノは、まだ信用せず、
なおも教会に向かおうとする。
テレサが出て来て、水車屋で、
アミーナが寝ているから、
みんなに静かにして欲しいと言う。」

さっきまで、騒いでいた合唱が、
今度は、「はい、静かにします」などと言ってるのも、
優柔不断な民衆を表して微笑ましい。

「テレサは、エルヴィーノが、
夜、紳士の部屋に行ったことなどないと言って、
自分の行動を正当化しようとする
リーザと結婚しようとしていることを聴いて怒る。
この証言は、ベッドでスカーフを見つけ、
それがリーザのものであって、
自分の娘のではないと知っているテレサにとって、
十分だった。
彼女の狼狽から、彼女に罪があることが分かり、
エルヴィーノは、さっとその手を放す。」

合唱も、しだいに声を落として
音楽は、緊張感を高める。

Track12.
非常に、効果的に準備された静寂の中から、
格好良く、エルヴィーノの声が舞い上がる。

「彼は、誰を信じていいのか分からなくなる。
見破られたリーザは、彼女のライバルがどのように、
テレサが全く同情を示さない
彼女の苦境を待ち望むかを思い描く。」

木管が補助するメロディも美しく、
テレサの声が重なって来る部分も効果的だ。

様々な声が交錯し、
各人のもんもんとした感じがよく出た音楽である。

Track13.
「しかし、エルヴィーノは、なおも混乱し、
アミーナが無実であることを重ねて主張する、
ロドルフォの言うことを信じることに対し抵抗を示す。」

このあたりはレチタティーヴォで、
エルヴィーノとロドルフォが言い合いをしている。

すると、オーケストラは、
神秘的な音をみなぎらせて、
このオペラの核心的な部分を用意する。

「エルヴィーノは証拠が欲しいと言う。
これは、アミーナが水車屋の窓から、
出てくるのが見えて、すぐに理解される。
眠ったままで、彼女は、
水車屋の水車を越えて、
その下に水が流れ落ちている、
がたつく橋の上を歩くのだった。
ロドルフォは、もし、彼女が目覚めたら、
落ちてしまうかもしれないと、
みんなに静かにするよう警告する。
彼女が、橋を渡ると、皆は安心する。」

合唱も独唱も次第に静かになって、
アミーナがふらふらと歩く様子が、
優しいメロディで、管弦楽だけで奏される。
非常に印象的なシーンであろう。

Track14.
ここで、アミーナのかわいらしい声が聞こえる。
カラスの声とは思わない、可憐な感じで、
「ああ、もう一度、彼と会いたい、
ただの一度でもいいから」と、
歌っている内容も、とても、
誇り高きディーヴァという感じではないのが良い。

「アミーナの言葉は、エルヴィーノのことを
案ずるものであった。」

簡素な伴奏ながら、木管が、
精妙な響きで彩っている。
合唱が、「ああ、愛の言葉だ」と言うと、
寂しげな、胸に染みるメロディが始まって、
以下のような泣かせる演技をしながら歌を歌う。

「彼女は、彼について跪いて祈り、
彼からもらった指輪を探すかのように、
自分の手を眺めた。
それが見つけられなくて、
彼女は、花束を取り上げる。」

Track15.
引き続き、美しいメロディのアリアである。
このあたり、ベッリーニの筆は冴え渡っていて、
聴衆は、一心に聞き入るしかない。

「彼女は、ほんの一日前に、
恋人がくれた花々が、すでに萎れ、
枯れていることが信じられない。」

歌に続く木管の後奏も憂いを秘めて、非常に美しい。
エルヴィーノが、アミーナに唱和していくあたりも、
切なさで、胸が締め付けられる。
まさしく、全曲の白眉となる名場面であろう。
ヴィオラだろうか、弦楽の独奏が補助するのも、
妙に泣かせる隠し味である。

「私がいくら涙を流そうとも、
あなたの愛を戻すことは出来ないのだわ」
という言葉に、聴衆は温かい拍手を送っている。

Track16.
「エルヴィーノはもはや耐えきれなくなって、
彼女の指に指輪を返し、
テレサが、彼女を抱いている前に跪く。
村人たちが歓声を上げると、
アミーナは目覚める。」

合唱の騒ぎ方が尋常でない。
「長生きしな、アミーナ」。
また、目覚めたアミーナの、
「どこにいるの私は」と叫ぶところも、
声が一転して面白い。

Track17.
「エルヴィーノは、彼女を教会に連れて行き、
アミーナは幸福を表現し、村人はさらに祝福する」
と解説は結んでいるが、
ここでの主役はアミーナの絶叫である。

「この喜びは、誰も分からないでしょう」と、
乾杯の歌のような、
勇ましくも分かりやすいメロディに乗って、
様々な装飾を繰り広げる。

合唱も、馬鹿騒ぎを繰り広げていて、
その中から、カラスの強烈な声が、
飛び出して来る。

これはこれで圧倒的なのだろうが、
ちょっと、やりすぎじゃないの、
という感じがしないでもない。

さっきまでの可愛い夢遊病状態の方が良い。
こっちが正体だとしたら、
エルヴィーノは二の足を踏んだのではないか。

バーンスタインの指揮も興奮しまくりである。
聴衆もまた絶叫の渦にいる。

得られた事:「マリア・カラスは活動期間の短さと、録音技術進歩の関係で不運な歌手だと思っていたが、CDのデザインや録音水準のちぐはぐさなども不運に輪をかけている。」
「伝説的存在のソプラノ、『ソプラノ・ドラマーティコ・ダジリタ』??」
「夢遊病の女の第二幕、ちょっとヴィーン風?」
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by franz310 | 2010-12-05 01:01 | 古典
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