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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その253

b0083728_22422969.jpg個人的経験:
ロシア音楽の父、グリンカは、
若き日、イタリア遊学時に、
イタリアオペラの新時代の、
誕生に立ち会うことになった。
彼は、すぐに、初演されたばかりの、
これら作品を室内楽に編曲したが、
その中の一曲は、
ドニゼッティの「アンナ・ボレーナ」
今ひとつは、
ベッリーニの「夢遊病の女」であった。


「アンナ」は1830年の作品、
「夢遊病」は1831年の作品であり、
グリンカは例の室内楽を、1832年に書いている。
生々しい報告書という感じであろうか。

今回は、この「夢遊病の女」を聴いて見たい。
前回も、マリア・カラスの演奏で聴いたが、
そのCD解説によると、「アンナ・ボレーナ」は、
まさしく、カラスが復活した演目のような書きぶりであった。

今回のCDにも、John Steaneという人が、
「カラスと夢遊病の女」と題した文章を寄せているが、
特に、「夢遊病の女」については、
カラスが復活させたというわけではなさそうだ。

むしろ、この解説は、ヴィスコンティ、バーンスタインとの、
在りし日の恐るべきコラボレーションについての話に尽きる感じ。

私も、最初、このCDを見つけた時は、我が目を疑った。
ベルカント・オペラとバーンスタイン?
しかも、1955年の録音。
バーンスタインが、
ニューヨーク・フィルの音楽監督になるのも、
「ウェストサイド・ストーリー」で
大ヒットを飛ばすのも、
この後の話なので、まさか、こんな録音があるとは、
夢にも見なかった。

しかも、このCD、裏面に、
「オリジナル録音の不完全さによって、
このライブ公演の音質は、
予想されるレベルにない」などと書いてあるではないか。

何だか、非正規のヤバい演奏ではないか、
というのが第一印象であった。
ここから、本当にバーンスタインの、
カラスの音楽が聞き取れるのであろうか。

しかし、art技術でリマスタリングされており、
さらに、表紙写真のカラスが魅惑的であることゆえ、
CD屋で逡巡した末に、私は、ようやく購入を決意したのである。

バーンスタインは、晩年にヨーロッパに行ってから、
大成した人という印象もあり、
こんなドサ回り的な録音に、
何か意味があるのだろうか、
という印象はぬぐえないまま。

が、実際のところは、この録音より前に、
カラスと共演してオペラを振っているらしい。
このことは、この解説にも書かれている。
もっと言えば、この解説によれば、
この演奏のかなりの部分は、
バーンスタインの魅力、
それも若き日の、というより、
我々が良く知っているもの、
によるものだ、
という感じで書かれているのが驚きであった。

それは、躍動し、振幅が激しく、
ホットで知的なものらしい。

では、解説を読んで見よう。

「スカラ座の『夢遊病の女』は、何かしら、
聴くと同様、見るものであった。
事実、それは、不思議なことに、
近年のコンセプト・プロダクションに、
あらゆる点で似ていた。
事実、セッティングは、一応、スイスの村であったが、
いかにも様式化された絵本の嘘くささがそこにあった。
最も、ショッキングなのは、
田舎娘のアミーナを演じるカラスが、
バレリーナのような、腰のくびれた白衣に身を包み、
宝石で輝き、髪に花輪を巻いていた。
時に、ステージ上の絵は、完全に静止しており、
単にオペラを聴きに来た人が、
自分が目覚めているのか眠っているのか、
分からないような感覚になる、
ダブル・ビジョン効果を狙っていた。
物語そのものは、おそらくばかげていて、
スコアはしばしばシンプルで、陳腐に見える。
これらが一緒に動き出すと、表面的なものが、
明らかに皮相な印象を与える。
面倒な比較をせずとも、
『冬物語』を想起すればよい。
日常の現実味は白日夢に道を譲り、
嫉妬も無邪気に道を譲る。
あるいは、これが、作品に何か、
特別なアイデンティティを与えたとも言える。
このオペラの最後で、カラスは、
『人の心はこれを受け入れられません』と歌うが、
客席照明が点ると、夢遊病の人たちは目覚め、
悩ましい気持ちは晴れ、絵本は消滅し、
普通の生活に戻り、精神は高揚する。」

さぞかし、斬新な舞台だったものと思われる。
書き割り風の背景を持った舞台の写真は、
このCDにも付いていて、
こうした多くの写真が出ている点が、
このCDを魅力的なものとしている。

若き日のバーンスタインの
不敵な面構えの写真もまた、
印象的であることを付け加えておきたい。

このCD、二枚しかないくせに、やたら分厚いが、
それは、そうした資料が収められているから、
と考えると得心がいく。

「この公演は、疑いなく、
全メンバーによる大きな協業の努力であるが、
特に3人の天才によるものであった。
ルッキーノ・ヴィスコンティは、
1954年に、カラスと共同で、スカラ座にて、
スポンティーニ作『ヴェスタの巫女』の、
有名な蘇演を行ったプロデューサーで、
彼の直感とヴィジョンは、当時の、
オペラ界において、カラスを生命力の一部とした。
1953年、カラスは、
若いバーンスタインの指揮で、『メデア』を歌っていた。
バーンスタインはオペラ指揮者とは考えられておらず、
ヴィスコンティは映画監督、
カラスは重いドラマティックパートを歌っていたので、
通常、考えつかないことであったのだが、
これは『夢遊病の女』のために組織されたチームであった。」

こんな心憎いチーム構成を考えついたのは、
誰だったのだろうか。
が、これだけ個性の強い連中を集めて、
さあ、やって下さい、と言っても、
うまく行くものでもあるまい。
その危惧についても書いてくれていて助かる。

「彼等が常にうまく行ったわけではない。
バーンスタインは女性として、
カラスが特別好きではなかったし、
カラスは二人の男性を嫌っていた。
しかし、彼等は熱中するタイプで、
疲れることない仕事人であった。
さらにヴィスコンティの細部への厳格なこだわりは、
特に、カラスに熱心な反応を起こさせた。
長く、休みなく、集中したリハーサルが続いたが、
彼女は幸福であった。
どれぐらいかけて、三人が、何らかの
練り上げたコンセプトに到ったかは分からないが、
視覚効果はないとは言え、
我々は、この録音で、
特別で啓示的な『夢遊病の女』に出会う。
聴くとまず分かるのは、バーンスタインの貢献である。」

と言う具合に、
このカラスの容姿を前面に押し出したデザインの、
なかなか洒落たCDは、
実は、最初に、
バーンスタインを聴くべきものだと断定されている。

「例えば、前奏曲や開始部の合唱など、
彼は、離れた中立の立場で、
慎重にエネルギーを与えたのではなく、
時としておもしろ半分に、絵画的、ディズニー風に、
平板なスコアに手を入れた。
彼はスカラ座の合唱を暴走させるが、
彼等はそれに応じられないような音を出している。
(これは初日の記録)」

バーンスタインを称賛するべく、
ベッリーニの音楽がダメダメで、
バーンスタインが面白くした、
といった書き方は、私はどうかと思う。

それはともかく、
このように、異彩を放つ三人が、
不思議なコラボレーションをした、
というだけで、妙に心が高鳴って、
最初の珍盤の印象は霧散して、
良いものを手に入れた、という感情がわき起こって来た。
録音も、別に聞きにくくはなく、
後年の「アンナ・ボレーナ」の方が、
はるかにヤバい音質であった。

「しかし、これは、名目上の現実である、
オペラの外見上の事にすぎない。
内部の世界に足を踏み込むと、
アミーナの『何と穏やかな日』では、
バーンスタインの指揮が、
さっきの高速のイカサマ的なおもしろさの反対を行く。
彼は自らとオーケストラを、
歌手に委ね、そして、音楽に身を委ねた作曲家に委ねる。
テンポはリラックスし、ドラマの公式や、
音楽すらも後退し、内的な真実のオペラ、
『夢遊病の女』がここから始まる。」

もう、これ以上ない賛辞である。
バーンスタインは、1918年生まれであるから、
この時、37歳。
彼の後年の活躍を表すキーワードがすべて羅列された感じ。

さて、対するカラスも、下記のように扱われ、
まさしく横綱同士の取り組みを思わせる。

「この不明瞭な現実の中を、
カラスは、声一つで、見る見る統一していく。
リーザを歌う、ユージナ・ラッティの明解な声とは、
違うことがすぐ分かる声で、
彼女は、若さと無邪気さに、
温かさと不幸の予感を加えて音にしていく。
第1幕の独唱、アリアもカバレッタも、
共に、幸福感は夢のような感覚を伴う。
デュエットでは、彼女の叙情的な発話の繊細さが抑制され、
コロラトゥーラは、言葉にできない解放感のように、
表現力豊かになっていく。
寝ながらのうわ言は、また、
異次元の要素のように美しく歌われ、
この状態で、『あなたを見たとは知らなかった』が歌われる。
完全に
声の温かさや反響を補って、
眠りの世界から歌っているにもかかわらず、
彼女はなおも心優しい。
バーンスタインは、
彼女と、全編を通じて光彩を放つ、
チェーザレ・ヴァレッティのエルヴィーノが、
力ない憧れの悲しみのフレーズを
崇高に歌うのを助けている。」

ということで、エルヴィーノを歌う、
ヴァレッティも聴きものだということだ。

「そして、目覚め、和解する時、
カラスが、すべてを解き放った声を発するのを、
私たちは初めて聴く。
この点で、彼女の『蝶々夫人』の
最後の独唱と同様の力であるが、
もちろん、ここでは歓喜の歌であり、
バーンスタインによって、
カラス用に作られた装飾によって、
真実のオペラと、
それをもたらしたディーヴァを経験し、
聴衆が喝采して立ち上がるほどの、
音符の滝や泉に向かって進む。」

とにかく、どえらい経験を記録したのが、
このCDである、という自信が、
溢れかえった解説なのはありがたい。

音質が悪いのも、バーンスタインが、
初日から羽目を外しているのも関係ない。
そんな事を気にするやつは聴かんで良い、
という類の録音だということである。

「録音は悪いが、出来る限り修復して発売した。
マリア・カラスのキャリアにとって、
重要なドキュメントだから」と書かれているのも、
なるほどと思わなければならない。

さて、「夢遊病の女」が、どのような物語かを知らないと、
上記、解説もさっぱり分からない。

この後、倍の分量で、「ベッリーニと『夢遊病の女』」
という解説が続くが、簡潔にはしょる。

「ノルマ」のような危険な情熱をはらまず、
「清教徒」のような魂の衝動やヒロイズムもなく、
ベッリーニの美しく、ダンディな肖像画に、
実にぴったりな作品が、
このオペラである、と書かれている。

「優美で、詩的、計り知れぬ優しさが、
そこここに見られ、これらが田園的なファンタジーに誘う」
とあるように、
不気味な題名とは裏腹に、このオペラは、
田園情緒に溢れた作品なのである。

「妖精の出てこない妖精物語、秩序と明るさの、
スイスの田園詩」とも評されている。

ヒロインが夜中に徘徊することから、
様々な誤解を引き起こす、
迷惑な「夢遊病の女」の話である。

シノプシス:
第一幕:
第1場:
村:
Track1.「村人は、孤児だったが、水車屋の女将、
テレサに育てられたアミーナが、
成功した若い農夫、エルヴィーノとの婚約を祝福している。
このお祝いの中、ただ一人楽しくないのは、
かつてエルヴィーノと婚約していたこともある、
村の宿屋のオーナー、リーザである。
彼女は、他の村人、アレッシオに近づかれ、
さらにいらだっている。」

このあたり、合唱を交えての進行、
リーザの可憐な声も美しく、
いかにも、楽しいオペラの始まり始まりという感じ。

Track2.「村人は、アミーナを讃え、
このような婚約者を持ったエルヴィーノの将来を語る。
アレッシオは、リーザに、
自分たちもハッピーになろうと言う。」

Track3.「アミーナが入って来て、
育ての母や村人に感謝する。」

Track4.「彼女は、回りの自然の美しさに、
この幸せが反映されていると歌う。」

ここからが、最初のカラスの聴かせどころであろう。

Track5.
非常に美しいメロディが現れる。
「私の心臓の上に手をおいて」として、
この作品の代表的なアリアとして知られる部分。
装飾も入れながら、合唱も入って、
とても、効果的な部分である。
最後は絶叫のような声になるが、
実際、観客の興奮はいきなり高潮に達する。

解説には、「彼女はテレサを抱きしめ、
育ての母の手を、心臓の上に置く」
とあるが、
母親に心臓の鼓動を感じさせようとしているのである。

しかし、別にまだ何も起こっていないのに、
ここまで熱くなる音楽って何?という感じもする。
これは誠実、不誠実、義務、責任、
渾然一体となって悩ましい。

Track6.
いよいよ、いろんな登場人物が出てくるが、
この部分も、甘美なメロディが見え隠れする。
こうしたもったいぶった感じも重要である。

「アミーナは、お祝いの準備を
手伝ってくれたアレッシオに感謝し、
リーザと早く結婚すればいいのにと言う。
これを聴いてリーザはぞっとする。
公証人とエルヴィーノが現れる。」

Track7.
「エルヴィーノは遅刻を詫びる。
彼は母親の墓を訪れ、
祝福してもらいたかったのである。
婚約の契約はサインされ、立ち会いも終わった。」

Track8.
「エルヴィーノは指輪をアミーナの指にはめる。」
ここは、エルヴィーノ役のヴァレッティが、
美声を聴かせる部分であるが、
最後の方に、所々、アミーナとの掛け合いがあって、
非常にしみじみした感情をかき立てて行く。
「恋人よ、これまで、
今日以上に、神が私たちの心を、
結びつけたことはありません。
私の心はあなたの中に留まり、
あなたのは、私から離れることはない。」

非常に敬虔な感じのものである。

Track9.
「二人は二人の愛と幸福を歌う」
とあるが、この部分、まだまだ、
恋人の恍惚状態は続くが、
軽妙な楽想になって、
エルヴィーノの高らかな声が印象に残る。

このあたりまでが、まず、一回めの、
音楽盛り上げ部分であろう。

Track10.
「彼は、明日、結婚式を行うとアナウンスする。
祝典は、ムチの音と馬たちの音で、中断される。」
何だか、状況が変わる予感に満ちて、
オーケストラが落ち着きない。

Track11.
「それは、村人が知らない、
しかし、実は、領主ロドルフォ郷である、
ハンサムな若者の到着の前触れである。」
とあるように、舞台はざわざわして、
格好良いバスが響き渡る。

それに続いて、おきゃんなリーザの声が、
からみつくように聞こえて来る。

「彼は、幼い頃、行方不明となり、
死んだものと思われていた。
彼が、城からどれだけ遠くに来たかを知り、
直に暗くなって危ないから、
一晩だけ、村に泊まって行けばとアドバイスする。」

さすが旅館のオーナーである。
イケメン出現に抜け目ない。

「この人は誰だろうと思う村人は、
彼が、この回りの様子の
記憶があるようなのを見て驚く。」

「ああ、水車屋、川の流れ、ああ森よ
農家が近くにあって」と、
感慨深げなロドルフォの歌唱に、
リズムを刻む合唱が入って効果を上げている。
Track11の途中だが、拍手が入る。

「彼は何のお祭りかと聴き、
アミーナについて聴くと、
その美しさを称賛し、
リーザやエルヴィーノをやきもきさせる。」

さらに軽妙なロドルフォの歌が、
情熱的に高まると、
途端に他の人たちの騒ぎが始まる。
オーケストラも美しく状況を彩っている。
再び小クライマックスである。

Track12.
エルヴィーノが、この村を知ってるのか、
とロドルフォに尋ねる。

「エルヴィーノの質問に、
彼は、この近くの城に住んだことがあると言う。
テレサは4年前に領主が死んだこと、
息子のような相続人もいないことを告げる。」

ロドルフォの正体について、
ちょっと緊迫した雰囲気が高まる。

遠くでホルンが鳴る。

Track13.
その緊張感をなだめるような、
ピッチカートの音楽になり、
合唱が主体となる。
心優しい村人の忠告にふさわしい。

「夜になると、目をぎらつかせ、
白衣で髪をなびかせた幽霊が出る様子を、
よそから来た男に告げる。
しかし、ロドルフォはそんなものは信じない。」

このあたり、完全にロドルフォのためのシーンである。
主役のカップルは影が薄い。

Track14.
「彼は、そんなものがいないと分かる時が来る、
と予言する。
リーザについて行く前に、ロドルフォは再度、
アミーナを賛美する。」

Track15.
そんなことをするから、なさけない二人の、
痴話喧嘩のレチタティーボとなる。
「よそ者の言葉にアミーナが嬉しそうだと、
エルヴィーノはとがめるが、
アミーナはそれは単なる嫉妬だと言う。」

Track16.
そんなやりとりから、許して頂戴のアリアとなる。
エルヴィーノの声に、アミーナの声が続き、
「もう疑いはない、恐れもない、ああ、私の愛」
と、おのろけを、大声で唱和する。

カラスは強烈に声を張り上げ、
テノールも負けじと興奮した後は、
次第に夕闇が深くなるのであろうか。
次第に収まる興奮に、そんな雰囲気がみなぎっている。
「眠りながらも、あなたを見ている。」
と大騒ぎして、それぞれの家路に着く。

拍手がわき起こるが、あほなシーンと言えよう。

第二場:
旅館の一室。
「背景にフランス風の窓。一方にドア、
もう一方に別室。
小さなテーブルとソファ。
最初はロドルフォ一人だが、リーザが入って来る。」

Track17.
じゃーんと鳴って、楽しげなメロディ。
いかにも、寛いだ雰囲気である。

「ロドルフォは村での滞在に満足している。
若い村娘は魅力的だし、旅館のオーナーもグーだぜ。
リーザは、自分も村人も、彼の正体が分かったという。」

ロドルフォが独り言を言っていると、
にちゃにちゃ気味のリーザの声が聞こえて来る。

「彼のいらだちは、リーザが、これまでにない、
ご機嫌取りをして和らぐ。」

「きれいだね。」
「お戯れを。」
などとやっている。

「彼等は突然の騒音に妨げられ、
リーザは逃げる時に、スカーフを落とす。
ロドルフォはそれを拾って、
うっかりベッドの上に投げる。
白衣の人物が現れ、窓を開ける。」

えらい不気味なシーンである。

しかし、歌詞のところには、
ロドルフォが窓を開け、
アミーナが夢遊病状態で入って来る、
とある。

Track18:
「最初、ロドルフォはそれを幽霊と間違えるが、
すぐに、村のきれいな姉ちゃんと知る。」

「エルヴィーノ、エルヴィーノ、
何故、答えてくれないの?」
とアミーナは完全にヤバい状態である。
カラスは上手い具合に、夢うつつの声を出している。

「彼女はゆっくりと部屋に入って来て、
エルヴィーノの名前を呼ぶ。
ロドルフォはすぐに、彼女が夢遊病状態で、
何をしているか分からないことを悟る。
彼女は、エルヴィーノの嫉妬と和解を語る。
まず、エルヴィーノはラッキー、と思うが、
さっと別の部屋から出て来て、
部屋を出て行くリーザに見られてしまう。」

Track19.
「ロドルフォはアミーナに近づくが、
来るべき婚礼を楽しみにするアミーナに、
良心がくすぐられる。」

と書かれているように、
ここでは、カラスによる
しみじみとした歌が叙情的である。

「アミーナが狼狽しないように、
また、誘惑に対する彼の自制に自信がなくなり、
彼は、その場を去ろうとする。
村人が近づいて来るのを察して、
彼は窓から逃げ、出てからそれを閉める
アミーナはなおも眠っていて、ベッドに倒れる。」

Track20.
「村人は、伯爵の暗い部屋で、
彼らは、必然の結論に達し、
慎重に引き下がると決める。」

小声でささやくような合唱が、
ちょんちょんちょんという控えめなオーケストラと
闇の中での出来事を表す。

Track21.
「彼等は、事を信用しない
エルヴィーノを伴ったリーザに止められる。
しかし、彼は証拠を否定することが出来ない。
アミーナはベッドに横たわっていた。
この騒ぎは寝ていた女を起こし、
彼女は、エルヴィーノの非難と、
自分が旅館にいることに対して混乱する。」

ものすごい混乱が少し収まったところで、
ぷつっと音が止んでしまう。
アミーナは、「何があったの、ああ、何てこと」
と言いかけた状態。

以上が、CD1に含まれる部分である。

あと少しで第一幕は終わるが、それは、
CD2に回されている。
曲が始まって、すでに75分も経過しているので、
この措置もやむを得ない。

CD2:
Track1.
「私の心、私の言葉、私に何も罪はない」、
前の部分の静寂から、情けない声で歌い出される、
アミーナの声に、怒りと嘆きを表す、
エルヴィーノの声が重なる。
この部分の音楽も、実にメロディが美しい。
管弦楽もヒステリックなまでに歌い上げられており、
バーンスタインの何とも言えぬ表情までが、
そこに見えるようである。
一幕も終わりに向かい、聴衆の気持ちも、
否応なく高ぶらされる。

「エルヴィーノと村人は、
アミーナの母親を除いて、
眼前の光景を額面通りに受けとめる。
彼女は、ベッドからスカーフを取り上げて、
慰めるように、アミーナの首の回りにかける。
リーザのものであって、娘のものであるとは気づかすに。」

Track2.
「アミーナはとがめられ、婚礼は取り消しとなる。
かわいそうな娘は、何も出来ずに、母親の腕の中で泣くばかり。」

すごい盛り上がりになるが、絶叫のような声ばかりで、
うんざりである。
これだから、ベルカント・オペラは嫌だな、
という感じがするが、まあ、それを除けば、
非常に良くできた作品である。

合唱、独唱、二重唱がうまく配置されて、
盛り上がるように計算されている。

第二幕は、次回に回すとしよう。
一幕だけでも、心に残るメロディが、いくつもあって、
名作とされるゆえんを納得した次第である。

得られた事:「オペラ作曲家は、『夢遊病の女』第1幕、第1場のように、何も起こっていない状況でも、無理矢理、クライマックスを築く才能が必要である。」
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by franz310 | 2010-11-27 22:43 | 古典
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