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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その251

b0083728_22582149.jpg個人的経験:
前回、グリンカが、
ドニゼッティの歌劇の主題によって、
セレナードと題する室内楽を
書いている事を取り上げたが、
ドニゼッティの出世作となった、
このオペラについて、
今回、改めて向かい会うことにした。
シューベルトの特集ブログであるが、
イタリアの「ベル・カント」にまで、
話が発展するとは思っていなかった。


しかし、ドニゼッティは、シューベルトと、
まったく同じ年の生まれであるから、
何らかの共通した時代の空気がありかもしれない。
などと期待したりもする。

そもそも、シューベルトの師匠は、
イタリア人のサリエーリであるし、
そのせいか、最初の傑作とされ、
音楽史の重要な一こまとなっている、
ドイツ歌曲、糸を紡ぐグレートヒェンですら、
ベル・カントの影響があると言う。

さらに、シューベルトはロッシーニに心酔して、
イタリア風の作品を集中的に書いた時期もあった。

ドニゼッティは、ロッシーニやベッリーニと並んで、
当時のイタリア歌劇をリードした人であるから、
無視するわけにはいかないのだが、
今回、カラスがタイトル・ロールを歌ったCD解説を読んで、
ますます、そんな気持ちを新たにした。

ドニゼッティは、しかし、「愛の妙薬」や、
「ランメルモールのルチア」ばかりが演奏されていて、
その他の作品はあまり話題になることがない。

これらは、シューベルトの死後の作品であって、
シューベルトが聴くことはなかったが、
ドニゼッティの最初の成功作と言われる、
今回の「アンナ・ボレーナ」もまた、
シューベルトの死後の2年しての作品であった。

この作品、当時は決定的な成功を収めたようだが、
第二次大戦後まで、軽視されていて、
カラスらの演奏によって、
真価が認められたということが、
このEMIのCD解説に書かれている。

J.B.Steaneという人が1993年に書いた文章である。
「今世紀」と書いているのは、20世紀のことである。
題して、「カラスと『アンナ・ボレーナ』」とある。
私は、むしろ、「ドニゼッティと『アンナ・ボレーナ』」の方が、
欲を言えば、「グリンカと『アンナ・ボレーナ』」や、
今回の流れからして嬉しいのだが、
様々な事が、これはこれで想起される。

「『成功、勝利、興奮。
聴衆は気が狂ったかのようだ。
皆が、これほどまでに完璧な勝利はなかった、
と言っている。』
1830年12月26日の
『アンナ・ボレーナ』初演の後、
ドニゼッティが家族に書き送った言葉である。
ヒロインの役は、ジュディッタ・パスタによって歌われ、
この驚異のソプラノは、翌年の同じ日には、
最初のノルマになり、
1831年の初めには、『夢遊病の女』の初演で、
アミーナを歌い、
1833年には『テンダのベアトリーチェ』の役を
創造した。
マリア・カラスは、まさしく『時代の申し子』で、
いかなる意味でもパスタの後継者であったが、
創造者としては、新しい役割を演じたわけではなかった。
基本的に、彼女の役割は偉大な『再創造者』であった。」

おそらく、ジュディッタ・パスタは、
これらドニゼッティやベッリーニが、
歌劇を作曲する際にインスピレーションを、
与えたということを言っているのだろう。
カラスに触発されて書かれたオペラはないのかもしれない。

事実、パスタはベッリーニの恋人だったとされ、
彼女のために「ノルマ」が生まれたという話は良く聞く。
このパスタ、シューベルトと同年、
1797年生まれだったようだが、
シューベルト存命中に話題になることはなかったのだろうか。

さて、解説は、こうした大成功したオペラのその後の運命を記す。
「我々はこれら、
ロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティの
いわゆるベル・カント・オペラを思う時、
偉大なプリマドンナ、
メルバ、テトラツィーニ、ガリ・クルチらがいた
今世紀の初めには人気を失っていたことを思い出す。
あるオペラは復活していたが、
選ばれたソプラノの能力を示すための手段としての、
まがい物以上のものを、評論家は、そこに見ていなかった。
トティ・デル・モンテやリリー・ポンスのような歌手は、
これらのオペラを演目にしていた。
(主に、『ルチア』と『連隊の娘』)
そして、第二次大戦の終わり頃までに、
それらも壊滅してしまったように見えた。」

私は、これまで、「ベルカント」に、
余り親しみを覚えていなかったが、
何と、20世紀初頭からの先入観を引きずっていたわけだ。

確かに、シューベルトの伝記などを読んでも、
ベルカントに影響された、などという話は、
あまり出てこない。
シューベルトの天才が、
ドイツ芸術歌曲を生み出したのであって、
ベルカントの影響などあってはならなかったのだ。
しかし、グレアム・ジョンスンなどが、
ようやく、そのあたりを正す解説を書くようになっている。

あと、こうした軽視は、私は日本特有かと思っていたが、
これを読むと、本国イタリアでも、
同様の状態だったことが分かった。

その後、ドイツの器楽音楽が、
主流と見なされるようになったので、
イタリアの歌劇の声任せ、
ずんちゃっちゃの伴奏オーケストラは、
何となく、安っぽい手抜き作業に思えたのであった。

が、こうした偏見も、見直される時代となる。

「しかし、この時代こそが、それらを聴きたいと思い、
その価値を自分たちの価値で検証したいと思う、
新しい世代が登場した。
彼等はラッキーだった。
まず、嗜好は変わって来ていたし、
すでにこれらのオペラが、
オールド・ファッションと思われる時代から、
ただ、古くて貴重と考えられる時代になったからである。
さらに、そこにこれらの作品復活に注力する、
影響力ある音楽家がいた。
指揮者のトゥリオ・セラフィンがとりわけ重要だった。
声楽ルネサンスの注目点は、
理想の『新しいパスタ』となる、
歌手を探すことが先決だった。
1940年代中盤にも、これにぴったりのある歌手がいたが、
もっぱら彼女の役は、イゾルデとトゥーランドットだった。
1947年、彼女は、セラフィンと会い、
このイゾルデを、驚いたことにベッリーニに向かわせたのである。
1949年、彼女は『清教徒』で登場し、ローマを驚愕させ、
パルシファルでも、驚かせた。
その後すぐ、音楽界は、彼女を話題にし始めた。」

原曲のオペラ自体がこんな状況なので、
それを編曲したグリンカの室内楽が、
これまで有名だった訳はない、
という感じがしてきた。

「『アンナ・ボレーナ』は、1957年に、
彼女のレパートリーになった。
彼女の『清教徒』は、『ノルマ』に続いたが、
これは最高の難易度のもので、
これにカラスは最も注力することになる。
1952年、フィレンツェで、
『清教徒』とロッシーニの『アルミーダ』を、
比類なき華麗な技術を劇的な力と結びつけた。
『ルチア』はさらなる新発見となり、
『夢遊病の女』が続いた。
1956年、スカラ座にて『セリビアの理髪師』で、
意外にも喜歌劇にも参入し、
これに対して翌年には、『アンナ・ボレーナ』が出し物となったが、
この注目すべき、『ベルカント』復活の8作目となった。
これはもっとスタンダードな演目、
ヴェルディやプッチーニらのレパートリーの
と連携して進められた。
常勝カラスの素晴らしい名声の
サポートがあったとしても、
『アンナ・ボレーナ』を上演することは、
スカラ座側には、あまりに大胆な冒険に見えた。
これは、まったく忘れ去られた作品だったのだ。」

このように、多大な努力の甲斐があって初めて、
このオペラは上演されることになった。

グリンカが、「アンナ・ボレーナの主題による」
室内楽を書いていたとしても、
誰も聴きたいと思わなかったかもしれない。
ハープとピアノが夢想的な楽想を振りまく、
美しい作品なのに。

「パスタと彼女の後継者ギューリア・グリシ以降、
ほんのわずかなソプラノが上演するだけで、
このタイトル・ロールで特筆すべき成功はなかった。
ドニゼッティの故郷、ベルガモでリヴァイバルされたのは、
その前年で、そこでも知られておらず、
1957年の時点では埃まみれだった。
ニューヨークのメトロポリタンで、
カラスがリヴァイバルを試みた際、
ルドルフ・ビングは、
『退屈な古いオペラ』と却下した。
スカラ座もまた、同様の状況に直面した。
まず、念入りにヴィスコンティを、
プロデューサーに招いた。
そして、ヴィスコンティ、カラス、
指揮者のガヴァツェーニの主力3人は、
十分なリハーサル時間を確保することにし、
それぞれの持ち分を全体の中で明確にした。
ガヴァツェーニは、後に、それが、
『舞台と音楽、そして、
プロデューザーと指揮者の理想のコラボだと感じた
私の劇場における全キャリアの頂点』
と語っている。
音楽をアントニオ・トニーニと音楽を再検討した後、
カラスは20日にわたって稽古をした。
一方、ヴィスコンティは、
すべての音楽練習に同席して、
『舞台の性格は、すべて音楽から自然に決まった』
と自信を深めた。
カラスは歌手たちの中で、最も入念で、
歴史書を読んで、
アンナに関する勉強を始めた時の事を記載している。
しかし、彼女は賢明にも、
このオペラのヒロインは、
歴史上の人物と関係ないことを発見し、
音楽がすべてを十分説明していると考えるに到った。
この興業は大当たりし、
このシーズン、7つの公演が行われ、
翌年、5つが追加され、
この録音はその初演の時の記録である。」

私も、「ヘンリー八世」の勉強をしようかと思ったが、
カラスの確信によって、その時間を割かずに済んだ。
しかし、このような大きなプロジェクトによって、
ようやく復活した傑作の初演の記録、
ということで、皆が総力を挙げて取り組む姿勢に感動した。
こうした非常に貴重なCDだと、
今頃、ようやく知った次第である。

下記は、その絶賛の総まとめである。

「1957年6月の『オペラ・マガジン』のレポートでは、
デズモンド・シャウェ=タイラーが、
『この舞台は、スカラ座の最高を伝えた。
その統一、壮大さは、この長い夜を深く満足させるものだった』
と書いている。
序曲がなかったり、彼は、スコアのカットがあると考えたが、
これはむしろ機転が利いており、
おそらくCDのリスナーも同意するだろうが、
ガブリエラ・カートゥランによる、小さな愛すべき歌、
スメトンの第2節が省略されたのは残念である。
さらに彼は、オペラの初演時に、
ソプラノの役としてキャスティングされた以上に、
シミオナートは『立派なパフォーマンス』を見せたと考えた。
カラス自身については称賛に満ちていて、
最後のシーンでは、
『彼女の歌手として、悲劇女優としての力の頂点』
を見せたと書いている。
この録音は、その夜の歓喜と興奮を伝えて止まない。
カラスに関しては、実際、
我々は聴くだけでなく見ているような幻覚を感じる。
彼女の声は個性的で、性格的、
舞台上で合唱する時も離れて歌う時も、
その歌声を聞き取ることが出来る。
彼女の芸術は別格であって、
明らかに影響を受けた歌手によっても、
捕らえられなかった洗練があったが、
おそらく、それは、その一点に尽きる。
第2幕始めに、
ジョバンナとのデュエットの終わりにかけて、
アンナが独唱する『行きなさい、不幸な女』では、
全ての単語、全ての音符に表現を与えながら、
それでいて、フレーズの統一を失っていない。
これら全ての歌の基本となるレガートスタイルを壊さず、
陰影を与えている。
カラスの声と、演技の力、
それに彼女の歌唱上の様々な欠点もまた、
語り尽くされている。
すぐれた悲劇女優が、
しばしば素晴らしい歌手とマッチした、
最も完璧に近いものを、この演奏には見ることが出来る。」

気になるのは、いくつかのカットがある点とのことだが、
むしろ、私には、放送録音なのか、
意味不明のノイズが頻出する点が悩ましい。

が、こんな歴史的瞬間に立ち会えるのなら、
仕方ないかもしれない。

さて、では、この2枚組に耳を澄ませてみよう。
第1幕:
第一場、ウィンザー城の王妃の部屋の前:
Track1:
何らかの不穏な気配をみなぎらせた序奏に続き、
快活なリズムに乗って、合唱が始まる。
いかにも、オペラの始まり始まりという感じである。
夕方で、廷臣たちは、ヘンリー王が、
不幸な妃のもとを訪れなくなった事を心配している。

Track2:
お気に入りの侍女、ジョヴァンナが入って来て、
王の愛を得てしまった事や、
それを悔やんでいる点を大きな声で告白するが、
おそらく、これは、ここだけの話、である。

Track3:
アンナがやって来て、
お気に入りの音楽家、スメトンを呼ぶ。
歌の伴奏をさせるためである。

Track4:
ここは、スメトンの伴奏の、
美しいハープの音色が聴きものである。
彼は実は、こっそり王妃を愛している。
彼は、王妃の顔色が悪いのは、
昔の恋人を想っているのではないかと推測。
アンナは痛いところを突かれ、中断する。

ややこしい事に、スメトンは女性が担当するようだ。

Track5:
アンナは、オフレコで、その地位の儚さを歌う。

Track6:
もはや、彼女は王のことを期待しておらず、
ジョヴァンナを側に呼ぶ。

Track7:
これはグリンカも借用した、美しいカヴァティーナ。
アンナは王位などに目を眩まされてはならんと、
意味深な警告をしてジョヴァンナの心をかき乱す。
アンナは出ていき、廷臣は残る。
しばらく舞台には誰もいなくなる。
ジョヴァンナがこっそり現れる。

Track8:
緊迫感溢れるレチタティーボである。
彼女は、アンナがこの罪を知っているのではないかと悩む。

Track9:
一番の悪人、王様が隠し扉から登場である。
ヘンリー八世は、ここではエンリコとなっている。
これを最後にしましょうと、
ジョヴァンナがうろたえているのを見て、
王様は不機嫌になる。
恐ろしいことに、直にライヴァルはいなくなるよ、
と言うのである。

Track10:
ジョヴァンナは、今の関係が耐えられない、
と最近のTVドラマでもありそうな大騒ぎを、
高らかに歌い上げる。

Track11:
ここでも、王様の言い分は、
いかにも、男のいじいじを表して秀逸。
ジョヴァンナは、単に王位が好きなのであって、
自分が好きなのではないとすねる。
が、最後は、美しいデュエットで、
何となく良い雰囲気である。

Track12:
ここでは、ジョヴァンナは行く、
王様は行くなと押し問答。
彼は、まさしくこれがアンナの
トラブルの原因であったと暗示する。
アンナは自分に心をくれていないという。

Track13:
ジョヴァンナの良心の呵責が、
高らかに歌い上げられ、
王様がなんと言っても、
ジョヴァンナは憔悴するばかりで、
エンリコはドアから出ていってしまう。
その前に二重唱で盛り上がるので、
聴衆は盛り上がって大拍手である。
これで、第1場は終わる。
管弦楽も、テンションを高めて、
じゃーんと鳴り響いて終わる。

Track14、第2場:
ウィンザー城の公園。
この場面から、どんどん、ヤバい方向に、
物語は推移するが、王様の陰謀が働いているのである。

これまた、ピッチカートに木管が簡素ながら、
朝の公園の雰囲気を醸し出し、
いかにもオペラ的な彩色である。
じゃじゃーんじゃじゃーん、ぶーんぶーんと、
緊張感を高める効果もある。

王妃の兄のロチェフォート郷は、
かつての王妃の恋人でもあった友人のパーシイと、
公園でばったりと会う。
このパーシイは追放の身だったのに、
王の許しが出て、のこのこと喜んで来たのである。

Track15:
パーシイは、よほど理想肌なのであろう。
朗々と、追放の日々や失われた愛を嘆くアリアを歌う。
また、運命が悪事を正すように願う。

Track16:
かっこいい行進曲で、狩りの行進が近づいて来る。
かなり勇壮な場面である。

Track17:
パーシイは呑気に、早くアンナに会いたいな、
と歌い上げる。
拍手がわき起こる。
ライモンディが歌っている。

Track18:
狩りの一行が集まる。
エンリコ王は、何故にアンナが、
こんなに早く起き出しているかをいぶかる。
そして、最近、どうも不吉な思いが起こると言い、
さらにパーシイの姿に気づく。
パーシイは、王に敬意を表して近づく。

Track19:
王の手にキスしようとしたパーシイを振り払い、
今回の許しは王妃の取りなしによるものだと言う。
そして、パーシイは、これまた呑気に、
身震いしている王妃の前に跪くのである。

Track20:
やばい瞬間の五重唱である。
ピッチカートに木管が添えられただけの、
簡素なオーケストラ伴奏ながら、
声の密度、その織りなす綾は、
緊張感とドラマを孕んで美しい。

アンナとパーシイは、涙を流して感慨に耽る中、
王様は廷臣のハーベイに、奴らの様子を良く観察せよ、
と、まことにヤバい。
ハーベイはその通りに実行すると確約。
ロチェフォート郷は、さかんに警告している。

Track21:
王様はパーシイに、宮廷に顔を出すように言い、
狩りに出かけてしまう。

Track22:
王様の慈悲で始まる1日が祝福される。
ドニゼッティは、さすがドラマを盛り上げるのが上手く、
合唱も盛り上がって、第2場も、大拍手で終わる。
王様は、別の獲物がかかって喜んでいるのである。

Track23:第3場、王妃の部屋、控えの間。
ますますややこしいことに、
楽士のスメトンが、アンナの肖像画付きのロケットを持って、
うへうへしている。
彼はもの音を聞いて、影に隠れる。

Track24:
ここは管弦楽も風雲急を告げて勇ましく、
ロチェフォート郷が、アンナに、
パーシイに会ってやって欲しいと言っている。
アンナは、見張っていてくれるならと、
しぶしぶ承諾する。

Track25:
パーシイが現れ、アーンナ、リチャード、
とお互いを呼び合う。
パーシイはリチャードらしい。ややこしい。

アンナは後悔しており、
自分が求めた王冠は、今や、茨の冠になったと言う。
パーシイにとっては、アンナは自分が愛した頃の、
若い少女のままなので、何も言う前に、
アンナの苦悩は、パーシイの怒りを鎮めてしまう。
アンナは、王様が自分を疎んでいることを認める。

このあたりは、オーケストラは、じゃーん、とか、
じゃっじゃじゃじゃん、とかほとんど合いの手を入れているだけ。

Track26:
ここは、パーシイが高らかに歌う部分。
「昔愛したように、今も愛しているよ」
と現実離れした歌を歌う。

アンナの歌は、もっと切迫しているが、
結局は、憧れに満ちた色調を帯びる。

アンナは、パーシイに、
自分を愛しているなら、今の状況を考えて、
それを言ってくれるな、と言う。

当然の話である。
アンナはパーシイに、
危機が二人に及ぶことを思い出させ、
英国を去るように説得するが、
彼は、アンナのそばにいることのみを望む。

まことに、分別なしの馬鹿恋人たちである。
アンナが、自分の不幸を語ったりするからだ、
という気もしないでもない。

アンナは当然ながら、かたくなである。

Track27:
ここは、またまた、じゃじゃん、じゃじゃん、
じゃじゃじゃじゃじゃん、と風雲急を告げる管弦楽に、
錯乱した男女が大騒ぎを演ずる場面。

パーシイは、去る前に、もう一度、
会ってくれるかと願うが、アンナは駄目よと言う。

ここからが気違い沙汰だが、
パーシイはいきなり剣を抜いて、
自殺を図る。

さらに話をややこしくするかのように、
スメトンが、アンナを守ろうと飛び出して来る。
王妃は気を取り乱して失神。
その時、ロチェフォート郷は、
王様が近づいて来ることを告げる。

Track28:
エンリコが入って来て、
宮殿で剣を抜いている者を見て、怒り狂う。
当然、警備員を呼ぶ。
王様は、アンナと、
沈黙して立ちすくむパーシイ、
スメトン、ロチェフォートを見回し、
最悪の状況解釈をする。

ここでまた、とんでもないことが起こる。

スメトンは、突発的に、彼等の無実を弁護する。
証拠に死を命じて欲しいと願い、
ジャケットを引き裂くと、アンナの肖像画が落ちて、
王様の足下に転がる。
エンリコはそれをさっと拾い、
最悪の疑いを確信に変える。
アンナはようやく意識を取り戻す。

Track29:
彼女は王様の怒りに驚き、六重唱を始める。
しみじみとした、祈るような歌である。
何となく、ベルカント・オペラというのは、
金切り声を張り上げるだけのような印象があるが、
そのような事はなく、
人間感情のややこしい絡み合いのみが、
聞き取れる名場面である。

彼女は王様に責めないように乞うが、
王様は、目の前から消えろと言い、
別に死んでもいいぞと言う。
ロチェフォートとスメトンは、
彼女を破滅させた自分たちを恥じ、
その間、入って来たジョヴァンナは、
心乱され、罪の意識に苦しむ。

この人は、最も何も悪くない悪女役である。
しみじみと終わるせいか、
感動的な歌唱ながら、拍手はない。

Track30:
爆発するような場面で、王様がわめき散らす。
オーケストラは爆発音を繰り返し、
王妃は、今回は金切り声を張り上げる。

エンリコは、彼等を別々の牢に入れるよう命ずる。
彼女の弁解を彼はそっけなくはねのけ、
裁判官に言いたいことを言うように告げる。

Track31:
このややこしい関係の中で、
運命が決せられた事が歌われる
第1幕のフィナーレである。
最初の幕で、もうすべての運命は決まってしまう点が恐ろしい。
王様は、これで良いのだと決定。

最初は、何だか大団円のような楽しげな、
賑やかな合唱に面食らうが、
活発なオーケストラ伴奏と共に、
運命に翻弄された人たちの、
恐ろしい絶叫が続く。
録音の効果で、聴衆の拍手は、不自然に消える。

第2幕に関しては書くスペースがなくなった。

得られた事:「シューベルトと同時代のイタリア歌劇は、戦前まで軽視されていた。」
by franz310 | 2010-11-13 22:58 | 古典
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