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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その248

b0083728_1440399.jpg個人的経験:
ボロディン・トリオの
CDと言えば、
やはり本場物の先入観で、
ロシアのアレンスキーの
トリオの方を良く聴いた。
この作品は、
非常に甘美なもので、
表紙絵画の、
爛熟の花々は、
それらしくこの曲を表現している。


この絵画はしかし、スコットランドの
ナショナル・ギャラリーにある、
ガスパール・フェアブリュッヘンの
「果物と花」というもので、
17世紀オランダ絵画と思われ、
曲の文化的背景とは全く関係なさそうである。

このCDは、1986年6月に、
英国エセックスのLayer Marney教会でなされたという。

この時代、この作品の録音は、あまり多くなく、
その意味でも興味をそそるものであった。

併録されているのが、
グリンカの「悲愴トリオ」というのが、
また気になるではないか。

が、こちらは、あまり悲愴ではなく、
まったくもって、どこが悲愴か悩ましいものが、
それに関しては、解説にも書かれているので、
請うご期待。

「これら二つの作品は、
60年以上も時を隔てているとはいえ、
共にロシアの作曲家によるもので、
共にメロディの才能があり、
甘美な和声を愛し、
その熱狂を後継者に引き継がせた者たちであった。
偶然ながら、ロシアから遠く離れて客死しており、
アレンスキーはフィンランドで、
グリンカはベルリンで亡くなっている。」

という風に、このCD、
作曲家の組み合わせが、非常に苦しいもので、
ロシアの作曲家であるだけで、
1804年生まれのグリンカは、
アレンスキーが1961年に生まれる4年前の、
1857年に亡くなっており、
2世代以上の隔たりがある。

グリンカがシューベルトの同時代人であるのに対し、
アレンスキーは、マーラーの同時代人なのである。
しかし、グリンカは53歳、
アレンスキーは45歳で亡くなっており、
どちらも若くして亡くなった人である点は、
共通しており、
ここに収められた二曲も、
グリンカが28歳で作曲したものと、
アレンスキーが33歳で作曲したものであるから、
そういう意味では初々しい作品たちと言えよう。

まず、アレンスキーについてのお話が、
このCD解説では出てくるが、
この人は、チャイコフスキーとラフマニノフを、
繋ぐような役割であって、
そこから連想されるとおり、
非常に甘美な音楽を書いた人である。

「アレンスキーは、ペテルスブルク音楽院にて、
リムスキー=コルサコフに学んだこともあったとはいえ、
彼の音楽嗜好は、チャイコフスキーに似ており、
リムスキー=コルサコフを含む『五人組』の国民楽派と、
折衷的なアプローチをしたチャイコフスキーとバランスをとった、
モスクワ音楽院に近く、
ペテルスブルクで金メダルを取った後、
彼は、理論と作曲の教師としてここに赴任した。
彼自身の最も重要な弟子にはラフマニノフがいる。」

チャイコフスキーは、かなりブルジョワ的な仕事をしたし、
ラフマニノフは、ソ連政権を嫌って戻らなかった亡命貴族であったが、
それに連なって、アレンスキーは、ソ連時代、
あまり評価されなかったのではないだろうか。
これは憶測であるが。

このような憶測をしたのは、
下記のような、
演奏会で主要演目になりうるような大作を、
かなり多く書いているのに対し、
日本ではレコードに恵まれなかったからである。

1987年のクラシックレコード総目録でも、
アレンスキーの名前では、
エルマンが弾いた「セレナード」一曲しか出てこない。

「アレンスキーは3つのオペラ、2つの交響曲、
ピアノ協奏曲、シェークスピアの『テンペスト』への付随音楽、
多くの合唱曲、2つのピアノ三重奏曲を含む室内楽などがある。
ピアノ三重奏曲第1番は、
『五人組』結成者であるバラキレフが、
聖ペテルスブルク王室聖堂の音楽監督の
後継者にアレンスキーを任じた、
1894年に出版された。」

この他、ヴァイオリン協奏曲や、
弦楽四重奏曲、ピアノのための組曲などがあるようだ。
どれも私は聴いたことがない。
チャイコフスキーとラフマニノフに似ているなら、
そちらの有名な方を聴けば良いという心理が働くのであろうか。
いや、そもそも、録音自体、まだまだ少ないのである。

しかし、この三重奏曲は美しい。
「この三重奏曲は、5年前に亡くなっていた、
カール・ダヴィドフに霊感を受けている。
ダヴィドフは、ロシアのチェロ流派創始者、
チェロの名手で、この三重奏曲は、
彼が1876年から86年まで監督をつとめた、
1863年以来の聖ペテルスブルク音楽院での、
彼の業績の死後の証言となっている。
第1楽章は3つの主題からなり、
第1のものは劇的で、
第2のものは叙情的、第3のものは激しい。」

第1楽章の解説はこれだけであるが、
曲の冒頭から、劇的というか、
憂愁を秘めたメロディを、
たっぷりとヴァイオリンが奏で出す。
そこにチェロが絡んで来て、
ピアノの音色も深く美しい。

この主題を歌う時、ドゥビンスキーの胸は、
共感でいっぱいになっていたはずで、
彼には珍しく、望郷の歌のようなものが感じられる。

1986年と言えば、彼等が亡命してから10年、
このような形であれ、節目の年、
祖国を思う機会があったことは、
おそらく貴重な体験であったはずである。

しかし、名チェリスト、
ダヴィドフを偲ぶという楽想ではあろうが、
最初からチェロで歌わせてやれば良かったのに。
ダヴィドフは、
20世紀の名女流、デュプレが弾いていた楽器の名前ではないか。

叙情的とされる第2主題は、
遠くを力強く見やるような、
これまた美しいもの。
激しい第3主題は、
民族舞曲的なリズム感を持ち、
少し、心を高ぶらせるが、
すぐに、暗い情念に落ちていく。

とにかく、全編が、
ラフマニノフばりの泣き節であるから、
この曲を聴いて、
まったく感情が揺さぶられないでいる事は難しい。

「これに、『アレンスキーのワルツ』と呼ばれるものの、
一例のような陽気なスケルツォが来るが、
第1楽章のもの思いにふけったコーダから自然に続く。
このスケルツォは形式というより、
ムードの上のもので、本質は中心部のトリオのワルツにあり、
主部の明るいスケルツォと激しい対象をなし、
メンデルスゾーン風の繊細な色合いを持ち、
ピッチカートのパッセージのスパイスがきいている。」

この第2楽章は、ここに書かれているように、
メンデルスゾーン風に、妖精が飛び跳ねる楽しいもので、
中間部のワルツは、ピアノがじゃんじゃか打ち鳴らされて、
ゴージャスでさえある。

ちなみに、ダヴィドフは、メンデルスゾーンの
ピアノ三重奏曲を演奏によって世に出たとされるが、
こうした背景までは、作曲家も知っていたのだろうか。
ダヴィドフは、1838年生まれなので、
アレンスキーより23歳も年長である。

ただし、アレンスキーがペテルスブルクで学んだ、
1879年から82年といえば、
ダヴィドフが音楽院の院長を務めていた時期であり、
そうしたエピソードを聴く機会もあったのだろうか。

また、ダヴィドフは、それ以前、
ライプツィッヒにいて、
ゲヴァントハウスの独奏者になったり、
音楽院で教えたりしていたから、
メンデルスゾーンとは、
切っても切れない関係にあったのかもしれない。

「エレジーもまた中間部を持ち、
主部の弱音器付きのチェロと、
ヴァイオリンの会話と軽い対比がなされている。
この中間部ではピアノが暗い色調の点描風の伴奏を行い、
リラックスしたムードを醸し出して秀逸である。」

この第3楽章も濃厚にロマンティックで、
泣かせるメロディーが嫋々と歌われる。
この解説にあるように、
ヴァイオリンとチェロがもぞもぞやっている中を、
ピアノがちょんちょんとやって見たり、
泉のような分散和音をピアノが奏でる中を、
ヴァイオリンが瞑想的な歌を聴かせるなど、
中間部も独特で面白い。
これは、後で回想されるので忘れてはならない。

「終楽章は、劇的なロンドで、
二つの主題を持ち、一つは強く活発で、
第2のものは、二つの弦楽によってより優しい。
アンダンテのエピソードでは、
エレジーの中間部が回想され、
さらに第1楽章の最初の主題が現れ、
作品の統一感を出している。」

これは激しい音楽である。
ダヴィドフが51歳という若さで亡くなった事に対する、
理不尽さの現れであろうか。
それを慰めるような、二つの弦楽器の精妙な掛け合いが美しい。
そして、前楽章の泉のような楽想が現れる。
この水の流れに乗って、ダヴィドフの魂は運ばれていくのであろうか。

そして、再び、最初の嘆きの主題が出るあたり、
まさしく、この曲も、ロシアの伝統である、
「悲しみの三重奏曲」であると感じさせられる。

ユリウス・ベッキー著の
「世界の名チェリストたち」の、
ダヴィドフの項を読んで驚いた。
「チャイコフスキーは彼を『チェロの皇帝』と呼び、・・
ダヴィドフの特別の崇拝者の一人だった
アントン・アレンスキーは、
彼の想い出を素晴らしいピアノ三重奏曲に作曲した」
と明記されていたからである。
きっと、この曲は、例のメンデルスゾーンとの関係以上に、
秘められた意味があるのだろう。

ダヴィドフ自身、多くの作曲も残しているようなので、
それもまた興味があるが、今回は深追いしない。

さて、シューベルトと同時代人で、
ロシアの生んだ大作曲家としては、
グリンカを忘れるわけにはいかない。
しかし、グリンカはアレンスキー以上に、
私たちにとっては把握しにくい存在ではなかろうか。

ここでもかつて、
彼が書いたピアノ曲が含まれるCDを聴いたが、
まったくロシア的ではなかった。
これと同様の事は、このCDの作品でも言えるようで、
いきなり、それについての解説が始まる。

「グリンカのトリオは、
『五人組』の活動を通じて、
ロシア国民楽派の灯りを導いたバラキレフの、
初期の発展に重要な励ましを与えた、
『ロシア音楽の父』の作品と認める事は、容易ではない。」

ピアノ曲の場合も極めてサロン的で、
別にロシア的ではなかった。
ややこしい事に、夜想曲の創始者、
フィールドがロシアで活躍したために、
フィールドとグリンカのイメージがごっちゃになり、
フィールドから直接連想される繊細なショパンと、
のちに荒くれたちを排出するロシア音楽が相容れない雰囲気なので、
グリンカを無視したくなるのである。

しかも、それらは、散発的な現象であり、
まともに大曲になっているものがこれまた少ない。
オペラは有名だが、器楽曲となると、
アレンスキーと違って、交響曲も協奏曲もなく、
室内楽でも、初期のものがぱらぱらあるだけ。
いったい、この人は何なのだ、と言いたくなる。

ここに収められた、ピアノ三重奏は、
そうはいっても、日本では古くから、
オイストラッフの演奏で知られたもので、
このオイストラフのビクター盤には、
チェリストであり、ロシア音楽研究の第一人者であった、
井上頼豊氏が簡潔な解説を書いておられる。

「グリンカの室内楽作品は9曲あるが、
すべて初期の作品で、そのうち5曲までが、
イタリア留学中の作品である。
グリンカは1830年春、
イタリアへ出発し、3年をすごし、
その間に歌曲・変奏曲・室内楽曲を書きながら、
南国の陽気な旋律がロシア人とは合わないと感じはじめていた。
この「悲愴」は1832年9月から10月にかけて、
28歳のグリンカがスイス国境に近い
バレーゼで書き上げたもので、
原曲は、ピアノとクラリネットとファゴットのために書かれたが、
現在では管楽器のパートをヴァイオリンとチェロで受け持つほうが、
一般的になっている。
グリンカはこの曲の扉に、
『悲愴三重奏曲の断章。コモ湖畔にて』と書いているが、
まさにこの曲は4楽章だが多分に断片的で、
後年の病いの原因となった
<はげしい絶望感>に満ちている」
と書いているが、どこがはげしい絶望かは意味不明。

このシャンドスのCDにも、この「悲愴」のタイトルは、
かなり疑問視されている。
「ピアノ、クラリネット、バスーンのために書かれた、
オリジナル出版時、付けられたタイトルも変である。
ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための、
Hrimaldyによる編曲によって、
この作品はレパートリーに残ることになった。
この作品は、28歳のグリンカが、
健康上の理由でイタリアに滞在していた、
1832年に作曲され、
ミラノ音楽院の音楽監督と共に、
作曲に取り組んだことから、
ドニゼッティやベッリーニの影響下にあり、
医者によって、毎日、彼が胸部に塗る必要を命じた、
薬の臭いがする。
哀れな作曲家は、自伝に、
『私は、愛が運んでくる痛みによってのみ、
愛というものを知った』と書いたような環境下は、
基本的に朗らかで叙情的なこの作品が、
『悲愴』という見当外れなタイトルを、
持つ口実にするには十分であろう。」

難しい事を書いてくれている。
胸部に塗られる膏薬の臭いがする音楽とは、
いったい、どの部分を指すのであろう。

イタリアの作曲家からの影響は、井上氏も、
「ドニゼッティの影響も見えるが」と書いて認めているが、
「グリンカ特有のロシア的パトスが顕著である」と、
反対の結論で終わっている。

いったい、この曲は、「悲愴」なのかどうなのか。
「ロシア的パトス」はあるのかないのか。
そもそも、「グリンカ特有」というのが良く分からない。

さて、今回、CDの解説を見るとこうあるではないか。
「ロシア的パトス」はいいから、このイタリア的な官能を、
見つける方が楽しそうである。

「この作品は4楽章からなるが、
4つの関連する部分からなる、
1楽章の作品の性格を持つ。
それは、全編を通じ、グリンカが、
『小さなイタリアのベッドルーム、
窓を通じて、美しい月光が輝き、
そこには、美しいイタリアの少女が横たわっている。
彼女の黒い髪は、すべてではないが乱れ、
肩に、胸にと落ちかかっている。
彼女は素晴らしい。いやそれ以上だ。
彼女の全てが、その情熱と妖艶を確信させた』
と書いているような、
イタリアの温もりを想起させる。
彼の友人が、グリンカについて、
『彼は音楽を愛し、ペチコートを愛した』
と書いたとしても驚くには値しない。」

この曲は、一応、CD背面にあるように、
第1楽章、アレグロ・モデラート(5:55)
第2楽章、スケルツォ、ヴィヴァーシッシモ(3:53)
第3楽章、ラルゴ(5:48)
第4楽章、アレグロ・コン・スピリート(2:04)

やたら、終楽章が短く、
それに先立つラルゴが、
終楽章の3倍近くの長さになる点、
第2楽章にスケルツォが置かれ、外見的には、
ベートーヴェンの「第9」みたいだということが分かる。
が、そんな大がかりなものではない。

が、井上頼豊氏が言うように、
「断片」であるのだとしたら、
本来の構想は、もっと別にあったのかもしれない。
そもそも完成作として聴くべきかどうかも悩ましい。

私は、これらの解説を読んで、完全に混乱気味である。
イタリアの官能を聴くべきか、
ロシア的パトスを聴くべきか、
さっぱり分からなくなっている。

あるいは、イタリア的官能の中の、
ロシア的パトスを聴くべきなのだろうか。

「最初の3楽章は、中断なく演奏され、
フィナーレでは、すでに出てきた材料を利用した、
短いエピローグが付く。
アレグロ・モデラートにおいて、
主要主題は、最初から、
エネルギッシュで興奮しており、
叙情的な第2主題と対比されながら、
展開されるに連れ、情熱を増す。」

これはCD解説であるが、井上氏は、
こう書いて、いきなり「悲愴」的であると断言傾向。
「第1楽章は劇的な主題を中心に各楽器が激情的に高揚する。」

確かに叩き付けるようなヒステリックな主題で始まり、
第2主題は、その緊張を和らげるような、
なだらかなもの。

何だか、アリャビエフの
「ナイチンゲール」みたいな趣きもあって、
そこがロシア的パトスかな、
とも思うが、終始歌い続けるピアノなど、
フンメル風でもあり、
ロシア的というよりはるかにそちらに近い。

というか、発想そのものが、
ベートーヴェン的でなく、
フンメル的と言える。

フンメルのピアノ入り室内楽は一世を風靡したが、
元は、弦楽ではなく管楽を使っていた。
そういった意味でも、
もともと管楽器のために書かれたという、
このグリンカ作品との、関係は濃厚に見える。

「スケルツォ風のヴィヴァーチッシモは、
チェロによって導かれる、
美しいメロディのトリオを持つ。」

この楽章は、シューベルト風とも言える、
中間部のメロディが美しい。
これに関しては、井上氏は述べず、
こう書いている。
「第2楽章は第1楽章の要素を受けて、
旋律的で、比較的短い。」

この楽章の屈託のなさは、
まさにロシア的パトスからは遠く、
南国の香りの方が強い。

「イタリア風のカンティレーナは、
愛らしい『ラルゴ』(第3楽章)に明白で、
愛する追憶の、もの思いに沈んだ優雅さで終わる時、
主要主題がひらひらと舞う。」

この部分は、確かに美しく、
特に、シャンドス盤では、トゥロフスキーのチェロの、
朗々たる音色を堪能することが出来る。
必ずしもイタリア的かどうかは分からないが、
感情の充満した音楽で、オペラの一場面、
チェロとヴァイオリンが歌い交わす、
まさしく名場面にふさわしい内容である。

井上氏も、
「第3楽章はヴァイオリンと
チェロの比較的長い独白が美し」いと書いている。
完全に愛のデュエットであるが、
ここからは、膏薬の臭いやロシア的パトスは感じられない。
むしろ、かぐわしい夜の気配が濃厚である。

CD解説には、
「これら全ての着想は、
この作品を劇的勝利に導く拡張されたコーダまで、
フィナーレで強調される」とあるが、
風雲急を告げて、悩ましい愛のひとときが、
完全に破局に到った感じが「悲愴的」かもしれない。

井上氏の解説は、より直裁的で、
「第4楽章は短く、終曲というより全曲の結尾に近く、
第1楽章の楽想を変奏的に再現したものである」
と書いている。

こうやって、あれやこれやを考えつつ聴くと、
ロシアかイタリアか知らんが、
中間の2楽章は、
快活で幸福感に満ち、愛の気配が充満しているが、
最後に、過去のものとして崩れ去る音楽として、
「悲愴」というより、「悲劇的」である。
第1楽章は、それを回想する時の痛々しい音楽である。

これは、標題音楽として聴くと、
かなり納得できる音楽かもしれない。

同年代に奇しくも、ベルリオーズがいるが、
彼が、音楽で失恋を描いたように、
この三重奏曲も、第1楽章を「夢と情熱」と呼び、
終楽章を、「断頭台」と呼んでも良さそうだ。

ただし、ベルリオーズと違うのは、
グリンカは、心から、イタリア留学を楽しんだようで、
中間2楽章が幸福感に満ちている点であろう。

シャンドスのボロディン・トリオの演奏は、
しかし、幾分、この不思議な音楽に戸惑いを覚えているようだ。
何となく統一感が不足し、散漫な印象を受けた。
各部は、感情の起伏のまま、
細部まで表現され、十分に歌われてもいるが、
この解説の影響で、何が何だかわからなくなったのか、
ひたむきさが不足する。

b0083728_1441742.jpg一方、昔、ビクターから出ていた
オイストラフ・トリオ盤は、
ハイドンのホ長調のトリオと一緒に、
A面に、このトリオが詰め込まれ、
B面はスメタナの
ピアノ三重奏曲が入っているという、
贅沢収録LPであった。
こちらの表現は、
ボロディン・トリオとは異なり、
一気に駆け抜ける感じ。
これなら「悲愴」っぽい感じになる。


もともと何年の録音かは分からない。
しかし、この3人の巨匠を集めながら、
ジャケット写真はオイストラフだけ。


モノーラルではあるが、今回、聞き直してみて、
音に不満はなく、非常に美しい演奏だと思った。

曲の性格ゆえに、オイストラフやクヌシェヴィツキーより、
オボーリンのピアノの落ち着いた美しさに耳を奪われた。
しかも、シャンドス盤よりひたむきな感じで、
全曲を15分半で弾ききっている。

特に第1楽章の推進力は、
焦燥感を感じさせて迷いなく、
これなら「ロシア的パトス」と呼ばれても
おかしくはない、という印象。

ただし、第2楽章は素っ気なく、
第3楽章のラルゴも香気よりも内省的で、
クヌシェヴィツキーのチェロ独奏も妙に厳しく、
オボーリンのピアノは沈潜して、暗い情念をたぎらせる。
ただし、一気に弾ききっているので、
何だか騙されたような感じがしないでもない。

CD解説にあるような、
なまめかしい留学の日々を聴くなら、
冒頭の絶叫からして、
ボロディン・トリオの方がそれらしく聞こえる。

この聞き比べ、同じ曲でありながら、
かなり違う印象を与える内容となっていて興味深かった。
「悲愴」的に聞きたいならオイストラフ盤だし、
青春の追想を味わうにはボロディン盤だ。

得られた事:「グリンカの『悲愴三重奏曲』は、フンメル的という意味で、『ます』の五重奏曲の兄弟かもしれない。」
by franz310 | 2010-10-24 14:37 | 音楽
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