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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その247

b0083728_9341100.jpg個人的経験:
ボロディン四重奏団の、
名誉あるリーダーでありながら、
仲間を見捨てて亡命した、
ヴァイオリニストの
ドゥビンスキーは、
新天地でピアニストの妻と、
ピアノ・トリオを結成したが、
彼等はすぐに、シャンドスに
シューベルトを録音して、
好評を博した。


b0083728_9143098.jpg例えば、
早く録音された「第2」は、
1981年6月11日、12日に
ロンドンで録音されたとされ、
彼等が得意としていた
ショスタコーヴィチよりも、
2年も先の仕事なのである。
これは、湖面のきらめきを
写した表紙写真の、
抽象的な美しさでも、
印象に残るもの。


こちらのCDブックレットの終わりの方には、
「コンパクトディスクにおける、
シャンドスのスペシャル・サウンド」
と書かれたカタログがあるが、
ブライアン・トムソンによるバックスの交響曲第4番、
「11月の森」などの交響詩集など、
私が、夢中になった初期のCDや、
アレクサンダー・ギブソンの、
シベリウスやチャイコフスキーなど、
そういえば、そんなのもあったなあ、
というCDが1ダースほど列挙されている。
(LP&Cassette)と並記があるのが泣ける。

これらの録音は、とにかく録音が良いので知られ、
演奏はどのような評価であったかは忘れてしまったが、
まだ、LPとCDが一緒に出るような時代に、
私は、このトリオの「第2番作品100」を購入した。
ひょっとすると、他にCDがなかっただけかもしれない。

当時、シャンドスは新興レーベルとして、
脚光を浴びており、その録音の良さと、
日本的とは言えぬ、ヨーロッパの雰囲気を伝える選曲などで、
強い印象を放っていた。
が、購入したシューベルト、
あまり、これといった印象はなかった。

今回、このボロディン・トリオを聞くにあたり、
ボロディン四重奏団のオリジナルメンバーとしての、
ドゥビンスキーから味わって来たが、
トリオを始めてすぐの時代の彼の演奏はどんな感じだったのだろうか。

ここでは、表紙写真に、
ずらりとトリオのメンバーが揃った、
第1番のCDを取り上げてみよう。
このCDは、「第2」の翌年、
1982年6月2日と3日に、
やはりロンドンで録音されており、
この時代、彼等は初夏になると、
ロンドンでシューベルトを
演奏したい気分になったと見える。

もちろん、シャンドスの思惑があっただろうが。

私の持っているCDには、
日本フォノグラムが輸入・販売した時の
日本語解説が挿入されている。

しかし、これは、英文解説にある、
Jean Wentworth氏の解説を訳したものではなく、
日本を代表した大家、
志鳥栄八郎氏が新たに書いたものとなっている。

英文の方は、ボロディン・トリオなんか知らん、
という感じだが、志鳥氏は、
最初からボロディン・トリオの、
各メンバー、ドゥビンスキー、エドリーナ、
そしてトゥロフスキーを順次紹介し、
「腕達者な連中の集まりだけに、
その息の合ったアンサンブルは、
驚くべきものだ」と、
いつもの激賞をしている。
「腕達者な連中だけに」という表現は、
妙に心に残るフレーズではないか。

女性のエドリーナまで、乱暴にひっくるめて、
「連中」と言ってしまうあたり、
さすが大家の筆遣いである。

さて、その後、
「明るく透明なヴァイオリン、
中低音をしっかりと支えるチェロ、
まろやかで、しかも、生鮮な表情をもったピアノ、
これらが一体となって、
活きいきとした音楽を作り上げている」
と、やや具体的になるが、
ピアノ以外はその楽器の特徴を言ったにすぎない。

「みずみずしい表情で、うたい、
かつ流している。これは、心のなごむ演奏である」
と締めくくっているが、
これまで聴いて来たボロディン四重奏団のイメージは、
冷徹な精密機械みたいな部分もあり、
本当だろうか、と首を傾げたくなった。

こうなったら、どっちが本当だ?
と疑問も湧いて、鑑賞意欲も湧いて来る。
さすが、志鳥先生、ついつい乗せられてしまう、
名解説である。

また、この曲については、
この作曲家の「超人的な創作力」、
62曲にものぼる室内楽が、歌曲に次いで重要だということ、
ハイドン、モーツァルトのピアノ三重奏から離れ、
ベートーヴェンが、
「この分野で、最初に決定的な勝利を収め」
それにシューベルトが続いたと、
音楽史的な位置づけも押さえてある。

かなり力の入った解説になっている。

この曲自体についても、
シューマンの賛辞も織り込みながら、
各楽章を「千変万化するハーモニー」、「夢見心地」、
「ウィーン生まれのシューベルトらしい屈託のなさ」、
「曲の組み立て方や転調のしかたなどいかにもシューベルト的」
とかなり詳しく書いている。

まさしく、レコード解説の模範である。
ただ、この手のものは、ここ半世紀くらい、
繰り返されているものが多く、
どのCDを買っても同じのを読まされる、
という情けない事態にもなりがちなのが問題であろう。

では、シャンドスのCDの、
元の英文解説はどうなっているのだろうか。

「この変ロ長調のトリオは、
スタイルからだけでなく、まさしくその存在そのものが、
精神世界から吹き寄せて来たものにも見える。」

と、いきなり文学的で、高尚な気配がする解説である。
平易な表現で、庶民にやさしい志鳥先生とは正反対である。

「事実上、シューベルトの生前には、
その存在が知られていなかったのに、
1831年に作品99としてディアベリのリストに現れ、
さらに超然とした作品100が有名になって8年後、
1836年に出版された。」

この手のややこしい言い回しも、
この解説のありがたさを増幅させる。

ちなみに、第2番作品100は、
1828年に、すでに有名だったかと思い描くと、
そういえば、出版には手間取ったとはいえ、
シューベルト死の年の自作演奏会で、
取り上げられていたのだった。

「現在では、もちろん、それは、
祝福された『ます』の五重奏曲を除く、
すべての室内楽を人気の上でしのぎ、
そこには、シューマンが大ハ長調交響曲について書いた、
素晴らしい一節、『永遠の若さの種子』がある。」

このように、何にでも当てはまる表現の羅列だとしたら、
志鳥先生の解説と何ら、変わるものではない。
文学的なだけ、読みにくい弊害が気になって来る。

「作品99の開始部は、
落ち着きのある自制と、
あふれ出る無限の喜びの特別な融合である。
ピアノをベースとした、大きな付点リズムが、
主題のほとばしりを完璧に引き立てており、
弦楽のはるか高音で、鍵盤にメロディが聞こえると、
三連符や、16分音符の流れがはしゃぎ、
まさに創造の喜びに興奮を覚えずにはいられない。」

確かに第1主題の前半では、
ピアノの歩みが悠然としており、
後半では、高音でぺちゃくちゃと騒ぎ立てる。

このような分析と主観が交錯する文章は、
私は、決して嫌いではないが、
非常に疲れる文章であることは確か。

志鳥先生は、このあたりを、
「序奏なしに、明るく生気にあふれた第1主題が、
ヴァイオリンとチェロのユニゾンで現れ、
ピアノがそれに伴奏をつけてはじまる。」
と書いているが、
こちらの方がはるかに分かりやすい一方で、
この人は、この曲に、どう向き合っているのだろう、
という意味では、かなり意味不明である。

音楽を言葉に置き換えるのが、
いかに難しいかを考えさせられる。

ボロディン・トリオの演奏は、
ボロディン四重奏団のオリジナルメンバーの演奏と同様、
熱い共感はあるのだろうが、
極めて鋭い音によるかっちりした演奏である。

このCDの表紙写真を改めて見て欲しい。
ドゥビンスキーの、まっすぐこちらを見据えた、
素晴らしい視線。
この視線のように、びしっと決める美学が、
この演奏にも感じられる。

それを考えた後、このエドリーナ女史の、
自信に溢れた微笑みを見ると、
何と、これまた、この演奏の含蓄を伝えていることだろう。

トゥロフスキーの表情は、
この夫婦の前では力に不足するが、
この温厚なまなざしのとおり、
まったく過不足なく演奏を引き立てている。

「第2主題の穏やかな愛らしさに優しくチェロが歌う、
典型的にシューベルトらしい持続音まで、
三連符と付点リズムは、
興奮した経過句でさらに目立って活躍する。
その静かなメロディの跳躍は、
いくつかの変容を経て魔法のように引き延ばされ、
半音階的な変容を前に、
再びチェロが提示部の終わりを告げる。」

この提示部の終わりを告げる時のチェロは、
かなり幻想的な色調になっている。

このように英文解説が書くところを、
志鳥先生は、
「チェロが、美しい生鮮な表情の第2主題をうたい出し、
すぐにヴァイオリンがこれに加わる。
この主題は、さらにピアノによって受けつがれ、発展する。」
と書いている。
著者が、この曲にのめり込む度合いは、
やはり、原文の方に分がある。

さすが、この一曲だけでCDを埋めてしまうだけあって、
提示部が繰り返されて、
しかし、きりりとした演奏であるがゆえに、
くどさが感じられないのはさすがだ。
言い方を変えれば、やせた音のデッサンが鋭く、
ぐいぐい突き刺さって来るという感じ。

「みずみずしい表情で、うたい、
かつ流している。これは、心のなごむ演奏である」
と書いた志鳥先生には悪いが、
この演奏は、かなり厳しいもので、
心が和むという類のものではないだろう。

「いくらか力ずくの『グランドマナー』の開始ながら、
展開部は、ピアノがフォルテを繰り返す上を、
シューベルトが書いたものの中で最高の感情表現である、
愛らしい弧を描き下降する第2主題の変形に向かう。」

最高の感情表現かは分からないが、
ものすごい迫力で力がせめぎ合う部分。
演奏も息をつかせない。

グランドマナーと書かれているが、
この演奏、かなり音楽を大きく描いていて、
非常に雄大な印象を受ける。
このスケール感は、緩急自在な、
リズムや節回しによっているものと思われる。
基本は、前へ前へと進むリズム感ながら、
ここぞという所では、
音をたっぷりと伸ばし、作品を堪能させてくれる。

「ついには、再現部を予告する、
優美な4小節のフレーズに解放される。
巧妙な転調、痛快なリタルダンドは、
単なる繰り返しではなく、
主音の変ロのメイン主題をピアノが取り上げ、
大きなクライマックスの後、
すべてのものが静止し、ためらい、
魔法のような16分音符のさざ波の中で、
終結の7小節に飛び込む、
最後の変容の瞬間が来る。」

ここは、読んでいて、何のことか分からないと思ったが、
第1主題のメロディが停止寸前まで引き延ばされることを、
書いたものに相違ない。

再現部では、ヴァイオリンもチェロも、
さりげない、しゃれた表情を少しずつつけて愛らしいが、
あくまでも作品への向かい方はストイックで、
身が引き締まる演奏である。

「私の気に入っているお話は、
ジュリアード音楽院の校長、
Irwin Freundlichの晩年に関するもので、
彼は、学生が世界で最も美しい曲を演奏する、
と笑いながら言ったことだ。」

唐突に、解説者の回想が入って、第2楽章の話になるが、
このような話を書きたくなるほど、
この楽章は美しいということだろう。

志鳥先生も、
「この楽章は、全曲中最も半音階的な動きに満ちており、
そこはかとない夕暮れの情緒のようなものが感じられる。
シューマンが述べているように、
『人間的な美しい感情が豊かに波打っ』た、
シューベルトならではのすばらしい音楽である」
と激賞している。
その点は同じだ。

オリジナルの解説に戻る。
「彼が言ったのは、
『即興曲』作品142変ロの事だったが、
その誇張は、作品100のトリオの緩徐楽章主題、
または、この編成で唯一、単独で残された成熟作品で、
ほとんど静止してメロディとも言えないような、
神々しい『ノットゥルノ』の主題まで、
その他多くのシューベルトの主題に当てはめることができる。
事実、この変ホの『アンダンテ・ウン・ポコ・モッソ』は、
そのまどろみ揺れる8分音符、
その単純すぎる2音の音型から流れ出す主題に、
曰く言い難い寂しい感情を引き起こすほどの
この洞察力ある表現、
美への鋭い感覚がある。」

このように、この著者も、
美しすぎて寂しい点を特筆しているが、
志鳥先生の言う、「夕暮の情緒」であろう。

「この楽章は、事実上、変形されたメヌエットの形式で、
激しいハ短調のトリオ部以外は、
シューマンの謎に満ちた、
舞曲は人を悲しく物憂げにするという意見を想起させ、
我々は、主に、作曲家が、
その空想に深く沈潜している感覚を持つ。」

この解説も、シューマンの引用がある点が面白い。
美しすぎる時、頼みの綱はシューマンということか。
この作曲家は、こうした美には、
いち早く反応して、すべて言ってくれているのだろう。

しかし、志鳥先生が複合三部形式と書いた、
この楽章はメヌエットだったのか。

「激しいハ短調のトリオ部」
と書かれた中間部分は、
まさしく、この団体の演奏の、
ぴりりとした演奏が映える所で、
エドリーナのピアノの打鍵が、
曰わく言い難い強さで、胸を打つ。

「特筆すべきは、型どおりのダ・カーポながら、
ヴァイオリンが、本来正しくない調性である変イに沈み込む、
うっとりするような瞬間であろう。」

まさしく、この見解には首肯せずにいられない。
不思議な浮遊感が我々を包み込む瞬間である。
さすがの志鳥先生も、ここまでは書いていない。
が、まさしく、この部分は特筆すべきかもしれない。

ボロディン・トリオの演奏では、
それが単なる夢見心地ではなく、
何か、恩寵に満ちた空間に、
引き上げられるような感覚を感じさせて素晴らしい。
陶酔的でありながら、
何か、強い意志を感じさせるがゆえであろう。

「めったに冗談を言わないシューベルトが、
ジョークを言う時は、最高のジョークになる、
などと言われて来たが、
スタッカートの4分音符と8分音符による
その息もつかさぬ長大なフレーズ、
関係調と無関係な調との目が眩むような進行、
技巧に満ちた対位法の模倣などに満ちた、
このスケルツォなどはその好例である。」

第3楽章の解説も、
こんな風に、あっけに取られる話から始まる。
ウィットに富むと言うべきか。

「作品100のより深い表現レベルではないが、
これは実に魅惑的な音楽である。」
後半は、こんな風に、作品100と比べるだけで、
あっけない。

従って、前半の修飾語の数々を味わい直す必要がある。
トリオについては、何も書いていない。

志鳥先生は、この楽章について、「民族的色彩」とか、
「シューベルトらしい屈託のなさ」とか書いている。
トリオについては、「ワルツ風の性格」と書いている。

「終曲は、『ロンド』と称され、
主要主題が、
主音で何度も繰り返されるわけではなく、
主音では一度、繰り返されるのみである。
全体としてその童心のような陽気さゆえに、
このメロディは、これから起こるさらに肥沃な素材より、
重要ではないように見える。」

志鳥先生は、
「この楽章を通じて繰り返し現れるロンド主題は、
民謡風の素朴な感じの強いもの」と書いているが、
やはり、
「あいだを縫ってちりばめられる美しい副主題」
が、曲を盛り上げると書いてある。

確かに、主要主題は、
形式的に反復されて出てくるだけのような音楽だ。

「そのリズムの結合は、その神秘的な単純さを気づかせないものだ。」
とあって、以下のように、
単純なものから、様々な効果が生み出されている点が特筆されている。

b0083728_975437.jpg「aのパターンが
全楽章に広がっており、
第15、16小節のbパターンが
メロディのように、
単純な下降から、
大きくスキップする。」


何だか、著者、直筆みたいな譜例が出てきて、
変な感じだが、伝えたいことは分からなくもない。
音楽が伸縮して、基本は変わらないのに、
玄妙に変容していくのは確か。

「これは、間違いなく、数小節後の、
とげとげしい総奏の中断の源で、
これは、付点リズムのパターンcから導かれた、
ト短調のジプシー風主題となる。
この中断動作は、
ピアノの下降するトレモロの上を上昇する
ヴァイオリンのパッセージや、
わざとらしい見せかけの終結部や、
もう一つの変ニのピアニッシモのエピソード
の基礎となる。
これにおなじみの変ホの見せかけの繰り返しが続き、
変形されたオリジナルの材料の反復がある。
最後に、突撃するプレストが、
ひらひらと元気のよいピアノの和音と、
弦楽の繰り返しによる、
つむじ風の終結に向かって、作品を駆り立てる。」

ショスタコーヴィチの変幻自在な音楽を料理してきた、
「腕達者な連中」ゆえ、ボロディン・トリオは、
こうした錯綜した楽想を正確にさばいていく。

この楽章では、気のせいか、
ドゥビンスキーのヴァイオリンが、
いつもより、艶やかに輝いている。

ショスタコーヴィチなどの世界から戻ってみると、
かつて、混乱していて冗長とされた、
シューベルトの音楽のこの錯綜感こそが、
現代にダイレクトに、
つながっているような感じさえするのが面白い。

私たちは、いったい、シューベルトに、
何を聴いて来たのだろう、
と、ふと、感慨に耽ってしまった。
彼等は、それを口当たり良く加工することなく、
そのまま、我々に提示する。
その生々しさ、痛々しさが、シューベルトの不気味さ、
この演奏家たちの複雑な運命を、
妙にさらけ出すような気がして来た。

最後にこのCDの解説は、
ちょっと、ほろりとさせられる
シューベルトの友人のエピソードに、
さりげなく触れているのが憎い。

「シューベルトの死後、40年近く経ってから、
それでも忠実な友人として、
モーリッツ・フォン・シュヴィントは、
『ヨーゼフ・フォン・シュパウン家における、
シューベルトのある夕べ』のスケッチを始め、
シュパウンの姪ヘンリエッテに宛てて、
『私たちの古い友(シュパウン)は、
まさしく、こう言った時、正しかったのです。
”私たちは、全ドイツで最も幸福だった。
いや、全世界でだ”。
それはシューベルトの歌曲のみならず、
そこにいた、素晴らしい、謙虚で、心温まる人たちが、
一緒にいたからだ。”
何と、追憶は悲しいことか。
それにもかかわらず、
作品99の陽光に満ちた活力を聞くと、
これらの素晴らしいシューベルティアーデが、
その読書、ジェスチャーゲーム、音楽とダンスに満ち、
不幸や惨めさや早すぎた死によっては、
中断されなかったと、信じることが出来てしまいそうだ。」

それにしても、この録音、
CDというのに、両曲とも1曲ずつしか入っていない。
最近は2曲を1枚に収めたものもある中、
これは非常にぜいたくな作りである。

小品を収録するというサービスもなく、
1枚1曲の剛球勝負である。

しかし、そのからみで、
このCDを見直して、重大な欠陥を発見した。
トラックと時間の関係がどこにも書かれていないのである。

日本語解説では、さすがに、これではまずいと考えたのか、
ちゃんと、15:34、12:25、6:39、9:03
と書かれている。
「第1番」は43分ということで、やはり、大演奏である。
短い方のこの曲でこの長さであるから、
2曲を1枚など無理な相談にはなっている。

得られた事:「ボロディン・トリオの方が、ボロディン四重奏団のオリジナルの美学に忠実な、真摯で直球勝負の音楽作りをやっている。」
「シューベルトの音楽に聴く錯綜感は、ボロディン・トリオで聴くと、それこそがシューベルトの本質のようにさえ聞こえる。」
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by franz310 | 2010-10-17 08:49 | シューベルト
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