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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その246

b0083728_14392424.jpg個人的経験:
ボロディン四重奏団は、
第1ヴァイオリンに逃げられる
悲劇の四重奏団である。
最初は、亡命だったが、
二度目は、政治的背景が
あったのかどうか。
いずれにせよ、
二度目のヴァイオリニスト、
コペルマンは、他の団体に入ったり、
自分の四重奏団を作ったりした。


コペルマンが入った頃のボロディン四重奏団は、
おそらく、古参メンバーは50代だったはずで、
コペルマンが若手のホープだったにせよ、
みんな重役みたいな感じに見えただろう。

そもそも、切れ味の良い、精密機械のような、
ソ連の体操競技のように鋭い演奏を得意としていた
ボロディン四重奏団が、
甘美な音色で聞かせるコペルマンを入れた事からして、
不思議といえば不思議であった。

おそらく、ショスタコーヴィチへの共感では、
同じ目標を定めることが出来たかもしれないが、
古典などになると、意見の相違が出たのだろう。
チェロのベルリンスキーは、
コペルマンのせいで、
あまりベートーヴェンを演奏できなかった、
後になって言っていたりする。

コペルマンが自らの理想を自覚するに到り、
意見の食い違いも出てきただろうが、
かつての重役連中が、ずっと居座っているのだから、
どこまで、何を言えたかは分からない。

録音で聞く限り、
コペルマンは、やりたいように、
やらして頂きますよ、
という方針を採ったようである。
何故なら、ボロディン四重奏団の、
コペルマン時代の最後の方は、
明らかに、彼の音が突出しているからである。

また、古参たちは、
自分たちがやりたかったコミュニケーションを、
どうして、こいつは十分取らないのだろう、
と不満を持ちながら、
仕方なくおつきあいをしていたようだ。

お互いに不満を抱えながら、
持ち味が発揮できず、
惰性で動いている組織は不幸である。
そうした状況が二十年も続いたのだから、
両者も何かやり方を変えないと思いついたに相違ない。

例えば、コペルマンの後、
新メンバーを迎えてのベートーヴェンのCD解説では、
かなり、ああだこうだとやり合って、
互いに納得するまで練習した、
というような事が書かれていた。

一方、コペルマンにも、
言いたい事はあった。
もっと、他のメンバーも自己主張しろ、
などと考えていた可能性がある。

これは、組織論的でもあり、美学的でもある問題である。
片や、俺についてこいの欧米企業型であり、
片や、合議してみないことには、
正しい結論には到達しない、
と考える日本企業型にも見える。

今回、コペルマンが自分で創設して、
自らが重役となった団体、
コペルマン四重奏団の演奏を聞くと、
コペルマンと同様、自己主張するメンバーが、
開放的な音楽作りをしているのが分かり、
第三期のボロディン四重奏団が到達した、
いわば賢者の内省とは、
明らかに異なる方向になっているのが面白かった。

見ると、チェロは、ボロディン四重奏団とも共演し、
シューベルトの五重奏曲を録音したミルマンである。
彼が共演した時、古豪ボロディン四重奏団もあおられて、
いつもよりスケールを増した演奏をしていた事を思い出した。

第2ヴァイオリンはBoris Kuschnir、
ヴィオラはIgor Sulygaとある。

「古典的なロシア楽派の規範とスタイルを身につけた、
経験豊かな室内楽奏者たちによって創設され、
コペルマン四重奏団は、技術的卓越と、
叙情性、優美さと音楽的統合を豊かに継承し、具現している。
コペルマン、クッチナー、スリガ、ミルマンは、
1970年代、オイストラッフ、ボリス・ベレンキー、
ユーリ・ヤンケレヴィッチ、ドルジーニン、ショスタコーヴィチ、
ロストロポーヴィチにグートマンといった人々が、
音楽家であり教師として学生と常にあった、
その黄金時代のモスクワ音楽院を卒業した。

2002年の創設以前に、
それぞれ、24年ものキャリアを追求してきたとはいえ、
これらの強力な音楽的影響が、
コペルマン四重奏団のメンバーには残っている。」

70年代に卒業と書いて曖昧だったのが、
24年とは、妙に具体的な数字である。
2002-24=1978年が、
彼等の卒業年なのだろうか。

とすると、1956年生まれくらいになる。
ボロディン四重奏団の創設メンバーが、
おそらく1920年代の生まれのはずで、
30年以上も年の離れた、
親子のような世代ギャップがあったことが分かった。

「第1ヴァイオリンのミハイル・コペルマンは、
20年にわたり、ボロディン四重奏団で、
卓越したリーダーを務め、
ロイヤル・フィルハーモニック賞、
コンセルトヘボウ銀メダルを受賞した。
第2ヴァイオリンのボリス・クッチナーは、
ジュリアン・ラクリンやニコライ・ズナイダーらを育てた、
名教師である。
ヴィオラのイーゴル・スリガは、
スピヴァコフとモスクワ・ヴィルトゥオーゾや四重奏団で、
20年演奏してきた。
モスクワ弦楽四重奏団の創設メンバーとして、
クッチナーとスリガは、ショスタコーヴィチと、
その後期四重奏曲の演奏に携わった。
チェロのミハイル・ミルマンは、
モスクワ・ヴィルトゥオーゾの主席チェリストで、
コンサートやレコーディングで、
たびたびボロディン四重奏団と共演した。」

教師や誰かの共演者といった感じで、
ど迫力のソリストたち、という感じはないが、
それだけに室内楽としては手堅いと考えて良いかもしれない。

以下、かなり広告めいた文章が連なっているが、
これを見る限り、日本との関係はなさそうだ。

「共通のルーツと、音楽家同士の相互理解によって、
コペルマン四重奏団は、独自の視点と成熟があり、
コンセルトヘボウやウィグモア・ホール、
ムジークフェラインとの予定が詰まっている。
彼等のエディンバラ音楽祭のコンサートでは、
想像を絶する反響があり、特筆すべき音楽家魂、
素晴らしい人間性が、その精緻な演奏に見られると書かれた。
コペルマン四重奏団は、英国、スペイン、ポルトガル、
オーストリア、イタリア、オランダ、ベルギー、
デンマーク、スイス、スロヴァキア、キプロス、
米国、カナダで演奏会を開いた。
彼等はウィグモア・ホールや、コンセルトヘボウなどの常連である。
エディンバラ国際音楽祭、ヴァラドリッド音楽祭、
チューリヒ音楽祭、米国のラヴィニア音楽祭で演奏した。」

アジア圏からはもとより、旧ソ連圏はどうなんだ、
と聞きたくなった。

この下には、各奏者の使っている名器が列挙されている。
コペルマン:1747年フィレンツェのガブリエリ、
クッチナー:1703年のストラディバリ、
「La Rouse Boughton」
スリガ:1780年ミラノのマンテガッツァ、
ミルマン:1722年ローマの、David Tecchler。

このように、かなりロシアの伝統を意識した剛の者たち、
といった感じがするが、今回の、このCDでは、
嬉しいことに、シューベルトの「死と乙女」が入っている。
ボロディン四重奏団が、コペルマンと最後に録音した曲である。
もう1曲は、チャイコフスキーの「弦楽四重奏曲第3番」。
これまた、ボロディン四重奏団が得意とした作品である。

このCD、2006年1月28日、
ロンドンのウィグモア・ホールでのライブだそうで、
このホールは、ライブ録音をよくCD化するようで、
ウィグモア・ホールというレーベル名となっている。

このウィグモア・ホールのレーベルデザインは、
いったい何であろうか。
北欧神話の巨人みたいなのが、
両手を天上にかざして、
上からはしめ縄みたいなのが絡んでいる。
私は、当初、このデザインを見て、
どこかの海賊版レーベルではないかと思った程、
ちゃちい感じを受けたが、他の人は違うのだろうか。

また、プリンテッド・イン・イングランドとあるが、
紙質が幾分チープな感じがする。

このウィグモアのCDは、
このCDのブックレットを見る限り、
他にも多くの魅力的なものが並んでいる。
室内楽に限っても、
アルディッティ四重奏団のデュティユーや、
ナッシュ・アンサンブルのモシュレスといった、
気になるものがある。

シューベルト愛好家には、歌曲集があり、
シュライヤーとシフによるものや、
マーガレット・プライスとパーソンズによるものがある。
彼等はすでに多くの録音を残しているが、
ライブの記録として聴けるのは魅力的である。

これらのカタログが、きれいなカラー写真の、
表紙を並べて紹介されていると、
ついつい、夢想の翼が羽ばたきそうになる。

話を今回のプログラムに戻すと、
この2曲でプログラムを組むとは、
さすがコペルマンという感じもする。
チャイコフスキーの無名の四重奏曲を、
どーんと持って来るのは、
本場ロシアの連中でないと難しいのではないか。
この2曲以外に他の曲の演奏はなかったのだろうか。
変ホ短調とニ短調という暗そうな2曲のみ?

レーベルのデザインはともかく、
表紙デザインはかっこいいもので、
最初、フリードリヒの絵画かと思ったが、
どうやら、雄大な日の出だか夕暮れだかの風景は写真で、
空想を誘う女性のシルエットはイラストのようだ。

何故、このようなデザインにしたのかは分からないが、
今回の2曲に共通するテーマがあるとすれば、
「死」ということなので、
彼女が見つめているのは彼岸なのかもしれない。

しかし、この図柄が、CD背面では色抜きの形で採用され、
CDの盤面そのものにも、
また、それをケースから外した後の背面にも現れると、
ちょっと、くどいぞ、と言いたくなる。
盤面はいいから、ブックレットの紙質をもっと大切にしろ、
と言いたくなった。

チャイコフスキーの作品は、
「アンダンテ・カンタービレ」を含む、
「第1番」が高名で、多くの録音を通じて、
私も聴き親しんだものであるが、
「第3番」となると、すぐに、イメージが湧かない。
ここで、改めて、解説を読んで見よう。
ステファン・ペティットという人が書いている。

「1876年という年は、
音楽にとって重要な年であった。
総合芸術理論のもっとも野心的な実現として、
バイロイトで、ヴァーグナーの『指輪』連作の、
最初の舞台があった。
ブラームスは、遂に、
ベートーヴェンの足かせをふるい落とす自信を得て、
十五年の苦しみの末、第1交響曲を完成させた。
この年のはじめ、
(『指輪』を見るためにバイロイト旅行を考えていた)
チャイコフスキーは、二つの大きな構想を持っていた。
一つは、前年8月からのバレエ音楽『白鳥の湖』で、
これを4月に完成させることとなる。
もう一つは、彼の3番目の最後の弦楽四重奏曲であった。
これは、ヴァイオリニストの
フェルディナント・ラウプのために書かれたが、
この人は、モスクワ音楽院の同僚で、
チャイコフスキーの第1、第2弦楽四重奏を
初演に導いてくれた人だったが、
前年、オーストリアで亡くなったのであった。」

ということで、この曲は、死者追悼の曲だったのである。
チャイコフスキーは、ピアノ三重奏曲で、
死者追悼音楽を書く先駆けとなったが、
弦楽四重奏曲でも同様のことをしていたのである。
いわば、「悲しみの四重奏曲」ということだ。

しかし、『指輪』やブラームスの『第1』と並べられると、
知名度の点ではかなり劣るので、
多少、この解説の出だしには違和感を感じずにはいられない。
また、『指輪』を見に行こうとした事と、
この弦楽四重奏曲は無関係であろう。

新潮文庫のカラー版作曲家の生涯「チャイコフスキー」でも、
この曲については触れられておらず、
音楽之友社の作曲家・人と作品シリーズ「チャイコフスキー」でも、
生涯編では、音楽院の授業で疲れ果ててていた時期に、
短期間で書かれた曲の一例として、
二ヶ月で書かれた第3交響曲と並んで、
一ヶ月でスケッチされた曲として記されているだけである。
あまり、特筆すべき作品にも読めない。

ただし、ハイメラン著の「クヮルテットの楽しみ」では、
「チャイコフスキーの最も価値あるクァルテット」とし、
第2楽章を「珠玉」とし、フィナーレを「新鮮」と書いている。

「弦楽四重奏曲第3番」というと、
どうも地味だが熟達していて、
何だか味がある、となるのが、
シューマン、ブラームス以来の伝統のようである。

b0083728_144041100.jpgこの曲は、ボロディン四重奏団の全集で、
すでにおなじみのものであるとは言え、
それ以外に、
独立したレコードが出ていたことは、
果たしてLP時代よりあるのだろうか。
ボロディン四重奏団は、
私が持っている1979年の盤以外にも、
オリジナルメンバーとも演奏しているはずで、
さらに、デジタル録音のものもあったはずだ。
しかし、それらを買い求めようと、
これまで考えたことはない。


しかし、この日本盤のブックレットの紙質と、
英国盤のブックレットの紙質を、
両方手にすると、いかにも、
ウィグモア・ホール盤が、
紙に手を抜いているかが実感できよう。

それだけ、ボロディン四重奏団の演奏で
特に問題もなく、曲そのものが、
そこまで魅力的なものとも思っていなかった。

さて、コペルマン四重奏曲の演奏で聞くと、
音色がまず明るく、呼吸も深く、
広がりのある表現であることが違う。

コペルマンが完全に羽を伸ばして、
それに合わせて、各奏者も美音を振りまいている。
これは、実は、こうした行き方もあるのか、
とふと考えてしまった。

チャイコフスキー自身、この曲に、
戸惑っていたという逸話が解説に出ている。

「この四重奏曲はひと月ほどで完成され、
3月14日、チャイコフスキーの擁護者で批評家、
モスクワ音楽院の楽長である、
ニコライ・ルービンシュタインの家での私的な夕べで初演された。
初演はうまく行ったが、
自信喪失しやすいチャイコフスキーは、
何日かして、弟のモデストに、こう書いている。
『もう書き尽くしてように思えます。
同じ事ばかりを始めて、
新しいものが生み出せないのです。
私は『白鳥の歌』を歌ってしまったのでしょうか。
もうどこにも行けないのでしょうか。』
公開演奏が三度あり、これが、たちまち、
チャイコフスキーの見方を変えたように見える。
4月5日、再度、弟に書き送っているが、
第2楽章の『アンダンテ・フュネブレ・ドロローソ』が、
(アンダンテは、第3楽章である)
聴衆の涙を誘ったと誇らしげに書いている。」

確かに、チャイコフスキーの書いたような悩みは、
誰もが持っているはずである。
明日、今まで以上の仕事が出来るかは、
誰一人、分からないからである。
が、聞き所は、アンダンテであるということが分かる。

そして、難物は第1楽章である。

「後世の人は、3曲のうち、最高の作品と評価した。
巨大な第1楽章は、特に第1ヴァイオリンと、
ピッチカートのチェロのパッセージが注意を引く、
凝集されたゆっくりしたセクションで挟まれ、
中央のソナタ部も構成や和声の点でまったく破格である。
例えば、再現部では、離れた調性のイ長調で、
新しいアイデアが挿入され、
コーダで、再度、音楽をシャープに戻している。」

ここにあるように、この曲を難しくしているのが、
まず、この第1楽章の構成の複雑さであることに違いなく、
何と17分という超巨大楽章になっている点においても、
聴衆は、迷路に迷い込みがちである。

コペルマン四重奏団の演奏でも、
この錯綜した楽章の中間部では難渋しているようで、
ボロディン四重奏団のような推進力がなくなっている。
メロディアスに歌う所では、
徹底的に、名器を駆使した彼等の美質が活かせるようだが、
線が絡み合うところでは、とたんに慎重になる模様。

また、第2楽章は、4分に満たない。
先の本で書かれたように、「珠玉」ということか。
とにかく、この楽章がないと、
巨大で悩ましい第1楽章と第3楽章が持たない。

「情感は、暗く、緊張感があり、
チャイコフスキーが不協和音で苦痛の表明を強調し、
どこかしらロシア正教会の雰囲気があり、
中間部で愛らしい変ト長調のメロディーが現れたりして、
やりたい放題にした緩徐楽章を前に、スケルツォでは、
典型的に素早い動きと予期せぬ中断のコントラストで、
緊張からの解放感を与えている。」

このように修飾いっぱいで表現された楽章が、
チャイコフスキーが弟に自慢した、
アンダンテ・フェネブレ(送葬のアンダンテ)である。
この解説は、スケルツォは、緩徐楽章の前座みたいに書かれているが、
メンデルスゾーン的な幻想的な楽章である。

コペルマン四重奏団は、
この楽章でも、時として停滞感を伴ってしまう。
古豪のボロディン四重奏団が、
合議制で、ベートーヴェンの「セリオーソ」の、
私の嫌いな部分を解決してくれたのに対し、
コペルマンは飛ばしまくって、
時として停滞感を醸し出しているのは、
やはり経験の差と言うべきであろうか。

しかし、チャイコフスキーの泣かせどころの、
第3楽章では、彼等のやりたいことが成功して、
交響曲のようにスケールの大きいドラマが素晴らしい。

この楽章で、愛らしいテーマが立ち上がって来る所など、
「白鳥の湖」的であるし、悲劇的な性格からも、
このバレエを思い出させるもの満載である。
「白鳥の歌を歌ってしまったのだろうか」と書いた作曲家だが、
確かに、「白鳥の四重奏曲」になっているではないか。
そんなことを感じさせる演奏。

「最後に、エネルギーに満ちたロンドが来る。
始めと終わりに、ロシアの民族舞踊の余韻があって、
そのコーダの前には、
第1楽章のヴァイオリンと、
ピッチカートのチェロのパッセージが現れ、
この曲がメモリアルのための作品であることを、
最後に我々に思い出させる。」

この舞曲風終楽章も、決して、ドヴォルザークの、
スラブ舞曲のように弾けたものではなく、
やや力ずくで終曲を盛り上げようとする気配濃厚。
5分半で終わるので、助かったという感じ。

が、コペルマン四重奏団のやり方が、
ここでも生きて来ているようだ。
めまぐるしく変化する音色の渦に、
力ずくで高揚させられる。
各奏者の興奮が泡だってたぎっていて、
ついつい、それに乗せられてしまう感じで成功している。
コペルマンは、これがやりたかったのだろうなあ、
と感じさせる演奏だ。

終わった時の拍手も大きいが、
ブラヴォーが出るほどではない。

後半2楽章を聞くべき演奏であった。

次のシューベルトも、このやり方で、
うまく行っているのではなかろうか。

陰々滅々とした演奏では、この曲は、
気が滅入ってしまうが、
この演奏では、その楽天性ゆえに、
推進力あるドラマに移し替えられていて、
極めて爽快な演奏となっている。

下記のように、この曲を、
シューベルトの病気と関連づけた解説が、
不思議に感じられる程である。

「その半世紀前、1824年の3月、
シューベルトは彼の最後から2番目の弦楽四重奏曲、
『死と乙女』D810を書いた。
わずか27歳ながら、彼はひどい状況で、
梅毒の第2期の症状に苦しんでいた。
しかし、彼は精力的に書き、
これまでにないほどの霊感を持って、
弦楽四重奏曲イ短調D804や、
フルートとピアノのための、
『萎める花』の主題による変奏曲D802、
マイヤーホーファーによる優れた歌曲数曲を、
この年の最初の3ヶ月で書きあげた。
痛切さと情念が『死と乙女』
(1833年まで公開演奏されなかった)
を特徴付け、まさにこれは、
シューベルトの苦境に関連している。
事実、彼はこのことをさらけ出し、
三月の終わりに、自身のノートに、
『私が生み出したものは、
音楽の理解と悲しみによるものだ』と書いている。
彼はまだ若く、
その心の奥底に熱いものがたぎり、
しかし、時間は短いという恐ろしい自覚と併存していた。
甘美さに、悲劇や悔悟、そして何よりも憧れの影が差す。」

このように、この解説では、
徹底的に、その悲劇的な性格を強調している。

この演奏で嬉しいのは、
各奏者が自発的にぶつかり合っている点で、
そうしたダイナミック感が、
この悲劇に、まだ、未来を感じさせる。
一人ではない、という感じであろうか。
私は、こうした、すべての楽器が生き生きと主調して、
破綻限界まで行くような演奏は、
何となく好ましく思う。

「『死と乙女』のすべての楽章は、短調で書かれている。
その名称のもととなる緩徐楽章は、
死の提示する安らぎと、それを恐れる若い乙女の、
コントラストをなす、マティアス・クラウディウスの詩に、
1817年に付曲した、歌曲『死と乙女』をもとにした変奏曲である。
シューベルトは、歌曲が持っていた感情の領域を探索し、
変奏が進むごとにそれが増幅され、
最後から2番目の変奏曲(ニ長調)では、
静かな諦念の小休止を与えている。」

この解説は、短いが示唆に富むものだ。
変奏につれて、その感情を追い詰めるというのは、
あり得ない話ではない。

が、演奏は伸びやかなもので、
コペルマンのヴァイオリンの甘美な事はこの上ない。
しかし、どうした事か、ここに来て、
他のメンバーの炸裂ぶりが聴けないような気がする。
これでは、ボロディン四重奏団にいるのと、
変わらないではないか。

しかし、最終変奏で、第1ヴァイオリンに、
他の奏者が襲いかかるような表現を聴いて得心した。
ここでは、おそらく、
「死」の3楽器を前に、
「乙女」をコペルマンが演じた、
というドラマを演じたのだろう。役者である。

「四重奏曲の他の部分では、異なった暗さがあって、
これがさらに恐ろしいものになっている。
最初の楽章には、誇張されたドラマや厳しさがあり、
その三連音は、健康が損なわれ、
死の接近を感じたシューベルトが感じたに違いない
凝集されたそっとする力がある。
スケルツォのシンコペーションと
(優しいトリオで緊張が和らぐが)、
躁状態的な悪魔のダンスの終曲は、
共に、感受性豊かで詩的な若い青年が、
そこに自らの姿を見いだす悪夢の世界を反映している。」

あるいは、このホールが良かった、
ということかもしれないが、
残りの楽章も、各楽器のぶつかり合いが良い。
あまり深刻にならず、純粋に響きを楽しんでいるような演奏。
後半2楽章は、ボロディン四重奏団が演奏したものよりも、
演奏時間もいくぶん長めで、テンポに余裕がるせいか、
解説にあるような悪魔の狂乱が感じられない。

「魔王」からの引用テーマも、
コペルマンは、甘い声でささやいて、
死の陶酔も悪くないな、という感じがしないでもない。
さらに、コーダの直前の、恐ろしい崩落のような表現は、
まるで、リムスキー=コルサコフの「シェヘラザード」の
「難破」のシーンを思わせて面白かった。

いかにも、戦争を知らずに、僕らは生まれた、
と歌い出しそうな人たちの演奏である。
楽天的で、爽やかで、色彩的。
この演奏では、聴衆は「うわーっ」と喜んでいる。
私も嬉しかった。

得られた事:「コペルマンは、ボロディン四重奏団の凝集した表現より、色彩的でダイナミックなハッピーな表現をしたい音楽家だった。」
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by franz310 | 2010-10-10 14:37 | シューベルト
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