名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その244 |
個人的経験: 旧ソ連の至宝、 ボロディン四重奏団による シューベルトを聴いているが、 1991年録音の「ロザムンデ」と、 1995年録音の「死と乙女」では、 何だかうける印象が違う。 この名門には、 さらに1994年7月、 ベルリンのテルデック・スタジオで 録音した「弦楽五重奏曲」がある。 もう十数年も昔の録音に対してどうこう書くのも、 時代遅れの感がないわけではないが、 これまで真剣に聴いていなかったのだから仕方ない。 これは、テルデックレーベルのもの。 四重奏団を補足するチェロには、 ミッシャ・ミルマンを迎えている。 若いコペルマンとミルマンに挟まれて、 このCDの表紙デザインは、 さっそうとした印象である。 しかし、ミルマンが誰かはよく分からない。 ミッシャ・エルマンは、往年のヴァイオリン奏者であり、 ミッシャ・マイスキーは、現代の人気チェリストだが、 ミッシャ・ミルマンはボロディン四重奏団と、 時折、共演していた人、という認識しかない。 この猛者ぞろいの奏者たちに、 対抗するのだから、もっと紹介して欲しいものだ。 解説の人は、このあたりも配慮して欲しいものだ。 この四重奏団は、1993年に、 テルデックに移籍したようで、 その旨が、このCDの解説にも書いてある。 「1993年、ボロディン四重奏団は、 テルデック・クラシック・インターナショナルと、 専属契約を結んだ。 この契約による最初の録音には、 チャイコフスキー、ブラームス、 ハイドンがあって、すでに、 高い評価を受けている。」 ヴァージン・レーベルの「ロザムンデ」が、 1991の録音だったので、 1992年は、何をしていたか分からないが、 あの不思議な所在なさは、 こうした転換点における動揺の刻印だったのだろうか。 解説には、 「1990年11月から1992年10月にかけては、 オールドバラのアーティスト・イン・レジデンスを務め、 オールドバラ基金の演奏会プログラムのまとめ役として、 指導的役割を演じた」とあるが、 ソ連崩壊の前後の混乱を、 彼等はイギリスにいて避けた形だ。 この録音が行われた、1994年と、 それに先立つ活動についても、 解説にはこう書かれている。 「1994年、フランクフルト、ヴィーン、 ロンドンで、ショスタコーヴィチのチクルスを演奏し、 2年前には、 チャイコフスキーとブラームスのチクルスを、 コペンハーゲンで行い、 エディンバラ、香港、東京と、 シュレシュビッヒ-ホルスタイン音楽祭という、 4つの開催地のみを指定してツアーを行った。」 しかし、テルデックも、 すでに、若手のホープ、ブロドスキー四重奏団で、 ショスタコーヴィチの四重奏曲の全集を作った後で、 こんな大物が参加して来たという形で、 困ったのではないか。 おそらく、ブロドスキー四重奏団もびびっただろう。 見ると、このシューベルトのプロデューサーは、 Bernhard Mnichとあり(死と乙女もこの人だ)、 ブロドスキー四重奏団のショスタコーヴィチと同じ。 サウンド・エンジニアもEberhard Sengpielで同じ。 共に、テルデック・スタジオの録音ではないか。 何だかんだと比較されたらたまらない感じ。 そう言えば、テルデックから颯爽と現れた、 この若くて魅力的な団体は、いつのまにか、 ワーナーレーベルから、 クロスオーバーみたいな録音を出すようになったが、 ひょっとして、これは、ボロディン四重奏団のせい? ロシアものを得意とする四重奏団が、 同じレーベルにいる必要などないって事か? さて、この憎たらしい姑のような、 ボロディン四重奏団による、 シューベルトの弦楽五重奏曲はどうか。 解説は、ヨアヒム・ドラハイムとある。 「シューベルトのハ長調の五重奏曲は、 西洋の音楽が生んだ、 最も偉大で筆舌に尽くしがたく輝かしい作品の一つである。」 この始まり方はすごい。 よく、ここまで書いてくれた、 という感じである。 ドラハイム、すごいぞ、と思ったが、 これは、引用であった。 最初の「”」がないので、誤解してしまった。 以下のように続いて、 シューベルト研究家の言葉と知って、 ちょっと残念。 研究家なら、そう信じて研究しているから、 きっと贔屓もありそうである。 「ハ長調五重奏曲 作品163、D956 について、シューベルト学者で、 編集者のアーノルト・フェイルは、 1991年に、このように書いている。 この作品は、 1828年、作曲家の最後の数ヶ月に書かれたが、 この作品の驚くべき重要さは、 20世紀の後半になるまで認識されなかった。 ようやく最近になってから、 全面的に真価が認められ、実際、 音楽家や音楽愛好家からは、 ほとんど崇拝の対象とされ、 初期の惨めな評価とは、 グロテスクなまでのコントラストをなしている。」 確かに、この五重奏曲、 有名なプロ・アルテ四重奏団がSP時代に録音したが、 その際、「初めて弾いた曲」と言ったとか言わなかったとか。 確かに、戦前はまったく名作と思われていなかったのだろう。 「自筆譜はすでに失われており、 スタイル上の特徴と、 1828年10月2日、 シューベルトが出版者のプロープストに、 『最近書いたものには、 フンメルに捧げようと思っている、 三曲のピアノソナタや、 当地では評判になっている、 ハンブルクのハイネの詩による歌曲があり、 最後に、二つのヴァイオリンとヴィオラ、 二つのチェロのために書いた五重奏曲を完成させました。 ピアノソナタは、いろいろな場所で弾いて好評を得ましたが、 五重奏曲はもうすこしかかります』 と書いているので、 いちおう、1828年9月の作曲 (作曲家の死の二ヶ月前)とされているが、 実際に何時書かれたかは分からない。 プロープストは実際、 ピアノ三重奏曲変ホ長調作品100、D929の出版と支払いで、 シューベルトをひどく扱って、 彼がここに提供された傑作のうち、 いずれをも受け入れなかったという事実は、 19世紀の出版社の、 信じがたい近視眼的で臆病な進取の気性不足の 一例となっている。」 19世紀でなくとも、 こんな作品群を一気に引き受けるのは冒険であろう。 ピアノ三重奏曲を出版してくれただけで、 感謝しなくてはならない。 シューマンは、おそらくそのおかげで、 シューベルトの三重奏を知ったはずだ。 「この五重奏曲は、 1850年11月17日、 ヴィーンのムジークフェラインで、 ヘルメスベルガー四重奏団が、チェロの ヨーゼフ・ストランスキーと組んで演奏するまで、 シューベルトの死後、22年も、 公開初演を待たねばならなかった。 3年後、1953年の初頭に、 有名なディアベリの後継者、 シュピーナが、『大五重奏曲』と題して出版した。 自筆譜が皆無で、 我々は、不幸にも、この信頼がおけるとは思えない、 第1版に依拠するしかない。」 私は、この名曲が、「ます」の五重奏曲同様、 自筆譜がない状態であるなどとは知らなかった。 しかし、初演後、出版に3年もかかるということは、 かなり不評だったということだろうか。 しかし、さすがヘルメスベルガー、よくやってくれた、 という感じと、何をやったんだ、ヘルメスベルガーは、 という二つの感情が交錯する。 1850年といえば、まだ、ブラームス登場前である。 ヘルメスベルガーが、ブラームスの室内楽を激賞するのは、 これからさらに10年も後のお話である。 ヘルメスベルガーは、1828年生まれなので、 1850年と言えば、まだ22歳。 過度の期待はかわいそうかもしれない。 「シューベルトの音楽言語の大胆さを思うと、 この五重奏曲が定着するのに時間がかかったのは、 確かに不思議ではない。 ヴァイオリン演奏に通じ、 ごく初期から弦楽三重奏のみならず、 弦楽四重奏のシリーズで長足の進歩を遂げていた、 シューベルトが、彼の生涯の到達点の室内楽に、 弦楽五重奏曲を配したのはいかなる理由であろうか。」 これについては、オンスロウのような前例があった事は、 このブログでも紹介したとおりである。 「モーツァルトや、 後のメンデルスゾーン、ブラームス、 ドヴォルザーク、ブルックナーのように第2ヴィオラではなく、 第2チェロを、通常の弦楽四重奏に加えた形で、 この奇抜な編成によって得られるたっぷりとした音色は、 しばしばオーケストラ的であるが、 分厚すぎたり、響きが悪いということもない。 シューベルトはダブル・ストッピング、 声部の交錯や重奏、 妙味あるピッチカートやトレモランドによって、 五つの楽器の音域を開拓し、 五人の奏者が一体のような、 微妙な変化、色彩的な音色の絵画を作り上げた。 作品はシューベルト晩年の特徴を示し、 ハイネの歌曲や、四手ピアノの幻想曲など、 最後の年を飾る様々な作品を想起させる。 これらの特徴に加え、 典型的には、長調から短調への急激な変化を含む、 不安定な和声、ドラマと表現の極端なコントラスト、 (幻想的アダージョの内省的な糸の繋がりなど、) 音色とリズムの自由さなどがある。 例えば、アダージョと、 名技的なスケルツォの終わりなど、 主題的、動機的関連も特徴的で、 素朴な魅惑で我々を地上に連れ戻す。 例外的にゆっくりと断固としたトリオのように、 リズムも驚くべきもので、 遂には、まさしく同じ調性で書かれた、 『大ハ長調交響曲』で、シューマンが称賛した、 『終わることなきジャン・パウルの、四巻の小説のような』、 『神々しい長さ』に至る。」 ボロディン四重奏団とミルマンの演奏は、 冒頭から強い緊張感がみなぎっていて、 とても力強い演奏に思える。 若いミルマンが加わった事で、 年配軍団も刺激を受けたのではなかろうか。 コペルマンの一人舞台になることなく、 各奏者が、自発的に活性化している。 まさしく、不敵な面構えの、 このCDの表紙写真を見る時の印象に等しい。 こんな連中が肉弾戦を演じたら、 こりゃあ熱いぞ、という感じが、 そのまま音になっている。 第1楽章は、18分半。 速いテンポで、かちっと決めてきた感じである。 特筆すべきは、音色がぴんと張って艶やかで、 均一な糸が交錯するように紡がれることで、 どの声部もアンダーラインが引かれているように響く。 ヴァイオリン同士とか、 チェロ同士とかの、 一見、混色してしまいそうな二重奏でも、 美しいより糸となって聞こえるのが嬉しい。 こうした大曲で、モニュメントを打ち立てるとしたら、 なるほど、こんな団体でないと難しいだろう、 などと勝手に思ってしまう。 第2楽章のアダージョは、幻想性が求められる部分で、 「ロザムンデ」のように、 散漫な方向に傾かないか心配であったが、 何だか、低音の伴奏からして、 並々ならぬ気迫が漂っていて別次元。 そもそも低音軍団の存在感がまるで違う。 ここでも、夢想に浸る暇無しの15分が熱い。 中間部の慰めに満ちた部分でも、 コペルマンが自制をしながら、 禁欲的な表現を聴かせるので、 びしっと筋が通った感じがする。 ピッチカートも魂がこもって痛々しい。 第3楽章のスケルツォは、 緊張に耐えられなくなったコペルマンが、 フライングギリギリでぶっとんで行くが、 こうした文学的感傷のないところが、 この四重奏団の持ち味のような気がする。 先に「断固たる」と書かれたトリオの前には、 一瞬の沈黙があって、 このトリオ部の超スロー表現が生きている。 何だか、居場所をいきなり見失ったようになる。 「白鳥の歌」の世界に降りたって、 それでも、しっかりと立ち尽くす英雄のようだ。 が、もちろん、その大地はいまにも崩れそう。 このあたりで、どわっと涙がこぼれ落ちても良さそうだ。 が、鋼鉄武装のボロディン四重奏団は、そんな表現には傾かない。 終楽章も、闇雲突進系のコペルマン色で始まるが、 他のメンバーもすぐに追いついて、 集団戦でそれを飲み込んでしまう。 が、こうしたハンガリー風というか、 スラブ風というか、ラプソディーになると、 コペルマンの血が騒いでしかたがないような感じ。 集団の雲の中から、時折、顔を上げて、 美音を振りまこうとする。 四重奏団としても、この勢いの良さは活かしておきたい所であろう。 しかし、制御不可能になると困るぞ。 ここでも、コーダにかけての爆発は、 ちょっとコペルマンに引っ張られてしまった感じだ。 この大曲の終楽章を、 9分を切ってやっている演奏はなかなかないのではないか。 そうした経緯もあってか、 この録音の翌々年、コペルマンは脱退する。 なんて事は考えなくてもいいか。 とにかく、このCD、 終楽章が暴発的なのを除けば、 ハードボイルドのシューベルトとして、 非常に印象的なものだ。 録音も良いし、ジャケットも格好良い。 印象派のような「ロザムンデ」の後でこれを聴くと、 ミルマンを加えたことで、 アンサンブルが活性化したとしか思えない。 が、この団体が、 とりわけシューベルトを大事にしていたかは謎。 あるがままに克明に演奏しただけ、 と彼等は答えるのではなかろうか。 このような立ち位置であるからこそ、 リヒテルのような大物と共演すると、 されるがまま状態になるのであろう。 ここで改めて、 「ます」の五重奏曲を聴いて見よう。 初期のCDで失望したが、 artでリマスターされた盤なら、 何か変わっているかもしれない。 この録音でもコペルマンは、 冒頭から懸命に美音を振りまいて、 体当たりの熱演をしているのが分かる。 シェバーリンのヴィオラも、 ベルリンスキーのチェロも、 それぞれに主張はしている。 artの効果か、音に膨らみが出来て、 録音としては聞きやすい感じがする。 しかし、いつも、この曲を台無しにする ヘルトナーゲルのコントラバスが、 ここでも、まるで聞こえないように、 どうも録音も演奏の主体性も、 ピアノに重心が行ってしまって駄目だ。 この曲、ピアノが飛翔できるように、 コントラバスを導入したはずだが、 全く、作曲家の工夫が活かされていない。 飛翔しようにも、 リヒテルが水面に結界を張って、 そこから出られないような印象である。 だから水面下で、ゆらゆら揺れるしか出来ない。 結界を張るリヒテルのピアノが、 何かを強烈にしかけているわけでもない。 一種、夢遊病のようなピアノにも聞こえる。 それなのに、完全に術中にはまったかのように、 他の四人は、水中で漂っているだけに聞こえる。 有名な変奏曲での弦楽器の競演でも、 水面に揺れる影でしかない。 これらの弦楽だけの聴かせどころでさえ、 冴えない印象になっているのは何故? 水中で酸素不足になっていたりして。 新鮮な大気の感覚が素晴らしいこの曲が、 水面に映る大気に置き換えられている。 リヒテルなら、そんな音楽をやってみたかったかもしれない。 むしろ、このような個性的な演奏を、 名演と理解した評論家たちが間違っているのではなかろうか。 リヒテルは、そんな評価は求めておらず、 あえて、好きにやってみただけだと思えて来た。 リヒテルに付き合ったのが、 ボロディン四重奏団というのが間違いだった。 この大物たちなら、何か互角に繰り広げているはずと、 多くの人は騙されてしまったのだ。 しかし、ボロディン四重奏団ならでは、 などという要素はここにはなくて、 時折、コペルマンが張り切っているだけである。 彼等は、リヒテルのやり方に合わせたのかもしれない。 しかし、コペルマンの暴走を許してみたり、 リヒテルにまったりと付き合ってみたりしつつ、 「弦楽五重奏曲」のような大作になると、 とたんに鋼の建築を打ち立てたりして、 おじさんたちは、一筋縄ではいかない。 そもそも、このart盤、 解説もリヒテルのことしか書いてない。 何なんだ。 こうしたEMIの姿勢を、 ボロディン四重奏団のメンバーは、 感じていたのかもしれない。 あえて、自己主張して失敗するよりも、 ここは主役のリヒテルを立てた方が、 すんなり終わりそうだ、などと空気を読んでいたりして。 暴走する独裁者を許しつつ、 生き延びて来た世代の、 老獪なしたたかさを感じるのが正しいのかもしれない。 得られた事:「ボロディン四重奏団、空気を読む達人たち。が、コペルマンは違ったかも。」 |
by franz310
| 2010-09-25 20:57
| シューベルト
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