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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その240

b0083728_2027375.jpg個人的経験:
ショスタコーヴィチの
弦楽四重奏曲第3番は、
ボロディン四重奏団の、
1983年の録音と、
1990年の録音も、
聴くことが出来た。
すでに、かつてのリーダー、
ドゥビンスキーは亡命、
代わりに、コペルマンが
第1ヴァイオリンを務めた演奏。


また、コペルマンが入った、
ボロディン四重奏団の2種類の演奏は、
同じ団体が、共産体制下のモスクワで録音したものと、
共産体制崩壊前夜に海外で録音したもの、
という差異があるが、
前者はカバー写真からして、
共産体制下を引きずっている感じである。

このシリーズのCDは、作曲家の横顔と、
アップの二枚重ねの白黒調だが、
この第3番の入ったCDの場合、
いつもより不敵な感じの作曲家が、
こちらをにらみつけている感じで、
非常に好感度が低い。

あまり飾っておきたくない感じ。
眼鏡も瞳もフラッシュに光って不気味だが、
四重奏の番号とレーベルだけが、
それ以上に赤々と輝いている。

このレーベル名、
「メロディア、ロシアのレーベル」とある。
大元の録音はソ連時代だが、
これは1997年にBMGから出されたものなので、
ソ連崩壊後のものだが、解説はどんな感じなのだろう。

「ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲、創造の歴史」
という題名で、Sigrid Neefという人が書いている。

「ショスタコーヴィチ(1906-1975)の
15曲の弦楽四重奏曲は、
その数の上からだけでなく、
音楽的重要さと内容によっても、
その15曲の交響曲と並ぶ価値を持つ。
『音楽はその着想と思想によって、
また、普遍化によって強さを勝ち得る』
と、ショスタコーヴィチは言ったが、
『弦楽四重奏曲の中でこそ、
思想は深まり、着想は純化される』。
ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲に対する関心は、
1924年から1974年の、ほぼ半世紀に及んだが、
若書きの試行錯誤から、
熟達の老年期への発展があるわけではない。
非常に早い時期から、
基本的着想はすでに表現されていて、
相応の技術で明言されていた。
儚さや死への嘆き、
野蛮な力を使うことへの反抗の声、
時の盲目の行進。
現実世界では政治的暴力が先鋭化し、
作曲家の内的な強さや、
ヴィジョンの明確さは強化された。」

私は、ロシア原盤のCD解説から、
ここまで、明確な言葉を聞くとは思っていなかった。

ベートーヴェン四重奏団のCD(アメリカ製)も、
ボロディン四重奏団オリジナルメンバーのCD(英国製)も、
政治的なことには、あえて触れていない風情であった。

従って、これまで語られて来た、
ショスタコーヴィチを取り巻く環境の、
極限状態は、ここで聴いて来た
いくつかのCD解説を読む限り、
実は、誇張だったのではないか、
などと感じたくらいであった。

「この発展の一つのサインは、
内省と真実が充満する、
アダージョ楽章に見られるかもしれない。
ここには苦痛と、
その苦痛を受け入れる能力が音楽化されている。
作曲家の最高の抱負を要約するなら、
これらの楽章は二十世紀の音楽、
二十世紀のための音楽、
ということになる。」

つまるところ、を、
ずばっと書いてくれた解説は、
非常にありがたい。

これからショスタコーヴィチのアダージョを聴けば、
よしっ、二十世紀、と考えればよい。

「彼の弦楽四重奏曲において、
ショスタコーヴィチは、
ドストエフスキーが言うところの、
『人生の呪わしい疑問』というもの、
『一人の人間の心に何が起きたかを、
数百万人の男女に見せつけ、
全人間性を満たすものが、
いったい何であるかを明らかにしたい』
という要求で持続されたプロセスを、
凝縮したものなのである。」

どの小説や文献からの引用かは分からないが、
ドストエフスキーになぞらえる解説も初めて見た。

この解説は、面白い事に、
次に、各曲の解説を続けず、
その前に、演奏団体である、
ボロディン四重奏団についての説明をしている。

「The Borodin Quartet:
ボロディン四重奏団の特徴は、
熱烈で真性なロシアの音色にある。
ここでのみ、ショスタコーヴィチの中に、
ムソルグスキーやチャイコフスキーの
伝統を聴くことが出来る。
その解釈の温かさと色彩が、
1923年創設で、
ショスタコーヴィチのほとんどの室内楽を初演した
モスクワのベートーヴェン四重奏団の
神経質な感情主義から、
彼等を差別化している。
ボロディン四重奏団は、
ルドルフ・バルシャイを含む
モスクワ音楽院の学生4人が、
その四重奏演奏で感心を引いた
1944年に生まれた。」

1世代上に当たるベートーヴェン四重奏団との比較が、
このようにずばっと書いているところもよい。

「11年後、彼等はその名前を、
ボロディン四重奏団と変え現在に至り、
レパートリー開拓を進めながらも、
ロシアの伝統に忠実であった。
現在リリースされているものの多くは、
ブレジネフの鉄のルールが、
全ロシアの生活に影を投げかけ、
芸術家に、音楽が単なる耳の祭典か、
人生の基本的真実に対する質問を投げかける手段か、
を迫る時代、モスクワで録音されたものである。
結果、その音楽作りの倫理責任は、
ボロディン四重奏団の独特の特性となった。
ロシアの指導的な弦楽四重奏団の一つとして、
その卓越した音楽性や、集中した知性のみならず、
その完璧なアンサンブルによって、
国際的に知られている。」

このように、このCDは、
ショスタコーヴィチの音楽のみならず、
演奏団体の背負った使命についても、
20世紀のソ連の歴史の中で捉え直されている。

「最初に西側に登場した時、
世界初演の録音や、
リヒテル、ギレリス、オイストラッフ、
ロストロポーヴィチを含む、
最高の音楽家たちとの共演や、
未開のレパートリーの探索によって、
最上級の賛辞をシャワーのように浴びた。
1974年、グループのリーダー、
ロスティラフ・ドゥビンスキーが西側に移り、
ミハイル・コペルマンに交代した。
同時に、第2ヴァイオリンのアレクサンドロフが、
1935年、モスクワ生まれのアブラメンコフに、
席を譲った。
他のメンバーは、1930年モスクワ生まれの、
シェバーリンと、
1925年イルクーツク生まれの、
チェリスト、ベルリンスキーである。」

続いて、各曲の解説が始まる。
「私は世界であり、世界は私の中にある」
という意味深な題名がついている。

「弦楽四重奏曲第3番ヘ長調、作品73(1946)
相反する感情が混沌の混乱を呈する、
ショスタコーヴィチの第3四重奏曲は、
1946年に書かれた戦後の作品である。
生への希求と嘆きは、
どこにおいても、分かちがたく結びついており、
どの瞬間も、国中のどこの街角でも、
ぞっとする荒廃に苦しめられていた。
普通の人の普通の喜びが、
そのまま最初のアレグロに表されている。」

どうやら、第3四重奏曲の最初の楽章は、
ベートーヴェン四重奏団のCD解説による、
若者の呑気な感情と、
ここに書かれたような、普通の人の感情と、
解釈が二つに分かれるようだが、
いずれにせよ、この楽章は、
来るべき悲劇に気づかぬ、
日常的な平穏を感じればよさそうだ。

これはスターリン体制下にだけ適用されるものではなく、
いつなんどき、何が起こるか分からぬ、
我々にも大変、身近な問題ではなかろうか。

政治的な恐怖ではなくとも、
財政的な破綻や健康の問題もまたしかりではあるまいか。

さて、神経質なベートーヴェン四重奏団に対し、
温かい表現をする、とされた、
ボロディン四重奏団であるが、
私の印象は違って、ドゥビンスキーの時代は、
ベートーヴェン四重奏団以上に神経質に、
硬派の美学を貫いていた。

が、このコペルマンの時代になって、
余裕あるヴァイオリンの音色の美学を表し始めたような感じ。
このCDでも、コペルマンのヴァイオリンの自在さが、
最初の楽章から耳をそばだてる。

ドゥビンスキーのようなストイックな奏者の後、
彼等は、もっと違う行き方を選んだようだ。

「ショスタコーヴィチ自身は、
この第3四重奏曲を、最も成功した作品と考えており、
1950年代、後に優れた作曲家になる
若いデニソン・デニソフに、
これをモデルにして示し、
『これを通して見れば、
第1楽章が愛らしく奏されるべきで、
怒ったように演奏するべきではない、
と分かるだろう』と言った。
ここで、ショスタコーヴィチは、
慣習的な展開部を置き換えて、
第1主題の要素と、
第2主題を対位主題にした
精緻な二重フーガとした。
これは単なる手すさびではない。
何故なら、ショスタコーヴィチにとって、
フーガは、音楽分野における、
人間の知的努力の代表だったからである。
このように、彼はその単純な主題を、
そして、それと共に普通の人を、
高尚なものにした。」

展開部が二重フーガになっていることは、
言われてみればそうなのだが、
それゆえに、高貴になっているというのも、
肯くしかない。

この楽章を聴く限り、コペルマンと伴奏者による演奏、
みたいな感じがしないでもない。
デニソフに作曲家が語った言葉、
「lovingly」は、確かに実践されているが、
この楽章には、いくらか、将来に対する不安、
みたいな要素があるのではないか。

コペルマンのヴァイオリンが調子よすぎて、
何だか、ちょっと違うのではないか、
という感じがしないでもない。
何だかせかせかしている。

亡命したドゥビンスキーへの当てつけに、
全く違うタイプの演奏家を連れて来たのではあるまいな。

「第2楽章では、3連音の強烈な連続で、
人生がその行程を追求する。
執拗で、不明瞭なグリッサンドや、
甲高いスピッカートが意見の違いを示唆し、
音響は青ざめ、儚く消える。
このように、この楽章は、
2、3小節で急変するテンポの対比や、
打楽器のようなトゥッティのコードによって、
恐ろしく演奏が難しい作品である、
次のアレグロ・ノン・トロッポと、
これ以上の対比をすることは困難なほどである。」

第2楽章は、最後の消え入るような所が印象深い。

続けて、第3楽章の解説に入っている。
この解説は、非常に怖い。
「しばしば、これはプロイセン風の、
足を高く上げての行進へのパロディ
(作曲家生前に最初に提示された解釈)
とされたように、
それは暴力の描写を想起させるが、
それは目に見えぬ混沌としたエネルギーではなく、
慎重にひけらかされた力の誇示であって、
決して、プロイセン風の壮観さに限るものでも、
戦後の世界の特徴である勝利のパレードでもない。」

混沌ではなく、力の見せつけ、
という所が怖い。
こんな政府にはとても付き合っておれん。

ここでもコペルマンの自在な弓さばきは、
とても印象的だが、やたらせかせかして、
慌ただしい感じがする。

パロディとはいえ、もう少し、
格調の高さが欲しいところだ。

「第4楽章は、
長く押さえつけられた哀悼が、
レクイエムの形で表層にしみ出てきたような、
アダージョ。
低音の非常に悲劇的なユニゾンのオクターブに、
第1ヴァイオリンが、優しい挽歌を添え、
最初の主題は7回現れるが、
聖書の響きは偶然ではない。
葬送行進曲は、最後に無に返っていく。」

このあたりから、この演奏は、
妙に説得力を増して来る感じ。
前半はパロディで押し通し、
後半に密度を持たせた演奏。

これが、ソ連当局にふさわしい措置だったかどうかは不明。

「終楽章は、休みなく続き、
生への帰還をほのめかせて、
第1楽章の鏡像となっている。
しかし、アレグレットがモデラートになり、
ピアニッシモの第1主題が、鼓動を伴い、流れる。
ムードはかつてのように、お気楽なものではない。
つんざくように甲高かった第2主題は、
高音とはいえ、柔らかさを獲得する。
第3主題は、どこかで聞き慣れたもので、
これまでのものを追いやってしまう。
そして、全ては同時に、レクイエムの主題が、
フォルテッシモ、エスプレッシーヴォで蘇ると、
そして、静けさが広がる。
第2主題が一言差し挟むと、
また、聞き慣れた主題が騒ぎ始め、
この楽章の最初の主題が、
素晴らしいアダージョの最後に現れる。」

ものすごく濃密な音楽になって終わる。
この楽章に、この演奏は11分16秒もかけており、
旧盤の10分8秒の1割増しにしている。

「ショスタコーヴィチは、第3四重奏曲を、
1940年のピアノ五重奏曲初演の成功以来、
密接な仕事を共にしたベートーヴェン四重奏団に献呈した。
この作品の初演は1946年12月16日。
英雄的な勝利の祭典に対し、
形式的な栄誉を加えようとした、
社会主義リアリズムのための、
勝利の賛歌ではなく、
普通の人々の生活における、
偉大で永遠の真実の普遍的な叙事詩
を提示しているのに驚く。」

このCDの儲けものは、次に、
めったに聴けない、作品が併録されている点。
「弦楽八重奏のための二つの小品、作品11(1924/25)」
というものである。

しかも、この録音は、何と1964年録音で、
オリジナルメンバーの、
ボロディン四重奏団(第1ヴァイオリンはドゥビンスキー)に、
女性だけの団体として有名だった、
プロコフィエフ四重奏団が共演している。
完全に禁じ手とも言えるカップリングである。

二つの小品は、「前奏曲」と「スケルツォ」からなり、
そのあたりのことが書かれてないのに、
いきなり「前奏曲は」と始まって面食らう。

「1924年までに、
18歳のショスタコーヴィチは、
特に作品10の第1交響曲など、
すでに初期の作品で有名になっていた。
公式にはペトログラードの学生であったが、
家庭を支えるために、
地元の映画館でピアノを弾いていた。
熱に浮かされたように、
彼を刺激させたり麻痺させたりする、
彼は様々な感情体験の力を感じていた。
音楽的文脈の中でのみ、
彼はバランスを失わずに済み、
印象的ながら控えめな自信が芽生えた。
その結果が、感情の傷つきやすさの、
奇妙な混在であり、
また、外部世界から彼を守る、
自分を隠す能力であった。」

なかなかうまい表現である。
自分を隠す表現によって、自分を守る、
というやり方で、ショスタコーヴィチの、
謎の作品群が生まれたというわけだ。

「死というものに向き合い、
チフス熱から亡くなった、
親友でまったく同年齢だった、
クルチャボフの思い出に対し、
彼は、弦楽八重奏のための前奏曲を捧げた。
そこから、死に関する、
ショスタコーヴィチ特有の作品群が始まった。
一般に、ショスタコーヴィチは、
こうした作品で死者の肖像を描くことはなかったが、
スターリンを描いた、
1953年の第10交響曲の第2楽章、
1960年の第7四重奏曲と、
この前奏曲作品11は例外であった。
第7弦楽四重奏曲では、
妻のニーナ・ヴァシリエブナが、
ワルツの主題で具体化されているが、
この初期の前奏曲では、
チェロの小さな動機が、
まるで死を表すように、
その楽器の最高域まで上昇する。
その基本素材は、
上昇し下降する四度、
ため息のような減二度で、
萌芽の細胞が構成的というより、
破壊的に前奏曲を形成している。」

ということで、亡くなった友人の肖像画だと思って聴く。

じゃじゃーんと、かなり劇的な開始。
低音もブーンと鳴って、
期待を抱かせる冒頭だが、
主部は、ちょこちょこと跳ね回って、
これまたスケルツォ風。
ヴァイオリンが高音に駆け上がって、
絶望的な闘争の音楽を奏でるが、
力なく沈み込んで行く。
その後、チェロの上昇が始まって曲が終わる。
6分半の作品。

「ト短調のスケルツォは、
同様に弦楽八重奏のために書かれ、
翌年に書かれ、
常にある死の他の側面を表している。
つまり、生に対する際限ない要求で、
彼が、他の人を駆り立てる力として見たもので、
彼自身、生涯を通じて駆り立てられた感情である。
彼のスケルツォ的なマスカレードは、
それを映し、また、ゆがめる鏡である。
同様のことは、この小品にも言える。
彼が1936年に失脚した時、
これらのスケルツォは、
さらに厳しく、しかめっ面になり、
紛れもなく悪の精神を集めたものとなった。
1925年のスケルツォは、
まだ、彼自身、傍観者の役割であって、
結果として、そのスコアは、
映画用のようで、誇張されたトレモロや
ぶしつけなグリッサンドを含む。
二つの四重奏団を合わせて、
その力を倍増させているが、
贅沢な楽器のテクスチャや、
たっぷりした音色を試みたものではなく、
過激な表現を求めたものである。」

音楽は、けたたましく騒々しいが、
すでに後年の作品を彩る、
不気味な低音のモノローグが聴かれる。
わずか4分の作品であるが、
解説にあるように、奇異な効果に満ち、
戯画的、効果音楽的な特徴が散見される。

このような小品の解説から、
まさかショスタコーヴィチの本質を成すような言葉を、
こんなに次々と見ることが出来ようとは思わなかった。

死に対する恐怖と、生への希求のようなものが、
彼の音楽の本質だと考えると、
確かに、彼の音楽の普遍性が納得できるではないか。

「若い作曲家は、この新作を、
レニングラードの新音楽サークルに紹介したが、
発言力のあった作曲家、
音楽史家のボリス・アサフィエフに酷評され、
1926年の第1交響曲の成功まで、
これを保留することにした。
グリエール四重奏団とストラディバリウス四重奏団が、
最終的に、1927年の1月9日、
モスクワで初演した。
このときは比較的好評であった。
西側でもこれらは演奏され、
1938年にはパリでも演奏された。
1948年、しかし、ショスタコーヴィチの作品は、
例外なく、『退廃的形式主義』と非難され、
ロシアの人民には無価値と烙印を押され、
公式には無視されることとなった。
ボロディン四重奏団によって、
1960年代中盤に、
このダブル・カルテットの二つの小品は、
ボロディン四重奏団の支持があるまで、
その状態が続いた。」

この演奏、ドゥビンスキー時代のもので、
音色も真摯で飾り気なく、少し遊び心に欠ける。
コペルマンならどう料理しただろうか。

また、プロコフィエフ四重奏団が、
どんな団体かまでは、これだけではよく分からない。
それがちょっと残念。

このCDは、この全集のCDの中で、
非常に価値が高いもので、こうした秘曲を聴ける他、
最後に代表作のピアノ五重奏曲まで収録されている。
しかも、ピアノはリヒテル。

全部を訳出すると文字数オーバーになるので、
かいつまんで書いてあることを列挙する。
「ピアノ五重奏曲ト長調、作品57(1940)
20歳の時、流星のように1926年にデビューした
ショスタコーヴィチも10年後に突然、
テロの時代、この名声も中断される。
しかし、1940年、凪があって、
ベートーヴェン四重奏団に乞われて、
この曲を作曲した。34歳の時である。
『アメとムチ』のように、政府は、
スターリン賞第1等をくれたが、
ショスタコーヴィチは、この賞金を、
テロの犠牲で倒れた作曲家コセンコの未亡人などに、
寄付してしまった。
作曲家もまた、映画音楽や教職で糊口をしのいでいた。
彼は、ここで利他的な勇気と、
底知れない恐怖を結びつけた。
これが、この素晴らしい作品の背景にあったので、
これゆえに、彼はこの作品を愛し、
繰り返し1960年代中頃、
ピアノ演奏を辞めるまで、
この作品を繰り返し演奏しつづけた。」

これは、非常に美しい話である。
私は、ずっとこの作品が好きにはなれなかったが、
いくつかの演奏を聴いて、見直すようになっている。
こうしたエピソードも、曲の鑑賞時に味わいを増す。
こうした意見を嫌う人がいるのは承知の上だが。

この曲の解説の最後に、
このCDの作品解説のタイトルになった言葉が登場するので、
ここは書き留めておく必要があろう。

「国際的に評価されたロシアのピアニスト、
ハインリヒ・ネイガウス(1888-1964)は、
このピアノ五重奏曲の賛美者であった。
それは不可能である、と書いた。
『このように細部の豊かさを持ち、
さらに完璧な形式を想像することは。
最も深い痛みのエピソードがあるにもかかわらず、
そこにはウィットとさらに深い意味がある。
こうした巷の音楽から、
この中で、内的な世界は、外部世界が反映されている。』
『私は世界であり、世界は私の中にある』という具合に。」

この演奏は、1983年12月、
モスクワでのライブとあるから、
かつてビクターから1枚で出ていたものと同じかもしれない。
だとすると、ものすごいお買い得盤だ。

この演奏は大変、名演として名高いものだ。
が、かなり重量級で、リヒテルのものものしい強打と、
どばーっと粘るコペルマンのヴァイオリンは、
この猛暑の夏に聴くのは体力を要する。
録音がオンマイクのせいだろうか、
音楽の密度が高すぎて、
酸欠状態になりそうだ。

この演奏、12月5、6日の録音と書かれている。
二夜のうち、良いとこ取りしたのだろうか。
ビクターのものがどうだったかは分からない。

この1983年という年、
ソ連のアフガニスタン侵攻が話題になっており、
共産体制下まっただ中、
という感じがしないでもないが、
よく考えると、
このメンバーが、シューベルトの「ます」を、
EMIレーベルから出したのは、
もう少し前のことだった。

また、この頃、ボロディン四重奏団は来日したはずで、
私は、「第1番」のライブをFMで放送したのを、
カセットテープに録音した記憶がある。
私は、これを繰り返し聞いて楽しんだものだ。

得られた事:「ボロディン四重奏団のショスタコーヴィチ録音、オリジナルメンバーのもの同様、熱いが、より艶っぽく粘着質。」
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by franz310 | 2010-08-21 20:27 | 現・近代
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