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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その238

b0083728_13174180.jpg個人的経験:
前回、ショスタコーヴィチの
弦楽四重奏曲の
最初の2曲を、
ベートーヴェン四重奏団の
演奏で聴いたが、
続く「第3番」こそは、
この団体に献呈された作品である。
しかも、この作品は、
多くの団体が録音して、
かなりの名品として知られる。


私も、スメタナ四重奏団が録音したものを、
LP時代には聴いていたものである。

このベートーヴェン四重奏団のCDの解説によると、
やはり、この作品こそが、
後の作品群の基礎となったような事が書かれている。

この前のCDは、Volume Oneであったが、
今回のは、デザインも同じ(色が違うだけ)、
Volume Treeである。
前回のは鮮烈な赤だったが、今回のは、寝ぼけた水色である。

Consonanceというレーベルのもので、
白黒のカバー写真は、
「ベートーヴェン四重奏団とショスタコーヴィチ」
とあるが、どのような機会のものかは情報がない。

この写真も前回のものと同様だが、
ヴァイオリンが向かって右手に、
チェロが向かって左手にいるのが気になって仕方がない。

しかも、楽器はみんな右手に持っているが、
弦楽器奏者は左手に持つのが自然ではなかろうか。
この写真は、左右反対と考えるべきではないか。
だとすると、かなりしょぼいレーベルである。

ただし、録音時期は書かれており、
前のCDは第1番が1961年の録音、
第2番が1956年の録音とある。
この3番は、1960年の録音。

また、前回のものには、
同じく60年録音の第4番が、
このCDには、
56年録音の第6番が併録されている。

第6四重奏曲は56年の作品なので、
出来たてほやほやの作品の演奏記録である。
あるいは、初演の録音であろうか。

前のCDには、Remastering、
Tatiana Vinniskayaと書かれていたが、
今回のCDは、
Recording Engineerの欄、
Recording Technicianの欄、
Editorの欄、すべて空白である。

熱い解説を書いているのも、
署名がないので、
ショスタコーヴィチの研究家なのか、
そこらのおっさんか分からない。

このシリーズの解説は、
どのような研究成果を経たものか不明ながら、
妄想か分析か分からない
具体的イメージが散りばめられたもので、
解説だけでも楽しみである。

非常に示唆に富むものであるだけに、
筆者が誰か分からないのは、とても残念である。

ちなみに、有名な「第3四重奏曲」、
他の本では、こんな風に書かれている。

作品小辞典(1982年):
「陽気に戦争終結を祝うかのように始まる。
しかし楽章を追うごとに闇は深まり、
悲劇性は強まっていく。」

カルテットのたのしみ(ハイメラン、アウリッヒ著)
「この作品は戦争と平和の問題を扱っている。」

まさしく、原爆の日に聴くのに、
ふさわしい作品ということになる。

しかし、このCD解説によると、
何故か、一人の人間の物語になってしまう。

「四重奏曲第3番ホ長調、作品73(1946)
この四重奏曲はベートーヴェン四重奏団に献呈されている。
この四重奏曲は多様に見えながら、しかし、全曲統一された、
5つの楽章からなる。
第1楽章から次の楽章に進むにつれ、
音楽は主人公の人生の物語を明らかにする。」

という風に、強烈に教条主義的であることも特筆してよい。

この音楽が人間の物語だったとは、
今の今まで知らなかった。

このCDはアメリカ製であるが、
まさしく旧ソ連での公式解釈をでも聴くような感じ。
(そんなものがあったかどうかは知らないが。)

「第1楽章アレグレットは、輝かしく生き生きしたもの。
舞曲風で、性格的には気むずかしく、
独特の効果で柔らかく脈動する伴奏を背景にメロディは、
緩やかに自然に流れていく。」

確かに、こんな感じのお気楽な節回しで、
いったい何なんだ、という感じがするのは確か。
これを青年期を表す音楽と言われれば、
そんな気がしないでもない。
しかし、ここでも、第1ヴァイオリンの、
ツィガーノフの節回しは冴えた感じである。

第2主題は、これに比べ、いじいじしている。

「この主題と共に、第2主題は、
内気に躊躇して和音を奏で、
この部分だけでなくこの曲全体に行き渡る、
幼年期、青年期のイメージと共に、
悲痛で救いのない、また、ナイーブな驚きが、
この楽章の主題的材料となる。」

何だか、戸惑ったような様相を示すことを、
「悲痛で救いのない」とか、
「ナイーブ」とか表現されているようだ。
展開部では、かなり、錯綜して、
この四重奏団の表現はテンションが高くなるが、
かつて、スメタナ四重奏団でも、
こんな感じだっただろうか。

とにかく、お気楽な主題が、様々な障害にぶつかって、
戯画的なまでに、狼狽しつつも、
何とか前進する音楽だという感じはする。

この四重奏団の表現、
最後のコーダの表現など、
すごいドライブをかけていて、
ぎりぎりセーフで切り抜けた、という感じである。

「第2楽章モデラート・コン・モートは、
粗野な力を感じさせる感情的に不安定な性格の、
エネルギーに満ちた、力強い、心を奪うメロディで始まる。
これは、音楽が透明で、柔らかく震える、
他のセクションに移り、
美しい人生の情景や高貴な感情のハーモニーを描く。」

すぐに人生とかを語り出すのが重い。
この人の文章は、装飾に装飾を重ねるのが特徴で、
この調子では、何でもありになりそうだが、
さすがに、かろうじて、ポイントを押さえている。

粗野なメロディが旋回する部分、
そして、弱音で震える部分があるのは確か。
しかし、美しい人生の情景かどうかは分からない。

が、では何だ、と問われると、
うむ、確かに、何か遠くにあるもの、
あるいは、昔の思い出などを、
表しているかもしれない、
などと答えるしかなさそうだ。

「喜ばしく幸福なこの世界は、
第3楽章アレグロ・ノン・トロッポの、
非情で情け容赦ない力の対比にぶつかる。」

第2楽章が、そんなに幸福な世界だったかは疑問ながら、
第3楽章が情け容赦ない音楽であることは確か。

「スタッカートの和音の鋭いリズムが、
好戦的なメロディの背景をつとめ、
ここから、強力で破壊的な行進曲となり、
音楽を悲劇的な情念で満たす。」

録音のせいか、完全にツィガーノフの音色は、
ささくれだっており、妙に突き刺さって来る。
どの楽器も、鉄条網みたいに痛い。

「この楽章の性格と構成は、この作曲家の、
ピアノ三重奏曲第2番の第3楽章に似ている。」

ピアノ三重奏曲の第3楽章はラルゴなので、
第4楽章のアダージョの話に移ったと思われる。
ショスタコーヴィチが得意とする、
パッサカリアみたいな感じで、
下記のように、悲嘆に充ち満ちている。

「これは、悲愴で悲しみに満ちたメロディで、
悲嘆にくれた抑揚と、情熱的な反抗に満ちている。
それは7回変化し、勇敢な剛毅さから、
悲劇的な嘆きまで、様々な感情の幅を見せる。
これは主人公の悲劇的な死を思わせ、
その死は暴力的で早すぎるものだ。」

が、いきなり、さっきまで、
何とかすいすい生きていた青年が、
悲劇的な死を遂げた、
という解釈がむちゃくちゃにも感じる。
早すぎる死と書いてあるのも、
後付け理論風である。

「終楽章のモデラートは、
前の楽章のカタストロフへの反応である。
音楽は悲痛な嘆きを感じさせる。
この悲しみは高貴で気高く、
不満も希望も持たずに、
力強く耐え忍ぶ。」

先ほどの楽章も悲痛だったが、
今回のものは、何だか悲痛というより、
茫然自失な感じ。

高貴で気高いかどうかは分からない。

是非とも、ショスタコーヴィチが、
何故、こんな音楽を書いて、
ベートーヴェン四重奏団に捧げる必要があったのか、
そこをばっちり書いて欲しいものだ。

「この楽章は3つの主題によるロンドで、
最初の主題は数回繰り返され、叙情的に高まり、
深い精神的な雰囲気を作り出す。
夢と悲しみの第2の主題は、たった一度だけ登場し、
第3の主題は、単純な行進曲のような歌で、
2回目に登場する際には、柔らかい叙情を帯びる。」

こんなよたよたの音楽がロンドとは思わなかったが、
ショスタコーヴィチ特有の、
様々な感情が整理できない謎の音楽が響いているのは確か。
ベートーヴェン四重奏団の演奏は、
いきなり取り憑かれたかのような熱狂状態に至っていて、
これは何だかものすごい。

怨念だけで突き進んだ感じであろうか。
前回、あんなに美しい音色を響かせた、
ツィガーノフも、4年経過したからであろうか、
何だか潤いに不足して気迫だけが殺気立っている。

「第3四重奏曲の主題の扱いや作曲上の構成は、
この四重奏曲の少し前、1945年に書かれた、
第9交響曲と類似している。
これは同様に5楽章からなり、
同様の主題を扱って、
最初の3つの楽章では緊張を高め、
第4楽章で悲劇的な崩壊が起こる。
終楽章のみが異なり、交響曲が回復した人生、
生き生きとした若さを描くのに対し、
第3四重奏曲の終楽章は悲しく、
浮ついた夢に浮遊している。」

なるほど、そう来たか、という解説。
このような解釈は分かりやすいし、
客観的事実も含んでいてよい。

が、肝心の戦争の問題は、どこにも出てこない。
天下国家の問題は、人民は考えなくて良い、
そう言いたい解説なのである。

何だか、最初は好感を持っていたのに、
少し、腹立たしく感じて来た。

各楽章の解説は、ほとんど、
妄想と解釈と分析の合体版となっているが、
すべて、我が事として捉えよ、という事だ。

前回のCDに入っていたのに、
「第2」に圧倒されて聴けなかった、第4番を聴く。
これで作曲順に聴けるというメリットもあって、
CDを取り替えて鑑賞を続ける。

「四重奏曲第4番ニ長調、作品83(1949)
この四重奏曲の作曲のベースは、
最初の3つの楽章で描かれる美しい光景と、
終楽章の悲劇的にグロテスクなアイデアとの、
予期せぬ鋭い対比である。」

どの曲の解説を読んでも、
こんなのばっかり、という感じだが、
これがショスタコーヴィチだというしかない。

「第1楽章、アレグレットは、
明るさと力に満ちている。
困難な上り坂のように、
ゆっくりと執拗に展開される。
障害に打ち勝つことの喜びが、
ここには満ちていて、
最後には、これに先立つテンションに
報いるだけの平穏が感じられる。」

困難な上り坂かどうかは分からない。
最初から、広々とした美しいメロディが美しい。
田園交響曲のようであるが、
この解説者によると、おそらく、
その後の展開の方が重要だったのであろう。

たった、3分の音楽で、あっという間に終わる。
「障害に打ち勝つ喜び」という、
大げさな感じはあまりしない。

いくら何でもウソだ。

「第2楽章、アンダンティーノは、
作曲家の祖国や国民への思いが反映されており、
深い感情に満ちたゆっくりとした歌は、
詩的な幻影と、高い切望で結びつく。」

ここで、祖国への思いを聞き取るなら、
第1楽章も、輝く田園風景でもよさそうなものだ。
第2楽章も美しく、忘我的にテンションが高まる。
これはショスタコーヴィチの音楽では、
あまりない例ではなかろうか。

「祖国」は分からなくもないが、
どうやって国民にまで、
思いを馳せていたことが分かるのだろう。
が、何だか、しんみりと、優しい心遣いを感じる楽章で、
解説者の妄想は、このあたりから羽ばたいたのかもしれない。

「第3楽章、アレグレットの、
扇動するように元気なリズムは、
男らしく穏やかな自信に満ちたメロディを呼び起こす。
時に、革命歌の行進曲の性格を帯び、
各楽器の弱音の響きが、音楽に透明な陰影を添え、
何か美しいものが過去に去り、
ただ、心の眼で見えるだけのようになって、
それが過去のことのように思わせる。」

この部分、この解説の白眉であろう。
「男らしく自信に満ちた」というのは確かであるが、
「心の眼だけで見える過去」というのがすごい。

が、今回は、そんな気がしなくもない。
素直にそう聞こえる感じ。
なかなか良い音楽である。

しかし、以下、解説は、
意味不明の形容のオンパレードになるので、
読み飛ばした方が良い。

「第4楽章、アレグレットは、劇的な語りのようで、
過去の出来事の胸躍る物語が、
共感した聴衆からの応答で中断される。
主要な展開は特別で、全曲の舞曲的性格を与える、
脈動する伴奏のリズムに則っている。
この背景に対し、ピアノ三重奏の終曲や、
『ユダヤの民族詩から』に似た、
終楽章の主要主題が現れる。
ここで再び、舞曲は、
喜びに満ちたものではなくなる。
涙を通じての笑いがここには感じられる。
メロディは、忘れることの出来ない悲しみの余韻を運ぶ。
苦しみや嘆き、希望や慰めは、
ここでは、相互に絡まり不可分である。
次第に、声部は、慰めを運ぶ輝かしい和音となる。」

この楽章は、前の楽章から切れ目なく続き、
非常に複雑な様相を示しており、
この解説者の解説を信じるしかないが、
要するに、なんだかジレンマの舞曲なのである。

この四重奏曲、
ハーゲン四重奏団なども録音していて、
かなり、有名な作品のようだが、
私は、初めて、ここまで聞き込んだ。

やはり、訳の分からない解説でも、
とっかかりがないと、私の脳みそは、
スタンバイ状態にならないようだ。

全曲で、20分程度、前半3楽章は、
平明で美しく、簡潔である。
終楽章にもヒステリックな要素はなく、
愛すべき作品という印象を持った。

ただ、
「このように、悲しみは男を崇高にし、
受難もまた、単なる苦痛ではなく気高い。」
と、解説に最後に書かれると、
ちゃぶ台をひっくり返したくなるが。

では、「第3番」と一緒に入っていた、
「第6番」を聴いてみよう。

「四重奏曲第6番ト長調、作品101(1956)
これまでの四重奏曲と比べ、
第6四重奏曲は、
様々なアイデアが盛り込まれているのに、
対比は大きくなく、
いくぶん平明なものとなっている。
第3四重奏曲に似て、『人生の始まり』から、
語られ始め、幼年期、屈託のない青年期、
そこから人生の崩壊期までが描かれる。」

これは、完全に意表をつく開始部を持った音楽で、
ショスタコーヴィチではない、
と言いたくなる程、
穏和な、陽光さえ感じさせるもの。

「劇的な構成として、
この四重奏曲は、1つは増加していくもの、
もう1つは死に絶えるものの、
2つの力の交錯を基礎としている。
これら2つの局面、花咲くものと、萎れゆくものは、
織り交ぜられ、分かちがたく感じられる。」

この解説者が言うように、
第1楽章から、美しく羽ばたくメロディが、
いつしか力を失って墜落寸前になっていたりする。
しかし、このまま墜落するかと思うと、
何となくかろうじて羽ばたいていたりする。

「各楽章は、深く賢明な、
メインのフレーズで閉じられるが、
過ぎ去った人生のステージの考察、
その意味の反芻のように感じられる。」

なるほど、こんな点にも特徴があるのか。
そうした作曲上の工夫も、
この解説者によれば、
結局、人生の振り返りになってしまうというわけだ。

この曲も、「作品小辞典」などでは、
「作曲者の50歳を記念する演奏会で演奏された」
などという、妙に明確なインフォーメーションがあるのに、
このCDでは、完全に無視されている。

しかし、ずるいぞ、ショスタコーヴィチ!
オイストラッフの誕生日には、
晦渋で、暗い作品を贈っておきながら、
自分の誕生日用の作品は、
とても明るいではないか。

「第1楽章アレグレットは、
大きな事を達成した日のようだ。
楽しげで生き生きとしたリズムは、
次々に登場する様々なメロディを伴奏し、
幸福と健康の完全性で統一されている。」

幸福はまだしも、健康までが描かれていたのか、
と突っ込むのも疲れて来たが、
この人には、どんどん行ってしまって欲しい。
そうだ、とか、ちがう、とか言いながら聴くのも楽しいものだ。
私は、人間よりも、もっと美しいもの、
蝶か鳥かを想像した楽章であった。

軽い感じだが、第1や第4の第1楽章より、
規模は1.5倍から2倍大きい。

「第2楽章、モデラート・コン・モートは、
舞曲風の明るくエネルギッシュな音色で始まり、
優しい憂愁の音色で閉じられる。」

この楽章の解説は、期待はずれである。
これでは、人生も祖国も世界も出てこないではないか。
私は、これでは、ボケもツッコミも入れられないではないか。

この楽章も軽やかで、
舞曲風で楽しげであるが、
まさしく夢の中の出来事のように、
儚げに演奏され、
中間に出てくる旋回するメロディは、
何だか喪失感を感じさせるもので、
ツィガーノフが、澄んだ音で悲しさ、
虚しさをかき立てる。

ムラヴィンスキーの演奏などで、
ショスタコーヴィチの音楽は、
異常な程の熱気と説得力を帯びることがあるが、
初演時期の、出来たてほやほや状態での、
この演奏も、何故か、
妙に迫ってくるものを感じる。

「次の楽章、レントは、大切な人の墓を尋ねた時のようだ。」

この解説者の、ここまで明確なイメージは、
どこから来たのであろうか。
この演奏を聴いてのものか、
それとも、楽譜から直接か。
あるいは、誰かから聴いたことなのか。

「この楽章は特別な変奏曲形式で書かれている。
7回、事実上交代なく、チェロは悲しげで、
幾分、寒々としたメロディを奏でる(オスティナート)。
チェロのフレーズの悲しげな応答に、
各楽器は、控えめながら、
深く優しいそれぞれの歌を奏で、
次第に、その悲歌は1つになっていく。」

「お墓参り」の印象、
確かに負けずに妄想で返すと、
古代ギリシアの美しい墓碑、
悲しみを湛えた壺絵などの、
妙に研ぎ澄まされた繊細さを、
ここに感じてもいいだろうか。

いずれにせよ、極めて静謐な、
しみじみとした音楽で、大変、美しい。

が、50歳を記念してお墓参り。
ちょっとブラックだ。

「終楽章、レントでは、まず、
精神的な暖かみとソフトな優しさに満ちているが、
集中と警告のような要素に道を譲る。
二度、音楽は皮肉っぽく、あざけるが、
前楽章の嘆きのメロディが終楽章中間部に現れる。
しかし、音楽は、善と悪、平穏と悩み、
生と死、単純な心とアイロニーが手に手を取っている。」

この四重奏曲も、この終楽章で、
何だか、急に、興奮を始めるが、
「集中」と「警告」というか、
音響の陶酔のようなものも同時にありそうだ。

高みに駆け上がろうとする努力にも聞こえ、
この部分はとても感動的である。
しかし、それも次第に力を失ってしまうのが悲しい。

ひと気づくと、結局、もとの場所を彷徨っている風情。
50歳になったショスタコーヴィチが、
こうした焦燥感を持っていたことが分かるだけで、
妙に身近な存在として感じられた。

この曲も、意味不明のヒステリーがない上、
個々の部分は、十分にメロディアスで美しく、
たいへん聴き応えのあるものと思う。

ただし、弱音部分が多く、
鳴っているのか鳴っていないのか、
はっきりしない作品である。
また、個々の部分の繋がりも、
あるようなないような、
雰囲気だけの音楽にも聞こえる。

この「第6」だけでなく、
今回聴いたショスタコーヴィチの室内楽は、
「第2四重奏曲」のような大騒ぎがなく、
心落ち着けて聴くことが出来た。

しかし、甘美な叙情性と、
静謐な悲しみの間のような、
微妙なぎりぎりラインをふらふら揺れ動くので、
どの曲がどの曲かよく分からない感じがしないでもない。

得られた事:「ショスタコーヴィチの『第4四重奏曲』は『田園』風、『第6』は、中年哀歌風。」
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by franz310 | 2010-08-08 13:17 | 現・近代
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