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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その236

b0083728_1049389.jpg個人的経験:
ショスタコーヴィチの
「24の前奏曲」は、
私は、ニコラーエヴァのものを
持っていたが、
あまり聞き込むことなく、
おそらく10年が過ぎている。
このCD、デザインも印象的で、
忘れ難いものだが、
どうも音楽の印象が、
ぴんと来てない感じである。


問題のデザインは、1881年生まれの、
Leon Spilliaertという画家の作品らしく、
「眩暈、魔法の階段」と題されている。
バベルの塔のような階段の頂点に、
黒ずくめの女性が立ち尽くしているが、
女性の顔は、いったいどうなっているのか?
影になっていて分かりにくいが、
骸骨のようにも人形のようにも見える。
まん丸で猫の顔というと一番近い。

マフラーのたなびきからして、
強風の吹きすさぶ、やばい状況と見て取れる。
白黒画面が、ますます緊迫感を増す。

いったい、ここに収められているのは、
どんな内容なんだ、と思うと同時に、
あまり、こんな音楽は聴きたくないなあ、
という感じがしないでもない。

今回のCD、1951年に書かれた代表作、
作品87の「前奏曲とフーガ」を含んでいないとはいえ、
1922年作曲の「3つの幻想舞曲集」、
10年後の1932年から33年に書かれた「24の前奏曲」、
さらに1943年という危険な時代の、
「ピアノ・ソナタ第2番」が収められているが、
ちょうど10年おきの作品で、
ショスタコーヴィチは、結局、
10年に1曲ずつピアノ曲を書かなかったのではないか、
という印象すら受けてしまう。

また、演奏しているニコラーエヴァといえば、
ずっとバッハの大家と知られていただけあって、
一言で言えば、地味な印象。

曲や演奏者の地味さが、
この辛気くさい表紙デザインと相まって、
何となく、聴く前から、要を得ない感じである。

地味というのは、取り付く島がない、
という感じにつながる。
が、恐れ多くも、作曲家直伝の演奏家である。

解説を書いているのは、
ロバート・マシュー・ウォーカーという人であるが、
日本人には困りものの文体の人である。

さきに書いたように、
彼はまず、ショスタコーヴィチのピアノ曲全般について、
概説してくれている。

「これまで、一般の音楽愛好家にとっての、
ドミトリー・ショスタコーヴィチが
20世紀の巨匠の一人であるという評価は、
もっぱら、15曲の交響曲と15曲の弦楽四重奏曲、
それにいくつかの協奏曲、その他の作品によるものだった。
しかし、ショスタコーヴィチの専門家は、
これらの40曲ばかりの他に、
さらなる100曲以上がある事を知り、
ひとたび、これらを検証すれば、
この個性的な作曲家は異なる概観を見せるのである。
ショスタコーヴィチの音楽は大きなパラドックスを孕むが、
これは比較的少数だが重要な、
ピアノ独奏用作品にも見られるものだ。」

有名な諸作品と同じように聴け、
ということだろうか。

「ショスタコーヴィチ自身、優れたピアニストであって、
1927年にはワルシャワの最初のショパン・コンクールで、
チャイコフスキーとプロコフィエフの第1協奏曲を弾いて、
受賞した程であるが、
明らかに優れた能力にも関わらず、
比較的少数の作品しか、ピアノ用作品を作曲していない。
最初のパラドックスはこれで、
高度な技巧を有するピアニストであるにもかかわらず、
彼は比較的少数の作品しか残していない。
そして、彼のピアノ曲は、
この楽器の深い知識によって書かれたにも関わらず、
非常に知られたものがある一方で、
この数十年、ほとんど知られていないものがある。」

何だかまどろっこしい書き方であるが、
結局、優れたピアニストだったのに、
あまりピアノの作品は知られていない、
ということを繰り返しているにすぎない。

「ショスタコーヴィチのピアノ曲は、もっぱら、
1950年から51年に書かれた、
作品87の『24の前奏曲とフーガ』で知られ、
これはほとんど、ピアノ独奏のための、
ショスタコーヴィチの最後の言葉であり、
1918年の中頃、12歳の誕生日を迎える頃から、
書き始められたことが確かめられる、
ピアノ作品の総括である。
ペトログラード音楽院のピアノ教授、
アレクサンドラ・ロザノヴァの所蔵に、
最後の作品が未完成の3つのピアノ小品が見つかっており、
1917年に、まだグネッシン音楽学校の生徒だった頃、
彼女のために、これを弾いたとされる。
1919年、彼は音楽院に入り、
ピアノをレオニード・ニコラーエフに学び、
(彼の思い出のために第2ソナタを作曲した)
1年後の1920年、マキシミリアン・シュタインベルクに、
最初の作曲のレッスンを受け、
知られている最初の作品で、
生前、5曲のみが出版され、
1966年まで知られなかった、
ピアノ用の『8つの前奏曲』作品2を完成させた。
ショスタコーヴィチは24曲の前奏曲を完成させるべく、
さらなる8曲を書いたが、
他の16曲は二人の級友、
パーヴェル・フェルトとゲオルギ・クレメンツ
に平等に分けた。
作品2のセット同様、これらの知られざる作品は、
他の5曲とグループ化されて出版される
1966年まで知られていなかった。」

よく分からないが、
ショスタコーヴィチは、若い頃から、
前奏曲が大好きだったようである。

このCDの最初に収められた3つの幻想舞曲もまた、
前奏曲とは題されていないながら、
ドビュッシーのような風情。
軽やかなもので、スクリャービン風にも聞こえる。
3曲で4分程度の短いものである。
最後の作品のみ、リズムが明解で、
舞曲の感じが出ているが尻切れトンボみたいに終わる。

この曲の解説にはこうある。
「前年に書かれた、8曲の前奏曲のうち、
失われた3曲が、まさしくこの曲で、
書き直されたかもしれない、と考えたくもなるが、
これらは舞曲で、抽象的な前奏曲ではないので、
こうした見解はふさわしくなかろう。
さらに、これらはさらに大きな音色の自由さがあり、
16歳の作品とはいえ、
もっと経験を積んだ作曲家の作品であることは明らかだ。
奇妙なことに、ショスタコーヴィチは、
これらの出版にもまた乗り気ではなく、
1937年まで出版されなかった。
(ある資料では1926年出版と書かれているが。)
これらの舞曲は、アメリカでは、1945年まで出版されず、
さらなる混乱があって、
本来は管弦楽のためのスケルツォ嬰へ短調の作品番号の
作品1として出版された。
しかし、級友のヨーゼフ・シュバルツに献呈された、
この3つの幻想舞曲は、1925年3月、
モスクワで、ショスタコーヴィチのリサイタルで初演された。
(ここでは、二台ピアノのための組曲作品6や、
ピアノ三重奏曲第1番作品8やチェロとピアノの3つの小品作品9も、
初演されている。)」

この4分の小品に、えらく長い解説である。
この人はショスタコーヴィチの
若い頃の研究が好きなのだろうか。

確かに、ショスタコーヴィチの音楽的ルーツが、
いったいどこにあるのかは、
非常に興味深い。

「最初の『行進曲』は、ハ長調の支配が強いもので、
導音のロは、フラットのスーパートニックに
引き寄せられる傾向にあり、痛快なカデンツァに至る。
中心のワルツは、ト長調で、
後にショスタコーヴィチがしばしば取り上げる、
ヴィーン風でないワルツの走りである。
最後のポルカは、
20世紀の音楽の特徴的な声の1つとなる、
後に作曲家が好んだ舞曲の最初のものである。」

どの曲も、後年の萌芽があるから、貴重ということだろう。

次に、24の前奏曲作品34の解説が始まるが、
この曲がCDで鳴り始めると、
やはり風格が大きくなっていることを感じさせる。
ニコラーエヴァも、意外に、濃い味付けをしていたのである。

「ショスタコーヴィチのピアノ独奏用、
24の前奏曲は、1932年から33年の冬の、
比較的短い期間に作曲された。
各曲は、出版された時の順番に従って、
12月30日から、3月2日まで、
最初は、1日1曲のペースで書かれ、
これは、作品87の『24の前奏曲とフーガ』も同様で、
いずれも12の長調と12の短調の調性から成っている。
作品34の前奏曲がしばしば独立して演奏され、
何曲かのセレクションで演奏されるとしても、
その作曲の様式や上昇5度のサイクルなどの要素は、
セットで演奏される方が良いことを示唆している。
作曲家は全曲ではなく、一部だけを録音しているが。
24の前奏曲は、すべて1930の10月から、
32年の秋に書かれた、大量の付随音楽や映画用音楽、
それに、『マクベス夫人』という大規模なオペラの後で書かれた。
このいくぶん長い期間、大量の管弦楽曲を書いたばかりか、
必然的に、彼自身の楽器のための作曲も行った。
劇場や映画の『公式』な性格に比べ、
前奏曲は引きこもって内輪のものである。
(作品87が1949年から51年にかけての、
公式作品や映画音楽の合間に書かれたように。)」

このように、この解説者は、
ショスタコーヴィチのピアノ曲は、
弦楽四重奏曲などよりも、さらに内輪向け、
と定義づけている。

10年に一回、独り言言うみたいな?

「前奏曲の特徴は短く箴言的で、
(しかし、ピアノのための箴言作品13とは似ていない)
次の作品、前奏曲のたった4日後に書かれた、
第1ピアノ協奏曲とリンクしている。
いくつかの作品は1ページほどの、
24の短い各曲は、ムードと性格がはっきりしていて、
各曲のエッセンスは明らかに純化されて、
印象的な個性はたちまち明らかになる。
これらの作品の多くが異なる演奏形態、
大オーケストラ、シンフォニック・バンド、
クラリネットとオーケストラ、
ヴァイオリンとピアノなどに編曲されている。
管弦楽バージョンでは、
第14番変ホ短調をストコフスキーが編曲したものを、
思い起こすだろう。
これは、1933年の終わり、
作品34がアメリカで出版されたわずか数週間後に、
ストコフスキーによる、
ショスタコーヴィチの『第1交響曲』初録音に、
フィルアップされて発売されたものである。
このような作品が最初から編曲で録音されるのは奇妙だが。
それにしても、ショスタコーヴィチは、
大規模な交響曲の巨大なキャンバスと同様、
曲の長さや、演奏される楽器に限らず、
求められれば、短い期間で、その天才を抽出して見せることが出来た。」

そもそも、さらに内輪の音楽だ、と言われながら、
結局、シンフォニックバンドに編曲されちゃうって何?
何がいったいインティメートなわけ?

今回、私としては、ヴァイオリン編曲版で、
なかなか洒落ているな、と感じた原点があるので、
「楽興の時」的に忘我的、
「束の間の幻影」的に感覚的な音楽として、
再鑑賞してみたい。

では、前回の解説を引用しながら、
オリジナルの各曲を聴いていこう。
ここでのVn版というのは、
作曲家の盟友ツィガーノフ編曲のもので、
前回のCDに収録されていたものの事。

「第1番は、『シェヘラザード』の主題にヒントを得たもの。」
これは、やはり、ヴァイオリンが冴え渡って初めて、
シェヘラザードを想起できるものであろう。

トゥロフスキーの演奏のヴァイオリン版は、
もっとたっぷりしたテンポを取っている。
これも今回、聞き直すと、かなり抑えた表情である。
シェヘラザードの域とは隔たりがある。

「第2番:舞曲作品5を想起させる。」
軽やかに舞うスクリャービン風なので、
ピアノの美感の方が、神秘的な感じが良い。

トゥロフスキーのヴァイオリンは豪華な弓裁きで、
これはこれで面白い。

「第3番は、『無言歌』、バスのトレモロで最高潮に達する。」
プロコフィエフの「束の間の幻影」風で、
特にヴァイオリン版でなくとも良い。

が、トゥロフスキーが、無言歌をしみじみと歌うのも美しい。
純粋に感覚に訴えるという意味では、
ヴァイオリン版の魅惑は抗しがたい。

第4番:Vn版なし。
この控えめなメロディを、ヴァイオリンで、
羽ばたかせてみたいような気がしないでもない。

「第5番、モト・ペルペトゥオ。」
何故、こんなのをヴァイオリンにしないといけないか、
と思われる程、打楽器的にリズミカルである。

トゥロフスキーは、めちゃくちゃ苦労して、
細かい音符を追いかけ回している。

「第6番は、マーラーのスケルツォ風。」
不思議なことに、前回聴いた方が、マーラー的に聞こえた。

トゥロフスキーのヴァイオリンで聴くと、
ひなびた感じの音色が、いかにも、
屋外での行進を想起させて面白いのである。

第7番:Vn版なし。
これは、静かに控えめな独白調。

「第8番は、シューベルトの『楽興の時』。」
これまた、前回の方がシューベルト風であった。

トゥロフスキー盤では、ピアノのリズムが、
いかにもそう聞こえたのだが。

第9番:Vn版なし。
プレストで、軽妙でプロコフィエフ風である。
これもヴァイオリンは困難と見た。

「第10番は、フィールド風の『夜想曲』。」
ほとんど聞こえない音楽なので、
ヴァイオリンで、すかっとやっても良い。

トゥロフスキーは最初にこれを演奏していたが、
綿々と歌われるのがとても良いものの、
決して、すかっとやってるわけではなかった。

「第11番、バッハのジーグから『アモローソ』となる。」
めまぐるしい動きがピアノ発想で、
よくヴァイオリン版を作ったなあ、
という感じである。

音色が多彩になり、ヴァイオリン版も、これがまた面白い。

「第12番の前奏曲は、アルペッジョの練習曲。」
これも同上。ピアノの練習曲風。

意外にヴァイオリン版も良い。
アルペッジョはピアノに任せて、
憧れに満ちた部分をすっかり取ってしまっている。

「第13番はドラム連打の伴奏を伴う行進曲。」
旋律の断片みたいなのが、見え隠れするので、
ヴァイオリンではっきりさせてくれよ、
と言いたくなる。

その期待に応えてくれているのが、
トゥロフスキー盤であると言ってもよい。

第14番、Vn版なし。
やたら重苦しく低音を強調したアダージョで、
鬱々と苦悩している感じ。
ストコフスキーが編曲したくなりそうな、
壮麗な可能性を感じさせる。
2分30秒と比較的大きく、
最後は詠嘆調になるので、ヴァイオリン版でも聴きたい。

「第15番はバレエの情景そのものである。」
非常にシンプルなので、何で演奏をしてもOKという感じ。

トゥロフスキーの演奏を聴くと、
意外にも、リズムの強調をヴァイオリンの方が、
手を変え品を変えやっていて面白い。

「第16番、幽霊のように音色が変化する行進曲。」
これも、同様。
ニコラーエヴァのピアノでも、十分美しい。

が、ヴァイオリン版では、さらに多彩になって、
解放的な感じで気楽に楽しめる。

「第17番は夢想的。」
この作品は、もっと耽美的に解放させてみたい、
ヴァイオリニストの気持ちはよく分かる。
ニコラーエヴァも、丁寧に、この情緒を味わっている。

トゥロフスキーの演奏を聴くと、
実はこちらの方が、控えめな弱音で、
丁寧に丁寧に弾いている。

「第18番『二声のインヴェンション』。」
これは、ピアノ的発想のもので、
曲調からしても、むしろニコラーエヴァにぴったりであろう。

こうした明確なものは、ヴァイオリンで聴くと、
音色の変化が加わって、期待以上の効果が得られるようだ。

「第19番は、舟歌の形式で書かれ、甘くて、苦い。」
とても美しい。
これもまた、ニコラーエヴァは、
しっとりした情感を大切に弾いている。
が、その抑制された雰囲気が彼女の持ち味であると共に、
限界となっている可能性もある。

美しいアンダンティーノで、純粋にヴァイオリン曲として楽しめる。
ここでも抑制された雰囲気はあるが、
時に扇情的にヴァイオリンがヴィブラートを聴かせると、
ぞくぞくするということになる。

「第20番、軍隊調二拍子のアレグレット・フリオーソ。」
明解な楽想なので、ピアノ版で十分。

ヴァイオリン版では、そこにヒステリックとも言える、
激情が加わり、トゥロフスキーは、この曲をエンディングに使った。

「第21番、5/4拍子のぴりりとしたロシア舞曲。」
これも、粒だった音色がピアノ的で、
あえて、ヴァイオリン編曲が必要とは思えないが、
ニコラーエヴァの演奏は、すかっとした解放感はない。
作曲家をよく知れば知るほど、こんな演奏になりそうだ。

ヴァイオリン版では、
ピッチカートの効果も鮮やかで、期待通りに楽しめる。

「第22番、表情豊かなゆっくりした楽章。」
これになると、停止寸前の音楽がモノクローム。
はっきりしゃっきりさせてくれよ、
と感じる人がいてもおかしくはない。

これもまた、一本の旋律が筋を通してくれている感じで、
ヴァイオリン版は味わい深い。

「第23番、Vn版なし。」
水の戯れのような、美しい光のきらめきが印象的な曲。
が、だんだん低音が響き、現実離れして来る。
これも、極めて心象的で、ピアノに語らせておくか、
という感じかもしれない。

「第24番は、突飛なガヴォット、最後は予期しない静謐さ。」
比較的元気が良い作品で、楽想も明解である。
全曲を締めくくるには、情けない感じの終曲だが、
幻影が現れ、そして消える感じであろう。

トゥロフスキーの演奏は、大きな表情が、
幾分、わざとらしいが、これくらいやっても良い曲想。
音色の変化も様々な可能性を試み、楽しい。

これを聴いてしまうと、
やはり、ニコラーエヴァの演奏は辛気くさい。
作曲家直伝ということで、おそらく、
ショスタコーヴィチのコアなファンならこれでよかろう。
ただし、私のような中途半端なファンでは、
このような小品であれば、
もっと、ばーんと押しつけがましい位でもよい。

かと言って、ニコラーエヴァに、
そんな演奏を期待したくもないが。
今回のように、他の演奏で聴いたものを、
さて、そもそも、と聞き直す時のスタンダードとして、
絶対に必要な演奏記録なのである。

今回、ピアノソナタ第2番にも、
初めて真面目に耳を澄ませたが、
とても、個性的な作品だということが分かった。

以下、ピアノソナタ第2番ロ短調作品61(1943)の解説である。
「一般の規則同様、ショスタコーヴィチは、多くの作品で、
第1楽章に感情の巨大な増幅や深さを置き、
最初の楽章よりは深くはないが、
よりリラックスした楽観的なムードを、
終楽章に持って来ることが多かった。
とりわけ異常ではないが、
奇妙なことに、1943年作曲で、
その年の11月11日、作曲家の手によって初演された、
第2ピアノソナタでは、終楽章が最長で、
第1楽章は、矛盾して『アレグレット』と書かれながら速い、
最も軽い楽章になっている。
これは実際よりそう見えるが、
しかし、第1楽章の素早いパルスは、
エネルギッシュな騒がしいパレードなどではなく、
より凝集してよく練られた内容である。」

ソナタの開始部としては、
極めて異例なのは、
その規模だけでなく、音色の軽さにもあり、
不明確なもやもやから始まって、
何だか、音楽が始まったみたいだな、
という感じで曲は始まる。

ぶつぶつと途切れる楽節が、
連なっているだけみたいなのも奇妙である。
が、そこから、何だか、意志的なメロディが、
格好良く見え隠れするのが気になってしょうがない。

決して短い楽章ではなく、
8分39秒もかかっている。

「この楽章を、(全楽章で比較しても良いが)
ショスタコーヴィチの同時期のもっと公式な作品、
特に、この曲の2、3週間後に完成された、
『第8交響曲』と比べると、
広く同様の動きを見せ、
同じような深い印象を感じることが出来る。」

むう、そう来たかという感じである。
「第8交響曲」のような、人気作と比較され、
似てるはずだ、と言われると、
そうかもしれないし、違うかもしれない、
と答えざるを得ない。

こうした名品と比較されると、何だか、
もっと耳を澄ます必要を感じて来た。

「第2楽章は、嘆きのラルゴで、
第1楽章の動き回る音楽を完全にかき消し、
さらに巧緻なものとなっている。
先に述べたように、あるいは、第2ピアノ三重奏と同様、
ロ短調ソナタは追想の音楽である。
これは、1941年のナチス侵攻によって、
疎開していたタシュケントの地で、
1942年10月、64歳で他界した、
ロシアピアノ界の大御所で、作曲家でもあった
レオニード・ニコラーエフの思い出に捧げられている。
彼はショスタコーヴィチのペトログラード音楽院時代の、
初期の教師の一人であった。
彼はそこで1906年から教授をしていた。
このソナタのラルゴの楽章で、
この高貴な音楽家に対する悲歌で、
深く痛々しい音楽となっている。」

「第8交響曲」も、不思議な虚無感に満ちた傑作だが、
ここでも、大きな喪失感を感じさせる音楽になっている。
ただし、音符の数が異常に、すかすかな感じがする。
あるいは、音はあっても良く聞こえない感じ。

何だか、押し殺した感情は、妙に濃い。
7分11秒の楽章。

「比較的明らかなこのソナタの調性の役割に沿って曲はすすみ、
当然、ロ短調に根ざしており、
第1楽章と終楽章のホーム・キーとなっている。
ラルゴは、主音から同じ音程間隔を置いた
短三度、変イ長調/短調になっている。
これはソナタの第1楽章第1主題の調である。
調性は、拡大された終曲で上昇し、
ソナタの3楽章それぞれの、
各第1主題は、短三度で始まり、
第2主題は減四度、終曲は増五度で、
この驚くべき終曲は、独立した作品にもなり得よう。
まるでアイデアのスクラップを集めたような、
幅広い、回りくどい、奇妙にも印象深い主題による、
拡張された変奏曲で、
そのムードは様々に変容し、凝集したもので、
常に変化する。」

面白い表現であるが、
つぎはぎだらけのようなぎこちなさを感じさせるのは事実。
この楽章は、これまでの楽章のような曖昧さはなく、
明確なタッチが求められ、変奏曲の展開もリズミカルである。
15分を越えるので、
第1楽章と第2楽章を足した程の長さ。
総計31分を越える大曲である。

「最後のページにおいて、ようやく、
このソナタを統一する素晴らしい手法が現れる。
動き回る第1楽章の16分音符と、
ラルゴの荘重さが終楽章の主題を介して結合される。
これは驚くべき作曲技法の到達点で、
交響曲や弦楽四重奏同様、ショスタコーヴィチが、
ピアノソナタを書き続けなかった事を嘆くしかない。」

さすがに故人の追悼を公言した作品。
曲想は、どんどん暗くなっていく。
不気味な低音が冥界に降りていくような感じの後、
さっと明るくなって、清澄な気分が差し込んで来るのは、
非常に美しい。
コーダで、3つの楽章が絡み合い、
最終的に深い祈りの中に消え入る効果も精妙である。

得られた事:「作曲家直伝の世界に閉じこもっていると、未知の可能性に行き当たらない。」
「ショスタコーヴィチの第2ピアノソナタ、無視できぬ。」
by franz310 | 2010-07-25 10:49 | 現・近代
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