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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その234

b0083728_23542844.jpg個人的経験:
ボロディン弦楽四重奏団は、
1944年にメンバーが集まり、
46年にプロとしてデビューした、
ソ連のアンサンブルであるが、
76年にリーダー離脱という、
一騒動を経験した。
第1ヴァイオリンの、
ドゥビンスキーが、
西側に亡命してしまったのである。
彼は、さらに新しい団体を作った。


妻のピアニスト、エドリーナと、
チェロのトゥロフスキーとで、
三重奏団を作り、
ボロディン・トリオと名付けた。

作曲家のボロディンは、
偉大な四重奏曲を書いたが、
著名な三重奏曲は残してないので、
極めて、象徴的なネーミングである。

同志たる妻をないがしろにしないためには、
弦楽四重奏団ではダメだし、
残してきた元同僚たちにも悪いと思ったのだろうか。

チェロのトゥロフスキーは、バルシャイの指揮の下、
モスクワ室内管弦楽団の独奏者をしていた人だが、
ドゥビンスキーとどういう関係かは分からない。
解説を読むと、海外公演中に亡命したように見える。

バルシャイは弦楽四重奏団時代からの盟友であるが、
関係があったのかなかったのか。

ちなみに、トゥロフスキーも妻を伴っての亡命と見え、
そのエレオノーラとは、このCDと同じ、
シャンドスから、共演したCDも商品化されている。
あるいは、亡命後に知り合ったのかもしれないが。

さて、76年と言えば、
彼らが得意とした作曲家、
ショスタコーヴィチが亡くなった翌年である。
従って、ドゥビンスキーの行動は、
その死を看取っての亡命にも見える。

このCDは、亡命後7年、
1983年の録音であるが、
敬愛したショスタコーヴィチの五重奏曲、
それから三重奏曲が収められている。

前回、第8弦楽四重奏曲の中には、
ピアノ三重奏曲の引用がある、
と解説に書かれていたが、
どこがそうなのか、ちょっと調べてみたくなった。

また、シューベルトの「ます」と同様、
ピアノと弦楽合奏の室内楽で、
直接の後継者ではないと思うが、
5楽章からなるなど、
類似点もあるピアノ五重奏曲を、
聞き返してみたくもなった。

さらに、ボロディン弦楽四重奏団が、
彼を失って、何がどうなったかも、
ちょっと気になるではないか。

さて、このCDの表紙は、非常にカラフルで、
手にとって楽しく、とても見栄えがする。
太いタッチで、青を基調に、ロシアの雰囲気が、
エキゾチックに立ち込めている。

見ると、エレオノーラ・トゥロフスキーの絵画とある。
チェロのトゥロフスキーの奥さんである。

このような、郷愁に満ちた絵を描く人であるから、
おそらく、彼女も亡命してきたのであろう、
などと、勝手な妄想をした。

この人はヴァイオリンやヴィオラも弾くので、
おそらく、才能ある人なのであろう。

ただし、何故か、ヴァイオリン奏者が、
二人必要とする曲もあるというのに、
残念ながら、この人は加わっていない。
代わりにミミ・ツワイクという人が加わっている。
ドゥビンスキーとエドリーナのつとめる、
インディアナ大学の同僚とある。

また、五重奏曲にヴィオラで共演しているのは、
プリムローズの弟子で、
ファイン・アーツ四重奏団のヴィオラ奏者、
ジェリイ・ホーナーという人で、
ヴィオラも弾けるエレオノーラは、
ここでも落選したようだ。

さて、先に、ドゥビンスキーと、
ショスタコーヴィチとの関係に思いを馳せたが、
このCDの解説は、語り尽くせぬものがある風情。
7ページ以上にわたって、英文が書き連ねられている。

ヨーロッパ盤であるにも関わらず、
他の国の言語はすべて無視されている。

「ショスタコーヴィチは1975年8月9日に亡くなった。
彼は、決して自身の音楽について語らず、
何の説明もしなかったが、
音楽家がそれに理解を示した時は、
興奮して喜んだ。
そしてようやく死後、その回想である、
『証言』を読むことが出来た。
『私の音楽が全てを語っている。』」
という、一文が、解説の真ん中のページを飾っている。

解説に現れる、多くの言葉は、
ロスティスラフ・ドゥビンスキーの、
『音楽だけではなく』という本から、
抜粋して取られているらしい。

この「証言」は、現在では偽書という評価のようだが、
この1983年の時点では、
ものすごい反響があったものだ。

しかし、ドゥビンスキーの著作は、
まさしく、ショスタコーヴィチの本の中の言葉から、
触発されて出てきたもののようだ。

それにしても、ショスタコーヴィチの訃報から、
ソ連崩壊などを、私は同時代人として体験したが、
あの国の内側で起こっていた事など、
つゆ知らずにいたが、
おそらく、こうした実情を語る著作もまた、
そうした歴史を動かしていたのかもしれない。

では、この多弁なヴァイオリニストの
ドゥビンスキーは、どのような経歴かというと、
「モスクワ音楽院でアブラハム・ヤンポルスキーに学び、
1944年、それを終えると、
新設されたモスクワ音楽院四重奏団、
後年のボロディン四重奏団のリーダーとなった。
1968年、この団体は、
25年にわたる偉大な功労芸術家として勲章をもらい、
76年にドゥビンスキーが妻のリューバ・エドリーナと、
ソ連を去るまで、ボロディン四重奏団は、
全世界で3000ものコンサートを開いた」
とある。

音楽一筋の人生ながら、様々な事を感じながら、
この激動の時代を乗り切って来たようだ。
1922年くらいの生まれだと思われる。

したがって、戦争が始まる1940年頃には、
成人する手前の年頃だったと思われる。
スターリンの恐怖も、若い感性で、
身をもって実感した世代なのだろう。

ということで、このCD解説は、
「ドゥビンスキーは思い出す・・」
という題名の文章となっている。

以下、ドゥビンスキーの本からの抜き書きであろう。
ショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲が、
作曲された、時代背景が描かれていて、
非常に興味深い。

「ソ連の歴史を通して、1940年という、
ドイツ侵攻の前年に当たる年は、
比較的『静かな』年で、
嵐の前の静けさだった。
革命最初期の『赤色テロ』の時代は過ぎ、
1929年から30年に、
集散のために集められた数百万の農民が、
シベリアに追放された。
1935年から6年の政治的な試行は終わり、
全国各地を巻き込んだ集団逮捕も、
1937年から8年には終わりを告げた。
1939年、ヒトラーのドイツは、
『独ソ不可侵条約』を結び、
『ファシズム』という言葉は、
抹消され、ボリショイ劇場は、
ヒトラー賛美のヴァーグナーを上演した。
小休止があり、生活の緊張はほどけた。
キャビアなど様々なものが、
通常の価格で店に並び、
人々の顔には笑顔が多く見られるようになった。
ショスタコーヴィチは、
ピアノと弦楽合奏のために、
作品57の五重奏を書いた。
彼のことを、
私たちはプーシキンの悲劇、
『ボリス・ゴドゥノフ』の編年史家である、
ピーメンと呼んでいた。
もちろん、ソ連の法律では、
『意味のないことへの熱中』や、
『真実の伝承』などに、
命をかけることとなる人を意味する。」

ショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲は、
やたら、ぎらぎらして、
エネルギーに満ちた作品だと思っていたが、
久しぶりに街に並んだキャビアを思いだそう。

「当時の状況の音楽的反映としての、
ショスタコーヴィチの作品は、
文明化された力を縮約し、
社会の悲哀への洞察する。
彼の人生において、
ソ連の権力がその音楽を二度も禁じたことは、
驚くことではないのである。」

ショスタコーヴィチは、
自身の交響曲を「墓標」と呼んだとされるが、
この力強い五重奏であっても、
何か、悲劇的な色調は強烈である。

「しかし、それを許して以降、
それはさらにやっかいなことになった。
何故なら、ソ連というものに対する真実が、
ショスタコーヴィチの音楽を通じて、
全世界の人々の心に直接的に浸透し始めたからである。
五重奏曲の初演は、1940年11月23日、
モスクワ音楽アカデミーの小ホールにおいて行われた。
作曲家自身とベートーヴェン四重奏団の演奏だった。
主要チームのサッカーの試合にかき消されることなく、
列車の中でも、この五重奏は熱く議論され、
街中で人々は、挑戦的な終楽章のテーマを口ずさんだ。」

問題の1940年も暮れに近い。
翌年からの独ソ戦を予告しなくとも、
世界情勢を見れば、明るい気分にはなれなかっただろう。

非常に鬱屈した、
ショスタコーヴィチ的な雰囲気の中、
強烈に意志的なものを感じさせるのが、
この曲の魅力で、
それが、当時の聴衆の共感を呼んだのかもしれない。

しかし、私は、この曲を学生時代から知っていながら、
あまり良い曲と感じたことはなかった。
持っていたレコードは、
このドゥビンスキー時代のボロディン四重奏団、
ピアノは、ここでも弾いているエドリーナであったが。

しかし、今回、このCDを聴いてみて、
こんなに内省的な音楽だったかな、
と首を傾げた。

ドゥビンスキーは、ソ連の制御から解放され、
ショスタコーヴィチも「証言」を書いたし、
ここは1つ、違う行き方で行くか、
と進路変更したのだろうか。

「戦争がすぐに始まり、それが国家の運命や、
人々の意識を完全に変え始めた。
より良い生活に対する偽りの希望や、
革命に対する犠牲は無駄ではなかった、
という希望などがあったとしても、
この希望は、再び現れることはない運命であった。
この五重奏曲は、
暗い闇の中に沈んでいく未来を前にしての、
最後の一条の光で、当時の人々の意識を反映している。」

第1楽章は、壮麗なレントの前奏曲であるが、
ここには、高ぶった作曲家の意志が充満している。

第2楽章は、アダージョのフーガで、最も長い楽章。
この部分の静かな美しさは、特に印象深い。
まさしく、深い闇を前にしての、
壮麗な日没を見るようだ。

第3楽章は、スケルツォであるが、
昔のLPなどは、かなりどぎつい表現だったような気がする。
今回はそうでもなく、キャビアが普通の値段で、
店に並んでいる商店街を連想する。

第4楽章は、レントの間奏曲。
あっさりと薄いテクスチャーで、
悲しげで、無力感の漂うメロディーが奏でられるが、
昔の演奏は、こんなに静かだったかなと思う。

私のイメージでは、この曲は、
どんちゃらした変な作品だったのだが、
非常に心を込めた作品として聞こえる。
このあたりのドゥビンスキーの音色を聴けば分かるが、
この人のヴァイオリンは、乾いた音色で、
一点一画をゆるがせにしないもののようだ。
だから、ラヴェルのような作品で、
精彩を放ったのだな、と納得してしまう。

ここでも、銀色のレースのような、
はたまた、真実を刻み込むような表現に、
この音色が向いていると思ったりする。

第5楽章、急に、ピアノが優美な表情を一閃させ、
美しい楽想が流れ出す。
ここもまた繊細だ。
エドリーナのピアノは、前の演奏では、
意味も無くけばけばしかった記憶があるが、
今回の演奏は落ち着いていて嫌味がない。

ショスタコーヴィチの音楽に珍しく、
ここには、生き生きとした輝きがあるが、
その意味では、ここだけは、
シューベルトの五重奏の精神を、
いくばくか受け継いでいるような気がした。

今回、これを聴くと、妙に神妙な気持ちにさせられた。

そもそも、この演奏を初めて聴いた時、
何だか、よく聞こえないCDだなあ、
と思った記憶があるが、
ショスタコーヴィチの「証言」以降、
かなり初期の演奏であり、
作曲家に近いところにいた人の演奏だけに、
自問自答しながら、
細心の注意が払われたものと思われる。

以下は、ここに収録されたもう1曲、
ピアノ三重奏曲第2番作品64の作曲された時期に関する、
ドゥビンスキーの言葉のようだが、
彼はユダヤ系だったのだろうか、
過酷な彼らの運命が記されている。

五重奏曲とは異なり、
この曲そのものの解説にはなっていないが、
終楽章で出てくる「ユダヤの歌」が、
この曲の重要な要素であることから、
味わうにふさわしい文章と言える。

ちなみに、この「ユダヤの歌」は、
自伝的な「第8四重奏曲」でも引用されるものだ。

「・・・第二次世界大戦は終局に向かったが、
ソ連内では、その人民に対する新しい戦いが、
新局面で始まろうとしていた。
『共産主義』のキャンペーンは進化して、
別の側面の新語、『根無し草のコスモポリタン』が登場した。
この言葉の意味は十分理解することは出来ず、
人々は単純な言葉『ユダヤ』を当てはめた。
若いユダヤ人に次々と門戸は閉ざされ、
次第に行政の仕事から閉め出され、
結局、どの職業もそうなった。
音楽院のユダヤ人教師も解雇され、
ロシア人がその席を占めた。
音楽院大ホールの、
メンデルスゾーンの肖像は天井から消えた。」

ナチスだけでなく、
ソ連もまた、ここまでやっていたのである。

「新聞は一般の意見を準備し、
特別に選ばれたユダヤ人の名前が、
毎日の記事となる。
これが人々を駆り立て、
考えや行動に方向をさだめ、
街頭でユダヤ人を侮辱しても罰せられなくなった。
公式には、反ユダヤ主義は、法に反していて、
ソヴィエト憲法には、それを許さない条項もあったが、
それに言及するという考えは、
まったく誰の心にも生じないのであった。
ユダヤ人は常時警告を受けながら暮らし、
隠れ、ひそひそ声で小話が互いにささやかれた。
こうしたジョークは束の間の間、緊張を和らげた。
ユダヤ人らは、恐怖を隠しつつも、
絶え間なき運命の呵責に従うしかなかったのだ。」

以上は、どうやら、ドゥビンスキーの言葉らしい。
解説を書いているのは、
前回のCDにも登場した、
ロバート・レイトンなので、
以下は、彼自身の言葉なのであろう。

この三重奏曲、最近、演奏される事が増えているが、
私は、そんなに興味を持ったことがなく、
解説を読むのも始めてだと思う。

「ショスタコーヴィチは、トリオ作品64を、
1944年に作曲した。
初演はモスクワである。
演奏は、作曲家自身と、
ベートーヴェン四重奏団のメンバー、
ツィガーノフとシリンスキーであった。」

何と、ベートーヴェン四重奏団は、
弦楽四重奏のみならず、
こんな曲も初演していたのであった。
しかし、1944年、
日本人にとっても、
考えるだけで気が滅入る年だ。

「曲は荒廃した印象を残した。
人々はあからさまに声を上げ、
トリオ最後のユダヤ的な部分では、
反響が大きく繰り返されずにはいられなかった。
当惑して神経質になったショスタコーヴィチは、
何度もステージに呼ばれ、
決まり悪そうにお辞儀をした・・
初演の後、トリオは演奏が禁じられた。
誰もそれに驚かなかった。」

なるほど、こんな音楽を、
ショスタコーヴィチは、自身の遺書とされる、
「第8四重奏曲」で引用していたのである。
これだけでも、妙に、危険な行為ではないか。
まさしく、「遺書」というのも冗談ではなかったわけだ。

「この三重奏は、音楽のみならず、
何か別のものを表現しており、
何か真実をそのまま翻訳したような感じがする。
これを逐次言葉にすることは、
意味のない仕事である。
一人一人の聞き手が、これを自身の考えで、
聞き取るべきであろう。」

いきなり、このように、
解説をやめてしまうのかと思ったが、
何とか、話を続けてくれて良かった。

「しかし、このトリオの演奏の後、
聴衆は気を滅入らせて押し黙り、
拍手を急ぐ必要を感じない。
虐待された作曲家の苦い言葉を聞き、
理解することが出来ないだろうか。
公式には、このトリオにプログラムはない。
しかし、ショスタコーヴィチの近くで30年仕事をし、
その全四重奏曲を演奏し、
繰り返しその五重奏曲を共演した人は、
何を彼が感じ、音楽の中で、
言いたかったことが理解されないわけはないと思う。」

そこまであからさまな音楽、
この苦難の時代の音楽だと思うと、
聴きたいような聴きたくないような。

しかし、ボロディン・トリオは、
まさしく、この曲を演奏するべく、
亡命したような団体ではないだろうか。

彼らは、モーツァルトからベートーヴェン、
シューベルトなど、古典の三重奏曲を、
端から端まで録音していたが、
別に、ソ連産の演奏で、これらを聴きたいとも思わなかった。

以下、解説を書く人が、考えを撤回して、
言葉にしてくれて助かった。

「もし、まだ、このトリオを
言葉で表現したいと思うなら、
不安な不運の予感のように、
この曲の冒頭は響く。
慈悲なしにどう克服するか、
スケルツォの第2部では、
死の舞踏の、冷酷で破壊的な爆発があるのを感じる。」

このトリオ、この曲の第1楽章に明らかだが、
かなりヴァイオリン主導型と見た。
徹底的にヴァイオリンが前面に出て、
表情の隅々まで彫琢していくような感じである。

第1楽章は、確かに、最弱音の開始が不気味。
アンダンテからモデラートになるが、
そんなに陰惨な感じはなく、
メロディもショスタコーヴィチにしては、
明解である。

第2楽章がスケルツォであるが、
明るく楽しいダンスのように聞こえる。
死の舞踏の冷酷さよりも、
次の楽章、ラルゴの悲しさとの
落差を狙ったみたいにも思える。


「第3部パッサカリアでは、身の毛もよだつ、
ピアノの和音を聞く。
『イヴァン・デニソヴィッチの一日』の
収容所の囚人が、
線路を叩くハンマーの音ではないのか。
強制収容所の中で聴くような、
悪魔の音響が音楽会場をよぎり、
ヴァイオリンとチェロは嘆き、
非業の死を遂げた者を悼む。」

私は、この解説を書いている方々には
笑われるかもしれないが、
強制収容所のハンマーの音を、
ここから聞き取ることは困難であった。

きっちりしたヴァイオリンが主導する
ボロディン・トリオの演奏は、
そもそも、そうした感情的なものではなく、
かなり古典的な清潔感を好む。

「トリオの終楽章はクライマックスで、
ショスタコーヴィチ自身のクライマックスであった。
そこにあるユダヤ的な動機は、
力強い抗議の怒りにまで達する。」

この主題が何故、ユダヤなのか、
よく分からなかったが、
確かに、プロコフィエフの「ヘブライの主題」に似ている。

「真実を語りたい芸術家の
市民としての勇気は、
このことゆえに、ソ連時代を通じても、
ロシア音楽史において類例のない、
文化活動上の死刑宣告を受けた4年を過ごすこととなる。
終楽章は連続的にテンションを上げ、
室内楽では珍しいフォルテテッシモに至る。」

非常に悪趣味な音楽表現で、
演奏会で聴いたら、かなり強烈であろうが、
あまり休日に部屋で聴きたいとは思えない。

戯画的にまで強調された表現であるが、
駆け巡るピアノなどは、とても美しい。

何だか、あれだけ雄弁な文章を書いた人が、
あまり扇情的な表現を取っていないのは、
少々驚きである。

「表現手段を使い果たした事は、
予期なくしてヴァイオリンもチェロも、
ミュートしてしまうことから分かる。
死の苦しみの中で、
鋼鉄の手で喉を絞められる
この国全体の運命に対するクエッションマークのように、
トリオは、存在が抹消されるが如く、
最初のユダヤの動機が消えて終わる。」

曲の終わりも、「第8交響曲」や、
「チェロ協奏曲」のような不思議さはなく、
おわっちゃった、という感じしかしなかった。


解説はまだまだ続くが、
この辺で終わりにしたい。

私は、ショスタコーヴィチの死と、
ドゥビンスキーの亡命の関係が、
ここに書いてあるかと思ったが、
それは見つからなかった。

が、ヤバい祖国の実情を、音楽で世界に発信してくれた、
偉大な作曲家がいなくなった今、
もはや、ここには救いがない、
といった感情が、ドゥビンスキーにはあったかもしれない。

しかし、このCD発売当時、まだソ連は実在していたはずで、
このCDの存在そのものが、かなり危険な感じがする。

この解説が、必要以上に長大で、
アジテート気味なのも、
ひょっとすると、そうした、
政治的な背景もあってのことかもしれない。

得られた事:「『証言』以前、以後で語られる、ショスタコーヴィチ演奏であるが、率先して室内楽で転向を果たしたのが、ボロディン・トリオであった。」
「ボロディン四重奏団結成時のリーダー、ドゥビンスキーは、雄弁な著述家であり、神経の行き届いた表現で聴かせるが、乾いた音に特徴がある。」
by franz310 | 2010-07-10 23:54 | 現・近代
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