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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その233

b0083728_1293813.jpg個人的経験:
ボロディン四重奏団は、
などと急に書き出すのは、
リヒテルが録音した、
「ます」の五重奏曲の
共演団体が、
この四重奏団だからである。
戦後すぐに活躍を開始した、
ソ連-ロシアの名門であるが、
リヒテル同様、
西側のデビューは衝撃的だったようだ。


リヒテルのライブ録音でもお世話になった、
BBCレジェンツが、ここでも貴重な録音を、
紹介してくれているのが嬉しい。

まさか、こんな所から、
こんなものが出てくるとは思っていなかった。
表紙デザインも青系だったリヒテルのを見た後、
強烈に鮮明な赤色である。

まさか共産主義を意識したわけではなかろうな。

しかも、白黒写真の団員たちが若々しい。
長老となるベルリンスキーなども、
向こう向きなのが惜しいが、
まったく別人である。

表情も良い。

このCD、特に最新のものではなく、
2001年に出ていたものだが、
このボロディン四重奏団のライブ録音は、
曲目からして素晴らしい。

真ん中に、彼らのトレードマークのような、
ボロディンの四重奏(第2番)を挟み、
前半には、繋がりの深いショスタコーヴィチの名品、
第8を置いて、後半は意表をついてラヴェルである。

ラヴェル以外は、この団体の演奏で、
我々も聴き親しんだものである。
そのあたりの経緯も、この解説を読むと分かる。

ロバート・レイトンという人が解説を書いている。

「『ロシア人一人だと無政府主義者だが、
二人だとチェスを始める。
三人では革命を起こすが、
四人ではブタペスト四重奏団となる』。
この有名な言葉は、
ハイフェッツの言葉とされるが、
少し後の時代ならば、
疑いなくソ連最高の四重奏団、
ボロディン四重奏団の名前を挙げたことだろう。
彼らは、戦後、たちまち頭角を現した。」

ものすごい導入である。
ブタペスト四重奏団の後継者、
という風に読めるが、
これは日本人の感覚とは少々合わないような。

ブタペスト四重奏団とは芸風も、
背景とする時代も異なるような気がする。

「元々、モスクワ・フィルハーモニア四重奏団として知られ、
1944年には、音楽院の学生が集まり、
プロフェッショナル・デビューは、
1946年10月のことだった。
ロスティラフ・ドゥビンスキーがリーダーであったが、
チェロはヴェレンティン・ベルリンスキーで、
55年後の今でも在籍している。
ルドルフ・バルシャイが、
有名な作曲家の息子のドミトリ・シェバーリンに、
1953年に交代するまでヴィオラを弾いていた。
(偶然、ショスタコーヴィチは、
3人の作曲家の肖像を置いていたが、
それは、バッハ、マーラー、
そして友人のシェバーリンだった。)
バルシャイ夫人のニーナが1947年から、
52年まで第2ヴァイオリンを担当、
彼女はヤロスラフ・アレクサンドロフに交代し、
彼は1974年、アンドレイ・アブラメンコフに代わった。」

非常にややこしいが、私の頭には、
1952~3年までは、
現在は指揮者として高名なバルシャイと、
その夫人が奏者として加わっていたということが、
最も強烈であった。
現在の名声からすれば、
バルシャイ四重奏団と言ってもよさそうだが、
モスクワ・フィルハーモニア四重奏団と、
呼ばれていたとのこと。

また、ヴィオラのシェバーリンが、
高名な作曲家の子息だということも、
なるほど、と思った。

彼らの結成50周年のアルバムには、
その名刺代わりのボロディンの「夜想曲」や、
チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」
と並んで、父シェバーリンの「スケルツォ」が、
収録されているのである。

シェバーリンは、写真、左から二人目であろうか。
その父親の「スケルツォ」は、
弦楽四重奏曲第5番「スラブ的」という曲の、
1楽章で、明解なメロディが頻出して、
とてもショスタコーヴィチと
同時代を生きたとは思えない作風である。

「同年、ドゥビンスキーは西側に亡命、
ミハイル・コペルマンが代わった。」

さらりと書かれているが、
これは大きな変化である。
何故なら、これは四重奏団の顔とも言える、
第1ヴァイオリンの交代だからである。

ドゥビンスキーは亡命して、
ボロディン・トリオという団体を創設しているから、
これまたややこしい。

ボロディン四重奏団は、
1974年をもって新生ボロディン四重奏団となり、
同時にボロディン三重奏団が、
分割されて出来たということだ。

私はボロディン・トリオはCD時代に知ったので、
ドゥビンスキーの亡命は、
1980年代のことと思っていた。

しかし、1974年というのは象徴的だ。
長年、彼らと共にあったショスタコーヴィチは、
翌1975年に亡くなっている。

「1955年、四重奏団は、
東欧、西欧に現れるずっと前に、
ボロディンの名前を冠した。
音色の洗練とアンサンブルの統一感で、
本国でも国外で伝説的な評価をたちまち獲得した。
1962年、エディンバラ音楽祭で、
ロシア音楽が特集されると、
2つの英国での呼び物があった。
英国初演となる、
ずっと隠されていた『第4交響曲』と、
新しく作曲された『第12交響曲』である。
歌劇の中には、プロコフィエフの『賭博師』があり、
ショスタコーヴィチ自身も招かれ、
ボロディン弦楽四重奏団も同様で、
初めて英国に姿を現した。
エディンバラの後、ロンドンのデッカのスタジオで、
ボロディンとショスタコーヴィチの四重奏曲を録音した。」

ということで、
このCDの音源は、
1962年8月29日(ボロディン)と、
31日(ショスタコーヴィチとラヴェル)、
エディンバラ音楽祭、Leith Town Hallでのライブである。

それにしても、この音楽祭、
豪華なプログラムである。
プロコフィエフの死後なのが残念である。
ショスタコーヴィチもよく出国許可が出たものだ。

いろいろメンバーの交代があって、
誰が何を弾いているか分からなくなったが、
53年以降、74年以前なので、
ドゥビンスキー、アレクサンドロフ、シェバーリン、
ベルリンスキーという布陣である。

リヒテルがボロディン四重奏団と共演して、
「ます」の五重奏曲を録音したのは、
約20年後であるから、コペルマンに、
第1ヴァイオリンが代わっている。

ただ、ヴィオラ、チェロは同じという点からも、
この二人が、長く、この四重奏団の顔であったことを、
物語っているだろう。

ところで、デッカのスタジオ録音の話が出ているが、
これは、日本でも大変有名なレコードであった。

1970年代、大木正興氏が、
ボロディンの第2四重奏曲の代表盤に、
一番に上げたのが、この時のLPである。

「その名にこだわる気持ちは毛頭ないが、
やはりたいへん美しい」と書いており、
「この四重奏団は非常な洗練度を持ち、
それが時に音楽を真新しい洗濯もののような
素っ気ないものにするときがあるのだが、
これは存分に温かく、色彩の変化もたいへん柔らかい」
と称賛している。

この「洗練」と「素っ気ない」が、
キーワードのようだが、
今回、このライブを聴く限り、
「洗練」されているかもしれないが、
「素っ気なく」はないような。

むしろ、非常に明晰で、
硬質な美学に裏打ちされたもの、と感じた。
が、彼らのベートーヴェンなどを聴くと、
確かに、容赦なく突き進む推進力みたいなものが、
前面に出てくるようだ。

さて、各曲の解説とともに聴き進めてみよう。

「ショスタコーヴィチの第8四重奏曲は、
作曲者自身のために演奏したことがあるように、
この四重奏団には特別なものである。
彼はこれを1960年、
戦争末期の痛々しい傷痕のまだ残る、
ドレスデンでの3日の滞在中に書き上げた。
彼は後に友人に、
『私が死んだ時、
誰かが、私自身の記憶を、
四重奏で書くのは困難なので、
私は自らそれを書くことに決めた。
本の口絵に、
『この曲の作曲家に捧げる』
と書いても良いくらいだ』
と書き送っている。
ショスタコーヴィチは、さらに、
これを書いた時、いかに涙が流れたか、
いかに熱中したか、
いかに死の観念につきまとわれたか、
について書いている。
細部まで綿密な注意をもって、
この曲を準備したボロディン四重奏団は、
作曲家の前でこれを演奏し、批評を乞うた時、
彼は再び涙を流し、向こうを向いてしまった。」

先の大木正興氏の解説では、
「第8番は第7交響曲の室内楽版のようなもので、
作曲者は三日でこれを仕上げた」
という簡潔なものだったが、
三日という記述は同じでも、
ちょっと違うようである。

そもそも、第7交響曲は戦時中の作品、
この第8四重奏曲は、スターリンなども死んだ後である。

ショスタコーヴィチが動揺するほどに、
ドレスデンの廃墟は、
強烈な印象を与えたのだろう。

それにしても、戦時中の空爆によって破壊された街に、
自身の姿を見るとは、
いったいどのような感じなのだろう。

その破壊されつくした寒々とした光景が、
スターリン体制下で荒廃した自国の姿と、
重なって見えたのだろうか。

これだけ見ても、今回のCDの解説は、
ショスタコーヴィチの解説だけが、
妙に念入りであることが分かる。

作曲されてから十数年しか経ってない時代と比べ、
さらにその2倍以上の時間が経過してみると、
様々な研究が進むようで、
いろいろ書くことが出てくるのだろう。

最近では、共産党入党の脅しに対して、
自殺を考えた作曲者の姿、
というのもあるようだ。

「最初と最後の四重奏以外の、
彼のすべての四重奏同様、『第8』は、
もう一つのロシアの偉大なアンサンブル、
ベートーヴェン四重奏団によって、
1960年の秋、
レニングラードで初演された。
この異常に個人的な5楽章の作品は、
中断なく演奏される。」

いずれにせよ、この曲も、
実に、この団体によって、
広く知らしめられたものであって、
今回のCDを聴いても、
妙に、デッカのLPと重なってしょうがない。

ただ、スタジオ録音がステレオだったのに対し、
こちらはモノラルである。
が、ホールが良いのだろうか、
音質に不満はない。

「第1楽章はショスタコーヴィチ自身の
音楽的モノグラム、
(名前の独訳から得られたモットーDSCH、
音符では、EsまたはEflat、C、H=B)
と彼の第1、第5交響曲からの引用で始まる。」

とにかく、うらぶれた、気の滅入る序奏で、
そんな中、モットーが浮かび上がっては消えて行く。
かなり、マイナス思考の作曲者の姿が見える。

「これはそのまま爆発的な、野蛮で間断なく、
ホ短調のピアノ三重奏からの引用が、
そのクライマックスとなるスケルツォに続く。」

爆発的とあるが、
「素っ気ない」かな、
と思いながら聴くと、
かなり冷徹な表現にも聞こえる。
作曲者のモットーは、完全に風前の灯火。
完全にマゾヒスティックな音楽を、
サディスティックに責め立てている。

私も、この曲はもう30年来の愛聴であるが、
こうした激情に、少々疲れ気味な感じ。

ボロディン四重奏団の演奏は、
生々しすぎていかん、
などと言いたくなるところだが、
今回、聞き直してみると、
別に、ヒステリックではなく、
正確極まるアプローチを
しているだけのようにも聞こえた。

「中心の楽章は、ワルツのようであるが、
冷笑するような性格を持ち、
チェロ協奏曲第1番からの引用がある。」

この楽章は、晩年のショスタコーヴィチを予告する、
不思議な思わせぶりの音楽である。
チェロ協奏曲第1番のみならず、
第2番もこんな感じではないか。

「第4、第5楽章は、共にゆっくりとしたもので、
第4楽章の開始部は、
古い革命歌『悲しい従属』の引用で、
オペラ『マクベス夫人』からのアリアを、
チェロが仄めかす。」

第4楽章は、ワルツの浮遊感を、
いきなり現実に突き落とす、
じゃじゃじゃ、のリズム。
こうした緩急自在が、
妙に、この曲を親しみやすいものとしている。

少なくとも、私の場合、
ショスタコーヴィチの四重奏は、
この曲が一番、聴き親しんだ感があって、
晩年の謎の作品群との、
親しさの乖離は尋常なものではない。

ふと思い出したが、FMでエアチェックして聴いていた、
「第1番」も、ひょっとしたら、
ボロディン四重奏団のものだったのではないか。
そんな気がしてきた。

「最後のページは、我々を最初のムードに連れ戻す。
寒々とした光景、精神的な悲しみで、
音楽は、偽りの景気づけや、
慰めにはならないというかのように。」

音楽はショスタコーヴィチ特有の、
言葉足らずな独白を繰り返す謎の音楽に入る。
何だか悲しげだが、いったいどうなったの、
でも言ってくれないと分からないじゃない、
という感じ。

が、悲しみの色調があまりにも魅力的なので、
ひょっとして、希望があるのかないのか、
よく分からないや、と、何だか許してしまう、
という聴き方が良いのだろうか。

聴衆の拍手が入っているが、
当惑しているようにも聞こえる。

「ボロディン四重奏団は、1962年後、
さらに3度、ショスタコーヴィチの『第8』を、
録音する機会を持ち、
1974年、1978年、
さらに1990年の全集の一環である。」

1974年に、全集を録音してから、
ドゥビンスキーは亡命したのか。

また、コペルマンは、
過去を清算するように、
1978年にすかさず、
新録音を始めたのだろうか。

「始まって直後の小節で、
彼らのテンポは1978年のものよりも、
時に活発であり、ヴィブラートも激しい。」

しかし、この人は、何故、1974年のものでも、
1990年のものでもなく、
1978年のものと比べたのであろうか。
コペルマンの演奏と比べたかったのか。

私は、すぐ手元に1990年代のものがあったので、
これと聞き比べてみたが、
「最初始まってすぐのテンポ」とは何だ?
このずるずるテンポから、違いを聞き取るのだろうか。

確かに、コペルマンの時代で、
演奏者も変わったということか、
妙にすっきりした感じになっている。
単純なロシアの聖歌という感じである。

おどろおどろしくはない。
ひょっとしたら、ショスタコーヴィチは、
自分が考えていた以上に、
怖い音楽になっていたので、
泣いてしまったのではないだろうか。

第2楽章では、1990年代のものは、
コペルマンのボウイングが鮮やかで、
非常にスタイリッシュで音楽的である。

音楽はヒステリックである以上に、
外に広がる力を増して、
大きな膨らみを見せて、
何だか別次元のものになっているではないか。

録音のせいか、コペルマンの音楽作りが、
やたら気になってしまう演奏で、
第3楽章開始部も、他の声部はみな伴奏になっている。

大木正興氏が「素っ気ない」と書いたのが、
どんな意味か分からないが、
後年のボロディン四重奏団の方が、
音響美学に徹底していて、
構想も大きく、各楽節を解放的に繋げ、
非常に「素っ気ない」演奏になっているような感じがする。

第4楽章も、ざざっと広がる荒涼たる風景。
とにかく、広い。

1974年以降のリーダーは、
ボロディン四重奏団の特徴を押し広げて、
よりスケールの大きな演奏を追求してきたのだろうか。

あるいは、デジタル録音の分離のよさが、
そうした印象を抱かせるだけかもしれないが。

さて、この四重奏団の名刺がわりの四重奏だが、
私は、この曲が好きで、高校時代の映画作成時、
これを使った経験がある。

CDの解説に戻る。

「アレクサンダー・ボロディンの、
2つの四重奏曲のうち第2番は、
まったく異なる世界の産物である。
グルジア貴族の庶子であるにも関わらず、
ボロディンは、
特権的な早期教育を受け、
チャイコフスキーなどよりも、
さらに室内楽に深い造詣を持ち、
それは他のどのロシア作曲家以上のものであった。
第1番は、1870年代の大半をかけて作曲されたのに対し、
第2番は、彼の妻と最初に会った日の思い出のために、
ジトヴォ郊外で、1881年の数週間で作曲され、
妻に捧げられている。
これはこのカテゴリーで最も叙情的なものの1つで、
時として、ある種の音楽愛好家は、
その形式の完全な熟達や、達成を過小評価している。
その豊かさと華麗さは、批判されて来たが、
ロシア音楽の偉大な専門家、
ジェラルド・アブラハムなどは、
『ロマン的感傷、
そのテクスチャの穏やかな広がりは、
飽和限界まで行きそうだが、
ボロディンは、潜在的なたくましさによって、
これを食い止めている』と書いている。」

このCDを買った人の中には、
ボロディンはちょっとなあ、
と思う人がいると考えたのであろうか。

わざわざ、過小評価されていることを、
せっかく買った人のために、
書く必要もないような気もするが、
先ほどから出している、大木正興のような人は、
「この作品は室内楽の分野で
特に重要なもののうちには入らないが、
知名度はかなり高く、
演奏頻度も決して少なくないので、
ここに一項を設けても不都合はないだろう」
という、すごい書き出しで、
解説を始めているのだから、
これを読んで、これを聴く、
私のような立ち位置の人には、
ちょうどよい解毒剤になるわけだ。

「全曲、その構成は特別立派なものではないが、
楽想はロマン的な香りを持ち」と、
屈折した感情を吐露している。

このような従来の意見に対して、
アブラハムは意を唱えたかったのだろう。

このCDの解説では、
下記のように、各楽章が、
緊密な構成美を誇っていることが、
しっかり補足されている。

「開始楽章のアレグロ・モデラートは、
通常のソナタ楽章の規則に則っているが、
創意の豊富さと、
主題の扱いの精妙さがある。」

この楽章の最初の主題がなり出した瞬間から、
何だか、夢想的な世界に誘われるが、
ドゥビンスキーのヴァイオリンも、
派手さはないが味わい深く歌っている。

この曲などは、ヴァイオリン主導の部分が目立つので、
ボロディン四重奏団は低音部が弱いのではないか、
などと思ってしまう。

「ヘ長調のスケルツォのタッチは、
メンデルスゾーン風の軽やかさを持ち、
楽しげなワルツと対比されるが、
巧妙なソナタ形式を基本に組み立てられている。」

こうした軽やかな楽想にも、
ほんのりとオリエンタリズムの香りを振りまくのは、
見事というしかない。

「それから有名な夜想曲が来る。
ボロディンの楽器であるチェロが、
雄弁さを増していく。」

ベルリンスキーの腕の見せ所である。
もう冒頭から深々とした歌を聴かせてくれる。
しかし、そこに澄んだ花を添えるのは、
ドゥビンスキーの冴えた音色である。

1994年、創立50周年の録音、
「ロシアン・ミニアチュア」では、
最初の1曲にこれを収録しているが、
最長老ベルリンスキーが、しみじみと感動的な歌を聴かせる。
コペルマンは、洒落た節回しなどを織り込みながら、
まさしく色気を放っていて、
ソ連時代から一線を引く、開放路線を打ち出している。

このように聞き比べると、
ドゥビンスキー時代のボロディン四重奏団は、
体操競技などで、オリンピックで華を咲かせた、
ソ連時代の貴重な文化遺産にも思えて来た。

コペルマンの個人技で聴かせる、1990年代のものは、
ちょっと、余裕が出て、広がりを感じさせる分、
低音部は老齢化が進んだ感じかもしれない。

私の立ち位置は微妙である。
1990年代のものには、
余裕がある分だけ、
ひたすらな集中という意味で、
減った要素もあるように思えた。

特に、この「夜想曲」では、
心1つに念じなければ、
ここに描かれた桃源郷に、
到達できないような真摯さがある。

ショスタコーヴィチを泣かせたのも、
この馬鹿まじめさと言えるかもしれない。

「終曲は、多くの古典作品のなかで、
しばしば最も弱いとされるが、
他の楽章同様、独創的で創意に富んでいる。
ベートーヴェンの作品135を回想させる、
一種の問いと答えの対話で始まり、
しばしば曲を中断する。
しかし、2つの主要主題が、
異常に白熱し、バランスをとっている。」

そう言われてみると、
作品135と同様の対話があるが、
この後に続く、猛烈な推進力は、
やはり、正確無比な技術と集中の中から生まれており、
ライブ特有の火照りもあるように思われる。

聴く時の気分によっては鬱陶しくなるような、
張り詰めたものがあるようである。

さて、最後に収められたラヴェル。

「1902年から1904年にかけて作曲された、
ヘ長調の弦楽四重奏曲の時代、
ラヴェルは同時に、
1902年に繰り返し聴いた、
『ペレアスとメリザンド』のドビュッシーの影響を、
追い払っていた。
『神の名に変えて』と、ドビュッシーは、
『あなたの四重奏の一音とて変えないで欲しい』
と言ったと伝えられる。
事実、この曲は、この編成のために書かれた、
最も美しく、完璧なプロポーションで、
書かれたものの1つで、
音響の完全な洗練、色彩の精妙さが、
ボロディン四重奏団の演奏では、
いっそう、際だっている。」

ラヴェルの四重奏は解説の余地なし、
ということか、非常に短い。

しかし、ボロディン四重奏団の、
この正確さに賭けたひたむきなアプローチは、
一種、完璧さを志向するこの作品の、
ひんやりとした肌触りに、
妙にマッチしていないだろうか。

この演目は、
この四重奏団で聴いたことがなかったせいか、
私は、最初聴いた時から、
何となく、惹かれるものを感じている。

そういえば、メロディアで、
この団体のLPが出ていたという記憶が蘇って来た。
カップリングはドビュッシーである。

当時の批評を探してみると、
「もぎたての果実のような新鮮さと瑞々しさ、
ロマンティックな夢が深く息づいている」
と激賞状態で驚いた。

誰が、ソ連の団体が、こうした曲目に期待しただろうか。
まさしく、この批評にも、
「ロシア的演奏からほど遠い」とか、
書かれているが、同感である。

73年の新盤なので、ドゥビンスキー時代のもの。
「一分のすきもなく、バランスも絶妙」とある。

冷たい光と微妙な色彩を放っていて、
神秘的な美しさに迫っている。

「音色の多用さも驚異的」とあるが、
知っている人は知っていたのね、
という感じ。

2010年ワールドカップトーナメントで、
日本惜敗の後、
第3楽章の深い美しさに耳を澄ませながら、
妙に胸に迫るものがあった。

これまで、単に、ロシアの一級の団体、
という顔の見えない団体であったが、
ようやく、ボロディン四重奏団が、
どんな団体であったか、
私の中で、イメージが出来てきた。

得られた事:「ボロディン四重奏団は、戦後ソ連を代表する四重奏団で、その硬質な音楽作りが魅力だったが、74年にリーダーが交代して広がりが加わった。」
by franz310 | 2010-07-04 12:10 | 現・近代
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