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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その232

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その232_b0083728_2251274.jpg個人的経験:
前回、ヴァリッシュのCDで、
改めて、この曲の構想の
途方もない姿に感じ入ったが、
もう30年も前から、
シューベルトの
未完成のピアノソナタ、
通称「レリーク」ソナタの、
全容をさらけ出して、
多くの人を驚かせていたのは、
リヒテルであった。


フィリップスから出たその録音は、
1979年12月17日のライブ録音とされ、
西ドイツ放送局との共同制作のものであった。

このCD、表紙デザインの不気味さでも、
かなり印象に残るものである。
リヒテルは、完全に挑戦的な表情である。

これを聴いたら、後は知らんぜよ、
という感じである。
そして、確かに、強烈な音楽である。

私は、これ以前は、確か、
ブレンデルのLPを持っていた位で、
他の録音は聴いたことがなかったが、
LPのB面の曲みたいな扱いのこのソナタが、
ここでは、何と、CDという豊かな容量を、
まるまる1曲で使っているのである。

LPにすれば、第1楽章でA面が終わってしまう分量である。
21番変ロ調を、リヒテルがビクターのLPで出した時も、
第1楽章だけでA面を終わらせていた事を思い出す。
今回、くらべて見ると、
第2、第3楽章は21番のソナタより長く、
第4楽章も未完成なのに、ほとんど、
変ロ調のソナタ並の演奏時間になっている。

前回聴いたヴァリッシュのものも、
第1楽章は12分であった。
しかし、これをリヒテルは、
22分もかけていたりするので、
全曲はヴァリッシュが31分に対し、
リヒテルは45分程度の演奏時間になっている。

第3、第4楽章が完成されていたら、
シューベルトのどのソナタをも、
凌駕する勢いの規模になった事は当然予想できる。

以前、リヒテルのライブの解説を書いた、
Shris de Souzaという人が、
「リヒテルが、堂々とした形式感で、
音響の巨大建築のように、
いわゆる『レリーク』と呼ばれる
未完成のハ長調ソナタを演奏した録音を、
初めて聴いた時、
私は啓示的なものを感じた」
と書いていたが、私も、同様の印象を持ったものである。

ヴァリッシュの解説は、
リヒテルのすごさ以上に、
曲そのものの構想を称賛していて、
このような聴き方で、
改めて、この超弩級の演奏を聴いたら、
どんな感じに聞こえるのだろうか。

とにかく、リヒテルの演奏は遅い。
「サウンド・カテドラル」と表現した、
ヴァリッシュの演奏の方が、
縦の線がよく感じられて、
そのような印象が強い。

非常にクリアな音色が、
ステンドグラスを通す光をも思わせたが、
リヒテルの演奏は、聖堂というより、
魔の迷宮に聞こえる。

ステンドグラス越しの光は、
あまり届いて来ない。

録音の場所も機会も明記されていないが、
暗闇の孤独の中から、響いて来るような感じである。

ヴァリッシュが言ってくれなかったら、
ブルックナーよりマーラーを予告したものとして、
捉えるばかりだったかもしれない。

未完成のまま、
4楽章形式の作品として演奏するなどという事は、
リヒテルのような特別な存在にしか許されていない、
という訳ではない、という感じもこみ上げる。

このリヒテルのフィリップス盤、
Stefan de Haanという人が解説を書いている。

が、この革命的な録音を語るには、
少し弱い内容に思えるのは私だけであろうか。

「ハ長調ソナタD840は、
シューベルトが数多く残した未完成作品の1つである。
2つの完成された楽章では、
霊感が満ちあふれ、集中しており、
何故、この作品が突然中断してしまったのか、
また、シューベルトが、
最も困難であるはずの、
第1楽章のソナタ形式という課題を解決しながら、
これを放棄してしまったのか、
という疑問が頭をもたげる。
その答えは、彼が作曲しようとしたものの、
真の巨大さや、様式の中にある。」

これはこれで肯ける。
「四重奏断章」や「未完成交響曲」は、
その後で、より「完成された」曲を書いているのだから。

しかし、ヴァリッシュ以降、
この考え方は、ちょっと違うのではないか、
という感じを私は持っている。

「1810年頃、彼が13歳の頃から、
彼の死の1828年まで、
彼は常に作曲を継続していた。
彼がせき立てられるように、
作品から次の作品へ取りかかったので、
彼は前に作曲したものを、
完成したか未完成のままで放置したかを、
忘れてしまったのだろう。」

これもまた、牧歌的な伝説の域を出ない、
いつも繰り返される話である。

これも、先のヴァリッシュ体験以来、
私は信じることが出来ない。

何故なら、「レリーク」ソナタの後で書かれた、
16番のソナタの後半2楽章は、
15番のソナタの構想とはまるで違うものになているからだ。

「多くの未完成作品は、
全く新しい、または、
もっと拡張された形式への試みであり、
次第に成熟する語法の実験であった。
多くの輝かしい例では、
偉大な完成された作品への道を模索するものであり、
その目的に達するや、
どこまで書き進んでいたにせよ、
それらは放棄された。」

この点は同意するが、
ここまで書いておきながら、
結論が何故か、
かなりお決まりの結びになっているのが釈然としない。

「シューベルトの自然な表現形式は歌曲であり、
最初は大きな形式のものには不慣れであった。
ベートーヴェンはソナタ形式を自分のものとし、
これ以上発展不可能なものにしてしまった。
シューベルトは、このことを十分意識しており、
多くの未完成作品は、
慎重にベートーヴェンに近づかないようにしていて、
独自のアプローチを求めている。」

このあたりも、「歌曲王」シューベルトの先入観の強い発言。
シューベルトの最初の現存する作品は、
ピアノの連弾の大規模な作品であった。
また、シューベルトはオーケストラに親しみ、
少年時代から交響曲の作曲家としての方が、
有名であったくらいではなかろうか。

「この独自性への探究は、
1815年の初期のピアノソナタにおいて始まり、
シューベルトの未知の領域への
実験であるかのように、
すべて未完成になっている。
最初の完成されたピアノソナタは、
1817年のものである。
それから2年、さらなる断片があって、
また1823年に2曲の完成されたソナタが続いた。
最後に彼は、1825年から、
後期の大規模なピアノ作品群に着手した。
これらの最初の作品がD840である。
これはまた、彼のこの領域における、
最後の未完成作品となった。」

第13番と第14番の話だと思われるが、
第13番は1819年の作品ではないのだろうか。

このイ長調ソナタは、自筆楽譜がないので、
1823年に紛失した、などと書かれることもあり、
作曲されたのも、この時代という説もある。

「1825年初頭、シューベルトは、
遂に自己完成をする時だと考えた。
ハ長調のミサや、ピアノ連弾の変奏曲に加え、
多くの歌曲が出版され、
これに鼓舞されて、1825年4月、
このソナタD840に取り組んだ。
彼は、第1楽章『モデラート』に聴かれる、
主題を後からも再現させることによって、
作品を統一することを推し進めることを意図した。
これらは、完成された『アンダンテ』や、
未完成のメヌエットにもこうした動機が現れる。
『モデラート』は、そうあるべきソナタ形式だが、
伝統的な対比効果はない。」

このような作品の凝集力は、
ひょっとすると、ブレンデルの演奏などの方が、
その性格を表していたかもしれない。

最初にこの作品を、ブレンデルで聴いた時、
まさしく鐘の音で埋め尽くされた曲のように感じたが、
リヒテルの演奏では、そうした感じはない。

また、ヴァリッシュの演奏では、
鋭い線で描かれた鮮やかな素描のようで、
構成感が明解であったが、
リヒテルの演奏には、簡単には謎を明かさない、
スフィンクスの不敵さがあり、
別種の異質な作品にも聞こえる。

「『アンダンテ』において、
より劇的な、対照的主題による
展開が見られるにもかかわらず、
第1楽章では、第2主題は、
ほとんど第1主題の続きであり、
展開部で使われることもない。」

こう書かれると分かるが、
第1楽章の第1主題は、
中間部に特徴的な鐘のきらめきを持つ、
荘厳なものだが、
第2主題はこの鐘の響きに導かれる、
メロディアスなもので、
大きな1つの流れの中にあって、
寄り添うような趣きが強い。

しかし、音楽之友社の作曲家別名曲ライブラリーでは、
「驚かされるのは第2主題の調性である。
主調から非常に遠いロ短調を採っている」
と書かれていて、
「ロマン主義的な色彩変化の象徴的な選択」
と特筆されている。

なお、この解説では、
私が、「鳴り響く鐘」と書いたあたりを、
ベートーヴェンの「運命交響曲の動機」を思わせる動機、
と書いている。

この「鳴り響く鐘」が四方から迫って来て、
私は、この楽章の展開部も、
そのすごい効果があると思っているが、
リヒテルの演奏では、
そもそも、この動機がねばねばしていて、
全く、神聖な鐘の主題の感じがしないで、
面妖な効果を形成している。

よく聴くと、たあーんたたたと、最初の一音が長いので、
運命動機的な、たたたたーんの軽快な感じもしない。

第2主題は、このねばねばの中、
可憐な夜の花を咲かせている。
提示部の繰り返しでリヒテルは12分をかけて、
ヴァリッシュの演奏した第1楽章と、
ほぼ同じ長さになっている。

鐘が鳴り響く展開部も、
四方から鳴り響くのではなく、
遠くから列車が近づいて来て、
去っていく感じで、
リヒテルの演奏では、
神聖な感じが薄い。

無機質なカテドラルでの祝福ではなく、
葛藤の音楽で、終わって再現部で救われた、
というような感じが強い。

突き放されたような孤独な表現が、
リヒテルの独壇場であろう。

一方、第2楽章の方にこそ、
対照的主題があると書かれているが、
瞑想的な優しい主題に対し、
気味の悪い不吉なパッセージが低音から響き渡って、
そもそも不安を湛えたものであるが、

妙に不安な音楽となっている。


「シューベルトは彼が簡単に完成できそうな、
第3楽章と第4楽章の多くを書いた。
おそらくイ短調ソナタD845の着想が、
心に浮かんだのであろう、
翌月の終わりを前にして、
こちらを完成させている。」

通常演奏されない後半2楽章を、
こんな解説で良いのだろうか。

第3楽章でも、ヴァリッシュの演奏は、
しなやかで初々しい。
執拗な打鍵は、大ハ長調交響曲の終楽章を思わせる。
それは軽快に進むもので、足踏みをして苦渋するものではない。

リヒテルのメヌエットは、
ヒステリックになる程に、
リズムを強調した演奏になっていて、
まるでディオニソスの豪快な踊りのようだ。

トリオ部は、もの思いにふけるようなニュアンスが詩的である。
こうした表現はリヒテルは深い。

第3楽章は、未完成というが、
これ以上の発展の必要はなく、
こんな感じで終わることを、
シューベルトは構想していたのかもしれない。

第4楽章は、ヴァリッシュは、
軽快にすぎると思ったが、
リヒテルはこれに輪をかけて無邪気な表現を見せる。

様々なタッチを開陳して、
心から楽しげな表現を聴かせる。

リヒテルは、完全に身を委ねて陶酔している、
・・・ように聞こえる。

ロシアピアニズムの重戦車が、
軽やかな響きを求めて悪戦苦闘していて、
当惑してしまうが、
はたして、幻視者リヒテルが見たものは、
何だったのだろうか。

「D840は、1861年に、
シューベルトの最後の作品と間違われ、
『レリーク』という不適当なタイトルで
出版された。
いくつかの完成版の試みがあるが、
スビャトスラフ・リヒテルによるこの録音では、
シューベルトが書き残したままの形で演奏されている。
メヌエットは80小節で、ロンドの終曲は120小節で、
中断している。」

終楽章は、ぷつりと切れるが、
このCDの表紙写真のリヒテルが言いたかったのは、
あるいは、ここではあるまいか、
などと考えてしまった次第。

98年に私は入手した記録があるが、
10年ぶりに、改めて聞き直してみると、
リヒテル尊師の占いは当たっているところも、
外れているところもあったように思えた。

しかし、当時は、どえらい音楽だと思ったものだ。

この録音は、確か、「冬の旅」か何かと、
最初は一緒にCD二枚組で出されていた。

これは、「冬の旅」を聴くのに、
CDの交換が必要だし、
組み物だと高くてたまらんと思っていたら、
後にそれぞれ一枚物で出た。

最初に二枚組で買った人は怒らなかったのだろうか。
それとも、これがオリジナルである、
と稀少盤になっているのだろうか。

歌手はシュライヤーだったが、
この後、日本でも歌っている。
ピアノ伴奏はもちろん、リヒテルではない。

さて、このように、
次の第16番イ短調ソナタでは、
ハ長調「レリーク」のような、
新しい地平を切り開こうとした終楽章は諦められている。

この2つのソナタは、
アインシュタインなども、
「両ソナタは双生児なのである」
「わたし流にいえば、両ソナタの大宇宙は同一である」
と断言しているが、
ハ長調で打ち立てようとした壮大な構想の、
立体的でモニュメンタルな終楽章は、
遂に、シューベルトによって完成されることはなかった、
とも書けるような気がする。

その代わりに、シューベルトは、
終楽章を前へ前へと前進するような音楽にして、
解決を先送りするような解決策で妥協した、
とも言える。

リヒテルは、あるいは、こうした点までは、
透視していなかったのではないか。
闇の迷宮から、解放に向かう作品として、
一元的に捉えていたのではなかろうか。

とはいえ、
この録音を大きな転換点として、
2楽章の未完成作品として、
前座に終わらせられる時代は終わった。

4楽章の大作として、
希有の価値を持つメインレパートリーであることを、
リヒテルは強烈に印象づけたのである。

残念ながら、アンドラーシュ・シフのようなピアニストには、
全く受け入れられなかったが、
ダルベルトなどは、この方法に従って、
シューベルトの全集を作っている。

得られた事:「リヒテルの『レリーク』ソナタの録音は、歴史的名盤と思われるが、直線的な情念に突き動かされたもので、ヴァリッシュのような立体感はないような気がする。」
by franz310 | 2010-06-26 22:05 | シューベルト
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