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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その230

b0083728_12405322.jpg個人的経験:
シューベルトのピアノソナタ第7番、
決定稿である「変ホ長調」の前に、
第1稿「変ニ長調」があることは、
たびたび語られることである。
また、ブラームスは、
第2楽章が嬰ハ短調であるがゆえに、
第1稿を好んでいたと言われるが、
問題の第1稿の録音は、
この2002年録音の
ナクソス盤以外にあるのだろうか。


書き直しの多いブルックナーの交響曲などは、
すでに、いろんな指揮者が様々な楽譜選択を行い、
様々な嗜好のファンが、
どの稿がよいかという議論を繰り広げているが、
ようやく認知の進むシューベルトのソナタ、
しかも20歳の若書きとなれば、
こうした議論はこれからという事だろうか。

この第1稿と第2稿決定稿の間には、
移調の他、楽章の追加、細かい展開の調節が行われていて、
プロコフィエフなら、きっと、これは全く違う楽曲だ、
と声高に主張しそうである。
彼の場合、チェロ協奏曲を改作して、
チェロと管弦楽のための交響協奏曲、
などという大仰な題名に変えた例もある。

シューベルトも3楽章版を、
4楽章にしているのだから、
ソナタを大ソナタにしてしまった、
という意識もあっただろう。

ということで、元のものは、
あまり知られておらず、
この貴重な第1稿は、
ヴァリッシュという人が弾いているのしか、
私は知らない。

この人、ヴィーンの音楽一家の出だと言うが、
1978年生まれということで、かなりの若手である。
2002年の時点では24歳という新進である。

この人は本場ヴィーンの人ながら、
ドヴォワイヨンやマイゼンベルクといった、
フランスやロシアの異文化の大家にも学び、
アメリカでは、ハイドン賞や、
ストラヴィンスキー賞を受賞しているという。

このような変幻自在な経歴を見ると、
まさしくカメレオン、
ストラヴィンスキー賞を、
私からも贈呈したくなる。

1999年に、エリザベート王妃国際コンクールで、
歳年少のファイナリストになったとあり、
以来、日本や中近東、欧米で
コンサート・ツアーを行ったとある。
いつの間に来たのだ?

しかし、このCD、
単に、第7番の初稿を含むのみならず、
その他の未完成ソナタも集めたもので、
CDの表記通りには、
「第5、第7a(未完成)、第11(断章)、第12番(断章)」とある。
この表記、非常に紛らわしく、
第5、第7aはともかく、第12番はリヒテルなどが、
第11番として弾いているD625のヘ短調の作品である。

ということで、ここで言う第11番も、
一般には「第10番」として知られる
ハ長調D613を指している。

第5番はルプー、第11番は前記リヒテルを始め、
多くのピアニストが弾いているので、
それほど珍しいものではないが、
第7a番は表記からして珍しく、
第10番もまた、
あまり録音される機会に恵まれないものであるため、
超貴重な録音と言わざるを得ない。

ナクソスは、このレーベルの看板ピアニスト、
ヤンドーが、シューベルトのピアノソナタ集を
録音しているので、
若造には、落ち穂拾いをさせたのだろうか。
それでも、ナクソス様々である。

表紙絵画も、
時代はやや下って1851年のものながら、
シューベルトの危機の時代を思わせる、
暗雲垂れ込める風景画なのが嬉しい。
1807年生まれということで、
シューベルトとほぼ同世代の画家、
ヴィルヘルム・ジルマー(63年没)の、
「森のはずれの小道」だという。

それにしても、24歳にして、
こんな録音からチャレンジする若者には、
まったく敬服するしかない。
そして解説もまた、ピアニストの
ゴットリープ・ヴァリッシュ自身が書いているのである。

「音楽における『断片』の着想から、
特にシューベルトの場合、悲劇と失敗が読み取れる。
交響曲ロ短調D759『未完成』や、
完成されなかったオラトリオ劇『ラザロ』D689、
あるいは『弦楽四重奏曲ハ短調』D703などの、
有名作品に加え、沢山の断片的なピアノソナタがある。
これらの大部分は、
ここに録音した4曲を含め、
シューベルトのいわゆる危機の時代、
1817年から1823年の間に書かれた。
この時期にシューベルトが格闘した多くの作品は、
彼の最も大胆かつ奇妙な作品や、
作曲の実験のような断片として残った。
これら中期の弦楽四重奏曲やピアノソナタを通じ、
シューベルトは大交響曲への道を模索していた。」

確かに、後年、シューベルトの発言に、
そうしたものもあるが、
しかし、この変ニ長調、1817年時点では、
シューベルトは順調に交響曲も発表していたし、
むしろ、ピアノ音楽の可能性を、
純粋に追求していたと見るべきだろう。

「これらソナタの断片は、11曲の完成作ソナタに対し、
12曲の未完成作品という、比較的、数が多いという点でも、
シューベルトの創造的人生の中で、特別な意味を持つものだ。」

ここで、さらりと12曲と言っているが、
彼は、この12曲を3枚のCDに収め、
今回のものはその中の1枚である。

このうち、全集でみんなが録音する、
「第2」、「第3」、「第6」を収録した1枚は、
多少、希少性が劣る。

「すでに強固な伝統的形式、
『ソナタ形式』として確立していた、
形式的パターンに対する作曲家の足掻きの印である。
すでにシューベルト独自のスタイルが、
強烈に刻印されているものの、
これらの作品には、
ハイドン、モーツァルト、フンメル、ウェーバー、
とりわけベートーヴェンが、
しばしばモデルとして登場する。」

ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの例は、
みんなが指摘するが、フンメル、ウェーバーの例も、
是非、指摘して欲しい。

「強烈な感情表出の内容を示唆する、
シャープやフラットの調性が多用され、
これがこの時期ソナタの特徴ともなっている。
一般的に2タイプの未完成ソナタが確認可能で、
一方に、ソナタの提示部の断片があり、
これらは展開部の途中、
遅くとも再現部の開始部で中断していて、
もう一方で、個別楽章が完成されていないものもある。
ピアノソナタの断片は、
シューベルトが何故、そこで中断し、
また二度と取り上げなかったかという、
永遠の命題に対する解答ではなくとも、
シューベルト内部の作曲手法の深い探索を可能とする。」

ということで、この録音の特徴は、
あえて尻切れトンボみたいになった、
シューベルトのソナタを集めることで、
あえて、事実をさらけ出し、
シューベルトが抱えた問題意識を共有しよう、
という試みにも見える。

決して、落ち穂拾いをやっているのではなく、
完成作を取り上げない自分こそが、
よりシューベルトに近いのだ、
という宣言にも見える。

ヴァリッシュの演奏は、非常に明晰なもので、
これらの作品の骨格みたいなものは、
非常によく見える。

一方で、後で出てくるように、
この録音、未完成作品を、必ずしも、
そのまま演奏しようというものではなく、
臨機応変に対応している。

実際、第5番は「未完成」とか、
「断片」とは記されていないが、
下記のような理由で、ここに収録されている。

「1817年5月作曲のソナタ変イ長調D557では、
シューベルトによる一連の断章が発見されている。
三楽章の完全性にも関わらず、
この作品は、調性のグルーピングが難問である。」

ということで、この作品が、
今だ謎の作品であることを証拠立ててくれている。

「変イ長調の第1楽章に、
慣習的なソナタ通り、ドミナントの調性である
変ホ長調の第2楽章が続く。」

このように、前半2楽章は問題がなさそうだ。

「しかし、第3楽章も続けて変ホ長調なのである。
この楽章は明らかにフィナーレの性格を持つが、
シューベルトはこの曲を変イ長調ではなく、
変ホ長調で終わらせようとしたのか、
4番目の楽章がないのか失われたのか、
といった疑問がわき起こる。
近年の調査でも、この命題には、
明確には答えられておらず、
このソナタは相変わらずソナタ断章として数えられる。」

確かに、変化をつけるために、
第3楽章があり、別の調で書かれていたとも考えられるが、
終楽章でもとの調性に戻さなかった謎がまだ残る。

こう書かれると、悩みこんでしまうが、
聴いていて、こりゃ変だと感じるべきなのか、
慣習的におかしい、と感じるべきなのかは、
よく分からない。
私は、特にそれは気にしないで聴いて来た。

「ハイドンやモーツァルトを思わせる、
単純なピアノ書法と、
第2楽章中間部の変ホ長調部は、
バッハの厳格なリズムを思わせる。」

愛らしい第1楽章も、この楽章の単純さも、
ヴァリッシュのピアノもそうだし、
24ビットの解像度で行われた録音もそうだからか、
クリアでとても満足が出来る。

「第3楽章開始主題には、
2年後のイ長調ソナタD664の、
終楽章と興味深い類似がある。
この非常に小さな作品の中に、
シューベルトは、愛らしく幸福で、
非常に古典的に影響を受けた側面を見せている。」

この指摘も、
言われてみてなるほど、
と思う程度。

第5番の解説は、実は、もっと後に出てくるのだが、
何故、「未完」とも「断章」とも書かれていない、
「第5」がここに収められているかを、
まず、すっきりさせて見た。

また、続く、第7a番、
前回の解説から懸案であったソナタについても、
「未完成」とするかどうかが悩ましい。

ヴァリッシュはこう書いている。

「1817年6月に書かれた、
変ニ長調ソナタD567で、
シューベルトは特別な集中を見せる。
自筆譜の第3楽章の最終ページは失われたが、
一連の断片は残っている。
シューベルトの友人のアンゼルム・ヒュッテンブレンナーは、
その回想に、このソナタのことを書いている。
『それは大変難しく、
シューベルト自身、気合いを入れずには弾けませんでした。』
『彼は、外国の出版社にこれを送りましたが、
こんなに恐ろしく難解な作品は、
出版するにはリスクがあると書いて、
送り返されて来ました。』」

以上のように、ヒュッテンブレンナーに
シューベルト自身、弾いて聴かせたとあり、
出版社に送ったともあるので、
おそらく、この作品は、
CD表記にあるような「未完成」作品ではないのだろう。

前回のCDにあった、
「オリジナルの終曲は未完成だが、
シューベルトは的確に最後の17小節を書き加えた」
という解説も性格ではなさそうだ。

ちなみに、
ドイッチュの「友人たちの回想」(石井不二雄訳)には、
さきほどの表現、
「彼自身、つっかえずに弾くことは出来ませんでした」
とある。
シューベルトは、弾けたのか弾けなかったのか、
この書き方では、非常に悩ましい。

こうした微妙な言い回しの差異から、
シューベルトは弾けもしないものを作った、
というロジックに繋がる場合もあっただろう。

「この異議は、
シューベルトに翌年、
第3楽章にメヌエットとトリオを追加して拡張し、
より簡単な変ホ長調に移調させることとなる。」

とあるのも悩ましい。
1817年に集中して書かれた
6曲のうちの1曲として語られるが、
1817年に書かれた部分は、
第1稿なのか最終稿なのか。

もし、第2稿だとすれば、
初稿は、第7番ではなく、
第4番に位置させる必要がある。

また、このような経緯が本当だとすると、
シューベルトは本来、変ニ長調で決定していたものを、
仕方なく変ホに書き換えたように見える。

そう思って聴くと、
この調性の変更によって、
この曲の性格はかなり変わっているように感じられた。
第1稿の方が低い調のせいか陰影に富み、
決定稿は、妙にふわふわした感じになっている。
ちょっと浮世離れしたものになって、
下記にあるような「野心的」な感じは、
多少失われている。

「この4楽章版は1829年、
作品122として、ヴィーンで出版された(D568)。
オリジナルの変ニ長調版は、
シューベルトのソナタの中で、
最も野心的で扱いにくいものとして数えられる。
外側の楽章は、
ほとんどビーダーマイヤー風の晴朗さが支配的で、
ロマンティックで叙情的な主題が拡張されていくのに対し、
嬰ハ短調の中間楽章は、
ベートーヴェンの厳格で表出力ある世界にある。」

ブラームスはしかし、
ベートーヴェン風だからと好んだわけではあるまい。

改めて聞き比べると、
この楽章は、いぶし銀のような響きから、
感傷的な響きになってしまったようである。

前回の解説に、
「シューベルトは、第1楽章の改訂に際し、
提示部の終わりから展開部への入りの部分をスムースにして、
再現部の最初のメインテーマに装飾を施した。
また、もともとあった不意のフォルテッシモの和音を外して、
この楽章の終わりをデリケートにしたりした。
終楽章では第2主題の視界を広げ、
リラックスした要素を導くことによって、
展開部の開始部を完全に書き直している」
と書かれていたが、これらも全て、
この録音のおかげで、耳で確認することが出来た。

まず、第1楽章の変更であるが、
「展開部への入り」は、
5分25秒あたりで聴けるが、
スムースにしなくても劇的で良い。

もともとあった不意の和音は、
最後の2音だが、
これは確かになくても良いような気もするが、
次の楽章の孤独さを突き放すような感じもあって微妙。

終楽章は、「第2主題」を拡張、
「展開部の開始部を書き直した」とあるが、
4分11秒以降で、このあたりの変化は聞き取れる。
変ホ長調という調性以外にも、
平板な雰囲気になった理由はあったのだ。

シューベルトは第9番ロ長調が挑戦的な作品になったので、
こちらは幾分、マイルドにしたのかもしれない。

さて、第5、第7aの2曲の解説を先に紹介したが、
以下、もう一度、ヴァリッシュの取り組み姿勢に戻る。
いったい、シューベルトを突き動かしたものは何か、
という真摯な姿勢が好ましい。

「主題材料はその限界まで追求され、
形式による要求と合致していないという感覚、
あるいは、もっと胸高鳴らせて、
やりがいを探すといった、
単に、新しいものに変化させたいという、
内的な圧力だろうか。
こうした解析からは、
必ずしも決定的な答えが出るわけではない。
最後に、それゆえに、音楽自身が語るべきだし、
音楽は、こうした場合、常に、
ちょっとした難問と謎を運ぶだろう。」

このあと、あえて完成させない方が、
研究に役立つといった見解がなされているが、
これについては、
例えば、マーラーの「第10」のように、
完成させてみて始めて、
その構想が明らかになるものもあり、
一概には言えないかもしれない。

「指導的なピアニストやシューベルト学者は、
これらの残された断片を使って、
作品を完成させようと試みて来た。
今回の録音では、しかし、
シューベルトのオリジナルを明確に分けるよう、
事実をそのまま残し、
他人による完成部分はなしに行うことにしたので、
これらの作品は断片性が強調されることとなった。
二つの作品は、しかし、
類似楽節の適用で完成可能であった。
ソナタ変ニ長調D567では、
フィナーレの最後の欠如部は、
この作品の変ホ長調版を参照した。
ヘ短調ソナタD625/505では、
終曲の欠如した和声(201小節から270小節)は、
楽章開始部の類似パッセージから類推した。」

このように、完成できるところは、
極力、完成させようとしているようでもある。
確かに、第7aの場合など、
こうなるに決まっている、という感じはする。

さて、今回、第10番D613(このCDでは11番)が、
D612のアダージョと一緒に録音され、
それなりに3楽章形式15分の作品として、
ケンプ、ツェヒリン、シフなどの全集でも、
この曲は取り上げられていない。
(さすがにスコダのにはあるようだ。)

では、解説を読んで見よう。

「全ソナタの中で、
ベートーヴェンの大きな影が明らかなのは、
1818年のハ長調D613/612と、
ヘ短調D625/505である。
この偉大な規範とこれらの作品の関連は、
前者が、『ワルトシュタイン』の第1楽章の、
13小節から19小節を引用しており、
後者のテクスチャと技巧が、
『熱情』の第1楽章を示唆し、
調性を厳格に引用している点にある。
『熱情』と同様、シューベルトは、
ヘ短調から、緩徐楽章の変ニ長調、
ヘ短調、さらにスケルツォのホ長調に、
調性を進行させている。」

ヘ短調については、リヒテルの解説でも読んだ。
ということで問題はハ長調であるが、
出だしから、ハ長調という調性にふさわしく、
屈託なく広がるメロディで、ベートーヴェンというより、
何となく、モーツァルトを思わせる。
第2主題も優美きわまりなく、
「ワルトシュタイン」の作者よりも、
フンメルのような粋な同時代人を思わせる。
ヴァリッシュは、下記のようにウェーバー風と書いているが。

「ハ長調ソナタD613は、一連の断章で、
二つの未完成の楽章からなり、
その二番目のものは、
興味深いことにテンポ指示もない。
これは終楽章として構想されたに相違なく、
軽快な6/8拍子からアレグレットと思われる。
明解で技巧的で、非常にピアニスティックな効果の書法は、
ウェーバーからの影響が感じられる。
紙や筆記の研究に基づけば、
この断章は、緩徐楽章と考えられる、
ホ長調のアダージョと同時期のものと見え、
これは第1楽章と和声的、主題的に直接の関連を持つ。」

最後の3行を要約すると、
シューベルトの書き方や、楽譜として使った紙に、
相関があるがゆえに、
D613とD612は1曲のソナタを構成しているはず、
ということだろう。

第2楽章も夢見るような楽想で、
もう、完全にショパンの夜想曲である。
フンメル風と言ってもよさそうだ。

何故、では、Dナンバーでは分けられているか、
ということの方が問題になりそうである。

アインシュタインの著作では、
D613は、2楽章からなるとされ、
「前者は展開部の真ん中で中断し、
後者は再現部の直前で中断している」
と書かれていて、
「メロディー法と形式の点でも、
彼が当時陥っていたに違いない、
ひどい混乱の証拠文献をなしている」
と書いていて、
あまり評価していない事を示しているが、
D612との関係は示唆されていない。

一方、このD612については、
「彼が1818年4月の
ホ長調アダージョなどにおけるように、
本当ヴィルトゥオーゾ性に、
装飾に犠牲を捧げている場合には、
われわれはほとんどシューベルトを見失ってしまう」
と散々な評価である。

いずれにせよ、これらの作品は、
非常に特殊な感じがして、
シューベルトとて、
新しいピアノ楽派に対しても、
何らかの興味を持っていたという証拠になって嬉しい。

「野ばら」や「ます」など、
ほとんど民謡的に単純な
シューベルト作品しか知らない人なら、
この第10ソナタには、喜んで身を委ね、
シューベルトはピアノソナタもきれいねえ、
と言いそうである。

が、「入念さを欠いている」と、
アインシュタインが示唆したように、
だらだらした印象があるのは事実。
しかし、ヴァリッシュのきれいな音色は、
それ自体快感なので、普通に聴けてしまう。

第1楽章は、それなりの容量があって、
かなり聞かされた後、
似たような第2楽章に滑り込むので、
尻切れトンボ感はあまりない。

が、終楽章はぷつんと切れてしまう。

では、最後に、第11番の解説。
ベートーヴェンの影響があるというが、
トリルにちりばめられ、これはシューベルトの刻印明瞭である。
一連のフラグメント集の中で、
何故に未完成か分からない作品の最たるものであろう。

「1818年と1824年の夏の何ヶ月かを、
エステルハーツィ家の娘達の教師として過ごした、
ハンガリーのツェリスで、
シューベルトは、1818年9月、
彼のヘ短調ソナタD625/505に取り組んだ。
特にこのソナタの第1楽章には、
ベートーヴェンの影響が見られるが、
シューベルトは新しい道を模索していた。
提示部で、もはや彼は二つの主題を対比させず、
一方から一方へと受け渡し、
このようにして提示部の最高の部分が、
息を呑む効果の転調と、
たゆみなく頻発するトリルを伴い、
(これは最後のソナタD960を予告する)
一種の展開部に転じる。
この楽章は再現部の開始部で中断している。
ホ長調のスケルツォと、
先に独立してD505として出版されたが、
近年の研究にてヘ短調ソナタに含まれるとされた、
変ニ長調のアダージョは、
共に完成している。
劇的で、シューベルトにとって、
異常に技巧的な終楽章は、
非常に強い対比がなされた二つのテーマが現れる。
これは驚く程、時空を越えたスタイルで、
ショパンやリストの作品との親近性がある。」

前回のシフなどは、
「さらにはD625やD505のように、
音楽学者が、いくつかの楽章が、
あるソナタの一部だと唱えるものもあるが、
その示唆が正しいかを知るすべはない」
と書いていたが、
ヴァリッシュは、率先してこれらを活用する意見である。

この曲も、ヴァリッシュのピアノの
クリアなメリハリ感は心地よく、
若々しい高揚感もあって、非常に好感が持てる。
また、第1楽章と終楽章の未完の終結部は、
フェードアウトして消えるので、
これはいっそう、未完成感が軽減されている。

ストラヴィンスキー賞をもらうピアニストゆえ、
この曲のスケルツォなど、
もっとはちゃめちゃにやって欲しかったが、
非常に良心的に清潔にまとめている。
むしろ、第3楽章の深い叙情に共感が明らかである。
ただし、さっぱりしているだけ線が細い印象で、
終楽章の交響的な大きさとは少し合わないかもしれない。

が、全体的に素描のようなタッチで、
これがこうした作品の鋭い筆致にふさわしいものと言える。
偉大な画家の場合、デッサンですら展覧会で人を引き寄せるが、
今回のCDは、そんな感じのものである。

得られた事:「シューベルトの第7ピアノソナタ初稿は、ほの暗いロマン性が渋く、シューベルトが出版を企て、友人たちも喜んで演奏に挑戦しようとした野心作であった。」
by franz310 | 2010-06-13 12:41 | シューベルト
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