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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その229

b0083728_22492937.jpg個人的体験:
リヒテルのロンドン・ライブ、
プロデューサーは、
ミッシャ・ドナートという人だったが、
この人はBBC放送の
要職についていたばかりか、
英国でシューベルトの解説をする時、
よく登場するようである。
内田光子のフィリップス盤でも、
今回のシフのデッカ盤でも、
英文解説はこの人が担当している。


1817年に、20歳のシューベルトが書いた、
6曲のピアノソナタの中で、
私として、一番安心して聴けるのは、
あまりにも冒険的な第9番や、
個性的な第6、第8よりも、
第7番変ホ長調ということになるが、
どうも、ある方面の意見には近いようである。

このドナートの解説でも、
「初期作品の中にあって、最も新鮮で、
深くヴィーン的なものの一つだったので、
出版時、当然のように、すぐに人気を博した」
などという表現が出て来るからである。

とはいえ、このように、
この第7ソナタを表現した人は、
あまりいないのではないか。

このCDも、また、
この曲のみをクローズアップしたものではない。

「全集」の一環であって、
演奏しているシフ自身、
シューベルトのソナタの中で、
特に、この曲に愛着があるかどうか不明である。

聴きようによっては、こわごわ弾いているようにも見える。

とはいうものの、流麗で丁寧な、
彼のスタイルには合っているような気はする。

このシリーズのCDの表紙は、
シフが座っていたり、
ピアノの前に向かっている写真だが、
この第4集は、演奏中のもの。
背景がグレーで、切り抜き写真みたいなのと、
上1/3が、塗りつぶしでタイトルが書かれている点が、
独特のデザインである。

私は、あまり良いデザインとは思っていない。
Paul Rolloという人が、
アートディレクションと書かれている。

このシューベルトのピアノソナタ全集は、
本間ひろむという人が書いた、
平凡社新書「ピアニストの名盤」によると、
シフの、「満を持して」の録音で、
「スタインウェイの音の輝きを捨てて」、
ヴィーンのピアノ、ベーゼンドルファーを利用し、
「シューベルトの精神を表現しようと試みた」
とある。

この著書で、シフの録音は、
「詩的なアプローチと構成力で他者を圧倒している」
と紹介されているが、
確かに、非常にデリケートな音色で、
優しくソフトに描かれたシューベルトである。
しかし、「圧倒」する類の演奏ではあるまい。

ということで、中庸の美を持っており、
それでいて、極めてシューベルト的なこのソナタは、
シフが弾くと説得力を持つような気がする。

一緒に収録されている第19番ハ短調も、
一般に、最もベートーヴェン的とされるソナタなので、
是非、マイルドなシフの演奏で聴きたいものだ。
これをがんがん弾かれると、
ちょっとシューベルトでなくなってしまう。

シフでは、EMCレーベルで、
「さすらい人幻想曲」があって、
私は、先にそれを聴いていたが、
ウゴルスキなどに、
ぼろくそにけなされたあの曲が、
かなり清新なイメージに生まれ変わっていて、
非常に好感が持てた。

しかし、こうしたアプローチだと、
初期の実験的な、いくぶん攻撃的とも思える作品は、
はたしてうまく行くのだろうか。

なお、シフのシューベルトは、
かつて日本でも連続演奏会があって、
かなりの好評を博したそうである。

渡辺和彦という人が書いた、
「クラシック極上ノート」という本でも、
「1998年11月に
東京オペラシティ・コンサートホールで
連続して行われたアンドラーシュ・シフによる
シューベルトのピアノ・ソナタ演奏会は
じつによかった」と書き出される一文があって、
「日本でのシューベルト演奏の金字塔」とまで、
賞揚されている。

ちなみにCDは、1992年11月、
ヴィーンのムジークフェライン、
ブラームスザールでの録音とある。

私は、同時期のものと思っていたが、
きっかり6年もの差異がある。
この間、ずっと同じ気持ちで、
シューベルトに向き合っていたのだろうか。

少なくとも私の中では、
1992年と1998年では、
20世紀と21世紀ほどの差異がある。
日本が失われた20年に入る前と後のような感じ。

日本での演奏はさらに進化したものだった可能性もある。
録音時のシフは、30代の最後にあって、
来日時のシフは四捨五入で50代になる。

さて、録音年代への感傷や、
シフの変化の類推はともかくとして、
この録音時の、シフのシューベルトに対するアプローチは、
自身の言葉で、
「シューベルトのピアノソナタを弾くということ」
というタイトルで、海外盤には明記されていて、
これは、この演奏から聞き取れる
シフという人の印象と、ぴったりと重なるものだ。

ただし、少なくとも、私が持っている、
他の曲の日本盤には、この言葉は紹介されていない。

「フランツ・シューベルトのピアノソナタは、
疑うべくもなく、この楽器でこれまで書かれた作品の中で、
最も崇高なものに含まれる。」

このような文章を書くピアニストが弾くシューベルトは、
どうしても傾聴しなくてはなるまい。
「さすらい人幻想曲」は、聴衆に受けるから弾いただけ、
などと公言するピアニストとは正反対である。

「シュナーベル、エルドマン、ケンプ、ブレンデルといった、
偉大な賛美者や開拓者の並々ならぬ努力にも関わらず、
D664やD960のような二・三の作品を離れると、
それらはなおも比較的未知なもので、過小評価されている。」

1992年12月30日の日付を持つこの文章から、
20年近くの歳月が過ぎ、
状況はかなり変わっているだろうが、
初期のソナタについては、
まだまだという気がしている。

「ベートーヴェンの32曲のソナタは、
すでに『新約聖書』とされて久しく、
それらは堂々とした論理的な作品群を形成している。
シューベルトにはこうした論理的な流れはないので、
シューベルトが書いたすべてのソナタ楽章を、
今回の録音に含めることはしなかった。」

無理矢理完成させて録音する、バドゥラ=スコダや、
切れ端のまま録音するリヒテルとは、
これまた異なるアプローチだということだろう。

「完成された作品群に加え、
いくつかの未完成作品をシューベルトは残した。
D840のハ長調ソナタの場合など、
完成された楽章に、断章が続いている。
また、D571のように、
どの楽章も完成していないものもある。
さらにはD625やD505のように、
音楽学者が、いくつかの楽章が、
あるソナタの一部だと唱えるものもあるが、
その示唆が正しいかを知るすべはない。
これは、これらの作品の演奏家が、
並々ならぬ研究を行い、大きな音楽的結論と、
向き合う必要があることを意味する。
何よりもまず、
それが短かろうが、未完成だろうが、
存在意義があり、学者の要望に応じた、
すべての断章やスケッチや初期稿を含む、
全作品のクリティカル・エディションとは、
コンサートやレコーディングは異なるものである。
この録音では、完成された楽章のみを含むようにした。
ただ、二つの特筆すべき例外を残して。
それは、D571とD625の第1楽章である。
素晴らしい音楽的クオリティを持つ、
これら二つの断章は、完成されなかったのは、
大きな損失であった。
(D625の最終楽章は、シューベルトのスケッチの
ソプラノラインから再構成は容易である。)
多くの音楽家たちが、これらの断片を完成させようと、
様々な試みを行っていて、あるものは成果をあげている。
これらの完成版を演奏するかどうかは、
単に嗜好の問題である。
このような天才の作品に手を触れるというのは、
恐るべき勇気や無謀さを要するが、
それは本当に必要なことなのだろうか。
シューベルトが若い時代に、
いかに形式と格闘していたかを見るのは、
興味本位のものではあるまいか。
また、D840のアンダンテの後、
『未完成交響曲』と同様、
どう語れと言うのだろう。」

このように、
シューベルトが完成した作品以外は、
なるべく見ないとうにしながら、
結局は、第8番嬰ヘ短調D571と、
第11番ヘ短調D625については、
その魅力に抗しきれず、録音してしまった、
という点も好感が持てる。

「シューベルトの手稿は、
アクセントとデクレッシェンドの指示が、
判読困難である。
彼の手稿やスケッチ、
またはそのファクシミリを研究するのに、
これは最も重要なポイントである。
それらが入手できない時には、
現在、ヘンレ版が最も優れたものである。
無数の間違いのある、
いくつかの非常に悪い版があるが、
これらは使うべきではない。」

自然体のシフであるが、
徹底的にこだわったのが、
おそらくこの点であろう。

アクセントが比較的丸いシフの演奏は、
このような知識による、アクセント恐怖症のような感じで、
それゆえに「さすらい人幻想曲」など、
灰汁の強い音楽も、すっきりと聴くことが出来たのであろう。

「リピートの問題は吟味されるべきで、
ここでは一度だけ行っているが、
杓子定規なものではない。
我々は初演の場所や時に身を置くべきで、
提示部が反復される場合、
聴衆に楽章の主題を
知らせる機会を与えることとなる。
ハイドンやモーツァルトの場合と違って、
シューベルトは、
めったに展開部や再現部を繰り返さない。
最後の二大ソナタの第1楽章は、
展開部の最初の終わりに、
いくつかの非常に独創的で重要な小節を含むが、
これらの省略は四肢の切断のようなものである。
シューベルトを信頼しようではないか。
その作品は一秒たりとも長すぎず、また、
ある種の人々の我慢できる時間はあまりに短い。」

ブレンデルなど、短縮版愛好家に愛する批判であろうか。
また、下記のような言葉は、スコダをはじめ、
シュタイアーやタンなど、
古楽の大家をどう捉えた言葉なのだろうか。

「シューベルトのピアノソナタは幸いにも、
まだ、グラーフのフォルテピアノを演奏する
専門家によって発見されていない。
彼の音楽は最も音色に敏感で、
特に、柔らかく、
柔らかすぎるほどのダイナミクスを有する。
彼はまた典型的なヴィーンの音楽家で、
これが、この録音の楽器として、
ベーゼンドルファー・インペリアルが
選ばれた理由である。
現在、多くの聴衆と批評家が、
スタインウェイの響きに慣れている。
恐らく、レンジの上では、
聞き慣れたスタインウェイほど優れてなくとも、
別の音色の価値があることを考える価値がある。
ト長調ソナタD894の開始部に見るように、
シューベルトの音楽はそうした音色に満ちている。
これらの素晴らしい作品にアプローチするのには、
無数の方法があるが、私がここで行ったことは、
一人の演奏家として試みた事にすぎない。
もっともっと沢山の人が、
シューベルトが、最高の歌曲作曲家というだけではなく、
誰にも負けないピアノソナタを書いたということを、
知るようになればと願う。」

まるで宣誓書のような、
理想主義に燃えたプリンスを思わせる言葉で、
音色や表情に対し、
きわめて清潔に向き合った演奏と言えよう。

この後、冒頭に書いた、
イギリスのシューベルトおたく、
ミッシャ・ドナートの解説による、
各曲の解説が続く。

ブックレットでは、ハ短調が最初に解説されているが、
ここでは収録順に従って、
第7番変ホ長調D568から訳出してみよう。

「変ホ長調のソナタ、D568は、
1817年にシューベルトが作曲した、
数曲のソナタの一つである。
この年は彼がピアノソナタの実験に目覚めた年で、
いくつかの作品は未完成の状態のまま放置され、
シューベルトはロ長調、嬰ヘ短調、変ニ長調といった、
通常使われない調性の探索を、
楽しんでいるかのようである。
ここに収録されたより有名な作品の原型が、
この変ニ長調であって、
シューベルトは明らかに、元の調性が、
出版時の障害になりうると考えたようで、
このソナタをより易しい変ホ長調に移調した。
それにもかかわらず、このソナタは、
彼の死後3年するまで現れなかったが、
これら初期作品の中にあって、
最も新鮮で深くヴィーン的なものの一つだったので、
その時は、当然のように、すぐに人気を博した。」

冒頭に紹介した部分だが、
実は、私には、この一節は、
非常に不思議な感じがする。
シュナーベルもブレンデルも、
このソナタを録音していないからである。

もっと言うと、私がこのソナタに惹かれる理由を、
えらく簡単に書いてくれたなあ、
という気もしている。

「オリジナルバージョンについて言えば、
1890年代に、
最初のシューベルト全集が準備されるまで、
日の目を見ることはなかった。
編集者の一人だったブラームスは、
嬰ハ短調という暗い調性である緩徐楽章ゆえに、
明らかに変ニ長調ソナタの発見を喜んでいた。
その作品の変ホ長調版の出現は、
しかし、オリジナルからの単なる転調では全くなく、
この改変を、全体の改訂の機会とした。
そのまま残されたのはアンダンテだけであって、
もともと、トニックマイナーを、
維持しようとしていたのにも関わらず、
シューベルトはそれを放棄して、
もっと悲劇的なト短調を採用した。」

ここでアンダンテと書かれているのは、
第2楽章のことである。
確かにト短調と言えば、
モーツァルトの必殺技みたいな、
悲劇的調性であった。

しかし、このもの思いにふけるような楽章は、
モーツァルトの作品のような、
強烈な悲劇性を振りまくものではない。

「(奇妙なことに、彼はニ短調という離れた調性で、
最初にこの作品をスケッチした際、
その楽想を書き留めるのに、
ベートーヴェンの初期の歌曲、
『君を愛す』の自筆譜を使ってしまった。
彼はさらに、それを二つに破って、
友人のアンゼルム・ヒュッテンブレンナーにプレゼントし、
ベートーヴェンの手稿をもっと台無しにした。)」

昔、「三巨匠自筆譜」だか何だかという記述を
「シューベルト友人たちの回想」で読んだ事がある。
それはベートーヴェンの楽譜に、
シューベルトが書き込んだものを、
ブラームスが持っていたというものだったと思うが、
これだっただろうか。

改めてドイッチュの「回想」をひもとくと、
「シューベルトはベートーヴェンの自筆譜の裏面に
ソナタの楽章を書き付け、また音楽の初歩の生徒の練習用紙として
これを濫用した」と解説にある。

ここで書き付けられたソナタが、
どうやら、最終的に変ホ長調ソナタになった模様。

「シューベルトは、第1楽章の改訂に際し、
提示部の終わりから展開部への入りの部分をスムースにして、
再現部の最初のメインテーマに装飾を施した。
また、もともとあった不意のフォルテッシモの和音を外して、
この楽章の終わりをデリケートにしたりした。
終楽章では第2主題の視界を広げ、
リラックスした要素を導くことによって、
展開部の開始部を完全に書き直している。
オリジナルの終曲は未完成だが、
シューベルトは的確に最後の17小節を書き加えた。
シューベルトはいつも4楽章のソナタを書こうとしていたのに、
オリジナルは明らかに3楽章構成である。
2曲のスケルツォ(D593)が、
1817年のピアノ曲に含まれるが、
二曲目が変ニ長調である。
この曲の変イ長調のトリオは、
ソナタD568のメヌエットのトリオと同じもので、
変イ長調は、変ホ長調の作品の文脈に、
ぴったりのものの一つだったので、
シューベルトは移調をせずにすんだ。
従って、メヌエット部分のみを、
新たに作曲すれば済んだのである。」

何だか分からない解説で、
D568の解説ではなく、
初稿のD567の解説を読んでいるような感じ。
肝心の変ホ長調は、いったいどこがヴィーンなのだ、
と問い詰めたくなった。

シフの演奏は、第1楽章冒頭から、
たっぷりとしたテンポで丁寧に歌うもの。

この楽章、晴朗で魅力的な楽想が次々に現れるが、
ひとつひとつに思いを込めており、
提示部の繰り返しも行って、
10分近い大曲にしている。

第2楽章も、とても感情を込めていながら、
何故か、それほど陰影が濃くない。

第3楽章もトリオも含め、
最小限の味付けという感じ。
ソフトフォーカスで、
かすんで見える風景のようだ。
ピアノがベーゼンドルファーというのは、
何か関係あるのだろうか。

第4楽章も、鮮やかな色彩に彩られ、
きらきらと輝いて美しい。
この楽章特有のさすらい感も、
劇的な展開も欠けていないが、
のどかな春の陽光が支配的である。

全体的に、よどみなく流れて清潔な感じ。
ピアノの美感を最大限活かしている。
ただし、味付けは非常にヘルシーで淡泊、
菜食主義のシューベルトと言える。

アクセント恐怖症と書いたゆえんであるが、
まったく嫌味のない音楽で、
いくらでも聴いていたい感じがする。

安心して身を委ねられるが、
しかし、どの曲も同じに聞こえてしまうのが
最大の難点のような気がする。

以下は、傑作、名作、第19番ハ短調の解説。

「1828年9月、
彼の死の何週間かまえ、
シューベルトは、大規模な
三曲からなるピアノソナタシリーズを完成させた。
これらはシューベルトがベートーヴェンの死後書いた、
唯一のピアノソナタ集であり、
遂に、自身の土俵で、
偉大な作曲家の挑戦することが出来るようになったと
彼が感じたという印象がぬぐい去れない。
これら3曲のそれぞれは、
明らかにベートーヴェンのオマージュであり、
最初のものは、最もベートーヴェン的な、
ドラマティックな調性をとり、
最初の主題は、明らかに、
そのハ短調の『32の変奏曲』を想起させる。
それだけでなく、
終楽章のリズム進行は、
ベートーヴェンの作品31の3の、
終楽章のタランテラの木霊である。
この作品31のソナタ集は、
シューベルトの第2作イ長調にも影を落とし、
その終曲は愛情を込めて、
ベートーヴェンのその曲集の最初の曲の、
ロンドの後をなぞっている。
シューベルトのソナタ変ロ長調D960に関しては、
その終曲のロンドは、
ベートーヴェンの最後の作品、
大フーガの代わりに作曲した、
作品130の変ロ長調弦楽四重奏曲の新しい終楽章を、
同じ調性のアウトラインを辿っている。
これまで、シューベルトの最後のソナタ群は、
興奮状態のうちに数週間で書かれたと言われて来たが、
全3作の細かいスケッチの発見によって、
彼がこの作品に断続的に、
数ヶ月間取り組んでいたことが分かった。
それはともあれ、
これら3作の到達した芸術的高みは、
どのように見ても、
1788年夏の6週間の短期間で、
交響曲作家としての締めくくりをした
モーツァルトの3作と同様の奇跡である。」

さすがドナートの解説。
いろいろ教えられることがある。
この3曲は、ベートーヴェンの死を契機に、
その衣鉢を継ぐ後継者が、
所信表明するような作品集だったわけだ。

しかし、ベートーヴェンの最後の弦楽四重奏曲も、
シューベルトはしっかり知っていたのだなあ、
などと感慨に耽ってしまった。

「ハ短調ソナタは、これまでシューベルトが書いた、
最も密度の高い、劇的な鍵盤の動きで始まる。
その最初のステージの力強さは、
霊感に満ちた聖歌風の開始テーマによる、
第2主題群によって相殺される。
後者の着想は、
振動して、鳴り響く終結主題だけでなく、
展開部の大部分を占める、
ピアニッシモが続くパッセージの萌芽を導く、
半音のインターバルである。
展開部は、半音階の神秘的な連鎖で最高潮に達するが、
この時、その下では、主要主題のリズムが、
低いバスに単音で現れる。
完全にベートーヴェン的な緊張の瞬間である。」

完全に脳みそがぐるぐるしそうな解説で、
こう書かないと、音楽は言葉にならないのだろうか。
確かに、書かれているような事は起こるようだが、
「半音のインターバル」が、第2主題群の根本かは分からない。

シフの強みは、この手の押しの強い音楽を、
押しつけがましくなく、聴かせる点であろう。

「緩徐楽章全編にもベートーヴェンの影響は色濃く、
これは、シューベルトの成熟したソナタでは、
唯一のアダージョ楽章である。
ここで、特に、ベートーヴェン風に、
16分音符の揺れる三連符の伴奏の上に展開される
主要主題の繰り返しに、
『悲愴ソナタ』のアダージョの
木霊を聴く人もいるだろう。
(シューベルトの場合、より興奮した、
先立つエピソードのリズムが伴奏に継続する。)
シューベルトの最後の主題回帰では、
スタッカートの伴奏の上を
メロディがなめらかに流れ、
ベートーヴェン好みのテクスチャが現れる。」

この解説はまったくもって同感である。
シフも美しく深い歌を聴かせてくれる。

「終楽章の急速なパルスを見ると、
イ長調や変ロ長調のソナタのスケルツォとは異なり、
第3楽章は、明らかにメヌエットである。
シューベルトの暫定稿では、
最終稿のよりピアニスティックな伴奏音型とは異なり、
開始メロディは和音の連続でなっていた。
メヌエットの後半は暫定稿に近づき、
開始主題の回帰に備え、
左手にはオリジナルの和音が保持されるが、
息を吸い込んで欠伸するかのような
突然の静寂がメロディを中断するのは、
後からのアイデアである。」

このようにスケッチから、どのような修正を経たか、
などという解説は珍しい。
さすがドナートさんという感じか、
あるいは、それがどうした、
という感じを受ける人もいるだろう。

要約すると、無骨に発想されたものが、
彫琢を経て、洗練された、と読み取るべきであろうか。
これだけ、よく考えられたソナタですよ、
と言いたいのかもしれない。

シフの演奏は、このいらだたしい楽想の楽章を、
ヒステリックでなく表現して聞きやすい。

「終曲は、幅広い音階で作られ、
その材料は、基本的にロンド風だが、
展開部のエピソードの前に
主要主題の回帰がなく、ソナタ形式的になる。
展開部は、楽章全体に行き渡るギャロップのリズムが
しばらく休止すると共に、
短調から長調へとまず立ち上がる主要主題が変容し、
憧れに満ちたロ長調の幅広いメロディで始まるが、
第2部は嬰ハ短調で閉じられ、
シューベルトの半音で隣接した調性の使用が、
めざましい効果を上げる。」

これまた、無理矢理音楽を言葉にした、
涙ぐましい解説で、よく分からなくて涙が出た。
曲のスケッチを語られるより手強い。
お互いに涙が出る解説というものは、
いったいどうしたものだろうか。

シフは、素晴らしいリズム感で、
白馬に乗った王子のごとく
さっそうと駆け抜ける。
ここでは、時に、アクセントを強調し、
ベーゼンドルファーの、
多少くすんだ歪みを響かせて効果的である。
さすが、この曲ともなると、
かなりデーモニッシュになっている。

得られた事:「1817年の変ホ長調のソナタは、初期のソナタの中では比較的早く出版され、人気もあった。」
「3巨匠自筆譜について、いきさつが分かった。」
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by franz310 | 2010-06-05 22:49 | シューベルト
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