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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その223

b0083728_1071664.jpg個人的経験:
前回、1817年の
ソナタということで、
それを銘打ったタイトルを持つ、
ヴァイヒェルトのCDを聴いたが、
3曲しか収録されていなかった。
実際にはこの年、
シューベルトは、
もっと沢山のソナタを書いているが、
カプリッチョ・レーベルのCDによって、
うまく残りも補助して聴けた。


ピアノは、ミヒャエル・エンドレスという人が弾いている。

この人はヘルマン・プライの伴奏をしていた事があり、
1993年には、この大歌手と日本にツアーしたと、
解説にも特筆されている。

ミュンヘンに学び、ニューヨークのジュリアード楽院で、
マスターの学位を取ったらしいが、
何故、わざわざ、本場を離れ、
アメリカに行く必要があったのかは分からない。
Jacob Lateinerという人が名教師なのだろうか。

この間、1985年のゲザ・アンダ・コンクールで3位、
1986年、ニューヨークの
国際芸術コンクールで1位を取ったとある。

さらに19カ国70人が参加した独シューベルト・コンクールで、
首位と特別賞を得て、シューベルト解釈の第一人者となった。

ソナタの全曲を弾いて成功し、
アメリカデビューも1990年に行った。
チューリヒ・トーンハレ管弦楽団と国連で共演、
ベルリンやカーネギーホールでリサイタルを行った、
とのことである。

おそらく、ヘルマン・プライとは親子のような年齢差であろう。
これは、フォーグルとシューベルトの関係を思い出させる。
このような大芸術家の伴奏を務め、
歌曲の伴奏も経験豊富という事は、
この録音でも、大きな強みになっていると予想される。

さて、今回のこのCD、
これはソナタ全集の一部だが、
CD1にD557、D566、D575の
3曲が入っていて都合が良い。

朝日選書、喜多尾道冬著「シューベルト」の中にあった、
シューベルトのピアノ・ソナタの一覧表で、
前回、ヴァイヒェルトが演奏していたものを、
○で示したが、今回、新たに、このCDで、
エンドレスが演奏しているものを◎で示した。

1817年
第4番(D537)○
第5番(D557)◎
第6番(D566)◎
第7番(D568)○
スケルツォとアレグロ(D570)○
第8番(D571)○
第9番(D575)◎

ということで、1817年のソナタを、
だぶることなく聴き通すことが出来る。
CD二枚で、この時期のソナタを聴き通せるのは、
かなり効率が良い。

なお、このエンドレス盤のCD1には、D664も入っている。
この有名曲の美しい第2楽章を聴いても分かるが、
エンドレスは非常にシューベルトに寄り添っている。
まるで、生まれたばかりの幼子を取り上げるかのようである。

それは、夢の中の花が、
次第に花びらを開いていくのを見るような、
優しいまなざしを感じさせた。

ただし、第1楽章などで感じたことだが、
強奏が、少し無骨すぎるかもしれない。

表紙のパステル画調のシューベルトは、
ちょっと乙女チックであるが、
いかにも、シューベルトのピアノソナタでござる、
という風なシンプルさでまとめてあって良い。
クロスするベージュの色調も上品である。

また、CD3には、前回聴いた、
D537と、D568が、収められている。

こちらのCD解説が、
ちょうど、1817年のソナタを概観した形になっている。

CD3の解説冒頭:
「1816年12月に、シューベルトは、
学校教師のくびきを初めてふるい落とし、
彼が新たに勝ち得た自由の意識は、
そのペンの流れを以前よりなめらかなものとした。」
と、かっこよく、
Hans Christoph Worbsは書き出している。

しかし、前回も聴いたように、
シューベルトのペンの流れは、
このソナタ群において、
時として苦渋に満ちた感じもある。

「『死と乙女』、『月に寄せる』、『ガニュメート』、
『マホメットの歌』などの歌曲が、
1817年の最初の何週間かで作曲された収穫に含まれ、
遂に、20歳の作曲家は、
ピアノ・ソナタによって、
新しい音楽領域を制服した。
イ短調ソナタ(D537、作品164)は、1817年の3月に、
変イ(D557)、ホ(D566)、変ホ(D568)、
それにロ(D575)に先立って書かれた。」

という風に、この時期が概観されている。

一方、CD1の方の解説は、こんな書き出しである。
ちょっと変奏されている感じが面白い。

CD1の解説冒頭:
「1816年、シューベルトは、
遂に、憎むべき学校での授業から解放された。
自由を得たという自覚は、かつてより軽やかに、
ペンを走らせた。
『死と乙女』、『音楽に寄す』、『ガニュメート』などが、
1817年の最初の何週かで作曲された。
そしてようやく、ピアノ・ソナタを持って、
20歳の作曲家は明らかに新しい音楽領域に入った。
イ短調ソナタ(D537)の後、
変イ長調ソナタ(D577)が、
1817年5月に書かれた。」

このように、比較的有名なイ短調に続いて、
あまり知られていない変イ長調が、
すぐに書かれたように見えるが、
CD3の解説には、
実は、イ短調と変ホ長調が、
続けて書かれたようにも書かれている。

ちょっと、前回聴いた2曲を振り返る形で、
これらの作品も復習しておこう。

第4番とされるイ短調D537の解説はこうだ。
(CD3にある。)
「まず、彼がこれを手がけた時、
旺盛な創作力を感じていたことは疑いない。
この曲には後のイ短調ソナタのような宿命的な響きはない。
最初の楽章では、異名同音的転換、ペダル指示、
ゲネラルパウゼが顕著で、展開部では、
若い作曲家はすでに出ている材料の処理より、
新しい着想の披露に重きを置いており、
再現部は、サブドミナントの弱音で開始される。
中間楽章のアレグレット、クワジ・アンダンティーノでは、
『無言歌』を聞き取るだろう。
16小節の単純な民謡のような主部に、
シューマンを思わせるハ長調の第2の部分が来る。
ロマン派の音楽がそうであるように、
ここでも三度の関係が採用されている。
終曲は、自由な二部形式の、
3/8拍子アレグロ・ヴィヴァーチェ。」

復習の結果、出てきたキーワードは、
第2楽章の「無言歌」と「シューマン」。
しかし、何故、どの解説も、
第20番のソナタの終楽章のテーマだと、
書いてないのだろう。

エンドレスの演奏は、
しっとりと落ち着いていて、
神経が行き届いている。
シューマンを思わせるというのも、
分からなくもない。

神秘の森に分け入るような、
神妙なまなざしを感じる歌わせ方である。

さて、先に書いたように、
この解説では、「第7番」D568のソナタの方が、
「第4」に続いて書かれたように紹介してある。

「シューベルトは、D568のソナタを、
イ短調のたった1週後に作曲している。
その最初のバージョン(D567)がその時書かれ、
作品は、ベートーヴェン風に、
ロマンティックな変ニ長調であった。
ブラームスのようなシューベルト通は、
明らかに元の版を好んでいる。
変ホ長調の決定稿では、演奏が容易で、
シューベルトは明らかに出版社の意向をくんだと思われる。
しかし、決してこれは、機械的な移調ではなく、
新版では、第1楽章の展開部や終曲は改訂されていて、
メヌエットは完全な新作であった。
変ホ長調のピアノソナタは、
ベートーヴェンのピアノ作品の集中的な研究の成果で、
主題の結合は細部に至るまで、
ベートーヴェンとの関連がある。
一方、シューベルト特有の語法が、
すでにこのソナタには聴かれ、
歌曲のような構成の第1楽章の第2主題は、
ヴィーン風の愛嬌がある。
メヌエットのレントラー風のトリオは、
クラリネットのメロディを持ち、
シューベルト個人のブレークスルーを示している。」

ここでの復習のキーワードは、
第1楽章の第2主題がヴィーン風であるかであるが、
改めて聴きなおすと、
エンドレスも、ここでは、
心持ち楽しげにステップを軽くして、
いかにもという風情である。

また、メヌエットが、
クラリネットかも聴いて見たいところだ。
この演奏で聴くと、音域や装飾の入れ方、
その憂いを秘めた風情からして、
なるほどを感じ入った。

私は、この変ホ長調のソナタの、
こうした佇まいゆえか、
実は、前回から、離れがたくて仕方がない。

ただし、このカプリッチョ盤の解説は、
終楽章の魅力に触れていないのが残念。

さて、今回聴く、エンドレスのシューベルト、
ピアノソナタ全集のCD1であるが、
解説はどうなっているだろうか。

まず、「第5番」変イ長調D557である。
1817年5月の作品とある。

「これは旧シューベルト全集で、
1888年で出版されるまで、
出版されなかった。
この特別なソナタでは、青年期のシューベルトは、
ベートーヴェンの影響を廃している。
幾分、控えめな特徴を持ち、
ハイドンの精神が息づいている。
その比較的単純なスタイルにもかかわらず、
シューベルトはそのアイデンティティを犠牲にしておらず、
それは、変ホ長調のアンダンテに見える、
短調のエピソードにも明らかである。
アルフレッド・アインシュタインによると、
この楽章を、彼は即興曲や楽興の時に含むことを、
ためらう必要もなかっただろうと書いている。
この変ホ長調のアンダンテに続くであろう、
メヌエットは残っていない。
そして、この緩徐楽章に、
変ホ長調で、慣習的な調性のスキームから逸脱し、
目を引くものの、伝統的なソナタ形式に沿った、
6/8拍子の典型的ロンドが続く。」

この曲、「第5番」は、
名手ルプーなどが録音したことによって、
日本でも知られるようになったものだ。

このルプーの演奏は、
非常に軽やかで、このピアニストらしい、
透明感に溢れたもので楽しい。

エンドレスの解説のように、
メヌエットがない、という以外にも、
終曲がない、という説もあるようで、
ルプー盤の日本語解説では、
「フィナーレを欠いた未完成のもの」と断定されている。

このCDの第3楽章の解説では、
「ソナタ形式で書かれているが、
スケルツォ的な性格も持っている」とあって、
確かに、めまぐるしい指遣いが敏捷で、
スケルツォ的とも言えそうだ。

このように、「未完成」という説があるせいか、
舘野泉の「初期ピアノ・ソナタ作品集」でも、
この小さな曲は、取り上げられていない。

アインシュタインの本を見ると、
未完成説の理由となった説が述べられている。

「5月には変イ長調ソナタがあって、
これはフィナーレを欠くが、
むしろシューベルトが、
変ホ長調になっている終楽章を
主調に移調することを
忘れてしまったにすぎないと思われる」

せっかく急緩急の三つ楽章があるのに、
メヌエットがないと言われたり、
終曲がないと言われたりして散々な作品である。

聴いた感じでは、それほど未完成感はないのだが。

それにしても、この曲、
ルプーが救ってくれてよかった。
そうでなければ、若書きの習作として、
聴き飛ばすところであった。

アインシュタインの本を読んでみると、
さらに、ひどい評価が続く。

「変イ長調ソナタは全く未成熟なもので、
ハイドンのピアノ・ソナタの規模で
満足しているばかりでなく、
その精神をも呼吸している。
シューベルトはさしあたり
ベートーヴェンとの競争を避ける。
この曲はハイドンの作品の演奏後か、
その印象のもとに
書き下ろされたものだといいたい。」
(白水社 浅井真男訳)
と、ハイドンはダメ、と言い張っている。

確かに、第1楽章は、ロマンティックな要素は少なく、
第4番より前の作品のようにも聞こえる。

例えば、曲の構想一つとっても、
先立つ、第4番イ短調が、
(あるいは、変ホ長調D568が)
第1楽章からして10分という規模なのに、
この曲は、1/4~1/3の長さしかない。
非常にシンプルなものである。

アインシュタインは、第2楽章も、
ハイドンの交響曲の楽想だと書いているが、
確かに、ぽつぽつとした感じは、
「時計交響曲」みたいである。

しかし、そこに、
「純粋にシューベルト的な刻印のある
短調の中間部をつけ加える」として、
「きわめて完成している」と書き、
先の解説が書いていたことを記している。

エンドレスの演奏で聴くと、
この楽章は、非常にゆっくり弾かれているせいか、
妙に寂しい感じが出ていて、味わい深く感じた。

ルプーの演奏は、明るさを志向して、
雨上がりの景色のような一瞬を感じる。

中間部は、焦燥感のようなものがあふれ出し、
ロマンティックな色彩を放ち、
その後に、再び、時計のような主部が現れると、
何か世界が変わってしまったかのような、
喪失感のようなものがある。

ひょっとすると、ぼくとつとしたエンドレスの方が、
流麗に七色の光を放つルプーより、
シューベルトの魂に触れているかもしれない。

このあたり、エンドレスの演奏、
一幅の絵画、一編の詩を味わうようだ。
後付理論のようだが、プライの歌う歌曲にも、
こうした情景変化のあるものがあったに相違ない。

また、こうした聴き方をすると、
アインシュタインが、「きわめて完成している」、
と書いたこともよく分かる。

また、終楽章は「典型的にシューベルト的なロンド」とし、
「ソナタ形式をとっているという点ではなはだ特異である」
と特筆している。

こう見て来ると、
どの解説もアインシュタインの本の、
孫引きみたいで物足りない。

エンドレスの演奏は、いくぶん鈍重で、
ルプーのような、ひらめきや、
透明なしなやかさを持ったものではないが、
あえて、作品の魂を引きだそうと、
没入して対話している演奏とも思える。

シューベルトはきっとこんな演奏をしていたに相違ない。

さて、次に、ホ短調ソナタ(D566)の話が来る。
これは、「第6番」と呼ばれるもので、
下記のような事情を、アインシュタインも特筆している。

アインシュタインは、即物的に、こう書いている。

「全集版のなかにはその第1楽章しか入っていず、
第2楽章はエーリヒ・プリーガーによって出版され、
スケルツォ(変イ長調)として『音楽誌』に
収録されている。」

アインシュタインの著作より、
CD解説は、よりドラマティックな報告になっている。

「何十年もの間、シューベルトのピアノ・ソナタの
原点版は惨めな状況下にあった。
ホ長調ソナタ(D566)は、1817年6月に作曲され、
旧全集版はその第1楽章しかプリントしていない。
ベートーヴェンの作品90の終楽章に似た、
ホ長調のアレグレットの第2楽章は、
1907年まで出版されず、
1928年には個人所蔵の変イ長調のスケルツォが、
和声の絶妙さの鉱脈のような、
変ニ長調のトリオと共に発見された。
1928年10月、ミュンヘンでの、
ヨーゼフ・ペムバウアによる初演は、
3楽章の作品として紹介したものであった。
D506の変ホ長調のロンドは、
明らかにこのソナタの終楽章とは言えない。」

このように、このソナタは、
ばらばら事件の被害者になっていたようだが、
果たして、終楽章はどうなったのだろうか。
未完成なのか、未発見なのか微妙な記述である。

しかし、第5も第6も、
しっかり3つも楽章が揃っているので、
これで完成している、と言い切っても良さそうだ。
そうでなければ、ルプーのような、
録音にうるさい名手が取り上げたりしないだろう。

ところで、解説に唐突に登場したD506とは何なのか。
アインシュタインによれば、
作品145として出版された、
成立時期不明の「アダージョとロンド」という作品の、
後半の曲のことらしい。

このCDで聴けるわけではない。

さて、このような発見史からだけ、
このソナタ「第6番」を味わえというのも、
かなり無茶な話ではなかろうか。

一応、トリオ部は、かなり精妙な和声が聴けるようだが。

エンドレスの演奏で聴く限り、
この曲は、先の「第5」より、
メランコリックな叙情が冒頭から溢れ、
分かりやすいメロディに彩られて歌謡的、
どの楽章も規模が大きい。
第1楽章は、晴朗な曲想に転じ、
気分を変えながら様々な色合いの中に夢想する。

第2楽章は、8分近い規模を持ち、
まるでシューマンのおとぎの国に彷徨い入るような感じで、
とてもロマンティックである。
この曲などは、もっと知られて良いものであろう。

第3楽章は、スケルツォで、
いかにもという風に飛び跳ねるものだ。
トリオは、確かにオルゴールのような不思議な色彩を持つ。

「第6」は、かなり様々な魅力を秘めた作品に見える。

次に、「第9」D575という、かなり知られた作品が来る。
かなり知られたと書いたのは、
リヒテルや内田光子も、
この曲を録音しているからである。

CD解説には、こうある。
「1817年8月、ロ長調ソナタ(D575)は、
作曲、または少なくともスケッチされ、
作品147として、1846年に出版された。」

かなり早い時期から知られていたようで、
ばらばら事件に至っていなかったせいだろうか。
4楽章形式で、「第4」や「第7」ほどではないが、
第1楽章は「第5」、「第6」より規模が大きい。

「1992年のアンドレアス・クラウゼの評価では、
クリスチャン・ダニエル・シューバルトの調性の性格が、
論じられている。
シューバルトはロ長調を、
『強い色調で、荒々しい情熱を公言する』ものとし、
『憤怒』や『激怒』と結びつけて考えており、
このロ長調ソナタの冒頭にも、それは当てはまる。
この作品は、第1楽章同様、例えば、
ホ長調のアンダンテの終結部直前も、
フランツ・シューベルトは三度の関係を、
その音楽の性格として多用している。
一般に、和声家とされるシューベルトは、
この作品の中で、個性的に自身を表現しており、
あちこちに謎が満ちている。
第1楽章の第2主題では、ロッシーニの余韻がある
(1816年、タンクレディで、
ヴィーンもまたロッシーニ旋風を食らった)のが、
見つけられるだろう。
ト長調のスケルツォは、
弦楽四重奏の楽章のようなものを書いていて、
終楽章は、三分形式の歌曲形式で、
すさまじい終結部を有する。」

クリスチャン・フリードリヒ・ダニエル・シューバルト
(Christian Friedrich Daniel Schubart )は、
1739年生まれの詩人で、
シューベルトが作曲した歌曲「ます」の作詞者だが、
音楽家でもあったようで、
『音芸術美学試論』を書いたとも言われている。

何だか、この人物もただ者ではなさそうだ。

シューベルトの「ます」をテーマにしたブログで、
脱線しておきながら、こんなところで、
関係者が絡んでくれるとは、非常に心強い。

さて、このソナタは、機嫌が悪いソナタで、
冒頭から和音の強打のファンファーレと、
怪しげで、表情豊かな第1主題などが繰り返され、
謎に満ちたものである。

第2主題は、ロッシーニ風と書かれた軽妙なもので、
先ほどまでの厳粛な雰囲気が破られる。

「第6交響曲」も、ロッシーニの影響で、
幾分、情緒より、乾いた明るさが前面に出たが、
このソナタも、第1楽章はかっちりと硬質で、
シューベルトらしさはその隙間からにじみ出るだけの感じ。

第2楽章は、夕べの祈りといった風情で、
敬虔な雰囲気に満ちたアンダンテ。
このような曲想になると、エンドレスの滋味が生きる。
中間部では、シューベルト特有の、
切迫感に満ちた混乱が聞こえる。

第3楽章は、弦楽四重奏風と書かれていたが、
森に角笛が木霊する、神秘のひととき。
浮遊感のあるスケルツォで、時間的な停滞感を感じる。
トリオは、ぐるぐる旋回して、これまた、
人をからかっている精霊のようだ。

第4楽章は、牧歌的なギャロップになって、
ようやく推進力を得て、音楽がさらさらと流れ始める。
しかし、荒々しい動機も出て、単に開放的になるのを戒める。
一癖も二癖もあるソナタである。
中間部では、再び音楽が迷路に彷徨いこむ。

終わり方も強引である。

8月の作曲とあったが、1817年のソナタとしては、
これが打ち止めのようだ。
シューベルトは、秋以降は何をしていたのだろうか。
12月あたりから、父親の手伝いのため、
再び、教職に連れ戻されるわけだが。

こう見ると、ピアノソナタ群は、
一時の休息を利用して書かれた、
貴重な作品群に見えて来る。

エンドレスのピアノは、表情と音色に、
濃やかな工夫を凝らしたものだが、
こうした脈絡のなさを切り開くようなものではない。
若いシューベルトに付き合って、
あちこちに回り道する。

このように聴いて来たように、
エンドレスのピアノは、ある時は繊細で、
ある時は無骨であり、変幻自在である。
さすがに歌曲伴奏の状況描写で鍛えられた人、
という感じがしないでもない。
共通するのは、シューベルトに対する、
優しい心遣いといった点で、
作曲家の声を極力活かしたものと言える。

そんな行き方からすると、
ルプーの音楽作りは、
あまりにピアニストの個性が
前面に出たものに聞こえる、
とも言えるのかもしれない。

得られた事:「シューベルトの作品は、時として分解されて持ち去られ、未完成の習作なのか、個性的な形式にチャレンジしたものか判然としないものがある。1817年のソナタは、第4、第7、第9は少なくとも完成しており、第5、第6は微妙、第8はつぎはぎになっている可能性有り。」
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by franz310 | 2010-04-25 10:07 | シューベルト
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