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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その222

b0083728_18415885.jpg個人的経験:
週末にかけて、
九州の方に出張していたが、
長崎空港で流れているのが、
「蝶々夫人」のメロディで、
なるほど、と思った。
しかし、その後走った高速道路の、
あるパーキング・エリアで、
流れていたのが、
シューベルトだった理由は、
さっぱり理由が分からなかった。


長崎空港のものは、
オルゴール調で、いかにも空港デザインの一部だったが、
パーキング・エリアの方は、ちゃんとしたピアノ演奏で、
地元の有線放送か何かを、
垂れ流ししているだけだったのかも知れない。

この部分だけ抜き出して、
次には別の曲になってしまった。

最初、何の曲か戸惑ったりもしたが、
あの美しい4楽章のテーマに続く、
ピアノ・ソナタ第20番のスケルツォであることが、
分かって、ますます、奇異な感じを覚えた。

ただし、それが何故か、
とかを語るのがここでの目的ではない。
さらに言えば、ピアノ・ソナタ第20番D959が、
ここで取り上げられるわけではない。

日常に垂れ流される音楽に、
シューベルトはどうもそぐわないような気はする。
語られる音楽なので、
よその人の独り言を、
聴いているような感じになる。

とはいえ、ピアノソナタ20番。
その第4楽章のテーマの元は、
シューベルト20歳の若書き、
1817年のイ短調D537は、
前回、デーラーの演奏で取り上げたところである。

そして、この1817年のソナタ群というのも、
妙に気になっていたところである。

というのは、この年、7曲もの、
断片を含む、ピアノソナタを、
シューベルトが書いていて、
これが、かなり特別なグループであることを、
妙に意識してしまったからである。

今回、取り上げるCDは、その名もずばり、
1817年の3つのソナタというもので、
私は、これをずっと前に買って以来、
この年にはこの3曲が書かれたものと考えていた。

しかし、実際は、
1817年のピアノソナタとするには、
曲が足りず、このテーマで行くなら、
2枚組のセットにするべきであった。

このあたりのソナタは、有名なところでは、
ミケランジェリやリヒテルが時折、
紹介してくれていたが、
ここでのピアニスト、WEICHERT、
ヴァイヒェルトと仮に呼ぶとして、
この人のものくらいしか、
こんな形でCDのテーマとして強調したものは、
知らなかった。

クロード・ロランの絵画「ニンフのいる風景」を、
あしらったデザインは、時代錯誤も甚だしいが、
いかにもヨーロッパの風情を感じさせるもので、
私は好感を覚えている。

ただし、これらの曲と、この絵画には、
何ら関係があるとは思えない。

1984年の録音で、ACCORDレーベルのもの。
アコードかと思っていたが、
フランスのレーベルで、アコールと呼ぶようだ。
このレーベルは、珍しい作曲家の作品を多く収録していて、
時々、お世話になっている。

ピアニストのGregor Weichertは、
大きな眼鏡をかけ、ヨン様のように髪を垂らした、
(当時の)若手のようで、
解像度の低い白黒写真は出ているが、
何者かは解説に書かれていない。
若いのに、パイプを咥えているのが不思議な印象である。

おそらく、全集の1枚。
私は、他にも持っている。
有名な後期作品を聴いた感じでは、
ものすごくピュアな感じの演奏をする人だ。
クリアで透明、よどみなく流れる。
残念ながら、使用楽器は明記されていないが、
他のCDには、スタインウェイとある。

前回まで、歴史的楽器にこだわっていたが、
今回は、新しい楽器のものである。
このピアニストの、美しい粒立ちの演奏は、
こうした現代のピアノの美質を、
突き詰めたところにあるようにも思える。

このCD、解説は、
このタイトルにふさわしく、
1817年のシューベルトについて、
下記のように書き出されている。

「シューベルト20歳の1817年は、
彼にとって非常に重要な年であった」と書き出されていて、
かなりいい感じである。

Marc Vignalという人が書いている。

「彼は、最終的にではなかったが、
教職の義務から何とか抜け出し、
9月まで、父とではなく、
ヴィーンの中心部で友人と暮らした。
創造的な見地では、非常に多産の年であり、
他の曲種に加え、沢山の歌曲と、
いくつかは未完成だが、7曲のピアノソナタを作曲した。
シューベルトが、こんなに沢山のピアノソナタを
手がけた年は、後にも先にもなかった。
彼は3曲手がけたが、
かろうじて1曲を完成させる感じだった。
先駆者たるハイドン、モーツァルト、
ベートーヴェンが優れた仕事をした分野に対する、
1817年のシューベルトの体系的探求は、
ソナタの数のみならず、
通常聴かれることのない調性、
嬰へ短調、変イ長調、変ニ長調、
ロ長調(D567、D575)の選択からも分かる。
それらに、1818年には、
D625の未完成のヘ短調ソナタが続いた。」

シューベルトも20歳の節目の年、
何か、体系的なチャレンジをしようとしたのであろう。
非常に共感できる前向き発想である。
早くプロになりたくて、がんばった感じであろうか。

しかも、調性の選択でもオリジナリティを追求している、
というのは非常に面白い。
後年、シューベルトは、「ます」の五重奏曲のようなイ長調や、
大交響曲や、幻想曲、弦楽五重奏曲のようなハ長調、
さらには、最後のピアノソナタやトリオのような変ロ長調、
といった調性を愛好するが、
こうした経験の末に行き着いた世界だと思うと、
味わいもひとしおになる。

なお、この時期、ベートーヴェンは、
スランプのさなかにあるが、
ピアノソナタでは、「ハンマークラヴィーア・ソナタ」という、
俗称を持つ、第29番の構想が進んでいた頃であろう。
前年に「28番」が書かれ、翌年にこの29番が現れる。
そして、1822年にかけて、後期3大ソナタが現れて来る。
そんな時期である。

ベートーヴェンとシューベルトが、
二人して、ソナタと取っ組み合いを演じていたのは、
何か、理由でもあるのだろうか。

「1817年のソナタは、
どれも生前に出版される事はなかった。
最初のD537は、3月に書かれたが、
1852年頃に出版された。
これは、彼の3曲のイ短調ソナタの最初のもので、
3つの楽章しかない。
後の2曲のような悲劇的な感覚はなく、
むしろ、もっぱらエネルギーを表出している。
最初の楽章は、凶暴にストレスがかかった主題群による、
6/8拍子のアレグロ・マ・ノン・トロッポである。
1小節の沈黙の後、ヘ長調の主題群が導かれる。」

ヴァイヒャルトのピアノは、
時として、弱さを見せるが、しなやかで、
後期作品の時以上に、愛情を持って音楽を歌わせている。
この若書きの意欲作を、慈しむような風情で、
表情豊かに、しかも、神秘的に楽器を鳴り響かせている。

ブラームスあたりが20歳頃に書いたのも、
こんな曲だったなあ、などと感じ入った次第。

「第2楽章は、ゆっくりした行進曲に、
シューベルト独自の詩情を持った、
素晴らしいアレグレット・クワジ・アンダンティーノである。」

素っ気なく弾いているが、時折、テンポを落としたりして、
シューベルトに対する愛情が、どうしても出てきてしまう、
といった風情がたまらない。

「ロンド形式によるアレグロ・ヴィヴァーチェの終曲では、
短調と長調の主題が交錯し、イ長調で結ばれる。」

不機嫌な動機に、安らぎのメロディが、
対比されるばかりで解決のない終曲であるが、
終結部も、投げやりで不思議である。

「このソナタは、シューベルトのこの難しい形式における、
正真正銘の傑作である。」

前回はそうは思わなかったが、
今回は、素晴らしい作品だと得心した。
ヴァイヒャルトの共感豊かな演奏、
しかも、透明感溢れる詩情が、この曲を、
ぐっと、こちら側に引き寄せてくれた感じである。

今回、アインシュタインの著作を見たが、
彼は、この曲は、メヌエット(D334)を持っていたが、
完成度を高めるために、シューベルトが取り外した、
と書いていて興味深かった。

それが本当なら、シューベルトが、
構成感なく書き飛ばしていた、
という俗説が、この早い時期から、
修正されなければなるまい。

「1817年の6月は、
もっぱらピアノ曲が集中して書かれ、
特に、変ニ長調(D567)の3楽章のソナタに、
シューベルトは専念した。
この年、その後で、恐らく11月以前に、
彼はこの3つの楽章を移調して改訂、
メヌエットとトリオを加え、
4楽章のソナタ変ホ長調D568に作り替えた。
これは、1829年、作品122として出版されている。」

私も混乱して来た。


ということは、D567と568は、
同じ曲なのか、別の曲なのか。

私は、今回、第20番のソナタから書き出したが、
そもそも、この1817年のソナタは、
何番と呼べば良いのだろうか。
ミケランジェリのCDでは、イ短調D537は、
「第4番」となっていたが。

例えば、朝日新聞社から出ている、
朝日選書、喜多尾道冬著「シューベルト」を見ると、
前期のソナタとして、
こんな風にまとめられている。

これに○で、今回、このCDで、
ヴァイヒェルトが演奏しているものを示した。

1815年
ホ長調(D154)未完
第1番(D157)未完
第2番(D279)
1816年
第3番(D459)未完?
1817年
第4番(D537)○
第5番(D557)未完
第6番(D566)未完
第7番(D568)未完?○
スケルツォとアレグロ(D570)未完○
第8番(D571)未完○
第9番(D575)
1818年
第10番(D612)未完
第11番(D625)未完
1819年
嬰ハ短調(D655)未完
第13番(D664)

ここで、(?)マークは、喜多尾氏の本に「未完」、
と書かれていながら、完成作と見なす人がいるものを、
あえて書き出した結果である。

総力を挙げて、混乱させようとしている文献類である。
喜多尾氏は、何故、調性を書かなかったのか。
また、第12番というのはなかったのか。
ないなら、「ない」、と書いて欲しいものだ。

また、ヴァイヒェルトは、
1817年の3つのソナタといいながら、
完成されているD575は収録していない。

逆に、未完成の、
第7番D568や、第8番D571+570を、
あたかも、完成作品のように演奏している。

さらに解説にあるD567は、
喜多尾氏の本では触れられておらず、
カウントもされていない。

このように、この1817年のソナタというのは、
様々な混乱の中で、一つ一つを整理して聴かないと、
立ちどころに居場所が分からなくなってしまう類の曲集。
疾風怒濤の青年期のシューベルトも、
おそらく、様々な混乱の中であがいていたものと思われる。

いずれにせよ、このCD解説では、
さらに第7番D568の原曲となったD567を、
下記のように、まだ、比較検討しようとしているが、
何となく、我々にとって、確認しようのない内容である。

混乱するので、D番号を付記した。

「これら二つのバージョンの比較をする場所ではないが、
変ニ長調のバージョン(D567)の、
嬰ハ短調の素晴らしいアンダンテ・モルトは、
エンハーモニックの関係であるが、
変ホ長調のバージョン(D568)では、
三度の関係にあるト短調となっていることは興味深い。」

私には、まったく興味深くない。

しかし、アインシュタインの、
「シューベルト音楽的肖像」では、
この曲の移調問題を論じており、
何故、変ニ長調から変ホ長調に、
移調したのか説明し難い、
として、さらに、
アンダンテをひとたび嬰ハ短調で演奏したことがある人は、
それをト長調で演奏するのは、「好むまい」と、
最終的な作品を否定しているように見える。

このCD解説では、以下のように、
意味不明なフレーズが続くのも困った点だ。

「変ホ長調(D568)は、
シューベルトの最も魅力的なソナタで
イ短調のソナタに対し、
価値あるペンダントとなっている。」

何だか、訳が分からないので、
ドイツ語の解説を当たると、
「イ長調」となっている。
ますます、訳が分からなくて、
フランス語の原文は「イ短調」となっている。
先のD537に、うまく対比された作品で、
合わせて聴くと良い、ということだろうか。

ということで、第7番変ホ長調の解説は終わるが、
各楽章についての詳細はないし、
この曲のどこが未完成かは書かれていない。

本当に未完成なのだろうか。

前田昭夫氏の「シューベルト」では、
この曲は1817年の最も重要なソナタに上げられており、
「古典的なフォルムの回帰する流麗な舞曲様式の『変ホ長調』」
と書かれている。

アインシュタインは、
「1817年夏の4曲の完成したソナタ」として、
イ短調(D537)、ホ長調(D459)、
ロ長調(D575)に、変ホ長調(D568)を論じている。

従って、前の表に、「未完」と書かれながら、
「?」マークがついているものは、
アインシュタインは完成作と考えていた。

ということで、この第7番D568であるが、
どこが、「流麗な舞曲形式」なのだろう、
と考えつつ聴くことになる。

この曲はCDでは最後に収められていて、
このCDでは、前に収められた、
イ短調の不機嫌さや、
嬰ヘ短調の悲愴美とは違って、
非常に古典的で端正なたたずまいを感じさせる。

第2主題であろうか、ワルツ風に楽しく、
流麗な舞曲形式とは、このあたりに聴くべきなのだろうか。
ヴァイヒェルトも、このあたり、
スイングして楽しげである。

さざ波のように続くピアノの左手は、
後年の変ロ長調の先取りのように聞こえる事がある。
確かに、イ短調とは全く異なる世界である。

あるいは、シューベルトは、3曲セットの作品を考えていて、
イ短調に対比できる楽曲を模索していたのかもしれない。

第2楽章は、独白調のアンダンテ・モルト。
とてもロマンティックな曲調が続いて、
何か、緊張感をはらんだ情景を表しているようだ。
打ち震えるような切分音が、特にそれを感じさせるが、
時として、スカルラッティを聴いているような、
静謐で古典的な美学を感じる瞬間もある。

このCDの表紙のロランの絵画を思い出すとしたら、
この楽章、トラック9しかあるまい。

第3楽章は、「楽興の時」を思わせる、
夕暮れ時の情景を思わせるメヌエット。
愛らしく、繊細で、ショパンを思わせる陰影が深い。

第4楽章は、前の楽章から間髪入れず始まり、
幾分、その雰囲気を引きずって、
何となく、ぐずぐずしているが、
次第にエネルギーを増して、
シューベルトらしい寄り道も楽しみながら、
様々な風景を回想しながら、
確かに円舞曲のように旋回して、
今回の3曲の中では、
最も温厚なロマンに満ちたソナタをまとめ上げている。

ヴァイヒェルトの演奏も、このあたりの、
メリーゴーランドのような趣きを活かし、
軽やかなリズムと明滅するきらめきを強調して爽やかだ。
もう少し速いテンポでもよかったような気もするが。

この人は、おそらくナイーブな演奏家なのだろう。
曲想の変わり目も折り目正しく、
丁寧につなげるせいか、時として、流れが停滞する。
こうした、喜遊に満ちた終楽章を鮮やかに書き飛ばすことを、
潔しとしなかったのかもしれない。

それにしても、感興に飛んだ終楽章で、
もっと弾かれないのが不思議な気がする。

アインシュタインは終楽章の展開部のはじめを、
ヴァイオリンとチェロの会話となぞらえ、
ウェーバーを先取りした楽曲と書いたが、
確かに、サロン風の優美さが現れるところなど微笑ましい。
それにしても一筋縄ではいかない音楽である。

が、ここでも、ヴァイヒェルトの演奏は、
共感という意味では、かなりのものを示し、
めまぐるしく変転する楽想すべてに、
手を差し伸べて、慈しんでいるようである。

今回、私は、この曲も好きになった。

「1817年7月、
シューベルトは、嬰ヘ短調のアレグロ(D571)を作曲、
1897年に出版されたが、未完の作品である。
これは長らく孤立した作品と考えられていたが、
1905年、D571のニ長調のスケルツォと、
嬰ヘ短調のアレグロ(D570)とひっつけられて、
3楽章のソナタとされた。
これらの原曲の研究では、
シューベルトは、実際、こうした計画を、
持っていたように見える。
イ長調のアンダンテD604は、
同じ作品の一部かもしれない。
この仮説ではあるが、説得力ある、
4楽章版ソナタ嬰ヘ短調としてここに録音した。
最初の楽章と終楽章は、
バドゥラ=スコダによって完成されたが、
グレゴール・ヴァイヒャルトが、
少し手を入れている。」

つまり、ここでは、
「第4」、「第7」、「第8」の3曲が演奏されているが、
1817年の7曲のソナタのうち、
2曲は合体されて1曲になったので、
この年の半数のソナタは収録されていることになる。

この「第8」については、アインシュタインは、
ソナタとしては触れていない。
断片としては、後述のように好意的である。

チャールズ・オズボーンなどは、
「1817年の一連のソナタの中で1番面白いのは、
おそらく「第8番嬰ヘ短調」だろう。」
と断定している。

反対に、彼は、「第4番イ短調」(D537)は、
「素敵な緩徐楽章をもつ内省的で地味な作品」と、
あまり高い評価をしていない模様である。

「第7番変ホ長調」(D568)は、
「情熱的な第1楽章で名高く」、「長大で」、
「説得力のある構成を見せている」と書いているので、
それよりは良いという感じだろうか。

私は、何となく、その反対の評価をしたくなる。

さて、このオズボーンが高く評価した曲は、
このCDでは2曲目に収録され、
確かに、メランコリックな第1楽章からして、
大変な魅力を放っている。

どこへとも分からずさすらって行く感じの主題に、
これまた慰めのような主題が語りかける。
しかし、単にそれだけのような音楽で、
5分しかなく、あまり歯ごたえがない。

第2楽章は、D604のアンダンテで、
これも、また、不思議に内省的な色彩に満ち、
ほっておくには惜しい楽想である。
アインシュタインは、この曲が、
後年のニ長調ソナタのための作品である説を紹介しながら、
「極度の繊細さと敏感さを併せ持つ楽曲」
と書いて、
「短すぎる終結によって台無しになっている」と書いているが、
ここでの演奏では、終結部も不自然ではない。

解説にもあるように、第3楽章、第4楽章は、
D571の、「スケルツォとアレグロ」で、
スケルツォは、鮮やかで軽やか。
終曲になったアレグロは、アインシュタインも、
「完成したら極めて立派な作になったと思われるもの」
と書いていて、スケルツォと共に、
「心を奪うような美しさと愛らしさに満ちている」と、
絶賛している。

私の中では、この曲のそれぞれの美しさは分かるが、
本当に本来の作品なのだろうか、
という疑念が離れない。

それは、恐らくヴァイヒェルトの演奏自身が、
そんな感じで、自信なさげに聞こえるからのような気がする。
終楽章の終わり方も、非常に控えめで、微妙。

得られた事:「1817年のソナタは、研究者の評価もまちまちだが、『習作』と切り捨てた評価はない。好みが分かれるのは、シューベルトが、あえて様々な曲想のものを求め、多様性を模索したからにも見える。」
by franz310 | 2010-04-18 18:42 | シューベルト
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