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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その217

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その217_b0083728_23104647.jpg個人的経験:
前回、フンメル初期のピアノ作品を聴き、
ベートーヴェンとの関係にも想いを馳せたが、
このCDは、
ベートーヴェンとの対比を、
強烈に前面に押し出したものである。
共に初期の作品で、
なおかつ作曲家ごとに、
使用楽器まで変えている所がすごい。
しかも、ピアノ奏者、オールトによる解説も、
両者の激烈な関係を紹介していて面白い。


このCDは、日本の寺神戸亮や鈴木秀美が参加していて、
非常に我々に親近感を感じさせるものであるが、
私はこれまで、真剣に聴いて来なかった。

聴くには聴いたが、
上述のような研究目的のようなものを感じて、
楽しめなかったのである。
ハーグやブリュッセルで教える先生たちの演奏だと思うと、
どうも、色気が感じられなくていけない。

そもそも、フンメルについても、これまた、
あまり興味を感じなかったのだから仕方がない。
ベートーヴェンにしても、作品1の1である。

ベートーヴェンのピアノ三重奏曲と言えば、
まず「大公トリオ」作品97で、この前に書かれた、
作品70の2曲ですら、もともとピアノ・ソナタだったものを、
無理矢理拡大して、さらに2曲に分割したものとして、
はなはだ評判が悪い。

その前に作品11というのがあるが、これまた、
娯楽音楽として片付けられることの多い作品。
深みはないとされる。

そして、その前にこの作品1の3曲があるが、
今回のメンバーが弾かなくても、何となく色気のない作品群である。
3曲目がハ短調で有名なものだが、
これとて、作品18の弦楽四重奏曲群に含まれる、
第4番ハ短調のような美しいメロディーを期待すると、
肩すかしを食う。

有名な3曲目からしてそうなのだから、
作品1の1と来ると、さらに未完成っぽい感じがして、
どうも触手が動かない。
実際、いくら聴いても、
あまり美しい楽想が楽しめるものでもなかった。

冒頭の主題からして、何か苦くて嫌な味がする。
私と同様、がっかりした人が多かったのか、
このCDは、時折、中古で出回っているような気がする。

私は新品で買ったが、その時も安かった。
COLUMNSクラシックと書いてあるが、
いったいどこのレーベルだろう。
フォルテピアノがオランダの名手、
バート・ファン・オールトなので、
オランダ製かと思っていたが、
改めていろいろ見ても、made in 何々とも書いていないし、
残念なことに、表紙の絵画についても何も書かれていない。

こうした意味不明盤だから、気楽に多くの人が、
売りに出したものと思える。
日本におけるフンメル紹介の走りとなるようなCDだったのに、
惜しい事である。

ベートーヴェンとフンメルを比較するのに、
最適な選曲だったのだろうか。

ということで、問題の大きなCDであるが、
これまで、ハイドンのピアノ三重奏曲、
モーツァルトのピアノ三重奏曲と聴き進んで来た経緯もある。
フンメルにも興味が出てきたので、
これと向き合うのに、機は熟したと言うべきであろう。


では、期待に胸をふくらませて、解説を読み進んでみよう。
前述のように、演奏しているピアニストが書いたものだ。

「1800年頃、ヴィーンの音楽の体制は、
ピアニストであり作曲家であった、
ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)と、
ヨハン・ネポームク・フンメル(1778-1837)に、
牛耳られていた。」

いきなり悪漢二人、という感じだが、
ハイドンは存命だし、サリエーリやコジェルフ、
アイブラーなどはどうした、などと突っ込みたくなる。

さっきも書いたように、
今回取り上げられた3曲
(ベートーヴェン1曲と、フンメル2曲)が、
牛耳たということが信じられるほどには、
素晴らしい音楽には思えないのが、
あまりにも残念である。

「神童として過ごした後、フンメルは、
4年間の楽旅を経て、ヴィーンに帰還し、
1790年代、勉学、作曲、教育に励んだ。
彼の名声は急速に高まり、ヴィーンの聴衆の愛顧を受けた。
1792年、ベートーヴェンがヴィーンに到着すると、
彼のピアニスト、作曲家としてのめざましい成功は、
フンメルの自信を、ほとんどずたぼろにしたが、
彼らは友情を結んだ。」

このように書いてあるので、
私は、てっきり、フンメルの、
エステルハーツィ家への奉職前の話が読めるかと思って、
今回、これを取り上げたというのもあった。

が、以下のように、思わぬ方向にこの解説は、
一目散に突き進んで行くのである。

「しかし、そこには大きなスタイルの違いがあった。
フンメルが『フィデリオ』序曲の四手ピアノ版を作って見せると、
ベートーヴェンはそれを大変嫌い、破り捨てて、
その仕事をモシュレスに委ねた。
しかし、フンメルはベートーヴェンの求めに応じて、
記念式典では、ベートーヴェンの作品の主題に従って、
即興演奏を行った。」

フィデリオはもっと後年の作で、
モシュレスが出てくるとあれば、
さらに後の話であろう。

ここから、オールトの筆は冴え、
私が別に興味を持っていなかった方向に、
無理矢理、連れ去られることとなる。

「生前、フンメルは、欧州で最も高名なピアニスト、
作曲家、音楽教師の一人であったが、
現在では1828年に書いて、
非常に影響を及ぼしたピアノ論文によって、
最も知られている。
おそらく同時代の人が思っていたように、
フンメルのスタイルはベートーヴェンのスタイルと、
あまりに異なっていた。
それでも、当時の報告によれば、
これらのスタイルは同時に存在し、
その区別は意図的に磨き上げられたものであった。
ベートーヴェンの初期の演奏スタイルは、
あまりにも当時のヴィーンのものと異なっていたので、
現代のヴィーンの演奏スタイルを二分してしまう程であった。」

といった風に、何で、この曲の解説が、
こうなってしまったのか、
という感じがしないでもない。

ピアノ奏法を語るなら、
ピアノ・ソナタでやればいいではないか。
いや、何か小品をやってくれればいいのである。

下記のように、ノンレガート、レガートという、
ありがちな話が延々と続くのだが、
解説者は楽しくてならないようだ。

「ある派閥、または『楽派』は、
ノンレガートを好み、ダンパーレジスターを使うのを好まない。
この方法は、むしろ慣習的なものだが、
ベートーヴェンの死の時期まで、すくなくとも存在した。
これは、ヴィーン古典スタイルと要約されるもので、
モーツァルト、ハイドン、クレメンティの弟子であった、
フンメルによって先導された。」

ちょっと面白いのは、モーツァルトとクレメンティは、
かつてはライバル同士であったのに、
同じ分類になるということだ。

後述のように、クレメンティはロンドンにいたのに、
ヴィーンの代表として書かれているのも興味深い。

「第2の一派は、ダンパーレジスターを使うもので、
時として濁り、現代の英国で一般的なもので、
ミルヒマイヤー、シュタルケ、フンメル自身が警告したものである。
この派は、レガートを進化させ、たっぷりした音響の、
重たい楽器を要求した。
ベートーヴェンはその代表であった。」

しかし、このCD、ダンパーを使うかどうかに、
ひたすら耳を澄ます必要があるのだろうか。
まっぴらゴメンの解説である。
だんだん、腹が立って来た。

「ずっと後の報告であるが、
ベートーヴェンの弟子のカール・チェルニーは、
モーツァルト未亡人宅の集まりで、
フンメルの演奏を聴いて、
それぞれのメリットと欠点を上げている。」

チェルニーはベートーヴェンの弟子であるから、
フンメルを悪く書いているかと思ったら、
どうやら、そんな事はないようで、
ちょっと安心、下記参照。

「『それは、モーツァルトのかつての弟子であり、
長い間ロンドンでクレメンティに学び、
最近戻って来た、若いフンメルでした。
フンメルの演奏は、当時、楽器の限界まで行く、
高度のもので、それが後に彼を有名にしたのです。
それに比べ、ベートーヴェンの演奏は、
その巨大なパワー、空前の華麗さ、スピード感で異なり、
フンメルの演奏は最高の純粋さ、明晰さ、
魅惑的な優美さ、優しさの実例で、
モーツァルトの様式をクレメンティ派のものと融合させ、
楽器の効果を計算しつくしたものでした。
当時、それは、非常に合理的で、
それゆえ、彼は演奏家として、
全世界で最高に位置づけられていて、
二人の巨匠たちの派閥は強烈に競い合いました。
フンメル支持者たちはベートーヴェンを、
フォルテピアノの破壊者として非難し、
単にペダルを混乱した雑音のために使うので、
純粋さと明晰さに欠けていると言い、
彼の作品は無理な作り物であり、
メロディがなく不自然で、規律がないと言いました。
ベートーヴェンの一派は、一方、
フンメルには真の想像力が欠如し、
その演奏はハーディーガーディーのように単調で、
指の使用は庭の蜘蛛みたいで、
モーツァルトやハイドンの編曲にしか過ぎずない、
と主張しました。
フンメルの演奏は、純粋さと明晰さが高度で、
私に大いに影響を及ぼしました。』」

これは、非常に的を射た見解である。
確かに、このCDに収められた曲目、
ベートーヴェンの作品は、
独奏的かもしれないが不自然であり、
フンメルの作品はすっきりしているが、
あまり味わいがない。

とすると、悪い例を集めたCDということになる。
チェルニーは、メリットも上げたのだから、
さすがベートーヴェンは力強いな、
フンメルは洗練の極みだな、と前向きな聴き方がしたいものだ。

しかし、ここで、また、邪魔が入る。
下記のような解説である。

「1796年、ヨハン・フェルディナント・フォン・シェーンフェルトは、
ヴィーンのピアノ製作者ヴァルターと比べ、
シャンツやシュトライヒャーに、
ヴィーンのピアノの、もう一つの典型を認めている。
彼は、ピアノの違いからピアニストの違いに言及しているが、
これはチェルニーの観察と一致する。」

といった具合に、オールト教授は、
何と、楽器の話に足を踏み込んでしまった。
こうなると、日本人が弾く、ヴァイオリンとチェロは、
まったく無視ということになる。

ジャパン・バッシングから、ジャパン・パッシング、
いや、ジャパン・ナッシングだ、と日経なら書くだろう。

「『全体として、いわば、オリジナルな二つのメーカーは、
ヴァルターとシュトライヒャーであることは明らかである。
他のものはそのコピーにすぎず、
ヴァルターは、多くその工房から出ていて、
特に多くコピーされている。
オリジナルの楽器が二つのメーカーから出ているゆえに、
我々は、フォルテピアノを、
ヴァルタータイプとシュトライヒャータイプの、
二種に分けることができる。』」

私は、ここまで読んで、再度、がっかりする。
何故なら、冒頭に書いたように、
教授は、異なる楽器を弾きわけているのだが、
共に1795年のヴァルターのコピーであって、
シュトライヒャーの音色が聴けるわけではないのである。

では、どう異なる楽器かというと、
ベートーヴェンに使ったのが、
1995年、Chris Maene氏が複製したもので、
フンメルに使ったのが、
1995年、Paul McNulty氏が複製したものである、
ということだ。

この複製した製作者のことは、
完全に無視して、以下、ひたすら、
ヴァルターとシュトライヒャーの話が続く。
何故、この話を読まないといけないのか、
何故、この解説が、このCDになければならないのか、
考えれば考える程、頭が痛くなる。

「『こうした細かい検証結果と同様、
偉大な鍵盤楽器奏者もまた二種あって、
それらの一方は、耳の楽しみ重視で、
深い色合いで、恐ろしいスピードで、
ノイズをものともせず、最も難しい動きも、
オクターブのパッセージも最高の速さでこなす。
これには力と強い神経が必要で、
節度の努力を欠き、音の割れないピアノを必要とする。
こうした種類の名手は、ヴァルターのピアノが良いだろう。
もう一つのカテゴリーは、魂の滋養を求め、
明晰であることのみならず、
ソフトでほろりとするような演奏を愛する。
彼らには、シュトライヒャー、
いわゆるシュタイン以上の楽器はないだろう。』」

このように、ベートーヴェンはヴァルターで、
フンメルはシュトライヒャーで弾いて欲しいものだ。

下記のように、また、ペダルについても深追いがなされる。

「チェルニーが指摘した違いの一つは、
ダンパーペダル(初期のヴィーン製では膝レバー)の利用で、
その専門書でフンメルは、どこで使うべきか詳細に記し、
シュタルクなど他の著者同様、
あちこちに広まった悪習だと書いている。
『不純をごまかし、音符をごそごそ言わせる弾き方、
ほとんど常にダンパーを使うのが大いに広まったので、
ペダルを使わない演奏家を聴くことができないほどである。』」

この文章と、下記文章を見比べると、
ベートーヴェンは悪習に染まった急先鋒という感じか。

「その演奏からも明らかなように、
膝レバー使用指示は、スコアであれ、手稿であれ、
ベートーヴェンから端を発している。
彼の初期の作品は、
長く伸ばされたアルペッジョや、スラーの急上昇、
膝レバーを暗示したペダルによる反響が駆使され、
チェルニーの証言を裏付けるものとなっている。
『ベートーヴェンは、その作品が示す以上に、
ペダルを頻繁に使った。』」

嫌だな。このCDでは、ペダルを使ってるな、
お、使ってないな、などと考えながら、
聴くことが奨励されているのであろうか。

ここで、ようやく、作品の話になる。
作曲家は、確かに、楽器の魅力を最大限引き出すような、
曲作りをしたかもしれないが、
よし、ここで、俺様のレガート奏法の見せ場だな、
とか、
ノン・レガートで純粋な音色で行くからよろしくね、
などと考えていると思うと、
何だか、気が滅入って来る。

「ここでのトリオは、
これら二人の作曲家の、作品の好例となるものである。
1795年、作品1が印刷された時、
ベートーヴェンはまだ主要作品を書いていなかった。
彼は、当時、貴族に流行していた、
ピアノ三重奏曲を作品1に選んだ。
これらの三重奏曲は、1795年よりかなり前に作曲され、
ヴィーンの当時の慣例として、新作は出版される前に、
流行を追うヴィーンのサロンで演奏されていた。
この三重奏曲は、献呈したリヒノフスキー公の邸宅で、
1793年か1794年に初演された。
フンメルのトリオ作品12は、
おそらく1803年に出版されたが、
作品の音域や、モーツァルト風のスタイルの踏襲ゆえ、
(強い前向きの性格であろうとも)
恐らく1790年代後半のものであろう。
この事は、1822年か23年初頭出版の、
より大きな作品番号を持つ作品96のトリオにも言える。
しかし、5オクターブの音域からして、
(出版前の修正で例外があるにせよ)
1800年頃の作品と考えることができる。」

これだけ?
同時代の作品だと強調しただけでないの?
いったい、どこが聞き所なの?
何故、ピアノ・トリオ?

ひょっとしたら、寺神戸、鈴木の日本勢が、
オールトさん、お願いしますよ、と口説く時に、
解説執筆も、お願いしますよ、などと条件に入れたのではないか。

まず、ベートーヴェンの作品1の1、
変ホ長調のトリオが入っている。
何となく、ベートーヴェンの初期というと、
ハイドンやモーツァルト風という先入観があるが、
この曲は、30分もかかって図体からして異なる。

モーツァルトのCDでは、4曲が1枚に入ったものがあったが、
ベートーヴェンは1曲で、CDの半分を占める。

Track1、アレグロ 10分5秒。
じゃんという総奏の後、ピアノがぱらぱらぱらと動くが、
どう見ても、主題というにはぎくしゃくしていて、
消化の悪い始まりである。
ピアノが大きく駆け巡って登場する第2主題は、
多少、ほっとしたものがあるが、
ここで、レガート奏法だなあ、などと考えながら、
聴かないといけないのだろうか。
第2主題の後半になって、
ようやく愛らしいメロディを導くなど、
少々、奇をてらった感じがないでもない。
とはいえ、この部分が、全曲で最も美しいかもしれない。
10分もある楽章なので、展開部は大きい。

Track2、アダージョ・カンタービレ 7分27秒。
チェロのたっぷりとした歌に、
繊細なヴァイオリンが絡むが、
3分を過ぎたあたりから、
強烈な感情移入が始まって、
ピアノの音は炸裂寸前といった有様である。
この部分はすごい。たぶん、演奏もすごい。
どうも、ベートーヴェンは、最初から、
美しい音楽で引きつけるのはお嫌いのようだ。

Track3、スケルツォ、アレグロ・アッサイ 5分2秒。
あえて、このスケルツォを入れて、
4楽章形式にしたことによって、
曲が大規模化しているのだが、
どうしても入れないといけない程かは分からない。

かなり、奇っ怪な楽想である。
メンデルスゾーンの妖精というよりも、
悪魔が人を小馬鹿にしたような音楽。
ゲーテの「ファウスト」あたりに出てきそうだ。
トリオは、穏やかな楽想で、
ピアノがよどみなく流れ、このあたり、
レガート扱いであろうか。

Track4、終曲、プレスト 7分25秒。
この終曲も、何だか軽妙で、
スケルツォの精神を引き継いでいる。
ヴァイオリンが白熱し、
かなり興奮度の高い音楽だが、
楽想は、ちょこまかして、
それほど魅力的なものではない。

アンチ・ベートーヴェン派が、不自然で、力ずく、
というのもよく分かる音楽。
中間部は、チェロがぶんぶん鳴ったり、
ヴァイオリンが持続音を出すだけで、
ほとんどメロディなどない領域に踏み込んで行く。

こうした部分こそが、ベートーヴェン信者をしびれさせる点で、
楽想がめたくたに切り刻まれないと、
作品が深まった事にはならないのであろう。

終わり近くになって、カデンツァのように、
ピアノが駆け巡るが、このあたりペダルを使いまくっている。
コーダはベートーヴェンらしくだめ押しが出る。

以下、フンメルのピアノ三重奏曲が2曲続く。
いずれも3楽章で20分ほどの音楽である。

まず、ベートーヴェンの作品1の1と同じ、
変ホ長調の作品12が演奏されている。

Track5、アレグロ アジタート。
この曲は洗練の極みと言われた、
フンメルの特質がよく出ていて、
最初から花畑が広がるような美しいメロディが魅惑的だ。
私は、当時生きていたら、恐らくフンメル派であろう。

たぶん、イ長調作品120のソナタの、
冒頭の美しさなどから考えても、
シューベルトもフンメル派ではないか。

そう言えば、フンメルは、シューベルトの作品同様、
そのピアノ演奏に関しても、高く評価したのである。

しかし、私は少し聴き進んでのけ反ってしまった。

このフンメルのこよなく美しいメロディを中断するのは、
何と、ベートーヴェンの作品1の1の冒頭主題ではないか。
第2主題も何だか、ベートーヴェンのぱくりで、
チェロが、ベートーヴェンその人の高笑いを思わせる声を上げる。

私は、ようやく、この選曲の意味が分かったような気がする。
しかし、あえて、解説で触れなかったのは、
憎い事と言うべきであろう。

さすがフンメル、なだらかなメロディであっても、
各パッセージは明晰そのもの。
真珠の連なりを思わせる。

この楽章、ベートーヴェンの作品と、
ほぼ同じ長さであるが、
展開部で楽想が切り刻まれるのは、
そんなに長くない。

確かに緊張力溢れる構成とは言えないかも知れないが、
十分に美しいものである。

Track6、アンダンテ 6分16秒。
歌謡的な楽章で、メロディが歌い継がれ、
とても愛らしい。
中間部では、意地悪な介入の一こまがあって、
いかにも悪役登場の感じ。
そこで、いきなり盛り上がって、
何だか劇の場面のような感じ。
何らかの描写があるのではないか。

確かに、これだけ歌う楽章でも、
ダンパーの濁りは感じられない、と聴けば、
オールト教授は及第点をくれるだろうか。

Track7、終曲、プレスト 4分48秒。
これまた、完全にベートーヴェンのパロディではなかろうか。
妙にぎくしゃくした楽想がじぐざぐに進む。

問題は、売れっ子のベートーヴェンにあやかろうとしたのか、
ライヴァルをからかおうとしたのか、
いったいどっちだ、という点であろう。

しかし、それらの両方のような気がして、
覇気もスパイスもあって、
私には、かなり面白い音楽として聴けた。
ハイドンのピアノ三重奏で問題になった、
チェロが伴奏に過ぎない、などという問題は解消されていて、
豪壮な音が立体感を増している。

こうした特集的CDでは、多くの人は、
やはり、フンメルはベートーヴェンと比べるとね、
という感想で終わるようだが、
ひねくれ者なのか、判官贔屓なのか、
私には、そんな感想は皆無。

フンメルの方が簡潔で、ずっと面白い。

これまで、このCD、あまり良いものと思わなかったのは、
ベートーヴェンが冒頭に入っていたからだと、
断言したいくらいである。

次に、作品96とあるが、実は若い頃の作品とされた、
これまた、変ホ長調の作品が収録されている。

ひょっとしたら、同じ調のものが続くのが、
単調さを感じさせて、同じ曲が延々と続くように、
感じさせるのだろうか。

この曲は確かに、ハイドン風の楽想を感じる。
あまりメロディアスでなく、突飛とも言える、
機知を感じさせるものがちりばめられ、
一筋縄ではいかない。

チェロもあまり存在感がなく、
先の作品12の方が、後の作品のように思える。

まだ、ハイドン存命と思われるが、
師匠は何と言っただろうか。

Track9、アンダンテ・クワジ・アレグレット 4分33秒。
この楽章は、主題がどうも冴えない感じだが、
チェロが初めて美しい音色を聴かせるなど、
音楽が進むと、味わいを増す。
中間部で、ピアノがへんてこなどろどろ音を聞かせるが、
これまた、何だか、意味深である。

作品12の第1楽章などからして、
フンメルは、かなりの策士ではないかと疑っている。

Track10、ロンド・アラ・ルッサ 6分3秒。
ルッサって、ロシア風かな。
開放的なロンドで、リズムもメロディも民族風。
非常に楽しいフォークダンスで、
くるくる回っていくような感じ。

途中、ピアノ五重奏曲で聞こえたような一節がよぎる。

するとさすがフンメル、いきなり対位法の錯綜だ。
有名な七重奏曲でも見せた手法。

やはり、フンメルは口当たりがいいけど、軽いな、
などと思うのを、簡単には許してくれない。

手を変え品を変え、フンメルもさすがハイドンの弟子である。
アイデアいっぱいで、目が眩まされる。
このCDを見つけた人は、Track5から聴いて、
ベートーヴェンは付録と考えよう。

何だか分からず、安く購入したものが、
良いものだと分かる瞬間は、何ものにも代え難い。

得られた事:「ヴィーンのピアノ演奏に2派あり。おそらくシューベルトはフンメル派であろう。」
by franz310 | 2010-03-13 23:11 | フンメル
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