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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その216

b0083728_2103223.jpg個人的経験:
フンメルという作曲家の名前を、
意識しはじめたのは、
いったい何時からだっただろうか。
遺作となった3つのソナタを、
シューベルトが捧げようとした相手が、
他ならぬフンメルであったことは、
よく知られているが、
それが、どんな人であったかは、
華麗なピアノのヴィルトゥオーゾという
以外の知識はなかった。


しかし、シューベルトの伝記をひもとけば、
「ます」の五重奏曲のモデルが、
フンメルの作品であったり、
「さすらい人幻想曲」の献呈相手が、
フンメルの弟子であったり、
あるいは、死の床のベートーヴェンを見舞ったフンメルが、
シューベルトと会った逸話など、
そこここに、この希代の音楽家の姿が見える。

アインシュタインなどは、
「フムメル風の華麗さは、
かなり多くのシューベルト作品にも
余韻を残している」と書いて、
フンメルの存在を取り上げ、
その作風の差異を、
かなり細かく分析している。

白水社の浅井真男訳によると、
こんな風に表現されている。
「彼のピアノ作品、例えば、
おそらく一八〇〇年の直後に成立して
ハイドンに捧げられた、
作品十三番のピアノ・ソナタの終楽章のなかには、
シューベルトの作品のなかを
いくら探しても見つからないようなものがある。」

フンメルはほめられているのかと思うと、
こんな書き方なので、そうではないようだ。

「シューベルトはこのような、
モーツァルトとアルブレヒツベルガーに由来する論証的
あるいは図式的な発展を好まない。
それはシューベルトにとっては、
あまりにも色彩に乏しいのである。
彼はどんな場合にも和音の豊富さ、
官能性を断念することができない。」

つまり、
・フンメル=論証的、図式的、和音、色彩に乏しい
・シューベルト=官能的、和音が豊富、色彩的
としてまとめられている。

この話はさらにこんな風に続く。
「フンメルの右のソナタは、その第1楽章のなかで、
シューベルトのソナタのみならず、
彼の器楽作品全体の
もう一つの独自性を認めるための出発点を、
我々に与えている。」

何だかよく分からない言い回しだが、
この作品13のソナタだけで、
シューベルトも、
さらにフンメルも片付けようという感じが見え見えである。

1800年と言えば、フンメルとてまだ22歳くらい。
いきなり、これだけで断罪されるなんてひどい話である。

「この楽章の、対位法的伴奏を持つ
いくらか荘重な第一主題には、≪アレルヤ≫と書き添えてある。
それはグレゴリオ聖歌のモティーフであって、
したがってこの第一楽章は
多くの≪ガラントな≫むら気にもかかわらず、
おそらく敬虔な老ハイドンのために、
神の称賛として構想されているのである。
シューベルトについてならば、
われわれはむしろ、
彼の全作品は神の称賛として構想されているが、
彼はそんなことを少しも暗示していない、
と言いたい。
・・要するにプログラムへの考えや指示はないのである。
彼の究極目的は音楽である。」

・フンメル=神の名を騙って偽善的、
・シューベルト=純粋に音楽的、
と区別されているようにも見える。

では、この作品13をはじめとする、
フンメルのピアノ・ソナタは、
「偽善的、図式的で、色彩に乏しい作品」として、
聴く価値がないのであろうか、
という疑問がわき起こってくる。

ちなみに、フンメルとシューベルトは、
ラースニ婦人の集いでお互いの音楽を披露し、
フンメルは、シューベルトの歌曲のみならず、
ピアノ演奏にも感心したとされる。

フンメルは、「盲目の少年」という
シューベルトの歌曲に魅了され、
続いて、その歌曲に基づく即興演奏を披露したとされる。

シューベルトは、これを喜んだというので、
アインシュタインが書く以上に、
フンメルを信頼していたはずである。
実際にその演奏に接した上で、
ソナタを三曲も捧げようとしたのだから。

幸いにも、フンメルの方のソナタについても、
その作風の変遷を知るために、
まことに都合のよい廉価盤があるので、
今回は、これを聴いてみたい。

弾いているのは、写真で見る限り、
フレッシュな美形のDana Protopopescu、
プロトポペシュとでも読むのだろうか。

「ダナ・プロトポペシュは、生地ブカレストで、
音楽の勉強をはじめた」とあるので、
ルーマニア人のようだ。

しかし、その後は国際派のようである。

「彼女はブリュッセルの王立音楽院と、
ハノーヴァ音楽院で、エドゥアルト・デル・プエヨ、
カール・エンゲルの指導をうけ、それに磨きをかけた。
14歳の時にオーケストラと最初の演奏会を開き、
以来、ベルギーのゾルマン、ヴァンデルノート、
ロシアのCivjel、ギリシアのAtgiris、ルーマニアのAndreescu、
イスラエルのオストロウスキー、日本の抜井、
ドイツのA.ワルター、オーストリアのラハバリ等といった、
すぐれた指揮者と共演している」とあるが、
私はヴァンデルノートやラハバリしか知らない。

「ダナ・プロトポペシュはいくつかのCDを作り、
ラジオ、テレビのための録音を行い、
映画監督のアンドレ・デルヴォーの信頼厚く、
映画『ベンヴェヌータ』の音楽を引き受けた。」

とあるが、これは1983年の映画のようなので、
30年くらい前に、すでに実績を積んでいたということになる。

このピアニストの写真は、かなり昔のものなのかもしれない。
このディスカバー・レーベルのCDの録音は1995年である。

いずれにせよ、かなりはっきりしたクリアなタッチのピアニストで、
この楽器を鳴り響かせる権威であったフンメルは、
やはり、こうしたきらきら感で聴きたいものだ。

このピアニストも、フンメルにはこだわりがあるようで、
解説にも、クララ・シューマンの協奏曲、
メノッティの協奏曲と並んで、
彼女らしいレパートリーにフンメルの協奏曲が上げられている。

録音も自然でみずみずしく、好感が持てる。
ブリュッセルのEMSスタジオでの録音とある。
何と、このEMSと書いたロゴが裏面に書いてあるので、
さぞかし良い音のスタジオなのであろう。

表紙デザインは、この廉価レーベルの特徴を表して、
少々、うすっぺらな感じで重厚感に欠けるが、
絵画は、フリードリヒで非常に美しい。

「ヨハン・ネポムーク・フンメル(1778-1837)は、
当時、ハンガリーに属し、ポツォニイと呼ばれていた、
現スロヴァキアのブラティスラヴァに生まれた。
彼の音楽にハンガリー的要素を期待しても特にそれはなく、
音楽における民族主義運動は後年のものであった。
フンメルは驚くべき才能に恵まれ、
彼の演奏を聴いて、モーツァルトは、
彼を家に住まわせて、無償で2年も指導した程であった。
9歳にして、モーツァルトの演奏会でデビュー、
ドイツ、ボヘミア、デンマークから、
スコットランド、英国といった、
大がかりな北部ヨーロッパ楽旅を行い、
ロンドンではクレメンティのもとで学び、
14歳の時、フンメルは、父親と、
オランダ経由でヴィーンに戻った。
ここで、彼はハイドンや、
アルブレヒツベルガーといった老巨匠の元で、
作曲の勉強に打ち込んだ。
同様にこの二人に学んでいた、
8歳年上のベートーヴェンとは、
すぐに友情を結び、それはベートーヴェンの死まで続いた。
そして、ここに、彼は、当代一の
傑出したピアニストの一人となった。
トーヴェイは、彼を、
『ヨーロッパで最も華麗な正当派ピアニスト・コンポーザー』
と呼んだ。
彼の生徒には、リストをはじめ、19世紀のピアノの巨人、
ヒラー、タールベルク、ヘンゼルトといった、
パンテオンの神々の多くを教えたツェルニーがいる。
今日、我々に残された大きな疑問は、
その作品は何に似ていて、何故、我々に親しいものでないのか、
ということである。」

アルブレヒツベルガーは、アイブラーの師匠でもあって、
アイブラーの才能を激賞したとあったが、
フンメルについては、どう思ったのだろうか。

「フンメルは非常に多産で、
大量のピアノ曲、室内楽曲、教会用合唱曲、管弦楽曲を書いたが、
その質は、タイプや書かれた目的によってまちまちである。
おそらく、最も堅実な分野は、室内楽と合唱曲であろう。
ピアノ・ソナタは不当にも無視されているが、
『Partant pour la Styrieによる変奏曲』のような、
彼の最も弱い作品に見られるような、
無意味な音符の動きはなく、
彼が知り尽くした楽器の深い親近性を感じさせる。」

このように、フンメルの作品には、
出来不出来が激しいという感じがにじみ出ている。

「第1ソナタは、作品2として、
ピアノとヴァイオリン(またはフルート)のためのソナタと、
ピアノとヴァイオリン(またはフルート)と
チェロのためのトリオと共に、
1792年に出版された。
作曲家は14歳で、クレメンティのレッスンを受けている所だった。
ここには、モーツァルトの影響は、
ほとんどというか、全くなく、
クレメンティ、とりわけドゥシェックの、
自由なピアノ書法が見られる。
1782年の後者のハ長調ソナタ作品9-2は、
当時の多くの作曲家に影響を与え、
ベートーヴェンも明るく社交的な作品2の3に、
その痕跡を残している。」

ということで、作曲家がまだ14歳だった頃の作品が、
まず、聴けるということだ。
シューベルトが、まだ生まれる前の作品。
1792年と言えば、まだ、モーツァルト死後1年で、
ベートーヴェンは22歳で、ヴィーンに出てくる年。

「スタイルは豊かで広がりがあり、派手であって、
ほとんどモーツァルトのスタイルの対極にある。
フンメルの個性は十分に開花していないが、
基本的な性格の萌芽が、
特に緩徐楽章において、すでに見えており、
とりわけクレメンティのソナタ変ホ長調作品6の影響が、
特に付点リズムの使用に反映されている。
ロンドの終曲は簡潔で、同様に、
ベートーヴェンにも影響を与えたドゥシェックを思わせる。」

ソナタ第1番作品2(約16分):
Track1:アレグロ・スピリティオーソ。
まず、序奏からして、若々しい勢いを感じさせる。
ここから、だんだん主題が姿を現して来るが、
指がくるくる回ることを前提にした曲つくりで、
いかにも機械的にも聞こえるかもしれない。

クレメンティやドゥシェックの作品の影響を受けているというが、
たしかに、とにかくピアノの美感を前面に出す感じが、
なるほどと思わせる。

しかし、典雅な雰囲気を持っていて、
時に感傷的な風情も見せながら、
展開部は華麗で、
かなり聴かせる内容になっている。

アインシュタインが書いたように、
官能的な揺らぎのない、図式的に駆け巡る音楽であるが、
立体的でもあり、また力強い。

Track2:アダージョ。
アダージョの開始とはとても思えない、
堂々といかめしくフォルテで打ち鳴らされる、
ものすごく荘厳な序奏に応答し、
ここでも次第に、優しいメロディが流れ出し、
フンメルの旋律の才を感じることができる。

しかも、繊細な心遣いが嬉しい。
ふと、エマニュエル・バッハ風の筆致も感じられる。
決して、ピアノの機械という感じではない。
そう言えば、クレメンティとモーツァルトのピアノ対決を、
フンメルの二人の師匠たちは、
どのように弟子に教え聴かせていたのだろう。
非常に名残惜しげに終わる終わり方も素敵だ。

Track3:ロンド。
明るく、しかも心躍る楽しいロンドである。
確かに簡潔で、大騒ぎもせず、余計な技巧もない。
むしろ、様々な表情の変化のめまぐるしい交錯が聴きもの。

あるいは、このピアニストの
素直な取り組みが成功したのかもしれない。

さて、アインシュタインがこき下ろした作品13である。
この曲は、第1楽章が9分と、
各楽章が長くなって、もう大ソナタの風格がある。

「第2ソナタ作品13は、ずっと遅れて1805年に出版された。
この作品が実際に作曲されたのが何時のことかは分からないが、
その成熟から1805年よりそんなに前ではないと考えられる。
同様の影響を受けながらも、
フンメル以外の何者の作でもない個性を誇り、
二声の対位法を駆使した緊密な書法で、
完全に違った音響ながら、ベートーヴェンと同レベルにある。
もう一つの重要な特徴は、
大規模な作品を扱う、作曲家の自信と手堅さである。
緩徐楽章には、フンメルの後期作品でさらに展開される、
輝く幻想性がある。」

1805年といえば、ハイドンの後任として、
エステルハーツィの宮廷楽長をしていた頃である。

ソナタ第2番作品13(約25分):
Track4:アレグロ・コン・ブリオ。
これまた、ぐしゃぐしゃっとした変なパッセージに、
堂々とした序奏が華々しく、
そこから、少しずつ主題が現れて来る。
第2主題だろうか、朗らかでに紡ぎ出されるメロディは、
非常に高貴なもので、たとえようもない効果を誇っている。
シューベルトでも、こんなピアノ曲を書いてみたかっただろう。

Track5:アダージョ・コン・グラン・エスプレッショーネ。
これは、解説でも紹介されているように、
微光に包まれた幻想的な楽章で、
ベートーヴェンの悲愴と月光を足して二で割ったような、
夢のような情景が描かれ、もう美しさの極みである。
いったい、アインシュタインは、
この曲の何が不満だと言うのだろうか。

かなり官能的な音楽である。

ピアニストの完全な共感が、
このような高みに持ち上げていることは明らかで、
全ての音に感動が織り込まれている。

Track6:終曲、アレグロ・コン・ブリオ。
またまた、何だか変なパッセージ、
ぶっきらぼうな開始であるが、
このあたりがフンメル風であろうか、
だんだん、親しみやすい微笑みが漏れて来る。

この終楽章も9分に迫り、中間部では、
お得意の強烈な対位法の妙味が前面に出される。
このあたりも、恐らくアインシュタインには、
無味乾燥に思えたかもしれない。
初めて聴く人にも、このあたりは消化しにくいだろうが、
アルブレヒツベルガーの薫陶を受けたフンメルにしてみれば、
このような話法は、ごく普通のものだったのかもしれない。
名残惜しげな風情を断ち切るように終わる。

「第3ソナタ ヘ長調作品20は、
暗い感情を表出するもので、
時として悲劇的ですらある。
ここには、この作曲家のイマジネーションの、
最高の羽ばたきがあり、
変ホ長調のソナタ同様、
素晴らしい対位法的書法が駆使され、
それがすべて音楽表現をめざし、
退屈であったり、機械的であったりすることはない。
この作品によって、未来の予見が始まったことが聞き取れる。
緩徐楽章は、明らかに、
シューベルトのハ短調ソナタの、
緩徐楽章のムードを予告する。」

このように、アインシュタインが書いたことの、
ちょうど反対のような事が書かれている。
こういう事が起こるからこそ、
解説を読むのは面白い。

アインシュタインの説を信じて、
一生、フンメルを聴かずして終わる、
シューベルト・ファンも多かろう。

さて、しかし、それだけでは、この解説は終わらない。

「しかし、この曲の頂点は、
疑いなく見事な終曲にある。
それは再現部を持たず、
実験的であるが、モーツァルトを思わせる進行があり、
子供の頃の先生への賛辞となっている。」

ここにあるように、この曲は終楽章に、
ジュピター音型が出てくる事で有名な曲。
ただし、引用ではなく、「ぱくり」とされる事の多いもの。
しかし、私は、かなりフンメル支持派になっているので、
ショスタコーヴィチがやれば、暗喩と呼ばれるように、
好意的に解釈したい。

この曲は1807年の作とあるから、
シューベルトに先んずる事20年以上である。

ソナタ第3番 作品20。
Track7:アレグロ・モデラート
-アダージョ-アレグロ・アジタート。
もの思いに耽るようなメロディが歌い出され、
心の高ぶりのような動機や、
希望のような動機が交錯し、
かなり錯綜した雰囲気の曲である。
しかも、緊迫感もあって、ただ事ではない音楽。
演奏者も、非常に感受性豊かに、
この気分の変転に乗って、
うまく捉えがたい情感を表現しつくしている。

才人フンメルも、30歳を前にして、
何か考えることがあったのだろうか。
この時期、まだ、エステルハーツィの宮廷にあったが、
こうした挙動不審が、1811年の解雇につながるのではあるまいな。

終盤では、音楽は高ぶり、
抑えきれない感情を爆発させて終わる。
こりゃ、ダメだ。
クビになっても仕方がない。

Track8:アダージョ・マエストーソ-終曲 プレスト。
このトラックは後半2楽章を収めている。

内省的な音楽で、シューベルトを予告したとあるが、
確かに、親密で内省的なメロディが美しく、
シューベルトのソナタと言っても通じるかもしれない。
だが、この時期、シューベルトはまだ10歳である。
人生を変えるコンヴィクト入学の前年に当たる。

ベートーヴェンは、「第5交響曲」前夜だが、
すでに「熱情」のようなソナタを書き終えている。
この時代のチャンピオンであることは明白であった。

さて、この楽章の終わり近くには、
奇妙な変則リズムが現れ、
雪に足を囚われて冬の旅を行くかのようでもある。
アイゼンシュタットにあって、
フンメルは、孤独を感じていたのかどうか。

終楽章も荒れ狂って始まる。
もう、めちゃくちゃに混乱した開始部である。
それが、次第に平静を取り戻して行くが、
この過程は毎度ながら対位法の駆使で、
聞き手は少々、道を見失いそうになる。
そこに突如射す巧妙こそが、
モーツァルトの快活なおしゃべりである。

やはり、フンメルが、ここで、
ジュピター音型を出さなければならなかった理由は、
明らかではなかろうか。

それにしても、このようにシリアスな音楽を書いた人が、
単に、お気楽ビーダーマイヤー風と評されたり、
機械的、色彩の欠如、官能性の不足を批判されたり、
するようになったというのは、
非常に興味深い現象である。

いずれにせよ、シューベルトは、この伝説の名手と語らい、
互いに認め合うという、美しいエピソードを、
その晩年に残してくれた。

シューベルト・ファンであれば、
このヴィルトゥオーゾに、一度は、
敬意を表した方が良さそうである。

得られた事:「名手フンメルもまた、ハイドンの後任という地位にありながら、迷える一人の若者であった。」
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by franz310 | 2010-03-06 21:01 | フンメル
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