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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その213

b0083728_2127743.jpg個人的経験:
これは全くもって個人的経験になるが、
今回のCDは、思い出に残るもの。
ただし、実際に聴いたのは、
今回が初めてである。
かれこれ30年くらい昔、
ホグウッドがモーツァルトを、
体系的に録音していた頃の録音で、
CD時代初期でもありかなり話題になった。
当時の私は、この録音にまったく
興味を全く感じなかったが、今回は違う。


そもそも、ホグウッドのモーツァルトというのは、
尊敬に値する交響曲の全曲録音というのは理解していたが、
大部の輸入盤で学生には縁遠かった。

長らく、実際に耳にしたことはなく、
ようやくLP時代の最後の方で、
三大交響曲を集めた廉価盤を入手して、
いきなりのけ反った。

三十九番の序奏で、怒り狂った人も多いのではないか。
私も、モーツァルトが嫌いになりそうになった。

例えば、出谷啓という評論家などは、
クラシック不滅の名盤800で、この盤を推薦し、
「この全集は、モーツァルトの交響曲に対するイメージを
根本的に修正させるに足る優れた演奏だと思う」と書いているが、
修正して欲しくない点まで修正されてしまった感じがした。

作曲当時の本来の姿はこうである、
と化粧をはがして行って、素顔が好きかどうか、
という感じの試みであったが、私は素顔は見たくなかった。

これがしかし、時代の潮流となって、
マリナーや、コレギウム・アウレウムといった、
モーツァルトを豊かに鳴らしていた演奏家は、
完全に歴史の波に消えてしまった。

私は、コレギウム・アウレウムの演奏する、
「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」など、
何度聞いたか分からないくらい愛聴していたので、
憎し、ホグウッド!という感じがしないでもない。

CD時代の波をうまく捉えて、
売り上げを伸ばした印象もある。

しかし、ホグウッドのアプローチでも、
その後出た、ハイドンなどは悪くなかった。
というか、ホグウッドのハイドンは、かなり好きだった。

さて、今回、メヌエットに挟まれた、
緩徐楽章の問題を考えていて、
ホグウッドと近い目線で、ようやく問題を直視することとなった。

ホグウッドは、この曲を、本来のセレナードにふさわしく、
5楽章形式の曲として演奏しているのである。

そもそも、私が興味を抱かなかったのは、
すでに完成された形であると思われた、
「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」に、
ホグウッドが、余計な楽章を追加して演奏している、
という感じで捉えたからである。

モーツァルト自身の目録では、
この曲は、5楽章からなるとあるらしい。
これが、何故か、第2楽章のメヌエットが欠落した形で、
今日に伝えられているのは、
何らかのアクシデントによる、という考え方をすると、
現在の4楽章での演奏は、作曲家の意図と違う、
という考えに行き着く。

これまで、私は、モーツァルト自身が、
この形(4楽章)で最終的に納得したのではないか、
などと考えて、深く考える事はなかった。
この4楽章というのが上手い具合に、
二つあったメヌエットが抜けて、
交響曲風に、急・緩・舞曲・終曲という感じでまとまっている。
何故、第2のメヌエットが必要だというのだろうか。

しかし、ここでこれまで聴いて来たように、
モーツァルト晩年の盟友であったアイブラーの室内楽が、
緩徐楽章を二つのメヌエットで挟む形に
こだわっているのを見てくると、
モーツァルト自身もまた、
この5楽章形式を、かなり前提にして、
このセレナードを作曲した可能性が
高いように思えて来たのである。

ホグウッドのモーツァルトに対するアレルギーも、
ようやく切れて来たので、
録音(1983年10月)から30年近く経ったが、
これを聴いて見ることにした。
しかし、よく見ると、ホグウッドが演奏に対して、
どう関与したのかは明らかではない。
というのは、この「アイネ・クライネ」は、
室内楽として、ザロモン四重奏団が演奏しているからである。

当時は、これにホグウッド指揮の
「ノットゥルノ」などが併録されていた。
今回は、もっと大規模なセレナーデ第三番(1984年録音)が、
併録されている。

先鋭な雰囲気の白いジャケットが印象的だった古い規格の盤に対し、
今回のものは、表紙からしてしっとりしていて、
かなり雰囲気が変わった。
ワトーの絵画があしらわれ、情緒的な感じになった。

やせぎすの骨の浮き出た裸は見たくないので、
こうしたデザインで、多少、先入観を改めてみたい。
オワゾリール・レーベルのもので、
1994年に再発売された折のもの。

ちなみに、ホグウッドだけをどうこう言っていいのかどうか、
少々、気をつけないといけない。
オランダの名ヴァイオリニスト、ヤープ・シュレーダーが、
交響曲全集でも、コンサートマスターとして以上に、
関与していたとされ、今回のCDでも、その名前が見える。
恐ろしい事?に、ザロモン四重奏団という名称は、
少なくとも表紙からは読み取れない。

エンシェント室内管弦楽団(The Academy of Ancient Music)に、
ザロモン四重奏団は、すっぽりはまってしまうということなのだろう。

このCD、「アイネ・クライネ」に関しては、
Neal Zaslawという人が、解説を書いている。
「この録音に聴く二つの作品は、
オーストリア特有のジャンルである、
セレナーデの代表作である。
本来、ギター、マンドリン、リュートなどの伴奏で、
紳士が淑女の窓の下で歌う愛の歌がセレナーデだが、
18世紀オーストリアでは、
完全な器楽曲である社交的な音楽の一種が、
セレナーデ、パルティータ、ディヴェルティメント、
カッサシオン、ノットゥルノ等々と呼ばれるようになった。
こうした作品を演奏する機会は沢山あって、
誕生日、名の日、婚約、結婚、貴族、聖職者、役人の昇進、
大学の期の終わり、謝肉祭、その他お祝いなどがあった。
演奏は、今日では、交通の雑音や、
飛行機によって聞こえなくなるような、
屋外の場所でしばしばなされた。」

この記述は面白い。
おそらく街中で行われたということだろうが、
さぞかし、当時の往来は静かだったものだったのだろう、
などと空想が羽ばたいた。

今日でも、駅前で歌を歌っている若者がいるので、
現代でも、やろうと思えば、出来ないこともなさそうだ。

「セレナーデが独奏弦楽器で演奏される時、
二つのヴァイオリン、ヴィオラ、コントラバスからなる、
それは特徴的な合奏となり、本来の四重奏曲と区別して、
『セレナーデ四重奏』と呼ばれる。
モーツァルトはいくつかの作品を、
セレナーデ四重奏曲のために書き、
他の曲は、よくわからないがおそらくそれを想定している。
18世紀、作品の最低音域を、
『バッソ』と書いた習慣によって曖昧さが生じ、
それが一つの楽器によるものか、複数か、
チェロを含むのか、コントラバスか、バスーンか、
通奏低音かも分からなくしている。
それゆえに、『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』も、
コントラバス付きの弦楽四重奏曲か、
チェロ付きのセレナーデ四重奏曲かはっきりしない。」

ということで、格調の高い弦楽四重奏曲の、
2ヴァイオリン、1ヴィオラ、1チェロという編成に対し、
2ヴァイオリン、1ヴィオラ、1コントラバスという編成が、
第2の四重奏としてオーソライズされていたということだ。
シューベルトの「ます」の五重奏曲は、
チェロとコントラバスを登場させ、
これらの混合形態ということになる。

「モーツァルトは、この『K.525』を、
1787年8月10日にカタログに書き入れた。
彼は『音楽の冗談』を書いたばかりで、
『ドン・ジョヴァンニ』に取りかかっていた。
そのカタログによると、
『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』は、
『アレグロ、メヌエットとトリオ、ロマンス、
メヌエットとトリオ、終曲』からなるとされている。
スイスにあるプライヴェートなコピー譜には、
最初のメヌエットとトリオがなく、
それらが、作品の初期の歴史において、
すでに消失していることが分かる。
今回の録音では、クリストファー・ホグウッドが、
これを埋め合わせ、1785年から86年に、
モーツァルトが、英国人の弟子トーマス・アットウッドと、
書簡による作曲レッスンによって共作した、
メヌエットとトリオを利用した。
これによって、K.525は、本来のプロポーションを取り戻した。
この不滅の作品が、精巧な完璧さについては語り尽くされているが、
何か語るべきものは残されているだろう。」

何と、作曲レッスンの課題曲ごときを、
この世紀の大傑作に当てはめているというのだから驚きだ。
よくもそんなものを見つけて来たな、
という感じもする。

しかし、このアットウッド、そこらの物好きではなく、
ちくま新書の「モーツァルト・ガイドブック」(井上太郎著)にも、
「モーツァルトと同時代の作曲家群像」にも取り上げられている。

「トーマス・アットウッド(1765-1838)、
イギリスからウィーンに来てモーツァルトに師事した
作曲家でオルガニスト。
師弟の関係は良く、作曲法を習った時の練習帳が残っている。」

先の、書簡による作曲レッスンと、
この練習帳の関係はいかに。

しかし、それはさほど重要ではない。
続いて、こうあるのが重要。
「彼は後にイギリス楽団の重鎮となるが、
CDで聴ける作品は短い声楽曲など数曲のみだが、
手元にあるハ長調のトリオは、おだやかな曲想が美しい。」

ということで、馬の骨の作品の断片でなくてよかった。
それなりに名をなした人なら、少し聴いて見ようか、
という気持ちもわき起こって来るというものである。

やはり、不滅の傑作に手を入れたものを聴くならば、
それなりの権威にすがりたくなる。

では、問題の曲を聴いてみよう。

Track1.アレグロ。8分24秒。
かなり鋭いアタックで開始され、
あまり、ヴィーンの典雅な趣きなどには左右されない様子。
するどく切り込んで来るが、
楽器の音色そのものはそこそこ芳醇で、
ぎすぎすしているということはない。

本質に迫ろうとした、きまじめな室内楽であるが、
かなり透徹な意志を感じさせ、
窓辺に婦人を呼び寄せる下心の入り込む余地はない。
各楽器ともアタックから一体となって、
立体的な造形を目指している。

立派な演奏と言える。

Track2.メヌエットとトリオ。4分1秒。
ここで、伸びやかなメヌエットが入ると、
確かに、セレナード風の一息がつけるのは確かだ。
メロディは、そこそこ美しく、
凝縮されたこの作品に、一陣の風を吹かせている。
ただし、トリオとの対比が、あまりない感じなのは、
メヌエット、トリオとも、何だか幽霊のように現れた、
気の抜けたサイダーみたいな感じだからかもしれない。

別にCD解説に同調するつもりはないが、
確かに、本来のプロポーションとは、
こんな感じだったかもしれない。

Track3.ロマンツェ。5分52秒。
ロマンツェと言いながら、妙にねっとりした、
凝集された音楽で、さわやかさがない。
美しいとはいえ、窓辺の恋人も、
思わず引いてしまうような濃厚表現。
弦楽五重奏で演奏しているとは思えない程、
音の密度が高い。

中間部の節回しが、なめらかなアクセントなしになっているのが、
これまた、ねっとり感を高めて不気味である。
このような側面を持っていればこそ、
さっきのメヌエットは貴重である。
第1楽章から、続けてこれが演奏されると、
くそまじめなストーカーに狙われているような感じになる。

Track4.メヌエットとトリオ。2分19秒。
このメヌエットも、克明に楷書で書いたような表現だが、
曲想に屈託がないので救われている。

トリオは、かなり肩の力が抜けており、
これを聴いて、窓辺の女性が、
うっとりと舞曲に夢を馳せることもあるかもしれない。

Track5.ロンド、アレグロ。5分35秒。
ザロモン四重奏団のきっちりとしたスタイルが生きた楽章で、
推進力と同様、広がりもあって、これまた立派な音楽である。

この曲が時として感じさせる甘ったるさがなく、
これはこれで悪くないと思う。

ホグウッドの指導か、
音楽を力強くひたむきに牽引している、
ヴァイオリンのスタンティジの趣味かは分からないが、
残された4つの楽章とも、窓辺のセレナーデというよりも、
本格的なコンサート音楽の風格を感じさせ、
モーツァルトも、最終的には、
愉悦的なメヌエットは一つで良いと、
考えたと考えたとしても不思議はない。

しかし、経済効果を考えたモーツァルトが、
せっかく作曲したメヌエットを捨ててしまったり、
作曲の練習に回してしまう、なんて事があるだろうか。

きっと、他の曲に転用したはずで、
この曲の後に書かれた曲のどこかに紛れ込んでいる、
と考える方が普通ではなかろうか。

いずれにせよ、セレナーデだとすると、
いきなりロマンツェはないだろう、という感じはした。

さて、後半だが、Stanley Sadieという人が、
続く、K.185について書いている。
「K.185は、ミヒャエル・ハイドン、モーツァルト父子らによる、
7~9楽章の、しばしば、ミニ協奏曲を含む、
伝統的なザルツブルクの祝祭的なセレナードの形に倣っている。
このジャンルで、モーツァルトが作曲をしたのは、
1769年の2曲のカッサシオンで、
最後に作曲したのは、
10年後の『ポストホルン』セレナーデK.320であった。
そのほとんどはニ長調で、
屋外用の音楽で最も効果の上がるものであった。
(また、私たちは、1782年に、モーツァルトが父親に書いた手紙で、
レオポルドが、この調を使うように薦めたことも知っている)。」

この年、モーツァルトが、父親に書いた手紙では、
7月27日のものが、
ハフナー交響曲の成立を伝えるものとして有名で、
ここには、「これは、お父さんの好きなニ長調で書きました」
という一節がある。

「K.185は、続く2曲のセレナード、
K.203と204や、これらの中で最も有名な、
1776年の『ハフナー・セレナード』に似て、
交響曲の中に、ヴァイオリン協奏曲を入れ込んだ効果のもので、
これらの前か後に、行進曲が演奏された。
この時期のモーツァルトの他のセレナード同様、
二つのオーボエ(フルート持ち替え)、二つのホルン、
二つのトランペット(自筆譜によると、『ロング・トランペット』)
と弦楽合奏のために書かれている。」

おいおい、この曲自体がいつ作曲されたかや、
「ロング・トランペット」が何なのかを、
解説してくれないのかよ、
と突っ込みたくなる内容だ。

また、下記のような部分は、実はあまり必要ではない。

「行進曲の調子に合わせて、楽団が到着することが思い描かれる。
リズムにはかすかにフランス風の香りがあり、
ダブル・リード楽器であるオーボエよりも、
行進にふさわしいフルートを、木管奏者は演奏する。」

と、行進曲についての解説があるが、
おそらく、このCDの編集に当たり、
この行進曲は外されてしまったのだろう。
『アイネ・クライネ』が5楽章になって26分の大作となり、
この巨大な47分のセレナードが合わさって、
73分の収録時間となったので仕方がないのかもしれない。

しかし、行進の時にフルートの方が、
ふさわしいとは知らなかった。

このセレナードは、モーツァルト17歳の作品とされ、
7楽章からなる大作であるが、
いかなる経緯で書かれたものかの解説がないのは困りものである。

とにかく、順次、聴き進める。
各曲の解説は、「アイネ・クライネ」よりは親切である。

Track6.アレグロ・アッサイ。8分29秒。
「セレナーデは、冒頭からホルンと低音弦で奏される、
アップ・ダウンの主題に満ちた、アレグロ・アッサイで、
活発に開始し、第2主題は叙情的。
2回目のトゥッティの後は、
ヴァイオリンが楽しいパッセージを十度で奏で、
再びアップ・ダウンのテーマが回帰して提示部を締めくくるが、
この時はアップとダウンが同時に聞こえる。
トゥッティにおいて、そもそも主題の性格からして、
モーツァルトが帰ったばかりのイタリア旅行の影響を、
感じることが出来るかもしれない。
明るい織り目、単純な主題、
弦楽の指遣いのある部分など、
イタリアで好まれたオーケストラのスタイルの典型で、
モーツァルトも、彼の地で書いた交響曲でこれに倣った。
このことはさらに、展開部にも見られ、
それは実際には展開ではなく、新しい叙情的な主題と、
性格的な弦楽の動きの間奏曲となっている。
オーソドックスな主題再現部はなく、
第1主題の強調された回帰である短いコーダとなっている。」

確かに、モーツァルトの初期の交響曲に見られる直截さが、
同様に、何だか硬直した感じを与えるが、
これがイタリア風と言われれば、そうか、という気にもなる。
ハイドンには、こうした強情な楽想はあまりないから。

シューベルトも「第六交響曲」でイタリア風、
というかロッシーニ風を追求したが、
この曲もまた、他の曲に比べると、
妙にかっちりした風情を持っていた。

第2主題は、叙情的というか、爽快なという感じ。
第1主題とは異なり、流麗で美しい。
展開部は短い。

Track7.アンダンテ。9分24秒。
「ここで、2楽章からなる『ヴァイオリン協奏曲』が始まり、
この曲のもう一つの調性であるヘ長調である。
この曲はモーツァルトの最初のヴァイオリン協奏曲で、
実際、編曲ものや、
失われた幼少期のトランペット協奏曲を別にすれば、
彼の最初の協奏曲となったものである。
アンダンテで始まり、短く形式的にも単純である。
二つのメインのアイデアがまずオーケストラで奏でられ、
ヴァイオリンが登場し、まず、その最初のアイデアを変奏し、
ドミナントのハ長調に進み、ここに来て、
第2のアイデアが再び聴かれ、
ヘ長調で小さな展開部と再現部が続き、
最後にカデンツァがある。」

最初のアイデアというのは、なだらかな夢想的なもの、
第2のアイデアというのは、
リズミカルなものでパントマイムのような感じで愉悦的。
ヴァイオリンが入って来ると、
ベートーヴェンの「ロマンス」のように美しい。
リズミカルなテーマも、わくわくするような、
青春の胸のときめきを秘めて美しい。

さすがに協奏曲の重要部分を占めるだけあって、
10分近い大曲になっているが、続く楽章はその反動か短い。

Track8.アレグロ。2分54秒。
「続くアレグロは、A-B-A-C-A-D-Aのロンド形式で、
Bは生き生きとしたヴァイオリン独奏の三連符、
Cは短調のエピソードで、
Dは三連符で始まり、16分音符に分解されて、
メインテーマからの楽想に合体する。」

この楽章は、オーケストラがかなり長いAの部分を担当するので、
あまり、ヴァイオリン協奏曲風ではない。

初めての協奏曲というが、
オーケストラとの対等な関係という意味では、
かなり面白い掛け合いを見せてくれる。

ちなみにここでのソロは、オランダの名手、
というか大御所だったヤープ・シュレーダーである。
端正で、自在な表情を見せて微笑ましい。

Track9.メヌエットとトリオ。3分50秒。
「第4楽章は、メヌエットで、
オーボエ奏者はフルートに持ち替える。
トリオ部分では、二つのヴィオラとバスに、
デリケートに伴奏されたフルート独奏となる。」

このメヌエット楽章が、どんどんどんと始まると、
今まで、繊細なヴァイオリンの妙技に聞き入っていた聴衆が、
今度は自分たちが主役になって、
思い切ってダンスを始めるかのような開放感を感じる。

やはり、こうした朗らかな情感は、
この種の曲種ならではである。

木管アンサンブルの音色も大変美しい。
トリオの音色も独特で、耳をそばだたせる。
若い男女が楽しくなりそうな音楽で、
これぞ、セレナードと言いたくなる。

Track10.アンダンテ・グラツィオーソ。7分33秒。
「続くアンダンテ・グラツィオーソは、
フルートと高音で奏されるホルンの温かい響きと、
第2主題は半音階的な抑揚を持つ表現力豊かなもので、
この作品の核心となっている。」

独特の色調のしっとりした情感と、
生き生きとしたリズムが交錯する不思議な音楽で、
「この曲のハート」と書かれるだけあって、
非常に魅力的である。

木管の和声がとても印象に残る楽章で、
かなり執拗に、刻まれるリズム共々、
耳に残る響きを頭の中にしみこませてくれる。

前の楽章に続き、モーツァルトは、
夢の中のような、捕らえ所のない、
独特の色調を追求しているようだ。

Track11.メヌエット、トリオⅠ&Ⅱ。6分16秒。
「もう一つメヌエットがあるが、二つのトリオを持つ。
最初のものは、ニ短調で、独奏ヴァイオリンが再び現れ、
(トリオに前に登場した独奏者が現れるのは通例であった)
第2のものは、管楽器の書法に軍隊の足取りが感じられる。」

これはメヌエットというよりも、
軍隊行進曲のように勇ましいもので、
ハイドン時代の優雅な立ち居振る舞いは、
繊細で、物憂い第1トリオになるまで感じられない。

ひょっとすると、モーツァルトは、
この時代から第2メヌエットは、
男女の戯れの舞曲というよりも、
交響曲風に、推進力を持たせるように、
設計しようとしていたのかもしれない。

トリオにおける、物憂げなヴァイオリンがたまらない。

Track12.アダージョ-アレグロ・アッサイ。8分18秒。
「11小節のアダージョが、終楽章の壮大さ、荘厳さを予告するが、
実際には、アレグロ・アッサイは、ジーグのリズムによる、
明るくふさわしい音楽で、魂のこもったもので、
機知を感じさせ、さらに、よく考えられた展開部と、
お決まりの再現部の前に嵐のようなニ短調の一瞬があり、
最後に、マンハイム風の巨大なクレッシェンドのコーダが来て、
全曲を締めくくる。」

確かに、このアダージョの序奏は、
妙にものものしく、
リズムからも、管楽器の咆哮、複雑な弦の動きからも、
凝ったものを感じさせ、聴くものの期待を高めるものである。

非常に精緻に書き込まれていて、
この部分だけでもいろいろ起こって面白い。

ジーグの部分は、晴れやかな音楽で、祝祭にふさわしく、
大空を仰ぎ見るような壮麗さを感じさせる。

もはや、ロマン派の大交響曲の終楽章にしてもおかしくはない。
「ザ・グレート」の若々しい先駆者と呼びたくなった。

得られた事:「セレナーデであれば、濃厚な緩徐楽章の前に、軽いメヌエットがあるべきである。」
by franz310 | 2010-02-13 21:27 | 古典
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