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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その206

b0083728_2212203.jpg個人的経験:
アリャビエフが、
「夜鶯」の主題によって、
弦楽四重奏曲第3番を
書いていた頃、
シューベルトの周りでは、
微妙な状況が生じていた。
宮廷楽長であった、
シューベルトの師の
サリエーリが退任し、
後継者にアイブラーが昇格した。


アイブラーは副楽長だったので、その席が空位となった。
シューベルトは、その副楽長のポストを狙って、
皇帝に請願書をしたためたのである。

この時、アイブラーが、
どのような形で関与したかは分からないが、
シューベルトは採用されなかった。

サリエーリに次ぐ、ナンバー2だった、
このアイブラーとはいったい、
どのような音楽家だったのだろうか。

この季節に相応しい音楽として、
「クリスマス・オラトリオ」という作品を書いているので、
今回はこれを聴いてみた。

このCDでは、Eva Pinterという人が、
アイブラーの生涯と、この作品について書いている。
「ベツレヘムのまぐさ桶の周りの羊飼いたち」
と題されているが、これはこの曲の題名である。

「生前高い評価を受けながら、
後に忘却の淵に沈んだ作曲家は、
音楽史において数多く見受けられる。
この死後の評価は、ある作曲家については、
相応しくないとは言えないが、
ヨーゼフ・アイブラー(1765-1846)については、
当てはまらない。
ようやく近年になって、彼の作品は正しい評価を受け始めた。」

こういった事は、これまで何度も読んで来たので、
なかなか、信用するわけにはいかない。
コジェルフ、オンスロウからレーガーに至るまで、
同様の評価をされながら、
演奏会の順番待ちをしている作曲家は無数にいる。

「ヴィーン古典派にあって、
創造力があり興味深い人物を示すものとして、
それらは、確かに再発見の価値がある。
アイブラーは最初の音楽指導を、
自分の家庭で受けた。
ヨーゼフ・ハイドン、ミヒャエル・ハイドンが、
以前学んでいた、ヴィーン市の大学で、
彼も学び、これが彼の終生を決定づけた。
ヨハン・ゲオルグ・アルブレヒツベルガーの弟子として、
作曲の勉学にいそしんだ。
彼は当初、法律家を目指したが、
彼の両親の家は火災に遭って、
財政的に苦しくなり、
この道は諦めずにはいられなくなった。」

このような苦境から、立ち上がった作曲家というのも、
あまり聴いたことがなく、印象に残る。

「彼が音楽家としての道を選んだ時、
善意の支援者が現れた。
そうしたパトロンは、
1793年に熱のこもった推薦状を書いた、
アルブレヒツベルガーだけでなく、
友情をこめて支援したハイドン、
それに、
『信頼できる作曲家で、
室内楽においても教会音楽においても、
才能を持ち、歌唱芸術について豊かな経験を持ち、
オルガン奏者、ピアニストとしても完璧である』
と書いたモーツァルトなどであった。
アルブレヒツベルガー、ハイドン、
モーツァルトの持つ特筆すべきものが、
アイブラーのスタイルの上にも認められる。」

ハイドン、モーツァルトに認められた作曲家としては、
プレイエルなども重要であるが、
アイブラーは、後塵を拝している感じであろうか。

「対位法の全般的な理解、
交響的、室内楽の作曲において見られる、
高尚さ、魅力的なモティーフと、色彩。
アイブラーは、これらの影響を特別な方法で統合した。
彼は、ヴィーンのCarmelitesで1792-94に、
また、1794年からは30年もSchottenstiftでなど、
何十年にもわたって合唱指揮者を務め、
数多くの宗教音楽を作曲した。
30曲以上のミサ曲、何曲かのオラトリオ、
1曲のレクイエム、短い宗教曲などを書いた。
彼の宮廷作曲家時代も、彼のスタイルに明らかに影響を及ぼした。
1801年、皇帝の一家の音楽教師になり、
1804年には副楽長になり、20年後には、
サリエーリの後任として楽長になった。」

アイブラーが1804年に副楽長になったのは、
39歳の時ということになる。

着実に公的な立場をステップアップして来た人から見れば、
シューベルトの応募は、かなり乱暴に思えたのではなかろうか。

「彼は革命的なことを行わず、
ヴィーンの宮廷音楽の伝統の、
音楽美学の要求に非常に良く適応した。
そして、シューベルトの変イ長調のように、
その方向を変えることを拒絶した。
教会と宮廷音楽の嗜好が、
確立していたフレームワークの範囲で、
彼自身の表現のパレットを開発したのである。」

という具合に、むしろ、
シューベルトなど認めなかったかのようなニュアンスを、
この解説では滲ませている。

以下、この楽曲の解説となる。
「アイブラーは、彼の最初のオラトリオ、
『ベツレヘムのまぐさ桶の周りの羊飼いたち』を、
ヴィーンの退職音楽家協会のために書き、
1784年、12月22日にスコアを完成させた。
後に、彼はこれをカンタータにも改作した。
テキスト作者は未詳である。
クリスマスのテーマに沿いながら、
時に聖書の一部を流用しつつ、
民衆の言葉の効果によって、
神秘の瞬間の劇的な雰囲気ではなく、
叙情的で瞑想的なものを作り出している。」

とにかく、特にドラマがあるわけでなく、
御子の生誕に立ち会った人の眼で、
その奇跡が賛嘆されているだけ、
といった内容である。

「アイブラーは多くの音楽モデルを利用している。
第1部を締めくくるコーラスや、
バスのアリア、『彼はベツレヘムに生まれた』
(Track16)における優しいシチリアーノは、
二つの例を上げるならば、
バロック期のヘンデルの『メサイア』、
バッハの『クリスマス・オラトリオ』といった、
先例にならっている。
モーツァルトの音楽の影響も、
いくつかの動機の処理や、
(管弦楽の序奏の短調の開始部は、
K.457のハ短調ピアノ・ソナタを思わせる)
時に名技的で、時として流麗な、
声楽パートの扱いに、明らかに認められる。」

いうなれば、先生によく倣った、
優等生の音楽ということだろうか。

「アイブラーのオーケストラの統率は、
素晴らしい木管の効果や、
精巧な弦楽の声部の扱いにおいて、
モーツァルトやハイドンの交響作品の影響を感じさせる。
これらのルーツに関わらず、
アイブラーの音楽は独創的で、時として、
驚くような作曲の着想を見せる。
一つの例としては、冒頭から見られ、
ハイドンの『天地創造』に先立つ、
日の出の効果があり、
他の例としては、様々なアリアのデザインにも見られる。」

ということで、単に優等生ではなく、
様々な創意工夫もできる人だったということである。
これでは無敵ではないか。

以下、その独創性についての具体例が列挙される。

「テノールのアリア(Track2)、
『羊飼いよ見よ、救世主を』で、
ダ・カーポ・アリアの三部形式と、
ソナタ形式のような転調のプランが見られる。
最初の部分はドミナントに転調するが、
最後の部分では主調に止まる。」

神聖なオラトリオにしては、快活な印象の曲である。
あとで、改めて述べる。

「また、ソプラノのアリア『それは神自身』(Track8)の、
二つのアレグロ・モデラートの二つの部分では、
それぞれ、アダージョのレチタティーボが用意され、
ソプラノの声楽部は、カデンツァの、
高度に名技的なコロラトゥーラのアリアにおいて、
木管だけで伴奏されている。
アイブラーはテキストの説明について、
繰り返し繊細な効果を施している。」

このアリアのアレグロ・モデラートの部分、
というのは、非常にシューベルトを想起させるが、
その独特の音色によるものであろうか。

「アルトのアリア、『幼子は手を伸ばし』(Track4)では、
声楽パートとオブリガートのフルート独奏が、
和音の分解によって、静かな心臓の鼓動を表現する。」

フルートの技巧的な音色の効果のせいか、
非常にすがすがしい感じがするアリアである。

「ソプラノのアリア『今や彼らの眼は幼子に』(Track11)の、
尋常ならざる開始部は、
ドミナントの七度で始まるモティーフで、
それらが終わってようやく主音が現れる。
これは、探しているような、
驚きを持ってちらちら見るような効果をもたらす。」

なるほど、確かにそんな感じがしないでもない。
ピッチカートの変則的なリズムには、
そうした戸惑いのようなニュアンスがある。

「四重唱『彼らの眼から』(Track5)においては、
ため息と涙の愛情に満ちた、
感動的な雰囲気が、
『ため息の動機』のみならず、
弦楽に絡むクラリネット独奏と三つのトロンボーンという、
通常とは異なる楽器によって描かれている。」

この独特の深い音色については、
モーツァルトのレクイエムの一節を聴くような感じが近い。

「この四重唱の対となる第2部の、
『ユダの種による愛しい御子』(Track14)は、
二つのクラリネット、二つのバスーンと弦楽による、
独自の色彩で彩られている。」

こちらの四重唱は、初め、ソプラノから歌い出され、
次に、バスーン伴奏にアルトが乗って、
続いて、木管アンサンブル伴奏にテノールやバスが登場、
最後の最後に四重唱に膨らむ。
歌と歌を繋ぐ管弦楽も精妙だ、
という風に、第1部の四重唱とは趣がまるで違う。

さすがにルーチンワークはやってないし、
持てる技巧のデモンストレーションという感じが、
これまた、無きにしもあらず。

「このオラトリオを形成する、
二つの部分は、構造上類似点を持ち、
各部の真ん中に癒しの四重唱が置かれ、
各部とも、終曲のコーラスに先立って、
高い技巧を要求するアリアがあり、
第1部ではソプラノのアリア、
『それは神自身』(Track8)が、
第2部では、バスのアリア、
『彼はベツレヘムに生まれ』(Track16)が、
置かれている。」

このソプラノのアリアは、
非常に美しいメロディを持つ。
一方、バスのアリアは、劇的な序奏を持っており、
雄弁な管弦楽に相応しく英雄的である。
装飾音型も多用しながら、
クライマックスを形成している。

しかし、よく見ると、Track16のアリアと、
Track18の終曲の間には、
ジャンプ台のようにレチタティーボがある。

また、以下のように、終曲の合唱は、
バーンと強烈に炸裂するようなものでもない。

「第1部を締めくくる、天使のコーラス
『彼はあなたのために生まれ』(Track9)は、
時に優しい三度和音を含むシチリアーノで、
対位法的な構成を持つ。
第2部を締めくくるコーラス、
『いと高きにいます神に栄光あれ』(Track18)では、
聖書の詩句により、
強いダイナミックのコントラストだけでなく、
最後の精巧なフーガによって、
聴く者を魅惑する。」

「聖書の詩句を利用した」とあるように、
全体的に、宗教的な賛美に満ちあふれ、
クリスマスにちなむドラマが描かれると思うと、
肩すかしを食らわされる。
その点では、コジェルフのモーゼと同様である。

ただし、各曲とも、非常に工夫を凝らした設計で、
こんな曲が、ハイドン後期のオラトリオに
先立って作曲されていたとは驚きである。

以下に、テキストの内容を紹介しつつ、
聴き進めて行きたい。

第一部。
Track1:序曲とレチタティーボ、
ソプラノ:
「おお、太陽よ来たれ、遅れないで!
そなたの道を急がれよ、
そなたの光で幼子を照らすため。
上れ、太陽。上るのです。
この子、万民の喜び、
この放射で照らせ、太陽よ、
その力を見せて下さい。
明るく、夜を明るく。」
テノール:
「遅い、先駆けの光が、
夜を昼に変える。
天使の合唱によって、光が来る。
ああ夜よ、そなたは昼に譲るのだ。」

序曲は荘厳な序奏を持ち、
主部のアレグロはティンパニのパンチを繰り出しながら、
クリスマスの出来事への期待を高めていく。
木管のアンサンブルの色彩も美しく、
ホルンも高らかに、聴衆の気持ちを、
否応なく盛り上げて行く手腕は、
ハイドン、モーツァルトを超えて、
ベートーヴェンをも思わせる。

まさしくシューベルトの初期交響曲につながるものだ。

レチタティーボが始まっても、
雄弁な管弦楽は響き続け、
ついに日の出のシーンでは、ティンパニの連打に、
金管が鳴り渡る。
その後のテノールの登場は、
まるで、「第九交響曲」の歌い出しみたいである。

Track2:アリア、
テノール:
「見よ、羊飼いたち、救い主を。
神の御子。
まぐさ桶の祭壇の回りに並べられた、
捧げ物と贈り物を持って来た、
何よりもあなた方を愛される。
ああ、もっと近くに。
予言者の一団が千年も前に見たものが、
この御子なのです。
永遠の契約の創生者。
いまや御子を讃える時。」

この部分は、唯の威勢のよいアリアという感じで、
宗教的な雰囲気はない。
クリスマスという感じでは、全くない。
解説では、ソナタ形式のプランと書かれていたが、
言われてみれば、という感じのみ。

Track3:レチタティーボ、
アルト:
「彼らは目に涙を湛えて近づいた。
いや、まだその幸福を信じられなかった。
もたつく足取りで。
あなたの足下に行かせて下さい。
新しく生まれた天の子。
燃える口づけを。
霜と風からあなたを守る、
あなたのお襁褓、ベッド。
今、それらは、
御子の貧しさを和らげる贈り物に伸びて。
贈り物と一緒にその心も捧げました。」

何だか、生命の脈動を感じさせるような、
低音のリズムの中、オルガンの音が静かに響き、
聖なる気配が感じられる。
解説では、Track4の方を、
心臓の鼓動になぞらえていたが、
私には、こちらの方に、それが感じられる。
音楽もようやく、明かりが灯って来たような感じである。

Track4:アリア、
アルト:
「御子は手を広げ、
喜びを持って、贈り物に向かって微笑んだ。
何と温かく、その心臓は鼓動したか。
二つの瞳はルビーのように輝いた。
幸福の天使がいて、真ん中には神がおわし、
崇拝を持って羊飼いたちは見守った。
何という祝典の光景、何という無上の幸福。」

喜びに高鳴る心を感じさせる朗らかなアリア。
フルートの活発なソロを含み、
いかにもシューベルトも使いそうな、
推進力のあるメロディが歌われる。
最後はコロラトゥーラ的な装飾が現れる。

Track5:四重唱、
ソプラノ、アルト、テノール、バス:
「彼らの目からも、喜びが輝き、
深い愛情が燃えさかる。
心からはため息が出て、
頬を涙の洪水が流れ出る。」

めちゃくちゃ大げさな表現であるが、
静かで荘厳な曲調の間奏曲となっている。

四重唱というから華麗なものかと思ったが、
クラリネットのなだらかなメロディライン、
トロンボーンの和声が、瞑想的な感じが強い。

Track6:合唱、
「遅れるな、それをお持ちしよう、
すぐに神様の前に。
神聖な心の主。
涙を集め、神様を悲しませないように、
それを捧げよう。」

これまた短い簡潔なもの。


Track7:レチタティーボ、
ソプラノ:
「主は彼らを思い、彼らに報いてきた。
永遠なる主、今日は、
そのお姿を見せて下さった。」

ゆらゆらと蜃気楼のように立ち上る弦楽に、
幻想的な木管が重なって、
霊妙な感じがするひととき。

Track8:アリア、
ソプラノ:
「それはあの方、受肉した神様のお姿。
暗い静寂から、今、お生まれになった。
マリアのお子で、神のお子。
受肉した神さま自身のお姿。
神様に愛された羊飼いたち、
天国のようなゆりかご。
神の王座の前に立っています。」

このアリアなどは、いかにも、
シューベルトが劇音楽で書きそうな晴朗なメロディで、
それでいて、シューベルトが遠慮して書かなかったような、
華麗さに満ちている。
前述のように、木管を重視したハーモニーが、
シューベルト的な色彩を感じさせるのかもしれない。

Track9:天使の合唱、
「神様があなたがたのためにお生まれになった。
契約の創設者。
ああ、楽しい集い、
ああ、祝福された時、
喉の奥底からの声、
ハープの音色、
天の歌手達の、
何という愛らしい合唱。」

シチリアーノで、対位法的、
ということだが、天使の楽しい合唱なので、
清澄ではあっても、威圧的ではない。

ここで、前半は終わるようだが、
爆発でカタルシス、というものではない。

どうやら、羊飼いたちが、
集まって来た様子を描いて前半終了、
ということであろうか。

第二部。
Track10:レチタティーボ、
ソプラノ:
「選ばれし、いと高きマリア様、
エマニュエルの母として選ばれ、
純潔な魂に満ち、
天使のように純粋で、
驚きの目が彼女に向けられる。」

第二部に入ったので、また、視点を変えた展開が始まる。
しかし、特に序奏もなく、
内容の基調は賛美しているだけなので、
あまり、二つの部分に分かれている必然は感じない。

しかし、最終的に羊飼いたちは離れて行くので、
後半は、集まって来た者たちが、
その奇跡を持って離れて行くことを描いたもの、
と解釈することが出来るだろう。

Track11:アリア、
ソプラノ:
「今、彼らの目は御子を見て楽しみ、
神聖に放射する力が、
エッサイの根から現れた、
全てのもので最も美しい花。
今、その聖母を見あげて、
その胎内を賛美する。
そこから、最も美しい花、
聖なる御子が生まれた。」

何だか、単調で月並みな賛美だが、
5分にもわたって、ソプラノが、
ピッチカートのリズミカルな伴奏に乗って、
弾むような歌を歌い続ける。

ちなみにエッサイというのは、
ダヴィデの父のことである。

じゃんじゃんじゃん、という感じで、
聞きようによっては、ロッシーニみたいである。
解説者は、このあたりを、驚きの描写としている。

確かに、曲の起伏を考えると、
このあたりで、リズミカルな調子を入れたくもなろう。

Track12:レチタティーボ、
アルト:
「羊飼いたちは、楽しく静かに待ち、
聖母と御子を見て、
信心深く、驚きに目を見張り、
何一つ言うことも出来ない。
しかし、最後には、
天使が静かに舞い降りたところに、
その歌を歌わずにいられない。」

アルトは、この地味で声をひそめたレチタティーボで、
羊飼いが金縛りになっているのを表現するだけで、
アリアがないのはかわいそうだ。

Track13:アリア、
テノール:
「エホバの使いよ、しばし止まれ、
我らの願いを聞き、
そして贈り物を乗せて急げ、
信心深い仲間たちから、
エホバの祭壇に向けて。」
ソプラノ:
「兄弟よ聞け、
今や、この諸手を挙げて、
燃えさかるような望みを、
幼子に伝えよ。」

管弦楽の序奏からして、音色は独特。
テノールのアリアのメロディは誠実さに満ち、
ソプラノのアリアは、短いが、内容に相応しく色彩的。
それを繋ぐ管弦楽部も、内省的である。
いずれもシューベルトの歌曲も、
誕生間近という感じであろうか。

Track14:四重唱、
ソプラノ、アルト、テノール、バス:
「ユダヤの種から生まれた幼子、
直に成人し、
我らと共にある神は、あなたの名。
険しき道ゆく英雄よ。
おお、幸福の涙が、
幾千もの挨拶となる。
神の慈悲の滴り。
我らの幸福な口づけを。
それは喜びの涙、
痛みの苦しみではない。
民よ、その罪を離れ、罪を増やすなかれ。
ヘルモンの谷の小川で、
みずみずしい緑の中に漂うあぶくのように、
暑い太陽から離れておれ。
おお御子よ、あなたの命が息づいている。」

かなり変則的な四重唱で、
独唱部分が大部分で、最後のみ全員で締めくくる。
オーケストラの扱いについては、すでに述べたように、
非常に素晴らしい。

Track15:レチタティーボ、
バス:
「進め、幸福で信心深い仲間達よ、
その群れと共に。
天の御子は、
優しい笑みと恵み深い敬意を持って、
あなた方の贈り物を受け、
あなた方の歌声を静かに受け取った。
あなた方の目が世界の光を見たことに幸いあれ。
最高の奇跡が、今、イスラエルに起こったと宣言しよう。
まず父に伝えよ、そして、それは全世界に知られよう。」

この部分、歌詞だけを見ると、
この曲の核心の部分に思えるが、
それほど個性的ではない。

伴奏はオルガンであろうか。

Track16:アリア、
バス:
「皆の待ち望んだ、ダヴィデの子孫、
御子はベツレヘムにお生まれになり、
平和の王子、選ばれた王、
いつかその王座に座られる。
エルサレムよ、心を高く持て、
見上げ、その光に気づくべし。
ベツレヘムから照らす光に、
もはや、間違いはない。」

バーンと強烈なオーケストラで始まり、
その伴奏は素晴らしく雄弁だが、
歌手にも十分配慮して、
それを伴奏がかき消すことなく、
独特の音色で、装飾していく手腕はさすがと言える。

この大曲の後半のクライマックスを導くに相応しい、
雄大な曲想だが、詩の内容を見ると、
Track15の詩と比べて見劣りするのが残念だ。

Track17:レチタティーボ、
テノール:
「天使もうらやむような、
素晴らしい幸福にあった民は、
賛美の歌を歌いながら、
まぐさ桶から離れた。
大天使とも思えないか弱い人間の形で、
御子エマニュエルは、そこに寝ていた。
彼らは長い間、御子を見下ろし、
彼らは長い間、神の偉大を驚きを持って見ていたが、
もう一度、竪琴を合わせて、
高く歌を歌い上げた。」

この曲は、先の曲から一転して、
非常に瞑想的、思索的であるが、
伴奏の木管がまた、効果的である。

奇跡からの別れの音楽で、
名残惜しい感じがよく出ている。

Track18:合唱、
「いと高きにある神の栄光、
良き人には平安を、
彼の名を唱えよ、遠く、広く、永遠に。
不敬は落胆し、
有徳な者には、功徳の花輪が現れる。
いつの日か、御子は雲の中で輝き、
その力を使われるだろう。」

最終的に、さすが宮廷作曲家の仕事、
有徳な者、不敬なものを対比させたりして、
妙に説教臭い。

歌詞を見ていると、きれい事、
説教者の一方的な命令口調に、
だんだん、心気くさくなって来たが、
合唱は晴朗で、音楽には力がある。

クリスマスだからと言って、
こんな与太話に至る過程を、
くどくどと、70分もかけて聞かされるのでは、
気が滅入ってしまうところを、
かなり楽しんで聴くことが出来た。

そもそも、神の子であるという証拠など、
何も、どこにもないではないか、
とつっこみを入れたくなるのも事実。

しかし、音楽は、序曲を始め、
充実したものであることは分かった。
しかし、こんなある意味空疎な内容に、
これだけ注力できる手腕も、また、ものすごいものを感じる。

シューベルトなら、「真実味がないものは書けない」と、
途中で投げ出すと見た。

得られた事:「『不敬は落胆し、有徳な者には、功徳の花輪が現れる』という歌詞が現れるが、才覚も如才もある苦労人、アイブラーが、シューベルトを部下に採用することは永遠になさそうだ。」
by franz310 | 2009-12-26 22:18 | 古典
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