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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その202

b0083728_12302334.jpg個人的経験:
リタ・シュトライヒが歌った、
モーツァルト録音などを聴いたが、
今回は、いよいよ、
この愛らしい声楽家が歌った、
シューベルト歌曲を聴いてみたい。
彼女が歌った歌曲を集めた、
このドキュメンテ・シリーズのCDの
表紙デザインに見られるような、
無邪気ともコケティッシュとも見える
往年の名手はどんな風に歌ったのか。


フィッシャー=ディースカウは、その著書、
「シューベルトの歌曲をたどって」の最後に、
とくに優れたシューベルト歌手を列挙しているが、
リタ・シュトライヒの名前もそこに挙がっているのである。

解説は、「リタ・シュトライヒ:美しい声だけでなく」
という題で、カール・シューマンが書いている。

「コロラトゥーラ・ソプラノとしての限りない才能に恵まれた、
ソプラノ歌手がリートを歌う。
モーツァルト、ドニゼッティ、ヴェルディ、シュトラウスの、
スペシャリストとして知られたオペラ歌手が、
芸術歌曲の王国を旅する。
リタ・シュトライヒは、歌曲を歌うべくして生まれた。
彼女を育てた母親たちが、
優美で甘い明るい音色、幅広い表現の幅、
適切なテクニックとアーティキュレーション、
繊細な知性、計り知れないコミュニケーション能力を、
彼女に授けた。
彼女は1950年代の初めから、
大西洋両岸の聴衆を前に歌曲のリサイタルを行っている。
ハート型の顔に、大きな黒い瞳が輝く、
小柄できゃしゃな女性。
洗練された姿を、素晴らしいイブニング・ドレスに包み、
それでいて気さくで、控えめで適切な仕草が見られた。
そして必要とあらば、いたずらっぽく見せることも出来た。」

このように、この写真と全く同じ印象を、
この批評家は、これでもかこれでもかと繰り返す。
もはや、このCDを聴かずに通り過ぎることなど不可能である。

「コロラトゥーラ・ソプラノにとって、
歌曲のレパートリーは限られてしまう。
悲痛さや深い哲学に関しては論外となり、
フォルテッシモの稲妻は、いらだたしく響くだけ、
しかし、親密な表現は可能なのである。
センチメンタルで、細密で、コケティッシュなユーモアも。
こうした領域は、
高音が持つ表現の可能性を、
決して過大評価しなかった、
リタ・シュトライヒによって、
柔らかな音色にて開拓された領域であった。
彼女はその歌声に浸透力がないことを長所に変え、
芝居じみたことや、
機械的なコロラトゥーラの冷たい輝きを避けた。
その代わり、彼女は、細かい表現の彫琢に集中し、
感傷性を高貴にする、表現の真実味を求め、
お転婆の小生意気を武器とすることなく、
ソプラノの有名なレパートリーを歌うことに、
誇りを持っていた。」

まったくもって、好感の持てる歌い手ということになる。

「リタ・シュトライヒは、1920年、
12月18日、シベリアのノヴォシヴィルスク近郊の、
Barnaulに生まれた。
彼女の母親はロシア人で、父親はドイツ人捕虜であった。
ようやくにして家族はベルリンに辿り着き、
そこで彼女は育ったので、生涯を通じてベルリン訛りがあった。
そして、マリア・イヴォーギュン、エルナ・ベルガー、
ヴィリ・ドムグラフ・ファスベンダーらを範と仰いだ。
彼女は、1943年にチェコのUsti nad Labemでデビューを飾り、
1946年に、ブロンドヒェン役を最初の仕事として、
ベルリン州立歌劇場に入った。
1951年から53年の間は、ベルリンのStadtischeオペラに所属、
1953年にヴィーン国立歌劇場に移っている。
1970年頃、彼女はオペラからは遠のいたが、
1976年まではエッセンで歌唱の教授を行い、
後にそれは、1987年3月20日に没することになる
ヴィーンでも続けた。
ここで概観したキャリア以外にも、
リタ・シュトライヒは、世界中の歌劇場に登場し、
1954年、フルトヴェングラーの指揮で、
『魔弾の射手』を演じたように、
数多くの音楽祭に招待された。」

このように、一世を風靡した名手であるが、
シベリア生まれ、しかも捕虜の子供というのが気になる。
おそらく、かなりの苦労をしたはずである。

「リタ・シュトライヒにとって、
自然さと芸術的華麗さの間に、
橋渡す事の出来ない矛盾などなかった。
ミヨーの『ロンサールの歌』も、
ヴォルフの『おやすみ』も
『星』のような、シュトラウスの目立たない歌曲も、
色彩と洗練を持って歌う事が出来た。
短いアリオーソのシーンと同様に、
民謡や、モーツァルトやシューベルト、
ブラームスの有節歌曲を、
ありのままの優美さ、魅惑的な率直さで伝えることが出来た。」

もとの解説は、最後に書かれているが、
先に、共演者についての情報。

「1950年代のシュトライヒの最初期の歌曲録音は、
伝説的なエルザ・シラーによってドイツ・グラモフォンのために、
発見された時期から始まる。
ここに収められたものは、1956年から61年のもので、
ベルリン、RIASのスタジオ、
あるいはミュンヘン、ヴィーンで録音されている。
共演ピアニストは、この分野での第一人者、
エリック・ウェルバ(1918-92)で、
生粋のヴィーン人で、優しい打鍵、
歌い手への共感で知られた。
ギュンター・ワイゼンボルン、1911年Coburg生まれ、
ゲッティンゲン交響楽団の指揮者で、
デトモルト音楽院の教授でもある。
シュヴァーヴェン民謡、『Z’lauterbach』は、
シュトライヒの先生のマリア・イヴォーギュンの夫、
ミヒャエル・ラウハイゼン(1889-1984)
によって編曲されたものである。」

このCDの面白い点、あるいは、シュトライヒの、
興味深い点と言うべきか、
ドイツ歌曲の体系のような中に、
CD1のTrack24以降では、
20世紀フランスで活躍のミヨーの、
不思議な色彩に満ちた歌曲(4曲)や、
民謡、小唄を4曲入れている事で、
戦前生まれのドイツの歌手のイメージを覆し、
エキゾチックな色彩を振りまいている。

57年8月、ミュンヘンでの録音で、
ウェルバが伴奏をしていて、
有名なオーケストラ伴奏の「民謡と子守歌」という、
アルバムとは別のものである。

Track28の「Gsatzli」(小唄)は、
恋人を探しに出かける明るく楽しい歌。

Track29の「米の収穫」は、
ヴォカリーズで歌われる悲痛なもの。
どこの歌だろう。米はヨーロッパで取れるのだろうか。
シュトライヒらしい伸びやかな声を堪能できる。

Track30の「月の光で」は、
「月の光で、ピエロがペンを貸してくれたよ」という、
童謡風の軽妙なもの。
Track31の「ラウターバッハ」にては、
「ラウターバッハで、ストッキングをなくしちゃった」、
という楽しく怪しいものだが、
後半で、伸びやかなコロラトゥーラ表現が聴かれる。

「モーツァルトこそ、オペラ、コンサート、歌曲ゆえに、
彼女の最高のものであった。
この作曲家の大部分の歌曲は、
高い女声のために書かれており、
新鮮なメロディーを持ち、
ウィットに富み、簡潔で、歌い手にも心地よく、
ロココと古典の間のスタイルの、
小さな芝居の1シーンのようである。
これらの作品の気まぐれな部分の
誘惑に抗するのは簡単ではないが、
リタ・シュトライヒはそれをした。
1785年6月8日に書かれた、
モーツァルトの歌曲で、
おそらくもっとも有名な『すみれ』は、
寓話である一方で、
いくつかのオペラ風のパッセージを有する、
他方でバラード風の歌物語の1シーンでもある。
冷たく扱いすぎる事で、
誇張を避けるのは簡単であるが、
リタ・シュトライヒは、バランスよく、
スミレが何を意味するかを明らかにする。」

この一文の詳細は不明。
ゲーテが書いた歌詞を改めて見て見よう。
「一本のすみれが牧場に咲いていた、
ひっそりとうずくまり、人に知られずに。
それは本当にかわいいすみれだった。」
と始まり、そこに、若い羊飼いの少女が現れる。
「ああ、ほんのちょっとの間だけでも、
あの少女に摘みとられて、
胸におしあてられて、やがてしぼむ」
という希望を述べるが、
少女は気づかずに踏みつけて行ってしまう。
「すみれはつぶれ、息絶えたが、それでも嬉しがっていた」
という終わり方。
マゾヒズムである。

シュトライヒの歌は、オペラ歌手とは思えぬほど、
感情を抑制したもので、
確かに大仰な表現は全くない。

民謡のように分かりやすいメロディーだが、
「ああ、それなのに、少女はやってきたが、
そのすみれには眼もくれないで、
あわれなすみれを踏みつぶしてしまった」
という一節になると、
ほとんど素人では歌えないような、
レチタティーボ風の表現となる。

そんな場面でも、シュトライヒの歌は、
非常に抑制され、緊張感が高まっている。

「彼女にとって、フランス語は怖れるものではなかった。
(ロシア語も。)
おそらく1777年から78年に、マンハイムで、
アウグステ・ヴェンドリングのために書かれた
モーツァルトのフランス語のアリエッタ、
K.307とK.308は、
声楽に、生き生きとしたピアノの補助がある通作歌曲である。」

これらは、「鳥よ、年ごとに」、「寂しい森の中で」
と題されたもので、
前者は、鳥が、冬には木立からいなくなってしまうのは、
一年中、絶え間なく愛の営みを続けたいから、
別の場所を探すのだ、という趣旨。
後者は、うっかり森の中で、
昔の女の面影を残すキューピッドに出会ってしまった、
というもの。あまり釈然としない。
冬にも鳥はいるし、森にキューピッドが寝ている、
などというシチュエーションが滑稽である。

しかし、確かにフランス語特有の美感があり、
さすが国際人モーツァルトである。
伴奏はウェルバで56年の録音。
シュターダーの歌声は、いたずらに声を張り上げず、
好感が持てる。

「印象派を先取りした魅惑が、
ワトーを回想するような、
憂愁を秘めた陽気なテキストから
導かれている。」

確かに、内容はシンプルであるが、
雰囲気はパリの灰色の空を思わせる。
特に前者、中間部の、「花の季節にしか、
愛の営みを許さないからなのだ」という部分は、
妙にメランコリックな表情である。
後者は、特にピアノ伴奏が雄弁かつ洒落ていて、
冒頭から、繊細な詩情を漲らせている。
これはすごい。

「これらは、1789年のイタリア語アリア、
『歓びに弾む』K.579とコントラストをなしている。
これらについて、モーツァルトは、この小さなアリアを、
『フェラレッシのために書いた』と書いたが、
これは、1789年、ヴィーン初演時に、
『フィガロの結婚』のスザンナ役に追加されたもの。」

この曲は、いかにもモーツァルトといった、
オルゴールのようなピアノ伴奏が愛らしく、
シュトライヒも水を得た魚のように、
のびのびと歌っている。

「リタ・シュトライヒは、モーツァルトの、
コンサート・ホールのために書いた曲や
オペラの挿入曲を、熱意と高貴さを持って復活させた。
ここでは、ピアノ伴奏のものを一例とした。」

これは、何のことか分からないが、
このフィガロへの挿入曲が、珍しいもので、
オペラ用でありながら、ピアノ伴奏で復活させた、
と言いたいのであろう。

ここで歌われているモーツァルト歌曲は、
「クローエに」K.524
「小さな糸つむぎ娘」K.531
「別離の歌」K.519
「すみれ」K.476
「魔法使い」K.472
「春への憧れ」K.596
「歓びにはずむ」K.579
「鳥よ、年ごとに」K.307
「寂しい森の中で」K.308
「子供の遊び」K.598
「孤独に寄す」K.391
「内緒ごと」K.518
「警告」K.433
の13曲である。

K.500番台前半のものは、
1787年頃に、集中的に書かれたドイツ語のもの。

「歓びにはずむ」以外のK.500番台後半のものは、
最後の年、1791年のものである。

「すみれ」と同様に、K.472は1785年作。
K.433は、よく分からない。
歌詞を見ると、1783?となっている。
300番台は307、308がフランス語で、
391は、1781年作、ヴィーン時代初期のドイツ語歌曲。

モーツァルトは、歌曲を集中的に書く傾向にあったのだろうか。

さて、ここから、シューベルト歌曲に関する解説となる。

「すべての歌曲の歌い手はシューベルトの歌曲を、
どのように解釈するかを聴かせなければならない。
冷静な自己認識によって、
リタ・シュトライヒは、
叙情的なコロラトゥーラの声に、
ものを言わせるような、
例えば、『糸を紡ぐグレートヒェン』のような歌曲や、
あまりにも緊張感漲る『若い尼』のような歌曲
を選択しなかった。
彼女は、波の戯れの『水の上で歌える』や『月に寄す』、
田園地方の春の歓びへの賛歌『緑の中での歌』など、
自然の世界を感じさせる歌曲を好んだ。
エーリッヒ・クライバーとの
『魔弾の射手』におけるエンヒェンのように、
ここで、彼女は、元気よく、心の温かい、
ドイツのお転婆娘を演じることも出来たであろう。
自然の詩はまた、この野心的なソプラノのレパートリーの、
熟達を伝えるものである。
シューベルトが最後の年、1828年に書いた、
『岩の上の羊飼い』では、
シュトライヒは、
ベルリンのクラリネット奏者、
ハインリヒ・ゴイザーと共演している。
彼女は、後期の『ミニヨンの歌』では、
深い詩的内容の内容に迫りながら、
シューベルトの初期のゲーテ歌曲の一つ、
有節歌曲『野薔薇』は、
まさに民謡のように扱った。
『恋人の近く』の繊細な表現もさることながら、
彼女がもっとも好み、
もっとも光沢を与えたのは、『至福』である。
最初の一行で、『数え切れない歓び』と、
幸福感が宣言されているように、
ヘルティの詩句を正確に反映して、
各節のムードを繊細に変化させている。
『至福』は、プログラムの中でも、
アンコールでも、彼女のリサイタルで、
よく取り上げられた。」

リタ・シュトライヒのこのCDで、
モーツァルトの後で、
最初に登場するシューベルト歌曲が、
非常に素直で好感の持てる歌唱による、
「ます」であるのは、喜ばしいことだ。
その美声にものを言わせるような所が微塵もなく、
まず、それで驚いてしまった。
まるで、語りかけるような自然さや、
最小限の表情の変化で、
音楽そのものに語らせるような姿勢に好感を持った。

「水の上にて歌える」では、ウェルバのピアノが、
少々、危なっかしいが、
これまた、ソプラノのぎらぎら感がないのが良い。

先の「至福」は3曲目に現れる。
これも、ことさらに高音の美声を響かせることなく、
丁寧な歌唱。
以上3曲が1957年8月ミュンヘンでの録音らしい。
(ここで2ヶ月後、シュターダーもシューベルトを録音する。)

丁寧と言えば、「野薔薇」D257もそうで、
ゆっくりとしたテンポで、
噛んで含めるように、
慈しむような子守歌になっている。
ウェルバのピアノが、これまた木訥である。
なお、この曲はCD2の冒頭に収められている。

CD2の2曲目は、「クラウディーネのアリエッタ」D239-6。
オペラからの一曲ながら、派手さのない表現。

CD2の最初の5曲は、こんな風にゲーテの詩によるものが続く。
3曲目は、「ミニヨンの歌Ⅱ」D877-3。
この曲は中間部で、絶叫に近くなる表現も可能ながら、
シュトライヒは、そうした劇的効果を狙っておらず、
ミニヨンの性格に相応しい、暗い悲痛さを前面に出して胸を打つ。

4曲は、「繊細な表現」と評された、
「恋人の近く」D162で、
青空に消えて行くような憧れが、
素晴らしい弱音の表情で迫る。
絶唱と言える。

5曲目は、「千変万化の恋する男」D558。
民謡風の楽しい歌で、
肩の力を抜いた、楽しい歌である。

6曲目に、大曲、「岩の上の羊飼い」D965が来る。
ゴイザーのクラリネットは明るく軽めであるが、
なんかかそけき風情があって悪くない。
59年の録音であるが、
ゴイザーのクラリネットも、ウェルバのピアノも、
伸びやかでありながら、陰影に富み、
真摯なシュトライヒの声も、
しっかりと美しく響く。

何故、希望に満ちた出立を前にして、
こんなにも心を込めて歌われると、
何か切なくなってしまうではないか。
後半の、決然とした部分も、ヒステリックにならずに、
説得力を持って歌いきっている。

シュトライヒがこの曲をベルリンで録音した前年に、
同様に澄んだ歌声で聴かせたマリア・シュターダーは、
ミュンヘンでガルのクラリネットで録音している。
ピアノはエンゲルで、これまた至純なものであったが、
今回のものは、これに比べると、
シューベルトの声に、
耳を澄ませるというような風情があると思う。

7曲目にヘルティの詩による「月に寄す」D193。
これも、この解説で最初に解説されただけあって、
張り詰めた詩情が、共感を持って歌い上げられる。
ウェルバのピアノも素晴らしく、深い味わいがある。
シュトライヒといえば、民謡を歌うお姉さん、
というイメージも9あったが、
素晴らしい没入を聴かせて、先入観が一掃された。

8曲目に、「鳥」D691。
これは、近年、注目のシュレーゲル歌曲であるが、
シュトライヒは少し無理して歌っている感じ。

9曲目に、「緑の中の歌」D917。
この曲も、かなり高い音を無理して出している感じがしなくもない。

これらは1959年4月、イエス・キリスト教会での録音とある。

カタログを見ると、シュトライヒは、
先のシュレーゲル歌曲から、「蝶」D633も録音していたようだ。
これらの他、D752の「夜咲きすみれ」や、
D.559、D.497なども今回のCDでは省かれている。

さて、シューベルトと並ぶ、ドイツ歌曲の雄、
シューマンの歌曲もCD2に6曲収められている。
1961年4月、ヴィーンでの録音で、
ヴァイゼンボルンのピアノである。

「シューマンは女声のためよりも、
男声のために多く歌曲を書いた。
それにもかかわらず、
リタ・シュトライヒは、
『歌の年』1840年の歌曲、
アイヒェンドルフ歌曲集『リーダークライス』から、
『夢の光景』のような『くるみの木』、
常緑の『蓮の花』や、謎の『間奏曲』や『静けさ』など、
彼女の表現に合わせて多くの歌曲を見つけている。
弱音で無限の色彩が求められるこれらの歌曲は、
女性的な音色と完成された技術で、
静かな音楽の線を形作っている。
春の歌、『松雪草』(1849)や、
楽しい、シューベルト風の『ことづて』では、
彼女の芸術性の別の側面が見られる。」

CD2のTrack10、「くるみの木」作品25の3。
歌曲集「ミルテ」の1曲である。
シューマンらしい夢幻的なピアノに、
シュトライヒの声は、しっくりとなじんで、
落ち着いた表現が好ましい。

CD2のTrack11、「静けさ」作品39の4。
アイヒェンドルフの詩による、
「リーダークライス」の中でも、地味な曲である。
この胸の高鳴りは誰もしらない、という内容。
「出来ることなら鳥になって」という部分でも、
シュトライヒは、繊細な表情付けで押えている。
意外なことに、アメリンクなどの方が、
演劇的なわざとらしさを感じてしまう。

CD2のTrack12、「松雪草」作品79の27。
「子供のための歌のアルバム」の1曲。
早春のささやかな印を見つけた時のささやかな心情。

CD2のTrack13、「はすの花」作品25の7。
「ミルテ」の1曲。
月の光を待つ花の歌。
彼女の芸術性の別の一面、と言われても、
途方に暮れるが、
コロラトゥーラ・ソプラノの威力を発揮するものではなく、
確かに、繊細な声の色調の変化だけで聴かせようとするもの。

CD2のTrack14、「間奏曲」作品39の2。
リーダークライスの1曲、
恐ろしく理想化された女性像。
結婚詐欺が徘徊する現代では絶滅してしまった感情を、
ここでは、胸の底からこみ上げるように表現して、
静けさの中に胸を突く。

CD2のTrack15、「ことづて」作品77の5。
この曲は、おしまいに置かれたためか、
駆け抜けて行くようなピアノ伴奏に、
「待って下さい、言付けがあるの」と、
心の高鳴りを重ねていく。

これらのシュトライヒの歌は、
かつて、「ドイツ歌曲の夕べ」というLPとして、
ブラームスやシュトラウスの歌曲と組み合わせられていた。
シューマンはその中の全曲である。

有名なモーツァルトのみならず、
シューベルトもシューマンも、そしてヴォルフなども美しかったが、
字数オーバーしたので、今回は、このあたりにしておく。

後半、歌い手のシュトライヒよりも、
各作曲家の特色に重点を置いた感のある解説だが、
ドイツ歌曲の流れを押えたような感じがあり、
まさに圧巻である。

この可憐なソプラノが、一方で、こうした、
小さな百科全書的な活躍をしていたとは、
うかつながら知らずにいた。

シュターダーがメンデルスゾーンの歌曲を録音していたが、
このあたりは歌い分けでもしていたのだろうか。

得られた事:「リタ・シュトライヒのリート。美しい声だけでなく、共感を持って、しかも抑制された、素晴らしいバランス。」
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by franz310 | 2009-11-29 12:39 | シューベルト
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