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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その200

b0083728_0415569.jpg個人的経験:
前回、マリア・シュターダーという、
往年の名ソプラノの歌唱を聴いた。
彼女は宗教曲を得意とし、
華やかな舞台を前提とした
オペラからは遠ざかって、
歌だけが勝負のコンサート・ホールを、
芸術上の我が家としたという。
しかし、パウムガルトナーの薫陶や、
フリッチャイとの協業もあり、
モーツァルトは例外としていたようだ。


従って、「マリア・シュターダー モーツァルト」という
アルバムもあって、ここでは、彼女が歌った、
多くのオペラアリアを聴くことが出来る。
当然ながらというべきか、共演は上記パウムガルトナーの指揮、
ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカである。

また、このアルバムに、
フィッシャー=ディースカウなども参加していた、
61年のドイツ語版の「フィガロの結婚」(抜粋)から、
彼女が伯爵夫人役を歌った部分(ライトナー/ベルリン・フィル)や、
54年、フリッチャイ指揮の「後宮からの誘拐」から2曲が、
併録されている。
これは、前回のアルバムでも収録されていた。

このCD、廉価盤のようで、
歌詞などもついておらず、
見開きのドイツ語解説しかないドイツ盤であるが、
何ともしゃれたジャケットのデザインで、
ついつい購入してしまった。
汚れを知らぬシュターダーの声に相応しく、
彼女の表情も味わい深い。

それにしても、
シュターダーの顔を三つ並べ、
色を変えるという発想、
どこから来たのだろうか。
Coverfoto:Zachariasとあるが。

さて、このパウムガルトナーとの共演盤、
62年4月のものとあり、ステレオ録音で、
彼女のムラのない、均質で透明な声を聴くには、
録音は良いが、年齢的には陰りがある、
という位置づけである。

前回読んだ知識では、この年まで、
彼女はザルツブルク音楽祭の常連だったように書かれていたから、
逆に言うと、このあたりが潮時だったのかもしれない。

未開拓だった、
モーツァルトのコンサート・アリアの研究と普及を進めたのが、
他ならぬパウムガルトナーだったとあったが、
ここでも、オペラからのアリアに挟まれて、
真ん中に4曲のコンサート・アリアが収められている。

また、オペラからのアリアも、
有名なものではなく、初期の「牧人の王」と、
中期の「イドメネオ」からのアリアだというのも、
いかにも、パウムガルトナーの仕事、
という感じがする。

そもそもコンサート・アリアという曲種そのものが、
モーツァルトの時代以降、衰退してしまったので、
我々にはあまりなじみがない。

オーケストラ伴奏歌曲集なら、
ロマン派以降、大きな流れが見られるが、
こうした一般の歌曲の伴奏が
管弦楽になったようなものではなく、
何かの劇の一場面の登場人物の繰り言が、
声高に繰り広げられるという内容なので、
その劇なり登場人物の位置づけなりが理解できないと、
完全な鑑賞が困難なので、
バックグラウンドをよく把握する手間がかかってしまう。

とにかく、このコンサート・アリア、順次、聴いて見よう。

Track4.「わからないわ、あの人の悩みは」K.582
これはいきなり、困った背景の音楽である。
マルティン・イ・ソレールという作曲家の、
「善良な気むずかし屋」というオペラが、
ヴィーンで演奏された時に、
添え物として書かれた2曲の1曲らしい。

「わからないわ、どうしたの、
あの人の悩みって、
怒っているの、妬いてるの、怖いの、
疑っているの、恋してるの
ああ、私の清い愛の心を、
ご存じのあなた、この胸のもやもやを
追い払って下さい。」

何だか、最近流行りのツイッターみたいな、
つぶやき内容であるが、
単に、もんもんとした悩みが歌われればよろしい、
という歌ともとれる。

この曲は、ルイーズ・ヴィルヌーヴのために書かれたとあるが、
蛇足ながら、たいへんな美人だったようである。

1789年、晩年期の作品であるせいか、
各楽器の出入りも精妙である。
3分の小品にすぎないが、
後奏での圧倒的な迫力はすばらしい。

前言撤回になりそうだが、シュターダーの歌も、
彼女の純度の高い声の美質が十分に味わえ、
年齢の影響を感じさせない出来映えになっている。

Track5.「私の感謝をお受けください」K.383
これは、アロイジアのためのもので、
彼女との失恋を味わいながら、
コンスタンツェと結婚する4ヶ月前、1782年に書かれている。

しかし、いかなる機会のものかは分からないらしい。

こんな感じの作者不詳の詩が歌われているという。
「信じてください、私は命ある限り、
ご恩を決して忘れません。
遠い昔から、放浪の旅は
ミューズと芸術家の定めでした。
他の方と同じように、
この父の地を去るのが
私に与えられた定めです。
どこへ行こうとも、いつでも、
そしていつまでも
いつまでも私の心はあなたのおそばです。」

ピッチカート伴奏の上を、オーボエとフルートが彩り、
メロディも愛らしく、声を交えた協奏交響曲の趣すらある。
パウムガルトナーの指揮がまた、
こうした魅力的な要素を、
せいいっぱいに引き出したものとなっている。
歌手を七色の雲で包み込んでいるように聞こえる。

この4分弱のアリアは大変有名なもので、
多くの歌手が録音している。

この立ち去って行く内容と、
感謝の気持ちによってか、
アルバムの最後に置かれることが多いようだ。
シューベルトの「楽に寄す」のようなものか。

シュターダーの歌は、真摯でこびがなく、
祈りに近い歌となっている。
これは、名演、名唱として記憶すべきものであろう。

おそらく、アロイジアはこうは歌わなかったと思われる。

Track6.「あなたの心は今は私に」K.217。
これは、他人のオペラへの挿入曲である。
1775年、ガルッピのオペラ「ドリーナの結婚」が、
ザルツブルクで演奏された時にモーツァルトが書いたもの。

ただし、上演の記録も歌い手も定かではないという。

小間使いのドリーナが、恋人を試す歌、
あるいは言い寄る男をあしらう歌だという。
「恋人としては忠実な心をお持ちですが、
いったん夫と決まったなら、
忠節をお守りになれるかしら?」という内容。

この曲は6分と、これまでのアリアの中では長め。
切々とした、分厚い弦楽の助奏は、
やがて、胸の高鳴りを思わせるリズムを刻み、
ホルンやオーボエが印象的な音を響かせると、
軽やかにソプラノが技巧的なパッセージを繰り広げ始める。

小娘の役柄に相応しい、
明るく危なげのない声を響かせ、
ステレオ期シュターダー限界説を、
取下げなければならない出来映えである。

Track7.「あなたに明かしたい、おお神よ」K.418。
これも他人のオペラへの割り込み曲。
1783年のヴィーン、アンフォッシのオペラが演奏された折。

オーボエが常にやるせない音色を響かせ、
ピッチカートの伴奏も胸の高鳴りを刺激する。

実は、これは、アロイジアのための曲でもある。
「私の心は燃えるわけにはいきません」
「あなたの愛するエミリア様がお待ちです」
と、許されぬ恋心を歌ったもので、
いかにも、モーツァルトでなくとも、
未練のある恋人のために、
書きたくなるような感じがしないでもない。

ため息のような表現も含め、
非常に高い声を要求されるが、
シュターダーはちゃんとこなしている。
ただ、身もだえするような表現が欲しいところだ。

さて、このCDには、先に書いた、
ドイツ語版「フィガロの結婚」(61年録音)から、
3曲が収録されているが、伯爵夫人のシュターダーに対し、
スザンナ役で、1曲だけ、二重唱に参加しているのが、
リタ・シュトライヒである。

ここでも、シュターダーの声の、
高貴な汚れのない、いわば機械的とすら言われた声が、
もっと人間的な色気を感じさせるシュトライヒの声と対比され、
伯爵夫人の年齢を超越している。

b0083728_0422671.jpgシュターダーはこの共演の1年後に、
モーツァルトのアリア集を録音したが、
リタ・シュトライヒは、この1年前に、
よく似た、モーツァルトのアリア集を、
同じグラモフォンに録音している。
これはドキュメンテ・シリーズで、
CD化されていて、
何曲かを聴き比べることが出来る。
このコンサート・アリアは、
マッケラス指揮のものであるが、
パウムガルトナー指揮のものも併録。


このパウムガルトナー指揮で、
リタ・シュトライヒは、初期のオペラ、
「牧人の王」K.208から、
羊飼いをしていながら、アレクサンドロス大王に、
王位継承者に抜擢される青年、アミンタのアリア、
「Aer tranquillo」を歌っている。

実は、これこそは、シュターダーのCDで、
冒頭を飾っているものである。

つまり、パウムガルトナーは、
1961年には、リタ・シュトライヒのソプラノで、
1962年には、マリア・シュターダーのソプラノで、
もともと男声高音用のこの曲を、
続けて録音しているということだ。
よほど、この曲が好きだったのだろう。

「穏やかな空気と静けさが、
清らかな泉と緑の牧場が、
羊の群れと羊飼いの喜びだ」
と歌われるもの。

雄大な楽想の助奏に続き、
力強い歌声が青空に響き渡るが、
導入部でシュターダーは、少し、苦しげである。

(このオペラから、シュターダーは、
アミンタの恋人であるエリーザのアリアも2曲歌っているが、
こちらも、シュターダーは苦しそうに聞こえる。)

驚いた事に、シュトライヒの盤では、
同じ、パウムガルトナーの指揮、
同じカメラータ・アカデミカの演奏であるにもかかわらず、
少し、ゆっくりめのテンポで、
きらきらと響く、チェンバロの音が目立つ。

シュトライヒの声は、
シュターダーのようなクリスタルなものではなく、
陰影が豊かで、弦楽器のように声帯の震えに、
魅力的な息遣いを感じさせる。
歌もまた、突き抜けるようなものではなく、
民謡を無理なく口ずさむ感じに近い。

しかも、終わり近くのかなり装飾的なカデンツァを、
かなり華やかに聴かせている。
パウムガルトナーも、ひんぱんにテンポを変えて、
このような芸風に柔軟に対応している。

ただし、このシュトライヒのCDの表紙は、
愛らしいこのソプラノの、
魅惑的な表情を捉えたものとは言い難く、
何だか、別人にも見える。

では、このシュトライヒの解説には、
どのような事が書かれているであろうか。
Rita Fisher-Wildhagenという人が解説を書いている。

「歌手の完成度について、モーツァルトは、
非常に興味を持っていたようで、
何度もそうしたことを語っているが、
特に、三つの点が語られており、
趣味、技法、表現について、彼は詳細に見ている。
確実で無理のないテクニックが必要不可欠であるばかりか、
作品が求める表現の幅もまた、これまた基本であった。
これらの基本は、また、
今日のモーツァルト歌手にも求められるものだ。
リタ・シュトライヒは20世紀において、
この理想の伝統を守っている歌手の一人であった。
1920年、ノヴォシビリスク近郊のBarnaulに生まれ、
ベルリンにて、当時の指導的な歌手、
ヴィリ・ドングラーフ・ファスベンダー、
マリア・イヴォーギュン、エルナ・ベルガーに学んだ。
デビューで、『ナクソスのアリアドネ』の
ツェルビネッタ役を歌って、
現チェコのAussigにて、まず、その能力を試された。
彼女の広いレパートリーにおいて、シュトラウスは、
モーツァルトと並んで、もう一つの彼女の重心であった。
彼女は1946年、ベルリンに戻ると、
オリンピアやブロンデの役で、最初の特記すべき成功を収めた。
他に、ツェルリーナ、ジルダ、ゾフィーなどを得意とした。
ベルリン州立オペラとの2年の契約において、
ツェルビネッタ、夜の女王やコンスタンツェを歌ったが、
1953年には、ヴィーン国立歌劇場に移り、
1972年のステージ・キャリアの最後まで、そこに留まった。
1950年代、様々な欧州の音楽祭で輝かしい歌唱で、
国際的名声を得た。
Woodbirdの役で1952年と53年にはバイロイトで活躍、
ミュンヘン・オペラではレギュラー・ゲストであった。
1954年には、
スザンナとツェルリーナでロンドンにデビュー、
エンヒェン、ナイアドで、ザルツブルク音楽祭出演、
ゾフィー役でローマ歌劇場にも出演した。
3年後にはサンフランシスコを皮切りに、
ツェルビネッタの役で北米の各歌劇場に進出した。
同じ役柄で、1958年、
グラインドボーンでもデビューを飾り、
ミラノ、エクス・ヴァン・プロヴァンス、
ニューヨーク、シカゴが、この時期の、
彼女の勝利に満ちた活躍の場となった。
こうしたオペラ・ハウスにおけるのと同様に、
彼女は早い時期から録音スタジオでも賞賛されていた。
レコーディング技術は確実に発達して、
遂にはオペラの重要部を捉えることが可能となり、
歌手にとって魅惑的な分野になった。
1952年、エルザ・シラーは、ドイツ・グラモフォンの
プロダクト部長になるや、
この若いコロラトゥーラ・ソプラノと契約を結んだ。
1960年代の到来と共に、リタ・シュトライヒは、
芸術歌曲やその他のコンサート作品にも惹かれるようになり、
よく訓練され、開発された声、超絶技巧、
広く変化に富んだ表現力によって賞賛され、
聴衆は30年にわたる彼女のキャリアにわたって、
賞賛を続けた。
録音技術は、
当時の聴衆が経験した楽しいひとときを、
今日に蘇らせることを可能にした。
1974年、リタ・シュトライヒは、
エッセンで歌唱の講座を受け持ち、
1976年にはヴィーンに移って、
教育活動を続け、その経験から得た果実で、
後進を育成した。
彼女はオーストリアの首都にて、
1987年3月20日に死去した。」

この解説は、彼女の履歴や、
人気を伝えるものであっても、
歌唱の魅力に関しては具体性を欠いたもので、
少々、物足りないものがある。

しかし、モーツァルトのアリアに関する解説が続いている。
「この録音における、
オペラのアリア、そしてコンサート・アリアは、
完全に苦もなく華麗な歌唱を聴かせることを要求するもので、
彼が選んだものであれ、そうでないものであれ、
そのテキストは、
モーツァルトが曲を付けるに値すると見たもので、
さらにそれと同等に、
歌手たちのそれぞれの強みを、
生かそうとしたものである。
これらは誰の為に書かれたのか。
1782年、ヴィーン初演の『後宮からの誘拐』のブロンデ役は、
テレーズ・テイバーのために書かれたものであり、
K.583のアリアは、1789年に、
ソレールのオペラ・ブッファの挿入曲として、
ルイーズ・ヴィルヌーヴのために書かれた。
1791年、モーツァルトの義妹、
ヨゼファ・ホーファーが『夜の女王のアリア』を歌って、
ヴィーンのアウフ・デア・ヴィーデンで初演された時、
『魔笛』はたいした成功にならなかった。
これらの作品で、最も初期のものは、
『牧人の王』のアミンタのアリアで、
1775年、ミュンヘンからザルツブルクに呼ばれた、
カストラートのトマゾ・コンソーリのために書かれた。
3年後のマンハイムでのコンサートで、
この華麗なるナンバーは、
アロイジア・ウェーバーによって歌われた。」

シュターダーが苦しそうなのは、
もともと、カストラート用のアリアだからだろうか。

「彼女は16歳で、モーツァルトは、
彼女に夢中になった。
しかし、彼女が結婚相手に選んだのは、
彼女の妹コンスタンツェとすることになる
モーツァルトではなく、
役者で画家のヨーゼフ・ランゲだった。
1788年までの10年にわたって、
彼はアロイジアに技巧を要する作品を、
アロイジアのために書き続けた。
アリアやシェーナ、
K.316、383、416、
418、419、538において、
リタ・シュトライヒは、
モーツァルトを魅了し、
彼女の同時代者を興奮させた音域の、
ある歌手の足跡をたどっている。」

このように、リタ・シュトライヒは、
モーツァルトの意中の人のような役回りを、
このアルバムにおいて演じているわけである。

しかし、長らく私は、シュトライヒは、
このような凝った選曲をする人ではないと思っていた。
民謡なども得意としているので、
何となく、自分に合った曲だけを歌っているのかと思っていた。

このような選曲で、
「アロイジアのためのコンサート・アリア集」などと書けば、
ものすごく、彼女の見方も変わって来そうである。
あるいは、この表紙デザインも、
そうした彼女の別の面に光をあてたものだろうか。

ただ、このCDでは、サービスがあって、
前半は、「後宮からの誘拐」からの2曲、
「魔笛」からの2曲がフリッチャイの指揮で収められ、
みんなが喜ぶ工夫もされている。

また、先のパウムガルトナー指揮で、例のアミンタのアリアと、
K.294のコンサート・アリアが収められ、この1曲と、
最後の7曲が、「アロイジアのためのアリア集」となっている。

なお、最後の7曲では、バイエルン放送交響楽団が共演している。
指揮はマッケラスである。
1960年から現在に至るまで、マッケラスの指揮歴は長い。

さて、この中から、
先のシュターダーのCDと重なっているのは、
「楽に寄す」に似た、K.383と、
やるせなく、悶々とした、K.418である。
いずれも聴き比べが楽しみな力作である。

シュターダーは51歳、シュトライヒは40歳で、
かなり、肉体的ハンディがありそうである。
シュターダーはしかし、後の録音なので、
シュトライヒの出方を知っての、
後出しじゃんけんになっている可能性がある。

まず、K.383は、この曲の内容からしてか、
シュトライヒは、アルバムの最後に置いている。
甘い声で、女性的な、
たおやかなたたずまいを感じさせる歌になっている。
非常に親密な感じで、心がこもった歌になっている。
宗教曲を得意としたシュターダーは、
どうしても祈りのような表現になるが、
シュトライヒは、歌のお姉さん的に親しみやすい。

K.418は、オーボエの音色も胸に染みるあの曲だが、
人間的な弱さ、脆さは、シュターダーには似合わない。
こっちは、やはり、感情表現が多彩な、
シュトライヒに分配があがるのではなかろうか。
聴く前から、決めつけてしまったように、
シュトライヒの歌唱は、大きなヴィブラートを伴って、
切々と訴えかけて来るものがある。

が、多少、演劇的すぎるかもしれない。
ため息のようなパッセージも、一息一息に、
苦しい胸のうちが吐露されて胸が熱くなる。

シュターダーは、それを知っての上で、
翌年、同じ曲にチャレンジしたのかもしれない。
もっと、硬質な、天上に向かう高貴な歌として捉え直し、
明らかに異なる世界を形成している。

このような先入観を持って、各曲をざっと概観してみよう。
パウムガルトナー指揮による、もう1曲、
Track6.「私は知らない、どこから来るのか」K294。
アロイジアのために作曲した最初の作品とされる。
8分半を超す大曲で、様々な技巧をちりばめた作品。

自分を殺そうとした犯人を捕まえた王様が、
得体の知れない感情を吐露するもので、
それは、実は自分の子供であるという筋が根底にあるらしい。

シュトライヒの特徴とされる、
幅広い感情表現がここでも、
様々な色調の声をしなやかに輝かせている。
途中、悲痛な表情も垣間見せ、
逡巡する感情の振幅が伝わる大作の熱演である。

以下、マッケラスの指揮による。
Track7.「ああ、恵み深い星よ」K.538。
1788年の作、アロイジアのために書いた最後の曲である。
「私を殺すか、私の恋人をこのまま私にくださるか」
と、恋人との別れを予感して嘆く歌が、
アロイジアのための最後の曲になったとは。
しかも、かなり大きな曲で8分弱を要する。

何と意味深な。
舞台は中国だということだが、そんな事は、
音楽そのものからは感じられない。

恵み深い星、とあるだけあって、
後奏では、夜空に広がる、
星のまたたきを見わたすような素晴らしい音楽が鳴り響く。

この曲はグルベローヴァも歌っているが、
より生き生きとしたリズムで鳴り響く伴奏は、
このアーノンクールの指揮の方が雄弁だ。

この演奏と比べると、
シュトライヒの歌唱は、録音が古いせいか、
いささか、深みに不足するような感じ。

Track8.「私は行く、でもどこへ」K.583。
これは、先のK.582と同様、ソレールの歌劇への挿入曲。
この曲はセルが指揮したロンドン響をバックに、
1968年にシュヴァルツコップが歌った名盤があるが、
これは、晩年のモーツァルトの、
澄み切った境地を行くような表現であった。
シュトライヒより5歳年配なので、53歳の録音である。

それに比べると、シュトライヒは若々しい表現で、
声の音色も多彩で豊かではあるものの、
少々、騒々しく、その境地には到達していない感じ。
おそらく、アロイジアには、シュトライヒの方が近いのだろうが。

Track9.「テッサリアの民よ」K.316。
これは、11分を超える大作で、パリ旅行の帰りに完成されたもの。
そのせいか、管楽器の伴奏の多彩な音色が面白い。
グルベローヴァはアーノンクールとアリア集を出す前に、
グラモフォンにハーガーとこの曲を入れている。

この苦心作を一言で語るのは忍びないのでパス。

Track10.これはすでにふれたK.418。

Track11.「いえ、いえ、あなたには」K.419。
これは、前の曲と同じオペラの挿入曲。
前の曲で騙されかけたクロリンダが怒る内容のもの。
このような怒りの表現になると、
可愛らしい感じのシュトライヒには不利である。
何だか、これまた騒々しい感じ。

Track12.「ああ、分かってくれないだろうね」K.416。
1783年の作品。8分45秒の大きな作品。

妻を譲るか、殺すかの二者択一の悩みを歌うものらしい。
めちゃくちゃな設定ながら、音楽は神妙なもので、
こういった悩ましい感情の曲では、
シュトライヒは味わい深い表現を聴かせる。
が、ここで要求される高い音は、
さすがの往年のコロラトゥーラにも苦しそうである。

実は、これも、グルベローヴァの歌唱と比較できるが、
今回は時間切れでパスさせていただく。

Track13.これが最後のトラックで、K.383。

なお、このCDのトラック4の「夜の女王のアリア」は、
女王というにはスケールが小さいが、
とても魅惑的なものに仕上がって、
この名作を粋に楽しませてくれるものであった。

ただ、今回のコンサート・アリア集を聞くと、
シュトライヒには、シュターダーにはない、
感情表現の豊かさがあるが、
続けて聴くと、時としてわずらわしく、
反対に、シュターダーの歌唱の、
ずっと聴いていても飽きの来ない純粋さに思い至った。

得られた事:「シュターダーの硬質な表現、シュターダーの多彩な語り口、一長一短。」
「アロイジアの超絶技巧を垣間見ると、モーツァルトが惚れたのも肯ける。」
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by franz310 | 2009-11-15 01:01 | 古典
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