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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その191

b0083728_23483753.jpg個人的経験:
ピアノ三重奏団に、
ヴィオラとコントラバスを加えた、
編成に相当するということで、
ピアノ三重奏団が、
シューベルトの「ます」を
録音する場合があるが、
ミュンヘン・ピアノ三重奏団も、
同様の措置を伴って、
アルテ・ノヴァ・レーベルで、
CDを出している。


ちなみに、私は初めて聴く団体である。

「ミュンヘン・ピアノトリオ(ピアノ三重奏団)は、
同じような資質の、3人の音楽家から構成され、
全員が、その天性や楽器奏法の高い質によって、
様々な内外の賞や、勲功などの栄誉を得ている。
各人のテクニックの正確さが、
非常に生き生きとした表現を与え、
プレスからも評価されている。
これらの全ての要素が、
多くの契約や音楽祭への招待、
マスタークラスでの教授活動、ラジオ、テレビのための録音、
CDの作成など、彼らの成功の理由となっている。」
とあるが、具体的なことは何もない。

「ミュンヘン・ピアノトリオは、」という所を変えれば、
どの団体にも応用できそうな話である。
そもそも、この3人の具体的経歴が分からないという点が、
大いに不満である。

ヴァイオリンは、アドリアン・ラザール、
チェロは、ゲルハルト・ツァンク、
ピアノは、ヘルマン・レッヘラーとある。

ミュンヘンと言えば、ケンペのミュンヘン・フィル、
クーベリックのバイエルン放送響といった、
私の学生時代を美しく彩った音楽家たちの街である。

いかにも音楽が盛んな印象で、
ラジオやテレビでも活躍というのは、
バイエルン放送響設立の経緯からしても、
妙に納得できる。
そうした活動も、盛んな街なのだろう。

これらのメンバーの師匠の名前が、
バイエルンのコンサート・マスター、
ケッケルトだったりしないかなあ、
などと空想してしまう。
この室内楽の名手の系譜なら聴いて見たい。

あるいは、ミュンヘン・バッハ管弦楽団の、
ビュヒナーといった名前も思い浮かぶではないか。
この人もまた、ミュンヘン弦楽四重奏団を率いていた。

フランスの名クラリネット奏者、ランスロが録音した、
ブラームスのクラリネット五重奏曲は、
この団体が伴奏していた。

そんな勝手な先入観で聴くと、
このヴァイオリンは、いくぶんくすんでいながら、力強い。

例えば、併録されている
D487の「アダージョとロンド」なども、
弦楽部が本来そうであったと言われている、
オーケストラのように響いている。
それで、またまた、そんな妄想が広がってしまう。

ちなみに、共演した二人の方が、親切な扱いを受けており、
ヴィオラは、Tilo Widenmeyerで、
1966年のハイルブロン生まれ。
Madeline Pragerとメロス四重奏団に学び、
バイエルン州立オーケストラのメンバーとある。

また、コントラバスは1964年、トロジンゲン生まれ、
彼は、MassmannとHermannに学んだとあるが、
誰だこりゃ。同じオケの奏者ということなので、
ピアノ三重奏の弦楽部も、同じ母体の人かもしれない。

いずれにせよ、トリオ・フォントネと同世代ながら、
少し若いのではないか。
ただ、おっさんになってからデビューしたら、
何となく若手の団体には見えないのが悲しいところだ。

ここでは、先のD487以外に、弦楽三重奏曲の断章、
D471(よく第1番と呼ばれるもの)が収録されており、
この曲などでも、三人の弦楽奏者の均質性に全く違和感がなく、
ミュンヘン弦楽三重奏団と呼んでもよさそうである。

さて、アルテ・ノヴァであるが、
香港のナクソスに対抗して作られた、
本場ドイツの廉価盤レーベルという感じである。

当初、様々な画期的な企画で登場したが、
社内の内紛もあったようで、私の中では、
現状がよく分かっていない会社になっている。

この録音は、1997年12月、
PullachのBurgerhausという所でなされている。
よく見ると、アルテ・ノヴァは、ミュンヘンの会社のようで、
かなりローカル性の強い活動をしているようだ。

録音年からして、
シューベルト生誕200年記念の企画と思われる。

カバーアートは、
DeggendorfのHermann Elerとあるが、
印象派と表現主義の中間のような感じで、
このCDのための新作なのだろうか。

日の出だか、夕日だか分からないが、
川面にオレンジ色の太陽が反射している。
空には、雲が広がっていて、青空は少し見えるだけである。

めでたい年の企画にしては、
あまりめでたい感じはしない。
地味すぎるほどに地味である。

私としては、この曲には、
もっと澄み切った空のイメージがある。

そもそも、この絵はモノクローム調で、
地味である以上に、あまり楽しくないが、
このCDのプロデューサーは、
こうしたイメージで、この録音を行ったのだろうか。

もっと言うと、シューベルトがこの作品を書いた、
上部オーストリアのイメージからすると、
この絵の川幅は広すぎないだろうか。
こんなところで勢いよく鱒が泳いだとしても、
よく見えないのではないかと思われる水量を感じさせる。

実は、この絵がそうだからかどうか分からないが、
この演奏も、トリオ・フォントネなどの演奏からすると、
少々、各奏者の均質性ゆえか、
その音色の暖かさゆえか、
あるいは録音の具合のせいかは分からないが、
特に、「アダージョとロンド」などは、
多少、ぼってりとしているような気がする。
(「ます」の印象は少し違う。)

では、解説を見てみよう。

「小規模のヴァイオリン・ソナタの一群を完成させた後、
フランツ・シューベルトは、今度は、1816年の夏、
弦楽三重奏に目を向けた。
このジャンルにおける彼の最初の試みは、
当初、三重奏として構想されたと考えられる、
『弦楽四重奏曲ロ長調D112』である。
一ヶ月後に現れたピアノ四重奏のための、
『アダージョとロンド』ヘ長調D487と同様、
弦楽三重奏曲D471は、
家庭での合奏用に作られたようだ。
残念ながらこの美しい作品は完成されることはなかった。
一見、苦労なくして生まれた音楽の楽しさの効果に関わらず、
この三重奏曲は、彼の本質とは異なる主題発展において、
特に明らかな作曲上の措置が特徴的に施されている。
展開部では、古典形式のように、
第1主題には焦点は合わせず、
むしろ提示部の最後の小節が音楽の本質的な推進力となり、
次のセクションにおいて、メロディーの自由な潤色を施していく。」

私は、何となくこの曲は、
家庭向けの気楽な作品として、
あまり重要視していなかったが、
このように書かれると、
ちょっと誤解していたと反省せざるを得ない。

確かにドイッチュ番号で、471番と言えば、
すでにシューベルトは、交響曲を4曲まで書いている。
何らかのチャレンジをして、
第1楽章までしか完成できなかったのかもしれない。

冒頭から歌い出される爽やかな美しいメロディーに、
続いて、いきなり動機風の音楽進行が介入する点が、
どうも消化が悪く、ぎくしゃくとした、
奇妙な曲だとは思っていたのだが、
ひょっとしたら、シューベルトは、
何か革新的なことを企んでいたのかもしれない。

演奏は、弦楽の音色が暖かさを持っているのが良い。
何となく、心が落ち着く響きである。

「『アダージョとロンド』は単なるロンドというよりも、
三部からなるアダージョの序奏を持つ、
熟達した書法の創造的な作品である。
1817年から1822年の間に、
シューベルトは、ちょっと前までは、
歌曲作曲に熱中していたのに、
特に、ピアノ曲にフォーカスしていた。
この6年の間に、彼は新しい方向に進み出し、
ピアノのみならず、大オーケストラにも興味の対象とした。
個人的な理由で、彼は父親の家を出て、
もはや家庭用音楽に参加することがなくなり、
作曲について見直す機会となった。」

面白い事に、この英文解説は、
「1817年から22年の間」という部分以降、
同じ事が繰り返されている。
しかも、単純な印刷ミスではなく、
それぞれ同じ事を違う英語表現で書き直されている。
「父の家」が、「両親の家」となっていたり、
どうやら下書きと修正版を混在させてしまった模様。
ドイツの会社なので、英語部分のチェックが、
十分には出来なかったのだろうか。

この「アダージョとロンド」についての解説は、
ほとんどないようなものだが、
この家庭での演奏から解放された、という着眼点は、
非常に面白かった。

彼ほどの力量で、一般的な音楽を弾いていたなら、
練習にそんなに時間をかけていたとは思えないが、
確かに、家庭音楽の発想からは解放されたかもしれない。

このCDの演奏は、かなり意欲的なもので、
曲に、何となく演奏を楽しむ人たち特有の推進力があり、
ついつい、聞き入ってしまう。

ピアノのタッチも美しく、ヴァイオリンの音色もたっぷりとして、
音色の上でも、非常に楽しめるものだ。
ちょっとオン気味で、録音に雰囲気が足りないような気もするが、
完全に音楽を手中に収めたような自信が漲っている。

「むしろ『ますの五重奏曲』として知られる、
ピアノ五重奏曲イ長調D667は、
シューベルトの最も知られた、
そして最も愛された室内楽の一つで、
この時代に書かれた純粋なピアノ曲以外の作品の、
数少ないものの一つである。
同名の歌曲に似て、愛らしい楽しさが吹出している。
この曲を委嘱した、
ジルヴェスター・パウムガルトナーの求めに応じ、
弦楽四重奏がヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスという、
通常とは異なる編成でシューベルトは書いている。
1819年の夏に作曲家が過ごした、
上部オーストリアに家があった、
パウムガルトナーはフンメルの作品74の七重奏
(実際はこの曲の五重奏曲版編曲による)
にインスパイアされた。
この曲のような、本来の不安定な編成ならではの障害を、
シューベルトは、むしろそのメリットとして、
コントラバスで低音を支え、
チェロをメロディー楽器として利用した。
この種の曲は通常4楽章形式であるが、
五番目の楽章として、主題と変奏を挿入した。
釣り人が、運命のメタファーのようなに、
謎の神格化をされている、
歌曲『ます』(D550)が、変奏曲の主題となっている。」

このように、Daniel Brandenburgという、
バッハの解説でも書きそうな人による解説は、
非常にシンプルなものであるが、
歌曲の愛らしい喜びの感覚が噴出している、
と書いてくれて、最も重要な点を押えている。

最後に、それこそ何が言いたいのか、
謎のような一節を追加してくれたのも、
何だか、非常に印象的である。

釣り人が謎の神格化(enigmatic apotheosis)
されているとは、初めて聴いた。

かといって、どんな聴き方をすればいいのだろうか。
そもそも、この釣り人は、娘をたぶらかす悪い男の象徴だったはず。
それが何時しか、運命にまでなっていたとは。
あるいは、歌曲の中や、この楽曲の中に、
「釣り人」の主題のようなものがあって、
それが活躍するとでも言うのだろうか。

この人の解説で、全楽章の分析を読んで見たいような気がする。

さて、このCDの「ます」を聴いて見よう。
表紙の絵画のような、鈍重なものでないことを、
ただ、祈るばかりである。

第1楽章の序奏も適切な長さで、
そこから立ち上がって来る主題までの、
各楽器のやり取りもはっきりと聴き取れる。
しかも、神経が行き通っていて、
曖昧さが感じられないのが良い。

ボーザール・トリオよりも各楽器の自発性があり、
音の分解能も高く、
トリオ・フォントネのように、
ヴァイオリンが美音に走ることもなく、
テンポが速すぎることもなく、
私にとっては、かなり好感度が高い。

トゥッティの前で、少し力をためるような、
あるいは息を合わせるような瞬間があるが、
これも、この種の音楽では、
何らか親密な語らいの象徴にも聞こえて微笑ましい。

展開部におけるナイーブな感性も良く、
ここで入って来るコントラバスも的確な音量。

私がよく気になるのが、
このコントラバス奏者の主体性のなさだが、
これも合格であろう。

また、ピアノ三重奏団主体では、
気にもしたくなる、ヴィオラ奏者の調和であるが、
これについては、弦楽三重奏でも没問題だったので、
この曲で問題があるわけがない。

欲を言えば、パウムガルトナーが弾いたチェロ・パートは、
もう少し朗々と弾いてもいいような気がする。

このように第1楽章には、ほとんど文句がない。
大手レーベルばかりが良い演奏を出しているのではなく、
大手レーベルは有名な人の演奏を出しているのだ、
という事を痛感した。

第2楽章では、朝靄の中にまどろみながら、
何か、不安と希望が交錯するような一瞬が聴ければ満足である。

この楽章のABCからなる前半のB。
ヴィオラとチェロの対話を聴くと、
二つの楽器が寄り添うように語らい、
いかにも青春の一こまという感じがする。

とはいえ、先の、チェロのせいか、
もう少し楽器の差異が出ればよかったか。
ひょっとすると、有名楽団ほどには、
良い楽器を使っていない可能性はある。

第3楽章は少しテンポが速く、
ちょっと忙しい感じであろうか。
もう少しゆとりがあった方が、
このパルスをきらめかせる楽章の、
幻想の余韻が味わえるだろう。

しかし、トリオは悪くない。
鈴を振るようなヴァイオリンとピアノも美しく、
チェロの響きも分離がよい。

第4楽章、弦楽だけの主題提示からして、
コントラバスが存在感を持って参加しているのが嬉しい。
しかも、しっとりとした感じも出ている。
ただし、楽器の限界なのか、変奏の興が乗って来るにつれ、
ヴァイオリンが少し、痩せた感じの音になるのは気のせいだろうか。
そう言えば、どの楽器も音色は暖かいのだが、
幾分、豊饒さがないという感じ。

第5楽章も、第3楽章と同様、
テンポが速過ぎるように感じる。
トリオ・フォントネが6分34秒、
ボーザール・トリオが6分37秒のところを、
6分7秒で進んで行く。
この興奮は青春の香り高いこの曲では重要であるが、
主題がぶっきらぼうなので、
それが強調されて聞こえるのは残念である。

ここでも気になるのは、チェロの歌が、
もう少し、心の底から響き渡って欲しいところだろうか。
ちょっと薄味な気がする。

このようなテンポの演奏であろうとも、
チェロあたりが、深い歌を朗々と聴かせてくれれば、
かなり印象が違って来るのではないだろうか。

ひょっとして、この楽団、張り切りすぎて、
脱線転覆した形かもしれない。
他の曲を聴く限り、十分に自分たちも楽しんで、
音を味わいながら慈しんでいるように聞こえていた。

ということで、この演奏、第2楽章あたりまでは、
久しぶりに満足した演奏であった。
第1楽章の演奏時間は、見ると13分12秒とあり、
トリオ・フォントネの12分43秒よりはたっぷり、
しかし、ボーザール・トリオの13分53秒よりは、
きびきびと演奏していることが分かった。

このあたりのテンポが私には心地よいのだろうか。
各楽器の自発性も良かった。

ただし、第2楽章は、6分55秒と、
先の先輩の三重奏団よりも長い時間をかけている。
(トリオ・フォントネが6分48秒、
ボーザール・トリオが6分43秒。)

しかし、この楽章は何だか、
すぐに終ってしまったような気がした。
うまく聴かされたということだろうか。

それにしても、このCD、
同じ演奏家が演奏していながら、
収録の3曲の演奏が、それぞれ違う印象であった。

最初に入っているのがメインの「ます」であるが、
これは、先に詳述したように、
ある意味、中庸を得た中に、
速い楽章では少し乗りすぎ傾向があって、
音色が時として犠牲になる瞬間があった。

続く「弦楽三重奏曲第1番」は、
曲が未完成で、歌謡性に満ちた第1楽章しかないせいか、
あるいは、ピアノの音色がないせいか、
その暖色系の肌触りが心地よく、
むしろ音色に惹かれるものを感じた。

最後に「アダージョとロンド」が収められているが、
ここでは、再び入って来たピアノが、
妙にクローズアップされた録音となっていて、
この曲ならではの協奏曲的な側面をうまく捉えている。

それに応じて、各弦楽器も、
一回り大きな楽器のような感じがして、
ここでは、むしろ速いロンド部の合奏が芳醇である。
曲想からして気にならないだけかもしれない。

しかし、どの曲も、完全に自己のものとして、
咀嚼されている点が素晴らしい。
特にあまり演奏されない後の2作は、
妙に説得力を感じた。

トリオ・フォントネの「アダージョとロンド」を聞き返すと、
ちまちまして、神経質な演奏に聞こえてしまう。
瞬発力はあるのかもしれないが、
自信なさげな演奏とも言える。

どこで自分が出るべきなのか、気配りの演奏で、
こうした比較的明朗な作品では、
ミュンヘン・ピアノトリオのような、
演奏に興ずるタイプの演奏の方が、
遥かに楽しいものとなるのは自明かもしれない。

もう一つの可能性としては、
こうした放送を主体とした楽団では、
様々な要望をかなえる必要があって、
若くしてスターになって、
毎年アメリカ・ツアーをやっているような、
トリオ・フォントネのような団体にはない、
適応力の高さがあるのかもしれない。

あるいは、人生をもっと楽しんでいる可能性もある。

得られた事:「演奏をする喜びの滲み出た演奏は、妙に説得力が高い。」
「シューベルトは実家を出てから、家庭用音楽を卒業した。」
by franz310 | 2009-09-12 23:49 | シューベルト
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